シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
    桑田健司 (シナリオ作家)

  愛媛県出身。78年横浜放送映画専門学院卒業。
  日本映画学校専任講師。
  最新作「てのひらの幸せ」1月公開。

  ■主な作品
  2007年 映画「しろつめ草物語」(北上青年会議所)
  2003年 TV「農聖 松田喜一」(TKU)
  1988年 TV「花のあすか組」(CX、東映)
  1987年 映画「ウエルター」(東宝)
  1986年 TV「一休さん喝」(TX、ジェイミック)
  1985年 TV「ハーイあっこです2」(CX、泉放送制作)、他多数


                            


2010年4月5日(月曜日)

先月血液検査をした結果、白血球数が異常に増えていて、報告書に「再」の文字が記されていた。医者からは、検査当時体調が悪かったせいだろうが、癌の疑いもあると言われ、再度先週の3日に検査をした。
その結果が、ブログ初日の今日判明する。
増えた白血球の測定値は213(×100)で、基準値は39−98(×100)である。この三日間は21300という数字が頭から離れなくなり、覚えたくないのにすっかり覚えてしまった。
今、病院へ行く前に日記を書いて、気持を静めているところである。



2010年4月6日(火曜日)

昨日の血液検査の報告で、白血球が92(×100)と減って、ギリギリで基準範囲に納まり、ホッと一安心。

只、今年の二月に白血病で亡くなった、元教え子のことが何度も甦ってきて、気持のざらついた日々が続いた。彼は21歳の若さだった。
正直、彼の書いたシナリオはひどくて内容も忘れていたのだが、それも甦ってきたのには驚いた。細部まで次々と思い出した。多分彼の死がなければ、彼のシナリオは完璧に忘れていた筈だ。



2010年4月7日(水曜日)

今日は日本映画学校25期生の入学式である。専門学校としては最後の学生たちだ。来年からは大学になると言われているが、詳細はよく分からない。私も担任は最後になるだろう。
思い返せば、私が映画学校の前身である横浜放送映画専門学校に入学したのは35年前である。当時は今村さんを筆頭に、脚本家だけでも、馬場さん、田村さん、石堂さん、長谷部さん、富田さん、若手で池端さん等、そうそうたるメンバーが揃っていた。皆さん個性が強くて、今になってみれば、本当に影響を受けたなと感じている。



2010年4月8日(木曜日)


朱凱莉(シュ・ケイリ)氏の書いた脚本をベースに、新たに日中合作映画として企画された、『時空の魂跡』を書き上げた。
この時、私の中に強く入り込んだ言葉がある。漢奸(かんかん)という言葉で、売国奴と訳される。特に戦後の中国で、戦中に日本に協力した中国人を蔑称して呼んだ。「お前は漢奸だ」というベッテルを張られると、最大の屈辱で、まともに生きていくことができなかった。
今回の作品は、この漢奸と呼ばれた中国人を養父に持った日本人が軸になり、さらに時空を飛ぶというアイデアをプラスさせて、物語が展開していく。
果たしてこのような企画が成立するのかどうか分からないが、自分では結構気に入っている作品だ。



2010年4月9日(金曜日)

今日は朝から新入生全員に向けて、自己紹介とクラスで何をやるか喋らなければならない。一年担任の、この講師紹介を聞いて、新入生がそれぞれのクラスを選ぶのである。日本映画学校の伝統的なシステムであったが、これも今年で最後であろう。
さて、今年は何を喋ろうか。私としては何か新しいことを一つ付け加えることを自分に課してきたが、今年は前日書いた漢奸について、掘り下げて喋ってみよう。



2010年4月10日(土曜日)


神奈川県は条例で、4月から殆どの場所で煙草が吸えなくなった。映画学校でも喫煙場所から灰皿が撤去された。
私の住んでいる伊勢原駅周辺は喫煙場所は全くなくて、映画学校のある新百合ヶ丘駅に、何とか一箇所だけある。そこでは人が群がるように吸っている。私もその中の一人である。
自宅では、長年に渡る娘の説得に負けて、ベランダだけで吸っていた。その娘が就職で家を出たため、これで部屋でも心置きなく煙草を吸えると思ったが、火をつけると、どこか後ろめたい気分になってベランダに出てしまった。それからは、人間の器が小さいのか、煙草はベランダで吸っている。



2010年4月11日(日曜日)

今日で私のブログも最後である。
明日は日本映画学校25期生のクラス分けがされる。毎年のことだが、生徒が先生を選ぶというシステムは、当事者としては正直心穏やかではない。
これを書いて、パチンコにでも行って気分転換しようかと考えていた時、井上ひさし氏の訃報を知った。
昔、井上ひさしの芝居を観たり、読んだりして、複眼的思考法を強く意識した記憶がある。古いノートを開けてみると、井上ひさしから引用した文章が書いてあった。
「正しいことはただひとつという単眼の世界で成り立つのは悲劇だけであり、そのことについて妥当な見方が二つ以上ある、というのが喜劇の基本的な立場なのである」


リレー日記TOP