「授かる (1)」 牧圭一
第24回(平成23年)大伴昌司賞受賞作



【登場人物】
三雲有希(29)
三雲邦男(45)
北野 梓(41)
北野宗介(31)
後藤 遥(16・18)
辻  明(28)
佐伯真治(59)
堀 純哉(45)
福岡泰三(69)
本村順造(48)
竹内秀紀(44)
生田伸雄(55)
三雲綾子(69)
三雲昌一(72)
松本聡美(38)
高木朝子(61)
住  職(80)
荻島弘正(46)
他に看護師など

有希の夫・三雲病院副院長

梓の夫・美容師

聖成医大・培養士
聖成医大・産科部長
聖成医大・産科医
聖成医大・病院院長
聖成医大・心臓外科医
聖成医大・新生児科医師
生田クリニック院長
有希の義母
有希の義父・三雲病院院長
梓の弁護士
児童養護施設・聖成園園長






○ 鏡の中の花嫁(回想・六年前)
  二十三歳の三雲有希が自分のウエディングドレス姿を鏡に映している。
人生最高の幸せに陶酔した表情である。 
 
○ 結婚式場・新婦親族控室
  三雲有希(二九)が新婦のウエディングドレス姿を見つめている。
隣で夫の三雲邦男(四五)が新婦の両親である叔父叔母に挨拶している。
人目を惹きつけるほどの美しい有希に対し、邦男は見た目の冴えない中年男性である。 
邦男  「叔父さん叔母さん、本日はおめでとうございます」 
叔父  「ああ。邦男君、有希さん、ありがとう」
叔母  「あの子、邦男さんと有希さんのこの式場の結婚式に出たでしょう」 
  叔母、娘に目をやる。
新婦は鏡の自分に陶酔している。 
邦男  「はい。まだ高校生だったかな」
叔母  「そう。あの時の有希さんに憧れて絶対に結婚式はここって決めていたんですって」 
邦男  「そうですか」 
叔父  「綺麗だったからな。有希さんのウエディグドレス姿」
有希  「…いえ」 
  今の有希に二十三歳の時の華やかさはなく、影が体を包んでいる。 
 
○ 同・披露宴
  親族席の有希、邦男、邦男の実父母の昌一(七二)と綾子(六九)と親族数名。
昌一に年配の親族が話しかける。 
親族  「昌一さん、あなたなら聖成医大病院に顔が利くよね」
昌一  「ああ。俺も息子も聖成の出身だし、病院は聖成の系列だからな。どうして」 
親族  「恥ずかしいんだが、娘夫婦に子供が出来なくてね…」
  親族のその言葉に表には出さずに敏感に反応する邦男、綾子、昌一。
昌一  「(他人事を装って)そう」 
親族  「もう何年も不妊治療を受けているんだが、一向に成果がなくてね、困っているんだが…」 
  綾子は聞き耳をたてている。
親族  「聖成医大病院にいい医者がいるらしいんだ。医者じゃないか、何と言ったかな」 
昌一  「培養士か」 
親族  「そう。それ」
  綾子、昌一の眼の色が変わる。
邦男は有希を見る。
有希のその表情は凍りついている。 
   
○ 女子少年刑務所・外観
   
○ 同・作業室
 

五人ほどの美容師が受刑者である少女達に職業訓練している。
その様子を見学する北野梓(四一)、弁護士の松本聡美(三八)、所長を含む複数の刑務官。
梓の視線は一人の少女、後藤遥(一八)に注がれている

   
○ 同・所長室
  ソファーで梓と聡美、所長と女性の刑務官が談笑している。
梓  「所長さんのお口添えで無事に後藤遥さんの身元引受人になることが出来ました」
所長  「いえいえ。これまでの長年の北野社長の功績ならば当然です」
刑務官 

「本当です。彼女達が社会に復帰するためには仕事を持つということが一番大事なことです。北野社長には十年という長い時間ずっと職業訓練にたくさんの美容師の方を派遣していただきました」

梓  「仕事の大事さは私が一番知っています」
所長  「後藤遥については本当に立ち直ってほしいと思います」
刑務官  「実の母親に売春を強要されるなんて」 
梓  「私は事件を知ったとき、私しかいないと感じました」
   
○ 同・面談
  梓と遥が対面している。
横には聡美が付いている。
聡美  「こちらが後藤さんの身元引受人になってくれ北野梓さんよ」 
  遥、無表情無感情のまま頭を下げる。 
梓  「あなたの身元引受人になるのは大変だったのよ。こちらの松本先生と何度も法務省に行って頭下げて。どうしてか分かる?」
遥  「いえ」 
梓  「私も少年院に入っていたから」 
  遥、反応を示す。
梓  「殺人未遂。誰を殺そうとしたと思う?」 
遥  「……」
梓  「荻島弘正の腹に傷が残ってなかった?」
遥  「……!」 
梓  「(笑って)同じ男に包丁を突き刺した者同士仲良くやりましょう」
  遥、信じられない。 
梓  「ゴメンね。私が二十五年前にちゃんと荻島を殺していれば、あなたに辛い思いをさせずにすんだ」 
 
○ 同・駐車場
  訓練を終えた美容師達が乗った乗用車を見送る梓と聡美。
そして自分達も車に乗り込もうとする梓と聡美。 
聡美  「近くの駅まででいいわ。これから店舗巡りでしょう」
梓  「今日の仕事はナシ。だから事務所まで送るわ」 
聡美  「珍しいわね」
梓  「明日、採卵なの」
聡美  「ああ、不妊治療」 
梓  「半年間待ち望んだ日なの。だから明日に備えて今日は充分に休養取っておく」 
聡美  「評判のお医者さんなんでしょう?」
梓  「そう。神の手を持つ人」
   
○ 聖成医科大学病院
  大きな規模、高度な設備に多くの医師、学生、患者が集まる巨大病院である。 
   
○ 同・産科
  ・新生児室では誕生したばかりの赤ちゃんが並んでいる。
・廊下では曾孫を抱いたお祖母ちゃんを中心に記念撮影する大家族。
・臨月のお腹を抱えるようにして歩く妊婦。
その一角で赤ちゃんを抱いた四十代の夫婦に挨拶を受けている培養士の辻明(二八)。 
夫  「この度は本当に有難うございました」 
  深々と頭を下げる夫婦。
明  「良かったですね。順調な出産で」
妻  「辻先生のおかげです」 
明  「僕は出産に関しては何もしていません」
  明、表情にも言葉にもどこか感情が乏しい。 
夫  「実はお願いがあります。この子の名前に辻先生のお名前を頂きたいと思いまして」 
明  「僕のですか?」
夫  「はい。明の一字を頂いて敏明という名前にしたいと思っています」 
明  「僕の名前なんかに意味はないんですよ」 
妻  「とんでもありません。辻先生の力がなければこの子は間違いなく生を受けませんでした。ですから辻先生のお名前をどう しても頂きたいんです」
明  「そこまでいうのでしたらどうぞ」
夫婦  「有難うございます」 
  再び深々と頭を下げる夫婦。
夫婦の興奮とは対照的に終始、淡々としている明。
   
○ 三雲家・外観
  瀟洒な邸宅である。
   
○ 同・邦男の寝室
  書斎と寝室を兼ねている。
邦男、アルバムから有希の写真を剥ぎ取る。
   
○ 同・庭
  よく手入れされた美しい庭である。
有希が片隅の花壇に置かれた六つの石を見つめている。
大きめの石が二つ、小さめの石が四つである。
邦男がやってきて優しく声をかける。
邦男  「行こうか」 
有希  「…はい」 
 
○ 北野家マンション・地下駐車場
  梓の夫、宗介(三一)がフェラーリのエンジンを掛けようとしているが、掛からない。
傍で携帯電話からハイヤーを呼んでいた梓が電話を切る。 
梓  「呼んだよ」
宗介  「諦めるか」 
  宗介、車から降りてドアを閉める。
出口に向かって歩いていく梓と宗介。
宗介  「何か縁起悪いな」 
梓 

「でも考えようによってはさ、今回は妊娠するからファミリーカーを買いなさいっていう啓示かもよ。子供が出来て、フェラーリやポルシェなんて可笑しいもの」 

宗介  「すげえプラス思考」
梓  「何か今回はいい予感がするの」 
  出口から外に出た梓と宗介を朝の光が包み込む。 
 
○ 聖成医大病院・産科採卵室
  内診台の有希、虚ろな目である。
産科部長の佐伯真治(五九)が有希から経膣で卵胞液を吸引している。
佐伯、吸引した卵胞液が入った試験管を産科医の堀純哉(四五)に手渡す。
堀、その試験管を隣室の培養室の明にパスボックスを通して届ける。 
 
○ 同・培養室
  明、受け取った卵胞液を顕微鏡で調べ、中に卵子を確認する。
明、インターホンに呼びかける。
明  「卵子を確認しました」
   
○ 同・産科採卵室
  インターホンの明の確認を聞いた佐伯、
佐伯  「三雲さん、お疲れ様でした。採卵終わりました」 
堀  「リカバリールームで二時間安静にしていてください。そのあと培養士からお話がありますので」 
有希  「(虚ろに)はい」
佐伯  「(堀に小声で)後はよろしく」
堀  「はい」 
 
○ 同・産科採精室
  邦男が看護師に容器を手渡される。 
看護師 

「終わりましたらそこのインターホンでお知らせください。培養士とともにシールに氏名を記入して封印します」

邦男  「分かりました。ありがとう」 
 

看護師、出て行く。
邦男、ズボンと下着を膝まで下ろすと、ジャケットのポケットから有希の写真を取り出す。
その写真を見ながらマスターベーションを始める。 

 
○ 同・産科準備室
  梓と宗介が順番を待っている。 
宗介  「梓じゃないけど何か本当にいい予感がしてきたよ」
梓  「でしょう」 
  看護師が入ってくる。 
看護師  「北野さん、お待たせしました。奥様は採卵室へ、御主人は採精室へお願いします」
梓・宗介  「(目配せして)はい」 
   
○ 同・産科採卵室
  梓が堀によって採卵されている。 
   
○ 同・産科採精室
  宗介がマスターベーションしている。 
   
○ 同・産科リカバリールーム
  有希がカーテンで仕切られたベッドで休んでいる。
そこに梓が看護師に案内されて有希の隣のベッドに入る。
有希と梓、カーテンで仕切られているために互いに顔を合わせることはない。 
   
○ 同・産科部長室
  ソファーで邦男と佐伯がコーヒーを飲んでいる。
堀が入ってくる。 
堀  「お待たせしました」 
邦男  「悪かったな」
堀  「いいんだよ。気にするな」
  堀もソファーに腰掛ける。
邦男 

「(頭を下げ)今日は本当にありがとうございました。堀君とは同期ということもあって無理なお願いをしました」 

佐伯 

「何々。私達と三雲先生の仲じゃない。お父上は私の大先輩ですし。無理でも何でもないから」 

邦男  「歳が歳なものですから半年がどうしても待てなくて」
堀 

「そりゃそうだよ。半年待ちなんて異常だよ。何か培養士に神がかった者がいてさ、それが口コミで拡がってな」 

邦男  「俺もその口コミを聞いた人間だよ。辻先生というらしいな。まだ若いって?」 
堀  「二十八。培養士歴も三年足らずだ」
佐伯 

「どうやら培養士という仕事は経験よりもセンスらしい。光って見えるそうだ。成功する精子と卵子は」 

邦男  「光ですか」
 
○ 同・産科カンファレンス室
  有希と邦男、明と向かい合う。
有希の虚ろな表情は変わらない。
邦男はまじまじと明を見つめてしまう。
問診表に目を通していた明、 
明  「不妊治療は五年目ですね」
邦男  「はい」 
明  「治療はステップアップしていって妊娠は四回」 
邦男  「はい。(有希に気にして言い辛いが)でも四回とも流産しました」
明  「(興味なく)そうですか」 
  有希は明のその態度に初めて反応する。 
明  「妊娠は年々難しくなっている感じがありますが、ご自身ではどうですか」
邦男  「そう思います。私が悪いんです。もう四十五ですから」 
明  「前回の顕微授精も失敗ですね」 
邦男  「はい」
明  「今回も顕微授精をやらさせてもらいますがよろしいですか」
邦男  「よろしくお願いします」 
有希  「妊娠してもきっとまた流産すると思います」
  明、邦男を見る。 
邦男  「すみません。気にしないでください」 
明 

「私の仕事は受精卵、胚という命を作ることです。その命をお腹で育てて出産させるのは産科医の仕事です。ですから流産の御相談でしたら産科医に言ってください」

  淡々と話す明。
有希、一瞬見せた感情は消えていく。 
   
○ 同・産科カンファレンス室
  梓と宗介、明と問診している。 
明  「御主人の乏精子症で四年間の治療、顕微授精は八回で受精がゼロですね」 
梓  「(頭を下げ)難しいと思いますが、先生のお力でどうぞお願いします」
  梓に続いて宗介も頭を下げる。 
明  「皆さん、僕に過度の期待をされますが、僕は僕に出来る事を確実にするだけです」 
梓  「もちろんです。ただ先生の手は神の手と一方的に祈って半年待ったものですから」
明  「僕も神には祈っていますよ。命を作るという神の仕事をやらせてもらっているわけですから」 
   
○ 同・礼拝堂(夜)
  病院内にある小さい礼拝堂である。
明が跪き、祈りを捧げている。 
   
○ 同・エアシャワー室(夜)
  明が無菌衣、帽子、マスクを着用して、ほこりを落としている。 
   
○ 同・培養室(夜)
  誰もいない培養室で明が一人、倒立顕微鏡で授精をしている。 
   
○ 顕微鏡の映像
  卵子に精子を吸い取ったピペット(ガラス管)が突き刺され、精子が注入される。 
 
○ 同・培養室(夜)
 

明、受精卵の入ったシャーレに蓋をする。
蓋には[三雲邦男・有希]と書かれたシールが貼ってある。
明、そのシャーレを培養庫に収納する。
そしてすぐ上の段のシャーレを取り出して見る。
蓋に[北野宗介・梓]と書かれたシールが貼ってある。
明、そのシャーレを戻し、扉を閉じると、培養庫内の温度湿度などの環境をチェックする。全て正常である。 

 
○ 三雲家・ダイニング(夜)
 

邦男と有希の夕食。
有希の手の込んだ料理を食べる邦男に対して、有希はマグカップに注いだスープも飲むだけである。 

邦男  「しっかり食べたほうがいい」
有希  「今日は疲れたのよ」
  邦男、心配そうに有希を見る。 
 
○ ラーメン店(夜)
  行列のできる人気ラーメン店である。
カウンター席の梓と宗介の元にラーメンが運ばれる。
喜ぶ宗介、ラーメンを携帯電話のカメラで撮影する。
梓、宗介のどんぶりに自分のラーメンのチャーシューを入れてやる。
宗介はお返しに味付け卵を梓のどんぶりに入れてやる。 
 


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