シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
    藤本信行 (シナリオ作家)

  宮城県生まれ。テレビドラマの助監督を経て、「意地悪ばあさん」で
  デビュー。テレビドラマ「エプロンおばさん」「月曜ドラマランド」「一休
  さん・喝!」「月曜女のサスペンス」「金曜エンタテイメント」「妊娠です
  よ」等々。映画「遠い約束 XU−1118」「のび太の結婚前夜」「おば
  あちゃんの思い出」等々。

  テレビアニメ
  「宇宙船サジタリウス」「私のあしながおじさん」「コロンブス(冒険者)」
  「金髪のジェニー」「グランダー武蔵」「神風怪盗ジャンヌ」
  「コスモ・ウォーリア・零」「ふぉうちゅんどっぐす」「戦争童話集」
  「ドラえもん」等々。

  現在、電子出版なんかに手を染めております。発行元(株)キリック 『世
  紀末童話集』『男と女の童話集』 パピレスなどで検索してみてください。



                            


2010年6月28日(月曜日)

日記など、何十年ぶりだろう…などと、早くも筆が止まりそうですが、一週間、宜しくお願いいたします。

朝は、通常9時起床というダレた暮らしをしております。
何しろ、職場まで(PCの置いてある作業デスク)までベッドからおよそ2歩程です。通勤時間が掛かりません。
コーヒーを飲みながら新聞を半分ほど読み……何故、半分かと申しますと、その頃には、我が家のワンコのらん(♀)が散歩の催促をするからです。うるさくて新聞どころではないのです。
そこでオンボロ車にらんと、カミさんを積んで散歩に出発します。車じゃ散歩にならんだろうと言われそうですが、ゴミゴミした住宅街を散歩させるのが嫌で、車で5分の河原に行くのです。その広い河川敷で、自由気ままに走らせます。(ちなみにカミさんは走りません)
およそ30分で散歩終了。ワンコがチビなのでこれくらいで自分から車に戻って来ます。


帰宅後、新聞の続きを読み、軽い朝食。

今日は、一人暮らしをしている息子の所に荷物を持って行く事になっていたので、早速、オンボロ車に荷物とカミさんを積んで出掛けました。
ひどく蒸し暑い日で……死にそうでした……なにしろオンボロ車です。エアコンのガスが抜けているのです。去年も補充したのに!
一人息子の所には、まだ嫁さんはいませんが、しゃち君というヤンチャなネコ(♂)がおりまして、荷物は口実で、しゃち君に会いに行く訳です。これはもう完全に孫状態……歳を感じて項垂れてしまいます。
たったこれだけで一日が終わってしまいました。気がつけば、仕事、何にもしてないじゃん!(汗)

先日、久しぶりに友人のプロデューサーから映画の仕事を振られ、現在、考え中(つまり、何もしていない)なのです。仕事しなければ。



2010年6月29日(火曜日)

朝、例によって9時過ぎに起床。かなり蒸し暑くなったが、それでも寝ていられるのは仕事疲れのせいか?怠惰なだけか?いや、言い訳すれば昨夜も焼酎を片手にW杯を見ていたからだ。(昨日と文体が違いますが、それはその日の気分なので気にしないで下さい)

リレー日記を書き始めてまだ二日目だが、これは一体、どんな人達が読んでいるのだろう? と言う素朴な疑問にぶつかってしまい、またも筆が萎えそうになる。もし、シナリオライターを真剣に目指している人達が読者だとしたら、私の日記はパスした方がいいような気がする。いや、読まない方が賢明であると断言しよう。
何故かと言えば、私の日記を読む事でシナリオライターと言う職業に対して様々な誤解が生ずることは明白だからである。

私の場合、朝は9時前に起きることは殆どない。昨日は出勤する必要がないからなどと書いてしまったが、要するに怠惰なだけなのだ。私、以外のシナリオライターの方々は、朝が遅い場合は、夜なべ仕事をしているからであり、基本的に節度ある社会人として暮らしている…と、思われる。(何しろ同業者の友達が少ないもので)
さらに白状してしまえば、私が物書きになろうと思った理由が、会社に行かなくてもいい・時間を自由に使える・上司や部下などという人間関係に縛られることがない…等々と、まあ、自分で書いていても呆れるような不純な動機からだったのである。そんな私の日記を読んで、「な〜んだ、シナリオライターってこんなに楽な仕事なのか〜」等と誤解され、大切な人生を棒に振るようなことがあってはならないと思うのである。

それでも暇つぶしに読もうと言う方は、私が例外的な・異常な・無能なシナリオライターであることを肝に銘じて読んで欲しい。

閑話休題
起床後の私は、午前中に限って言えば判で押したようなルーティンで動いている。コーヒーを飲み、新聞を半分読んだところでワンコとカミさんを車に積んで散歩に行き、帰宅後に残り半分の新聞を読みながら軽い朝食。それから打ち合わせがあれば時間に合わせて家を出る。ない場合は、〆切が迫った原稿だけ書き上げる(これは企業秘密であるが、原稿は〆切直前が一番燃えるのだ!いや、お尻に火が付かないと書けないタイプなのである)。なんにもない時は、企画用の資料集めか一杯やりながらの読書だ。
今日は、嫌々ながら企画など考えて(つまり何もしてない)いた。残念ながらまだ発表する段階にはない(何しろ、まだ何もない状態)。

そして、目出度く夕方を迎えた。今夜は、W杯の日本戦だ!夕方、5時には酒を手にテレビの前で気合いを入れるのだ。
最後に、このリレー日記を書いて本日の業務は無事? 終了と言うことになる。
あれ? 今日も仕事してないじゃん!(汗)



2010年6月30日(水曜日)

朝、なんと6時半に目覚めた。昨夜は、W杯の日本戦を最後まで観ていたのだが、どうしてこんなに早く目覚めたのだろう?
そう思って、ふと周りを見回した僕は、自分がリビングのソファベッドで眠っていたことに気づいた。勿論、テレビも電気も点けっぱなしだ。
やっぱり、リレー日記の文体を代えてみても怠惰な生活までは変わりそうにない。諦めに似た……欠伸がこぼれた。
僕は、テレビと電気を消し、その代わりすべてのカーテンを開けて二階の寝室に向かった。ドアを開けると、僕と入れ替わるように妻が起き出した。
「おはよう」と、声を掛けたが、冷めた視線が帰ってきただけだった。僕は、小さな溜め息を吐くつもりで、またも大欠伸をした。寝室のドアがバタンと閉じられたのと同時だった。

次ぎに目覚めたのは11時を過ぎていた。階下へと降りて行くと、玄関で飼い犬のらんと目が合ってしまった。今日は、コーヒーも新聞も抜きでらんの散歩だ。帰宅後、ブランチを食べながら新聞を読んだ。この方がゆっくりと新聞を読めると感じるのは果たして僕だけだろうか?妻が、そう思っていないことは、すぐ傍で掃除機の準備をしているのを見なくとも解ることだが……。
僕が最後のコーヒーを飲み干すのと、掃除機が唸りを上げたのは同時だった。なんて僕達は気のあった夫婦なんだろう……口が裂けても言えはしないが。

僕は、早々に二階の作業場へ避難した。別に妻の態度が、僕の仕事量の変化に同調していることを恐れているわけでは決してない……断言は出来ないが。
PCを立ち上げ、先ずはメールをチェックをする。仕事の依頼は、今日のところはないようだったが、二三本、気になるメールがあった。開いてみると、女性からのメールだった。書かれた文章は、深い井戸の底から少しでも明るい空を見上げようと必死に上を向こうとする孤独感で満たされていた。僕は、思わず記されたアドレスに返事を書きそうになったが、なんとか思い止まった。傷を嘗め合うようなことが、僕と彼女にとって果たして幸せなことなのだろうか? 僕は、思いを振り切るようにメールを閉じ、PCの電源を落とした。何故か、心にぽっかりとした穴が開いてしまったような気がする。だから、サンダルをつっかけて散歩に出た。

今日で6月も終わる。蒸し暑さが全身にまとわりついて来る。それはまるで不甲斐ない僕への戒めであり縛めでもあるかのように、執拗だった。
全身から汗が噴き出してくる。軽い目眩と、乾きとも渇きともつかぬ感情が、潮騒のように僕を淋しくさせる。
帰宅した時には、僕はいくばくかの後悔と、3本ほどのよく冷えたビールを抱え込んでいた。
さあ、杯を上げよ! と、自らを鼓舞してジョッキを上げた。旨かった! 
僕の精神は、いま、戦闘状態に入った……って、今日も仕事してないじゃん!



2010年7月1日(木曜日)


朝、珍しく7時頃に目覚める。こんなに早く目が覚めるというのは、どうも縁起が悪い。二度寝するが結局、10時過ぎに不快な目覚めを迎えることになる。
その縁起の悪い予感的中。二度寝の最中に夢を見る。現場の夢である。うなされる。
小生、物書きになるための修業の積もりで、テレビの現場に8年ほど居たことがある。当時でも、すでに3K(きつい・汚い・給料が安い)と呼ばれた職場である。また、実際の現場では(士・農・工・商・犬・助監)と言われるカーストが出来上がっていた。助監督は犬より下なのだ。
「人間らしくやりたいな〜、人間なんだから……」と、ウィスキーを片手に、こんな警句を呟いた開高健氏を熱烈に支持した時期である。
その現場というのが、また酷かった。しかも、小生はまだサード(一番下・つまり犬の下の下の下)と言うポジションだ。監督に怒鳴られ、チーフに小突かれ、セカンドに蹴飛ばされる役……つまり、現場の歩くサンドバッグだ。そして、この手の夢の中では決まり事のように、小生が発注して確認までした筈の小道具が見つからないとくる。小道具一個の為に撮影は滞り、役者さんは苛立ち、現場は刻一刻と不穏な空気に包まれて来るのだ。
「あと、5分お待ち下さ〜い!」
夢の中で、小生は何度この言葉を叫んだか、何度叫んだか数えていたら目が覚めた。朝から胃が痛くなって来る。

こんな日は、何をしても上手く行く筈はない。愚犬の散歩は連れ合いに任せ、新聞を肴に苦いコーヒーを嘗める。
だが、こんな日に限って〆切がある。ドラえもん、明日、打ち合わせなのだ。
仕方なく、嫌々机に向かうこと○時間(○には執筆時間が挿入される訳であるが、これは企業秘密なので割愛)、どうにか脱稿するかに見えたその時、一天俄にかき曇り、青白い稲妻が一閃! 数秒遅れて大地を轟かし腹に響く雷鳴! と、くればみなさんもお解りだろう。老体に鞭打ちて酷使したる我がオンボロPCの余命も風前の灯だ。小生、少しも慌てず最後の数枚を迅速に書き終え(でっち上げの意)、推敲の時を迎えたのだが、雷鳴、刻々と近付くに及んで最早これまで。涙を呑んで先方に送信。その後、素早くPCのコンセントを抜くに至ったのである。

その後は、厄落としとばかりに大量の御神酒で身を清めたのは言うまでもない。
こうして、縁起の悪い一日が終わった。 そこで気づいた。今日は、仕事をしてしまった……と。(合掌)



2010年7月2日(金曜日)

午前11時に起床。この時間を朝と言うのか昼前と言うのか、俺には解らないが、取りあえず目覚めた時を、俺は朝と呼ぶことにしている。

淹れてから数時間経ったコーヒーを啜りながら新聞を読む。おーっ! 世の中はワールドカップ一色ではないか! ネコも杓子もワールドカップだ。相撲協会は、いい時期を狙って事件をバクロしたものだと感心する。参議院選挙のニュースも霞んで見えるのは、俺だけか? しかし、そう言う俺も、お祭りは嫌いではない。などと考えていると、玄関からこちらを覗いていた飼い犬(我が家では、『振り向きの、おらん』或いは『ガン見のおらん』などと呼ばれている)が、生意気にも散歩を催促してくる。「てめー、何時だと思ってんだよ、とっとと散歩に連れてケ!」 と、彼女の目は言っている。
女心を知る女房は、散歩の支度をはじめながら俺にハゲシイ一瞥を投げてくる。らんのガン見は、女房譲りなのだと知った俺は、女心を知らないまでも、このまま新聞と心中する気はないので、ドーンと散歩に出掛ける事にする。

散歩から帰ると、朝昼兼用の食事をしながら再び新聞だ。新聞はいい。何しろ、こっちは読むだけでいいのだ。書く必要がないから楽である。などとノンビリしていたが、今日が打ち合わせの日だった事をトツゼン思い出す。
俺は、慌てて支度をして家を飛び出した。クソ暑い日である。汗がジャバジャバと音を立てるぐらい流れる。これは昨夜から未明にかけて、小説を肴に補給したビールと焼酎のなれの果てかと思うと、なぜか悲しくなる。「勿体ない」と言うコトバが流行ったが、俺もタダシクそう思う。

電車の中は、クーラーが効いていて乗り込んだばかりの時は気持ちがいいのだが、汗がシューシューと音を立てるイキオイで蒸発を始めると、体が冷えてくる。ぬかりのない俺は、どんなに暑い日でも、上着を持って歩くことにしているのだ。だが、せっかく抱えてきた上着を着ようと思った時に、電車は目的の駅に着いてしまった。
駅を降りて少し歩くと、シンエイ動画の瀟洒なビルがドーンと聳え立っている。エアコンの効いたエントランスに入ると、目の前にインターホンがある。電子ロック付きのマンションみたいでカッコイイ。俺は、インターホンのボタンを押した。「はい、どちら様ですか?」 と、可愛らしい女性の声が応答する。(制作の部屋にいる女性だと思われるが、会った事がないので、あくまで可愛らしい声にしておく)俺は、思わず「儲かりまっか」と、言いそうになり、自分で自分の口を塞いだ。だが、このまま無言でいると怪しまれるのは間違いない。フト、斜め上あたりからの視線に気づいて見上げると、監視カメラがジィーッと俺を見ている。手を振ったやろうかと思ったが、そんなことをすると警備員が飛んできそうなので止める。そこで、取りあえず「ドラえもんの打ち合わせに来ました、藤本です」と、素直に名乗ってやった。すると、さっきまで「俺は絶対、お前なんか入れてやらないかんねー」と、カタクナなまでに閉ざされていたガラス両開きの自動ドアが音もなく開くのだった。

塵一つ落ちていない会議室には、ドラえもんの美人(ここだけ枕詞つけます)プロデューサーと、監督、それに構成作家、普段ならここに、テレビ朝日の、これも美人(忘れる所だった)プロデューサー達がセイゼンと並んで、「さー、今日こそは使える脚本書いて来たんだろうなコノヤロー」的な目で俺を迎える。
シナリオライターたるもの、打ち合わせでは、常にキゼンとした態度で臨まねばならないのだ。だから俺は、開口一番「あの〜、直し多すぎるようでしたが、全部、書き直して来ますけど〜」と、笑って見せるのだ。『毅然』とは、意思が堅く、誘惑などを断固はねつける様子。と、俺の持っている新明解国語事典に載っている。つまり俺は、「仕事を失いたくない」と言う強い意志と、「これで首になったら仕事しなくていいじゃん」と言う誘惑を断固としてはねつけるために、そう言ったまでなのだ。だから間違ってはいないのだ。

そんなこんなで長い一日が終わった。世の中の垢にまみれ、全身、汚れちまった悲しみ状態で家に帰った俺は、仕方なく、アルコールでの全身消毒にトツゲキした。「さー、今日は、ブラジル対オランダ戦ダドー!」
気がつけば、今日も仕事をしてしまった俺であった。(つづく) 



2010年7月3日(土曜日)


休日である。お休みの日と言うことなので、起床は10時半。
前日までの日記を読むと矛盾しているようにも思えるが、平日には平日なりの理由(通勤の必要がない・W杯を見ていた・酒と読書の夜になってしまった・単なる怠惰……等々)があって起床時間が遅いのである。

さて、休日は基本的に仕事をしないようにしている。と、書くと、じゃあ平日は仕事してるのか? と、突っ込まれそうなのだが、そう、堅く決めているのだから仕方がない。であるからして、このリレー日記にも書くことがあまりない。つまりネタがないのである。

午前中は、コーヒーと新聞で費やし、午後は食後に昼寝を楽しもうと思っていたのだが、カミさんが買い物に行くと言う。
仕方ない、酒も切れてきたし……と、言うことで近所のスーパーへ出掛けた。
買い物に付き合うのは嫌いな方じゃない。様々な食材が所狭しと並べられた光景は、日本に限らず目を楽しませてくれる。
だだし、カミさんの後を金魚のウンコみたいにショッピングカートを押してついて行く自分の姿は、我ながら情けないが……。

昔話になるが、海外に何度か連行されたことがある。仕事である。助監督の時代(バブルだったのだろう)、やたらと海外ロケが多かったのだ。
チェコスロバキア(当時はまだ一つの国だった)・オーストリア・西ドイツ。あの頃は、まだ冷戦中だったので北回り(アンカレッジ経由)の航空路もなければ、現在のようにロシアの上空を飛ぶ訳にも行かず、南回り(インドのカラチ経由)で、なんと27時間の空の旅だった。西ドイツに行く時は北回りだったが、それでも17〜18時間、飛行機に缶詰にされたのを覚えている。
そのチェコスロバキアでは、プラハの街のデパートを覗いた。まだ東側だったこの国は貧しく、豪華なショーウィンドゥに飾られていたのは農機具だった。レストランでも生鮮食料品はなく、オーストリアに入ってすぐに食べたレタスとトマトの味は忘れられない。

物書きになってからも、何度か海外に連行された。最初は、憧れのハワイだった。運河を挟んでワイキキビーチを望むコンドミニアムに缶詰にされ、原稿を書かされた。それも、その時のシネハン(シナリオハンティング)とは別の企画だった。数日で書き上げ、やっとワイキキビーチで目の保養をしようと思った矢先、今度はアメリカ本土へと連行された。しかし、この旅は楽しかった。ニューヨークからロスまでレンタカーでの大陸横断である。ドライバーはコーディネーターのG氏と私の二人だけ、プロデューサーは免許がなかった。フリーウェーをひたすら走る旅の途中、予算の乏しい我々はよくスーパーマーケットで買い物をした。信じられないほど巨大なスーパーは物で溢れ、食料品の展示場にいるような錯覚を覚えた。まさに飽食の国である。
スペインとポルトガルに連行された時も、スタンドバーや食料品を扱う店を冷やかした。地中海の明るさは、積み上げられたオレンジの色だ。人々の陽気さは、赤ワインとシェリーのお陰だろう。その土地でしか感じられない色彩と匂いは、しっかりと記憶の中で息づいている。
フィリピンでは、貧富の差に呆れ、それでもどっこい生きている人々の活力に驚かされる。市場を覗くと、そこにはねっとりとした空気の中に人々の体臭と屋台で焼く肉の匂いが混じり合い、どこか自棄っぱちな喧騒の中に混沌としたエネルギーを感じた。

「鰹、高いね、今日は止めとこうか」
カミさんの無粋な声に我に返ると、鮮魚コーナーである。今が旬の鰹が一柵580円也。カミさんがスルーして行くのを見送りながら、私はソッと鰹のパックを買い物籠に忍ばせた。白っちゃけた明るすぎる照明の中、整然と並べられ、綺麗にパックされた食料品を見ていると、また誰か私を海外へ連行してくれないだろうか……と、思ったりもした。

さあ、今夜は鰹の刺身で一杯やって、ドイツ対アルゼンチン戦で盛り上がるぞう!(最終日につづく)



2010年7月4日(日曜日)

最後の日記にようやく辿り着きました。
正直、3日坊主が恐ろしく、引き受けるんじゃなかったと酷く後悔したのですが、どうにかゴールです。

日曜日です。ですから何もしない一日です。
朝、何故か7時半に目覚めてしまいました。これには訳があります。妙な習慣が体に染みついているのです。
毎年、夏になると(正確には5月頃から)毎週のように休みの日には子供を連れて釣りに行っていたのです。
何も、情操教育が目的だった訳ではありません。私自身、釣りが好きだったと言うことと、その当時、小学館のコロコロコミックに『グランダー武蔵』と言う釣りマンガの原作を書いており、(途中からアニメ化されました)そのネタ探しと言う側面も……それを口実にした側面も……あったのです。

私が住んでいます埼玉の奥地には、まだ自然が豊富に残っています。埼玉県は、河川の多いことで知られています。早くから稲作が行われていたようで、田んぼを支える溜め池がそこいらじゅうにあるのです。そしてその溜め池には、たくさんの魚やザリガニ、手長エビなどが棲んでいます。
私達の釣りの対象魚は、現在では最悪の外来種として忌み嫌われているブラックバスとブルーギルです。共にサンフィッシュ科の肉食魚で、よくルアーを追います。子供が、生まれて初めてバスを釣った時の興奮と恍惚とをない交ぜにしたような顔は忘れる事ができません。
と、言う訳で、休日の朝は目覚めが早いのです……って、昨日も休日だったじゃないか! そう、本当の所、暑くて寝てられなかっただけのようです。

ここでちょっと脱線します。生物多様性と言う言葉が錦の御旗のように振り回され、外来種は蛇蝎のごとく嫌われ、排除(つまり殺され)されておりますが、これは人間の身勝手ではないかと思います。在来種を守ると言うことは必要でしょうが、外来種は、一部の植物のように偶然、海外からの荷物に付着して入って来たもの意外は、アメリカザリガニ(食用)ブラックバス(食用)シロツメグサ(荷物の詰め物)……挙げ出せば切りがないですが、殆どが人間の手で移入されたものばかりです。セイダカアワダチソウに埋め尽くされた河原が、自分の原風景になっている人だって居るはずです。
外来種だから排除(殺す)すると言う風潮が、果たして子供達にどう見えているのか、疑問です。もっと他に方法はないのでしょうか?

閑話休題
昨日、以前に書かれたリレー日記を少しだけ読んでみました。そして、他の作家さん達がいかに仕事をしているかに驚かされました。
みんな真面目なんですね。と言うか、それが当たり前の社会人なんだろうなぁ、と、己を顧みて項垂れてしまいました。しかも、読者が作家志望の人達であると想定し、少しでも役に立つ情報をと心を砕いていらっしゃる。なんとも詰まらない戯れ言ばかりを書き綴ってきた我が身としましては、誠に汗顔の至りであります。

そこで最後に、役に立つかどうかは解りませんが、私が修業時代に(現在も修行中なのですが、デビュー前と言うことで)やってみた修行法の一つを書いてみます。
良くやったのが、気に入った映画を何度も観て(私の場合は、『砂の器』とか『寅さん』とか)、自分でシナリオを起こしてみると言うものです。
現在は、ビデオやDVDがありますので、随分と楽になりましたが、当時はビデオはあっても再生機材など持っておらず、もっぱら映画館に通うしかありませんでした。幸い、私は映画館でバイトしてましたので、この方法が取れたのです。
先ずは二回ほど同じ作品を見ます。家に帰って、全体の流れ(プロットらしきもの)を書き、それからファーストシーンから思い出しながら書いて行くのです。柱を立て、ト書きは頭に残った映像を自分の言葉に置き換えて書きます。セリフも出来るだけ忠実に再現します。『砂の器』は、何十回、見たか忘れましたが、何とかラストまで書き終えました。そして幸運にも、『最後のリバイバル上映』と言うのがあった時に、『砂の器』のシナリオが劇場で販売されたのです。答え合わせが出来たのです。私自身の採点では、70点ぐらいだったと記憶しています。
何度も同じ作品を見ますと、先ずは全体のストーリーの流れが頭に入ります。それから、作品の構成が解って来ます。こんなシークェンスの後に、こんなシークェンスが入ることで、こんな効果が出るんだ……等と、非常に勉強になりました。結構、大変な作業ですが、私には少しは効果があったようです。
何かの参考になれば幸いです。

さあ、一週間分の日記も書き終えました。
今日も、好きな本を片手に一杯やります。一週間のお付き合い、ありがとうございました。


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