シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
   三宅直子 (シナリオ作家)

東京都出身。主婦から独学で懸賞テレビドラマ入選。
シナリオ研究所研修科修了。石森史郎氏に師事。

樫の木モック・キャシャーン・ムーミン・ケンちゃん・
あばれはっちゃく・さわやか3組・中学生日記 他
著作・受賞多数
月刊ドラマ『あなたもこれでシナリオが書ける』連載中。


                            


2009年5月18日(月曜日)

恩師石森史郎先生のお後を引き継いでのリレー日記。田中貴大氏から、姉弟子とのご紹介も頂き、緊張と気合いを抱きつつスタート。
30歳の主婦からのスタートで、シナリオ作家協会の研修科のゼミで石森先生にお会いしたのが最初。以来40年になる。
石森先生の『映画生活50周年記念パーティ』(平成18年)で、師の弟子として伴一彦氏と並んで紹介された時は、晴れがましさで一杯だった。私自身もシナリオを続けてきてよかったと思った。
アニメや子供ドラマを書いてきて、500本余になる。今はカルチャー教室で文章講座、専門学校でシナリオ講座を担当している。
毎週月曜日は千駄ヶ谷の『東京ネットウエイブ』で授業。午前中は2年生のデジタル映像専攻とCGアニメ専攻の男女17名。午後は1年生で映像専攻とアニメ専攻とゲーム企画科の男女46名。
学生は高校卒から大卒、社会人もいる。韓国や台湾等の留学生も年々多く、優秀な資質を持っている学生も見られる。
授業は原稿用紙にセリフやト書きの書き方から始めるが、全員に覚えこませるのは手間暇がかかる。机の間を歩き回ってチェック。
シナリオの筆写。役を振り当ててシナリオの読み合わせをさせると、結構、役になり切ったりして、笑いが起きたりするのも楽しい。コミックからシナリオに書き起こす。
ビデオやDVDを観せて、映像の感覚を体感させる。
設定や課題を出してシナリオを書かせる。その一つずつを読んで赤ペンを入れるのは労力が要る。彼らを飽きさせず面白く授業を進める工夫もしなくては。やがてシナリオらしき物が書けるようになってくる。先生業は大変だが、教える手応えもあるのは楽しい。
今夕5時から、赤坂の作協で『シナリオ倶楽部』で私がゲスト。私の作品を上映してトークや歓談があるとか。どんなことになるか楽しみ。詳しくは後日〜。



2009年5月19日(火曜日)

○毎朝6:30頃起床。主婦ライターとして30年余。今でも日常は主婦業ばっちり。
階下に降りて先ず猫に餌。私が起きてくるのをミャーミャー待っている。家族は夫と次女と猫二匹。我が家は猫派。猫は甘えん坊で寂しがりでその仕種には癒される。
夫は現在は自宅を建築開発事業の事務所にしているので、三食は私の手料理。
基本的に和食系。チャッチャッと揚げ物もするし、肉じゃが・牛鍋・煮魚など小まめに作る。
朝の楽しみはコーヒー。『カルディ』で買った『カリビヤマイルド』の豆をガリガリと手回しで挽く。カップに少し牛乳を入れて温め、ペーパーフィルターにコーヒーを入れて細口のケトルでゆっくりお湯を注ぐ。コーヒーで一日の気合いのスイッチ・オン。
さぁ今日もやるぞ! 毎日やること一杯あって一日中フル回転。いっときも暇はない。

○娘が「その歳で元気ねぇ」と言う。年女で72歳。戦後の昭和が青春時代。ジャズや洋画、オペラ、バレェ、芝居等々いろんな物を見聞きしてきたのが書くことの原点に。
十代は病気もして高校二年を一年休学したが、子供を産んでから丈夫になった。
十年前に家を建て直してから日当たりのいい二階をリビングと夫の仕事部屋にした。
キッチンは階下だから食事運びなんかで、一日に二十回は階段を上り降り。これが体力の基。専門学校で二時間立ちっぱなし。駅は階段を使う。
元気の基はストレスを溜めないこと。したい事、観たい物、行きたい所、読みたい本があって、クヨクヨ悩むヒマはない。書く上でまだ自分を出し切れていない気がして、上演の当てもない戯曲を考えている。
よく「好きな事が見つからない」「何をしていいか分からない」というのを聞く。
なんともったいないことと思う。世の中いろいろある。やってみなくては分からない。
でもさすがに時々バテて愚痴る。と、娘が「その歳で先生と呼ばれて仕事があるのを感謝しなさい」と言われる。確かにそうだ。「芸は身を助ける」である。

○洗濯好きで晴れれば毎日。洗濯機が回っている間に手紙を書く。メールもパソコンもしないので、連絡はFAXか手紙。毎日郵便屋さんのバイクが待ち遠しい。 
掃除、日々の食品の買い物。新聞(読売と日経)を読むのが好き。情報源でもある。
本や資料を読み、何十人もの学生の提出物をチェック。自分の書き物はワープロ。合い間にテレビを観、娘とお喋り。娘はアクセサリーの制作デザイン。教室も持っている。
私は週に三、四日は先生業で外出。その時も必ず昼食や夕食の支度をして行く。
現役で脚本の仕事をしていた頃は子供も小さく、PTAの役員もした。授業参観も行った。
ぺラを広げておいて、家事をしながら、さっと机に向かって書くという「ながら族」でやってきた。打ち合わせにぺラとエンピツを手に飛び出して、駅のベンチや電車の中でも書いた。レギュラーを何本も抱えていた時は年に一回は胃がキリキリ痛んだ。
   
○今日第三火曜日は、よみうり文化センター町田の『投稿と文章実作講座』がある日。
バスで成城学園、小田急線で町田へ。20代から70代、男性3名女性10名。エッセイから創作、自分史などの作品をコピーして、作者が自作を音読。それを皆で感想を述べる。恩師石森先生のリレー日記を読んで「はっ」となった。師はこう言われている。
『ああ書けこう書けと押しつけない』と。そうなのだ。我々の作品に赤を入れたりなさらなかった。付箋を挟んで『ここはどうかな?』指摘されるのみだった。なのでひたすら師の仕事ぶりを見て、なんとか一歩でも近づきたいと思っていた。
私もそのことが身にしみていたから、カルチャー教室でも書き方を押しつけず、個性を引き出す方向でやっている。そのせいかこの教室は20年以上続いていて、10年も来ている受講生もいるし、数年ぶりで再受講に来る人もいて、今は教室に入りきれない位。
受講生有志20名位で、二年に一度、合同出版で『灯台』という作品集を出す。
今年中に作品を準備して、来年春に『灯台』第4号を出す予定。私も作品を出す。
   
   
○教室に何を来ていこうかと考える。またまた娘に「先生なんだからちゃんとしていきなさい。姿勢をよくすれば5歳は若く見える」と追い討ち。はいはい気を付けます。
ということで、今日は久しぶりに着物。十代からお茶や仕舞いの稽古で着物を着ていたので、母に習ったり工夫して15分もあれば着られる。着物は礼装ではなく街着で楽しむのがお洒落。帯や帯締めの組み合わせで楽しめる。友達から着物や帯を「使って」と送ってくれたりして、箪笥はいっぱいになっている。
今日の着物は、ベェージュ地に赤やグリーンの細かいチェックが紬。アンティーク着物屋でゲット。帯は濃い茶がフィットするが、私手作りのグリーンの帯。若葉の頃らしく、帯揚げは薄いベェージュ、帯締めも若草色にした。



2009年5月20日(水曜日)

○一昨日、17時から22時まで、シナリオ会館で『シナリオ倶楽部』がありなんと私がゲストに招かれた。『シナリオ倶楽部』とは毎月一回、シナリオ作家協会内の交流・研鑽の集まりで、ゲストの作品を上映して、続いてトークがなされる。
もう現役でもない私なんぞと思っていたのに、原田聡明氏、田中貴大氏の計らいでお呼びいたたいた次第。
17時からシナリオ会館の3階で私の作品『さわやか3組』『あばれはっちゃく』『少年アシベ 』『新造人間キャシャーン』が上演されるのだが、午前と午後に専門学校の講義があり、午後4時に急ぎ帰宅。夕飯の支度をしてから家を飛び出して赤坂に向かった。
会場では『キャシャーン』を上映中で、師の石森先生が夫人と共に既にいらしていたのでびっくり。国立劇場で前進座の舞台をご覧になった足で駆けつけて下さったのだ。
さらにシナリオ作家協会の桂千穂氏、湯浅弘子氏もいらしていたのに感激。私の講座から蒼波樹里さん、篠田亜紀さんの顔も見えてうれしかった。
トークでは田中貴大氏の司会で一問一答。師匠ご夫妻、桂氏、湯浅氏などを前にして、この頃は度胸のついてきた私ではあるが、さすがに緊張する。でも気を振るい立たせ「しっかり話そう」と我が身に言いきかせた(ほんとです)
『キャシャーン』の話から、タツノコプロさんでは半人前からお世話になったことを思いだした。故鳥海尽三氏に感謝申し上げご冥福をお祈りしたい。
そして改めて当時小山高生氏にご指導いただいたお礼を申し上げたい。
   
○田中貴大氏のさりげなく、かつ的確なリードで、駆け出しの頃の苦労話を披露してしまった。プロット一本通るまで何回も書き直したこと。主婦・お母さんライターとしてのあり方など、当時はただ夢中だったが、私らしい道をたどってきたのだと思い至った。
会場の女性二人から質問。
一つ目は「原作のあるものを脚色する場合、どう自分をだすのか?」。『ちびまる子ちゃん』や『ムーミン』『アシベ』等の原作物をやってきたが、原作のカラーやキャラを生かしつつ、こっちのペースで味付けしていく。原作を壊してもいけないし、原作にしばられすぎても書けない。
もう一つは、「現在研修科でシナリオを書いているのだが、合評であれこれ言われて自信を失って書く気がなくなってしまう」という質問。
それはよくある、直しで潰れてしまう例。要は自分の発想の原点を大事にすること。なぜその話を書こうとしたのか。そこに立ち戻って書きたい炎を再燃焼させること。それが書くことのエネルギーになるのだから。

○20時から6階の会合室で歓談。ビールやおつまみが出る。僭越ながら私の音頭で「本日ご参集ありがとうございました。皆様のご健康とご発展を祈ってかんぱーい」
桂千穂氏は『シナリオ倶楽部』の委員長でいらっしゃる。ご体調を心配していたが、お元気そうでよかった。湯浅弘子さんとは同年輩で、女性ライター同士の仲良し。二年前『第3回泉鏡花記念・金沢戯曲大賞』に二人は佳作に入り、一緒に受賞式にも出た。金沢は湯浅さんの故郷で街を案内していただいた。彼女が小説執筆の舞台として友禅を調べたいとのことで、友禅会館を訪れてラッキーにも館長直々に話を聞くことが出来た。この館長さん、実に能弁な話し手で愉快なハプニング。今でも思い出しては二人で大笑いしている。
湯浅さんは、さいたま市からわざわざ来て下さったとのこと。感謝。
○スーツをピッと着こなした男性がそばに来て「日テレ学院から来ました」と言う。石森先生が日テレ学院でシナリオコースの講師をしていらして、私が前座として基礎の話を15日にしに行った。彼はライター志望ではなく、通販企画の会社をしているのでキャッチコピーのあり方を学びたいとのこと。大賛成。
私はかねがね「シナリオはいろんなことに役に立ち、つぶしが利く」と言っている。イベント企画にもシナリオの構成は役立つ。
石森先生夫妻は立川の方にお帰りになる。仲睦まじいご夫妻を拝見して、私も幸せ気分になる。どうぞ末長くお幸せに。
 
○蒼波樹里さんと篠田亜紀さんが初対面なのに、すっかり意気投合の仲良しになったという。二人とも美形の華の独身。世の男性は何をしているのか。うちにも一人娘がいる。婚活に私も動きださなくちゃ。
蒼波さんと篠田さんと一緒に帰る。今夜はいろいろ胸一杯だった。
原田聡明さん、田中貴大さん、それからお世話下さった方々ありがとうございました。感謝です。



2009年5月21日(木曜日)


○今日はめずらしく外出の予定はない。いつものコーヒータイムの後、溜まっている読物と書き物の整理。
友人達と『四人会』という集まりを作っている。児童文学作家、作家・脚本家、写真家と私の女ばかり四人。何か勉強会をしようということで、私が彼女らに声を書けて四年前に結成。展覧会を観に行ったり、互いに家を訪れたりしていたが、前回からそれぞれの書いた物を回覧して、それに感想を書いて後日四人で会って合評することにした。
その回覧原稿が今、私のところに来ているので読んで感想を書かなくてはならない。その後に私の作品を加えてから、次の人に送る。
   
○エッセイを頼まれたり、講演を依頼されているので、その原稿を書いたり、講演のメインテーマやレジュメを書いて送らなくては……。その案を考える。
昨日のカルチャー教室・よみうり文化センター町田で、毎年の夏休みに『子供の作文教室』をやっている。今年で3年目。去年は二回だったが今年は3回コースになった。
今、小学校では作文指導がされないらしい。なのに夏休みには絵日記や読書感想文の宿題が出される。去年来た、若いお母さんが「日記の書き方も分からなくて」と言っていた。文化センター町田では『作文教室』の他に、『読書感想文コース』を設けたいという。そのカリキュラムを考えなくては。
去年の『作文教室』で作らせた『壁新聞』が好評だっので「今年もやってください」と担当者。そんなこんなで図書館から『作文の書き方』や『壁新聞の作り方』の本や資料を借りてきて、予備の勉強しているところ。
逗子に住んでいる長女は三人の子持ち。子育てを支援するグループを立上げている長女からも「逗子で作文教室をしてよ」と6月に日程を立ててきた。
子供に作文を書かせるって、かなり大変。楽しく面白くしなくちゃならないし。クイズや取材をさせたり、知恵をしぼって工夫をこらしている。
この長女、小中高大と陸上短距離選手。私が現在連載中の月刊『ドラマ』のイラストをLOCOの名で描いている。そうだそろそろ次の『ドラマ』の内容も考えなくちゃ。

○シナリオと同時に文章の書き方を長年やってきた。書くことは自己表現。殆どの人が「書いてみたい」という願望をもっている。だが、「書き方がわからない」「文章が苦手で書けない」と言う。
よみうり文化センター町田の他に、地元の調布市で『文章術』という同好会を10年やっている。そのほかに、公民館やサークルで文章の書き方講座を頼まれる。
『エッセイと自分史を書こう』というシニアの講座は30人の定員が一杯になった。男性の参加者が多く、自分や親族の来し方を自分史に書きたいということだった。
原稿用紙の書き方から説明すると、「初めて文の書き方を習えた」と喜んでいた。私の講座が6回で終わった後、有志が同好会を結成したとのこと。この秋には文章の公開講座を依頼されている。私で役に立つならどこへでも行くつもり。

○スイスへ8年前に行ったきり海外旅行はご無沙汰。私はイギリス好きで5回行った。語学研修でロンドンへ一週間だが単独で行ったことがある。54歳の時のこと。そのきっかけは、石森先生のお陰である。
当時高田馬場で『早稲田義塾』というシナリオ教室があって、私も時々講義のお手伝いに行くことがあった。ある時のこと、「若い人を引率して、ハリウッド見学に行ってほしい」と先生からのお言葉にびっくり。私はまだ海外に行ったことがなかった。あわててパスポートの手続きをしたり、にわかに英語の勉強にとりかかる。
いろいろあって、結局はまだ10代の林壮太郎君一人の参加で、私と二人旅になった。男の子の道連れは頼もしい。ロスで若いOL二人と同じツアーだったので四人で行動を共にした。これも楽しい道連れとなった。
ハリウッド見学は『ユニバーサルスタジオ』のこと。映画の裏舞台が見られて実に楽しい。四人でロスのディズニーランドやジャズのライブを聴きに行ったりした。私は年長者だから責任がある。度胸を出してカタコト英語を駆使したら、通じたので驚いた。高校以来の英語であったのに。
 
○それから英語をちゃんとやろうと思って、語学スクールに通って英検3級も取得。イギリス映画やブリティッシュロックが好きなので、次に海外へ行くならイギリスと願っていた。今『四人会』のメンバーの作家の小山真弓さんもイギリス好きなので、二人でフリーの計画を立ててイギリスに行った。
その後一人でロンドンに行き、あちらの家庭のホームパーティに招かれるハプニングもあった。いつかゆっくりイギリスに行きたい。私にはあちらの風土がなぜか心地よい。



2009年5月22日(金曜日)

○毎週金曜日は東放学園専門学校の講義がある。
9:45〜12:10まで。同じ京王線の沿線にあるので近いのだが、各駅しか停まらないから、9時には家を出なくてはならない。朝食の支度、ゴミ出し、洗濯と忙しく遅刻癖の私はいつもバタバタして一台遅れてしまう。
2年生の『制作ゼミ・シナリオ実習』夏休み前にペラ60枚以上の作品を書かせるのが目標。1年次にシナリオは勉強しているが、筆力にバラ付きがある。私なりに復習をかねて、筆写から始め、DVDやビデオを見せたりする。私の書いたものも見せるが必ず見せるのは、『ウォーターボーイズ』『下妻物語』『北の国から・‘95秘密』など。
『ウォーターボーイズ』は学生は殆ど見ている。かえってその方がいい。日本語の字幕をだしてセリフを確認しつつ、時々私が解説を入れる。キャラの描き方、伏線の張り方、シーンのつなぎ方などを指摘する。単に笑って見ていたものが、きちんと構成されていることに気づいていく。『下妻物語』はアニメが入ったりCM風な画面になったりするので、若い人向き。キャラの描き方、見せ場があって、映像イメージを活性化させ、見飽きない。
『北の国から』は学生達はリアルタイムで見てないのでタイトル位しか知らない。『秘密』は純の恋の話とナースになった蛍の不倫の話。構成が緻密に入り組んでいて笑いも涙もアクションもあり、兄と妹、父と娘、夫婦の心情がていねいに描かれる。
学生達に感想を書かせると、そういう心情をちゃんと受けとめ、感動したと綴る。今の若い人達はキレ易い常識がないと非難されるが、殆どは普通の心を持っている。
彼らの感性が豊かになるよう、ドラマや映画をもっと見てほしいと思う。
文章や手紙の書き方、挨拶、礼儀など、大人が教えるべき。
「特に女の子がきちんとした手紙も書けないのは恥だよ」と言ったらシーンとなった。近いうちに手紙の書き方をするつもり。

○毎月芝居を観るようにしているが、今月は実家の母を預かっていて暇がなかった。
2月は石森先生のリレー日記にあったように、舞台作品を二つも観る折があってラッキーだった。
『あたらしい風を、あなたに』は聴覚障害の方々の舞台。石森先生のは単なる人情劇ではなく、人と人との温かい情の絆が描かれていて、笑ってほろっとして後味が快く残る。
第二部の手話ダンスと歌も、聴覚障害の方とは思えないリズム感があって楽しかった。
もう一本は勝野洋さんの特別公演『新選組情話 京都・雨月の恋』。久しぶりに時代物の醍醐味にひたった。大柄な男っぽい勝野さんの近藤勇がぴったり。川上麻衣子さんのおっとりして味がはんなりして、いい雰囲気だった。

○2月に観たのは、コウスキーの創作人形劇。青山円形劇場。チェコ在住の日本人。人形は自分で作り簡素な舞台で自作自演。今回のメインは『マクベス』のアレンジ。なかなかの迫力だった。バックミュージックはいろんな楽器を自在に駆使して奏でるミュージシャン。 
池袋の『あうるすぽっと』で、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を観た。
木場勝己さんのワーニャがよかった。チェーホフの芝居は切なくなる。

○3月は『シアターサンモール』で『親の顔が見たい』。今話題の芝居。新聞でも紹介されNHKでも放映された。出演者の宮本充さんのお母様と知り合いなのでチケットをお願いした。幕が下りた後、宮本充さんが廊下まで出て来て下さったのでご挨拶した。
芝居はいじめで自殺したのがいたことが発端。いじめた五人の親達が学校に呼び出されている。充さんは親の一人で高校の先生の役。さわやかな柄に合っていて、あとで実像があばかれると、いい役だった。
もう一本は歌舞伎に誘われて。来年は建て替えられるさよなら公演。前から四列目はラッキー。『伽羅先代萩』の政岡の玉三郎がよかった。細かい仕種や目配りがよく分かる。私は解説のイヤーホーンガイドを借りることにしている。歌舞伎なので着物にした。

○芝居を書きたいと思いつつ、こつこつやっているが、石森先生の話作りの上手さにはまったく「参りました」である。
地方の公募の芝居台本に入選して、上演されたことはあるが、いつか東京の近辺でと夢を抱いている。二年前の金沢の泉鏡花の戯曲は佳作だった。
文化庁の『舞台芸術創作奨励賞』も佳作で、未だ上演されていないし。
札幌でミュージカル風の芝居を共作で書いて上演にも加わった。女性の生き方を札幌の開拓史に重ねた話だった。
書きたい素材があるので、ぽちぽちと書いて行こうと、いつも頭の中で考えている。



2009年5月23日(土曜日)


○朝9時、次女がバタバタお弁当を作り始める。地元調布市での創業塾というセミナーに出かける。アクセサリーのデザイン・制作のアトリエを持とうと考えているため。
逗子の長女から荷物が届いたと電話。頼まれていた健康茶、孫達の浴衣帯、修理した腕時計、シーツなど詰めて送った。こういうのを『おふくろ便』というのだそうだ。

○郵便屋さんのバイクが聞こえると郵便受を覗きに行く。今日もハガキが数枚。先日の『シナリオ倶楽部』に来てくれた篠田亜紀さんから。それから、友人や知人から。
5/12(火)の読売新聞の朝刊『ぷらざ』欄に私の投稿が掲載された。倉敷にいる夫の母(93)が入院中で、私と娘二人で日帰りで見舞いに行った。やや認知症の義母が、何十年ぶりで会う孫娘の顔を見つめて、それぞれの名前をはっきり呼んでくれた。そのことを書いたのを読んで、心打たれたという感想。高校時代の人、しばらくぶりの人等、さすが新聞の威力を知る。まだオバサン世代にパソコンは普及していない。

○家から3分の図書館に行く。坂を下ると野川(仙川)。その先に大きな団地。その中に図書館の分館がある。私は自分の『離れ書斎』と称して何かというと飛んで行く。
インターネットも便利だが、私には手にとれる本の方がいい。今日も収穫あり。『北の国からメモリアルアルバム』を発見。『‘95秘密』の場面が多数ある。これを講義の時に学生に見せよう。ふと『黒塚』夢枕獏作が目に入った。『黒塚』は『安達ヶ原』のこと。私は『安達ヶ原』の『能』を見たり資料を集めている。夢枕さんのリズムのある文体も好きなので借りる。他には『大正着物』『長襦袢の着こなし入門』の本。

○午後、駅前商店街へ買い物に行き、TSUTAYAへ寄る。映画の『キャシャーン』を借りる。アニメの棚を見ていたら、アニメ化『黒塚』があるではないか。家でDVDを観てまたびっくり。シリーズ構成に藤岡美暢氏のお名が! 藤岡美暢氏とは東放学園で制作ゼミを担当している。今年は曜日が違うのでお会い出来ないが、ゼミの方針のご相談をしている。『黒塚』つながりのこういう偶然てうれしい。藤岡氏は藤ダリオの名で『出口なし』(角川書店)を刊行され、ヒットしている。

○なぜ『キャシャーン』を借りたかというと、『GOEMON』(紀里谷監督)が評判がいいので観たいと思った。紀里谷監督による映画『キャシャーン』はまだ見ていなかった。映画に雨上がり決死隊の宮迫博之さんが出ている。その宮迫さんにお会いしたことがある。
数年前TBSラジオの『雨上がり決死隊べしゃりプリンッ!』のプロデューサーから私の『あなたも書けるシナリオ術』(筑摩書房)を見たからと電話があった。相方の蛍原徹さんはサラサラ髪が自慢なので、『シャンプーTVCMレター企画』として、企業にシャンプーのモデルに使ってくれるよう手紙を出すことにした。私は蛍原さんに売り込みの手紙文の書き方を話すという役目。
宮迫さんが「アニメのキャシャーン、ずっと見てました」と言って迎えてくれた。録音の後のお二人と一緒の記念写真は、お宝。後日、一日だけ蛍原さんのシャンプーモデルが放映されたと聞いたが、私は見そこなって残念だった。

○今夜11時30分からBS2で『徳永英明のライブ』がある。ぜひ見たい。
ここ数年コンサートに行っていない。私はロックが好きでヴァン・ヘイレンやボン・ジョヴィ、エリック・クラプトン等のライブに行った。最後に行ったのは東京ドームのボン・ジョヴィのコンサート。姪と二人でアリーナを奮発したのだが、周囲の若者が一斉に立ち上がり、私と姪は森林の中のタヌキとウサギみたいに埋もれてしまってジョン様の声はすれども姿は、若者達の背中の間に米つぶ位にしか見えない。仕方なく大スクリーンを見ることに。ロックのコンサートに行って、あの大音量の中に立つと、いつも「生きててよかった!」と思うのはなぜだろう。生まれ変わったらミュージシャンになりたい。ボン・ジョヴィの曲の中で『BLOOD ON BLOOD』が好き。男の友情の絆を謳った歌詞にドラマがあり、曲想もスケールが大きい。
気弱になった時はロックを聴いてとエネルギーをもらうことにしている。



2009年5月24日(日曜日)

○昨夜は『徳永英明のライブ 14年ぶり感動のアリーナ公演埼玉』を最後まで聴いてしまった。彼の歌は心にしみ入り、心が豊かになった。猫に早く起こされるが、なかなか起きられない。朝のいつものコーヒーでやっとシャンとなる。

○NHKの『日曜美術館』で『必見・理想の住宅・夢の学校・ヴォーリス建築・愛される理由』で洋館を紹介していて、見入ってしまった。
こういう暖か味のある古い建物に心魅かれる。いつかそんな家に住みたい。

○明日は専門学校が午前と午後。お弁当を持っていかなくては。
夜は仕舞いのお稽古がある。70の手習いで観世流の仕舞いを始めた。
若い頃、ちょっと習っていたのでいつか再開したいと思っていた。やっと今、いい先生に巡りあった。それは昨日書いた『黒塚』に関係がある。
『黒塚』すなわち『安達ヶ原』の能を見に行った。その時のシテが、今の師の観世流シテ方、小島英明能楽師(1970年生まれ)。お稽古は神楽坂にある由緒ある『矢来能楽堂』。本物の能楽堂で稽古できるのは何よりもラッキーなこと。
今年の正月、新年会をかねた発表会に私も参加して、『鶴亀』を舞うことになった。以前、知人から頂いた袴を着けて、舞台に立った。小島先生とあとお二人の方が地謡いをしてくださる。
すり足、姿勢、手の位置、所作を間違えないように緊張する。終盤に来た頃、落ち着いてきたのか、先生方の地謡いがはっきりと聞こえその謡いに導かれるように舞うことが出来た。「あぁ、舞うとはこういうことか」と初めて体得した気がした。
月二回のお稽古が楽しみになった。前回から『船弁慶』に入った。

○今月16日には、『矢来能楽堂』に於て、小島先生主催による、『能楽のススメ。能「船弁慶」解説×着付×公演』の公開公演があった。
始めに小島先生の能の歴史の話と、囃子方の笛、小鼓、大鼓、太鼓の実演と説明。先生のリードで見所(けんじょ)の我々も「船弁慶」の最後の部分の謡、『その時義経少しもさわがず……』と実際に謡ってみる。
次には小島先生が後に舞われる「静御前」の衣装を着けるところの公開公演。一つ一つ決まった手順があり着付けする人の技量が重要となる。鬘、面を着けて「静御前」が出現する。
前シテの「静御前」は義経と別れて都に戻される悲しみを切々と舞う。義経は子方(こかた)といって子供が扮する。高貴な人物は純粋さを表わすために子方が演じるのだという。
後シテは義経に滅ぼされた平知盛の霊が勇壮な武者姿で登場し、義経に襲いかかる。先ほどの「静御前」を舞っていた同じ人とは思えない、薙刀を振りかざしての激しい舞い。義経達の乗った船は波間にもまれる。船頭役の狂言師が懸命に櫓を漕ぐ。それに合わせて囃子方と地謡が激しく呼応して表現していく。
やがて義経を守る弁慶の決死の祈りに屈服して、知盛の霊は風のように揚げ幕の彼方に去っていく。続いて義経、弁慶、従者、船頭がすり足で静かに舞台を去り、地方も切戸口から退出していき、囃子方も笛、小鼓、大鼓、太鼓の順で橋懸りを去って行って、舞台には誰もいなくなる。能には拍手もカーテンコールもない。それがいい。

○毎日メモのような日記を付けているが、久しぶりに長い日記を書くことが出来た。
いささか長すぎたかもと反省している。お読みいただいた方々、ありがとうございました。私もこれにて。


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