「こんにちは、村井家の皆様 (5)」 小林 彩
第24回(平成23年)大伴昌司賞 佳作奨励賞受賞作



○ 大榮高校・校庭
  千晴、アイポットを聞きながら登校している。
    
○ 同・三年D組の教室 
  T 10月12日、村井家崩壊の日
光村  「じゃあ、終わります。起立」
  千晴、無表情で下校準備をする。
真壁  「…」
千晴  「……」
  余裕のない表情に何も言えない真壁。千晴、そのまま教室を出る。
聡子  「ちょっ、待って千晴」
  聡子、気になって後をつける。下校する生徒の間をぬって真壁、光村に近づく。光村、気付く。
光村  「何かな? 真壁君」
真壁  「…あのさ、聞いて良い?」
  光村、出席簿を整えながら答える。 
光村  「先生に敬語使いなさいよ」
真壁  「はっきり言って使う気になれない。あんた、元(もと)村井千晴だろ?」
光村  「!?」
   
○ 電車 
  これからのことを予感している千晴と聡子。何となく、空気が重い。 
聡子  「大丈夫……? 最近、変だよ…」
千晴  「彼氏は?」
聡子  「私は千晴のこと聞いてんの」
千晴  「…別に、どうってことない。案外、 あっさりと…何も無いかも」
  会話を続けようとしない千晴。距離を感じて聡子、堪らなくなる。 
聡子  「私、何かした、千晴? 何で電話でてくれないの?」
千晴  「……携帯、壊れたの…」
聡子  「え?」
千晴  「私、投げつけて壊したの…」
聡子  「そうなの…? でも、かかったし…」
千晴  いつも、私からばっかり……聡子、男がいれば私なんかどうでも良いんでしょ…知ってた」
聡子  「……」
アナウンス  「次はー目黒ー。目黒ー」
千晴  「……着いたよ。行けば?」
  聡子、気まずそうに降りる。意固地に千晴、聡子に眼を合わさない。発車する電車の中で千晴、大きなため息をつく。 
   
○ 大榮高校・三年D組の教室 
  光村、黒板一面を使って数式を書いている。
真壁  「うわ…。すげー」
光村  「アインシュタインが解いた重力方程式がベースよ。それのいくつかは、閉じた空間の環からなる、スペースワープを言ってるの」
真壁  「数式でだろ。でもタイムマシン、これで出来るんだ……」
  真壁、携帯で写真を撮っている。
光村、書き終える。
光村  「さて。何か言いたくてわざわざ尋ねたのよね?」
真壁  「…知ったような口で」
光村  「知ってるも何も、あなた。そういう タイプの人間だったなと思って…」
  真壁、携帯を下ろす。
真壁  「じゃあ言うけど…どうして自分でやらないの?過去変え」
光村  「色々あるのよ。こっちも」
真壁  「制約云々は、あいつから聞いた。でも、おかしい」
光村  「どこが?」
真壁  「過去の自分にもがかせて、あんたはのうのう、最高に趣味いいな」
光村  「相変わらずトゲがある言い方ね…はっきり言ったら?」
真壁  「…俺はこう考える。家族が大事なら真っ先に行動してるんじゃないかってこと…あんたが元、村井千晴なら」
  光村、真壁を見つめる。
真壁、その顔を見て、みるみる表情がくもる。
真壁  「……あいつに嘘ついたのか?」
光村  「…」
  光村、寂しそうに笑う。
   
○ 村井家・千晴の部屋 
  千晴、部屋に入ってくる。壊れた携帯を拾う。液晶は割れ動作は鈍い。聡子から着信が入っている。 
千晴  「…壊れろよ…」
  チャイム鳴る。
千晴、勢いよく飛び出し玄関に向かう。開けると母がいる。
千晴  「お帰りなさい……」
麗  「ただいま…大丈夫だった…?」
千晴  「…平気…」
  麗、表情が固い。
千晴  「お母さん?」
麗  「千晴、大事な話があるの。聞いてくれるわね…」
千晴  「(身構えて)……」
   
○ 同・リビング(深夜) 
  時計は2時を回っている。
千晴、部屋着に着替えている。
健人はスーツのまま、ビールを一缶、開けている。
沈黙で重い空気の中、麗、離婚書類を差し出す。 
健人  「帰っていきなり何のつもりだ…ふざけてるのか?」
麗  「冗談でするようなことではないわ……別れてください」 
  千晴、唇を噛んでいる。
健人  「生活はどうするつもりだ?」
麗  「当分は、働いている姉の元で暮らしますから、ご心配なく…」
健人  「千晴は?」
麗  「私が引き取るわ…これ以上、私達のことでこの子を苦しませたくない。あなたの不倫のことでも…」
健人  「……」
  健人、当惑の表情。 
千晴  「…お母さん…」
  麗、千晴の方を向く。
麗  「ごめんなさい、聞いていたの…つらい思いさせたわね」
  千晴静かに、しかしはっきりと首を振る。
千晴  「そんなことないよ……」
健人  「こっちの…言い分はどうなるんだ…勝手に決めて…」
麗  「もう、認めなさいよ。不倫してたから、帰りが遅くなってたんでしょ……」
健人  「最初は違う! 仕事だって何度も何度も言っただろ? それでも疑うお前が煩わしかったんだ!」
麗  「ちょっと待って。私だけの……せいだって言うの?それこそ冗談じゃないわ!」
  手前にあったグラスを健人に投げつけ激昂する。グラス、壁に当たって砕ける。
健人  「この状況で言うことか?!」
麗  「娘を使って不倫の口実しといてよく言うわよ…それこそふざけてるわ!」
  千晴、どうしていいか分からなくて堪らない。逃げようとする。
 しかし、止まらない口論。
健人  「そっちは、全部俺のせいにしたいだけだろ!」
  千晴、震えている。顔も涙を堪え、すごい形相。
千晴  「……待って…」
  声も震えて聞き取りづらいが、シンとなるリビング。 
千晴  「…私をおいて、進めないでよ…私は、別れて欲しくない…」
  千晴、息を吐き出す。感情を抑えつけた様な顔でいたが言葉と共にあふれ出す。
千晴  「離婚したら…嫌…こうなる前に言うべきだったけど……別れないで…二人とも……大好きだから…やめてよ…」
麗  「もう、黙って! 困らせないで!」
  千晴、ビクつく。麗、ハッと我に返り、深呼吸する。
麗  「…ごめんなさい千晴…。あなたには私みたいに…人の顔を窺う様な人間には……なって欲しくないの……許して…私は…あなただけ守ると決めたの……」
千晴  「…嫌だ…」
健人  「(嘆息)…もう、駄目か…?」
  麗、健人の方を向く。表情を強ばらせる。 
麗  「…よくこんな状況で聞けるわね! もう、出て行って! 千晴と私の前から 消えて! 出って行って! 今すぐに!」 
  麗、泣きながら喚き、さらに食器を投げる。止まる気配がない。千晴、ソファの影に隠れる。
千晴  「お母さん、分かったから…」 
健人  「…落ち着いたら、話そう…」
麗  「話すことなんてないわ!」
  喚き続ける麗を見て健人、さっと離婚書類を手に取り、出て行く。もはや言い合う気配は無い。千晴、堪らず叫ぶ。 
千晴  「…っっ! 待ってよ、二人とも!」
  目の前が灰色になる。千晴、固まってしまった両親の前をうろうろする。
千晴  「……お母さん?」
  反応無し。
千晴  「お父さん……?」
  突然、別の気配に気づき、後ろを振り向くと目を閉じた光村がいる。白いワイシャツにジーンズという格好。
背後にはタイムマシン。唖然と見つめる千晴。顔を上げ、目を開く光村。 
光村  「こんにちは、村井家の皆様」 
  千晴、ゆっくり目線を合わせる。泣いている。 
千晴  「ダメだった…言わなかったのに……」
光村  「…見れば分かるわ」
  千晴、絶望に打ちひしがれ、顔を覆う。
光村  「この家…懐かしい」
  光村、ソファに触れる。
千晴  「…今度は上手くやる…もう一度、力をかして…」
光村  「あなたに黙ってたことがある。千晴…」 
千晴  「…何…?」
光村  「もう、13回もやったの。私自身で」
  千晴、虚をつかれゆっくり顔を上げる。 
千晴  「…何それ…制約は? タイムパラドックスは?」
光村  「制約とか、私には……どうでも良かったの……色んな時に飛んだわ…」 
  足下にあったガラスを拾う光村。掌で眺め、そして放り投げる。ガラス、細かく砕ける。 
光村  「…変わるなら、どんな代償でも受ける覚悟だったのよ…それなのに…」
  千晴、ポツリと呟く。
千晴  「…変わらないの?」
  光村、泣き笑いの表情。 
光村  「結局、誰があがこうと無駄だった…」 
千晴  「…これから、どうするの?」
  光村、タイムマシンに入る。 
光村  「知らないけど…私も、終わりにしなきゃね」 
千晴  「ちょっと! 待って…」 
  消える、タイムマシン。その瞬間、『パンっ』と言う音が響くリビング。呆然と立っている千晴。 
麗  「……千晴、もう寝なさい」 
  千晴、絶望の表情。 
   
○ 住宅街(翌朝) 
  T 10月13日
いつもと変わらない町並み。
   
○ 村井家・千晴の部屋 
  千晴、目が赤い。 
千晴  「(起きる)…夢なら、良いのに…」 
   
○ 同・リビング 
  割れたガラスが散らばる部屋。千晴、制服に着替えて降りてくる。麗、テーブルに俯せて寝ている。 
麗  「……お父さんは?」 
千晴  「(諭すように)靴が無かった…」 
麗  「…そう」 
千晴  「…もう、決めちゃったのね…」 
  麗、頷き泣き始める。 
千晴  「…ごめんね。お父さんのこと、黙っててごめんね」 
麗  「…いいえ、あなたは悪くないわ」 
  千晴、首を振る。 
麗  「……これから、どうすればいいの…」 
千晴  「……私はいるから、ずっといるから …もう泣かないで」 
  千晴、麗の側に寄り、頭を撫でる。
麗、縋る様に千晴の体を抱く。 
千晴  「……」 
   
○ 大榮高校・三年D組教室 
  千晴、とぼとぼ入ってくる。無機質な目で事務的に、授業の準備をしている。遠くでチャイムの音。
千晴  「…持って来ちゃった…」 
  手に未来が書かれた日記。そこへ、ドアから教師が入ってくる。 
千晴  「!」
  千晴、気配に気付いて顔を上げると、緑川治(50)がいる。 
聡子  「……」 
女子生徒T  「あれー。退院したんですか? 光村先生は?」 
緑川  「何だ…俺じゃ悪いか」 
男子生徒T  「はい。潤い的に」
真壁  「……」 
  どっと、笑う生徒達。千晴、平手打ちされた様な顔で、眼前の状況を見ている。
千晴  「…許さない…」 
  携帯をサブバックから取り出し千晴、立ち上がる。日記も持ち、教室を後にする。 
聡子  「(席から立ち上がり)千晴!」 
真壁  「……!」
  真壁、立ち上がり後を追う。聡子、それに続く。唖然と見ているクラスメートと緑川。 
   
○ 同・階段 
  晴、歩いている生徒や先生をかき分け、駆け上がっている。 
千晴  「……」 
  着信履歴から、素早くかける。相手、出る。無言で話す気配が無い。千晴、荒々しい息の下で叫ぶ。 
千晴  「…もしもし、屋上で待つわ。最後くらい隠れてないで出てきなさいよ!」 
  電話切れる。構わず走り続ける千晴。
   
○ 同・屋上(晴れ) 
  千晴、息を整えながら携帯をしまう。しばし、息を整える為、へたり込む。向こう側にタイムマシンがあり、光村が待っている。 
千晴  「何もしないで、逃げるのね…」 
光村  「逃げてないわ。変えるためにここに来たの」 
千晴  「間違ってる。その考えが…」
光村  「…何が言いたいの?」 
  千晴、光村に近づき、持っていた日記を投げつける。光村に当たる。 
光村  「ちょっと!?」
千晴  「私で…実証出来たでしょ? 過去は変わらない…」 
光村  「ええ…無駄だった」
  千晴、構わず話を続ける。
千晴  「あんたに言われて日記は読んだ。正直、私ってこの先、嫌なことばっかり」
光村  「ええ、そうよ」
千晴  「聡子は アメリカ行っちゃって、お父さんはいなくなる。お母さんのアル中は酷くなって…」
  千晴、光村を指さす。 
千晴  「……その歳で、事実上独りで……」 
  ×     ×     × 
  真壁と聡子、屋上のドアを開けて二人の会話を聞いている。 
真壁  「文字通り…自問自答してる…」 
  ×     ×     × 
光村  「…だから、何よ…」 
千晴  「ここでどうあがこうと変わらない。 今回も闘って私の完全敗北だった。けれど…私は……未来全部に負けたくないの! あんたも、正々堂々、闘いなさいよ!」 
  千晴の叫びが響く空。少し圧倒される光村。
光村  「そう言ったって…」 
千晴  「あんた全力で後手後手じゃないの! 性格分かる分、余計むかつくのよ!」 
  光村、顔を歪ませる。微かに涙。 
光村  「……私の人生、取り返しのつかないことばっかりよ…」 
千晴  「だったら…前向いて、少しでも良くしてよ…頑張ってよ…未来に帰って…せめて…お母さんのことは頑張ってよ…」 
  光村、日記をジッと見つめる。年数の分だけ、黄ばんだ日記。 
千晴  「…私も、都合の良いことに飛びついちゃったけど…本来、そうあるべきもの でしょ?」 
  千晴、半泣きの表情。 
光村  「…気付かされるなんて…本当に情けないな……」 
  光村、日記を拾う。
千晴  「…闘ってよ…」 
  光村、しっかりと千晴の方を見る。 
光村  「…約束するわ…必ず…」 
  ×     ×     × 
  消えていくタイムマシン。それを見送る千晴。瞬間、風が強く吹く。 
千晴  「…」 
  ×     ×     × 
   
○ とある住宅 
  T 2022年
鎌倉型の住居。その前に降り立つタイムマシン。そこから光村が降り、家に駆け込んでいく。 
   
○ 大榮高校・屋上 
  見送った後も、立っている千晴。後ろから聡子と真壁が近づく。後ろを向いたまま、涙を必死に拭い、振り返らず話す千晴。 
千晴  「…聞いてたの?」 
  真壁、歩みを止める。聡子はずっと近づく。 
聡子  「帰ったね…」 
  穏やかな風が吹き、三人の髪を揺らす。 
千晴  「(皮肉って)見てたのなら、言わなく て良いじゃん…わざわざ…」 
  しばし沈黙。ポツリと呟く千晴。 
千晴  「…聡子…謝らなきゃいけないわ…」 
聡子  「?」 
千晴  「…昨日は、本当にゴメンね…」 
聡子  「いや…私も…考え無しなところあったし…」 
千晴  「……光村になった。私……」 
聡子  「…」 
千晴  「…今まで通り、名前で…呼んでね… 私が私で…なくなっちゃう…」
  声が震えている千晴。真壁、少し戸惑って尋ねる。 
真壁  「…大丈夫か?」 
  少し笑う千晴。 
千晴  「…どう…かな?」 
  ×     ×     × 
  光村のいる時代。うつぶせで寝ている麗。ゆっくり近づき、揺り動かす光村。 
光村  「…お母さん…お母さん」 
  ×     ×     × 
千晴  「…終わっちゃった…うちの家族……あんなに…頑張ったのに…うう、あぁあ…」 
  みるみる泣き崩れへたり込む千晴。
近づいて抱きしめる聡子。もらい泣きしている。 
真壁  「……」 
  ゆっくり近づく真壁。 
聡子  「…千晴…勿論だよ。私は単純で、当たり前のことしか……思い浮かばない けど…私は……ずっと…千晴の味方だよ…」 
千晴  「…いなく…なるのにっ…」 
聡子  「…あの未来が本当でも……それまでは…いるから…ね…大丈夫…大丈夫だよ…」 
  叫ぶように泣き続ける千晴。もはや、嗚咽になっている。 
千晴  「…もう…やだ…こんな……自分……頑張れって……言った…のに」 
聡子  「いいから…溜まっているモノ…出しちゃいな…」 
  真壁、空いている千晴の手をたどたどしく握る。 
真壁  「…ほら」 
  千晴、握り返す。 
千晴  「……あとで……返す…から」 
真壁  「(笑って)…どうやって…良いって」 
   
○光村・自宅 
  麗、ゆっくりと顔を上げる。虚ろな目で、ぼんやり光村を眺める。
麗  「…千晴…?」 
光村  「…ただいま…ただい…」 
  光村、こみ上げるモノがあり、しばし、うつむく。
光村  「ずっと…放っておいて…時間がかかって…ごめんね…弱虫でごめんなさい……」 
麗  「…どうしたの…」 
光村  「…約束…してきたの…自分に…治そう…母さん」 
  消え入りそうな声だが、麗。しっかりと聞いている。 
光村  「やっと…私…一緒に…頑張るわ……」 
   
○ 大榮高校・屋上 
  遠くでチャイムの音。寄り添う様に集まっている千晴、聡子、真壁。そんな3人の上に広がる、青く高い秋空。 
  ―終― 
   


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