1. タイトルバック    住宅街の一角。    轟音を立て、巨大な鉄球が一戸建住宅        の壁にめり込む。崩れた土壁を、ショ    ベルカーがすくい上げていく。    今まさに取り壊されようとしている家。    二階部分は完全に無くなり、階下も半    壊しかかっている。    家の前の路上に足を止め、工事の様子    を眺めている女子大生ふうの娘。    ショベルカーが折れた柱や壁の一部を    すくい上げていく。    はっとなる娘。崩れかけた家に駆け寄    る。 作業員「危ないよ、何すんの!」    間一髪、作業員が娘を止める。    作業員に何か頼み込む娘。    困惑する作業員、だが娘の熱心な懇願    に負けて、ショベルカーを止める。    家の中から、青い縁のついた金魚鉢を    取ってくる作業員。娘に渡す。    愛しげに鉢についた泥を払う娘。    作業が再開され、静かな住宅街は再び    騒音に包まれる。 タイトル『ネオンテトラ・ライト』 2. 飛田家・キッチン(夜)    ガステーブルに火が点く。    フライパンの中に、器用に卵が割り入    れられる。    やけに慣れた手付きで卵焼きを作って    いる少年・飛田耕平(14)。    出来た卵焼きを皿に移し、ラップをか    けて他のおかずを並べる耕平。炊飯器    のタイマーなど確認してから、キッチ    ンを出て行く。 3.同・居間    脱ぎっぱなしの服や読みかけの雑誌な    どが散乱する、荒れた室内。    口論している耕平の父・耕司(40)と、    母・洋子(39)。口論といっても、口    から唾を飛ばして一方的に怒鳴ってい    るのは洋子の方である。 洋子「あたしにどうしろっていうのよ。これ  以上、もう無理よ!」    顔を伏せて、爪を切っている耕司。聞    いているのかいないのか、その姿から    はわからない。 洋子「もうイヤなの、こんな生活!」    耕平が居間に入ってくるが、まるで気    に留めない洋子。わめき続ける。 洋子「言いたいことも言えやしない、  いつもガマンしてんのよ、ねえ、わ  かる!?」    両親の方を見ないまま、居間を出て行    く耕平。 4.同・廊下    兄の翔(23)がこそこそと電話し        ている。 翔 「はい、わかってます、スイマセン。    明日までには間違いなく……はい、        それはもう、間違いなく」    電話に向かってぺこぺこと頭を下げる    翔。不精ヒゲだらけで、憔悴しきった    表情。    耕平が居間から出てくると、慌てて背    を向け、声を潜める。    兄の横をすり抜けて、階段を上がる耕    平。 5.同・二階廊下    姉・歩美(21)の部屋のドアが半開き    になっている。    部屋の前を通り過ぎようとした耕平、    中からばたばたと慌ただしい物音が聞    こえるのに気付いて、中を覗く。    泣きながら荷造りしている歩美。    スーツケースに、服やら下着やら手当    たり次第に詰め込んでいる。    耕平が見ているのに気付く歩美。慌て    て涙を拭い、耕平を睨みつける。 歩美「何よ。何見てんのよ」    耕平、ドアから離れる。 6.同・耕平の部屋    汚れ荒れ果てた家の中で、唯一きちん    と片付けられている室内。    ベッドにごろんと倒れこむ耕平。    あおむけに寝転がると、ちょうど足元    の壁にアイドルのポスターが見える。    ダーツの矢を投げる耕平。    アイドルの笑顔に命中する。    耕平、目を閉じる。階下から洋子の怒    鳴り声が聞こえてくる。    枕元のヘッドフォンを取り、耳に押し    当てる耕平。    そのまま身体を丸めて、眠りに落ちる。 7.同・耕平の部屋(翌朝)    朝日が差し込む室内。    時計の針がカチリと動く。    ラジカセのタイマーが作動し、装着し    たヘッドフォンに大音量のロックが流    れる。    飛び起きる耕平。ラジカセを止める。    急に静かになる室内。小鳥のさえずり    だけが聞こえている。    家の中、奇妙なほどシーンと静まり返    っている。 8.同・無人の家の中    歩美の部屋の前。ドアが開けっぱなし    になっている。    そっと覗く耕平。    壁の洋服掛けに掛けてあったコートや    ワンピースが消えている。    歩美の姿は、どこにもない。       ×  ×  ×    翔の部屋。    金目のものが一切、消えている。    ガランとした室内。翔の姿もない。       ×  ×  ×    階下。    昨夜と全く変わらない状態のまま、人    だけが消えている。    静まり返った家の中、ただ一人呆然と    する耕平。階段に座り込む。    柱時計が時を打ち、我に返る。 9.同・キッチン    中学の制服に着替えた耕平が、昨夜の    おかずを弁当箱に詰めている。    几帳面に使った食器を全て洗ってから、    キッチンを出て行く耕平。 10.同・表    戸締りをしている耕平。    玄関に鍵を掛けたあと、その鍵をどう    したものかしばし悩む。    結局、自分で握りしめたまま家を出る。 11.通学路上    自転車で、朝の町を飛ばす耕平。 12.公園    自転車置き場に自転車を置いて、出て    くる耕平。    公園の前の道は、登校する生徒たちで    一杯である。 13.中学校・昇降口    靴を履き替えている耕平。    悪友Aが耕平の頭を後ろから叩き、駆    け抜けていく。    続いて悪友組のB、Cも同じように耕    平の頭を叩いて、校内に逃げ込む。    怒った振りをしようとした耕平、三人    目で思わず吹き出し、笑いながら悪友    どもの後を追う。 14.同・教室    数学の授業中。    上の空で、ぼんやりと考え事をしてい    る耕平。    背中がとんとん、と叩かれて、後ろの    席の悪友Aが手紙が回してくる。    しょうがねぇなあ、と溜息をついて、    前の席に手紙を回す耕平。すぐに前か    ら返事が返ってくる。    後ろに回すため振り返ったとき、斜め    後ろの席の少女・川嶋ちはや(14)が    机の上に堂々と小説を広げて、読んで    いることに気付く。    隠す素振りもなく、小説を読みふけっ    ているちはや。    そのあまりの大胆さに驚く耕平。思わ    ず教師を盗み見る。    まじまじとちはやをみつめている教師。 教師「それじゃ、この問題は川嶋にやっても  らおうか」    ようやく顔を上げるちはや。    悪びれる様子も無く、面倒くさげに顔    をしかめる。 教師「この解き方にはちょっとコツがいるぞ。  先生の授業ちゃんと聞いてなきゃ、わかん  ないよな」    立ち上がり、けだるげに黒板まで歩い    ていくちはや。    黒板にスラスラと答えを書き、着席す    る。    驚嘆する耕平。 15.同・校庭(午後)    放課後。    無人の校庭の真ん中に立ち止まり、空    を見上げる耕平。 悪友Aの声「おーい」    校門で悪友三人組が耕平を見ている。 悪友A「まだ帰んねーのー?」    片手を振る耕平。    三人組も手を振り返し、賑やかに帰っ    て行く。    朝礼台の上に、仰向けに寝転がる耕平。    視界いっぱいに広がる空。    晴れた冬空を雲が渡っていくのを、ぼ    んやりと眺める耕平。    屋上のフェンスに誰かがもたれかかっ    ているのが、視界に入る。    起き上がり、屋上を見上げる耕平。    自分と同じようにぼんやりと空を見て    いるのは、川嶋ちはやである。    ちはやも耕平に気付く。    ふい、と背を向け、耕平の視界から消    えるちはや。 16.飛田家・居間(夜)    泥棒でも入ったかのように散らかって    いる室内。    家中の引き出しをひっくり返して探し    物をしているのは耕平である。    貯金通帳、印鑑などを見付け、通帳の    預金残高を確認してホッとする耕平。    更に探すと、化粧ダンスの奥から一枚    の写真が出てくる。    母・洋子が若い男と楽しげに腕を組ん    でいる写真である。 17.同・キッチン    レトルトのカレーを食べながら、頬杖    をついて母の写真を眺めている耕平。       ×  ×  ×    柱時計が深夜二時を打つ。    やはり誰一人帰ってこない家族。    食卓に突っ伏したまま、眠っている耕    平。 18.中学校・教室(朝)    悪友たちの輪の中にいる耕平。    ガラッと扉が開き、騒がしかった教室    内が、急に静かになる。    耕平、話をやめて扉の方を見る。    顔に酷いアザと火傷を作って、入って    きたちはや。    誰もちはやに声をかけない。ちはやも    誰にも声をかけずに、着席する。 19.同・授業中(昼)    テストが行われている。鉛筆を走らせ    る音だけが響く教室内。    ちはやが気になる耕平。斜め後ろを盗    み見る。    頬杖をついて、窓の外を眺めているち    はや。 20.同・職員室    資料コピーの山を抱えて入ってくる耕       平。 教師「おっ、ご苦労。重かっただろ、日直」    コピーをどさっと机の上に置く耕平。    すぐ隣で、ちはやが女教師に説教され    ている。 女教師「どうしたの? まさか一問もわから    なかったわけじゃないでしょう」    テストの答案用紙を指で叩く女教師。    ちらりと見る耕平。白紙の答案。 女教師「体調が悪かったなら、もう一度受け  なおしてみる?」 ちはや「いいえ」 女教師「いいえって……いいの? 二年から  のテストは全部記録に残るし、受験のとき  の資料にもなるのよ」 ちはや「いいです……べつに」 21.図書室(午後)    放課後の図書室。    明るい日差しの差し込む窓際で、本を    読んでいるちはやがいる。    意を決して、ちはやに近付く耕平。    同じ机の、一人分空けた隣に座る。    耕平に気付きながらも、目を上げない    ちはや。    その横顔を、じいっとみつめる耕平。 ちはや「……なに?」 耕平「顔」 ちはや「あんたにカンケーないでしょ」 耕平「それ、痕になるぞ」    ぎょっとするちはや。 耕平「俺にもあるだろ」    左頬をちはやに向け、見せる耕平。 耕平「煙草持った手で殴られると、なるんだ  よな」    思わず身を乗り出して、耕平の頬をみ    つめるちはや。 ちはや「誰にやられたの?」 耕平「オフクロ。ガキの頃だけど」 ちはや「私は、お父さん……」    不意に扉が開き、用務員が顔を出す。 用務員「もう閉めるよ、帰んなさい」 22.同・校門    並んで出てくるちはやと耕平。    なんとなくぐずぐずしているちはや。 耕平「帰んないのか?」 ちはや「……帰る」 耕平「帰りたくないのか?」 ちはや「あんたには……」 耕平「カンケーない、よな」    警戒するちはや。じりじりと後ずさり、    背を向けて走り去っていく。 23.飛田家・居間(昼)    日曜日の午後。    どんよりと曇った空。ぽつりぽつりと    降りだす雨。    やがて本格的な雨になる。    洗濯物をばたばたと取り込む耕平。    ふと気付くと、門の前の路上に、雨に    濡れて立っているちはやがいる。 24.同・玄関 耕平「タオル持ってくる。上がれよ」    ちはやを中に引っ張り込もうとする耕    平。一瞬、ちはやの顔に警戒が浮かぶ。 耕平「(察して)大丈夫。うち、誰もいない  から」 ちはや「誰も?」 耕平「俺だけ」    ちはやを家の中に招き入れる耕平。    お邪魔します、と小さく呟いて玄関に    上がるちはや。    脱いだ靴も揃えて並べ、礼儀正しい。    家の中を珍しそうに見回すちはや。 ちはや「本当に一人なんだ」 耕平「そう言ったろ」 ちはや「おうちの人、どうしたの?」 耕平「わかんねェ」 ちはや「わかんないの?」 耕平「(平静を装い)俺、なんか捨てられた  らしい」    驚き、目を見張るちはや。 25.同・居間    緊張してソファに座っているちはや。    奥の戸棚から塗り薬を持ってくる耕平。    ちはやに渡すが、遠慮して手の中でい    じくりまわしているだけである。    見かねた耕平、薬を取り、ちはやの横    に座って、頬の火傷に薬を塗ってやる。    おとなしくされるままになっているち    はや。 ちはや「……サイテーの父親なの」    黙って薬をつける耕平。 ちはや「……それに、サイテーの母親」 耕平「あとでかさぶた出来るけど、絶対には  がすなよ」    ちはやの手に薬を押し付ける耕平。 ちはや「本当は遠くから見るだけで、帰るつ  もりだった」 耕平「よく俺んちわかったな」 ちはや「すごく探した。ねえ、一人でどうす  るの?」 耕平「わかんねェけど……いいよ、あんな奴  ら、帰ってこなくたって平気なんだ」 ちはや「そうだよね、平気だよね」    手の中の薬をじっとみつめるちはや。 ちはや「……いいな。私も、一人で暮らした  い」 耕平「なんで?」 ちはや「あの人たち、毎日毎日ケンカしてて  私、止めに入るのもう疲れちゃった」    ちはや、急にごしごしと目をこする。    取り込んだばかりの洗濯物の山の中か    ら、タオルを差し出す耕平。 ちはや「……ありがと」    耕平に背を向け、涙を拭うちはや。 ちはや「あの人たち、私が怪我したのはどっ    ちのせいかってまたケンカしてるの。バカ  みたい」 耕平「……」 ちはや「飛田くんって学校でもいつも楽しし  そうにしてて友達もたくさんいるから、き  っとおうちも明るくて楽しいうちなんだろ  うなって思ってた」 耕平「そんなことねェよ」 ちはや「一人ぼっちなのは、私だけだと思っ  てた」 耕平「……そんなこと、ねェよ」    雨が急に激しさを増し、雨粒が雨どい    を叩く。    雨音に気を取られるちはや。 26.中学校・教室(午後)    放課後の教室。    大急ぎで帰り支度をしている耕平。 悪友A「おーい、耕平! 帰りゲーセン寄っ  てかねぇ?」 耕平「悪りィ、今日ちょっと急ぐんだ」    すっとんで帰る耕平。 27.飛田家・玄関    ちはやが息せき切って駆け込んでくる。    招き入れる耕平。    いそいそと上がりこむちはや。 28.同・居間    額を突き合わせて、紙に何か書き込ん    でいるちはやと耕平。 ちはや「日給、幾らにすればいいのかなぁ」 耕平「わかんねェ」 ちはや「ちゃんと真面目に考えてよ!」 耕平「考えてるよ」    ぷうっと頬を膨らませるちはや。だが    耕平と目が合った途端に、笑い出して    しまう。 29.同・キッチン(夜)    一緒にレトルトのカレーを食べている    ちはやと耕平。    ちはや、食べながらレポート用紙にあ    れこれとメモしている。 耕平「何、もっかい言って」 ちはや「ネオンテトラ。これっくらいの小さ  い魚で、体がネオンみたいに青く光るの」 耕平「熱帯魚なんか、世話できんのかよ」 ちはや「大丈夫、私がちゃんと世話するから。  水槽は高いかもしれないけど、私もお小遣  い出すから。ねっ、いいでしょ」 耕平「じゃあ、いいよ」 ちはや「ドラマの中の素敵な家には必ず、ネ  オンテトラのいる水槽があるのよ。本当は  お庭にブランコも欲しいけど、それは妥協  する」 耕平「あれも買おうぜ、観葉植物ってヤツ」 ちはや「観葉植物が欲しいの?」 耕平「幸せな家には、緑がいっぱいあるんだ。  ずっと、そんな気がしてた」 ちはや「……わかった」    レポート用紙に観葉植物、と書き足す    ちはや。 30.定食屋の店内(昼)    ガラガラに空いた店内。    カウンターに、化粧っ気のない若い    女・相田アキラ(26)が一人だけ座っ    て、定食をかっこんでいる。    膝に広げた求人雑誌を熟読しているア    キラ。急にその目が輝き、カウンター    内で洗い物をしている店主に声をかけ    る。 アキラ「ねっ、これどう? 住み込みよ、住  み込み! 日給も悪くないし、賄い付きっ  てのがいいじゃない」 店主「いまどき住み込みの賄い付き? アキ  ラちゃんに出来んのかい」 アキラ「大家のヤツ、そろそろ本気であたし  のこと追い出すつもりらしいんだ。今週中  に住むとこ見付けないと、ヤバいのよ」    耳に挟んでいた赤ペンで、求人雑誌に       丸をつけるアキラ。 アキラ「ねっ、このスブタ定食ツケにしとい  て。原稿料入ったら、真っ先に払うからさ」 店主「選り好みしないで仕事請けてりゃ、家  賃だってすぐに払えんじゃないの?」 アキラ「あのね、いつも言ってるけど、あれ  はごはん食べてくために仕方なくやってる  仕事なの。生活のために駄文書いて、才能  を浪費したくないの」    求人雑誌を手に、立ち上がるアキラ。 アキラ「電話、借りるね」 31.飛田家・廊下(昼)    ジャンジャン掛かってくる電話。    耕平が廊下に座り込んで、電話を受け    ている。 耕平「はい、そうです……あ、担当は俺、じ  ゃなくて僕なんですが……いえ、冗談じゃ  なくて……」    一言二言話しただけで、一方的に切ら    れてしまう電話。    横でちはやが、不安そうに見ている。 32.同・居間    応接ソファに面接官のように並んで座    っているちはやと耕平。    その正面にアキラ、優しそうな中年の    婦人、貧相な男が腰を下ろしている。 耕平「場所はこの家で。仕事は簡単な家事だ  けです。ただし、ここで一緒に暮らすこと  が絶対の条件になります」 婦人「坊ちゃんのお世話をすればよろしいん  ですのね?」    手にしている履歴書の、婦人の写真に    花マルをつけるちはや。 耕平「っていうか……自分のことは俺、何で    も出来ますから。家のことだけでいいんで  す」 貧相な男「勤務時間はどうなります?」    男の写真に、思いっきりバツをつける    ちはや。 耕平「二十四時間。働くっていうより、家族  になったつもりで……」 貧相な男「でも、週休二日くらいは頂けない  と」 ちはや「休みなんかないわよ。家族に休みが  あると思うの」    絶句する男。 婦人「契約期間はどれくらいなんですか」    顔を見合わせるちはやと耕平。 ちはや「えーと……」 耕平「無期限」 ちはや「いえ、あの……一年でも二年でも、  好きなだけ」    目が点になる婦人。無言で帰り支度を    始める。 アキラ「あらあ。あたしは全然オッケーよ」    ちはやと耕平、アキラを見る。 アキラ「家族になったつもりでここに寝泊り  して、たまにご飯作ったり掃除したりすり  ゃいいんでしょ? 楽勝よォ」    バッチリ濃い化粧をして、露出度の高    いミニスカート姿のアキラ。    ちはや、アキラを嫌悪の目で眺めて、    耕平にそっと耳打ちする。 ちはや「(小声で)なんか、下品そうな女」 耕平「あの……仕事は今、何してるんですか  ?」 アキラ「えーと、小説書いてます」 耕平「どんな?」 アキラ「うーん、コドモにはちょっと刺激が  強いかも」 ちはや「ハッキリ言って下さい」 アキラ「あ、ちょうど午前中出版社寄って、  出来たばっかのやつもらって来たけど」    カバンから単行本を出して、ちはやに    渡すアキラ。    半裸の女が表紙の、安っぽいポルノ小    説である。    絶句するちはや、耕平の腕を強く引く。 ちはや「(小声で)こんな女、絶対イヤよ」 耕平「でも、この人しかいないんだぜ」    こそこそと相談するちはやと耕平。そ    の間、のんびりと家の中を観察してい    るアキラ。 アキラ「あのさあ。あたし、採用されたらこ  こに住んでいいのよね?」 耕平「そうですけど……」 アキラ「そんじゃ、頼むわ。住んでるとこ追  い出されて、あたし今家ナシなの。採用し  て。お願い、このとーり」    ぱんぱん、と柏手を打って拝むアキラ。    顔を見合わせるちはやと耕平。      ×  ×  ×    他の二人は帰り、アキラだけが残って    いる。    契約書を差し出す耕平。 耕平「これにサインしてくれますか」 アキラ「何コレ。契約書?」 耕平「絶対に守って欲しい約束があるんです」    アキラ、手に取って読み上げる。 アキラ「朝食・夕食を一緒に取ること、外泊  するときは七時までに連絡すること……何  よ、これ?」 ちはや「このうちのルールよ。守れないなら  追い出すわ」 アキラ「そりゃ、これくらいお安い御用だけ  ど……」    ペンを取り、契約書にサインしようと    するアキラ。ふとその手を止め、不審    そうに二人を見る。 アキラ「ねえ、あんたたちがあたしにお給料  払うの? 親はどこ?」 耕平「いないよ、そんなもの」 アキラ「いないって?」 耕平「説明しなきゃいけないのか?」 アキラ「……まあ、お金さえ貰えりゃあたし  は何でもいいんだけど」    サインするアキラ。 33.同・歩美の部屋(昼)    感動の面持ちで室内を見回しているア    キラ。 アキラ「ほんとにこんないい部屋使っちゃっ  ていいのォ? 超ラッキー」    段ボール箱を抱えた耕平、入ってくる。 耕平「荷物、これだけ?」 アキラ「あっ、うん、サンキュ。そこら辺に  置いといて」 ちはや「自分の荷物くらい、自分で運びなさ  いよね」    同じように段ボールを抱えたちはや、    重そうに顔をしかめながら入ってくる。 アキラ「何ケチなこと言ってんの、どうせ体  力有り余ってんでしょ」    ちはやの頭をぽんぽん、と叩くアキラ。 ちはや「気安く触んないでよ」 34.花屋(昼)    観葉植物の鉢を選んでいるちはやと耕    平。 35.ペットショップ(昼)    水槽の中を泳ぐ無数のネオンテトラ。    顔を近づけて、無心に眺めているちは    やと耕平。 ちはや「綺麗でしょう。私、ずっと憧れてた  の」    店内に飾られた大きな水槽。値札を見    てぎょっとする二人。 店員「それ、今セール中だからお安くなって  ますよ。本当なら六万円のところ、四万五  千円だから」    思わず顔を見合わせるちはやと耕平。 店員「熱帯魚飼うの、初めて? それじゃち  ゃんと一セット揃えておいた方がいいです  よ。別売りだけど、こっちのエアポンプろ  か、ライトとか……」    財布と相談する二人。 ちはや「いいよ……私、諦める。これから何  にお金使うか、わからないもの」 耕平「でも、憧れてたんだろ?」 ちはや「そうだけど……」    店内を見回す耕平。    青い縁の金魚鉢が、棚の上で埃をかぶ    っている。 36.飛田家・居間(夜)    窓際に置かれた金魚鉢。    ネオンテトラが二匹だけ、泳いでいる。    キッチンから、ちはやと耕平が大騒ぎ    しながら夕食の支度をしている声が聞    こえてくる。 37.同・姉の部屋    すっかりアキラふうに模様替えされた    室内。    ワープロと睨めっこしているアキラ。    だが、指は動いていない。    諦めたように電源を切り、ベッドの上    にダイビングするアキラ。    遠慮がちにドアがノックされ、耕平が    顔を出す。 耕平「夕メシ、出来ましたけど」 38.同・居間    耕平の後に続いて入ってきたアキラ。    金魚鉢のネオンテトラに気付く。 アキラ「何よ、このビンボったらしい魚は。  これって、よくばかでっかい水槽で群れに  なって泳いでるやつでしょ?」 耕平「そうらしい」 アキラ「無茶するわねェ。一応熱帯魚でしょ  ? 死んじゃうんじゃない、こんなのに入  れといたら」    ずけずけと言われて、さすがに気にな    り金魚鉢を覗き込むアキラ。    当のアキラは何も気にせず、キッチン    へ入っていく。 39.同・キッチン    食卓の上に、湯気の立つ夕食が並べら    れている。 アキラ「うわーっ、美味しそう!」    おかずをつまみ食いするアキラ。 ちはや「お行儀悪い」 アキラ「カタいこと言わないの」      ×  ×  ×    三人で囲む食卓。    一口食べては美味しい美味しいと騒ぎ、    賑やかなアキラ。 耕平「冷凍食品並べただけなんだけど」 アキラ「自分じゃない誰かが作ったってだけ で、三倍は美味しく感じるのよ」 ちはや「いいかげんな舌」 アキラ「ねえ、参考までに聞いときたいんだ  けど、このうちって朝はパン派? ご飯派  ?」 ちはや「絶対、パンよ」 アキラ「えーっ、日本人ならご飯でしょ」 ちはや「朝からご飯なんか食べられないわよ」 アキラ「あんたとはほんっと、気が合わない  わねー」    べーだ、と舌を出すアキラ。    思わず吹き出す耕平。 ちはや「何よ、何がおかしいの」 アキラ「そうよ、あんたはどっちの味方なの」 耕平「ちょ、ちょっと待って」    笑いが止まらない耕平。 40.同・玄関 ちはや「それじゃ、また明日ね」    首にしっかりとマフラーを巻きつける    ちはや。 耕平「ああ、そんじゃな」 アキラ「おやすみー、ちはやちゃん」    耕平の背後から手を振るアキラ。    アキラに向かって思い切りアカンベー    をしてから、出て行くちはや。    ドアが閉まった後、アキラが耕平の背      をどんっ、とどつく。 アキラ「バカねー。男なら一言、送って行こ  うか?とか言うモンよ」 耕平「え?」 アキラ「男をあげるチャンスじゃない。今度  からそうしなさいよ」 41.同・風呂場    大声で鼻歌を歌いながら、ゴキゲンで    風呂に入っているアキラ。 耕平「バスタオル、ここに置きますからね!」 アキラ「サンキュー。耕平くんも一緒に入る  ー?」    ぎょっとして、あたふたと逃げる耕平。    風呂の中で爆笑するアキラ。 アキラ「きゃはは、かっわいー」 42.同・廊下    アキラの馬鹿笑いに顔をしかめながら、    風呂場から出てくる耕平。    電話が鳴っている。 耕平「はい、飛田です」    息遣いが聞こえるが、無言の電話。 耕平「もしもし……もしもし?」 耕司の声「元気か、耕平……耕平だろ?」    受話器をぎゅっと握り締める耕平。 耕平「……親父?」 耕司の声「すまなかった。何にも言わずに急  に家を出たりして。お母さん、怒ってるか  ? 翔はなんて言ってる? 歩美は?」    言葉の出てこない耕平。 耕司の声「父さんなあ、今すごく遠いとこり  にいるんだ。お前にこんなこと言ってもわ  からないかもしれないけど、なんだかすご  く……疲れちゃってなあ」 耕平「……」 耕司の声「しばらくこっちで、暮らしてみよ  うと思ってるんだ。お前たちには迷惑かけ  るけど、預金の金には手をつけてないし。  翔も歩美も社会人だし、生活に困ることも  ないだろう。お前の口から、母さんにそう  伝えてくれないか?」 耕平「……」    ごくりと唾を飲む耕平。 43.同・風呂場    脱衣所で身体を拭いているアキラ。    廊下からぼそぼそと話し声が聞こえる。    まゆをひそめるアキラ。 44.同・廊下    指が白くなるほど受話器を握り締めて いる耕平。 耕司の声「……耕平? どうした、聞いてる  のか」 耕平「……親父」    大きく深呼吸する耕平。 耕平「うちは、うまくやってるから。帰って  くる気がないなら、もう電話しないでくれ」    ガチャンと一方的に電話を切る耕平。    振り返ると、背後にアキラが立ってい    る。 アキラ「ゴメン。立ち聞きする気はなかった  んだけど」 45.同・キッチン    グラスになみなみと注がれた梅酒を一    息に飲み干すアキラ。 アキラ「あー、美味しい。風呂上りの一杯っ  てサイコー」 耕平「ばあちゃん秘伝の梅酒なんだ」 アキラ「あんたも一杯やんなさいよ」    耕平のグラスに梅酒を注ぐアキラ。 アキラ「まあ、あれだね。あんたンとこもな  んか色々、フクザツな事情があるみたいね」 耕平「何が複雑なんだか、俺にはよくわかん  ねェよ」 アキラ「あの子とあんたも、結局赤の他人な  んでしょ?」 耕平「あいつんとこの事情も、俺にはよくわ  かんねェ」 アキラ「まあ飲みなさいよ、悩める少年」    ぐっとグラスを空ける耕平。 アキラ「おっ、いい飲みっぷり」 耕平「アキラさんの家は?」 アキラ「ウチもあんたンとこと似たよーなモ  ンよ。あたしは残された方じゃなくて、飛  び出した方だけどさ。どうしても、小説家  になりたくてね」 耕平「じゃ、夢はかなったんだ」 アキラ「あんなの、ただの食い詰め仕事よ。  あんなの文学じゃない。あたしの才能はも  っと偉大な作品で消費されるべきよ」 耕平「……」 アキラ「あんたにこんなことグチってもしょ  うがないけどね。要するに、世間の奴等は  見る目がないってことよ」    おどけて肩をすくめるアキラ。 耕平「俺、そろそろ寝る。明日学校だから」 アキラ「何もしないでお給料もらうわけにい  かないからさ。明日から掃除するわ。見ら  れて困るもんあったら、隠しといて」 耕平「そんなもの、別に無いけど」 アキラ「そーお? ベッドの下にエッチな本  とか隠してない?」 耕平「隠してねーよ!」 アキラ「(笑って)おやすみー」 46.同・耕平の部屋    ベッドの下の雑誌を、見えないよう一    番奥まで押し込んでいる耕平。    慎重に確認してから、ベッドに倒れこ    む。 47.川嶋家・ちはやの部屋(朝)    時計を見ながら、慌ただしく登校の支    度をしているちはや。 48.同・居間    和食の朝食を黙々と食べている、ちは    やの父。    別のテーブルに、トーストとサラダを    用意しているちはやの母。    互いに背を向けている。    両親に見ないようにして足早に通り抜    けるちはや。 ちはやの母「(驚いて)もう行くの?」    答えず出て行くちはや。 49.早朝の街    白い息を吐きながら駆けて行くちはや。 50.飛田家・玄関    息を切らして飛び込んでくるちはや。 51.同・キッチン ちはや「おはよう!」    朝食の支度をしている耕平。 耕平「よう」 ちはや「(見回して)……あの女は?」 耕平「まだ寝てる」 ちはや「(顔をしかめて)まだ?」 52.同・アキラの部屋    泥のように眠っているアキラ。    ちはやが入ってきて、呆れ顔で揺り起    こす。 ちはや「起きなさいよ」 アキラ「うう……」    呻きながら細目を開けるアキラ。 アキラ「今、何時ぃ?」 ちはや「もう七時よ」 アキラ「まだ夜明けじゃないのよぉ……」 ちはや「契約書にサインしたでしょ! 起き  なさい!」    布団をはぎとるちはや。    亀のように丸くなるアキラ。 53.同・キッチン    戻ってくるちはや。    その後から、死人のような顔をしたア    キラがふらふらと入ってくる。 アキラ「おはよう……」 耕平「よく起きられたな」 アキラ「自分でも驚いてる……」    ボサボサの髪を掻きつつ、食卓につく    アキラ。    トースト、サラダの朝食の中に一人分    だけ和食の用意がしてある。 アキラ「わざわざ別にしてくれたの?」 耕平「パンよりご飯の方がいいんだろ」 アキラ「明日からはあたしも一緒でいいわよ。  せっかく一緒に食べるんだもん、同じもの  食べた方が美味しいじゃない」     アキラ、振り向いてちはやを見る。 アキラ「ねえ、そう思わない?」 ちはや「(虚をつかれて)え?」    目の前に並んだ朝食をじっとみつめる    アキラ。 アキラ「……でも、こういうのってさ」 耕平「ん?」 アキラ「なんか、幸せだね」    にやっと笑う耕平。 54.中学校・廊下(昼)    悪友たちと笑いながら廊下を歩いてい    る耕平。    反対側からちはやが歩いてくる。    知らん顔してすれ違う二人。すれ違い       ざま、手が触れ合う。    思わず振り向く耕平。遠ざかるちはや    の背中。 悪友A「どーした、耕平?」 耕平「あ、なんでもねー」    悪友のあとを追い、ばたばたと廊下を    駆けていく耕平。 55.飛田家・キッチン(夜)    夕食を作っているちはや。    テーブルにへばりついて、催促してい    るアキラ。 アキラ「おなかすいたあ。ねえ、まだあ?」 ちはや「文句ばっかり言ってないで、少しは  手伝ったら?」    仕方なく台所に立つアキラ。 アキラ「あんた、美人なんだからあんまりツ  ンケンしないほうがいいわよ。女は笑顔よ、  笑顔」 ちはや「うるさい。いいから、さっさとニン  ジン刻んで」 アキラ「耕平ってさ、いい男よね。五年後に  は結構ポイント高くなってると思うわよー。  あんた、男見る目あるわ」 ちはや「うるさいってば」 アキラ「でも、五年後にはライバル増えてる  かもしれないわねー。確実に捕まえとく方  法、教えたげよっか?」    ちはやに耳打ちするアキラ。 ちはや「(顔を赤らめ)バカ! そういうこ  としか考えてないの?」    二人のやりとりを遠く聞きながら、ネ    オンテトラにエサをやっている耕平。    二匹とも元気が無いのが気になる。    ピンポーン、とチャイムの音。    アキラとちはや、顔を見合わせて振り    返る。    玄関に向かう耕平。 56.同・玄関    憔悴した表情の中年の女(歩美の上司    の妻)が立っている。 上司の妻「飛田歩美さんのお宅はこちらです  よね?」 耕平「どちら様ですか?」 上司の妻「会わせて下さい、歩美さんに。う  ちの主人の居場所、知ってるんでしょう?」    呆然とする耕平。    奥から様子を伺うようにアキラ、ちは    やが出てくる。 アキラ「……どうしたの?」 57.同・居間    奥のキッチンで夕食の支度を続けなが    ら、ちはやが心配そうに聞き耳を立て    ている。    居間のソファにアキラと耕平、上司の    妻が向き合って座っている。 アキラ「つまり、こういうことですか。この  子のお姉さんが、会社の上司であるあなた  のダンナさんと不倫して、駆け落ちした、  と」 上司の妻「駆け落ち、だなんて……そんな、  綺麗なことでしょうか」 アキラ「(耕平の肩をこづき)あんた、そん  なこと何も言わなかったじゃない」 耕平「俺だって知らなかったんだよ」 上司の妻「本当に、行方わからないんですか  ? 何の連絡もないんですか?」 アキラ「無いみたいですよ……少なくとも、  この子のとこには」 上司の妻「あの、あなたは?」 アキラ「あたしは……まあ、赤の他人ですけ  ど」 上司の妻「それじゃ、黙ってて頂けませんか。  坊や、お姉さんの居所知ってるんじゃない  の?」    無理に作った笑顔で、耕平に詰め寄る    上司の妻。    口を堅く閉じ、うつむいたままの耕平。 上司の妻「ね、坊や」 耕平「……知りません」 上司の妻「そんなわけないでしょう、ね、か  ばってるんでしょう、お姉さんのこと。か  ばうことなんてないのよ、あなたのお姉さ  んは酷いことしたんだから」 アキラ「(見かねて)この子は知らないって  言ってるじゃないですか。大体、そんなお  っかない顔してたらダンナだって逃げます  よ」 上司の妻「そんな……私たち、ずっといい夫  婦だったんです。優しい主人だったんです」 アキラ「表で優しい顔してたって、裏で何考  えてるかなんてわかんないでしょう。悪い  のはこの子のお姉さんじゃなくて、裏切っ  たダンナの方だと思うけどなあ」 上司の妻「どっちが悪いのかなんてどうでも  いいんです! うちには子供だっているん  です。主人が必要なんです。無責任だわ、  ふらっといなくなって、残された方のこと  なんて考えもしないで……」 アキラ「気持ちはわかりますけど……」 上司の妻「その人は、まだ若いんでしょ。ど  うせ遊びの延長なんでしょ?」    きっ、と顔を上げる耕平。 耕平「俺の姉ちゃんは確かにバカで無責任か  もしれねェけど、家族も家も捨てて出てっ  た気持ちはほんものだろ!?」    迫力に飲まれるアキラと上司の妻。    乱暴に席を立つ耕平。居間を飛び出し    て、階段を駆け上がっていく。    成り行きを見守っていたちはや、火を    止めて後を追う。 58.同・耕平の部屋    遠慮がちに入ってくるちはや。    ベッドの上にうずくまっている耕平。    抱えた膝に顔を埋めている。 耕平「見るな。あっち行け」    耕平にそっと近付き、おずおずと髪を    撫でるちはや。 ちはや「大丈夫だよ。私がいる。私はずっと、  そばにいるよ……」 59.同・玄関 アキラ「力になれなくて……もし行方がわか  ったら、そちらにも連絡するよう、あの子  にもよく言っときますから」    深々と頭を下げる上司の妻。先程まで    の張り詰めた雰囲気は消え、意気消沈    している。    上司の妻が帰ったあとも、玄関に立ち    尽くしているアキラ。    二階を見上げ、溜息。    意を決して、階段を上がっていく。 60.同・耕平の部屋    勢いよく音を立ててドアが開く。 アキラ「出掛けるわよ。あったかいカッコし  てついて来なさい!」    驚くちはや、耕平。 61.夜の街・路上    自転車を漕いでいるアキラ。    荷台にはちはやと耕平が無理矢理二人    乗りしている。    よろめきながら進んでいく自転車。 62.オンボロアパートの前    庭先にずかずかと入り込むアキラ。    物置小屋の戸を開け、懐中電灯を耕平    に持たせて、中を物色し始める。 ちはや「こんな所、勝手に入っていいの?」 アキラ「構いやしないわよ、どうせ捨てるも  のなんだから」    壊れた扇風機や埃だらけの廃品などを    どかしつつ、中を漁っているアキラ。 アキラ「おっかしいなあ。この辺に転がって  たはずなんだけどなぁ」 耕平「何探してんですか」    アキラの姿、廃品の向こうに消える。 アキラ「あった!」    髪にクモの巣をつけたアキラ、顔を出    す。    両腕に大きな水槽を抱えている。 アキラ「そっち持って、重いんだから」    慌てて手を貸す耕平とちはや。    三人がかりで、苦労して物置小屋から    水槽を出す。 アキラ「ちょっと汚いけどさ。洗えばまだ使  えんじゃない?」 ちはや「これって、泥棒なんじゃないの?」 アキラ「気にしない、気にしない」 ちはや「気にするわよ!」    小屋の出口で足を取られ、派手に物音    を立てるアキラ。    犬が吠え立てる。 アキラ「まずい」 耕平「え?」 アキラ「逃げるわよ!」 63.夜の街・路上    自転車の荷台に水槽をくくりつけ、押    して歩いている三人。 アキラ「あー、疲れた。全力疾走なんて学生  のとき以来だわ」 ちはや「ほんとにもう、信じらんない……」   呆然としているちはや。    耕平の肩が小刻みに震えている。    いきなり声を上げて笑い出す耕平。心    からおかしそうに笑い続ける。    つられて吹き出すちはや。一緒になっ    て笑い出す。 64.飛田家の前(昼)    高級車が家の前に停まり、中から派手    なスーツにサングラス姿の男・岡野京    介(27)登場。    後部座席からは兄貴分の男・浜田がゆ    っくりと降り立つ。    飛田家の門構えを値踏みするように見    上げる浜田。    その背後で、派手な音をたててティッ    シュで鼻をかむ岡野。そのティッシュ    を、そのままスーツのポケットに突っ    込む。 65.飛田家・玄関    応対に出たアキラ、目を丸くして岡野    を見ている。 岡野「飛田翔さん、いらっしゃいますかね」 アキラ「あんた、誰?」 岡野「こういう者なんですけどね」    名刺を差し出す岡野。 アキラ「アケボノ金融?」    胡散臭そうに名刺を見るアキラ。 アキラ「なんだ、サラ金屋なの? チンピラ  ヤクザかと思っちゃった」 岡野「冗談きついなあ、お姉さん」    ムカッときながらもかろうじて笑顔を    作る岡野。浜田が岡野を抑え、 浜田「飛田翔さんに大切なお話があるんです  けどね」 アキラ「(奥へ)ちょっとォ、耕平!」    まず耕平が、それにくっついてちはや    が顔を出す。 アキラ「翔って、誰?」 耕平「兄貴」 岡野「あんた、翔さんの妹じゃないの?」 アキラ「違うわよ。あたしは雇われ家族よ」    岡野に向かって、胸を張るアキラ。    はあ?という表情になる岡野。 66.同・居間    テーブルの上に書類の山をずらっと並    べてみせる岡野。 岡野「これが契約書、こっちが保証人証書。  ほら、書いてあんだろうが、毎月五十万  ずつ返済しますって」    姿勢を正して懸命に岡野の話を理解し    ようとしている耕平。 岡野「ところが、この手形が落ちなかったん  だよ! つまり坊主の兄ちゃんは男と男の  約束を破って、トンズラしやがったわけだ」    ちはやがお茶を運んでくる。 アキラ「こんなチンピラに茶ァ出すことない  わよ」 岡野「チンピラチンピラって人聞き悪いな、  姉ちゃん。せっかくビジネスマンらしいカ  ッコで来てやったのによ」 アキラ「そのセンスの悪いスーツがいかにも  チンピラっぽいのよ。それに、あたしは馴  染みのホステスじゃないのよ。気安く姉ち  ゃんなんて呼ぶんじゃないわよ」 浜田「まあまあ、とりあえず、うちの話も聞  いてもらえませんかね」    煙草の煙をちはやの顔に吐き出す浜田。    コホコホと咳き込むちはや。 浜田「うちも信用して貸した金なんでね。返  して頂けないと非常に困るんですよ」    浜田にじっと見られて怯えるちはや。    耕平、それをかばって 耕平「わかりました。五十万円、払えばいい  んですね」 アキラ「ちょっと、本気なの?」    耕平、茶箪笥の引き出しの中から預金    通帳を取り出す。 耕平「少しなら貯金もあります。払えると思  います」 岡野「(通帳をひったくり)四百万か。結構  貯め込んでやがるんだな」 浜田「いやあ、話のわかるご家族で良かった」    煙草をもみ消す浜田。急に慣れ慣れし    く耕平の肩を抱き、 浜田「さて、残りはあと二百万だな」 アキラ「(驚き)どういうこと?」 岡野「ここんとこ、よく読めよ。一回でも返  済が遅れたら即座に全額返済、って書いて  あんだろーが」 アキラ「ちょっと待ってよ。兄貴の借金って  全部で幾らなの?」 岡野「利子も含めてちょうど六百万だ。キリ  がいいだろ」 アキラ「六百万!?」 岡野「坊主の兄ちゃんはな、会社ツブしちま  ったんだよ。まあ、最初っからヤバそうな  会社だったけどな。ベンチャービジネスと  か言っちゃって名前だけは偉そうだったけ  どな」 アキラ「兄貴がこしらえた借金でしょ! 兄  貴に払わせなさいよ、兄貴に!」 岡野「どこにいんだよ、その兄貴は」 アキラ「知らないわよ」 浜田「岡野、一応約束の月末まで待ってやれ。  その間に兄貴も保証人もみつからなけりゃ、  しょうがねェやな」 岡野「ホントに知らねェのか? シラ切って  んじゃねーだろうな!」 アキラ「だから行方不明だって言ってんでし  ょ!」   ばん!とテーブルを叩く岡野。弾みでお   茶がこぼれ、テーブルの上の書類がバサ   ッと落ちる。 岡野「行方不明と言われてハイそうですかと  帰れるか! ガキの使いじゃねーんだよ!」    ビビる耕平。ちはやも怯えて耕平にし    がみつく。    が、丘の異常に迫力でテーブルの上に    だん!と片足を乗せたのはアキラであ    る。 アキラ「女子供がみんな、大声出しゃビビる  と思ったら大間違いよ! こちとらそんな  ヤワじゃないってのよ!」    目が点になる岡野。 アキラ「味噌汁で顔洗って、おとつい出直し  な!」    岡野の首根っこを掴んで、ひきずって    いくアキラ。 67.同・表    叩き出される浜田と岡野。    すぐ後から書類が投げ捨てられる。    バタン!と無情に閉じられるドア。 岡野「ち、ちくしょー。覚えてやがれ!」    ドアが開き、清めの塩がまかれる。 岡野「どうします、ハマさん」 浜田「とりあえず事務所帰るぞ。居所知らね  ェのは本当らしいからな。こっちも操作網  広げねェと」 岡野「そ、そうっすね」    いそいそと書類を掻き集め、浜田のあ    とについて行こうとする岡野。 浜田「てめーまで来てどーすんだ」 岡野「は?」 浜田「これから連絡あるかもしれねェだろう  が。誰が見張るんだ、え?」    岡野の手から書類をひったくり、車に    乗り込む浜田。    あとに残され、呆然とする岡野。 68.同・居間(夜)    コートを羽織って帰り支度を終えたも    のの、ぐずぐずと居残っているちはや。 ちはや「(心配そうに)大丈夫? ホントに?」 ちはや「うん……」 耕平「俺、送ってくか?」 ちはや「ううん、平気。一人で帰れる」    じゃーね、と手を振って出て行くちは    や。    岡野が茶をこぼした跡を、雑巾で拭い    ているアキラ。 アキラ「ああっもう、あのクソバカチンピラ。  落ちやしないじゃない」    耕平も後ろから覗き込む。    絨毯に染み付いた跡。 アキラ「だから茶なんか出すことないって言  ったのよ」    ごしごしと力任せに絨毯をこすってい    るアキラ。    そのとき、玄関からちはやの声がする。 ちはやの声「こっ、耕平!」    顔を見あわせるアキラと耕平。    玄関へ飛んでいく耕平。 69.同・玄関    硬直しているちはや。    風呂敷包みを背負った岡野が、靴を脱    いで上がりこもうとしている。 岡野「よう、坊主。しばらく世話になるぞ」 耕平「えっ?」    勝手に上がりこむ岡野。 70.同・翔の部屋の前    アキラがちはやを階下へ押し戻してい    る。 アキラ「いいから、あんたは早く帰んなさい」 ちはや「でも……」 アキラ「大丈夫だから、心配しないで、ね」    心配顔のちはやを無理に押し戻してか    ら、深呼吸して部屋に入るアキラ。    呆れ顔の耕平が見守る中、我が物顔で    風呂敷包みを広げている岡野。 岡野「兄貴から連絡入るかもしれねーからよ。  ここで待たせてもらうぜ」    風呂敷包みの中には下着や数日分の着    替えが入っている。 アキラ「ちょっと、あんた図々しいにもほど  があるんじゃない?」    ばっと上着を脱ぐ岡野。肩に吊ったナ    イフ用のショルダーホルダーに、サラ    シに巻いた出刃包丁が入っている。    包丁を抜く岡野。 アキラ「な、なによ、やる気?」 岡野「砥石ねーかな」 耕平「砥石?」 アキラ「ンなもん、何に使うのよ」 岡野「お手入れに決まってんじゃねーか」    愛しげに出刃を撫でる岡野。    アキラと耕平、ぞっとして顔を見合わ    せる。    満足そうに室内を見回す岡野。 岡野「なかなかいい部屋じゃねーか。快適な  張り込みになりそうだぜ」    サイドボードの上の写真立てに、翔の    写真が入っている。 岡野「けっ、軟弱そうなツラしやがって」    写真立てを指で突き、倒す岡野。 71.同・翔の部屋(翌朝)    カーテンの隙間から朝日が差し込む。    だらしなく大の字になり、イビキをか    いて熟睡している岡野。    突然ガンガン!と騒音が鳴る。    半分寝惚けたまま飛び起きる岡野。 岡野「な、なんだ?」    片手にバケツ、片手に掃除機の先端部    分を持って仁王立ちのアキラ。    岡野、文字通りアキラに叩き起こされ    る。 アキラ「あんたもここに寝泊りすんなら、こ  のうちのルールに従いなさい!」 72.同・キッチン    並べられた朝食を見てア然とする岡野。 岡野「なんだこりゃ。おままごとか?」 アキラ「居候させてやった上に、朝食まで食  べさせてやろうってのよ? 感謝の言葉く  らい欲しいもんだわね」 岡野「起き抜けにメシなんか食えるか!」 アキラ「食べなきゃまた叩き出すわよ!」    岡野とアキラの間に火花が散る。    しばしそのまま睨みあう二人。    迫力負けして、結局席につく岡野。 岡野「坊主、こんな姉ちゃんと暮らしてよく  無事に生きてるな」 耕平「坊主じゃない、耕平だ」 岡野「そうだ坊主、あとで一緒に銀行行くぞ。  この金、現金にしてもらわねーとな」    懐から通帳を出し、ひらひらと振る岡    野。    アキラがそれをひったくろうとするが、    一瞬早く懐にしまう。 岡野「悪いな、姉ちゃん」 アキラ「あんた、血も涙もないわけ!?」 耕平「いいよアキラさん、しょうがねェよ」 アキラ「だってあんた、これからどうする気  なのよ。このバカの食費まで面倒みきれな  いわよ?」    同時に岡野を見るアキラと耕平。今し    もゆで卵を頬張ろうとしていた岡野、    動きが止まる。 岡野「な、なんだよ。そっちが食えって言うか  ら食ったんじゃねーかよ!」 ちはや「お早う!」    ちはやが入ってくる。    岡野を見て、ぎょっとするちはや。 ちはや「(小声で)この人、まだいるの?」    黙々と朝食を食べ始める耕平を、複雑    な面持ちでみつめるアキラ。 73・飛田家・居間(午後) ちはや「ただいま!」    元気な声がしてちはや、帰ってくる。    出迎えたのは岡野である。 岡野「よう、お嬢ちゃん。ちゃんと勉強して  きたか?」    調子よく手を振る岡野に、ビビるちは    や。逃げるように居間に駆け込み、ア    キラをみつけてその背に隠れる。 ちはや「耕平は? まだ帰ってないの?」 アキラ「バイト、探すんだって」 ちはや「バイト?」 アキラ「(岡野に)ほら、あんたも何か手伝  いなさいよ!」    岡野にエプロンを投げつけるアキラ。 アキラ「ちはやと一緒に夕飯でも作んなさい」 岡野「(呆れて)今度はお嬢ちゃんと食事当  番しろってか?」    岡野にみつめられ、ますます怯えてア    キラにしがみつくちはや。 アキラ「言っとくけど、ちはやはあたしの妹  みたいなもんだからね。家の中で二人っき  りになったからって変な真似したら、タダ  じゃおかないよ」 岡野「俺は変態か!」 ちはや「どこか行くの?」    不安げにアキラを見上げるちはや。    曖昧に微笑むアキラ。 アキラ「うん……ちょっとね」 74.酒屋の店内    店主と面接している耕平。    胡散臭そうに耕平を見ている店主。 店主「今時の子にしちゃ小さいねえ。ほんと  に高校生かい」    胸の校章を慌てて手で隠し、頷く耕平。    耕平を上から下まで眺める店主。 店主「履歴書とか、あるのかい」 耕平「は、はい」    鞄から履歴書を出す耕平。 店主「ちょっと、確認させてもらうよ」    履歴書を見ながら電話をかける店主。 75.飛田家・キッチン    壁際にぴったりくっついて、岡野を警    戒しているちはや。 岡野、さすがに溜息をつき、 岡野「こっち来いよ。取って食いやしねェか  らよ」    手招きでちはやを呼ぶ。    首を横に振るちはや。    諦めて、ジャガイモの皮をむき始める    岡野。見事な手際である。    ちはや、驚いて思わずその手さばきに    見入る。    廊下で電話が鳴る。 ちはや「私、出ます」    キッチンを出て行くちはや。岡野も慌    てて後を追う。 76.同・廊下    電話を受けているちはや。すぐ横で聞    き耳を立てている岡野。 ちはや「ハイ、わかりました。少々お待ち下  さい」   受話器の送話口を手でふさぎ、岡野に差   し出すちはや。 ちはや「出て」 岡野「なんだと?」 ちはや「いいから出て。耕平のバイト先なの。  お父さんに代わってくれって」 岡野「なんで俺が出るんだよ!」 ちはや「あなたが来たから耕平はアルバイト  なんかすることになったのよ!?」    怯えながらも、決死の表情で言い返す    ちはや。    睨みあう二人。    岡野、根負けして受話器を受け取る。 岡野「(作り声で)はい、お電話代わりまし  た……耕平の父です」 77.出版社の応接ロビー    硬くなって座っているアキラ。    その前に座っている編集者、持参の書    類袋を漁って、 編集「急な仕事だとね、雑誌の穴埋めコラム  みたいなのしかないんだけど。三流ピンク  記事ってとこだよ、相田さんの嫌いな」 アキラ「それ、やります。やらせて下さい」 編集「まあ、若い女の子が書いたってだけで  興味持って買ってく読者もいるからいいけ  どさ。ほんとに、どういう風の吹き回し?  相田さんが自分から売り込みに来るなんて」    言葉に詰まるアキラ。 78.飛田家の前(夜)    木枯らしが吹き抜けていく路上。    寒そうに身を縮めて耕平が帰ってくる。    家の前で立ち止まる耕平。見上げる窓    全部に、暖かそうな灯がついている。 79.同・キッチン    いつになく豪華なメニューが並んでい    る食卓。    一口食べたアキラが、感嘆の声をあげ    る。 アキラ「これ、美味しい! ちィが作ったの  ?」 ちはや「違うの、サラ金さん」 岡野「その呼び方、どーにかなんねェか?」 アキラ「あんたなんかチンピラで十分よ」 岡野「俺には親のつけた岡野京介って立派な  名前があんだよ」 アキラ「うるさい、チンピラ」    ちはやがとりなすように割って入る。 ちはや「私、ほとんど何もしてないの。これ  全部、岡野さんが作ったのよ」 岡野「実家が料亭でよ。坊主よりちっちゃな  頃から包丁握ってたんだよ」 アキラ「どんな人間にも一つくらいは取りえ  があるもんなのねぇ」 岡野「いちいちカンに触る姉ちゃんだな、素  直に美味いとかマズいとか言えねーのか?」 アキラ「まずくはないわよ、まずくは」 岡野「可愛くねーな、ホントに!」    ちはや、立ち上がってバン!とテーブ    ルを叩く。    ぎくっとするアキラと岡野。 ちはや「契約事項、追加する! 食事のとき  にはケンカしないこと、いいわね!」 アキラ「は、はい」    それならよろしい、と頷くちはや。    すっかりおとなしくなってしまったア    キラと岡野。テーブルの下で足を蹴り    あいながら、食事を再開する。 80.同・居間    食後。キッチンから岡野とちはやが洗    い物している声が聞こえている。 ちはや「違うわよ、それは清少納言でしょ。  清少納言は枕草子を書いた人じゃない」 岡野「そのセイショー何とかは違うのか?」 ちはや「源氏物語を書いたのは紫式部だって  ば」 岡野「わかった、アレだな? ギオン精舎の  なんとかかんとか、諸行無常のナンタラカ  ンタラ……」 ちはや「それは平家物語だってば!」 岡野「どう違うんだよ?」 ちはや「敵と味方! 全然違う! 読書した  ことないの?」 岡野「読書ねぇ……」    しみじみと考え込む岡野。 ちはや「手、止まってる」 岡野「あ、すいません」    すっかり岡野を顎で使っているちはや。    ネオンテトラにエサをやっている耕平。    すっ、とアキラが近付いてくる。 耕平「なに?」 アキラ「今日、仕事取ってきたの。少しだけ  ど、お金入るから。そしたらあたし、この  お家に入れる」 耕平「なんで?」 アキラ「だから、もうしばらくここに置いて。  あたし、出てったら行くとこないから」 耕平「そんなの、受け取るわけには……」    ガシャーン、と派手に食器の割れる音。    驚いてキッチンを覗き込むアキラと耕    平。 ちはや「もう、危ないじゃない!」 岡野「け、怪我は?」 ちはや「無いけど、ビックリしたの!」 岡野「申し訳ない」    ちはやにぽかぽか殴られて平謝りして    いる岡野。    アキラと耕平、顔を見合わせて苦笑い    する。 81.同・玄関    アキラがちはやの首にマフラーを巻き    つけている。口を尖らせているちはや。 ちはや「私だけ帰るの、やだなあ」 アキラ「引っ越してきちゃえばいいのに」 ちはや「(溜息をついて)本当に、そうした  い」 アキラ「耕平、送ってってやんなさいよ」 耕平「あ、うん」    アキラに肩を小突かれ、慌てて靴を履    く耕平。 82.路上(夜)    並んで歩いているちはやと耕平。 ちはや「寒くない? 私のマフラー、貸して  あげよっか?」 耕平「いいよ、いらねーよ」 ちはや「そーお?」    寒そうに身を縮めて、明らかに痩せ我    慢している耕平。    ちはやがそっとその腕に自分の腕を絡    ませる。 ちはや「あったかいでしょ」    照れ隠しに仏頂面を作る耕平。 ちはや「きっと、もうすぐ雪降るね」 83.飛田家・アキラの部屋(夜)    抜き足差し足忍び足、で進入してくる    岡野。    きょろきょろと室内を見回して、スス    ス、と本棚に近付く。    並んだ本の中から、一番分厚い文芸大    作を抜き取る岡野。ページを開き、読    み始めるが、段々表情が苦しげになっ    てくる。    二、三ページ進んだところで呼吸困難 に陥り、本を投げ捨てる岡野。    あきらめて部屋を出て行こうとしたと    き、机に置かれたままのアキラのポル    ノ小説が目に留まる。    何気なく手に取る岡野。       ×  ×  ×    アキラが階段を上がってくる。    部屋のドアが開いているのに気付き、    不審げに眉をひそめるアキラ。    ドアに背を向け、一心不乱に本を読ん    でいる岡野。 アキラ「ちょっとあんた、何してんのよ」    ばっと振り向く岡野。その目から大粒    の涙がぽろぽろと流れている。 岡野「これ、すげェよ。あんた、すげえエロ  小説家だよ」    鼻水をすすり上げる岡野。 アキラ「(ムッとして)あんた、あたしのこと  バカにしてるの?」 岡野「俺、本読んでこんなに感動したの初め  てだよ。田舎にいた頃惚れてた、近所の姉  ちゃん思い出したよ」    アキラの両手を握り、ぶんぶんと振る    岡野。涙と鼻水でくしゃくしゃの顔。 岡野「これからもガンガン書いてくれよ。俺、  絶対買って読むからよ」    両手を取られたまま、複雑な表情のア    キラ。 84.川嶋家の前    歩いてきたちはやと耕平、家の前で立    ち止まる。 ちはや「もう、ここでいい」 耕平「うん……」    お互いに立ち去りがたいちはやと耕平。 ちはや「……じゃあね」 耕平「ああ……そんじゃな」    と、言いながらもまだ動けない二人。    ちはやがぱっと自分のマフラーを取り、    耕平の首に巻きつける。    驚く耕平に微笑みかけて、家の中に駆    け込むちはや。    耕平、マフラーをつまんでみつめる。    苦笑いして、歩き出す。 85.川嶋家・ちはやの部屋    音を立てないように、無言のままで入    ってくるちはや。    真っ暗な部屋の中、コートを脱ぐ。    ぱっと部屋に明かりが点く。    ぎょっとして振り返るちはや。    ドアの所にちはやの両親が立っている。    ちはやの表情、凍りつく。 ちはやの父「今、何時だと思ってるんだ」    じりじりと後ずさるちはや。 ちはやの父「毎日毎日こんな時間まで、どこ  で何してるんだ」 ちはや「ずいぶん急に心配するのね。ケンカ  に飽きて、やっと私のこと思い出したの?」 ちはやの父「そんな口のきき方、どこで覚え  てきたんだ!」 ちはや「脅かしたって怖くないわよ! お父  さんやお母さんより大事な人が出来たんだ  から!」 ちはやの父「男か!?」    ずかずかと歩み寄る父。怯えるちはや。 ちはやの父「まだ中学生だぞ!」    手を振り上げる父親。    逃げるちはやの腕を掴んで、顔を殴り    つける。    家を飛び出すちはや。 86.路上    寒そうに歩いている耕平。駆けてくる    足音に振り向く。    ちはや、耕平に抱きついて泣き出す。    驚く耕平。 87.飛田家・居間    ちはやの頬に濡れタオルを当てている アキラ。横で岡野が見守っている。 アキラ「子供に手ぇ上げる親なんて最低!   家出しちゃえ、そんな家!」 岡野「無茶言うなよ、お姉ちゃん」 アキラ「子供は何されても黙ってガマンして  ろっての?」 岡野「てめェのガキの心配しねェ親がいるか  よ」 アキラ「あんた、どっちの肩もつのよ!」 岡野「あんたこそ何ヒステリー起こしてんだ  よ!?」 耕平「やめろ」    二人の間に割って入る耕平。 耕平「川嶋の前でケンカしないでくれ」    ハッとなって口をつぐむアキラと岡野。    耕平、ちはやの前に湯気の立つマグカ    ップを置く。 ちはや「……ありがとう」 88.同・アキラの部屋    布団一式を抱えて入ってくる耕平。 耕平「ここに敷けば二人で寝られるよな?」    ベッドの横にどさりと置く。 耕平「狭かったら、下の部屋で寝てもいいん  だぞ」 ちはや「いいの。……一人は怖いから」 耕平「もう、平気か?」 ちはや「ウン、大丈夫。あの……」 耕平「ん?」 ちはや「泣いたこと、みんなには内緒にして  てくれる?」    ちはやが小指を差し出し、指切りする    二人。 耕平「隣の部屋にいる。大声で呼んだらすぐ  飛んでくる」 ちはや「……良かった」    ようやくちはやの顔から笑顔がこぼれ    る。 89.同・居間(昼)    家計簿を前に、頭を抱えているアキラ。    ちはや、耕平、岡野が覗き込んでいる。 アキラ「やっぱり四人じゃどうやったって、  食費こんだけかかるわよ。プラス、光熱費  でしょ……」    電卓を叩くアキラ。 アキラ「あんたのバイトくらいじゃ、追い付  かないわよ」    ちはや、肩身が狭い。 耕平「いいよ。俺がなんとかするから」    溜息をついて、家計簿を閉じるアキラ。 アキラ「あたしももう一度出版社回って、仕  事探してみるわ。(岡野に)あんたも食費  くらい入れなさいよ」 岡野「(ふて腐れて)わかったよ」 90.同・廊下    居間から出てくる耕平。    ちはやが後を追ってくる。 ちはや「耕平」    振り返る耕平。 ちはや「(決意の表情で)私も働く」 耕平「いいよ、そんなの」 ちはや「どうして? 私だけ迷惑かけるだけ  なんて、いや」 耕平「川嶋には、家にいて欲しいんだ」 ちはや「だから、どうして? 私じゃ役に立  たないから?」 耕平「そうじゃなくて……」    言葉を探して、頭を掻く耕平。 耕平「帰ったとき家に明かりが点いてて、川  嶋がお帰りって出てくると、嬉しいんだ」    驚いたように目を見開くちはや。    その言葉を噛み締めるように、やがて    ゆっくりと頷く。 ちはや「……それが、私の仕事なんだ」 91.酒屋(夕方)    客相手にレジ打ちしている耕平。    茶髪の青年がエプロンに袖を通しなが    ら、背後に立つ。 青年「交替するよ」    頭を下げてレジ打ちを替わる耕平。上    着を羽織って出口へ急ぐ。 耕平「それじゃ、先にあがります」 店主「お疲れさん」    店の前に停めてあった自転車に飛び乗    り、漕ぎ出す耕平。 92.ラーメン屋(夜)    店の裏に自転車を乗り捨て、勝手口に    駆け込む耕平。 耕平「遅くなりました!」    ラーメン屋の主人、カウンターの奥か    ら片手をあげて応える。 93.飛田家・居間(朝)    明るい日曜日。    画用紙を切って、食事当番表を作り直    しているちはや。    アキラ、耕平の名の他に、自分と岡野    の名を新たに加える。    出来上がった当番表を見て、満足そう    なちはや。 94.同・二階ベランダ    エプロンをつけて洗濯物を干している 岡野。鼻歌混じりで、いい調子である。    洗濯物の中にアキラの紐パンティを見    付け、一瞬硬直する岡野。そうっと指    でつまんで、一番はじっこに干す。    ちはやが遠慮がちに顔を覗かせる。 岡野「おう、どした、お嬢ちゃん」 ちはや「あの……岡野さんにお願いがあるの」 岡野「なんだ? 借金チャラにしろってこと  以外なら、どんと来い」 ちはや「私も耕平も、家族を作ろうって決め  たときルールを作ったの。これだけは守ら  なきゃダメっていう約束。だから、岡野さ  んもひとつだけ約束して」 岡野「何を?」 ちはや「アキラちゃんとケンカしないで」    虚を突かれる岡野。    真剣なまなざしでみつめるちはや。 ちはや「仲良くして。ね?」 岡野「……わかった。そんじゃ、お嬢ちゃん  もひとつだけ俺と約束してくれ」 ちはや「(緊張し)なに?」 岡野「気持ちが落ち着いたらな、絶対に父ち  ゃんと母ちゃんとこに連絡するんだ」 ちはや「……」 岡野「逃げたまんまじゃ、あの坊主に迷惑が  かかるぞ。人間にはな、自分でつけなきゃ  な んねェケジメってのがあるんだ。わか  るか?」    頷くちはや。    笑顔になる岡野。 岡野「よーし、いい女だ」 95.同・アキラの部屋    ワープロに向かっているアキラ。    軽いノックの後に、ちはやがひょいと    顔を出す。 ちはや「どう、進んでる?」 アキラ「あんた、ヤケに機嫌よくない?」 ちはや「そんなことないわよ」    アキラの背後からワープロのディスプ    レイを覗き込むちはや。 アキラ「読まない方がいいわよ、ショック受  けるから」 ちはや「これくらい、もう慣れたわよ」    平静を装い、画面の文字を追うちはや。    が、徐々にその顔がしかめられる。 ちはや「……何これ。なんで耕平って名前な  の?」 アキラ「今度のヤツ、女教師モノなのよ。中  学生の男の子と担任の教師のさ。折角だか  ら中学男子の生々しい生態を活写しようと  思って」 ちはや「耕平をモデルにしてるの!? 信じら  んない!」 アキラ「名前はちゃんとあとで変えるわよ」 ちはや「そーゆー問題じゃないでしょ!? 変  なコトに使わないでよ!」 アキラ「何でちィが怒んのよう」    部屋のドアがノックされる。 耕平の声「アキラさーん、川嶋知らねー?」    アキラとちはや、二人同時にワープロ    に飛びついてフタを閉じる。 アキラ「こ、ここにいるわよ」    ドアが開き、耕平が顔を出す。 耕平「なんだ、こんなとこにいたのか」 ちはや「何か用?」 耕平「お前、ヒマか?」 ちはや「うん……?」 96.病院・外観(昼)    緑豊かな総合病院。 97.同・受付ロビー    勝手知ったる、という感じでどんどん    歩いて行く耕平。    その後ろを、物珍しそうにきょろきょ    ろしながらついて行くちはや。 98.同・病室 耕平「ばーちゃん、元気か?」    ベッドの上に半身を起こした耕平の祖    母・トキ(72)。入ってきた耕平を見    て、顔を輝かせる。    ベッドのそばの椅子を引き寄せ、腰を    下ろす耕平。    トキの手が、何か言いたげに動く。 耕平「えっ、なに? ああ、みんな元気かっ  て? 元気でやってるよ」    更に動くトキの手。入り口にまだおず    おずと立ち尽くしたままのちはやを指    差す。 耕平「なに、何だよ?」    耕平、トキの手元をみつめて 耕平「耕……ちゃんの……カノジョ……って、  そんなんじゃねーよ!」    トキ、手招きでちはやを呼ぶ。    遠慮しながら近付いたちはやの手を取    り、優しく撫でるトキ。    困惑するちはや。 耕平「ばーちゃんが、よろしくってさ」 ちはや「あっ、わ、私こそ。川嶋ちはやです」    ぺこりと頭を下げるちはや。    ビニール袋からアイスを出す耕平。 耕平「アイス、買ってきたぜ」    付属のスプーンでトキの口にアイスを    運ぶ耕平。 耕平「……うまいか?」    何度も頷くトキ。    優しく見守る耕平。 99.同・中庭    入院患者が散歩する静かな中庭。    緑の芝生に腰を下ろして、一休みして    いるちはやと耕平。 耕平「ばーちゃん、もう長くねーと思うしさ。  毎月顔だけは見とこうと思ってさ。あいつ  ら、自分のことで手一杯で、ばーちゃんの  こと忘れてるだろうし……」    ごろんと芝生に寝転がる耕平。    その顔を眩しげにみつめているちはや。 耕平「ばーちゃんが家にいた頃は、結構フツ  ーの家族してたんだけどなあ……」 ちはや「ふふふ」 耕平「な、なんだよ?」    意味ありげなニヤニヤ笑いを浮かべる    ちはや。 ちはや「……耕ちゃん」 耕平「や、やめろ、その呼び方」 ちはや「いいじゃない、別に」 耕平「お前、アキラさんに似てきたぞ!」 ちはや「耕ちゃん、耕ちゃん」    調子に乗って連呼するちはや。    耳をふさいで逃げる耕平。 100.公園(昼)    学校帰りの耕平が、自転車置き場から    自転車を出している。    ちはやが人待ち顔でブランコを揺らし    ているのに気付く。 101.通学路上    自転車の後ろにちはやを乗せて帰る耕    平。    颯爽と駆け抜けていく自転車。 102.飛田家・玄関 ちはや「ただいまーっ」 耕平「ただいま」    同時に飛び込んでくるちはやと耕平。 ちはや「おなかすいたあ、何かなーい?」    キッチンへさっさと入っていくちはや。    耕平も後を追おうとするが、廊下で電    話が鳴る。 耕平「はい、飛田ですけど……」    はっとする耕平。    受話器を手で押さえ、周囲の様子を伺    う。 耕平「(声をひそめ)……何の用だよ?」 103.喫茶店・店内    窓際のテーブルに硬い表情で座ってい    る耕平。その正面に相対しているのは    母・洋子である。    にこりともせず、テーブルの上に一枚    の写真を置く耕平。母と若い男と一緒    に写っている写真である。 耕平「忘れ物だよ」    さすがに気まずい表情の洋子。写真に    手が出せない。 洋子「知らなかったのよ、うちがこんなこと    になってるなんて。まさかあんたが一    人になってるなんて、思わなかったの」 耕平「……今、どこにいるんだ?」 洋子「岡山よ。この人の家で暮らしてるの」 耕平「……そう」 洋子「耕平、おいで。一緒に住もう」    耕平の手を無理に握ろうとする洋子。    乱暴に振りほどく耕平。 耕平「あんたの好きにすりゃいいよ」 洋子「あんたって何よ、母親に向かって」 耕平「戻って来いとは言わねェし、あんたに    はあんたのしたいことがあるの、わか    るよ。だから俺も勝手にさせてくれ」 洋子「勝手にって何? あんた一人でどうす    る気なのよ」 耕平「俺は俺の好きにする。俺は俺の好きな  人と暮らす」 洋子「そんなこと、許さないわよ! 中学生  のクセに!」    激昂してテーブルを叩く洋子。    コーヒーがこぼれて、テーブルクロス    に茶色い染みをつくる。 104.飛田家・二階ベランダ(夕方)    膝を抱えて片隅に転がっている耕平。    メモ用紙のような紙片をみつめ、ぼん    やりと考え事をしている。 105.同・岡野の部屋    携帯電話でこそこそと話している岡野。 岡野「そうなんっすよ、どこに高飛びしたの  か、こっちにも全然連絡入んないっスよ。  ……えっ? いや、俺だって何とかしよう  と頑張って……」    電話の向こうで、怒鳴っている気配。    顔をしかめて、電話を耳から遠ざける    岡野。 岡野「いや、聞いてるっスよ、聞いてますけ  ど……」    どん!    鈍い爆発音が階下から聞こえる。    驚き、飛び上がる岡野。 106.同・風呂場    もうもうと黒煙が上がっている。    中に入るに入れず、立ち往生している ちはや。アキラが飛んで来て、目を丸くする。 アキラ「何よ、これ!」 ちはや「危ないよ」 アキラ「あんた、下がってなさい」    黒煙の中に飛び込み、水道の蛇口をひ    ねって勢いよく水を出すアキラ。 岡野「何だこりゃ、何が爆発したんだ」 アキラ「お風呂が爆発したのよ! あんた風  呂の水確認しないで火ィつけたでしょ!」 岡野「あ……」 アキラ「あ、じゃないわよ! 空焚きに気を  つけろって、あんだけ言ったでしょ!」 ちはや「すごーい、真っ黒……」    耕平が不審げに眉をひそめて、あきら    める。 耕平「今の音、何?」 ちはや「お風呂が爆発しちゃったの」 耕平「なんで?」    スマン、と手を合わせる岡野。 アキラ「どーすんのよ、今夜は風呂ナシにす  る?」    断固として首を振るちはや。 ちはや「いやよ! お風呂入らなきゃ、明日  学校行けない!」 107.先頭・男湯    湯船に恐る恐るつまさきを入れる耕平。    あまりの熱さに飛び上がる。 岡野「おーい、坊主!」    洗い場から岡野が手招きしている。 岡野「背中流してやるから、こっち来い」 耕平「い、いいですよ」 岡野「こっち来いって言ってんのがわかんね  ーのか?」    耕平を無理やり自分の前に座らせる岡    野。有無を言わせず、背中を洗い始め    る。 岡野「俺もよくガキの頃は父ちゃんにこうや  って背中流してもらったもんよ」    力まかせにこする岡野。痛さで顔がひ    きつっている耕平。 岡野「昔気質の頑固親父ってヤツでよ。口よ  り先に手が出る親父でよォ、ガキの頃はよ  くぶん殴られたっけなあ」 耕平「……」 岡野「昔は、いつか絶対にぶっ殺してやる、  なぁんて思ってたけどよ。この年になると  ようやく、親の有り難みってなわかるよう  になるんだな」    更に力を込めて耕平の背をこする岡野。 岡野「足も手もでけェから、お前あっという  間にでっかくなるぞ」    自分の手を思わず見る耕平。 岡野「夜寝てっとな、こう、骨がミシミシッ  と鳴って、伸びてくのがわかんだぜ」    耕平の頭にザバーッと湯を掛ける岡野。 岡野「ほら、一丁上がりだ」 108.同・女湯    湯船につかっているアキラとちはや。 アキラ「ちゃんと肩までつかって、百数えな  さいよ」 ちはや「子ども扱いしないでよ」    じろじろとちはやの体を眺めるアキラ。    その顔に勝利の笑みが浮かぶ。 アキラ「ふん、まだまだガキ体型ね」 ちはや「変なとこ見ないでよ!」    胸を隠して湯の中に沈むちはや。 アキラ「女同士で何恥ずかしがってんのよう」    ちはやに湯を掛けるアキラ。    ちはやも負けじと掛け返す。    隣のオバチャンにじろりと睨まれて、    小さくなる二人。 109.同・待合室    髪を拭きながら現われるアキラ。    ソファでコーヒー牛乳を飲んでいた岡    野、百円玉を放る。それを空中でキャ    ッチするアキラ。 アキラ「コーヒー牛乳くらいでお礼は言わな  いわよ」    自販機でコーヒー牛乳を買い、岡野の    隣に腰を下ろす。 アキラ「考えてみたら、あんたとあたしがこ  うやって子供たち待ってるってのもヘンな  話よね」 岡野「(にやっと笑って)あんた、俺のこと  嫌いだろ」 アキラ「あんたさ、なんでサラ金屋なんかや  ってんの? あんたには向いてない気がす  る」 岡野「そうかあ?」 アキラ「今さサラ金屋だって、頭良くなきゃ  なれないんでしょ?」 岡野「おう。サギみてーな手口で出し抜こう  とする客もいるからなあ。こっちも頭脳プ  レイが必要なわけよ」 アキラ「ほら、やっぱり向いてないじゃない」    飲み終わったコーヒー牛乳の紙パック    をぐしゃっと潰すアキラ。 岡野「まあ、俺もいつまでもこの仕事続けて  く気はねーけどな。俺にも一応、夢ってヤ  ツがあるからよ」 アキラ「あんたの夢って、なに?」 岡野「俺はよ、いつか自分の店持ちてーんだ。  自分で包丁握って、こう、こじんまりした  料亭をよ」 アキラ「それで、いつも包丁持ち歩いてんの?」 岡野「へへ、未練がましいだろ。こんな商売  やってっとつい忘れそうになるからよ。ア  イツを握っちゃ、思い出してんだ」 アキラ「……あんたの作るご飯、ホントに美  味しいと思うよ」 岡野「ありがとよ」    くすぐったそうに笑う岡野。 岡野「お姉ちゃんの夢は順調か? またいつ  かみたいなすげェ小説、書いてくれよ」 アキラ「あんなの、あたしの夢じゃないって  ば。前にも言ったでしょ、いずれ文芸大作  を書き上げて、文壇に躍り出るんだって」 岡野「ブンダンに、ねえ」 アキラ「周囲の奴らに見る目が無いのよ。あ  たしの才能をわかってないんだから」 岡野「ふーん」 アキラ「……何よ、その顔」 岡野「おっと、怒るなよ。あんたとはもうケ  ンカはしねェ。お嬢ちゃんと約束したから  な」 アキラ「ちはやと?」    目を丸くするアキラ。    じゃれあいながらちはやと耕平、現わ    れる。    何が楽しいのかお互いに耳打ちしては、    笑いあっている二人。 110・アケボノ金融・事務所(昼)    貸しビルの中にある小さな事務所。    奥のスペースに向かい合って座ってい    る岡野と浜田。    浜田、煙草の煙をふうっと吐き出す。 浜田「そろそろ手続きの用意しとけよ」 岡野「は……」 浜田「今週末だろ、支払期限は」    ごくりと唾を飲む岡野。 岡野「……その事なんですけどね、ハマさん。  あれ、もうちょっと待ってやるわけにいき  ませんかね」 浜田「はあ? 何言ってんの、お前」 岡野「住んでんの、ガキ一人じゃないですか。  家取り上げちまったらあいつ、どうなるん  ですかね」 浜田「そこまでてめェの知ったことか。うち  は貸した金を取り立てるのが仕事なんだよ。  それともあの威勢のいい姉ちゃんに連帯の  ハンコ押させて、店で働いてもらうか?」 岡野「いや、それは……」 浜田「ムリムリ。取れるうちに取れるとこか  ら取っとくってのが、この商売の鉄則だろ  うが。お前がいちいち借財人に情けかけち  まったら、うちの経営はどうなるんだよ」    言い返せない岡野。 浜田「どうやってお前や谷さんやスミちゃん  に給料払うの、え?」    経理の老人や受付の女の子が、そうだ    と言わんばかりに頷く。    反論する気力を失う岡野。 浜田「今週中に兄貴か親父の居所つかめなき  ゃ、それ以上は待てねェからな。そのガキ  にも引導渡しとけよ」 岡野「……はい」    がっくりと頭を下げる岡野。 111.飛田家・居間(昼)    引き出しの中を漁っている岡野。片っ    端からひっくり返していく。    引っ掻き回しているうちに、一枚のメ    モがみつかる。    ホテルの名前と、電話番号が書いてあ    る。    唇を噛む岡野。 112.ラーメン屋(昼)    店の裏で野菜の段ボール箱を積み上げ    ている耕平。額に汗して、黙々と働い    ている。    勝手口が開いて、主人が顔を出す。 主人「それ積み終わったら、上がっていいか  らな」 耕平「え……?」 主人「午後は法事で、店仕舞いって言わなか  ったか?」 113.路上    自転車を押して歩いている耕平。    辛そうに幾度か、空咳をしている。 114.飛田家・居間    耕平が帰ってくる。 耕平「ただいま……」    しんとしている家の中。    家中の箪笥という箪笥の引き出しが開    いている。    不審そうに奥の部屋の戸を開ける耕平。    岡野が、手に一枚のメモを持って立ち    尽くしている。 耕平「……何してんですか」 岡野「これ、なんだ?」    耕平の顔色、変わる。 岡野「誰が泊まってるホテルだ? 兄貴か、  親父か、お袋か?」 耕平「返せよ!」 岡野「早く借金返さねーと、この家抵当に取  られちまうんだよ! もうどうしようもね  ェんだ。連絡取れ、な?」 耕平「いやだ!」 岡野「おい!」 耕平「この家は俺が守る、誰の助けも借りな  い!」 岡野「ガキの手には余ることだって、世の中  にはあるんだよ!」    岡野に飛びつき、メモをひったくる耕    平。    ビリビリと破り捨てる。 岡野「おい、何すん……」    飛び出していく耕平。 115.同・居間(夜)    重く沈んだ雰囲気。会話も無く、時計    が時を刻む音だけがやけに大きく響く。    不安顔のちはやが、テーブルに頬杖を    ついたまま時計を見上げる。 ちはや「……耕ちゃん、遅いね」 アキラ「明日学校あるんだから、あんたもう  寝なさい」 ちはや「うん……」    渋々と立ち上がるちはや。 アキラ「おやすみ」    ワープロに向かって乱暴にキーを叩い    ているアキラ。    気が乗らないらしく、少し打っては伸    びをしたり肩を叩いたりしている。    その様子を、岡野が眺めるともなしに    眺めている。 アキラ「もうっ、あの子こんな時間までどこ  で何してんだか。無断外泊は契約違反のは  ずじゃない」    ついに執筆をあきらめたアキラ。両腕    を枕に、ごろんと後ろに倒れる。 アキラ「あんた、耕平に何言ったの?」 岡野「……」 アキラ「あんたまでだんまりか……」    溜息をつくアキラ。 アキラ「前は一人なんて全然平気だったのに  なあ。静かだとなんか、落ち着かない」 岡野「あんたもか」 アキラ「お互いさま、か」    二人きりのアキラと岡野、間がもたな    い。    静寂に耐え切れず、岡野が立ち上がる。 岡野「(ふと気付いて)なあ、これ前は二匹  じゃなかったか?」    水槽の中のネオンテトラ、四匹に増え    ている。 アキラ「ちはやが買ってきたのよ。あんたと  あたしの分、だってさ」    いたたまれず、ラジオをつける岡野。    ルイ・アームストロングの『What a    Wonderful World』が流れてくる。 岡野「懐かしいな……昔、これのレコード持  ってたっけ」 アキラ「あたしもよ」    目を閉じて聞き入るアキラ。 アキラ「憧れてたな。あたしもこの歌みたい  な世界で暮らしたいって、いつも思ってた」 岡野「これ、なんて歌ってるんだ?」 アキラ「知らないで聞いてたの?」 岡野「なんて言ってんのかはわかんねーけど  よ、この歌聞いてっとワケもなく泣けてく  んだよ」 アキラ「私は聞く……赤ん坊が泣く声を。そ  して見る……彼らが育っていくのを。子供  たちは私が知っていることより、多くのこ  とを学ぶだろう。そして私は考える……自  分自身について。なんて素晴らしいこの世  界……」 岡野「なんて素晴らしいこの世界、か」 アキラ「こんな気持ち、今まで感じたことな  かった。あたしも見てみたい。ちはやや耕  平が、あの子達が育っていくのを……」 116.同・玄関    足音を忍ばせて、こっそりと表へ出て    行くちはや。 117.川嶋家・外観(深夜)    白い息を吐いて、夜道を駆けてくるち    はや。家の前で立ち止まる。    家の窓にはまだ明かりがついている。    窓を見上げるちはや。 118.飛田家・岡野の部屋    耕平が破いたメモを、ジグソーパズル    のようにつなげている岡野。    ノックの音。    目を上げると、ちはやがドアのところ    に立っている。 岡野「どした? 寝たんじゃなかったのか」    ちはやをよく見て、ぎょっとする岡野。    頬が腫れ、唇が切れて血が滲んでいる。 岡野「どうしたんだ、その顔」 ちはや「これ……」    岡野に手を差し出すちはや。貯金通帳    が握られている。 ちはや「ほんの少ししか入ってないけど……  耕平、お金のことで帰ってこないんでしょ  ?」    通帳を開けて、預金額を見る岡野。    十万円ほど貯金してある。 ちはや「お年玉とか、ずっと貯めてたの。  これだけじゃ足りないの、わかってるけど  ……」    ちはやの手に、通帳を握らせる岡野。 岡野「あんたから坊主に渡してやんな」 119.深夜の工事現場    大人に混じって資材運びなどして、働    いている耕平。 120.路上(早朝)    まだ夜も明けきらない早朝。    凍えた手に息を吹きかけながら、歩い    ている耕平。 121.飛田家・居間    毛布を抱えて入ってくる岡野。    ソファで眠ってしまったアキラに掛け    てやる。    玄関のほうで物音がする。    はっとする岡野。 122.同・玄関    帰ってきた耕平。    岡野が無言で出迎える。    凍りついた表情で、茶封筒を差し出す    耕平。    不審げに受け取り、中を見る岡野。わ    ずかばかりのお金が入っている。 岡野「(カッとなり)わかんねーのか!?   これっぽちの金じゃ足んねェんだよ!」 耕平「俺にはこれくらいしか出来ねーよ!」    岡野の横をすり抜け、二階へ駆け上が    る耕平。    玄関に立ち尽くす岡野。    ガターン、と階段の上で派手な物音が    する。 岡野「……坊主?」 123.同・耕平の部屋(昼)    苦しげに眠っている耕平。ちはやが濡    らしたタオルを額に乗せる。    岡野が小鉢を手に入ってくる。 岡野「これ、リンゴすったヤツ。食えるか?」 ちはや「今眠ったところだから……」 岡野「じゃ、ここに置いとくぜ。起きたら食  わせてやんな」 ちはや「いつから具合悪かったんだろう。私、  ちっとも気が付かなくて……」    目にいっぱい涙を浮かべているちはや。 ちはや「私、悔しい。どうして私、こんなに  何にも知らないんだろう。こんなに何にも  出来ないんだろう」    涙を拭うちはや。    答えられない岡野、立ち尽くす。 124.銀行・ロビー(昼)    一人場違いの岡野、ふんぞり返って座    っている。    番号を呼ばれ、窓口に行く岡野。 女子行員「お待たせ致しました、岡野京介様。  全額解約で、こちらが現金になります」    どん、と窓口に差し出された札束。 女子行員「どうぞお確かめ下さい」    食い入るように札束をみつめる岡野。 女子行員「あの……?」 125.アケボノ金融のある貸しビル    紙袋をしっかりと脇に抱えてやって来    る岡野。決意の面持ちで見上げ、ビル    内に入っていく。 126.アケボノ金融・事務所内    札束と辞表を前に、深々と頭を下げて    いる岡野。    呆気にとられている浜田。 浜田「お前、どうしちゃったんだよ。なんで  お前が借金の肩代わりまでする義理があん  だよ」 岡野「お願いします! 何も言わずに受け取  って下さい!」 浜田「何も言わずに、ってよォ」    辞表を指でつまむ浜田。 浜田「こっちはまあ、話はわかったよ。お前  が考えて決めたってんなら、無理には止め  ねェよ。けど、この金はなァ……」 岡野「なんか、マズイっすか」 浜田「社長が出張から帰ってきたら、俺なん  て説明すりゃいいんだよ」 岡野「兄貴が持ってきたって言やいいじゃな  いスか。回収できりゃ、社長だって文句は  ないでしょ」 浜田「うーん……」    と、悩みながらも札束を数え始める浜    田。 浜田「……足りねェ」 岡野「は?」 浜田「足りないよ、これじゃ?」 岡野「い、幾らっスか」 浜田「六万」 岡野「そ、それくらい……」    首を横に振る浜田。    ポケットを探る岡野、財布から有りっ    たけの金を出す。 岡野「これで、有り金全部っスよ」 浜田「(数えて)あと二万」 岡野「……くっそォ」    懐から出刃包丁を抜く岡野。クルクル    とサラシを外し始める。    ぎょっとする浜田。 浜田「お、おい待て、早まるな」    出刃包丁を札束の上に置く岡野。 岡野「俺の魂も置いてきますんで、これでど  うにかお願いします!」 127.飛田家・居間    テーブルの上に置かれた領収書。    身を乗り出してみつめている一同。 岡野「別にくれてやるわけじゃないからな。  出世払いで返してもらうぜ、坊主」 耕平「岡野さん、俺……」    困惑の表情の耕平、領収書を押し返そ うとする。 耕平「困る。こんなの受け取れるわけない」 岡野「バカだな、坊主。借金がなくなったわ  けじゃねェんだぞ。債権者が俺になっただ  けのこった。もたもたして返さねーと、俺  が取り立てに現われるからな」 耕平「でも……」 岡野「坊主、覚えとけ。突っ張るばかりが男  じゃねーぞ」 ちはや「良かったね、耕ちゃん!」    無邪気に喜ぶちはや。    眉間にしわを寄せて岡野をみつめてい    るアキラ。    岡野、アキラの視線から目をそらす。 岡野「(わざとおどけて)あっ、重大ニュー  スだ。俺、サラ金辞めたからよ。これがホ  ントの脱サラってヤツだな」    顔を見合わせる耕平、ちはや、アキラ。 岡野「サラ金辞めて脱サラか、うまいこと言  うじゃねーか、俺」    自分の駄洒落に一人で笑いながら、居    間を出て行く岡野。 128.同・岡野の部屋    風呂敷に下着や着替えを包んで、荷造    りしている岡野。    その頭にコン、と紙くずが当たる。    振り向く岡野。    アキラがじっと見ている。 岡野「俺はくず入れじゃねーぞ」 アキラ「……どうして?」 岡野「ま、男心に男が惚れたってヤツかね」 アキラ「よく持ってたわね、あんな大金」 岡野「店持つつもりだったって言ったろ。金  だけは真面目に貯めてたんだよなあ」 アキラ「料亭の夢、あきらめたの?」 岡野「バーカ、あきらめちゃいねェよ」 アキラ「だけど……」 岡野「実家に戻って、修行しなおすことに決  めたんだ。あの頑固オヤジ説得するのに手  間かかりそうだけど、ま、なんとかな」 アキラ「……出てくんだ」 岡野「借金の切れ目が縁の切れ目、ってな」    にやっと笑って荷造りを続ける岡野。    声がかけられず、その背をみつめるし    かないアキラ。 129.同・玄関 岡野「お前らも頑張れよ」    風呂敷包みを背負って、耕平の頭をく    しゃくしゃに撫でる岡野。    別れを惜しむ子供たちの背後から、複    雑な表情で見ているアキラ。    岡野がふと顔を上げて、アキラを見る。    どきりとするアキラ。 アキラ「な……なに?」 岡野「遊びに来いよ、お姉ちゃん」 アキラ「え?」 岡野「あんたに俺の板前姿見せてやるからよ。  待ってるぜ」 アキラ「……バカ」      ×  ×  ×    岡野が去ったあと。 ちはや「行っちゃったね……岡野さん」 アキラ「遊びに来いよ……って、場所がわか  んなきゃ遊びになんか行けるわけないじゃ  ない」    ふいっと背を向け、階段を上がってい    くアキラ。 130.同・アキラの部屋    気が抜けたような明、入ってくる。    ぺたんと座り、ポルノ小説を手に取る。    ぱらぱらとページをめくる。本の間に、    しおりのように何か挟まっている。    『料亭・岡野』の住所と電話番号が書    かれたメモである。    アキラの顔、苦笑が浮かぶ。 131.同・キッチン(夜)    沈んだ雰囲気の夕食の席。    スプーンを弄びながら、ぼんやりと物    思いに耽っているアキラ。ほとんど料    理にも手をつけていない。 アキラ「……ごちそうさま」    食器を流し台に片付け、出て行くアキ    ラ。    顔を見合わせるちはやと耕平。ちはや    が席を立ち、後を追う。 132.同・アキラの部屋    階段を上がってきたちはや、アキラの    部屋のドアを開ける。    段ボールに荷物をまとめているアキラ。    凍りつくちはや。 ちはや「……出て行っちゃうの?」 アキラ「ちィ……」 ちはや「どうして!? イヤだよ!」    アキラにすがりつくいちはや。    耕平も現われ、ドアの所で立ち尽くす。 ちはや「ねえ、どうして!?」 アキラ「あのバカチンピラだって、自分の道  みつけて頑張ろうとしてんのよ。あたしも  もうちょっと、頑張ってみようと思う」 ちはや「だからってどうして出て行くの」 アキラ「ごめんね。ここにいると、あんた達  に甘えちゃう」    ちはやを抱きしめるアキラ。 アキラ「ほんとに、ゴメン……」 133.飛田家・玄関(早朝)    制服姿のちはやと耕平。    登校する二人を、見送るアキラ。 アキラ「あんた達がガッコ行ってる間に出て  くから。また新しい家族、雇いなよ。今度  はもっと、マシなのをさ」    わざと明るく振舞うアキラ。 ちはや「イヤよ。私のお姉さんはアキラちゃ  んだけよ」 アキラ「あたしの妹もちはやだけよ」    今にも泣き出しそうなちはや。アキラ    に背を向ける。 ちはや「……行ってきます」 アキラ「耕平。ちィを頼んだわよ」    しっかりと頷く耕平。 134.中学校・屋上(昼)    昼休み。    フェンスに寄りかかって、ぼんやりと 校庭を眺めている耕平。    時折風が強く吹いて、髪をなびかせる。 ちはやの声「……耕ちゃん」    振り向かない耕平。 耕平「(前方をみつめたまま)いいのかよ。  学校で話すと、からかわれるから嫌だって  言ってただろ」    耕平のすぐ横に並ぶちはや。同じよう    に校庭を見下ろす。 ちはや「そんなこと、もうどうでもよくなっ  ちゃった」    眼下の校庭では、同級生たちがドッジ    ボールに興じている。    いつまでも校庭を眺めている二人。 135.飛田家・居間(夜)    ガランとして静まり返った家の中。    家中の電気が消えていて、真っ暗。    キッチンからだけ明かりが漏れている。 136.同・キッチン    テーブルに二人きりで向き合って座っ    ているちはやと耕平。お揃いのマグカ    ップから湯気がたちのぼっている。 ちはや「私、ケンカばっかりしてる両親から  逃げたかった」    マグカップに目を落としたまま、呟く    ちはや。 ちはや「でも、不思議だね。今はもう、どう  でもいいの」    両手をマグカップで温めながら、ちは やの声に耳を傾けている耕平。 ちはや「笑わないでね……生きてくのってさ。  一生かかってピースを集めてくジグソーパ  ズルみたいな感じ。正しいピースを見つけ  ては、自分の居場所を作っていくの。全部  でいくつ見付けたら完成するのかわからな  いけど、最初のひとつはもう見付けた」 耕平「……?」 ちはや「耕平は私の、正しいピースでしょう?」    静かに微笑むちはや。    ちはやと耕平、どちらからともなくお    互いに手を伸ばす。    二人の手が触れ合う直前。    玄関でチャイムが鳴る。    はっとして顔を見合わせる二人。 ちはや「アキラちゃんが帰ってきたのかも」 137.同・玄関    勢いよくドアを開けるちはや。 ちはや「アキラちゃん!?」    だがドアの向こうに立っていたのは、 ちはやの両親である。 ちはやの父「何してるんだ、こんな人様の家  で!」    あとずさるちはや。    踏み込んでくる父親。 ちはやの父「来なさい!」 ちはや「いや!」    家の中に逃げ込むちはや、追う父親。 138.同・居間    物音に飛び出してきた耕平、揉み合う      ちはやと父親に遭遇する。 ちはやの父「来なさい、帰るんだ!」 ちはや「いや、絶対イヤ!」    ちはやの腕を掴んで、ひきずり出そう    とする父親。 ちはや「耕ちゃん!」 耕平「!」    ちはやを取り戻そうと、跳びかかる耕    平。だが父親にあっけなく振り払われ    る。 ちはや「やめて! 耕平を殴らないで!」    すぐに飛び起き、再び父親に掴みかか    る耕平。    だが、今度こそ強い力で振り払われ、    派手に吹っ飛ばされる。    よろけた反動でネオンテトラの水槽に    激突し、水槽が倒れる。    あッ、となり抵抗を忘れるちはや。    しばし動けない耕平。    水浸しの床。    散らばって喘いでいるネオンテトラ。    横倒しになった水槽。      ×  ×  ×    表から車の走り去る音、聞こえる。    誰もいなくなった家の中、一人取り残    された耕平は濡れた床に座り込んだま    ま動けない。    最後のネオンテトラが息絶える。    呆然として見ていた耕平、ぎゅっと唇    を噛んで立ち上がる。 139.夜の路上    自転車で疾走している耕平。 140.川嶋家・表    自転車を道端に乗り捨て、息を切らし    て家のドアを叩く耕平。    チャイムを幾度も鳴らすが、内側から    鍵が掛かっている。家の窓からは明か    りが洩れているが、誰も出てこない。    庭に入り込む耕平。二階の窓にも明か    りがついている。 耕平「川嶋……!」    二階の窓が開く。ちはやが顔を覗かせ    る。    肩で息をしながら、見上げる耕平。 耕平「十年経って大人になったら、俺たちま  た家族になろう!」    ちはやの顔、部屋の奥に引き戻される。    別の手が乱暴に窓を閉め、しゃっとカ    ーテンも閉じられる。    窓の下に立ち尽くしたまま、長い間見    上げている耕平。    いつまで待っても、再び開く気配のな    いカーテン。    横倒しになった自転車を起こす耕平。    ハンドルが曲がっている。    自転車を押して、夜道を一人帰って行    く耕平。 141.飛田家・居間(昼)    運送屋の手によって、次々と運び出さ    れていく引越し荷物。    することもなく、手持ち無沙汰にそれ    を眺めている耕平。    目の前を、水槽が運ばれていく。 142.同・外景    引越し屋のトラック、コンテナを閉じ    て走り去る。    手にボストンバッグを持った耕平、っ    じっと家をみつめている。    家の前に停まっているタクシーの中か    ら、母・洋子が身を乗り出して呼ぶ。 143.走るタクシー車内    後部座席からいつまでも振り返って見    ている耕平。    飛田家があっという間に遠ざかってい    く。    洋子がアメを差し出すが、首を横に振    って、シートに深く身を沈める耕平。    タクシーが川嶋家の前を通り過ぎる。    二階の窓辺に立ち、こちらを見ている    ちはや。    思わず車窓にへばりつく耕平。    だが、タクシーはそのまま走り去る。 144.無人の飛田家・居間    家具がぽつんと運び出され、ガランと    して殺風景な家の中。    何も無い家の中に、ひとつだけぽつん    と忘れ去られた、青い縁の金魚鉢。 145.同・外観    住宅街の一角に佇む家。    その壁に、轟音を立てて巨大な鉄球が    めり込む。    ガラガラと崩れていく家。    ショベルカーが乗り上げる。 146.冒頭からの続き    ほとんど取り壊しが完了した家。ただ    の廃材の山と化し、あとは整地を待つ    ばかりである。    作業員も撤収し、ショベルカーも今は    無人で、動いていない。    女子大生ふうの娘、ぼんやりと跡地を眺    めている。    腕時計を見て、歩き出す娘。 147.放課後の中学校    クラブ活動の生徒たちが校庭を駆け回    っている。    佇んで懐かしげに見ている娘。 148.小公園    自転車置き場や植え込みなどを、ひと    つひとつ見て歩いている娘。    ブランコに乗り、小さく漕ぎ始める。    キキーッ、とブレーキの音。自転車が    止まる。    振り向く娘。顔が輝く。 娘「遅いよ……待ちくたびれたよ」    自転車に乗った青年、苦笑する。 青年「悪い、遅くなった」    満面の笑顔で自転車に近寄る娘。 娘「お帰り……耕ちゃん」 149.路上(夕方)    自転車に二人乗りしている娘と青年。    金魚鉢を胸に抱えている娘。    二人の乗った自転車、夕暮れの町を行    く。 青年「それ持って不動産屋回るのかよ?」 娘 「記念品だよ?」 青年「もっとましなの買ってやるよ」 娘 「イヤ、これがいいの」 青年「お前の部屋に置けよな」 娘 「そうだ、岡野さんとアキラちゃんの結  婚祝い、どうしよう?」    などなど、他愛のないことを話しなが    ら進んでいく自転車。    その後姿、段々と小さくなって。               (終)