「Luv(sic) part2ラヴ・シック パートツー」   山下達也 (作者の連絡先
第23回(平成22年)大伴昌司賞 ノミネート賞受賞作



【梗 概】

 「孤独っていうのはな誰かに消してもらうんやない。音楽や。孤独は音楽で消すんや」
 (脚本本文より) 

 あの頃の僕たちはまだ、本当の意味での孤独を知らなかった。
 悲しみも寂しさも切なさも、すべて誰かと分け合えばいいのだと、そう思っていた。
 
 人にはどんなにしても埋まらない溝があるということ。
 あるいは、それは、埋まってしまってはいけない溝なのかもしれないということ。
 そして、その溝を染み入るようにして音楽は流れるのだということ。
 長く暗い孤独の果てに、僕たちはようやくそのことに気づいた。 

 これは、僕と雄治の「あの頃」の物語である。














【登場人物】
ヤマシ(19)
フジ子(18)

太郎(20)
桃子(19)
有栖(19)
呉(19)

TA(24)
中華料理屋の店主(56)
雇われ爺(70)
お好み焼き屋の店長(32)
望月(22) 
雄治のバイト先のギャル(17)
片言の日本語のフィリピン人/タクシーの運転手/修学院ガイド/病院看護婦/松風閣従業員数人/三条通り行人数人
生田(なまた)さん(33)
山田さん(24)
大倉さん(25)

雄治(19)



1 シナリオ誌
     某新人賞一次選考結果のページ、通過者の作品と名前が連なっている。

2 ヤマシの部屋(現在、夜)
     ヤマシ(25)、その名前の羅列を目で追っている。
     × × ×
     ヤマシ、大きくため息。
     × × ×
     壁に貼られた一枚の紙に選考待ちの各新人賞の名前が書かれてある。
     ヤマシ、某新人賞の上に大きく「×」と書く。他の新人賞ほとんどに「×」印がついている。
 T   「2009年 東京」
     × × ×
     ヤマシ、ふっと一枚の写真に目をやる。真夏の海辺をバックに男女七人が写った写真。
     ヤマシ、それを手に取り、しばらく眺める。写真には破れた跡があり、製図用のドラッフィングテー
     プで裏から雑に修復されている。写真中央やや右に六年前のヤマシ。視線はカメラの方ではなく、
     左隣にいるフジ子に奪われている。フジ子は、はちきれんばかりの笑顔で太郎と肩を組んでいる。
     その左に呉と有栖。逆サイド、ヤマシの右隣に桃子。そして最右端に雄治が不貞腐れた顔で写っ
     ている。
     下に、砂文字で「2003年夏@セブ島」とある。
     ヤマシ、もう一度大きくため息をつく。
     × × ×
     ヤマシ、ペラに何やら書いている。
ヤマシのM 「(ペラを読み)雄治、卒業してからずいぶんと会ってないけど、元気にしてるか? この間こっ
     ちでみんなと集まることがあって、久しぶりにフジ子に会ったよ。太郎とはそのまま続いているらし
     い。結婚するんじゃないかな。いや違うよ。今更未練なんてないさ。ただ、フジ子の奴、俺に真剣な
     顔して言うんだ。
     ヤマシ、お願いやからちゃんとご飯食べてね、って。
     俺、そんな痩せたのかな?
     その言葉が痛くってさ、何か俺、死にたくなった。
     何やってんだろうな。
     フジ子に心配されちゃ終わりだろ?」
     ヤマシ、そこまで書いてペンを止め、ふっと遠くを見やる。
ヤマシのM 「なあ、雄治、俺、あれから何も変わってないよ」
     水の音が聴こえてくる。
     そこに女の黄色い声が重なり、さらに瓶の割れるメリッという鈍い音。

3 プライベート・プール(六年前、夜)
     プールサイドに緑色の瓶片が散らばり、黄色い液体が流れ出す。雄治(19)、手に割れ残ったハイ
     ネケンの瓶のネック部分を握っている。
     フィリピンの海辺のリゾートペンションのプライベートゾーンの一画。シルヴィ・バンタンの『イレシス
     ティブルメント』が爆音でかかっている。プールサイドに置かれたテーブルパラソルにヤマシ(19)と
     雄治が座っている。
 T   「2003年 フィリピン」
雄 治 「なんでや!」
ヤマシ 「……」
     ヤマシ、雄治を気にすることなく、ハイネケンの瓶をすすっている。
     プールの方から黄色い声、――桃子(19)である。
桃 子 「ねえ、ちょっと返してよ。早く、じらさないでよ、ねえお願い」
     桃子は太郎(20)にべったりとくっつき、太郎の胸にあるビーチボールをとろうとしている。それを傍で、
     有栖(19)と呉(19)が囃し立てる。
太 郎 「あかん、あかん、桃ちゃん、もっと胸寄せて。もっとおねだりしてくれな返さへん」
桃 子 「何よ、もうさっきから何度もやってるじゃない。(でも言われるがままに)返してください。お願いします」
     再び衝撃音、――雄治が残りのネック部分を投げ捨てた。
雄 治 「アホが! アイツらの何がおもろいんや。格好ばっかりつけてる奴らに色目なんか遣いやがって」
     桃子たちは、雄治のことなど全く気にしていない。
     さっきからクロールで何度もプールを往復している女がいる、――フジ子(18)である。とても綺麗な
     フォームで静かに水をかいている。
     ヤマシ、しばらく見とれている。
雄 治 「おい、お前、人の話聞いてんのか?」
ヤマシ 「ああ?」
雄 治 「へっ」
     雄治、汚く笑い、無言になる。
     相変わらず、爆音のダンスミュージック。
雄 治 「この音楽、前もどっかでかかってたな、……せや、ニセコにスノボー行ったときや、……へへっ、
     安臭い! ジャンクフードみたいな音楽や」
ヤマシ 「……」
桃 子 「ねえヤマシ! そんなとこ座ってないでこっちおいでよ!」
     桃子はまだビーチボールを取り返そうとはしゃいでいる。
ヤマシ 「……」
雄 治 「おい、御指名や」
ヤマシ 「いいよ」
桃 子 「ちょっとヤマシ!」
     太郎はビーチボールを高くに上げ、桃子はほとんど太郎に抱きついている。さらに黄色くなる桃子
     の声。
雄 治 「(大きくため息をつき)俺、やっぱりあかんのかなあ。あんな笑顔見せられたら悲しなってくるわ。
     何で振り向いてくれへんのや」
ヤマシ 「……」
     × × ×
     フジ子はようやく足を付けた。
ヤマシ 「(ボソッと)六〇〇」
雄 治 「あ? 何がや?」
ヤマシ 「いや」
     ヤマシ、フジ子を見ている。
雄 治 「お前まで俺のこと馬鹿にするんか?」
ヤマシ 「え? 何の話だよ」
雄 治 「へっ。とぼけやがって」
     × × ×
     雄治、去っていく。
雄 治 「踏んで怪我すんなよ」 
     ヤマシ、雄治を目で見送る。
     ペンションのスタッフらしいフィリピン人の女が太郎らに近づき、腕時計を見せながら片言の日本
     語で何か言っている。
桃 子 「時間だって。延長料金かかるみたい」
太 郎 「金か、金やったら何ぼでも払たる」
     フィリピン人の女に桃子が通訳する。
     ヤマシ、舌打ちし、プールサイドの方を見やる。
     フジ子、隅の方で目を洗っている。
     ヤマシ、じっと見ている。

4 ペンション(夜)
     机の上に大量の空き瓶がある。
     太郎と桃子は両手を握り合ったまま絡み合うようにソファーで寝ている。太郎の唇には桃子の口
     紅がべっとりとついている。
     雄治は、ロフトの上で一人ヘッドフォンをつけ、不貞腐れたように焼酎を四合瓶ごとすすっている。
     有栖、そんな雄治をちらちらと気にしながら、空き瓶を整理している。
     呉は、辺り一面にトレーシングペーパーに描いたエスキーススケッチをばら撒いて、『カーサ』を顔
     に掛け寝ている。
     フジ子、じっと一人窓の外を見ている。
     そこに、ヤマシ、トイレから出てくる。
有 栖 「ヤマシ、大丈夫?」
ヤマシ 「ああ。なんだよこれ、ひどいな(と太郎と桃子を顎で指す)」
     ヤマシ、ちらりと雄治を見る。
     雄治、音楽に入り込んでいる。
     有栖、軽く首を振る。ヤマシ、頷く。
     ヤマシ、呉の顔にある『カーサ』を取り上げようとすると、呉はうなされたようにもがく。
 呉   「(寝言)ファサードが弱いんだよな」
ヤマシ 「遊びに来てまで建築かよ」
     ヤマシ、机にある水を飲む。
フジ子 「(窓の外を見ながら)ねえヤマシ。星、見えるかな?」
ヤマシ 「え?」
フジ子 「ここからじゃ木が邪魔でよく見えんのよね。ちょっと外に見に行かん? 有ちゃんも」
有 栖 「あ、あたしはいいや。片付けとく。ヤマシ、行ってきなよ」
ヤマシ 「うん」
フジ子 「ヤマシ、行こ。他所じゃきっと見れんよ」
     フジ子、切なげに太郎の方を見ている。

5 プライベート・ビーチ(夜)
     椰子並木を歩いていくフジ子とヤマシ。
     × × ×
     並木を過ぎると、一面に星空が広がる。
フジ子 「わあ、すごいすごい。あんなに星」
ヤマシ 「ああ(といまいち表情を作りこめられない)」
フジ子 「みんなお酒なんか飲んで寝て絶対損しとるよ。お酒はいつでも飲めるんよ」
ヤマシ 「ふふ、そうだね」
フジ子 「ねえ、流れんかな?」
ヤマシ 「え?」
フジ子 「流れ星」
     × × ×
     ビーチにしゃがみこみ流れ星を待っている二人。
フジ子 「流れないね」
ヤマシ 「うん」
     × × ×
     寝転がっている二人。
フジ子 「……ねえヤマシ?」
ヤマシ 「うん?」
フジ子 「永遠って何やろう?」
ヤマシ 「ええ? どしたの急に? あ、恋でもした?」
フジ子 「ううん、そんなんやないけど。永遠に誰かのことを想ってたいっていう気持ちってどうやったら続
     くんやろう。魔力っていうのかな、いつの間にかどんどんどんどん薄れていきよるやない?」
ヤマシ 「魔力?」
フジ子 「そう。人が人に感じる魔力。それが無くなったら死んでるのと同じ」
     ヤマシ、フジ子を見る。フジ子、遠い空の向こうを見ている。
フジ子 「高校のとき付き合っとった人ね、私がね、大学進学で地元離れるからって別れたんよ。同窓会と
     かあったら、今まで通り変わりなく会えると思っとったの。でも、この夏ね、向こう帰って、会ったん
     やけど、もう全然……。昔二人で行った場所とか一緒に歩いても全然違うんよ。あの人の着ぐるみ
     着た別人が横にいるみたいで……(と言葉につまる)」
ヤマシ 「(慌てて言葉を探し)どんな人だったの?」
フジ子 「すごい無骨な人やったよ。野球部やってね、よく野球の試合見に行ったりしとったんやけど、野球
     の試合とか、ほんとベンチに座って見て帰りが一緒なだけとかそんなんやったのに……」
ヤマシ 「そう」
     フジ子、頷き、切なげな眼差しで空を見上げる。
フジ子 「……ああいうときが一番よかったんかもね」
ヤマシ 「え?」
フジ子 「もう思い出は思い出。結局私はあのときの感触にずっと包まれてたかっただけなんよね。それがな
     くなるのが寂しくて、その感触をいつまでも特別扱いしてたかっただけ。残骸だけが残って中身は私の
     中から消えて行きよった」
ヤマシ 「……」
フジ子 「♪ タイムマシーンはこない……」
     チャラの『タイムマシーン』を口ずさむ。
ヤマシ 「……」
フジ子 「永遠って実は一番退屈なもんかもしらんね」
ヤマシ 「フジ子……」
     そのとき夜空に閃光が走る!
     フジ子、咄嗟に目を瞑る。
フジ子 「……(小さな祈り)」
ヤマシ 「?」
フジ子 「(目を開けて)流れよった」
     フジ子、じっと空を見ている。
     ヤマシ、フジ子の横顔を見ている。

6 同(翌朝)
     フジ子が砂文字を書いている。
     桃子と太郎がカメラをセットしている。
     雄治はいじけるように波と戯れている。
     × × ×
桃 子 「みんな集まって。あと十秒だから」
     一同、フジ子が書いた砂文字の前に集まる。雄治は一人まだ水辺にいる。
ヤマシ 「おい、早くしろよ」
     × × ×
     雄治、仕方なしに桃子の隣にいく。
     一同、ポーズを決め兼ねている。
太 郎 「フジちゃん、肩組もっか?」
フジ子 「ええ?」
     太郎、自信満々にフジ子の肩に手を回す。フジ子、咄嗟にそれに乗る。
ヤマシ 「!」
     × × ×
桃 子 「もうすぐ」
     ヤマシ、呆気に取られている。
     シャッター音、――例の写真である。
     × × ×
     シャッターの後の、一同の緩んだ様子のカット。打ち寄せる波音が続く。

7 鴨川デルタあたり(時間経過、夕)
     石畳に流水がぶつかり、小さく水しぶきをあげる。複数のカップルたちが、等間隔に川べりに座って
     いる。
 T   「2003年 京都」
     その上にかかる橋を、二台の自転車が走っていく。雄治とヤマシである。
雄 治 「ここまで来てもうたら、もうあと中華料理屋しかないで」
ヤマシ 「ああ、いいよ、それで」

8 中華料理屋・外観(夕)
     自転車が溢れかえっている。

9 同・内(夕)
     カウンターだけの店。満席である。
     店主(56)と雇われ爺(70)の二人で切り盛りしている。
店 主 「(中華鍋を片手に)おい爺さん、はよせんかい。こっちまだ水出とらんで」  
     雇われ爺、黙々と言われるがまま水を運ぶ。
店 主 「それ終わったら次餃子や。もたもたしてたらあかんねやで」
     雄治とヤマシ、特に会話もなく、ボッと水を飲んでいる。
     × × ×
店 主 「(嘘の笑顔で)はい、お待ったさんですー。餃定とAランチ」
     雄治、ヤマシ、受け取り、黙々と食べ始める。しばらく無言である。
店 主 「おい爺さん、何遍言うたらわかるんや。今度こっちの人水出とらへんがな」
     雇われ爺、水を運ぼうとする。
     店主、中華玉で雇われ爺の背中を殴る。
ヤマシ、雄治 「!」
店 主 「これ今日何遍目ですか?」
     雇われ爺、なおも水を出そうとするが、
店 主 「(それを制し)爺さん、俺、何遍目やゆうて聞いてるんや、答えんかい?」  
雄 治 「(舌打ちをし)おい、お前はよ食え!」
ヤマシ 「え?」
     雄治、ささっとご飯やら餃子やらをかき込む。

10 雄治のアパート・階段(夜)
     階段を昇る二人。雄治が先頭である。
雄 治 「あんなとこで飯なんて食うてられるか。あのおっさん気違いやで」
ヤマシ 「何も残さなくても」
     部屋前に辿り着き、雄治、鍵を開ける。
雄 治 「食いもんより、金より、大事なもんがあるやろが!」
ヤマシ 「!」
     雄治、中に入る。
ヤマシ 「(まだ外で、反射的に)んだよ!」

11 同・内(夜)
     全体的に家具が低く配置されている。照明も薄暗い寒色系の部屋。
     雄治、煙草に火をつけ、一服すると、コンポでCDをかける。ツーパックの『ミー・アゲインスト・ザ・ワ
     ールド』が流れ出す。
     × × ×
     雄治、冷蔵庫から缶のハイネケンを二本取り出し、一本を地べたに座り込んでいるヤマシに渡す。
     ヤマシ、受け取る。
雄 治 「落ち着くんや、この曲な」
     ヤマシ、無言のまま、CDジャケットを手に取る。
     × × ×
     雄治、椅子に座りゴクゴクと飲みながら、
雄 治 「俺、旅行から帰ってから桃子にもう一遍会うて、お前のこと好きや言うたんや」
ヤマシ 「また告ったのかよ?」
雄 治 「またって何や?」
ヤマシ 「いんや」
雄 治 「旅行のときはわざと喋らんようにしてたけど、もう我慢でけへんようになってしもてな。俺、アイツ
     がおらなもうあかんねや。アイツがどんなけ他の奴らと一緒に居てもな、俺は好きやて思うてしま
     うんや」
ヤマシ 「……」
雄 治 「アイツ言うとったわ。今は将来のこととかちゃんと考えなあかん時期やって。アイツ親、建築士や
     ろ? それなりにやってたら道はあるはずなんや。せやのに自分のことは自分で考えようとしてな、
     インテリアコーディネーターの資格とる勉強してるらしいわ。そんなん聞いたら切ななってきてな、
     アイツのそんな気持ちとか全部受け止めたい思てしまうんや」
ヤマシ 「……」
     雄治、缶を高く上げて、最後の一滴を流し込んでいる。
雄 治 「ああ、何か手持ち無沙汰やな。映画でも見るか?」
ヤマシ 「何かあるのか?」
     × × ×
雄 治 「(差し出して)『戦場のピアニスト』、昨日ツタヤで借りてまだ見てないんや」
ヤマシ 「それ聞いたことある」
雄 治 「ナチスの話や」
ヤマシ 「そうなんだ……、でもいいや」
雄 治 「そうか。別に俺もたいして興味ないけどな、……そうそう、アドルフ・ヒトラーって本当は画家にな
     りたかったんやってな」
ヤマシ 「そうなの?」
雄 治 「ああ、らしいで。もしも画家になってたら歴史は少し変わったかも知らんな」
ヤマシ 「何で今そんな話するんだよ」
雄 治 「いや、へへっ、縁がなかったんやろな」
ヤマシ 「……」
     雄治、冷蔵庫からもう一本ハイネケンを取り出し、プルリングを開ける。

12 大学・製図室(時間経過、夕)
     大教室に製図台が並ぶだけの部屋。皆、好き勝手にダンボールで縄張りを作って模型の制作を
     している。ヤマシ以外、スタジオの全員がいる。
     × × ×
     ヤマシが入ってくる。
     太郎と呉が、今頃何しに来たんだよ、という目で見ている。
フジ子 「(悪戯っぽい笑顔で)あれ、ヤマシ遅かったね」
ヤマシ 「ああ、普通に寝坊した」
     フジ子、笑う。
ヤマシ 「課題発表された?」
フジ子 「うん、先生怒っとったよ」
ヤマシ 「え、まじで?」
フジ子 「嘘。気にもしてなかった」
ヤマシ 「そっか(笑)。それで?」
フジ子 「(プリントを渡し)ミースの習作、写真美術館だって」
ヤマシ 「ミース?」
フジ子 「ミース・ファン・デル・ローエ」
ヤマシ 「(思い出したように)ああ」
     プリントには、「課題:ミースの作品を各自研究した上で、その習作として、写真美術館を計画せよ。」
     と書かれている。
ヤマシ 「サンキュ(と自席へ去ろうとし)」
フジ子 「あ、ヤマシ、これ」
     フジ子、一枚の写真を渡す。
     ヤマシ、受け取り、ぱっと見てすぐ目から離す。例の写真が現像されたものである。
ヤマシ 「サンキュ」
     × × ×
     自席に着いたヤマシ。しばらく写真を見ている。後ろで桃子と太郎が喋っている。桃子、また甲高
     い声で笑っている。雄治、さっきから何度も接着剤で壁を貼り付けようとしているが、思うように行
     かず、挙句「ああ」と唸って叩き壊してしまう。
     雄治、諦めてヤマシのところへ。
雄 治 「おい(と煙草を出しながら合図)」
ヤマシ 「ああ、すぐ行くよ」
     雄治、外へ出る。桃子がちらちらと見ている。
桃 子 「はー、やっとどっか行った。さっきからうーとかあーとか檻の中の動物じゃあるまいし」
太 郎 「まあまあ」
     ヤマシ、隠すように引き出しに写真をしまいこむ。

13 同・外非常階段踊り場(夕)
     そこは古びた椅子が並べられ、簡易の喫煙所になっている。
雄 治 「何やってもうまくいかへんわ。桃子ともぎこちないしな」
ヤマシ 「そうやって不貞腐れてるからだろ?」
雄 治 「へへ。そうかそうか、全部俺が悪いんか」
ヤマシ 「誰もそんなこと言ってないだろ」
     製図室の方から桃子の甲高い笑い声が聴こえてくる。
     雄治、咄嗟に欄干で煙草を刷り消して、
雄 治 「あの声や。無性に殺したくなるんや」
ヤマシ 「……」
雄 治 「へへっ、アイツだけ周波数違うんかな。他の女の声は全然気にならんのにな」
ヤマシ 「……」
     そこに、フジ子が顔を出して、
フジ子 「ヤマシ! もうそろそろ行かんとあかんよ」
ヤマシ 「ええもうそんな時間」
フジ子 「うん。五時半。先行っとるよ」
ヤマシ 「うん。すぐ追いかけるよ」
フジ子(声) 「(もう去って)うーん!」
雄 治 「学相のアレか?」
ヤマシ 「ああ、いま丁度修学旅行の時期なんだよ」
雄 治 「ほう。それにしてもお前ら仲ええのお」
ヤマシ 「(嬉しげに)そうかな」
雄 治 「(馬鹿にして)兄弟か」
     ヤマシ、笑顔である。
     雄治、ちらっと横目にそれを見る。
雄 治 「さ、俺もそろそろバイトや。最近高校生のギャルが入ったんや。ぴちぴちしとるわ。俺らももう年
     やな」

14 同・自転車置き場(夕)
     フジ子が隣の自転車に絡まったペダルを取ろうとしている。
     ヤマシ、近づき、隣の自転車を押さえてやる。
フジ子 「ありがと。話、終わりよったん?」
ヤマシ 「さあ、いつもの話だよ。全く、桃子、桃子って」
フジ子 「あの人もしつこいよ。あれじゃ桃子も可愛そうやわ」
     ペダルはまだ抜けない。
ヤマシ 「アイツは不器用なんだよ」
フジ子 「ヤマシはようあんなんに付き合ってられんね」
ヤマシ 「腐れ縁だよ、高校からの」
フジ子 「意外と義理深いんやね」
ヤマシ 「義理かぁ、義理じゃないと思うけど。まあ長く付き合ってたら色々あるんだよ……(と何かが頭の
     中をよぎった様子)」
     ペダルが抜けた!
フジ子 「(時計を見)ちょっと急がんと」
     ヤマシ、走り出すフジ子を見送りながら――、

15 ヤマシの回想・病院前ロータリー(八年前、深夜)
     タクシーが坂道を昇る。
 T   「2001年 大阪」
     後部座席にヤマシ(17)。
     × × ×
     運転手に何度もお辞儀をし、タクシーを降りるヤマシ。病院の方へ走っていく。
     × × ×
     ヤマシ、中へ入ろうとしたとき、外の喫煙所にしゃがみ込んでいる雄治(17)を見つける。
      × × ×
雄 治 「(遠くを見つめ)今朝も電話で親父と喧嘩したとこや。そのまま何も言わんようになってしもた」
     ヤマシ、ゆっくり雄治の背中をさする。
雄 治 「へへっ、くそったれ人生が!」
ヤマシ 「……」

16 鴨川べりの道(夕)
     等間隔に並ぶカップルを横に、フジ子の自転車が走り、その後ろをヤマシの自転車が追いかけて
     いく。

17 松風閣・表(夜)
     二校の高校の歓迎看板が並ぶ。

18 同・厨房(夜)
     裏口から階段を下りてくるフジ子とヤマシ、「おはようございます」と厨房を通りかかる。
     アルバイトの大倉さん(以下、大倉)(25)と山田さん(以下、山田)(24)が、おざなりな挨拶で迎える。
     ヤマシとフジ子以外全員(八人)が制服である。
     料理長の名札をした生田さん(以下、生田)(33)が時計に目をやりながら、
生 田 「……(不満そう)」
     × × ×  
     二人が更衣室の方に去って――、
生 田 「アイツら舐めとるわ。学生の分際で」
山 田 「(茶化して大倉に)最近やっと毛はえてきたらしいで」
大 倉 「どんなけ遅いねんな」  
     と二人内輪で盛り上がっている。
生 田 「(不満そうに)はよ、準備せー」

19 同・厨房(少しの時間経過)
     制服姿のヤマシとフジ子、全部で十人になる。フジ子以外は全員男である。
生 田 「今日は二校の修学旅行。鍋は全部で四十五台。制限五分。はい、始め!」
     ピーという生田の笛の合図とともに、大倉、山田ペアが白菜を切り、それらが調理台にばら撒かれ
     る。アルバイト各自、その白菜を適量ずつ分けていく。ヤマシとフジ子もベテランのアルバイトに倣う。
     × × ×
生 田 「(ヤマシとフジ子に)お前ら遅いわ」
     ムッとした顔のヤマシに対し、フジ子は愛嬌のある笑顔で「すいません」と応じる。
生 田 「(つられて)早くやって頂戴ねー(と作り笑い)」
フジ子 「はーい(満面の笑み)」
生 田 「お前、余所見せんとはよやれ!(とヤマシに当たる)」
ヤマシ 「……はい」

20 仲居の仕事をモンタージュとして
     修学旅行生たちが、すき焼きをつつく傍で、アルバイトたちがご飯のお替りの給仕をしている。ただ
     作業をこなすだけのアルバイトとは違って、フジ子だけは生徒たちと打ち解けている。
     × × ×
     布団のベッドメイク。大倉、山田がぱぱっとこなす横で、まだ不器用にしかできないヤマシとフジ子。

21松風閣・厨房(夜)
     賄いの光景。すき焼きである。瓶ビールも数本空いている。生田は、フジ子の分を取り分けてやり、
     他のアルバイト無視でフジ子とだけ喋っている。フジ子、嫌な素振りも見せず応じている。
     隅の方で遠慮がちに食べているヤマシに、大倉が肉を入れてやる。
大 倉 「食え、食え。食えるとき食うとかな、家帰ったら、こんな肉食えへんで」
山 田 「そうそう。お前、耐えたね」

22 同・廊下(夜)
     フジ子とヤマシ、「女子仮眠室」前まで来る。
フジ子 「着いた」
ヤマシ 「ああ」
フジ子 「女子仮眠室(とプレートを読む)」
ヤマシ 「うん」
フジ子 「と言っても、私一人」
ヤマシ 「そっか、……一人だとちょっと広すぎる?」
フジ子 「うん、ちょっとね。でも気ままにのんびりできる。私のセカンドハウス」
ヤマシ 「なるほど……」
     後ろから大倉と山田が歩いてくる。
大 倉 「なんやお前ら、こんなとこで逢引か?」
ヤマシ 「いや、そんなわけじゃ」
大 倉 「コイツ、照れとるわ」
山 田 「カップルでバイトか。最近の学生は、隅に置けんな」
大 倉 「いや、自分も学生やん」
山 田 「せやったせやった。でもあれ? 大倉君、今年何年目やっけ?」
大 倉 「やかましいわ。自分もたいして変わらんやん」
山 田 「(フジ子に)この人、もう後あらへんからな」
フジ子 「そうなんですか?」
山 田 「八年目、八年目、四回留年や」
大 倉 「やかましい」
     フジ子とヤマシ、傍目に笑っている。
     × × ×
大 倉 「ほな、邪魔したな」
ヤマシ 「あ、いや、僕ももう」
大 倉 「もうええんか。おやすみのチューはせんでええんか?」
ヤマシ 「だからそんなんじゃ」
     ヤマシ、フジ子、顔を見合わせる。
フジ子 「じゃ、私行くね。また明日。(自分に言い聞かせるように)四時半起き」
ヤマシ 「うん。じゃ」
     フジ子、軽く手を挙げ部屋に入る。
大 倉 「聞いたか? コイツ、『うん。じゃ』、やって」
山 田 「さぶー(と大げさに身体を震わせ)」
     大倉、山田、走り去る。
     ヤマシ、立ち止まったまま、一人小さく笑い、ちらりと「女子仮眠室」の方を見やる。

23 同・女子仮眠室(夜)
     フジ子、化粧を落とし終わり、窓の傍まで行く。
     夜風にあたりながら感傷に浸る。

24 同・男子仮眠室(夜)
     大倉と山田とヤマシがいる。大倉と山田の私物が山のようにあるが、整理はきちんとされている。ラ
     ックには、大倉のレコードがぎっしりつまっている。一組のターンテーブルがあり、大倉はそれでシン
     ゴツーの『ラヴ(シック)パートツー』をかけている。
     山田、二段ベッドの上で携帯をいじっている。ヤマシ、カートリッジの針先を見つめている。
大 倉 「なんや、お前オトに興味あんのんか?」
ヤマシ 「いや、そういう訳じゃないですけど。この曲いいなって」
大 倉 「分かるか?」
ヤマシ 「ええまあ、専門的なことはよく分かんないですけど」
大 倉 「へへ、専門的なことなんて別にどうだってええんや。お前の心に響いたかどうかの話や」
ヤマシ 「……はい」
     山田、嘲笑してふっと笑う。
大 倉 「俺もこれ最初聴いたときは衝撃やったわ。なんとも言えんメロウな感じがな」
     × × ×
     大倉、ラックからイヴァン・リンスの『クアウケー・ジア』を取り出し、
大 倉 「これが元ネタのレコードなんやけどな、これネタに使ったその感性はもう天才としか言いようがない
     わ」
     ヤマシ、とりあえず頷いている。
山 田 「お前、今分かってないのに適当に返事したやろ?」
ヤマシ 「いや、そんなんじゃ」
山 田 「知らんで。お前、大倉君キレさしたらやばいんやで」
大 倉 「え? 何の話?」
山 田 「(茶化して)え? ZIMA」
大 倉 「(吹き出して)あれか。何を急に言い出すかと思ったら。まあええけど」
ヤマシ 「?」
山 田 「ふふっ、この人、本気で頭殴りよったしな。ぱっかー血噴き出して。ポリも焦っとったで。示談で済
     んだからよかったものの、あれじゃ前科ついてもおかしないな」
大 倉 「昔の話や」
ヤマシ 「どういうことですか?」
大 倉 「昔付き合っとった女の浮気相手や。耐えられんかったんや。それでZIMAの空瓶でな(と殴る仕草)」
ヤマシ 「……」
大 倉 「あの頃はまだ孤独いうのが分からんかったんや」
     大倉、音楽を止める。
大 倉 「孤独っていうのはな誰かに消してもらうんやない。音楽や。孤独は音楽で消すんや」
ヤマシ 「……」
     山田、「マジなってるで、この人」とひそひそ笑っている。
大 倉 「でも、考えたら本当の意味でDJ目指すようになったん、あれがあってからかも知らんな」  
     ヤマシ、止まったレコードを見ている。

25 明けて早朝のアルバイト、モンタージュとして
     目覚ましが鳴り、ヤマシ、山田に叩き起こされる。
     × × ×
     厨房に制服で集合し、朝礼を始める。
     × × ×
     起床してきた生徒たちが、朝食を食べにやってくる。一同、迎える。
     × × ×
     下げた食器の洗い物、布団シーツの取替えなどを済ませ、最後、ゴミをまとめて、アルバイト一同、
     一人ひとつずつゴミ袋を持って、厨房から勝手口への階段を昇る。
     一同、外の光を浴び、
フジ子、ヤマシ、大倉、山田 「……(太陽を見上げて感無量)」
     × × ×
     普段着に戻ったフジ子、ヤマシ、大倉、山田、勝手口前で別れる。大倉、山田、別々の方向へ。フジ
     子とヤマシ、立ち止まったまま欠伸をし合う。

26 大学・製図室(時間経過、昼下がり)
     呉が床一面に新聞紙を広げ、仰々しく模型用のスタイロに白スプレーをかけている。呉以外は誰もい
     ない。
     そこにヤマシが入ってくる。
 呉   「ヤマシ、そこ歩かないで!」
     ヤマシ、舌打ちしわざとその新聞を踏んでいく。
 呉   「おい!」
     ヤマシ、無視して自席へ。呉はヤマシが踏んだ部分の新聞をわざとらしく払い、新しいものに交換す
     る。
 呉   「(聞こえるように)土が付いたら命取りだよ」
     ヤマシ、相変わらず無視で、『ミース・ファン・デル・ローエ』の本を広げ読み始める。
     非常階段の方から雄治が入ってくる。
雄 治 「おお、お前、来とったんか」
     雄治は、目を真っ赤に充血させて、足取りが覚束ない状態で歩いてくる。
ヤマシ 「どうしたんだよ、そんな赤い目して」
雄 治 「ああ、昨日からずっと徹夜や。急にイメージ浮かんでな、それ形にしようとしてたら丸一日かかっても
     うたわ」
     その途中、何かを蹴ったような鈍い音!
     雄治、呉のスタイロを蹴った。故意に。
 呉   「!」
ヤマシ 「!」
雄 治 「邪魔や!」
 呉   「(雄治の胸倉をつかみ)おい、お前、何やってんだよ」
雄 治 「ああ?」
 呉   「ああって、お前、自分が何してるか分かってんのかよ。模型だぞ」
雄 治 「それがどないしたんや?」
 呉   「(少し怯んで)どないもこないもないよ。お前らと違ってこっちはこれに命かけてんだよ」
雄 治 「(つかみ返し)アホ言うな、このスカタンが! 命なんて言葉軽々しく使うな。これの何が命やねん?」
     雄治はさらにスタイロを踏みつける。直方体だったスタイロが凸凹になるまで何度も踏みつける。
 呉   「おい、お前……」
雄 治 「お前らと違って命やて。笑わすな!」
     呉、しゃがみこみ、凸凹になったスタイロを手に取り上げ、泣き出す。
雄 治 「へっ」
     雄治、ヤマシと目が合う。
ヤマシ 「……」
     そのとき、外から声――、桃子である。
     桃子、有栖、太郎、フジ子がコンビニの袋を片手に喋りながら入ってくる。
桃子、太郎、フジ子、有栖 「!」
桃 子 「(事情を察して)何したのよ? あんたでしょ?(と雄治に責め寄る)」
雄 治 「……」
桃 子 「ちょっと、自分のしたこと分かってるの? もう信じられない、最低、クズよ!」
雄 治 「……」  
     桃子、太郎たちの方へ駆け寄り、
桃 子 「アイツ、ほんと人間としてクズよ!」
フジ子 「ちょっともう考えられんのやけど(と雄治を睨みつけ自席へ)」
     有栖、無言のまま、散らかったスタイロを拾い集める。
     太郎、泣きじゃくっている呉の上体を起こす。
雄 治 「アホが!」
     と近くの製図台を蹴り、再び非常階段の方へ出て行く。ヤマシ、見ている。
     × × ×
太 郎 「(何とか呉を席に戻し)呉ちゃん、もう一回最初から作ろうよ、な? みんな手伝うから。がんばろうよ。
     こんなんまたすぐできるよ」
桃 子 「ちょっともう冗談じゃないよ。アイツ、やることなすこと全部キモいし、人の模型に手出すとか、一体何
     なのよ!」
     有栖は集めた新聞やスタイロを呉の製図台の下にそっと置く。  
桃 子 「だいたい昨日からろくに作業もしないのに製図室に張り付いてさ、桃子、桃子って。ただの構ってちゃ
     んじゃない」
フジ子 「あの人、常人やないよ。狂っとるわ」
     とヤマシを睨み見る。ヤマシ、気まずそうに、非常階段の方へ。

27 同・外非常階段踊り場(昼下がり)
     雄治、煙草を吸っている。
     ヤマシ、近寄る。
雄 治 「俺、完全に桃子に嫌われてもうたな。クズやて。へへっ。俺、そんな悪いことしたんかな?」
ヤマシ 「……ずっと製図してたって?」
雄 治 「ああ……、神が舞い降りて来たんや」
ヤマシ 「は?」
雄 治 「スタディ、家でずっと考えとってな、でもなかなかイメージ付かんくて。そんでちょっと寝たんや。そし
     たら何や頭の中でモヤモヤ考えてたもんが一気に繋がったんや。ホンマにあるんやな、夢で潜在意
     識が出てくるいうやつ。嘘や思うやろ? でもホンマの話や。人間そればっかり考えてたら神が舞い
     降りてくるんや」
ヤマシ 「それで、出来たのか?」
雄 治 「そっから製図室来て一気や。見るか?」
ヤマシ 「ああ、うん、後で見るよ」
     雄治、不満そうに煙草の火を消す。
ヤマシ 「……どうして、呉が作ったやつあんなふうに?」
雄 治 「へっ、お前なら分かってくれる思たけどな」
ヤマシ 「何だよ、それ。アイツだって時間かけてアレ作ったわけだろ?」
雄 治 「心外やな。お前までアイツの肩持つやなんて」
ヤマシ 「そういう訳じゃないけど」
雄 治 「なあ?」
ヤマシ 「うん?」
雄 治 「アイツにとったら、作るんも壊すんも一緒なんとちゃうんか? 皆の前で見せびらかすように作って、
     それ今度皆の前で見せつけられるように壊されたら本望やろが。壊されてしょげているとこ皆に見せ
     付けて、アイツ今頃内心笑とるで。汚い奴や。俺一人悪者や」
ヤマシ 「いずれにしても桃子は呆れてたよ」
雄 治 「せやろな。しゃあないな、呆れんほうがおかしいわ」
ヤマシ 「……」
雄 治 「でもな、本当は呆れるか呆れへんかが問題やないんや。仮にな、桃子が人殺したから言うて、それ
     で俺桃子のこと嫌いになったりすんのかな?」

28 同・製図室(少しの時間経過)
     雄治は製図室のソファーで鼾をかいて寝ている。
桃 子 「家帰って寝ればいいのに!」
太 郎 「呉ちゃん、もう一回がんばろうよ。今まで皆で一緒にやってきたやん。こんなことで建築家なる夢あ
     きらめんのもったいないやろ? こんなときやからこそ立ち直らな。将来設計しておじゃんになること
     なんていっぱいあるんやから」
フジ子 「もうこんなん私やってられんよ」
     と机を叩き、太郎のところへ。
太 郎 「!」
フジ子 「太郎の言うことは確かに正論やけど、呉ちゃんだって、バイトして自分でお金作って材料とか買っとる
     んよ。そんなん許されるんじゃないんよ!」
太 郎 「でもフジちゃん、今は呉ちゃん立ち直らせることが先決やん」
フジ子 「そんなんじゃないんよ。そんなのって理屈じゃないんよ。太郎はいつもそう、理屈ばっかりこねくり回し
     て、人の気持ちってそんなんじゃないんよ」
桃 子 「フジちゃん?」
フジ子 「ヤマシ、どうせ製図なんてせんでしょ? ちょっと外出て、自転車でどっか行こう。こんなところでやっ
     てられんよ」
ヤマシ 「(周りを見回して)……うん」
太 郎 「ちょっと、フジちゃん!」
     とヤマシを睨む。
ヤマシ 「(目を反らし)……」
フジ子 「太郎には関係ないよ。とにかく今日はこの部屋はうんざり(と出て行く)」
     ヤマシ、後を追う。
太 郎 「フジちゃん!」
     ドアが閉まる。

29 階段(昼下がり)
     フジ子を追いかけるヤマシ。
フジ子 「私、ああいうの耐えられんのよ」
ヤマシ 「……」
フジ子 「あんな風に何もかも許されていくのって」
ヤマシ 「いつになく頭に来てるね?」
フジ子 「あ、ごめん、迷惑やった?」
ヤマシ 「いや」
フジ子 「(頷き、再び階段を下りる)……」
ヤマシ 「……(口元が綻ぶ)」

30 府立植物園(昼下がり)
     フジ子とヤマシ、チケットを買う。 
     × × ×
     水辺のプロムナードを行く二人。
     × × ×
     芝生を走る二人。小学生たちから誤って飛んできたボールをフジ子が投げ返す。
フジ子 「(的確に飛ばず)ごめーん」
     × × ×
     レストハウスで椅子に腰掛けジュースを飲みながら二人話している。日が暮れて、人はだいぶと掃け
     ている。
フジ子 「私、現実逃避願望があるのかもしれん」
ヤマシ 「現実逃避願望?」
フジ子 「時々、日常がとても退屈になる。そして逃げたくなる」
ヤマシ 「……」
フジ子 「ねえ、『恋人までの距離(ディスタンス)』って映画知っとる?」
ヤマシ 「ううん、知らない。洋画?」
フジ子 「そう、イーサン・ホークが出とるやつ。ヒロインの女の人名前なんやっけ? すごい綺麗な人なんよ」
ヤマシ 「どんな映画?」
フジ子 「知らない男の人と女の人が電車で偶然出会ってね、それから夜通しウイーンの町をデートするんよ。
     でもお互い住む場所も別々で、次の日の朝電車が出発するまでに二人は別れなければいけない。期
     限付きの恋人なんよ」
ヤマシ 「……それで?」
フジ子 「それでって、名前も知らん二人が一日だけの恋人やよ、すごいロマンチックやない?」
ヤマシ 「うん(よくわからない)」
フジ子 「映画の中で二人はずっと会話をしとるの。自分の日常とか、生い立ちとか、他愛もない話から、環境
     問題、芸術、愛、死なんていうテーマまで。でもその会話の一つ一つがね終わりを知っとるんよ」
ヤマシ 「終わり?」
フジ子 「明日の朝になったらすべてが覚めてしまう。夢は覚めて現実に引き戻される。二人はその夢の感触を
     胸のどっかに保存したまま明日から別々の場所で別々の時間を生きんといかんのよ」
ヤマシ 「夢の感触ねえ」
フジ子 「そう、言ってみればユートピア」
ヤマシ 「ユートピア?」
フジ子 「ユートピア。私にとって建築はね、ひとつのユートピアなんよ。現実的には、人が快適に住む空間さえ
     作っとればそれで事足りるやない? でもそれだけじゃきっとつまらんよ。欠落、……私らって何かいつも
     ポッカリと欠けたまま生きとるでしょ? もしもそれを建築の中にユートピアとしてこめることができたら……」
ヤマシ 「なるほど……、そのユートピアが欠落を埋めるんだね」
フジ子 「そう、私はきっとそのユートピアを探しとるんよ」

31 フジ子のアパート・前(夕)
     ヤマシとフジ子、自転車で帰ってくる。
ヤマシ 「じゃあ、また後でバイトで」
フジ子 「うん、……あ、ヤマシ?」
ヤマシ 「うん?」
フジ子 「私らってこのままバイト続けてていいんやろうか?」
ヤマシ 「え、どうしたの?」
フジ子 「時々虚しくなるんよね。あそこ居とる時間はそれなりに楽しいし、お金も入るけど、でも何か……」
ヤマシ 「フジ子……」
フジ子 「ごめん、何でもない。悩んだって仕方のないこと。ごめんね」
ヤマシ 「いや」
フジ子 「じゃまた後で」
     × × ×
     フジ子、「106」と書かれた寂れたドアに鍵を差し込む。軽く手を挙げ中へ入っていくフジ子。ヤマシも
     軽く手を挙げて応える。
     キーという音を立ててドアが閉まる。狭い玄関口、階段踊り場のコインランドリー、いつ塗られたか分か
     らない欄干のペンキの鈍色。ヤマシ、しばらく見送って、再び自転車をこぎ始める。

32 鴨川にかかる橋(夕)
     ヤマシ、憂鬱な表情で川面を眺めている。

33 フジ子のアパート・コインランドリー(夕)
     フジ子、コインを入れ蓋を閉じる。
     × × ×
     フジ子、洗濯機に凭れかかり、その振動に身を委ねる。

34 松風閣・大部屋(夜)
     修学旅行生たちのすき焼き。忙しそうな様子。フジ子、一気に何個ものお替りを頼まれ、持てずに困
     っている。そこにヤマシがトレンチを差し出し、フォロー。

35 同・廊下(夜)
     バイト上がりのフジ子とヤマシ。
フジ子 「今日は忙しかったね」
ヤマシ 「何かね」
フジ子 「サッカー部かなんか知らんけど、お変わりしすぎなんよ」
ヤマシ 「あのデブだろ? 茶碗もっと大きいのくださいって」
     × × ×
     「女子仮眠室」に近づく。
フジ子 「(後ろを見ながら)今日はあの二人来ないね?」
ヤマシ 「ああ。ワールドで女引っ掛けるって、踊りに行ったよ」
フジ子 「タフやね」
     二人、無言になる。微妙な視線の応酬。 
フジ子 「……ちょっと寄ってく?」
ヤマシ 「え? あ、……いいの?」
フジ子 「うん、どうせ誰もおらんし」
ヤマシ 「……」

36 同・女子仮眠室(夜)
     窓際で夜風に当たり、一息つく二人。
フジ子 「……ヤマシはどうして建築やろうと思ったん?」
ヤマシ 「建築やろうと思った理由かあ……」
     としばらく考えている。
ヤマシ 「別に建築である必要はなかったんだけど」
フジ子 「え?」
ヤマシ 「何かさ、うまくは言えないんだけど、俺にもあるような気がしたんだよ」
フジ子 「……」
ヤマシ 「他の人のさ、こう心を熱くするような何か、俺にもあるような気がしたんだ。それが具体的に何なの
     かは俺にもよく分かってないんだけど、そうだからそれが建築かどうなのかも分かんないんだけど。
     でもとにかくぶつけてみようと思ったんだ。建築ならぶつけられるかなって」
フジ子 「私もちょっと似とるかも。太郎とか桃子とは違う。皆ちゃんと目的もって大学を選んで入って来とる
     けど、私は何となくで、はっきり何がしたいのかは正直わからんのよね」
ヤマシ 「でもさ、建築やってるたって、どうせ建つはずもない建築の模型ばっか作ってるだけで、自由っちゃ
     自由だけど、その自由さの中に時々自分が消えちゃいそうになるよ」
フジ子 「ヤマシ……」
     フジ子、ヤマシに共感し、ふっと心を奪われそうになる。が、
フジ子 「ユートピア」
ヤマシ 「え?」
フジ子 「私の中にそれさえあれば、私はどんな人生だってきっと生きていける」
ヤマシ 「……(フジ子を見ている)」
フジ子 「生きていける。(自分を納得させるように頷き)♪ もう片方の切れはしを探しに行くところ……恋人
     はもういない時代は戻らないよね  タイムマシーンはこない……」
     チャラを歌うフジ子。ヤマシ見ている。

37 大学・製図室(夜)
     製図室には全員揃っている。
     ソファーでは雄治が鼾をかいて寝ている。
     ヤマシは例の本を読んでいる。有栖、図面を見ながら、ミースのバルセロナパビリオンの模型をそ
     っくり真似て作っている。それを呉と太郎が訝しげに見ている。
 呉   「有ちゃん、ずっとバルパビの模型作ってるよ」
太 郎 「ああ、バルセロナパビリオン? ミースの」
 呉   「うん。確かに課題はミースの習作だけど、あれじゃ習作じゃなくてただの模倣だよ」
     有栖、作業に没頭している。太郎、それを見送って周りに目を向け、
太 郎 「てか久しぶりに皆揃ってるし、気分転換、皆で一杯行かへん?」
 呉   「うん、そうだね」
フジ子 「うん、行こう行こう。ねえヤマシ?」
ヤマシ 「ああ」
太 郎 「(不満そうに)桃子も行くよな?」
桃 子 「うん、行く」
太 郎 「有ちゃんも」
有 栖 「あたしはいいや。これやってる」
太 郎 「そう。じゃ行く人は行こう! あ、誰か雄治起こしたって」
     誰も起こしに行かない。
     × × ×
     結果的にヤマシが行く羽目に。
ヤマシ 「おい、雄治! 雄治!」
     雄治、涎を垂れている。

38 アップル・バー(時間経過、夜)
     奥の席に太郎、フジ子、桃子、手前に雄治、ヤマシ、呉がその順に並ぶ。
     呉がミースの功績の『自由な壁』について延々と語っているが誰も聞いていない。
 呉   「……バルパビだってそう。自由な壁があんな流動的な空間を生み出したんだ。すごいよ、あの存
     在感、圧倒されるよ」
雄 治 「おい、お前実際見たことあんのか?」
 呉   「え? いや、無いけどさ、無いけど分かるんだよ」
雄 治 「見てもないのに何でわかるんや?」
ヤマシ 「おい、やめとけよ!」
雄 治 「受け売りの知識だけで偉そうなこと抜かしやがって!」
 呉   「違うよ、本物の建築は写真で一目見ただけで分かるんだって。ホント」
     雄治、舌打ちし、あからさまに呉に背を向ける。
 呉   「何だよ!」
太 郎 「まあまあ。それはそうとさ、他のスタジオとか皆どんなん作ってるんやろう?」
 呉   「葛西スタジオはなかなか面白そうなのがあったよ」
太 郎 「葛西?」
 呉   「そう、あれ誰だっけな、いつも二人でいる、佐々木じゃないや、佐藤だっけな?」
桃 子 「え、誰? ひょろっとしてる方?」
 呉   「ひょろっと、二人とも痩せ身だしな」
太 郎 「分かるよ、アイツらやろ? いつも授業で前の方座ってる」
 呉   「そうそう」
太 郎 「そんな名前なんてどうでもええやん。どうせアイツら入れ替わってもたいして変わらへんねやし
     (爆笑)」
     フジ子、太郎を睨む。一同、笑っていない。呉だけが、愛想笑いをしている。 
桃 子 「(合わせて)そうね。確かに影薄いもんね?」
     雄治、舌打ちをする。
太 郎 「作る奴に存在感ないんやから、作る建築もどうせたいしたもんちゃうで。二人とも。ははは」
ヤマシ 「そうとは限らないと思うけど」
太 郎 「どないしたんな、そんな真剣な顔して」
ヤマシ 「いや別に。ただ建築で何者かになろうって連中が集まってるのに、建築じゃなくその人間の存在
     感を問題にするのはどうかなって」
太 郎 「どしたんな、ヤマシ、今日はやけに鞭撻やん。そらそうかもしらんけど、でもヤマシがそんな向き
     になることでもないやん」
ヤマシ 「……アイツらにだって名前はあるんだよ!」
太 郎 「(怯んで)そんな怒らんでも。何も本気で言ってる訳じゃ、冗談やん。冗談」
ヤマシ 「そうかな」
     気まずい沈黙が場を包む。桃子が店員に水を二つ頼んだりする。
太 郎 「じゃあ、ヤマシに聞くけどさ」
     一同、太郎の方を見る。
太 郎 「建築で何者かになりたいって言うけど、ヤマシはどうなりたいわけ? 俺、ヤマシともう半年同じ
     スタジオいるけど、正直言って俺は、建築で何者かになろうっていう情熱、ヤマシから感じたことな
     いんやけど」
ヤマシ 「……」
フジ子 「ちょっと、太郎、もう酔っとるよ(と店員が運んできた水を渡す)」
太 郎 「(それを払いのけて)酔ってへん。こんなん水みたいなもんや。はーい、ちょっとお変わり持ってき
     て(と店員に酒を注文する)、……今日はとことん聞かしてもらおうや。ヤマシの建築への情熱を」
     一同、心配そうにヤマシを見ている。
ヤマシ 「俺は別に……そんな何か特別人に言うような情熱があるわけじゃないよ」
太 郎 「じゃそのヤマシの言う言葉にも説得力なくなるわ。俺はな、高校のときに建築家になるって決めた。
     将来、一級取って事務所開いて、それだけが確実にある。だからそこから逆算して、大学を選んで、
     二浪もして今ここにおる。でもヤマシの場合、建築もそこそこバイトもそこそこで、建築の為にバイト
     してるってそれなら分かるけどそんなふうには見えへんし」
ヤマシ 「……どれをとってどれを捨てるとかじゃないよ。今の俺にとってはさ、全部大事なんだ、どれがどうい
     う意味があるかは、分かんないけどさ。でもそうやってるうちに何かが見つかるっていうか」
太 郎 「何かって何?」
ヤマシ 「分かんないよ、そんなの。だから探して」
太 郎 「あー、結局そこや! 偉そうなこと言うて結局そこや。肝心な部分がまるでない、そのくせ人のことに
     ケチをつける」
ヤマシ 「……」
太 郎 「自分に何もないからや!」
雄 治 「おい!」
太 郎 「何もないから、その不満を人にぶつけてるんや。いいか? (指差して)お前はただ人に認められたい
     だけや。分かってもらいたいだけや。要するに、お前は心が弱いんや!」
一 同 「!」
ヤマシ 「(何も言い返せず)……」
フジ子 「(ヤマシを見ている)……」
     ヤマシ、視線に耐えられず、視線を落とす。
雄 治 「(ヤマシの方に手を添え)いや、お前はお前でやってる思うで。(ビールを少し飲み)ああ、酒がまずいわ」 
     と言い、舌打ち。座り直して、大きくため息を吐くと、グラスの中身を太郎の顔目掛けてかける。
一 同 「!」
太 郎 「(怯んで)へー何なん。えー! うわ、もうびしょびしょやん」
雄 治 「お前の言ってることは正しいんかもしらんけどな、世の中それだけやないんや。お前に親の金なかっ
     たら何が残るんじゃ!(おしぼりと財布から千円札を投げ)クリーニング代に使えや。おい、お前行くぞ
     (とヤマシの腕を持ち上げる)」
     ヤマシ、それを拒み、自力で立ち上がり、すたすたと行ってしまう。
     雄治、後を追う。フジ子、見ている。
太 郎 「うわ、この服高かったのに。千円て。こんなんでクリーニング足りるかいな、なあ?(と桃子に)」
桃 子 「アイツ、暴力に訴えることしか知らないのよ(と言いつつもしっくり来ない感じで)」
     太郎はおしぼりで濡れた衣服を執拗に拭いている。
     どうすることも出来ず座っているフジ子。

39 同・外(夜)
     階段を上がっていくヤマシとそれを追いかけてくる雄治。
雄 治 「おい! ちょっと待てや」
     ヤマシ、無言で自転車のところまで行って、立ち止まる。泣きそうである。
雄 治 「あんな奴にお前のことなんかわかるか?」
     ヤマシ、涙をこらえて、階段を見ている。
雄 治 「あんなチンカスみたいな奴」
     ヤマシ、諦めたような顔。階段からは、雄治の他に誰も昇ってこない。
雄 治 「おい、お前?」
ヤマシ 「……(こらえて)悪い、帰るわ」
     と急いで自転車に鍵を差し込み、走り去る。
雄 治 「おい!」
     雄治、疑問そうな顔。誰も昇ってこない階段を見ている。

40 東大路通り車道(夜)
     空いた車道をヤマシの自転車が走っていく。ペダルはフル回転である。
     溢れ出る思いをスピードに変えて……、交差点、黄信号、飛び込んで、鴨川にかかる橋へ。
     交差点を渡り終え、急ブレーキをかける。橋上に一人、ヤマシが佇む。頬に涙が伝い落ちる。

41 松風閣・厨房(時間経過、夜)
     制服姿のヤマシが入る。
フジ子 「ああ、ヤマシ」
ヤマシ 「(小さく)ああ」
     そこに大倉と山田が近寄ってくる。
大 倉 「なんや、お前今日元気ないやんけ?」
ヤマシ 「いや」
山 田 「ホモに振られたんやろ?」
大 倉 「ほんまか」
ヤマシ 「いや」
山 田 「図星や、図星」
大 倉 「ま、掘られんで済んだやんけ」
山 田 「そうそう、耐えたね」
     フジ子、相槌を打つように笑いながらもヤマシを気にしている。

42 同・廊下(夜)
     ヤマシとフジ子が歩く。無言である。
     「女子仮眠室」の前にさしかかり、
フジ子 「じゃ、また明日」
ヤマシ 「ああ、うん」
フジ子 「おやすみ」
ヤマシ 「ああ、おやすみ」
     フジ子、ドアを開けて、目も合わせず足早に部屋に入る。
     ヤマシ、何か求めるような目で、フジ子の入った後を茫然と見ている。

43 同・女子仮眠室(夜)
     フジ子、携帯で電話をしている。
フジ子 「うん。……わかった。……すぐ行く」  
     フジ子、強張った表情のままゆっくりと電話を切る。その後で小さく灯る笑顔。

44 同・男子トイレ(夜)
     ヤマシ、物思いに耽りながら小便をしている。その時、窓の外に、勝手口から抜け出していく一人の女
     の姿が目に入る。
ヤマシ 「!」
     フジ子だ! 
     × × ×
     ヤマシ、排尿が済んで、窓の方へ。フジ子を目で追いかける。
     フジ子、携帯を握り締めながら、小走りに駆けていき、やがて視界の外へ。立ち尽くすヤマシ。

45 同・男子仮眠室(夜)
     ヤマシ、入室する。
     薄暗い部屋で、大倉がイヴァン・リンスの『クアウケー・ジア』を元ネタにDJプレイをしている。
     山田、ヤマシに気づいて、缶ビールを挙げ会釈。ヤマシも片手を挙げ応じる。
     大倉、ある快感に導かれて、イッているように乗っている。
     山田も身体を揺らしてリズムに浸っている。
     × × ×  
     いつの間にか、ヤマシも缶ビール片手に乗っている。
     大倉のプレイがあるピークに達する。
     やがてオルガスムを迎えて、プレイは終わる。
大 倉 「おお、戻っとたんか?」
ヤマシ 「はい」
山 田 「大倉君の、なかなかヤバイやろ? 素人目でも分かるやろ?」
ヤマシ 「はい。何か、ホントすごい(完全に魅了されている)」
山 田 「何やお前、初めてジェットコースター乗った小学生みたいにアップアップなってるやんけ」
     ヤマシ、吸い込まれるような目で針先を見ている。
大 倉 「(その視線に気づき)こっち来てみ」
     大倉、ヤマシにヘッドフォンを渡す。ヤマシ、それを装着して――、
大 倉 「まずこっち側のオトを鳴らすやろ? それ聴きながら今度こっち側のオトをこれ(ヘッドフォン)で聴い
     て、それでピッチを合わしていくんや」
     ヤマシ、試してみる。
大 倉 「テンポが同じなったら、少しずつフェーダーをずらしてミックスする」
     ヤマシ、言われた通りにプレイしてみる。
ヤマシ 「なるほど、……これってどう繋げてもいいんですか?」
大 倉 「タブーはあらへんけどな、……でもどうしても次に欲しいオトいうのがあるんや。それは今鳴ってる
     オトのトーンなりテンションなりで変わってくるんやけど。最高の繋ぎしたときいうのはな、ここ(と自分
     の胸を押さえて)がピリッと痛むんや、けどどことなく優しい気持ちになってな、自分の中にある熱いも
     んがブツブツと湧き上がってきて、自分も周りにいる人間も皆包み込んでるようなそんな感覚になるん
     や」
ヤマシ 「……」
大 倉 「要はそういう繋ぎができるようになったら、一丁前や、それがお前にしか鳴らせへん音楽いうことになる
     んや」
ヤマシ 「(頷いて)音楽」
大 倉 「そうや! でもな、音楽って言うても何でもいいんや。お前のやってる建築なんかにもそういう音楽的な
     部分ある思うし、絵でも、詩でも構へん。何かの哲学者が言うとったな、『すべての芸術は音楽に帰結す
     る』いうて。要はその音楽を自分の中に持つことや。生きてるとな、どうしようもないことってあるやろ? 
     どうしようもないことは全部その音楽で埋めるんや」
     ヤマシ、再び音を重ねてみる。
     大倉、ヤマシを見ている。
     しばらくして、後ろで着信音が鳴り出す。
     × × ×
山 田 「(受話している)あ、ほんま、じゃ、ちょっとだけ行くわ。……うん、はいはい、ほな(と切る)」
大 倉 「女け?」
山 田 「子供寝たからちょっとなら会えるって」
大 倉 「そうけ」
ヤマシ 「山田さんって子供いるんですか?」
山 田 「ああ、アホか。こんな俺がどうやって養えるんやねん」
ヤマシ 「?」
大 倉 「女の方の子供や」
ヤマシ 「ああ……」
山 田 「そういうこと。ま、正直、悔しい部分あるけどな。でもきっと俺、アイツのこと好きやな。ま、お前にわかる
     には百年早いわ。お前らの年はひたすらこれや(と親指を中指と薬指の間に挟んで)。ヤリ倒した挙句に
     俺の境地に立てる。ほな、大倉君ちょっと行ってくるわ」
大 倉 「ほいっす」
     ヤマシ、会釈。山田、出て行く。
     ヤマシ、止まったままのターンテーブルを見ている。

46 大学・製図室(夜)
     電気の消えた製図室。誰もいない。 
     女の喘ぎ声が聴こえる。ソファーの上で男女が絡み合っている。雄治だ。
     半裸の雄治はギャル(17)の下着の中を手で濡らしている。
     ギャルは狂ったように声を張り上げ出す。
     雄治、いたたまれない表情でその手を止める。
ギャル 「どうして?」
雄 治 「……いや」  
     雄治、そのまま起き上がって、煙草を吸い始める。
     ギャル、不満そうに雄治にしがみつく。
     そのとき、ドアが開く音。
雄 治 「!」
     電気が付く。
     「キャ」という声、――フジ子である。
フジ子 「ちょっと何しとるん?」
     フジ子の後ろには太郎がいる。太郎は、雄治と顔を合わせるなり、すぐに目を反らし、威厳を見せるよう
     に自席へ。
     ギャルは慌てて服を着出す。
雄 治 「(半裸のまま煙草を吸い)あれ、フジ子、今日バイトやったんちゃうんか?」
フジ子 「あ、うん、そうやけど。ちょっと、あの、製図の道具取りに来たんよ」
雄 治 「一緒にか?」
フジ子 「別に。何でもいいけど、ちょっとはよ服着てよ」
雄 治 「へへっ、これ一本吸ったらな」
フジ子 「だいたいこの部屋禁煙やしね(と自席へ)」 
     太郎、ちらちらと雄治を見ている。
     雄治、大きく煙草を吐き出す。

47 同(時間経過、昼)
     「提出まであと10日」と黒板に書かれている。一同、スタディ模型に専念している。ヤマシは製図をせず
     例の本を読んでいる。
 呉   「太郎、今日先生来るらしいけど、エスキース出す?」
太 郎 「うん、一応最終チェックだけしてもらおうかな」
 呉   「そうだね。まあ、今からプラン変更とか言われてもどうしようないけどね」
太 郎 「ああ」
 呉   「(有栖に近づき)有ちゃんはそれ、バルパビだよね? そんなの作ってどうするの?」
有 栖 「あ、これはスタディ」
 呉   「スタディって、それ、ミースの作品じゃん?」
有 栖 「そうだけど。ミースのことを知るなら、まずミースの建築を自分で作ってみるのが一番かなって」
     ヤマシ、聞き耳を立てている。
 呉   「じゃ、提出作品はこれから作るの?」
有 栖 「まあ」
 呉   「そんなの絶対間に合わないよ。早くそんな模型やめて、自分の作品に取り掛かったほうがいいよ」
雄 治 「(自席から)おいお前、やかましいんじゃ。人のやってることに茶々入れんな」
 呉   「いや、俺はただ……」
雄 治 「何や?」
 呉   「いや、何も」
     有栖は何も言わず作業を続ける。  
     ヤマシ、本越しにそんな有栖を不思議そうに見ている。

48 同・外非常階段踊り場(昼)
ヤマシ 「もういい加減、呉に突っ込むのはやめとけよ」
雄 治 「いや、俺は別に何もしてへんよ。ただアイツが俺をムカつかせるんや」
ヤマシ 「桃子もきっとうんざりしてるよ」
雄 治 「へへっ、おかげ様であれ以来一言も口聞いてくれへんようになったわ。これが自業自得いうやつか」
ヤマシ 「当たり前だよ」
雄 治 「いやいや、桃子はええ女やで。他の女とは血統が違うんや」
ヤマシ 「桃子は犬かよ?」
雄 治 「へへっ」
     しばらく会話がなくなる。
ヤマシ 「有栖、最近変だよな?」
雄 治 「何がや?」
ヤマシ 「アイツろくに休憩もしないで、ずっと模型作って」
雄 治 「ああ。でもそんな時もあるんとちゃうか?」
ヤマシ 「何か知ってるのか?」
雄 治 「いや……(と何かを考えながら)、その気なったら人間狂いもするわな」
ヤマシ 「どういう意味だよ?」
雄 治 「さあな、俺には関係のないことや。へへっ。あ、話変わるけど、女ってあっけないもんやな?」
ヤマシ 「何が?」
雄 治 「この間バイト先のギャル引っ掛けてな、製図室のソファーでいちゃついとったんや」
ヤマシ 「ああ、それで?」
雄 治 「あそこ指入れたら発狂したみたいに声張り上げてな。俺、それ聞いてたら萎えてきてしもたんや。女
     って、あそこ手入れただけですべての抵抗機能が止まってしまうんやな。そのギャルも普段は結構
     ツンとしとるんや、それがちょっと濡らしたらもうあれや」
ヤマシ 「何の話だよ?」
雄 治 「いや、桃子もそうなんかな。俺には普段隙ひとつも見せへんけどな」
ヤマシ 「結局桃子かよ。桃子のことはいい加減諦めろよ」  
雄 治 「へへっ、だから余計犯してみたくなるんや。あるやろ? そういう気持ち。Sとかそういうことやなくて。
     手に入らんからこそ殺したくなる。あの細い首絞めてな。へへへっ」
ヤマシ 「……」
     雄治、煙を吐き出す。死んだように遠くを見ている。
雄 治 「せや、フジ子と太郎知ってるか?」
ヤマシ 「え? フジ子と太郎? 何が?」
雄 治 「この前フジ子バイトやった日あるやろ? 真夜中、太郎と二人でここ来とったんや」
     ヤマシ、松風閣の勝手口から出て行くフジ子の後姿のフラッシュ。
雄 治 「まあ、俺には関係ないことやけどな」
ヤマシ 「俺にはって、俺も別に」
雄 治 「そうか。へへっ、ならええんや。いや、一応知らせといたろか思ってな」
ヤマシ 「余計なお世話だよ(と気が気でない)」
     それを斜めからニヤけ顔で見ている雄治。

49 製図が進んでいく様子をモンタージュとして
     有栖は相変わらず、「バルセロナパビリオン」の模型を作っている。
     × × ×
     どんどん作業が進んでいく桃子、呉、雄治の様子を散りばめて。
     × × ×
     フジ子、模型のことで太郎と話している。
     それをちらちらと見ているヤマシ。ヤマシはやっと模型に取り掛かり始めた。

50 コンビニ(深夜)
     ヤマシ、カップラーメンのお湯を注いでいる。そこに有栖が入ってくる。
ヤマシ 「おお、休憩?」
有 栖 「(首を横に振って)カッターの芯切らしちゃって、売ってるかな?」
ヤマシ 「芯の替えなら俺のあげようか?」
有 栖 「余ってるの?」
ヤマシ 「何かいっぱいある」
有 栖 「じゃあ買うよ」
ヤマシ 「いいよ。そんないくらもしないし」
有 栖 「そう。ありがとう(と小さく笑う)」
     ヤマシもそれに応えて。

51 同・外(深夜) 
     ヤマシ、座り込み、麺がほぐれるのを待っている。
     有栖、缶コーヒーを両手に出てくる。一つをヤマシに渡し、
有 栖 「はい。カッターの芯のお礼」
ヤマシ 「あ、いいのに」
有 栖 「でもラーメンに合うかな」
ヤマシ 「ありがとう」
     有栖、プルリングを開け、ヤマシの隣に座る。
ヤマシ 「(プルリングを開け)俺、有栖の言ってたことわかるよ」
有 栖 「ええ?」
ヤマシ 「ミースを知るならまずミースの作品を作ってみるべきだって」
有 栖 「そう」
ヤマシ 「うん」
有 栖 「まあ、分かんないけどね、でもね、発見はあるのよ。もしかして、ミースはこんなこと考えたんじゃな
     いかなとか、色々ね。もちろん、正解かどうかは分かんないけど」
ヤマシ 「うん」
有 栖 「でもね、ホントはとっても退屈な作業」
ヤマシ 「え?」
有 栖 「建築って言うと聞こえはいいけど、それが建つまでに実際はとてつもないほどの単調な時間の連
     続があるでしょ?」
ヤマシ 「まあちゃんとやればそうだろうね。俺はいつもいい加減だから」
有 栖 「(少し笑って)とっても孤独な作業。発狂しちゃいそうなくらい。(ふと)よくもまあ、あんな作業おとなし
     くやってるなって自分で感心しちゃう」
ヤマシ 「……」
有 栖 「ふふ、大丈夫。発狂したりしないから」
ヤマシ 「ああ」
有 栖 「でもね……、そうでもしないとどうにかなっちゃいそうな時ってあるのよね」
ヤマシ 「有栖?」
有 栖 「うううん(と首を横に振り)、大丈夫、あたしには建築がある」
ヤマシ 「……」
有 栖 「あたしの一番の友達。あたしの孤独を紛らわせてくれる」
ヤマシ 「……」
有 栖 「もう、時間経ってるんじゃない?」
ヤマシ 「ああ、だね」
     ヤマシ、慌ててお湯を流す。

52 大学・製図室(時間経過、朝)
     TA(24)が大きな音を立てて、扉を開ける。
TA   「お前らあと十分や!」
     と黒板に大きく「10分」と書く。
     一同、ちらちら見ながら、作業を続ける。
     たいして焦っていないヤマシ。有栖は黙々と続けている。太郎、呉、フジ子、桃子は焦っている。雄治
     は動き回るTAに今にもキレそうだ。
     × × ×
TA   「三分!」
     といちいち黒板の文字を書き換える。
     皆の手を動かすスピードが早くなる。
     有栖は相変わらずマイペース。
     雄治、カッターで窓を開けているが、焦って切りすぎてしまう。もう一度やり直そうとするが、
雄 治 「アホらしいわ(とTAを睨み、ヤマシの方へ)」
     皆、ちらちらと雄治を見ている。
雄 治 「(ヤマシに)おい、アイツどないかつまみ出したれや」
ヤマシ 「終わったのか?」
雄 治 「しまいや」
ヤマシ 「え?」
雄 治 「何でアイツに焦ってるとこ見せなあかんねん」
ヤマシ 「……」
雄 治 「アイツだって普段コンペやなんやで追われて、今の俺らの気持ち痛いほどわかってるはずや。それ
     わかってて日頃の鬱憤晴らすみたいにあんなふうに。しまいや、(部屋中に)しまいやしまい(とゴミ箱
     を蹴飛ばす)」
     ゴミ箱の中からスチレンボードの残骸がこぼれて呉の方まで飛散する。
 呉   「!」
雄 治 「(視線を合わせないようにしている呉に近づき)へっ、今壊されたら洒落ならんしな!」 
     呉は、製図台の上だけでこぢんまりと作業をしている。
雄 治 「つくづく計算的なやっちゃ」
     雄治、出ていく。
     TAがちらちら見ている。呉、ほっとしたように深呼吸をし、作業を続ける。
     × × ×
TA   「あと十秒!」
     TAは手拍子をとってカウントを始める。
TA   「十、九、八、七、……」
     そのカウントの中で諦めと意地が交錯し、
TA   「三、二、一、はい終了!」
     皆、諦めて、作業を止めるが、呉だけがまだ続けている。
TA   「(呉に近づき)はい終了! やめー! 終わり! 模型から手離して!」
     皆の視線が呉に行く。
     呉、スチレンボードを接着剤で床に貼り付けている途中、――だが渋々手を離し、
TA   「(嬉しそうに)はーい、君たちの作品は永遠にその形で固定されました」
     製図室の空気が諦めから解放に変わる。
     呉が最後に貼り付けたスチレンボードがパタリと倒れる。

53 百万遍交差点(夜)
     太郎、フジ子、ヤマシ、桃子、有栖がいる。桃子はメールを打っている。
桃 子 「呉ちゃん、来ないんだって」
太 郎 「何で?」
フジ子 「何でって決まっとるよ。今回の課題、いつも賞とりよる呉ちゃんが漏れて、あの人が奨励作に選ば
     れたからよ」
太 郎 「ああ……」
     桃子は相変わらずメールをしている。
ヤマシ 「そう言えばアイツ帰るときなんか自殺しそうな顔してたな」
フジ子 「縁起でもないこと言わんとってよ」
ヤマシ 「大丈夫だよ。アイツは死なないよ」
フジ子 「ヤマシ……」
ヤマシ 「あ、フジ子、おめでとう」
フジ子 「ええ?」
ヤマシ 「優秀作」
フジ子 「うん(と綺麗に笑う)」
     × × ×
     信号の向こうから雄治がこっちに向かって手を振っている。
桃 子 「何で呉ちゃんが来ないでアイツが来るのよ」
     桃子、携帯を閉じる。
     信号が青になり、雄治が嬉しそうに近づいてくる。
雄 治 「おお、悪いな、へへへっ」
フジ子 「(雄治から顔を反らし)行こう」

54 お好み焼き屋・入り口(夜)
     一同、ぞろぞろと入っていく。
     店長(32)が来て、正座で迎える。
店 長 「お待ちしておりました。いつもうちの御手洗(みたらい)がお世話になってます」
太 郎 「うわ、すごいやん、出迎えまでついて、ビップやん(とズタズタと入っていく)」
桃 子 「店長、ごめん。今日はよろしくお願いします」
店 長 「任しとき」
雄 治 「すいませんね。礼儀知らずな奴一人混じってて。よろしくお願いします」
店 長 「いえいえ。どうもご丁寧に」
雄 治 「(ヤマシに)あのアホが。恥かしいわ」
     ヤマシ、無言で会釈し入る。

55 同・内(夜)
     鉄板を囲んで、フジ子、太郎、桃子、逆サイド、ヤマシ、雄治、有栖が並ぶ。
     「ホール責任者望月」の名札を付けた男(望月(22))がおしぼりを持ってくる。
桃 子 「ああ、もっくん、久しぶり」
望 月 「提出終わったんだ?」
桃 子 「うん。あ、同じスタジオの」
望 月 「(皆とは目を合わせず)あ、桃子、おしぼり(と全員分桃子に丸投げする)」
望 月 「皆、生?(と桃子に)」
桃 子 「あ、待って、飲めない人もいるから。ねえ、フジちゃん、何飲む?」
フジ子 「(少しメニューを見て)シャーリーテンプル」
望 月 「じゃ生五、シャーリー一で」
桃 子 「うん、お願い」
     雄治、不機嫌そう。
望 月 「OK。(桃子の耳元で)あ、桃子、後でちょっと裏来てよ」
桃 子 「うん、わかった」
望 月 「じゃ」
     望月、去る。厨房の方に向かって、「生五丁、シャーリー一丁」と声を上げて。
雄 治 「アイツ、俺らに一切目合わせんかったな」
     桃子、おしぼりを回している。
雄 治 「俺らは客とちゃうっちゅうことかい」
太 郎 「いや、まあ、まだ接客慣れてないんやって。ほら、名札に研修中って書いとったやん」
雄 治 「(おしぼりで顔を拭きながら)お前、目悪いんか。責任者ゆうて書いとったがな」
     一同、無言。
     × × ×
望 月 「桃子、お待たせ!」
     望月、すべてのドリンクを桃子の前に置く。雄治、睨んでいる。桃子が回す。
     望月、去る。
太 郎 「さ、皆回った?(確認して)えーじゃ、ミースの習作の提出も無事終わり、とりあえず、お疲れさんっ
     てことと、あとフジちゃんの作品が優秀作に選ばれ、有ちゃんのが佳作、そして、雄治の作品が見事
     奨励作に選ばれたことを祝いまして」
雄 治 「その見事っていうのは余計やな」
     フジ子が、雄治を睨む。
雄 治 「何や?」
フジ子 「……別に」
太 郎 「はーい、皆グラス持って」
     雄治、渋々グラスを上げる。
太 郎 「はい、乾杯!」
     グラスが重なる。
     × × × 
     桃子はいなくなっている。雄治は日本酒に切り替えペースが速い。時折、咽て咳き込む雄治を「大丈
     夫?」と有栖が気にかける。太郎とフジ子は、太郎がヨーロッパ旅行で撮ってきた数々の建築の写真
     を見ながら盛り上がっている。ヤマシ、気に入らなさそうにそれを見ている。フジ子が遠くに見える。
     × × ×
     雄治、立ち上がる。
ヤマシ 「大丈夫か、ふらふらじゃないか?」
雄 治 「ああ、ちょっと小便や」
     雄治、千鳥足で歩き出す。有栖、心配そうに見ている。

56 同・便所〜便所前(夜)
     雄治、気持ちよさそうに小便をしている。
     × × ×
     外に出たそのとき、雄治の目に入った光景、――廊下の端で、桃子と制服の望月が抱き合い、キス
     をしている。
雄 治 「(ぼそっと)桃子」
     望月、気づき、夢中になっている桃子を一時的に制する。
桃 子 「(泥酔している様子で)何でやめるの?」
望 月 「……(雄治を見ている)」
     桃子、振り返って、――三人の微妙な視線の応酬。

57 戻って、同・内(夜)
太 郎 「(フジ子に)絶対お金借りてでも、学生のうちに色んな建築見といた方がいい。実際卒業して事務所
     で働き出したらそんな余裕はないし。背に腹は変えられんって」
フジ子 「そうよね(とかなりその気)」
     ヤマシ、不満そうである。そのとき、
雄治(声) 「やかましいわ!」
一 同 「!」
     有栖、真っ先に立ち上がり、便所の方へ。
     フジ子と太郎が顔を見合わせている。ヤマシ、立ち上がり、有栖の後を追う。

58 同・便所前(夜)
     激昂する雄治に対峙して、望月とその腕のなかに桃子がいる。
雄 治 「もう一遍言うてみ」
     桃子、腕をさすっている。
望 月 「ああ何度でも言ってやるよ。そうやって強引に力ずくでしか女を動かすことが出来ないなんて男とし
     て最低だって言ってるんだよ。それで落とせるとか思ってるのかよ!」
     そこに、有栖とヤマシがやって来る。
ヤマシ 「おい、雄治、何やってんだよ!」
     太郎とフジ子も来る。
太 郎 「えー何なに? どないしたんな?」
雄 治 「(望月に)貴様……(でも何も言えず)」
望 月 「情けないね。何も言い返せやしない。ふふっ、桃子の言う通りだよ。(大声で)君は男のクズだよ」
雄 治 「何やて、貴様、どついたろか!(と大声で喚き、殴りかかろうとするが)」
     その雄治の腕を必死に引っ張る手、――有栖だ。
雄 治 「!」
     雄治、じっと有栖を見つめている。
望 月 「ふふ、殴ることも出来ないの? ったく、ケツの穴が小さいね」
     そこに店長が駆けつけ、
店 長 「おい望月、どないしたんや」
望 月 「別に」
店 長 「別にって、お客さんの前やろうが!」
望 月 「そっちが吹っかけてきたんすよ」
店 長 「(望月と雄治を交互に見)……」
     雄治、奇妙な薄笑いを浮かべている。
店 長 「とにかく就業中や。(雄治らに)うちの望月が申し訳ございません。テーブルの方にもう一度おしぼ
     り用意させますので、どうかお席の方へ」
     桃子は、望月にずっとしがみついている。
太 郎 「うん、そやそや、店長さんもそう言うてはる。とにかく一旦戻ろ」
     太郎先導で、フジ子が続き、雄治も後を行く。雄治に寄り添うように有栖が従い、ヤマシが最後、望
     月に顔をとばしながら、渋々そうに去る。

59 鴨川デルタ(夜)
     川べりに座って夜風に吹かれる男女三人の姿。太郎、フジ子、ヤマシである。
     雄治と有栖は、話しながら石畳の方へ消えていく。
フジ子 「あーあ、せっかく提出終わったのになんかぱっとせんね」
ヤマシ 「ああ(と雄治と有栖の方を見ながら川に石を投げている)」
     石は、チャポンと無機質な音を立てては静かに沈んでいく。その単調な繰り返し。
フジ子 「何か喉渇いた」
ヤマシ 「ああ」
太 郎 「ビールでも買いに行こうか?」
フジ子 「うん……、お酒はいいや」
太 郎 「じゃ何か飲み物でも」
フジ子 「(頷いて)ヤマシは行かん?」
ヤマシ 「いや、俺はいいや」
フジ子 「そう。何か買って来ようか?」
ヤマシ 「うん、俺、飲み物じゃなくて何か甘いもの、チョコレートとか」
フジ子 「分かった」  
     フジ子と太郎、行ってしまう。
     ヤマシ、二人のその後姿を見ている。
     × × ×
     ヤマシ、また石を投げ始める。
     遠くの石畳に有栖と雄治が座るのがヤマシの視界に入る。

60 石畳(夜)
     有栖と雄治が石畳の上に座り、流れる水に手を浸している。
有 栖 「冷たい。ほら(と水をかける)」
雄 治 「何や。ほれ(とかけ返す)」
     雄治のかけた水が有栖の胸元を濡らす。
     二人の目が合う。言葉がなくなる。

61 戻って、鴨川デルタ
     ヤマシ、石を投げている。
     遠くで雄治と有栖が口唇を交わす。

62 コンビニ(夜)
     買い物袋をぶら下げて太郎とフジ子が出てくる。太郎は缶ビール、フジ子はカフェラテを飲み出す。
     しばらく考え事をしている太郎。
太 郎 「……」
フジ子 「……(太郎を見ている)」

63 戻って、鴨川デルタ
     相変わらず一人のヤマシ、石を投げるスピードが速まっている。さっきの石畳に雄治と有栖はいな
     い。ヤマシ、時々ちらちらと辺りを見回している。太郎もフジ子は帰ってこない。
     しばらくして、携帯のバイブレーターが鳴り出す。着信中「フジ子」とある。
     × × ×
    (以下、電話、カットバックとして)
ヤマシ 「どした?」
フジ子 「あ、ヤマシ、まだデルタおる?」
ヤマシ 「うん、いるよ」
フジ子 「有ちゃんたちは?」
ヤマシ 「うん、もう見当たらないな」
フジ子 「そう、……あのね」
ヤマシ 「うん」
フジ子 「……もう解散にしようかって、話よった。……だいぶ冷えてきたし、今からどっか行くのも……」
ヤマシ 「……そう」
フジ子 「うん……」
ヤマシ 「……分かった」
フジ子 「うん、……あ、ヤマシ?」
ヤマシ 「うん?」
フジ子 「チョコレート、ごめんね」
ヤマシ 「ああ、いや、別に」
フジ子 「……じゃ、また今度」
ヤマシ 「うん、また」
フジ子 「じゃ」
ヤマシ 「……あ、フジ子」
フジ子 「何?」
ヤマシ 「また学相のバイト行くよな?」
フジ子 「え、あ、……(太郎の方をチラチラと見ながら)うん」
ヤマシ 「そう、じゃ、おやすみ」
フジ子 「おやすみ(と電話を切る)」
     フジ子、電話を切る。
     ツーツー音、――しばらく聞いてから、ヤマシも電話を切る。
     ヤマシ、大きくため息。デルタの上にかかる橋を自転車でかけていく人、東大路通りを過ぎていく車、
     空の雲、川の流れ、あらゆるものが通り過ぎていく。ヤマシだけがそこに佇んでいる。

64 コンビニ(夜)
     太郎がフジ子に背を向けて立っている。
     フジ子、そっと太郎の背中に近づく。
     太郎、それを背中で感じると、歩き出す。フジ子、後に続く。フジ子の手に提げられた買い物袋から
     はチョコレートが透けて見える。

65 中華料理屋・前(夜)
     ヤマシ、自転車を止め、中へ。

66 同・内(夜)
     客はヤマシ一人である。が、店内はちょうど客が掃けた後のようで、食べ終わりの食器がそのまま
     残っている。
     ヤマシ、カウンターに座る。その前にも食べ終わりの食器が残っている。例の雇われ爺が水を持って
     くる。
ヤマシ 「Aランチ、ご飯大盛で」
雇われ爺 「はい、Aランチ」
店 主 「よお!」
     雇われ爺、ヤマシの前にある食器は片付けず、洗い物の続きをする。
店 主 「爺さん、それより先にこっちや。自分が食べに来て、目の前にこんなんあったら嫌や思えへんか」 
     店主、「すんまへんな」とヤマシの前にある食器を片付ける。
雇われ爺 「はい」
店 主 「はいやあらへんねんで。それやってくれな」
     雇われ爺、それ以上は何も言わず、洗い続ける。
店 主 「そんなこともでけへんから、お客さんも嫌そうな顔してはる。ねえ?(とヤマシに)」
ヤマシ 「はあ(と愛想笑いで)」
店 主 「頭使いや(と雇われ爺の頭を捻る)」
雇われ爺 「……」
     ヤマシ、まともに見れない。
     × × × 
     店主、機嫌が戻ったようで、口歌を口ずさみながら、かに玉を作っている。
     雇われ爺、洗い物を続けている。
     ヤマシと雇われ爺の目が合う。
     雇われ爺、ヤマシの目を見つめるなり奇妙な薄笑いを浮かべる。
     ヤマシ、目を反らし、水を飲む。
     × × ×
店 主 「はい、お待ったさんです、Aランチ」
     と嘘の笑顔でプレートを差し出す。漫画盛りのご飯。ヤマシ、無愛想に受け取る。

67 同・前(夜)
     ヤマシ、自転車に跨るのも億劫そうである。ずっとお腹を押さえている。
     × × ×
     ヤマシ、押して帰ることにする。
     さっきの雇われ爺の薄笑いがフラッシュバックする。ヤマシ、大きなため息。

68 大学・製図室(時間経過、夕)
     提出後の清掃作業である。
     大量のごみが山積みになっている。
     ヤマシ、引き出しを整理していると、例のフィリピンの記念写真が出てくる。それをつかむと鞄のポケッ
     トに押し込む。
     × × ×
     ヤマシ、製図室を出て行こうとする。
雄 治 「お前、バイトか?」
     ヤマシ、頷く。  
雄 治 「フジ子は?」
ヤマシ 「いや」
     フジ子、顔を背け、太郎と顔を見合わせる。

69 松風閣・外観(夜)

70 同・厨房(夜)
     制服姿の一同。大倉、山田もいる。
生 田 「今日はお前一人か?(と不満そう)」
ヤマシ 「はい」
生 田 「あの子、辞めるんやってな?」
ヤマシ 「え?」
生 田 「勝手やな。都合いい時だけ入って、自分の都合でやめていくんやな」
ヤマシ 「……」

71 雄治のアパート(深夜)
     ドアが開いて、雄治が出てくる。
雄 治 「お前今日バイトやろ? 何かあったんか?」
ヤマシ 「いや、別に。ちょっと抜けて来た。すぐ戻るよ」
雄 治 「そうか、まあ入れや」
     ヤマシ、入っていく。
     部屋は前と変わって暖色系になっている。オレンジ色のカーテン、動物の形をしたマグネット、CDコン
     ポからはマライア・キャリーが流れている。
ヤマシ 「どうしたんだよ?」
雄 治 「何がや?」
ヤマシ 「いや、この変わりよう」
雄 治 「(冷蔵庫からハイネケンを取り出して)飲むか?」
ヤマシ 「いや、いいよ。明日朝四時半だし」
雄 治 「そうか。悪いな(と飲み始める)」
     ヤマシ、洗面台においてあるピンクと緑の歯ブラシに目が行く。
雄 治 「(一息ついて)なあ、今度皆で鍋でもせえへんか?」
ヤマシ 「ええ? いいけど。皆って誰呼ぶんだよ?」
雄 治 「(しばらく考えて)桃子も呼んでもええかもな」
ヤマシ 「どういう意味だよ?」
雄 治 「俺、ようやっと桃子のこと冷静に見れるようになったんや」
     雄治、ハイネケンを勢いよく飲み干す。
雄 治 「俺、有栖と付き合うことになったわ」
ヤマシ 「え?」
雄 治 「ほら前に桃子のバイト先で打ち上げしたときあったやろ? あの時、俺あの望月いう男殴って血まみ
     れにしたろか思てたんや。でも出来んかった。有栖がな……」
     雄治の手を必死に止める有栖がフラッシュ。
雄 治 「俺のことこんな考えてくれてる奴がいるんや思たら手が上がらんかった」
ヤマシ 「……」
雄 治 「俺のこと大事にしてくれる奴は俺も大事にせなあかん思たんや。ちょっと冷静になって考えたら、桃
     子なんて思うほどのもんでもなかったんかもしれん。望月にしがみついて身動きできんようになってる
     桃子見とったら不憫以外の何者でもなかったわ。そうそう、有栖、聞いたらな、結構前から俺のこと気に
     入ってくれてたみたいやわ」
ヤマシ 「そうなの? 知らないけど」
雄 治 「らしいわ。全然気づかへんかったけどな。何やお前、さっきから冴えへん顔してるな」
ヤマシ 「いや」
雄 治 「親友の慶事やで、喜んでくれや」
ヤマシ 「慶事って、結婚じゃあるまいし。……ヤッたのか?」
雄 治 「何を聞くんや。お前らしくないのぉ。おお、まあそういう流れやったからな」
ヤマシ 「そう。それでうまくいくならいいよ」
雄 治 「何か投げやりな感じやな」
ヤマシ 「そういう訳じゃないよ」
雄 治 「そうか、でもな案外こういうのがうまくいくんとちゃうかな、最近はそんなふうに思てるんや。わからんけ
     ど、その結婚とかな」
     黙っているヤマシ。
雄 治 「何をそんな悲しそうな顔するんや。今まではな、何でも俺一人で解決してきたから、孤独やった、寂し
     かった。でもな、これからは違うんや。何もかも分け合うんや」
     マライア・キャリーが『ラブ・テイクス・タイム』を歌い続けている。

72 修学院離宮(翌日、昼下がり)
     雄治と有栖が手をつなぎ歩いている。前をガイドの女性が説明しながら歩く。
雄 治 「やっぱ京都は千年の都やな」
有 栖 「何を今更」
雄 治 「いやいや、近くにある言うてもなかなか来えへんもんや」
     × × ×
     雄治、紅葉を写メールに収め、小さな喜びを抱きしめている。
     そんな雄治の横顔を有栖が愛おしそうに見ている。

73 同前・坂道(昼下がり)
     雄治、有栖を先導し、自転車で坂道を下っている。
     勢いよく走る雄治の後ろで、有栖は、雄治とその向こうにある京都北部の景観に見とれている。
有 栖 「ねえ、綺麗だよ。全部小さく見える。ねえ、雄治ー!」
雄 治 「ああ?(と視線を上げる)」
     目の前の京都の町に、雄治、一瞬、顔が綻んだ。が、その次の瞬間、クラッシュ音。映像が途切れる。
有栖(声) 「雄治ー!」
     響き渡る自転車の急ブレーキ音。

74 大学・ピロティ(昼下がり)
     ソファーにフジ子が足をブラブラさせながら座っている。
     そこへ、ヤマシがやってくる。
ヤマシ 「ごめん、遅くなって」
フジ子 「(頷く)……」
     二人、ぎこちない様子。
     × × ×
     二人、隣り合って座り、
ヤマシ 「辞めることにしたんだ?」
フジ子 「(頷いて)何か言いよった?」
ヤマシ 「え、まあ……」
フジ子 「生田さん?」
ヤマシ 「うん、ああ、あの人は別にいいよ」
フジ子 「(頷いて)……ちゃんと考えたんよ。いろんな人に相談したりして、……バイトのことも。設計事務所と
     かでね、不定期やけど模型の手伝いの募集があったりするんやって。今のバイトより全然自給は低い
     けど、同じ時間使うなら……、あ、ごめん」
ヤマシ 「いや……」
フジ子 「今は建築のことちゃんと考えたいんよ」
ヤマシ 「それは分かるけど……」
フジ子 「……」
ヤマシ 「たださ、何もそうポンポンと決めしまわなくてもいいんじゃないかなって。事務所のバイトするにしても、
     見つかるまでに時間はあるだろうし、今のバイトしながらでも考えられると思うんだ。実際、桃子も雄治
     も俺も、バイト続けているわけだし。これまではフジ子だってそれで一緒にやってきたじゃない? それ
     を急にどうして……、太郎に何言われたかは知らないけどさ!」
フジ子 「!」
ヤマシ 「ごめん」
フジ子 「……(頷く)」
ヤマシ 「……」
フジ子 「違う。太郎に言われたからじゃない。関係ないって言ったら嘘になるけど。私ね、太郎のことどっかで
     羨んどったんよ」
ヤマシ 「そりゃそうだよ。太郎は家が裕福でやりたいことがあれば何だってできる、そういう恵まれた環境に育
     ったんだ」
フジ子 「私も初めはね、そう思いこみよった」
ヤマシ 「え?」
フジ子 「でもね、太郎と話していくうちに私が羨んどったんはそんなことやないってことに気づいたんよ。私が羨
     んどったんは、目標があったら何が何でもそこに向かっていこうとする太郎の強い心やったんよ!」
ヤマシ 「!」
     アップルバーで、「お前は心が弱いんや」と指摘されたときのフラッシュ。
フジ子 「これが本当の私。もっと最初に私は私と向き合わんといかんかったんよ! それにね、今まで私はどう
     建築に向かって行ったらいいかわからんとこあったけど、この前の習作で選ばれて、光が射した気がする
     んよね。私の追いかけてたユートピアの正体が何となく見えた気がするんよ」
ヤマシ 「フジ子……」
フジ子 「(頷いて)……」
ヤマシ 「分かるけど。でも、何か違うよ。そんなのフジ子じゃないよ!」
フジ子 「!」
ヤマシ 「俺の知ってるフジ子はそんなんじゃないんだよ!」
     とソファーを叩きつけ、去る。
フジ子「ヤマシ!」
     ヤマシ、外へ駆け出し、フジ子の視界から消える。

75 同・外(昼下がり)
     ヤマシ、髪をかきむしったりしてやり場のない感情をこらえている。
     そのとき、携帯のバイブレーターが鳴りだす。「着信中 公衆電話」とある。 

76 病院・公衆電話(昼下がり)
有 栖 「もしもし、ヤマシ、あたし」

77 同・前(夕)
     河原町通りを自転車で下ってくるヤマシ。

78 同・治療室前ロビー(夕)
     エレベーターから出てくるヤマシ。
     そこには、有栖と、担架に乗せられ足に分厚いギブスをはめている雄治がいる。有栖が雄治の手を握っ
     ている。
ヤマシ 「おい、大丈夫なのか?」
有 栖 「ヤマシ!」
雄 治 「お、来てくれたんか。へへ、ついてへんな」
看護婦 「病室まで運びますんで」
有 栖 「お願いします(と頭を下げる)」
     雄治、運ばれていく。有栖とヤマシ、後に従う。

79 同・雄治の病室(一人部屋)(夕)
     窓の外には鴨川が流れている。
     看護婦、「何かありましたらインターホンでお知らせください」と去る。
雄 治 「ほんの一瞬や。ちょっと見とれてもうたんや」
有 栖 「ごめん、雄治、あたしがあのとき呼ばなかったら(と泣きつく)」
雄 治 「お前のせいやない。気にすんな。ほんま一瞬綺麗かった」
     有栖、少し救われたような表情。
     雄治、鴨川の方を見ている。
雄 治 「お前行ったことあるか? 修学院」
ヤマシ 「そっちの方はないな」
雄 治 「あそこはなかなかの絶景スポットやで。へへっ。何か喉渇いたな」
有 栖 「あ、あたし、何か買ってくる」
雄 治 「いやいや、そういう意味やないで」
有 栖 「でも、どうせ買いに行けないでしょ?」
雄 治 「まあ、そうやな(笑)」
有 栖 「何飲む?」
雄 治 「せやな、メロンソーダーかな?」
ヤマシ 「何だよ、それ」
雄 治 「へへっ、病気のときはそう決まってるんや」
有 栖 「ヤマシは?」
ヤマシ 「ああ、俺は何でもいいや。メロンソーダー以外で」
有 栖 「分かった。何か適当に買って来る」
ヤマシ 「ありがとう」
     × × ×
     有栖が去って、
雄 治 「有栖には迷惑かけっ放しやな」
ヤマシ 「ああ。でも、まあ片足の骨折で済んでよかったよ」
雄 治 「まあ、複雑骨折やけどな」
ヤマシ 「なんだよ、それ(笑)」
雄 治 「でも、久しぶりやこんな大怪我」
ヤマシ 「ふふ」
雄 治 「来てくれたん、お前だけやな」
ヤマシ 「まだ皆知らないんだと思うよ。俺、言ってないし。知ったら皆来てくれるよ」
雄 治 「さあ、どうかな。そう言えば、親父が事故って危篤になったときも最初に病院駆けつけてくれたんお前
     やったな」
ヤマシ 「ああ……、そうだっけな」
     ヤマシ、雄治の父親の病院に駆けつけたとき喫煙所でしゃがみこんでいる雄治の背中をさすっていた
     シーンのフラッシュ。
雄 治 「嬉しいで」
ヤマシ 「ああ」
雄 治 「(起き上がろうとして)……」
ヤマシ 「おい、無理するな」
雄 治 「大丈夫や!(と起き上がる)何か色んなこと無理しすぎたんかな」
ヤマシ 「え?」
雄 治 「とんとん拍子にくる目の前の幸せに流されてたんかもしれへんな」
     ヤマシ、窓の外をぼっと見ている。
雄 治 「どないしたんや? 何やお前の方が病人みたいやで。顔、青白いで」
ヤマシ 「そうか?」
雄 治 「……無理はしたらあかんで」
ヤマシ 「……ああ」
     窓の外、夕暮れ時の鴨川が映える。

80 松風閣・表(時間経過、夜)
     三校の歓迎の立看板。

81 同・厨房(夜)
     ヤマシ、制服姿で「おはようございます」と入ってくる。大倉、山田が返答。生田、完全無視。
大 倉 「(小声で)あの子は?」
ヤマシ 「今着替えてます」
大 倉 「今日あの子夜だけなんやってな? それで最後やろ?」
山 田 「(小声で)今日夜空けとけよ」
ヤマシ 「え?」
大 倉 「俺らだけやけどささやかな送別会や」
ヤマシ 「……(頷く)」
     × × ×
     フジ子が入ってくる。この日のアルバイト人員はいつもより一人多い。
フジ子 「おはようございます」
大倉、山田 「おお」
ヤマシ 「(軽く手を挙げて)……」
生 田 「(無視して)よし、朝礼! 今日の修学旅行は全部で三校。忙しくなるやろうから各自しっかり気合を入
     れてやること。(フジ子の方をチラリと見)あとこれはいつも言ってることやけど、俺らはあくまでもこの
     旅館のスタッフであって、学相の日雇いであろうがバイトであろうがそんなもんお客さんには微塵も関
     係ない。くれぐれも抜かりのないように」
フジ子 「……(俯く)」
生 田 「よし、ほな始めよか」
一 同 「うっす」
生 田 「声が小さい。やり直し」
一 同 「うっす!」
     × × ×
     鍋材の仕分け作業が終わった後で、
生 田 「おい、これやったん誰や。椎茸入っとらんやないか」
フジ子 「すいません、私です」
生 田 「そうかそうか」
     フジ子、慌てて椎茸を足そうとする。
生 田 「構へん構へん、こういうところに緩みは出てくるんやな。そんな気持ちのこもらん椎茸食わされる身
     にもなってみや」
     生田、別の椎茸を足すと、率先して運び出す。
山 田 「(凹んでいるフジ子に)あの人、やめる奴にいつもそうやから」
     頷くフジ子。隣でヤマシが見ている。
     ヤマシ、声をかけようとするが、出来ず。

82 三校の接客でてんやわんやの仲居の仕事をモンタージュとして

83 同・厨房(夜)
     沈黙の賄い。
生 田 「ああ、なんか今日は飯がまずいな。俺、先部屋戻るわ(と出て行こうとする)」
     そのとき、フジ子が駆け寄る。皆の賄いの箸が止まる。
フジ子 「あの、私今日で最後なんです。色々お世話になりました(と頭を下げる)」
生 田 「お世話?(茶化すように)俺、世話なんかしたっけ?」
     渋々、周りのバイトが首を傾げる。
生 田 「してないしてない。買い被りや」
フジ子 「いや、でも、私は色々お世話になったんで」
生 田 「一方的やな」
フジ子、一同 「!」
生 田 「……さよなら」
フジ子 「!」
     生田、出て行く。
     フジ子に皆が集まってくる。
山 田 「(ドアの方を見ながら)小さい。小さい。もう一回やり直しや」
     一同、グラスにビールを注ぎ直す。一気に部屋が明るくなる。フジ子にも笑顔が灯る。
     ヤマシ、フジ子にどう接していいか分からずうずうずしている。
     × × ×
     全員分、グラスに注ぎ終わり、
大 倉 「ほなお疲れさん」
     グラスが小さく音を立てる。
     フジ子、味わうようにゆっくりと飲む。
     ヤマシ、ちらちらと見ている。
     × × × 
     荷物を整えたフジ子が階段の下に立っている。一同、フジ子に向かい合っている。
フジ子 「本当にお世話になりました」
大 倉 「(茶化して)俺、世話なんかしたっけ?」
山 田 「それ、生さんやん」
     一同、爆笑。フジ子も小さく笑う。ヤマシ、いまいち笑えず。
フジ子 「じゃ、失礼します」
     フジ子、丁寧に頭を下げる。
     戻って、ヤマシと目が合う。微妙な視線の応酬。
     フジ子、踵を返し、階段を昇っていく。
     全員がそれを見送る。
     勝手口の扉が開く音、――ガチャンと音を立てて閉まる。
大 倉 「行ってもうたな」
ヤマシ 「……」
     「じゃ、お先に」と他の従業員たちが出て行く。ヤマシ、軽く会釈をして、そのまま冷蔵庫に凭れ掛る。
山 田 「何やお前しっかりしろや。暗い、暗い、飲んどけ、飲んどけ(と波々と注ぐ)」
     ヤマシ、一気に飲み干す。
山 田 「耐えたね」
大 倉 「(上着を着て)ほな、行くで」
山 田 「そうそう(と上着を羽織る)」
ヤマシ 「え?」
     山田、上着のポケットからクラッカーを取り出す。
大 倉 「今日があの子最後なんや。これで終わりやなんて切なすぎるやろ」
山 田 「ここでやったら、後で生さんに何言われるかわからへんしな。お前、はよ追いかけて誘って来い。
     知り合いのバー予約してるから」
     ヤマシに笑顔が灯る。
山 田 「はよ行け!」
ヤマシ 「はい!」
     ヤマシ、一気呵成、階段を駆け上がる。
     山田、大倉、ニヤリと顔を合わせる。  

84 同・勝手口(夜)
     勝手口を出て、呼吸を整えるヤマシ。ふと、何かを思い出したように鞄の中を探る。角の折れ曲が
     った例の記念写真。
     ヤマシ、それをじっと見ている。
     やがて覚悟を決めたように写真を握り締める。
     ヤマシ、東に西にフジ子を探し始める。
     × × ×
     後から、大倉と山田が出てくる。

85 三条通り(夜)
     ヤマシ、遠くにフジ子の後姿を発見する。
     そこに向かって、一直線、走っていくヤマシ。その疾走感の中で、だんだん顔が綻んでいく。
     あと二ブロック、一ブロック、フジ子に近づいた、そのとき! さっきまで歩いていたフジ子が急に駆
     け出す。
     不意を取られたヤマシがその瞬間、フジ子の先に見たもの、
ヤマシ 「!」
     太郎だ。
     × × ×
     慌てて身を隠すヤマシ。
     フジ子、さっきまでの陰鬱な表情は吹っ切れて、あの写真のようなはちきれんばかりの笑顔で太郎
     の手を握る。
     ヤマシ、写真を持つ手が震えている。
     冷静に、冷静に、なろうとしているが、どうにもならない。
     ヤマシ、写真の中のフジ子を見ている。太郎と肩を組んではちきれんばかりの笑顔のフジ子。そして、
     今目の前のフジ子。それらがヤマシの頭の中で一緒くたになって、
     ヤマシの両手が写真を二つに破り裂いた。
     その写真を握り締めたまま、
     「フジ子!」と駆け寄るヤマシ。
     気づいて、フジ子と太郎が振り返る。
太 郎 「!」
フジ子 「ヤマシ……」
     × × ×
     道の向こうで。
大 倉 「おい、あれ誰や?」
山 田 「さあ?」
     × × ×
     ヤマシの冷徹な視線に、フジ子の表情が硬直していく。
ヤマシ 「どうして……、どうしてなんだよ」
フジ子 「ヤマシ……」
ヤマシ 「……」
太 郎 「(作り笑いで)ヤマシ、そんな固い顔してどないしたんな?」
ヤマシ 「……うるさいよ! 黙ってろよ!」
太 郎 「!」
     × × ×
大倉、山田 「!」
     × × ×  
     怯んで言葉を失っている太郎。
ヤマシ 「生田さんの言う通りだよ。そうやって色んな人の気持ち踏みにじって、……勝手すぎるんだよ、……
     おい、フジ子、何とか言えよ!(とフジ子の肩を揺らす)」
フジ子 「……」
     × × ×
大 倉 「あの、アホ」
山 田 「行こ」
     二人、走り出す。
     × × ×
ヤマシ 「どうして、どうして何も言わないんだよ! 何か言えよ! 畜生。こんなんだったら最初っから何もや
     らなきゃよかったんじゃないか! バイトなんかしなけりゃよかったんだよ! 畜生!……お前なんか
     死ねばいいんだよ!(と写真を投げ捨てる)」
フジ子 「……」
     フジ子の顔が歪んでくしゃくしゃになっていく。
     太郎、呆気にとられたまま泣き崩れるフジ子を支える。
     後ろから、山田と大倉が走ってきて、山田がヤマシの頭をはたく。
山 田 「アホ、お前、何抜かしとるんじゃ」
ヤマシ 「(我に返って)……」
山 田 「(ヤマシの髪をつかみ、両足を払い、胸倉をつかみ)おいこら、しょうもないことブツブツブツブツ抜か
     しやがって。お前、タマついてんのか、ええ?」
ヤマシ 「……」
大 倉 「なあ、山田君、殴んのはやめたって」
山 田 「分かってるよ。こんな奴、殴る価値もない(と突き放す)」
     フジ子の泣きじゃくる声。
     山田、フジ子を抱え、「大丈夫か?」と声をかける。
大 倉 「(ヤマシの胸倉をつかみ)おい!」
ヤマシ 「……はい」
大 倉 「立て!」
ヤマシ 「……(もたもたしている)」
大 倉 「はよ、立て!」
     ヤマシ、立ち上がる。
大 倉 「お前がその子のこと好きな気持ち、それは俺痛いほどよう分かる。そんなけな誰かのこと思えるお
     前が俺は好きや。けどな、お前、お前の気持ち、そら色々あるやろう、でもそれ分かってもらえへん
     から死ねってどういうことやねん?」
ヤマシ 「……」
大 倉 「え?」
ヤマシ 「……(大倉の目を見る)」
大 倉 「これがお前の音楽か? お前の音楽はそんな程度のもんか? そんなもんなんか?」
     ヤマシ、その視線でフジ子の方を見やる。
     フジ子の丸い大きな目がヤマシを捕らえる。必死で何かを訴えている。
ヤマシ 「でも、どうすることもできなくて」
大 倉 「どうしようもないことくらい分かってるわな。でもな、どうしようもないことがあるんや。理性で分かっ
     ててもどうしようもないことがあるんや。せやからこそ、音楽があるんとちゃうか? ええ?」
ヤマシ 「でも……、だからって、そうやって孤独を紛らわして、ごまかして、そんなのって……」
大 倉 「ちゃう。紛らわすんともごまかすんともちゃう。ただ向き合うんや。そのどうしようもない痛みと向き合
     う、そのための音楽や」
ヤマシ 「……」
大 倉 「分かるか? お前はその痛みから逃げたらあかんのや!」  
ヤマシ 「!」
     ヤマシ、突如、堰を切ったように、涙が溢れ、嗚咽になる。
山 田 「(茶化すように)そうそう、そういうこと。だから言うたやろ、お前に分かんのはまだ百年早いって。青臭
     いね(とヤマシの髪をつかむ)」
     周りに人だかりが出来ている。誰かが「警察呼びますか?」と言う。
大 倉 「いや、大丈夫ですよ。誰も怪我してませんから。(ボソッと)ポリ如きに解決なんてできるかいな」
     山田、ふっと笑う。
     大倉、ヤマシの胸倉を離す。
大 倉 「前にZIMAで浮気相手の男殴った話してたやろ? あの時な、俺が本当に殺したかったんは、浮気相
     手の男でも、その女でもあらへん、……自分自身なんや」
ヤマシ 「……」
山 田 「……」
大 倉 「ゆーっくり、頭冷やせ!」
     大倉、山田、去る。残された三人、いつまでもそのままで動かない。

86 病院・雄治の病室(翌日、深夜)
     相変わらずギブスの雄治。
     ヤマシ、「お見舞い」と言ってカップラーメンやら栄養ドリンクやら非常食の入った袋を渡す。
雄 治 「看護婦に気づかれへんかったか?」
ヤマシ 「大丈夫だよ」
雄 治 「そうか。明日には退院できるみたいやわ。って言うてもしばらくは松葉杖やな」
     雄治、煙草を取り出して、火をつけようとする。
ヤマシ 「おい、病人だろ」
雄 治 「煙草ぐらいええやないか(と着火)」
     × × ×
雄 治 「(一服して)だいたいのことは聞いたで。今朝フジ子が見舞いに来てくれたんや」
ヤマシ 「そうなんだ……」
雄 治 「ずっと泣いとったわ。私が悪いんや言うてな。どうしようもなかったんや言うとったで」
     ヤマシ、思い出している。最後にヤマシを見つめたときのフジ子がフラッシュ。
雄 治 「でもお前もデリカシーに欠けるやっちゃ。人にはうまいこと説明でけへん感情のひとつふたつあるや
     ろ? お前だって今の気持ち誰かに聞かれて易々と説明なんかでけへんやろ?」
ヤマシ 「……」
雄 治 「まあええわ。でもお前は幸せ者やで。あんな過ち犯してもうたお前なんかにフジ子は泣いてくれとるん
     や。正直羨ましかったで」
     ヤマシ、窓の外、薄暗がりの中を滔々と流れている鴨川を見ている。
雄 治 「俺な、有栖とは無理やったわ」
ヤマシ 「え? どういうことだよ」
雄 治 「どうもこうもあらへん。自分の気持ちに気づいてもうたんや。やっぱり俺、自分の気持ちに嘘つくこと
     でけへんわ。俺、桃子のこと好きなんや」
ヤマシ 「お前、言ってること滅茶苦茶だよ。桃子のことは好きだけど、有栖の方がお前のこと大事にしてくれ
     るってことに気づいたから、お前は有栖といっしょになるって決めたんじゃなかったのかよ?」
雄 治 「そうや。でもな、無理なもんは無理なんや。俺は桃子のことが好きで、有栖とは無理やった」
ヤマシ 「そんなの訳分かんないよ。この間は散々幸せそうな顔見せといて。それにまだ付き合い出してから
     一週間くらいしか経ってないだろ? いくらなんでも早過ぎるよ。もっとゆっくり時間置いて考えたら」
雄 治 「分かったような口聞くな!」
     雄治、ベッド脇の机を叩きつける。
ヤマシ 「!」
雄 治 「分かっとるわ、そんなこと全部。頭の中では分かっとるんや。でも、本能的なもんがどうしても受け
     付けんのや。有栖といて落ち着く気持ちは今でも変わらへん。けどな、それに落ち着いたら、自分が
     急にしょうもないもんになっていく気がしたんや。桃子追いかけてたときの俺はどこ行ってもうたんや
     ろってな。それにこういうことは日が浅いうちの方がええんや」
ヤマシ 「じゃまた桃子のこと今までみたいに追いかけるのかよ」
雄 治 「(しばらく考えて)……そういうことやない」
ヤマシ 「じゃ、どういうことだよ?」
     雄治、じっとヤマシを見据え、棚に置かれたタッパに目をやる。
雄 治 「小腹空けへんか? コロッケがあるんや」

87 同(少しの時間経過)
     備え付けの電子レンジがチンと鳴る。
     ヤマシ、コロッケを取り出して、紙皿に、雄治の分と自分の分とを取り分ける。メンチカツくらいの大き
     さのコロッケである。
雄 治 「昨日の夜、うちのオカンが持ってきてくれたんや。オカンの手作りや」
ヤマシ 「ああ」
雄 治 「自慢やないけどな、うちのオカンが作ったコロッケが世界で一番うまい思うんや。ほら、食うてみ」
     ヤマシ、何やら探している。
雄 治 「どないしたんや?」
ヤマシ 「いや、ソース」
雄 治 「アホ! そのままや。味が落ちる」
ヤマシ 「(渋々そうに)ああ」
     ヤマシ、手でつかむと衣がぽろっと剥がれる。
雄 治 「そんなしたら崩れるに決まってるやろ」
ヤマシ 「いちいちうるさいな(と食べる)」
雄 治 「どや?」
ヤマシ 「……うん、悪くはないよ」
雄 治 「へっ(と大口を開け一口で食べる)」
     × × ×
     雄治、冷蔵庫からハイネケンの缶を取り出す。
ヤマシ 「おい!」
雄 治 「何や?」
ヤマシ 「いい加減にしろよ、病人だろ?」
雄 治 「昔から、酒は百薬の長や言うやないか。 ええからお前も飲め!」
ヤマシ 「酒に煙草に、ちょっとは慎めよ」
     と渋々ハイネケンを受け取る。
雄 治 「(勢いよく飲んで一息つくと)昨日な、オカンと二人でここで寝てたんや」
ヤマシ 「ああ」
雄 治 「オカン、今スーパーでレジ打ちのパートやってるんや。立ち疲れかな、横になりながらずっと腰さす
     とったわ。そんなん見てたら、俺ももうちょっとしっかりせなあかん思たんや。オカン、死んだ親父にな、
     ずっと暴力振るわれとったんや。俺が小さいときからずっとそうやった。でも、そんでも親父と離婚した
     りもせんで、あの家おったんは、俺がいたからなんや思うんや。親父死んだときな、オカン言うとったわ、
     悲しいゆう感情がもうわからへんって、こんな言い方したらアレやけど、親父いなくなってオカンほっとし
     たとこあったんと違うかな」
     雄治、そのままうとうととしている。
     ヤマシ、雄治の煙草を一本取り出し、火をつける。無理に煙を吸い込み、咽る。
     咽て、咽て、咳き込むヤマシ。
     中華料理屋の雇われ爺の薄笑いがフラッシュして、ヤマシ、我に返る。
ヤマシ 「……」
雄 治 「(咽て目を覚まし)お前、吸ったんか? 煙草なんか吸えへんかったやろ?」
ヤマシ 「いや何か、急に吸ってみたくなった」
     煙草はみるみるうちに灰になっていく。
雄 治 「もったいない。無理して吸うもんちゃうで。格好付けて吸うもんやない」
     雄治、煙草をつまみ上げ、灰の上でねじ回す。
     窓の外、東山の空がかすかに青みを帯びていく。
雄 治 「せやせや、忘れとった」
     と引き出しの中を漁り出し、そこから一枚の写真を取り出すと「ほれ」とヤマシに渡す。写真は、裏が製
     図用のドラッフィングテープで修復されている。
     ヤマシ、受け取る。例の記念写真である。
雄 治 「フジ子が持ってきたんや。あ、テープで貼ったんは俺やけどな」
ヤマシ 「ああ」
雄 治 「すまんな。そんなテープしかなかったんや」
ヤマシ 「いや、別に」
     ヤマシ、その写真を胸に、自戒のように目を瞑る。
ヤマシ 「……」
     その横で、雄治はごそごそとツーパックのCDを探し出し、CDラジカセでかける。『ミー・アゲインスト・ザ
     ・ワールド』である。
雄 治 「……落ちたときはな、いつもこれ聴いて勇気もらってる」
ヤマシ 「……(雄治の方を見る)」
雄 治 「(歌詞カードを見ながら)最後の歌詞がな、好きなんや。(音読して)Remember One Thing.
     Through Every Dark Night, There's A
     Bright Day After That.
     So, No Matter How Hard It Get, Stick Your Chest Out.
     Keep Your Head Up, And Handle It.」
 T   「(訳詞)これだけは忘れないでくれ
     太陽はいつでもそこにある
     どんなに夜が長くても、
     腐っちまっちゃ終わりさ
     その手で、太陽を手繰りよせるんだ」
ヤマシ 「いいな、そんな音楽が見つけられて」
雄 治 「見つけるいうのとはちょっとちゃう気がするけどな。ふっと聴きたくなるんや。それこそ酒や煙草みたい
     にな」
ヤマシ 「そんなもんかな」
雄 治 「そんなもんやろ」
     雄治、ヤマシを少し嘲笑って、煙草で輪っかを作り始める。輪っかはしばらく上方へ昇った後、煙となっ
     て空気に溶けていく。
雄 治 「へへっ、くそったれ人生が!」
     窓の外、東山の稜線が曖昧になり、柔和な光が満ち始めて、
タイトル

(了)