シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
    亀 和夫 (シナリオ作家・演劇プロデューサー)

  1958年生まれ。高校までは池袋を拠点に活動。
  京都での学生時代は自主制作映画と文連運動に没頭し、
  卒業後はフリーライターとして活動し、
  俗世から二年間離れ、その後、シナリオ修業の道へ。
  その後、松井誠と出会い、大衆演劇ほかの演劇プロデューサー
  としても活動、節操なく現在に至る。

  主な作品
  『ベルサイユの薔薇族・田園篇』
  その他、テレビ・ビデオなどは、情報・料理・スポーツ・
  バラエティ・アニメ作品などのシナリオ構成演出。

  舞台脚本は、『昭和青雲伝』『吾輩は坊っちゃんである』
  『新四谷怪談』『男の花道』『上州土産百両首』ほか。



                            


2009年9月7日(月曜日)

一週間、よろしく駄文におつきあいください。
芝居の公演で、広島に向かっている。最近は、あまり地方興行にはついていかない。昔に比べ、ヤクザとのトラブルが少なくなったから、ではない。幸い、ヤクザがらみの興行はほとんどないのだが、金銭についていうなら、ヤクザより一般人のほうが怖い。売上が悪かったら、金がないと平気で開き直る。困ったもんだ。
十年ほどのつきあいになる石飛仁さんより連絡あり。一人から三人までに出演者を限定した1&2&3演劇祭(ホームページご参照ください)の打ち合わせだ。その中で、過日亡くなった評論家平岡正明氏の追悼公演をやろうというのだ。もちろん即OK。
平岡さんは僕と快楽亭ブラックの落語会をやろうと約束したまま、あの世に行っちまった。いつかは、その約束も果たさなければならない。
石飛さんと平岡さんをつなげた線は、日本の戦争犯罪の追求らしい。石飛さんは、元々は舞台演出家志望で、安保のときは、新劇人反戦の会を組織し、ブタ箱に入れられた。その後は、週刊女性自身のルポルタージュ『シリーズ人間』の記者を長く担当。その傍ら、ライフワークとして、花岡事件(是非、パソコンで検索ください)を追求し続けてきた。鹿島建設とも交渉し、五億円ほどのお金を引き出させたが、本人の懐には一銭たりとも入ってない。花岡事件の交渉は、政治ゴロ左翼の介入もあったりして、いろいろ大変だったそうだが、よくもまあ、無償で何十年と関われるものだ。正直、自分勝手で飽きっぽい僕にはとうてい無理だな。
広島についた。夜の原爆ドームを外観だけ見ようかと思ったが、酒の誘惑に負けた。
飲んでるところへ連絡が入る。「読売(新聞)みた?」知り合いの金沢の宗教の教祖が国税局に十億ほどの申告もれを指摘された、修正申告に応じたからか、名前は報道されてないのだが…。実は、さることで、7月25日に金沢のヨットハーバーでウエットスーツ姿の教祖さんと三時間ほどケンケンガクガク話し合ったばかりだ。何故ヨットハーバーかというと、信者さんたちと海の霊気を感じながら遊ぶのだ、とか。小型ボートやウエイクボード、ジェットスキーetc、信者さんたちと早朝から過ごしている教祖は、実に庶民的だ。信者さんもいい人ばかりで、前向きで、幸福そうだし、教祖を信頼しているのだが…。
ニュースは下記を参照してもらうとして、
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090907-OYT1T00585.htm
知人によれば、この話しは前からきいてたので、何で今さら全国ニュース?敵対者に指されたかな、とも。真相は所詮、薮の中だが、宗教や占いはたしかに金になるなあ。まあ、人は心や体が助かるなら、金は惜しくないということだ。僕もいつかは、そんな日がくるのかもしれないが、今日は胃を助けるために金を使うことにしよう。広島の夜を満喫して、就寝。ホテルの大浴場は明日朝、入ることにした。





2009年9月8日(火曜日)

結局、寝坊して朝の大浴場には入れず。部屋のユニットバスとシャワーで我慢。
売文業(ばいぶんぎょう)という言葉が好きだ。そのくせ、ちっとも売れる気配がない。なさけない限りだが、シコシコ書き続けるしかない。役者や革命家はやめたらタダの人だが、もの書きもそうだ。ツブシもきかないし、協調性もなく理屈ばかりこねてるただのやさぐれで、町の鼻つまみ者になるしかない。
うちの劇団にもツブシがきかない名物役者がいる。通称ドロンの竜、78才になる。うちに居座って十数年たつが、それまでは、300の大衆演劇の劇団をやめてきたと吹聴する身勝手者だ。僕らは幕内(楽屋)用語で、兄さんと呼ぶ。軽演劇をやらしたら天下一品、そういえば兄さんの人生も喜劇そのものだ。いつかは、兄さんと大衆演劇を題材にホンを書いてみたい。
帰京のため、広島空港での待ちの間、パイコー麺を食べたが、ウ〜ン…やはり。
実は、日本一のパイコーと思っている池袋西口のいきつけのコ汚い中華屋が閉店したのでパイコー麺を食べる店がなくなってしまったのだ。台湾にわたり、ホテルのコック長もしていた店主だが、話しが実に面白い。厨房はひろいが、カウンターだけの店内は手狭で、夏もあまりクーラーをいれない。なんでやねんと文句を言うと、「客は30分で帰るけど、俺は一日中いるんだ。冷気と熱で体がおかしくなっちまう。うまいもん食いたきゃ、コック大事にしないとな」と言いつつ、気にいるとメニューにないものまで出してくれる。店がつぶれちまうぞ、と冗談まじりに言うと、つぶれても大丈夫、とぶ厚い昔のメニュー表を出してきて、「これ全部作れると言えば、どこの店でも雇ってくれるよ。雇われたら、こっちのもん。客が俺の味に慣れたら、給料もボーナスも上げてもらうから。断られたら、やめりゃいい。いくらでも行き先あるしな、頭きたら何人かコック引き連れてやめてやるよ、そしたら、すぐ店がつぶれちまうよ」
実際、二軒ほど、雇われていた店を潰してきたそうだ。
シナリオライターも売文業も、芸術家か職人かは意見の別れるところだろうが、あの中華屋の親父はまぎれもなく、勝手きままな職人だった。僕も売文業という職人になりたいもんだ。と言いつつ、帰宅して一杯、本日も書くより飲む。案の定、お金が銀行に入ってないわよと女房に怒られる。所詮、おいらは我が家の鼻つまみもの。




2009年9月9日(水曜日)

朝食は年寄りブルーボタンインコの「カメちゃん」と一緒に食べる。鳥カゴはあるが、基本的に放し飼いだ。以前は五羽飼っていたから、ご飯はいつもジャングルで食べているようだった。逃げたり殺しあいをしたりで、今は、カメちゃん一羽だ。
朝食後、ストーリーやらを考えるが、どうもうまくいかない。電車に乗ってる時は、アイデアは携帯に保存する。それを元にノートにグチャグチャ走り書きするが、なんともなあ。若い頃ならOKの話しも今は、これっておいらが書かなくてもいいんだよな、と思ってしまい、中々進まない。
午後、サスケとインディーズ版のレコーディングの件で連絡とりあう。役者に歌を作ってもらった。この双子のおじさんフォークデュオのサスケもつぶしがきかないヤサグレだ。自主制作映画で双子のギャングを演じて以来の友人だ。日活のロッポニカでは、先ごろ結婚したO嬢のオッパイにふたりでむしゃぶりつき、映画音楽も担当してる。音楽バカ一代でいつも金がなく、警備交通整理のバイトも昨今の不況で仕事が回ってこない。今年冬には、アリコジャパンのテレビCM双子編でおかしな顔が画面に流れてたから判る方もいるだろう。しかし、この二人の人生も喜劇だ。「売れてよかったなあ」とヒット曲出して先頃解散した若いサスケと間違えられたり、「お前たちがそんなことするとは」と傷害事件を起こしたプロレスラーサスケと勘違いされたり。
双子は不思議だ。弟が嫁さんと別れて困ったら、兄は女房とうまくいってるのに別居して、二人で住んでる。夫婦以上に支えあってるんだろう(ホームページ覗いてやってください)。
打ち合わせの合間に本を買う。最近、パラパラめくっては積んどくが多い。いかんなあ。
夜は、昨日、八十二歳の誕生日だった母と女房の三人で飯を食う。父がいないのがさびしいが、最近、施設に入ってしまったのだ。半年前までは、親の介護の問題が自分にまで迫ってくるとは考えられなかったが。父は長男の僕に面倒をかけたことはない。長く新聞社(記者ではない)につとめあげ、年金が驚くほど入る。ありがたいことだが、家族のためにただただ働き続けた。今こうして好き勝手に僕が生きられるのも父のおかげだ。どれだけ感謝しても足りない。
ちなみに僕の老後の年金は悲惨だ。ましてアニメや売れっ子ライターのように印税生活など夢のまた夢。せめて、ひと様の世話にならぬよう足腰だけは鍛えなきゃと、もっぱら階段を使うようにしている。
母を送って自宅に戻り、映画をダラダラ見て就寝。





2009年9月10日(木曜日)


放し飼いの亀の銀ちゃん(蒲田行進曲を上演したのが縁で、ついた名前です)が早朝起こしにきた。トイレの催促だ。洗面所の流し台に水を入れてオシッコとうんちをさせる。たまに酩酊して起きないと、床におもらししてしまう。
起こされたのを幸い、パソコンに向かう。ようやくストーリーができたが、平凡だなあ。捨てるか。
朝飯は、久しぶりにガッツリと和食を食べる。
Mに誕生日のお祝いメールを送る。Mは学生時代に少し付き合っていたが、エッチすることもなく、ふられた。「あなたの生き方が怖い」そう言って、卒業後、今も転職せずスーパーに長年勤める男と結婚し、娘二人を産んだ。
当時、僕は文化団体連盟の書記局長、学校当局とその傀儡である新右翼系自治会と対峙していた。周りには左翼もたくさんいたが、僕はセクトは大嫌いだった(セクトから逃げてきた女をアパートのひとつ部屋で十日ほどかくまったことがあるが、この時もエッチ出来なかったなあ)。今では当たり前になってしまった産学協同路線−帝国主義のモデル大学に異議申し立てをしたなどという高尚なものではない。映研や文芸部etc文化系サークルの文連運動は、立て看板もチラシまきも自由に出来ない検閲制度に反対していた。大同小異−表現の自由。全てはそこから始まっていた。大島渚監督の愛のコリーダ裁判の頃だ。
過日、テレビ朝日の「ドキュメンタリー宣言」で、右翼や左翼の現代の若者の青春を追いかけていた。法政大学では、30年前に僕らがやっていたような運動を今だにやっている。すごいことだ。内ゲバを続けてきた中核派は大嫌いだが、学生たちには是非とも頑張ってほしいものだ。
さて卒業後も連絡はしていたが、Mとは最近一年に一度、エッチなしのデートをしてる。たぶん、これからもエッチは許してくれないだろう。「セイムタイム・ネクストイヤー」のようにはいかない。僕は、Mの旦那が連れて行きそうにもないところへ彼女を連れ回す。前回はビリケンの通天閣、新世界の串かつ屋、やり手ばばあと女が待つ飛田新地、今回はどうするかな、朝風呂に入りながら、そんなことを考えていたら、打ち合わせの時間に遅れてしまった。
昼は、コンビニで買った塩焼きそば。
午後からは、企画書作り。ブラインドタッチも出来ず、今だに日本語入力の横書き基本だ。ダラダラ、企画書作りの時間が過ぎていく。朝早かったからか、ウトウト。
結局、最終回にいこうと思っていた映画館にも間に合わず。あきらめてテレビをつけるが、つまらなくてスイッチOFF。
その後、地元へ戻り、気のおけない仲間を呼び出し、もんじゃを食べながら雑談。
「疲れてますね」そう言われても、当たってるだけに…高い金出して生薬三十一種類配合のナンパオ飲んでるんだけど。友は、人生も映画演劇も仕事も、僕と全く違う視点で話しをするので、いつも勉強になる。
ほろ酔いかげんで帰宅し、女房に北島三郎公演のチケットを渡す。パソコンをチェックして就寝。





2009年9月11日(金曜日)

父の入院先に顔を出そうと思ったが、寝坊。情けないが、明日に延期。
朝ごはんは、肉うどん。鳥のカメちゃんはうどんが好きだ。
午前中は、文化庁や企業から助成金をもらうための企画書作り。本当は助成金なしでいけるといいんだろうが…まあ芸術や芸能はパトロンあってこそと考えてはいるが。
来年、百周年をむかえる日本最古の芝居小屋秋田の康楽館(ホームページ見てくださいね)の記念式典の打ち合わせ。金丸座や八千代座など、たくさんある芝居小屋の中で唯一、町の行政が年間通して管理運営している貴重な小屋だ。これからも大事に守っていってもらいたい。
午後から六本木の喫茶店で、来年の名古屋御園座八月松井誠公演の打ち合わせ。「美空ひばり物語」を企画制作したNさんと話し合う。いつもの時代劇ではなく、特攻隊、母と子の別れの話し。ウ〜ン、吉と出ればいいが…。
大衆演劇の出身だが、松井誠があと十年早く生まれていたら、時代劇やエンターテイメントの歴史も変わっていただろう。長谷川一夫さん、大川橋蔵さんの後を確実に継いでいたはずだ。最近はギリシャ悲劇や映像の芝居もOKなんで、これから益々楽しみだ。
夜はおつきあいで、清水邦夫作「楽屋」を観劇。いい芝居の脚本には時代が変わっても色あせない本質がある。
養老の滝で雑談。飲むというより食事。ウイスキー&ビールのバクハイ、安いのが何より。
9.11から八年たつ。今日あった人々は、だれも話題にしない。ノリピーと鳩山さんの奥さんの話しばかりだ。何故か急に、かつて戦争ジャーナリストであり、アラファト議長の友人でもあった浅井久仁臣さんに、日本人てなんだかなあメールをする。お酒飲みながらのメールは失礼だったかな。
コンビニで買い物して、帰宅。我が家では9.11より北島三郎と父の介護の話、これが現実。
日活ロマンポルノシナリオ選集をナナメ読みして就寝。明日、きちんと読もう。





2009年9月12日(土曜日)


朝食はパン。
風呂に入ってから父の入所している施設へ。ほとんど車イスで物忘れもひどくなってきた父は、いつも「よう来てくれた」と泣き顔で握手を求めてくる。僕も握手をかえして微笑むが、すぐ後ろを向く。泣けてきてしまう。涙腺が年齢とともに弱く…。リハビリ用に買ったピックアップは、ほとんど使われることなく、片隅に追いやられている。父は耳が遠く、ホワイトボードでの会話が大半だ。子供の頃からうるさく言われなかったが、今でも忘れられない父の言葉がある。「嘘をつくな。一度嘘をつくと、その嘘を隠すためにまた嘘をつかなければならなくなる」 その教えをきちんと…女房には守れないなあ。
施設を出て電車で移動中、シナリオを読む。
昼からは国際フォーラムで学生時代の交流会など。市会議員の友人が議会のため来れない。話し相手もなく、すぐに会場をあとにした。
夕方から、シナリオライター・小説家のIさんらと芝居「ありがとうと言いたくて〜椿山課長の七日間〜」(浅田次郎原作・小森名津脚本)を見る。二幕芝居だ。
休憩中、ラグビーの試合結果をチェック。明治大学が日体大に逆転勝ち。僕は、基本的に体育会系の体質ではないが、北島忠治元監督と吉田義人のファンである。たぶん、あんな真っすぐな生き方ができないからだろう。余談だが、北島元監督は実に柔軟な思考回路の持ち主だ。昭和天皇崩御の時、高校ラグビーの決勝戦が自粛され両校優勝になった。その時、決勝戦やったらいいと、公に発言した数少ない一人だ。今年は十二月六日の明早戦、国立競技場へ応援に行くつもりだ。
さて二幕目。原作も脚本も泣ける。
終演後、初対面だが、主役の三波豊和さんの楽屋へ。気さくな方だ。大スター三波春夫さんの歌謡浪曲は素晴らしい。日本舞踊の名取でもある豊和さんに俵星玄藩をいつか踊ってもらいたいなあ。
その後、Iさんとプロダクションの社長と役者でもあるバーのママと四人で食事。おいしかったが、いつものように、Iさんに散財させる。
二軒目のショットバーには僕とIさんだけ。昔話しやらも含めて、薄い水割りを二杯ほど飲んで別れる。
帰宅して、パソコンを開ける。ついでにラグビーの記事もチェック。就寝。





2009年9月13日(日曜日)

親戚の小学生五年と妹の女子二人、来る。二歳のエミちゃんは、放し飼いの亀の銀ちゃんに興味深々。
朝昼兼用で、ご飯にたっぷりのおじゃこ。京都の映画館祇園会館近くのグルメ三田のママ手作り、絶品。
久しぶりの休日だが、やたらとメールや電話が入る。処理してから、夕方から見に行く映画を探す。映画を見る本数が減っている。若い頃は年に三百本ぐらい見て、ノートに感想やら分析表やらつけていたが。今は…情けない限り。
「愛と友情と裏切り。それが映画」。巨匠の監督さんの言葉だ。つまるところ、人間は鬼にもなれば仏にもなるということか。思想より組織より倫理より、男と女の情念のほうが確実に強い。僕の回りの小さな世界でもそうだった。そんな姿を描いてこその映画演劇文学?いやいや、 それも真実だが、芹沢光治良の「人間の運命」や川口松太郎の「人情馬鹿物語」新派の世界のほうが、おいらにはお似合いかな。
映研の同窓会の件で、連絡をとりあう。確実に僕より才能のあったTは今、宇治市の福祉共同作業所で障害者のために奮闘している。Yは高 知県一番の美容室チェーンの社長をしながら、たぶん四国一の映画DVD収集家だ。誰とはなしに同窓会をやろうと言い始めた。皆、人生の折り返し地点になり、何かを感じているのだ。
最後に御礼やら。
リレー日記前回の中野さん、映画楽しみにしてます。
前々回の五藤さん、「モノクロームの少女」今度は試写でなく、映画館でみます。
うちの事務所一階に90席ぐらいの小劇場がある。フィルムセンター近くですので、お気軽にご相談ください。DVDですが、ミニ映画上映もできます。実はルイス・ブニュエル特集をやりたいという女性がいるが、なかなか企画が前に進まない。興味ある方は、ご連絡ください。
携帯でのリレー日記投稿を色々管理修正いただいた村川さん、ありがとうございました。
映画を見て、女房と食事。就寝。




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