シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


        1932年生まれ。東京都出身。中学時代から脚本家の父・八住利雄氏の仕事を手伝い始める。
        早稲田大学文学部中退後、大映と契約。特に増村保造監督とのコンビで好評を博し、映画「巨人と玩具」
        「大地の子守歌」を筆頭に、数多くの名作を発表した。
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第7日目 最終回 (2010年8月10日更新)

十五年ほど前、シナリオ作協の日中友好シンポジウムで中国へ行ったが、北京、上海等、どこのホテルでテレビをつけても、「日本的偶像」と題して、酒井法子の歌が流れていた。
荒井晴彦氏と北京市内を散歩に行ったら、ビルの地下にある秘密めいたCDショップに、のりピーのCDがうず高く積まれ、日本語で歌う曲がリズミカルに響いていた。
まさにこの頃が、彼女の絶頂期だったのだろう。
本当に可愛らしかった。
二歳の時に両親が離婚し、四歳で実母と死別、実父は再婚したが、のりピーが売れ始めた頃、自動車事故で急死してしまうという、恵まれない少女時代を送っている。
しかし、サンミュージックの相澤社長の自宅に下宿して、家族のように可愛がられ、暗さは微塵も見えなかった。
その後「マンモスうれピー」、「いただきマンモス」などののりピー語を流行らせ、つとめて明るい健康的なイメージで、一世を風靡した。
一九九八年、「できちゃった婚」を公表、結婚生活と芸能活動を両立させ、ママドル路線を確立しようとしていたが、かつての勢いはすでになかった。
結婚した夫は、覚醒剤の常習者だった。
私は知らないが、覚醒剤を使用するセックスは、途方もなくよいものであるらしい。当然のりピーも、夫とのそれにハマッていったのであろう。
だが、逮捕後マスコミの前に姿を現したのりピーは、きれいで清楚で、そんな汚れなどまったく感じさせないほどの美しさだった。もしあれが芝居だったとしたら、彼女は途方もない女優と言えるだろう。
その時だけ、彼女のために一本シナリオを書きたい、と思ったほどである。


第6日目 (2010年8月9日更新)

十年近く前、ヘンなバラエティ番組が放送されていた。
山本寛斎が目を剥いて何やら叫んでいた。ビートたけしもいたと思う。
そして、可愛い少女がパラパラを踊っていた。ただそれだけの時間潰しのような番組だったが、その少女には、どこか惹きつけられるものがあった。
胸がデカくエッチだが、同時に清純でもあった。将来の大樹を思わせる雰囲気があった。
プレイボーイ誌を中心に、彼女の水着姿が、以後氾濫した。アグネス・ラムの再来かと思った。彼女を載せると、雑誌は必ず売り切れになった。
だが、半年も経たないうちに、彼女の水着姿は消えた。もういやだ、と断ったらしい。
同時に、彼女はドラマやバラエティに、マルチタレントとして大活躍を始めた。殆ど見きれないほどの露出度だった。グラビアアイドルをやめ、演技で勝負し始めたのだ。
彼女自身が語るところによれば、池袋のデパートで、ホリプロにスカウトされたという。ホリプロは、いい人材をつかまえたものだ。
彼女が出てくると、画面がぱっと明るくなる。オーラが備わっているのであろう。
今は専ら、志村けんの深夜番組で、芸達者な連中を相手に一歩も引けをとらず、なかなかのコメディエンヌぶりを見せている。志村けんにずいぶん鍛えられたのであろう。志村けんも『週刊文春』の阿川佐和子との対談で、あの子は逸材だと言っていたが、私もそう思う。
ところで、彼女の名前は、岡部広子こと優香である。


第5日目 (2010年8月5日更新)

数年前、スポーツ新聞で、夏になると恒例の、若い女性が数人並んで水着を披露するコーナーを見たが、その中の一人が私の目を射た。
南明奈(アッキーナ)である。
気がつくと、各種のグラビア雑誌に、アッキーナの姿が必ず出ていた。
のびやかな手足、色気があってないようなボーイッシュな雰囲気は、誰にも似ていず個性的であった。
目を付けるのは誰でも同じらしく、島田紳助司会のクイズ番組『ヘキサゴン』にレギュラーとして出演するが、一問も出来ず、「日本一のおバカ」と紳助に評されて、一躍名を上げる。
私が初めて彼女の番組をしっかりと見たのは、『GO!GO!アッキーナ』である。アッキーナが、いろいろな著名人に突撃インタビューを試みる番組で、相手はなんと我らが新藤兼人氏であった。孫の風ちゃんもいた。
新藤さんは、いつもと同じ顔で「要するに…頑張ってください」と宣った。
アッキーナは、コピーライターの書いた通りに様々な質問をするが、新藤さんが耳がよく聞こえないことを知らないらしく、会話は宙を舞うばかりであった。そのうち時間が来たか疲れたかして、風ちゃんに促され引っ込む間際に、新藤さんは宣った。「要するに…頑張ってください」
最近のテレビCMで、ダントツに私の目を引いたのは、
「AはアッキーナのAだぞ!」と言って、ブルーのビキニスタイルの彼女が「A」のポーズを取る、清涼飲料水か何かのコマーシャルである。だが、楽しみに待っているのに一向にオンエアされないのは、どうしてであろう。
ぐずぐずしていると、すぐに夏も終わってしまうではないか。


第4日目 (2010年8月4日更新)

秋元康氏の商売上手には、ほとほとたまげる。
畑の中から掘ってきた、まだ泥のついたままの芋や牛蒡をかき集めてオーディションにかけ、五十人も百人も採用する。
その中には、モノになる子もいるだろう。
前田敦子、大島優子、篠田麻里子、等々。
そして何人かは、磨かれてキレイになり、馬鹿な大衆に受け入れられる。
実は私もその一人だが(笑)
秋元氏は、同じような歌詞をいっぱい書いて、彼女に歌わせればよい。
かつての『おニャン子クラブ』がそうであったように。
だが、モノにならない女の子は、弊履のように見捨てられる。
見捨てられた女たちは、どこに消えるのであろうか。
ところで彼は、あの子たちの何人ぐらいに手を付けているのだろう。
ウラヤマシイ限りである。


第3日目 (2010年8月3日更新)

八年くらい前、フジテレビの深夜に近い時間に、ヘンな番組が始まった。
新人女子アナウンサーをメインに抜擢した、トーク番組である。
美人だが、それを鼻にかけている馬面の女が出てきて、ペチャクチャと訳のわからないことを喋っていた。こんな番組はダメだなと思いながら、何となく見ていたが、案の定、半年あまりで打ち切りになってしまった。
ややあって、メインの女子アナを変えて再開した。番組名も『アヤパン』になった。前の女性とは打って変わって、目玉が利口そうにクリクリ動く、頭の回転の早い、丸顔でショートカットの女子アナだった。短めのスカートからのぞく脚も可愛らしく、ちょっと擦りたくなった。
こちらは、二年以上続いた。
その女性の名前は、高島彩だった。
彼女のおかげで視聴率も上がったらしい。
新聞で見たら、お父さんは竜崎勝という、ガンで若死にした二枚目俳優だった。
彼女は、父親の顔も覚えていないようだが、そんな陰などまったくなく、むしろ天真爛漫だった。
この番組以降、アヤパンの疾走は凄かった。
ニュースにバラエティにレポーター、等々。
アドリブにも長けていて、特に生放送での仕切りは抜群である。もう三十を越したはずだが、依然として可愛らしく、アヤパンを見るたび、私はふと、小林麻耶を思い浮かべずにはいられない。
TBSに知恵者がいて、使い方を間違わなければ、アヤパンのよきライバルとして活躍していたはずなのに……。
まことに残念である。


第2日目 (2010年8月2日更新)

私の寝室には、ある人気モデルのカレンダーが掛かっている。
佐々木希である。
二代前の混血を経たような日本人離れした顔立ちと、純日本的な体型のアンバランスが、男心をたまらなくそそる。
一年前の話だが、行きつけの喫茶店で、かわいい女の子の表紙に誘われて手に取った『PINKY』で、私は彼女と出逢った。天使のような顔が微笑んでいた。その後私は『PINKY』の愛読者となるが、しばらくして廃刊になってしまった。こんなジジイが読んだからだろうか。
たまたまインタビューに来た週刊現代の記者に、好きなアイドルを聞かれ、
正直に「佐々木希です」と言ったところ、「僕、知らないや」と言われた。
あわよくば会わせてもらおうと思ったのに、存在自体知らないのでは話にならないではないか。
その後、佐々木希は、めきめきと売れてきた。
私の眼は確かだと、自画自賛せざるを得ない。
もう少し若ければ、ガールフレンドにしたいところだ。
これ、ホント。


第1日目 (2010年7月28日更新)

安田美沙子は、眷恋の女性であった。
七年ほど前、入院していた病院の待合室で、ふと手にしたグラビア雑誌に、彼女はいた。
私は仰天した。
大袈裟な形容を使うと、造化の妙を歎ぜしめる美しさ、であった。
切れ長の目、清楚でありながら官能的な唇、そして何よりもその若々しい肢体に、私は魅了された。それはまさに、一陣の涼風だった。
彼女はその後、テレビにも進出し、みるみるうちに売れっ子になった。だが、バラエティ番組ではいつも遠慮がちで、背後からずうずうしい松本明子などにつきとばされて、みちゃみちゃの話を聞いているつもりがいつの間にか松本のツマラナイ話を聞かされている、というような具合であった。ちなみに松本明子は、かつて『オールナイトフジ』という深夜番組で、鶴太郎に「オ××コと言え」と言われて、カメラ目線で「オ××コ!」と叫んだタマである。
安田は、フランス人形のように大人しく、歌も踊りも出来ずトークもヘタクソで、私を魅了したあのシャープなボディも年とともにその輝きを失い、売れない俳優にしゃぶられて、いつの間にかテレビからもグラビアからも消えていきつつある。
まことに儚いアイドルの宿命である。


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