「授かる (3)」 牧圭一
第24回(平成23年)大伴昌司賞受賞作



○ 三雲病院・外観(夕方)
  地域の中規模の病院である。
 
○ 同・手術室
  邦男が肝移植の手術を行っている。
その手際の良さは邦男が優秀なドクターであることを証明している。
  ×    ×    ×
  手術を終えた邦男、他の医師達と手を洗いながら手術について振り返っている。
医師A  「いつも感心させられますが、今日の三雲先生は特に絶好調でしたね」
医師B  「私も惚れ惚れしました」
邦男  「そうだね。今日は良かったね」
医師A  「肝移植なら大学と系列と含めても三雲先生が断トツでナンバーワンです。国内でも間違いなく五本の指に入りますよ」
医師B  「大学に残られていたら今頃教授になってかもしれませんね」
邦男  「言うねえ。キミ達」
  嬉しそうに微笑む邦男。
医師A  「何かノリノリになるような良いことありました?」
邦男  「ちょっとね」
医師A  「いいな。奥さんも美人だし」
医師B  「良い事といえば」
邦男  「何、キミも何かあった?」
医師B  「その逆です。朝、嫌なことあって」
邦男  「何?」
医師A  「あれだろう」
医師B  「そう。大学で飛び降り騒ぎがあったんです」
邦男  「何、患者さん?」
医師B  「それが職員なんです。産科関係で培養士です。不妊治療の」
  邦男の表情が凍りつく。
 
○ 同・副院長室
  邦男、険しい顔で電話を掛けている。
相手に繋がる。
邦男  「三雲だ。今話せるか」
 
○ 聖成医大病院・産科部長室
  堀が携帯電話で邦男と話している。
表情は緊張しているが、声色は努めて明るくしている。
傍らで佐伯が窺っている。
堀  「大丈夫だ。どうした」
邦男の声  「辻先生が飛び降りたと聞いてな」
堀  「もう耳に入ったか。誰から聞いた?」
邦男の声  「今日の当番医だ」
  堀の表情が安堵する。
邦男の声  「本当か」
堀  「本当だ」
邦男の声  「自殺か」
堀  「それは警察が調べているが、まだわからない。ただ遺書などはないらしい」
邦男の声  「そうか」
 
○ 三雲病院・副院長室
  邦男が電話で話している。
邦男  「頼みがある」
堀の声  「何だ?」
邦男  「妻に辻先生の事は耳に入れたくない。診察の時などに知られないようにすることは出来るか?」
堀の声  「そうだな。確か奥さんの流産は全部初期だったな」
邦男  「ああ。だから今は絶対にショックは与えたくない」
堀の声  「分かった。気を付ける」
邦男  「よろしく頼む」
  受話器を置く邦男。
 
○ 聖成医大病院・産科部長室
  堀と佐伯。
堀  「(携帯電話を切って)ウチの当番医から聞いたそうです」
佐伯  「(安堵して)まずは一安心だな」
堀  「はい」
 
○ 三雲家・有希の寝室(夜)
  ベッドで有希が横になっている。
邦男がノックをして入ってくる。
邦男  「具合はどう?」
有希  「別に」
  邦男、鏡台の椅子に腰かける。
邦男  「…お袋とのことは知ってる。夫婦のことに口を出すなと言っておいた」
有希  「お義母さんから言われたからじゃないの。私が離婚したいのよ」
邦男  「不妊治療を無理強いして悪いと思ってるし、僕も今回が最後だと思ってる。でもダメだったら子供のいない人生を送ればいいだけで、離婚する理由は全くない」
有希  「何も分かってない」
邦男  「……」
有希  「子供が出来ないならあなたと私が夫婦でいる理由がない」
邦男  「……そうか。そうかもな」
有希  「もういい。眠るから出て行って」
  背を向けて寝返る有希。
邦男  「(哀しいが優しく)辛い思いばかりさせてるな」
  寝室を出ていく邦男。
ベッドの有希。
 
○ 聖成医大病院・超音波検査室
  検査を終えた梓が服を直している。
堀が自分の向かいの椅子を梓に勧める。
堀  「どうぞ」
梓  「失礼します」
  堀、穏やかに話しかける。
堀  「順調ですよ」
梓  「(嬉しく)そうですか」
堀  「どうもすみませんでした。急にこちらの都合で検査の日を変更しまして」
梓  「いいえ」
堀  「ところで北野さんは出生前診断をご存知ですか」
梓  「はい。本で読んだ程度ですけど」
堀  「絨毛検査を行いたいと思うのですが」
  それまで明るかった梓の表情が曇る。
梓  「絨毛検査というのは染色体の異常とかを調べるものですよね」
堀  「その通りです。まず先に失礼をお詫びして、北野さんの年齢を考えると、検査をしたほうがいいと思います」
梓  「……検査は本当に必要でしょうか」
堀  「はい。本を読んだのならばお分かりになると思いますが、四十歳以上になりますと急激に染色体異常などのリスクが高まります」
梓  「私はどんなに障害を持っていても宿った命は産むつもりです」
堀  「障害というのはそんなに簡単なことではありませんよ」
梓  「認識しているつもりです」
堀  「参ったな。出生前診断についてあまり良く書かれていない本を読まれたようだ」
梓  「絨毛検査には流産誘発などの危険がありますよね」
堀  「確かに。でも技術のしっかりしたところで検査しますので安心してください」
梓  「……でもゼロではないですよね」
堀  「それは…そうです」
  不安気だった梓だが、話していくうちに毅然となっていく。
そんな梓に堀は動揺する。
梓  「どんなに障害を持った子でも産むと決心している私にとって、あらゆる出生前診断はただのリスクでしかありません」
  最後に強く断る梓。
 
○ 同・前・タクシー乗り場
  タクシーを待つ列の中の梓、表情からさっきの強さは消え、不安が生まれている。
梓、列から外れ、携帯電話をかける。
梓  「去年そちらで診察を断られた北野梓と申しますが、生田先生にどうしても御相談したいことがありまして…」
 
○ 聖成医大病院・超音波検査室
  カルテに向かう堀だが、激しい恐怖からペンを持つ手が震えて字が書けない。
堀、ペンを床に投げつける。
 
○ 生田レディースクリニック(夜)
  診察時間は終わり、受付は灯りが落ち、待合室に人はいない。
声(梓) 「先生には治療は断れましたが、その時の理由が明確で、とても誠実な人だと思いました」
 
○ 同・診察室(夜)
  梓が私服姿の生田伸雄(五五)に相談している。
生田  「商売っ気がないだけです。ただ御主人の精子の質からいって僕は妊娠はほぼ不可能と判断させていただきました」
梓  「他の病院では治療はしてくれました。希望を持たせてくれることも言われました。でもそれは今思えばセールストークでした」
生田 「不妊治療は肉体的にも精神的に経済的にも、とても辛いものです。不妊治療の末に壊れてしまった夫婦を何組も見てきました。だから僕は治療の前に可能性が低ければはっきりと言います。でも僕の判断は間違ったようですね」
梓  「(頷いて)妊娠六週です」
生田  「相談というのは?」
梓  「医師から絨毛検査を勧められました。断りましたが、私の知る限りでは絨毛検査は滅多なことでは行われないはずです」
生田  「あなたや御主人やその近親者に遺伝疾患を抱えた人はいますか。またそういう話を医師にしましたか」
梓  「いません。よって話していません」
  考える生田。
梓  「私の人生は人よりも高い山を登り、深い谷を下ったものでした。だから分かるんです。嘘で誘導して、どこかに導こうとする人間の思惑が」
生田  「病院はどこですか」
梓  「聖成医大病院です」
生田  「(納得して頷く)最近腕のいい培養士がいるという噂は本当だったんですね。人気もあると」
梓  「私は半年待ちでした」
生田  「ドクターも何人か知ってます。病院はこの地域の周産期医療センターです」
梓  「はい」
生田  「このクリニックも危険な赤ちゃんをあちらのNICUに緊急搬送して、六人の命を救ってもらっています」
梓  「じゃあ喧嘩は出来ませんね」
生田  「出来ません」
梓  「そうですか」
  席を立ち、出ていこうとする梓。
生田に何かが思い当たる。
生田  「一週間ほど前、聖成医大で飛び降りだか転落事故があったと小耳に挟みました」
  梓、歩みを止めるが、生田が何を言ってるかは分からない。
生田  「ちょうどその頃から不妊治療の申し込みがポンポンと来ました。理由はみんな聖成医大で受ける予定だった治療が向こうの都合で突然キャンセルされたというものでした」
梓  「……」
生田  「その培養士の名前を教えてもらえますか?」
梓  「……!」
 
○ 聖成医大病院・産科カンファレンス室
  向き合う梓と堀。
堀  「今日はどうされました」
  堀、心の動揺を隠して穏やかに聞く。
梓  「実は病院を変えたいと思いまして」
堀  「変えたい? またどうしてですか」
梓  「申し上げにくいのですが」
堀  「どうぞ遠慮なく」
梓  「先生を信頼出来なくなりました」
堀  「それは困りましたね。何か誤解があるかな。先日の絨毛検査ですか」
梓  「それと辻先生のことです。辻先生は亡くなられましたね」
堀  「別に隠したつもりはありません。人の不幸の話です。あまり進んで、しかも妊娠している方に話すことではありません」
梓  「そうですが、私の受精を担当した方です」
堀  「だからです。北野さんは妊娠初期です。流産のリスクが最も高いんです。そんなときに受精を担当した者が病院の屋上から飛び降りたなんて話せません」
梓  「本当ですか」
堀  「本当です」
梓  「嘘です」
  堀の表情が強張る。
梓  「この病院にはとても感謝しています。四年、七つの病院で不妊治療をしましたが、どこも受精卵すら出来ませんでした。それがここでは妊娠しました。まだ夢みたいです。でも嘘をつかれたら…なぜ嘘をつく必要があるか…それを考えると怖いんです」
堀  「そこまでいうのであれば担当医を代えましょう。それでよろしいですね」
梓  「いえ、信頼出来ない以上もうこちらでは診てもらうわけにはいきません」
  梓と堀、見つめ合う。
そして、
堀  「…今日一日待ってもらえませんか」
 
○ 同・産科部長室
  佐伯と堀。
堀  「私の言葉が拙かったんです」
佐伯  「堀先生の責任ではありません。元々無理だったんです」
堀  「……」
佐伯  「院長に上げましょう」
 
○ 同・会議室(夕方)
  数人の病院幹部が重苦しく押し黙っている。
佐伯と堀はただ俯いている。
窓から聖成教会を見ていた院長の福岡泰三(六九)が口を開く。
福岡  「行きましょう。これ以上は時間を無駄にしてはいけない」
 
○ 三雲家・リビング(夜)
  緊張した面持ちの福岡、佐伯、堀。
有希はたた恐怖に怯え、邦男は平静を保とうとしている。
福岡  「奥様の妊娠されているお子さんですが、胚を取り違えた可能性があります」
  邦男と有希、意味がわからない。
邦男  「…どういうことでしょう」
福岡  「他の御夫婦の胚を奥様に移植した可能性があるんです」
邦男  「まさか」
佐伯  「可能性の段階ですが、事実です」
邦男  「胚の取り違えというのはどの段階で起ったのですか」
佐伯  「移植の前日、培養液の交換時です」
邦男  「では妻の卵子に私の精子に受精させたということに間違いないんですね」
佐伯  「あくまでも辻君の手紙によればですが、それは間違いないようです」
有希  「お腹の子は赤の他人ということ?」
邦男  「そうだ」
有希  「そんなこと…(有り得るの?)」
佐伯  「現在妊娠七週です。なるべく早く今後の方針を決めなくてはなりません」
邦男  「明日伺います」
有希  「(お腹に手を当て)他人の子…」
  呆然としている有希のお腹を見る男達。
 
○ 同・玄関(夜)
  福岡、佐伯、堀を見送る邦男。
 
○ 同・リビング(夜)
  邦男が戻ると、有希の姿はない。
庭に出る窓が少し開いていてカーテンが風に揺れている。
 
○ 同・庭(夜)
  有希が庭の六つの石の元に跪いている。
邦男がやってきて有希の隣に坐る。
邦男  「帰ったよ」
有希  「こんなこと有り得るの?」
邦男  「過去には一、二件ある。大きなニュースになった」
有希  「人間のすることだもんね」
邦男  「絶対あってはならないことだ」
有希  「元は私が悪いんだしね」
邦男  「どこが? 何一つ悪くないよ」
有希  「命を作るという行為を他人に委ねた」
邦男  「治療だよ。不妊治療なんて一般的で倫理的に何の問題もない」
有希  「(寂しく笑って)そうかな」
邦男  「有希が自分を責める理由なんて一つもない」
有希  「で、今後はどうなるの」
邦男  「明日俺が病院に行って話してくる」
有希  「でも大よその見当は付くでしょう」
邦男  「お腹の子が誰の子か調べるというのは実は簡単なことではない」
有希  「……」
邦男  「お腹の中でかなり成長してからでないと難しい。でも大きくなってからだと今度は……中絶出来なくなる」
有希  「じゃあどうするの」
邦男  「専門ではないから正直分からない。絨毛検査という方法があるが、現実的ではないだろう。たぶん彼らにもこれという答えは見つかってないはずだ」
有希  「それでもし他人の子と判明すれば中絶するのね」
邦男  「…たぶんそうなるだろう」
有希  「流産が先か中絶が先か」
邦男  「取り違えなんてなく、僕達の子で、無事に産まれる可能性だってある」
有希  「もし中絶するなら十三週まで待てないかな」
邦男  「遅ければ遅いほど体への負担は大きくなる」
有希  「別にいい。どうせこの子が最後だし。それよりも今度はちゃんと役所に死産届を出して、お墓を作ってあげたい」
邦男  「……」
有希  「お墓があればそれが私達の夫婦だった証しになる」
  有希、小さな四つの石を手に取る。
有希  「この子たちも入れてあげられる」
  邦男、大きな二つの石を指差す。
邦男  「どっちが僕?」
有希  「それ」
邦男  「じゃあこれが有希」
有希  「そう」
  有希、手の中の四つの石を一つずつ出して、大きな石に寄り添うように置く。
有希  「この子が一人目、この子が二人目、この子が三人目、この子が四人目」
 
○ 北野家・マンション・リビング(夜)
梓  「…私の子じゃない」
  ショック状態の梓。
梓  「(呟き)私の子じゃない」
  ソファーには梓と隣に宗介。
向かって福岡、佐伯、堀。
宗介  「……冗談じゃねえよ。意味わかんねえよ。お腹の子は他人の子の可能性があるって、何だよそれ」
  激高している宗介。
宗介  「妊娠したって言われて俺達が、梓がどれだけ喜んだと思ってるんだ」
福岡  「申し訳ないと思っています」
  頭を下げる福岡、佐伯、堀。
宗介  「謝られたって許せるわけないだろう。出るところに出るからな。そうだ。まずマスコミだな。それが一番困るだろう」
佐伯  「私共はどんな追及でも受けるつもりでいます。ただ相手のある問題です。どうか落ち着いて考えていただけませんか」
宗介  「落ち着け? 落ち着けるわけないだろう」 
  梓、口の中で「相手」と呟き、そして我に返る。
梓  「私達の子は?」
  梓、福岡達を見る。
梓  「相手がいるってことは、取り違えたってことは私達の子は誰かのお腹の中にいるんですよね」
  答えに困る福岡、佐伯、堀。
梓  「私達の子は生きているんですよね。堀先生」
  答えられない堀。
福岡  「生きています」
  衝撃を受けていた梓の表情に光が差す。
 


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