「ママは強くなんかない!」 《登場人物》 一ノ瀬 容子(34)専業主婦  〃  進也(39)容子の夫  〃  翔太(2) 容子と進也の子 坂本 大輔 (42)刑事 小野寺 豊 (26)坂本の部下 専務 (57) 進也の上司 山本 (28) 進也の部下 中条 麻美 (40)人気キャスター  〃 佑一 (45)麻美の夫  〃 ユリカ(10)麻美と佑一の娘  〃 伸江 (70)佑一の母 古林    (66)誘拐犯 中村    (55) 〃 新井    (22) 〃 ■街      一台の車がスーパーの駐車場へと入っていく。 アナウンサーの声「先日、世田谷区の隆くん三歳が殺された事件で、警察は今日、母親を          殺人容疑で逮捕しました」 麻美の声「最近、母親による虐待事件が本当に多いですね」 ■車の中      運転席の一ノ瀬容子(34)、駐車スペースを見つけ、車を停める。      車内のテレビにワイドショー番組が映っている。      出演者の男たちの真ん中に、中条麻美(40)がいる。      いかにもキャリアウーマンといった貫禄。 アシスタント(男)の声「中条さん。同じ母親としてどう思われますか?」 麻美の声「許せません。子供が言うこと聞かないのは親の責任です。愛情かけて育てれば      ちゃんといい子になりますよ」      後部座席のチャイルドシートには、翔太(2)が座っている。      翔太、「シュート」等とやかましく騒ぎながらサッカーボールで遊んでいる。 ■スーパー・駐車場      容子、バックを手に車を降りると、後部座席のドアを開け、チャイルドシートの      ベルトを外す。   容子「さ、翔太、降りるわよ」   翔太「ヤダ」   容子「買い物しないと、夕飯食べられないじゃないの」   翔太「ヤダー!」   容子「さっさと降りて。時間無いんだから」   翔太「ヤダー!! キーーーッ!!」   容子「いい加減にしなさい!」      ウンザリした顔の容子。 麻美の声「子供の健康を考えるコーナー、ゲストは帝国タバコの一ノ瀬進也さんです」      テレビに進也(39)の顔が映る。 進也の声「どうも」   翔太「あ、パパだー」   容子「(テレビをチラと見て)……いいから行くわよ」   翔太「行かない!」   容子「……じゃ、ママお買い物してくるから、車の中で待ってなさい。降りちゃダメよ」      翔太、サッカーボールで遊んでばかりで返事をしない。      容子が、車のドアを閉めようとした時、翔太の蹴ったボールが外へ転がり落ちる。   容子「ああっ! もう!」      イライラして追いかける容子。 ■同・食品売り場      容子、買い物カゴを片手に歩きながらせかせかと商品を物色している。      と、前方に主婦二人がいる。  主婦A「結局、玄関先の花壇は全滅よ」  主婦B「実はウチの子も翔太くんにまた蹴とばされて」      容子、立ち止まり二人を見る。      自分の髪の毛を一本ずつ、ブチブチとむしり始める。  主婦A「また?」  主婦B「リサったら、もう公園行きたくないって大泣きよ」  主婦A「ホントにどうしようもない悪ガキなんだから」  主婦B「母親のしつけがなってないのよ」      主婦Aが容子に気付く。  主婦A「あら、一ノ瀬さん」      容子、頭から手を離し、ぎこちない笑顔で二人に近寄る。   容子「斉藤さん、昨日はどうも申し訳ありませんでした」  主婦B「別にたいした怪我じゃないから」   容子「すみません」  主婦B「わんぱくなのもいいんだけど、こう続くとねえ……」  主婦A「奥さんじゃだめなら、ご主人からビシッと叱ってもらったら?」   容子「主人はなかなか家にいないので……」  主婦B「ウチだっていないわよ」      突然、悲鳴と共に「火事だ!」等、騒ぐ声。       声のするほうを振り返る容子たち。      店員や客が駐車場へと出て行く。      後を追う容子。 ■同・駐車場      野次馬をかき分けるように前に出る容子。      見ると、タバコの自販機が燃えている。   客A「火炎瓶だ」   客B「犯人、車で逃げたんだって」       けたたましいサイレンと共に数台のパトカーが来る。   店員「危ないですから下がってください」      騒然とする中、容子は人混みを抜け出し、自分の車へと戻る。   容子「(車を覗き込み)翔太?」      翔太の姿はなく、サッカーボールだけがシートに転がっている。      辺りを見まわす容子。   容子「翔太? どこ?」      翔太の姿はない。      ウロウロと駐車場の中を探し回る容子。      心配しているというより、怒っている様子。   容子「もう、どこ行ったのかしら……全く! もう!」 ■タイトル『ママは強くなんかない!』 ■一ノ瀬家・玄関外(夜)      裕福そうな一戸建。      車から、作業員に扮した、坂本大輔(42)、小野寺豊(26)ら数人男達が出て来る。      刑事たちである。      チャイムを押す。   坂本「こんばんは」      ドアから容子が顔を出す。   容子「どうぞ」 ■同・リビング(夜)      イライラと貧乏ゆすりをする進也、ソファに座って手紙を見ている。      容子に案内され、坂本たちがドカドカと入ってくる。   進也「どうも」   坂本「警視庁、捜査一課の坂本です。この度は大変でしたな」      部下の男たち、電話へ録音機を設置したり、作業台を組立てるなど、手際よく作業する。      坂本、タバコに火を点ける。   坂本「脅迫状が来たそうですね」      進也、迷惑そうに顔をしかめる。   坂本「? どうかしました?」   進也「すみません。ウチ、禁煙なんです」   坂本「は?」   進也「あ、タバコ会社の広報部長の家が禁煙なんてどうかと思われるでしょうが、実は妻がタバコ      嫌いでしてね、ハハハ」   容子「何がおかしいのよ」   坂本「それは失礼しました」      坂本、携帯灰皿を取り出し、火を消す。  小野寺「犯人はスーパーで奥様が買い物している間に翔太くんを車から連れ出したんですね?」   容子「はい」   進也「母親だろ? しっかりしてくれよ!何で一緒に連れて行かなかったんだ!」   容子「ごめんなさい……」  小野寺「ま、子供連れだと買い物も大変でしょうから気持ちは分からなくもないですけどね」   坂本「で、その時、つまり今日の二時頃ですが、旦那さんはどちらに?」   進也「え? 私ですか?」   坂本「はい。一応、お聞きしたいんですけど」   容子「テレビに出てたでしょ?」  小野寺「テレビ局に確認したところ、あれは録画でした。二週間前に撮ったそうですね」   進也「会社です。会社にいました」   坂本「そうですか」   進也「それより、これなんですが」      進也、手にしていた手紙を差し出す。      脅迫状である。      神妙な顔つきで受け取る坂本。      一文字ずつ新聞の文字を切り貼りし、文章が書いてある。      小野寺、横から覗き込み、  小野寺「うわ、いかにも脅迫状って感じですね」   坂本「なかなか古風ですな。最近はパソコンなんかが多いんですけど」  小野寺「もしかしたら年配の人かも」   坂本「可能性あるな」   進也「犯人の要求は二つです。一つは明後日の午後二時までに身代金一億円用意しろ。      もう一つは……」   坂本「東京タバコ……フォ? で受動喫煙を有害だと認める発言をしろ、と」   進也「東京タバコ・フォーラムですよ」   坂本「タバコ・フォーラム?」   進也「三日後に、有楽町でタバコに関する有識者会議が行われるんです。私は広報として会社を      代表して出席します」  小野寺「受動喫煙が有害だってわかりきったことじゃないんですか?」   進也「いいえ、受動喫煙と肺癌などの病気との関係は科学的に証明されたわけではありません」   容子「絶対的な証拠がない限り、認めたくないんですよ、会社は!」      進也、ムッとした顔で容子を見る。   坂本「なるほど」  小野寺「犯人はタバコ会社を恨んでいる連中って事でしょうね」   坂本「で、会社の顔としてテレビにも出ている一ノ瀬さんのお子さんが狙われたんだろうな」  小野寺「今、嫌煙団体を中心にあたってます」   坂本「身代金、一億か。うーん」   進也「会社が出してくれそうです。もちろん、ウチの貯金もあるだけ出しますが……」   坂本「明後日までに間に合いますか?」   進也「なんとか」   容子「私は嫌よ」   坂本「は?」   容子「身代金なんて出せません」      坂本と小野寺、驚いた顔。   進也「何言ってるんだ? お前」   容子「あの子が生まれてから私、仕事も自分の時間も何もかも犠牲にして一人で育てて      きたのよ」   進也「だったら何だ。母親なら当たり前……」   容子「(遮って)もう限界! この上貧乏なんて耐えられないの!」   進也「翔太が殺されてもいいのか?」   容子「……それが、あの子の運命なら、仕方ないと思うわ」      坂本と小野寺、唖然とする。   進也「お前それでも母親か!」   容子「あなたに貯金ないでしょ? お父さんの保険金三千万をアテにしてるんでしょ」   進也「仕方ないだろ、こういう事態じゃ」   容子「あれは父さんが私の為に残してくれた保険金よ?」   進也「なんて奴だ」   容子「で? あなたはどうなの? タバコ会議の発言、出来るの?」   進也「……」      坂本と小野寺、さらに驚いた顔。   容子「こうなったのはあなたの仕事のせいでしょ!?」   進也「明後日までには翔太は帰ってくる」   容子「帰ってこなかったら?」   進也「警察が何とかしてくれるさ」   容子「ほうら。いい人ぶったって、所詮、会社での立場が優先なんじゃない」   進也「いや、しかしもう少し慎重に考えてだな……」      容子、小馬鹿にしたような笑い。   進也「俺の発言に、会社の命運が掛ってるんだぞ!」      坂本と小野寺、空いた口が塞がらない。 ■帝国タバコ・会議室      五、六名の従業員がミーディングをしている。   進也「では、各自、今日中に報告書を提出して下さい」 従業員たち「はい」      進也、退出する。 ■同・廊下      進也が歩いている。      部下の山本(28)が後ろから来る。   山本「部長」   進也「おう」   山本「例の広告の件ですけど、部長の言う通り代理店と交渉したら、こちらの値段で      通りましたよ」   進也「やったな」      進也、ポンポンと山本の腕を軽く叩く。      山本、照れ笑い。   山本「部長のお陰です」   進也「引き続きよろしく」   山本「はい!」      山本、晴れ晴れとした顔で去る。      進也、『専務室』と書かれたドアの前まで来る。      深呼吸し、ドアをノックする。    ■同・専務室      役員らしい豪華な部屋。      奥の机で書類を読んでいる専務(57)。   専務「はい」      進也が入室する。   進也「失礼します」      専務、驚いて立ち上がり、   専務「一ノ瀬くん! 何で君、会社に来てるんだ!」      専務にソファを勧められるが、立ったままの進也。   進也「この度はとんだご迷惑をお掛けすることになりまして……」      と、深々と頭を下げる。   専務「何、言ってるんだ。で、お子さんは?」   進也「今、警察に捜査して頂いておりますが、なかなか……」   専務「そうか……心配だな」   進也「……」   専務「君はウチの広報担当として本当に良くやってくれてる。だからこそ今回狙われたんだ」   進也「はい……」   専務「社長も私も心配してるんだよ。会社としては全面的に君をバックアップするからな」   進也「恐れ入ります」         進也、急に咳き込む。   専務「どうした? 大丈夫か?」   進也「(咳き込みながら)はい」   専務「例のアレか?」   進也「……はい。でももう、大丈夫です」   専務「誘拐事件も大変だろうが、そっちのほうもくれぐれもばれないようよろしく頼むよ」      進也の咳、少し治まってくる。   専務「会社としても悪いようにはしない。君は会社の顔なんだからね」   進也「はい」     専務「事件が解決するまで、家で休んだらどうだ?」   進也「いえ。私には広報部長としての仕事がありますから」   専務「しかし仕事どころじゃないだろう」   進也「あ、これ来週の役員会議の資料です」      専務、資料を受け取りながら、   専務「偉い。凄いよ君は。私だったらとてもそんな気丈にはしてられないよ」   進也「身代金も出して頂くのにこれ以上、専務をはじめ、皆様にこれ以上迷惑をお掛け      する訳には参りません」   専務「何、水くさい事を。私に出来ることがあれば何でも言ってくれ」   進也「ありがとうございます」   専務「気をしっかり持つんだ。な」   進也「はい」   専務「ところで奥さんはどうしてる? 側についててあげなくていいのか?」   進也「会社あっての家庭ですから。その点は妻も理解してくれています」 ■一ノ瀬家・リビング(夜)      容子が仁王立ちで、ソファにすわる進也を見下している。   容子「こんな時に、何会社になんか行ってるのよ!」      坂本、部屋の隅で、二人を見ている。      進也、容子を鬱陶しそうに見て溜息をつく。   進也「うるさいな」   容子「うるさいな?」   進也「身代金だって世話になるんだし、顔出しておかないとまずいだろ」   容子「払わないって言ってるでしょ!」 ■同・廊下(夜)      リビングから進也と容子の言い争う声が聞こえる。      小野寺が携帯電話で話している。  小野寺「では、結果が分かり次第、連絡下さい。(切る)」      坂本がリビングから出てくる。   坂本「どうなってんだ? この家は」  小野寺「さあ」   坂本「あのカミさん、まともじゃないぞ」  小野寺「旦那さんのほうも、相当おかしいですよ」   坂本「いや、男が仕事に行くのはわかる。しかし女は違うだろ」      坂本の後ろ、容子がスッと立っている。  小野寺「あ……」   坂本「育児ノイローゼか何かだな。完全にイカれてる。医者呼ぶか?」   容子「必要ないわ」   坂本「(振り向いて)おっと!」   容子「私は普通よ。皆、母親だからってどうして何でも我慢すると思ってるの?       そっちのほうがおかしいわよ」      容子、フンと去る。      顔を見あわせる坂本と小野寺。   坂本「ありゃあ母性本能足りないな」  小野寺「現代社会で子供を育てるのはきれい事ばかりじゃないんでしょう。動物は危険を      察知すると自ら子供を殺すっていいますからね」   坂本「人間には理性があるだろ」  小野寺「矛盾してません? さっきは母性本能で子を助けろと言いませんでしたっけ?」   坂本「でも母親だったら……」  小野寺「日本の子育ては両親、とりわけ母親に過剰な責任を求めていて、それが少子化の      原因の一つになっているんです」   坂本「お前、あの奥さんの肩持つのか?」  小野寺「いえ。ただ僕は少子化問題の解決に少しでも貢献するために、子供が出来たら育児休暇      取ろうと思ってますから」   坂本「はあ?」 ■同・キッチン(夜)      リビング・ダイニングと繋がっているカウンターキッチンの中。      進也の声を聞きながら考え込む容子。 進也の声「(電話)三つ星銀行……はい。明日の朝イチで振り込みます。あ、あの、翔太の声を……      (切れる)ああ……」      容子、意を決したように顔を上げリビングへ。 ■同・リビング(夜)        進也のほか、坂本や小野寺たちがいる。  小野寺「口座は恐らく闇で取引されている他人名義の口座でしょう」      容子が来る。   進也「(容子に)払うぞ」   容子「結局、私がいつも折れるのね」 ■銀行・窓口      まばらな客の中、容子が一人、不安げに立っている。      行員が容子を呼びに来て、奥へと案内する。 坂本の声「銀行は全国にあります。事前に張り込んで下ろしに来た犯人を捕まえるなんてことは      到底出来ません ■同・応接室      お客様用のこぢんまりとした部屋。      行員の目の前で、容子が書類に記入している。 坂本の声「しかしこれだけの大金です。窓口でしか下ろせません。もしATMで下ろすなら、      いろんな支店をまわって何回も操作しなくてはならない」 ■同・外      銀行の看板を見上げる容子。      不安と怒りが混じったような表情。 坂本の声「一体、犯人はどうするつもりなんだ」 ■一ノ瀬家・リビング      パソコンの画面を覗き込む容子。      画面には口座の残高が表示されている。      その額、一億数百円。  小野寺「こうやって、今は家にいながら、口座の残高が見えるんです。ほら」   容子「へえ。便利ねえ」  小野寺「振込とかもネットで出来るんですよ。さすがに一億円は無理ですけどね」   容子「ふーん」  小野寺「ほら、ここの更新ボタンを押す度に、最新の残高情報が表示されます」      小野寺、マウスを操作し、画面上の更新ボタンをクリックする。  小野寺「まだ下ろされた形跡はないようですね」   容子「絶対捕まえてね」   坂本「全力を尽くします」    ■銀行・ATM      人気のない田舎のATM      帽子にマスクの男、金を下ろしている。      取り出し口から出て来た五十万円程度の札を掴む手。 ■一ノ瀬家・リビング      一同、じっと待機している。      容子が更新ボタンをクリックする音だけが聞こえる。  小野寺「旦那さんは、今日も会社ですか?」   容子「そう」  小野寺「何もこんな日まで会社に行かなくても……」   容子「自分が家にいてもやれること別にないからって」  小野寺「そういう問題じゃないでしょう」   容子「結局仕事のほうが大事なのよ、あの人は」  小野寺「……」   容子「あっ!」   坂本「どうしました!?」   容子「少し残高が減りました」      画面の残高表示が九千九百万円程度になる。   坂本「小野寺、確認しろ!」  小野寺「はい!」      小野寺、慌てて自分の携帯電話を取り出す。   容子「百万しか下ろさないなんて……?」  小野寺「(電話)巣鴨駅前のATM。えっ? 品川も?」   坂本「どうした?」  小野寺「(坂本に)巣鴨で五十万下ろされて、三十秒もしないうちに品川でも下ろされています」   坂本「そんなばかな」      容子、何度も更新ボタンをクリック。      その度に段々と減っていく残高。   容子「どんどん減ってる!」   坂本「バカな。替われ(電話を取り上げる)窓口には現われてないのか? 一体どういう事だ!?」   容子「ねえ、早く捕まえてよ! どんどん無くなってくじゃない!」      パソコンの残高表示、あっという間に数百円になる。      パソコン画面を見つめる一同。      愕然とする。   坂本「……くそっ」   容子「逃げられたの!?」   坂本「関東近辺の二百カ所以上のATMからそれぞれ少額ずつ引き出されたそうです」   容子「そんな事出来るの?」   小野寺「あらかじめキャッシュカードを偽造しておいて、ほんの数秒ずつ時間差で機械を       操作すれば……」    坂本「しかし二百カ所とは……犯人は一体何人いるんだ?」   容子「驚いてる場合じゃないでしょ。どうすんのよ!?」 ■帝国タバコ・オフィス      慌ただしく働く進也の部下たち。      奥の部長席で、受話器を握る進也。      フラッとしたかと思うと、そのまま床に倒れる。      部下たちが慌てて駆け寄る。   山本「部長? 部長!」 ■一ノ瀬家・寝室      夫婦の寝室。      片方のベッド寝ている進也を容子が見下ろしている。   容子「男は具合が悪くなれば寝てればいいけど、女はそうはいかないの。家事だって子育て      だって、休みがないのよ」   進也「向こうへ行ってろ……」      ノックして小野寺が入ってくる。  小野寺「すみません。旦那さん、ちょっとリビングへ来ていただけませんか?」 ■同・リビング      小野寺、進也、容子が入ってくる。   坂本「お休みの所すみませんね。あ、奥様は結構ですよ」   容子「いいえ、私も同席します」   坂本「そうですか……。ご主人、昨日、翔太くんが誘拐された時間ですけど、どちらに      いらっしゃいました?」   進也「え?」   坂本「小野寺が会社に確認したんです。昨日はお休みになってたそうですね?」   容子「え?」   進也「(チラと容子を見て)……」   坂本「で、本当は何処にいたんですか?」   進也「……」   坂本「私の口から言いましょうか。あなたは、二十三歳の派遣社員の女性と千葉にゴルフに      行きましたね」      容子、進也をキッと睨み付ける。   進也「……はい」   坂本「困りますな。嘘をつかれては」   進也「すみません。でも誘拐事件とは関係ないでしょう?」   容子「あなた、私に家のこと全部押しつけて自分は女の子とゴルフ〜!?」   進也「たまには息抜きしたかったんだ」   容子「ふざけないで、だったら私も息抜きしたいわよ!」   進也「俺は毎日毎日働いてるんだぞ」   容子「働きたいって言っても許してくれないじゃない!」   進也「子供が三歳になるまでは、母親と一緒にいるべきなんだ。翔太をきちんとした子に      育てるのが優先だろ?」   容子「偉そうに。そうやって何もかも私に押しつけて、自分は文句だけ言って後は女の子と      ゴルフしてればいいんだもん。楽なもんね」      進也、容子を殴る。      床に倒れる容子。   容子「そうやって都合が悪くなるとすぐ暴力。翔太の乱暴な所はあなたに似たのね! 私、      もう何回も隣近所に謝りに行ってるのよ!」   進也「それはお前の育て方が悪いからだろ! お前のそういう所が息が詰まるんだ!」      進也、荒々しく出て行く。      容子、ゆっくり起き上がる。  小野寺「大丈夫ですか」   容子「……」   坂本「奥さん、お気持ちは良くわかりますが男なんてどこもそんなもんです」   容子「……」   坂本「私なんてカミさんに、セックスとウンコは外でしてきて、なーんて言われてる位      ですからね(笑う)」   容子「もう! 男なんてバカばっかり!」      容子、部屋を出て行く。      ポカンとする坂本。      苦笑する小野寺。 ■同・寝室      容子、イライラした手付きで洗濯物を畳んでいる。      テレビ画面には麻美と司会者の対談風景が映っている。      小野寺が入ってくる。 麻美の声「娘は、学校から帰ると、自分から積極的に家のお手伝いをしてくれるんですよ。      フフフ」   容子「嫌い、この人。何が理想の母親よ」  小野寺「このキャスターよくニュースに出てますね」 麻美の声「私が疲れてると、ママ、肩もんであげようか? って」   容子「翔太がああなのは私の躾けが悪いから?」 司会者の声「理想の母親としても評判の高い中条さんですが、子育ての秘訣は何ですか?」 麻美の声「そうですね。子供はもちろんですが、主人とよく会話することですかね」   容子「どうして私は主人とうまく会話できないのかしら」  小野寺「そんなにご自分を責めないで下さい」      容子、自分の髪の毛をむしり始める。   容子「……」  小野寺「子供が三歳になるまで母親は家にいろ、なんて言う所謂『三歳児神話』には      根拠がない、って厚生労働省からも見解が出てますよ」   容子「……」  小野寺「しかも二歳って一番手がかかる年頃でしょう?」   容子「すごく手の掛る子なの。やっぱり私の育て方が悪かったのかしら……」  小野寺「そんな事ないですよ。子供が何かするとすぐ母親が責められるのって僕は      おかしいと思ってるんです」   容子「ありがと……」  小野寺「その子供そのものの性格ってあると思うんです」   容子「翔太は生まれつき乱暴な子だって事?」      容子、髪の毛をむしる速度が次第に速くなる。  小野寺「いや、そういう訳じゃ。でも、育てにくい子、手が掛る子、っていますから」   容子「……」  小野寺「あの、大丈夫ですか? 髪……」      容子、ハッとして、髪をむしる手を止める。   容子「あなた奥さんは?」  小野寺「独身です」   容子「へえ、そう」  小野寺「子育ては周りが手伝ってあげないと。僕だったら積極的に育児を手伝うな。      奥さん、一人で今まで大変でしたね」   容子「いい人ね。私、あなたみたいな人と結婚すれば良かったわ」  小野寺「ハハハ」   容子「ね、事件が解決したら、ダンナとは別れるから私と結婚してあの子一緒に育てて      くれる?」  小野寺「え?(困惑した顔)」   容子「手が掛って悪いんだけど、私、働くからあの子の世話よろしく」  小野寺「あの、それは、……ちょっと」   容子「(笑って)冗談よ、何本気にしてんの?」  小野寺「アハハ」   容子「同情されたってこっちはちっとも嬉しくないの。大体『僕だったら積極的に育児を      手伝うな』って何?」  小野寺「……」   容子「子供って本来夫婦二人のものでしょう? 手伝うなんて言葉自体、育児は母親がする      って決めつけてるのと同じよ!」  小野寺「あ……」   容子「いくら調子のいい事言ったって口先だけじゃ結局何の役にも立たないの。あーあ、      奥さんになる人可愛そう!」 ■同・リビング      しゅんとしている小野寺。   坂本「いつも奥さん、あんな感じなんですか?」   進也「いえ、いつもはこんなんじゃ……」      容子、タバコ片手に入ってくる。   容子「いつも私がどんななのか知ってるの? 私が何か言おうとしても疲れてるってすぐ      寝ちゃうくせに」   進也「お前!」      咄嗟に鼻と口を手で覆う進也。      坂本、小野寺、ぽかんと見ている      容子、ふーっと煙を吐く。   進也「止めろ!」        進也、興奮した様子で容子に歩み寄る。      と、進也の携帯電話が鳴る。   進也「(電話に)専務、お疲れ様です」 専務の声「何がお疲れだ! テレビ見てみろ! 大変だぞ!」   進也「は?」      進也、慌ててテレビを点ける。      画面には『タバコ病との戦い』というテロップと共にインタビューを受ける進也の顔。   進也「ゲッ!」   坂本「あっ!」  小野寺「えっ?」      全員、テレビに注目。      病院の前でマイクを向けられている進也。 進也の声「いやー、私はタバコ吸ったから必ずしもこの病気になったとは思いませんねー」 レポーター「肺気腫という病気はタバコと因果関係があるということは医学的に証明されてますが」 進也の声「証明っていったって、統計的なものでしょ? 吸ってたってピンピンしてる人もいる      わけだし」 レポーター「そうですけど、でも」   進也「うわっ、やめろ!」 進也の声「(遮って)要するにね、自己責任ですよ。病気になってから色々言う人がいるけど、      それってどうなのかなあ」   進也「あああ……(と、しゃがみ込む)顔出さないって言ったのに……」      携帯電話から専務の騒ぎ立てる声。      進也、恐る恐る携帯を耳に当てる。   進也「専務、これはちょっとした手違いでして。あくまで患者の一人としてインタビューを      受けることで世論を……」      ブチッと電話が切れる。   進也「専務? 専務!」      テレビ画面にはスタジオの様子が映し出される。      司会は麻美。 麻美の声「今の人、帝国タバコの広報の人に似てるような……?」   進也「バ、バカ、気付くな!」 ゲストの声「本人?」   進也「違う! 違う〜ッ!」 麻美の声「そうだとするとタバコ会社の人がタバコ病ってこと?」   進也「……」   坂本「タバコの煙を気にしてたのは奥さんでなくご主人だったんですね」   容子「ばれちゃったわね」   進也「病院の前で偶然インタビューされてさ。レポーターのやつ俺のこと気付いて      なかったし、被害者側の世論を変えようとして……顔モザイクを条件に……」 麻美の声「タバコ会社の人がタバコ病! これは次回この番組で取り上げましょう!」   進也「明日のタバコ会議どうすればいいんだ……」      ガックリと肩を落とす進也。      ポカンと立ち尽くす坂本・小野寺。   容子「それより翔太どうすんのよ」 ■ホテル・正面玄関外      記者たちが待機している。  記者A「来たぞ!」      一台の車が車寄せへと入ってくると同時にマスコミ陣が一斉に群がる。      車から、渋い顔をした進也が降りてくる。      一斉に焚かれるフラッシュ。  記者B「一ノ瀬さん、なぜご自分の肺気腫をテレビで告白したんですか?」      もみくちゃにされる進也。  記者C「これまで何故黙ってたんですか!?」      その他の記者たちも、それぞれ好き勝手に質問を浴びせる。       進也、ホテルの係員に誘導されながらなんとかエレベーターへと歩いていく。 ■同・会議室      大きなホールでの公開討論。      ステージには『東京タバコ・フォーラム』の文字。      十名ほどの出席者が壇上に上がっている。      会場は一般の人やマスコミで賑わっている。 出席者A「……のように、受動喫煙はタバコを吸わない子供やお年寄りにも悪影響を与え続けて      います」 出席者B「その通りです。アメリカでは分煙では受動喫煙の被害を完全には防げないと、建物内を      完全禁煙にする動きが広まっています。我が国でも、もっと受動喫煙の被害について      真剣に対策を考えるべきではないでしょうか?」   司会「では次に、一ノ瀬さんのお考えはいかがですか?」      皆の顔が一斉に進也へ向けられる。     カメラのフラッシュ。   進也「(下を向いたまま)……」  司会者「一ノ瀬さん、お願いします」   進也「あ、はい、すみません……受動喫煙に関しましては……」        進也、固まってしまう。  司会者「一ノ瀬さん?」      会場、次第にざわざわしてくる。      進也、意を決したように顔を上げ、   進也「私の息子が誘拐されました」  司会者「え……?」      会場から驚きの声。   進也「犯人グループには既に身代金一億を渡しました。さらに奴らは、私に、この会議で      ある発言をするよう要求しました」  司会者「……一体何を?」   進也「受動喫煙の害についてです。どうもタバコが嫌いな人物のようです。犯人はあなた方の      中にいるんじゃないですか?」      会場の声、さらに大きくなる。      おびただしいカメラのフラッシュ。   進也「しかし、わたしはあなた方の脅しには決して負けません。自分が正しいと思う発言を      したいと思います!」    ■同・正面玄関外      マスコミ陣に囲まれて進也が建物から出てくる。      猛烈なフラッシュの嵐。  記者A「あの肺気腫のインタビューも犯人の要求だったんですか?」  進也「えっ、ええ、まあ……」  記者B「犯人グループに一言」   進也「(涙ぐんで)息子を返してください」      進也、泣きながら車に乗り込む。      マスコミ陣から「警察の捜査状況は?」「息子さんの安否情報は」などと質問が      飛び交う中、車が走り出す。 ■テレビ番組・スタジオ   麻美「息子さんの安否が確認出来ない中、我々も報道を控えてましりました……。が!      たった今、なんとお父さまの口から誘拐の事実が公表されました!」 ■アパート・居間      テレビ画面に映る麻美の顔。 麻美の声「肉親自ら公開捜査に踏み切った異例の事件として、番組の予定を変更しお送り      します!」           汚い居間で古林(66)、中村(55)、新井(22)の三人の男がテレビを観ている。      傍らには、スヤスヤと眠る翔太。   古林「肺気腫の事なんか言うたかいな?」   中村「(テレビに向かって)こいつ、どさくさに紛れて適当なこと抜かしとる」   古林「子供がどないなってもええんか?」 麻美の声「翔太ちゃんが連れ去られた際、犯人が火炎瓶で騒ぎを起こしたということですが……」   古林「(ニヤリ)ええアイデアやろ?」 麻美の声「火炎瓶、というと私なんか七十年代の学生運動というイメージが強いんですが、      犯人は年配の人間でしょうか?」   古林「あちゃ〜、ばれてもうたか」 コメンテーターの声「そうとも限りません。未成年が悪戯目的で作成した、という事件も           過去ありました」   中村「ばれとらん。大丈夫たい」 コメンテーターの声「しかし、今回の場合、私も高齢者の可能性が高い気がします」   古林「(テレビに)お前どっちやねん!」   中村「ばってん、こいつ子供助けたくなかとやろうか?」   古林「そんな親おるかいな」   中村「(新井に)おい、肺癌、何しとうとや?」      新井、ずっと何かを懸命に作っている。   新井「病名で呼ぶの止めてくださいよ」   中村「作戦中はコードネームって決めたやろうが。(古林に)なあ、食道癌さん」   古林「ああ、えっと、あんたのコードネームは……きょ……」   中村「虚血性心疾患たい」   古林「長いがな」   中村「(新井に)何ね、そん花火玉みたいなんは」   新井「爆弾ですよ、フフ」   中村「爆弾?」   新井「今時、火炎瓶は古いです。これなら、家一軒まるごと吹っ飛ばせますよ」      古林・中村、ひるむ。   中村「そんなん素人が作れると?」   新井「今はインターネットの時代ですよ。何でも情報は手に入るんです」      古林・中村、作りかけの爆弾を恐る恐る覗き込む。      黒く丸い爆弾は、鈍い光を放っている。   古林「マニアやな」   中村「今はオタクって言うとたい」      テレビ画面には興奮気味に話す麻美の顔。 ■テレビ局・スタジオ      スタッフが慌ただしく行き来する本番前のスタジオ。      ざわざわしている中、麻美が携帯電話で話している。      いつもの優雅な表情とは違い、目をつり上げて怒っている。      麻美にぴったりと付いたスタイリストの女性が衣装にブラシを掛けている。   麻美「え? そんなもの、言えば買ってあげるのに!」      近くにいた男性ADが、声に驚いて振り返る。   麻美「(周囲の目を気にして小声になり)あのさあ、あんたもいちいちこの位のことで      電話してこないでよ! もう本番なの! ……だから特番なの!」      麻美、イライラと歩きながらスタジオを出て行く。      ADがスタイリストに近づいてくる。   AD「ひえー。あれが番組で言ってた『ダンナとの会話』ってヤツっスか?」 スタイリスト「子供が学校で友達のゲームソフト盗ったらしいのよ」   AD「あちゃー」 スタイリスト「で、ダンナが学校から呼び出された、ってトコね」   AD「寂しいんスよ。母親があれじゃあ」 スタイリスト「理想の母が聞いて呆れるわ」   AD「でもそれがウリですからねえ」 スタイリスト「家事も育児も仕事もデキるいい女なんて所詮、世の男どもに媚びてるだけよ」   AD「週刊誌に売ってやろっかな」      二人、笑う。 ■同・廊下      麻美がイライラしながら携帯電話で話している。   麻美「子供の誘拐事件なのよ。私がやらなくて誰がやるのよ! ユリカの事はそっちで      なんとかして頂戴!」      スタジオのドアからADが顔を出す。   AD「中条さん、本番です」   麻美「(怒鳴るように)はいはい!」 ■同・スタジオ      本番中。      麻美がカメラに向かい話している。   麻美「……警察は、正式に誘拐事件を公開捜査にすると発表しました。視聴者の皆様、      どんな些細なことでも結構です! 情報をお願いします!」 ■一ノ瀬家・リビング(夜) 麻美の声「愛する我が子を誘拐され、ご夫婦の心境はいかばかりか……」      テーブルの上には全国から届いた『頑張って』『応援しています』などと書かれた      励ましの手紙が溢れている。      坂本と小野寺、手袋をはめ、手紙の中身を一通一通、調べている。      進也、その中の一通を見て、   進也「お父様の勇気に感動しました。負けないでください! か……(ニンマリ)」      容子、ムッとした顔でテレビを消す。   容子「結局、あなたも息子より自分がかわいいんじゃないの!」   進也「俺は正義を貫いただけだ」   容子「何が正義よ。あなたが大事なのは自分の立場だけでしょ?」   進也「身代金払うのを惜しんだお前に何が分かる!」      進也、容子を殴ろうとした時、けたたましく電話が鳴る。      一同、それぞれのヘッドホンを耳に付ける。      進也、ゆっくりと受話器を持ち上げる。   進也「もしもし」 古林の声「一躍、時の人やな」      変成器を通した古林の声、男か女すら分からない。      進也が坂本たちに目で合図する。   進也「む、息子を返せ」 犯人の声「調子乗んな、ボケ!」   進也「(ビビる)すみません……」 古林の声「よくも俺たちを無視しおったな。もう怒ったで。明日、午後三時に埼玉のタバコ工場を      爆破する」   進也「ええっ!」      容子、坂本、小野寺、驚いて目を見合わせる。 古林の声「タバコ会議でお前、俺に逆らいおった。こうなったからにはいっちょドカンと派手に      やってタバコをこの日本からなくすんや!」   進也「待ってくれ、そんな事されたら俺の立場は」      容子が今にも怒鳴りそうな顔で進也を睨み付ける。      すくみ上がる進也。   進也「い、いや、翔太は? 翔太を返してくれ」 古林の声「爆破が成功すれば返す」      ブツッと電話が切れる。   坂本「工場爆破だと!? 小野寺、本部に連絡!」  小野寺「はい!」      小野寺、すぐさま携帯電話を掛ける。   容子「翔太はどうなるの?」   坂本「……」  小野寺「坂本さん、本部長からです」      坂本、小野寺から携帯電話を受け取る。   坂本「(電話)はい、はい……」      進也、突然激しく咳き込む。   坂本「(電話)了解しました。(切る)ちょっと本部まで行ってきます」  小野寺「僕も行きます」   坂本「お前はここで待機してろ」      坂本、部屋を出て行く。   進也「……あ……あっ(声が出ない)」      容子と小野寺、進也の異変にようやく気づき、  小野寺「大丈夫ですか? 奥さん、救急車を!」   容子「(進也に)呼んでいいの?」   進也「いや……救急車は困……る。マスコミが……」        容子、蔑むような目で、   容子「もう死ねば?」    ■同・寝室(夜)      酸素マスクを付け、寝込んでいる進也。      小野寺が、はだけた布団をかけ直してやる。 医師の声「どうも良くありません」 ■同・廊下(夜)      容子と医師が歩いている。   医師「しばらく安静にして下さい」   容子「どうもありがとうございました」   医師「では。私も早くお子さんが戻ってくるようお祈りしてます……」      容子、一瞬ドキリとした表情。   容子「……ありがとうございます……」      玄関から出て行く医師。      入れ替わりに宅配便業者が来る。       業者、帽子を目深にかぶり、伏せ目がちで顔がよく見えない。   業者「お荷物です」      と、段ボール箱を差し出す。 ■同・外      宅配便業者、路地を曲がる。      と、突然走り出して乗用車に乗り込む。 ■車の中      運転席には新井の姿。      急発進する車。      帽子を取る宅配便業者。      古林である。   古林「ふう、なんぎしたわー」   新井「大丈夫でしたか?」   古林「バッチリや! 刑事に見つからんと、カミさんに渡せたで!」    ■一ノ瀬家・リビング(夜)      容子が荷物を持ってリビングに入ってくる。      箱には『ワレモノ』『天地無用』と書かれたシールが貼ってある。      ガムテープを剥がし、中を開けると、いきなり『警察に見せるな』と大きく      書かれた紙が目に入る。      一瞬で青ざめる容子。      電話の周りには作業している警官がいるが、容子の異変に全く気付かない。      紙を取り除くと、その下には、厳重に梱包された包み。      『爆弾』と大きな文字で書いてある。   容子「!」      恐る恐るテーブルの上に段ボール箱を置き、中に入っている手紙を読む。      硬直して動けない。   容子「翔太……」        小野寺が入ってくる。  小野寺「さっき誰か来ませんでした?」   容子「あの……」        容子が続きを小野寺に言おうとした時、坂本が大股で入ってくる。   坂本「くっそー!」  小野寺「あ、どうでした? 捜査本部は」   坂本「ダンナがマスコミの前でバラしちまった事、えらく怒られたよ。俺らの管理不足      だって!」  小野寺「やっぱり……」   坂本「んな事俺らに言われても、困るんだよねえ、被害者の両親がこう協力してくれない      んじゃ。ねえ、奥さん」   容子「主人の事で、私に文句言われても困るわ」   坂本「あんたたち夫婦は、子供を助けたいんですか、助けたくないんですか」      坂本、容子の顔をまじまじと見る。      容子、自分の髪をむしり始める。   容子「そんな事、今関係ないでしょ」  小野寺「奥さん、髪……」   坂本「助けたかったら捜査に協力してくれって事だよ!」  小野寺「(たしなめて)ちょ、ちょっと坂本さん」   容子「子供の事でも手一杯なのに、主人のやったことまで私の責任なの?」   坂本「女房がしっかりしてないから、家の中がめちゃくちゃになるんだろうが」   容子「悪いのは何でも女のせい? 冗談じゃないわ」  小野寺「奥さんも落着いてください」      容子、髪をむしる手がだんだん速くなる。   容子「私は翔太が生まれてからのこの二年半、一人でちゃんと子育てしてきたのよ。      その時誰か褒めてくれた?」   坂本「そんなのやって当たり前なんだ」   容子「普段は無関心なクセに、ちょっと何かあると鬼の首とったみたいに偉そうに文句      ばっかり!」   坂本「男は仕事で忙しいんだ。家の事は……」   容子「(遮って)男はみんな男に甘くて、女に厳しいのよ!」      容子、髪を数十本まとめて引きちぎる。      火花を散らす容子と坂本。      気まずい沈黙。      小野寺が段ボール箱に目をやり、  小野寺「あれ? これは?」   容子「……何でもないの。親戚からよ」  小野寺「そうですか。でも一応、中身を確認させて頂けますか?」      小野寺、段ボールを覗き込もうとする。   容子「触らないでよ。何でもないって言ってるでしょ? しつこいわね!」      容子、荷物を抱え、部屋を出て行く。      バン! と勢いよく閉まる扉。  小野寺「……いいんですか?」   坂本「放っとけ」 ■同・客間(夜)      床の間のある座敷。      容子がぽろぽろと涙を流しながら入ってくる。      手には、小包を抱えている。      容子、意を決したように、梱包を解き、黒光りする爆弾を取り出す。      目の前までゆっくりと爆弾を持ち上げる。      足が震える。      ギュッと目をつぶり、大きく上に振り上げる。      しかし、下に落とせない。      次第にしゃくり上げるようにして、泣き出す容子。      やがて爆弾を抱えた手を下ろし、段ボール箱にそっと戻す。      部屋に座り込み、号泣する。    ■双眼鏡の視界(朝)      タバコ工場が見える。      少し距離を置いた所には、警察の特殊車両などが停車しているのが見える。    ■見晴らしの良い公園(朝)      人気のない小さな公園。      双眼鏡を下ろす古林。      新井は横でガムを噛んでいる。   古林「ぎょうさんいてるな」   新井「我々が現われるのを今か今かと待ってますね」   古林「アホやな。こんな所、誰がノコノコ行くかいな」   新井「あの男にやらせるって上手い手でしょう?」   古林「ああ。しかしホンマに死人は出えへんのやろうな?」   新井「あの爆弾は衝撃や振動で爆発します。外から投げ込めば、あの男にも怪我は      ありませんよ」   古林「……」   新井「安心ました?」   古林「殺人犯になるのはゴメンやからな」   新井「別に何人か死んでも、それはそれで楽しいんですけどね。フフフ」      古林の携帯電話が鳴る。   古林「(新井に)何言うとるんじゃ。(電話に)おう、わしや」 ■アパート・外(朝)      二階の窓から顔を出した中村、洗濯物を干している。   中村「早く帰ってこんね」    ■同・居間(朝)      翔太が、騒々しく部屋の壁や布団を蹴りまくっている。      中村、げっそりした顔で窓を閉める。   中村「(電話に)頼むけん、帰ってきてよ。俺一人じゃ、この子面倒見きらんよ」 ■公園(朝)   古林「予定時刻の三時までここにおって、爆発するの見届けたいんやけどな」 中村の声「それまで、俺にこの子の面倒を見れってや? 無理無理〜、絶対無理!       俺もう限界たい!」      中村の切実な叫び。      ウザったそうに携帯電話を耳から離す古林。   古林「しゃあないな」 中村の声「なあ」   古林「何や」 中村の声「あいつ、本当に工場爆破なんてそんな大それた事やるとかいな?」   古林「アホ、親はな、自分の子の為なら何でもやるもんなんや」 ■アパート・居間(朝)      翔太の壁を蹴る音がうるさい。   中村「食道癌さんもそうなったらやるんか?」 ■公園(朝)   古林「俺、子供おらんさかい。……でも一般的に親子いうんはそういうモンや。      心配すな」 中村の声「そういうモンか」   古林「手紙でも、これが最後通告や、って脅したったからな」 中村の声「でも刑事たちに見つかって、止められるかもしれんばい」   古林「そこは何とか上手くやるやろ。子供の命掛ってんのや。親かて必死なはずや」 ■アパート・居間(朝)      翔太、中村の足を蹴飛ばす。   中村「イテッ!」 古林の声「とにかくその子は丁重に扱えよ。昼飯もちゃんと食わせろ、ほな後で」      翔太にボコボコに蹴飛ばされながら   中村「イテテ、イテ、おい止めろ! ギャ〜!!」 ■一ノ瀬家・寝室      進也が寝ている横で坂本、小野寺が様子を見ている。  小野寺「大丈夫ですか?」   進也「病気の事がばれて、俺、会社クビになるかなあ……」   坂本「……さあ」   進也「いや、これだけ世間の同情を集めてんだ。会社だって俺に冷たくは出来ないだろ      ……ハハハ」      呆れ顔の坂本、小野寺。 ■ATMの前・外      公園の横、道に面した場所にある小さなキャッシュコーナー。      刑事たちが防犯カメラの写真を手に主婦Cに聞き込みをしている。      写真には、帽子にマスクをした男が現金を引き出す様子が映っている。  主婦C「ああ、この人」      刑事たちの目の色が変わる。  刑事A「ご存じですか?」  主婦C「ちょくちょく公園で会うおじいちゃん。ほらあそこ」      主婦Cが指差す方向、公園のベンチに老人がボーッと座っている。 ■公園内・ベンチ      老人がベンチでウトウトしている。      刑事たち、挟むようにベンチの両側に座ると同時に老人のベルトを掴む。      老人、驚いて飛び起きる。   老人「うわっ! 何すんだ!?」      老人、立ち上がろうと暴れるが、ベルトを押さえられ、動けない。  刑事A「ちょっと来てもらうよ」       刑事二人、老人を立たせ、連行しようとする。       公園を散歩する通行人たちが、怪訝な目で見ている。   老人「え、おい! (周りの人に)助けてくれ〜。誘拐。人さらいだ〜!」      ぎょっとする刑事たち、慌てて警察手帳を通行人たちに見せ、愛想笑い。  刑事A「どうも」  刑事B「何でもありませんからー」      老人、その間も「誘拐、誘拐」などと騒ぎ立てる。      作り笑顔がひきつる刑事たち。      引きずるように老人を抱え連れて行く。 ■一ノ瀬家・リビング      静まりかえった部屋。      リビングに置かれた置き時計が時を刻む音が響く。      置き時計は一時を表示している。      容子、ソファに座り、苦悩の表情で、じっと一点を見つめている。      容子の視線の先、カウンターキッチンの奥にある食器棚の奥には、あの爆弾の      入った段ボール箱が見える。      坂本と小野寺が入ってくる。   容子「主人の様子はどうでした?」  小野寺「……体のほうは少し落着いたようです」   容子「そう……」  小野寺「犯人から連絡は?」   容子「……特にありません」  小野寺「髪の毛、大丈夫ですか? あんまり抜かないほうがいいですよ」   容子「……」      小野寺が坂本に目で合図する。       ばつが悪そうな坂本。  小野寺「(小声で)ほら。被害者と喧嘩してどうするんですか」   坂本「(小野寺に)ああ……。(容子に)奥さん、昨晩はすんませんでした」      坂本、頭を下げる。   坂本「本部といろいろあった後でイライラしてしまいまして……」     容子「……」      チャイムの音。   容子「誰かしら?」      容子、坂本、小野、インターフォンのモニター画面を覗く。      画面には、専務の顔。   容子「主人の会社の人です」 ■同・玄関      進也が玄関ドアを開けると、専務と山本が入ってくる。      山本は手に大きな紙袋を下げている。   進也「専務、わざわざお越し頂き、どうもすみません」   専務「体は大丈夫か? もう心配で心配で、山本くんに車を出して貰って来たんだ」      しらっとした顔で見ている容子。      坂本と小野寺も横に立っている。      山本、容子にぺこりと頭を下げ、   山本「いつも部長には大変お世話になっております」   進也「(容子に)おい、何をボーッと見てるんだ。挨拶くらいしろ!」        容子、一応、頭を下げる。   進也「(専務に)ハハハ、どうもすみません。(容子に)お茶煎れてくれ」      容子、キッチンへ去る。 ■同・キッチン      お茶を煎れる容子。      カウンターごしに、リビングにいる専務たちの声が聞こえる。 専務の声「例のフォーラムの発言以来、会社にも君を応援するって内容の電話やメール      がすごいんだよ!」 進也の声「ありがたい事です」 専務の声「全社を挙げて君を応援するから元気出しなさい」 進也の声「ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」 ■同・リビング      専務、進也、山本がソファに座っている。      容子がお茶を持って入ってくる。   専務「あ、奥さん、大丈夫ですか? 気をしっかり持ちなさい、ね」      坂本と小野寺、ダイニングの椅子に座り、心配そうに容子を見ている。      山本、紙袋を差し出し、   山本「(容子に)これ、会社のみんなから……。千疋堂のフルーツです」   専務「こんな時で食欲ないでしょうが、フルーツなら喉を通りやすいでしょう」   進也「おい、フルーツ切って来い」      容子、山本たちを無視。      踵を返すと、坂本と小野寺へ無言でお茶を差し出す。      呆気に取られる専務。 坂本・小野寺「……」   進也「おい、何やってんだ! お茶は専務にだろ?」      進也、坂本と小野寺の前に置かれたお茶を、慌てて専務と山本の前に運ぶ。   進也「どうも。家内のヤツ、ちょっとおかしくなってまして、ハハハ」   専務「分かるよ。いろいろ大変だからねえ」   容子「(坂本に)ご質問にお答えします」   坂本「は?」      一同、容子に注目する。   容子「子供を助けたいと思ってるのかどうか、って」   坂本「ああ……」   容子「分かりません」   坂本「……」      専務と山本、怪訝な顔。   進也「いい加減にしろ! 何言ってんだ」   容子「助けたいとは思うんです。でも同時に、このままいなくなってくれたらどんなに      楽だろうとも思ってしまうんです」   坂本「……」   専務「どうなってんだ?」      進也、慌てふためき、   進也「専務! 女房の言うことは気になさらないで下さい」   容子「私、子供が憎いんです」   進也「よせッ!」      進也、容子に殴りかかろうとするが、小野寺に止められる。      呆気に取られる専務と山本。   坂本「……」      容子「毎日がすごく憂鬱で、どうやったら子供から解放されるんだろうって      ずっと考えてました」   坂本「……」   容子「酷い母親でしょう?」   坂本「私には理解できませんな」   容子「私、子供を産む前は、子供好きでした。結婚して、早く自分の子供が欲しい      って思ってました。子供が出来たら沢山愛情を注いで、きちんとしつけを      するつもりでいたんです」   坂本「で?」   容子「でも、いざ生まれてみると、子育てが想像以上に大変だって事、初めて知ったん      です。何ヶ月もオムツ、おっぱい、だっこ、オムツ、おっぱい、抱っこ、その      繰り返し……そうやって毎日が過ぎていく」   坂本「……」   容子「少し大きくなったら、今度は目が離せない。毎日色んなものを壊すし、騒ぐし、      近所とトラブルになったり……」   坂本「……」   容子「働いていた頃からは考えられない生活でした。社会から完全に切り離された      ような気がして、気が狂いそうでした」   坂本「実家とかには頼らなかったんですか?」   容子「主人の親も私の親も、どっちも初孫でした。ものすごく干渉されました」  小野寺「……」   容子「あれがいい、これがいい、で、最後は親が悪いからダメなんだ、って……」  小野寺「そんな……」   容子「口は出すけど、両方とも遠方なんで手伝いは頼めず……段々連絡を取るのが      おっくうになってしまって……」   坂本「子育てしている主婦はいっぱいいるし、何もあなただけが特別ひどい状況っ      て訳でもないと思いますが」   容子「だから私のような思いの人はいっぱいいるんじゃないでしょうか。程度の差は      あるでしょうけど……」  小野寺「よく今まで一人で我慢してましたね」   坂本「(小野寺に)そんなものか? 母親の子に対する愛情って、もっと神聖って      いうか、深くて偉大なものじゃないん ですか?」   専務「一ノ瀬くん、奥さんの様子、君に聞いていた話と随分違うようだが……」   進也「それは……」   容子「皆さんは子供のために仕事を休んだことがありますか!?」   一同「……」   容子「(専務に)子供が問題を起こしたとき、相手の親に謝りに行ったことが      ありますか!?」   専務「……(下を向く)」   容子「(坂本に)夜中に泣きやまない子を何時間も延々と抱っこしたことありますか!?」   坂本「……いや」   容子「毎日、夜中にグズる子供を一人で抱っこしてると……(涙ぐむ)」  小野寺「奥さん、もう止めてください」   容子「(泣いて)このまま床に落としたら楽になる……って」      容子、次第に嗚咽がこみ上げる。  小野寺「一人で抱え込んでたら、そうなっても仕方ないですよ。そういう人、実は      多いんじゃないでしょうか」   坂本「俺のカミさんは違うぞ」   容子「正直に言わないだけです!」    ■警察署・取調室      老人の両側に刑事が立っている。   老人「タバコ会社からやっと見舞金が入ったからって言われたんだ!」  刑事B「見舞金だと? ケッ!」   老人「たったの五十万だよ。俺、癌で働けないってのによ」  刑事A「で?」   老人「まあ、生活苦しいから、もらっといたけど……」  刑事A「本当に誘拐事件のことは知らなかったんだな?」   老人「知らねえよ! キャッシュカードと腕時計が送られてきて、指定した時間に      お金を下ろせって」  刑事B「何で変装してんだ。ああ!?」   老人「それも指定されてたんだ。帽子とマスク、サングラス着用で、決められた日時、      一分一秒狂わずに、って」   刑事「で、言われた通りにした」   老人「サングラスは無かったから、帽子とマスクだけな」  刑事B「あやしいって思っただろう?」   老人「俺だけじゃない。『関東タバコ病患者の会』みんなだもん」 刑事A・B「……」   老人「それに相手は古林さん達だし」  刑事B「誰だ!? そいつは」   老人「リーダーさ。俺たちの生活をいつも心配してくれてる神様みてえな人だ」 ■一ノ瀬家・リビング      床に泣き伏す容子。      呆然と佇む一同。      坂本の携帯電話が鳴る。   坂本「(電話)……そうか! よし、こっちもすぐ行く(切る)」   坂本「犯人の潜伏先が分かりました」  小野寺「奥さん」      容子、顔を上げる。  小野寺「さ、お子さんを迎えに行きましょう」   坂本「小野寺、俺はご夫妻を連れて現場へ行く。しかし、まだ犯人からこの家へ      連絡があるかもしれん。お前はここに残れ」  小野寺「はい」      進也、発作を起こす。   進也「(苦しそうに)……専務、じ、事件が解決したら、ク、クビなんてことない      ですよね……? (咳き込む)」   坂本「やっぱり奥さんだけ連れて行く」 ■街      坂本たちを乗せた覆面パトカーが道路を走る。      並走するように上空を、七、八台のヘリコプターが付いてくる。 ■ヘリコプターの中      カメラが覆面パトカーを撮っている。 ■覆面パトカーの中      ヘリコプターの轟音が聞こえる。   坂本「うるせえな……テレビの連中か……ったく」      容子、後部座席で大事そうにバッグを抱えている。      その思いつめた表情。   坂本「良かったですな」   容子「……」   坂本「翔太くん、きっとお母さんに会いたがってますよ」 ■アパート・外      沢山の警察車両が止まっている。      その後ろにマスコミ、野次馬たちがわらわらと集まりつつある。      車が停車し、中から坂本たちが降りる。   坂本「犯人の動きはどうだ?」   警官「立てこもってます。人質がいるし、うかつには手を出せま……」      容子、つかつかと中に入っていく。   坂本「あ、奥さん! ちょっと!」 ■同・居間      テレビ画面にアパートの外の風景。      食い入るように見る三人。      翔太は中村におんぶされ眠っている。 麻美の声「今日は私もスタジオを飛び出し、直接現場に来ています。ご覧下さい。      犯人たちにもはや逃げ道はありません」   古林「えらいぎょうさん来とるな」   中村「もうダメたい。自首するしかなか」   新井「自首とは、まだ犯人が誰か分からない時に名乗り出ることを指します。      こういう場合は出頭と言うんですよ」   中村「やかましか!」 麻美の声「ああっ! あれは翔太くんのお母さん。皆さん、ご覧下さい、我が子を      助けようと、母親が猛然とアパートに入っていきます!」      画面には、アパートの外階段を昇る容子の姿。      容子の姿、ドアの前で止まる。      玄関のチャイムが鳴る。   中村「ええっ!? どげんする?」      古林、テレビを切り、   古林「どげんもこげんも……」   新井「中に入れて人質にしましょう、長期戦になる」      翔太、目を覚まし、   翔太「うるさーい!」   中村「ああ、おじさんたち、うるさかったねぇ。ごめんねぇー」   翔太「下りるー!」      やれやれという顔で中村が翔太を床に下ろす。      と、翔太、中村のおしりにヘディング。   中村「イテッ! よし、母親にこいつの面倒みてもらおう」      古林、ドアを開け容子を中に入れる。      容子、つかつかと奥に入ってくる。   中村「ほら、サッカー小僧、母ちゃんが来たぞ」   翔太「鬼ババア!」      目を丸くする犯人たち。      翔太、中村の陰に隠れ、   翔太「ママなんかあっち行け!」   中村「何でだ?」   翔太「だって怒ってばっかだもん」   容子「(翔太をじっと見て)……」      新井、すばやく子供を引き寄せ、   新井「子供に危害を加えられたくなかったら大人しくしてて下さい」   容子「勝手にすれば?」   古林「は? な、何言っとんねん、お前」   容子「だから勝手にすればいいでしょ」   古林「子供、助けに来たんやろ!?」      容子、新井の足をボコボコ蹴る翔太をチラと見て、   容子「別に」   中村「え?」   古林「(笑って)強がるな、ほな何しに来たんや」   容子「事件は解決して欲しいけど、でも解決したら、また明日から家事と育児の      毎日……」      容子、バックから爆弾を出す。      驚く三人。   古林「ビビるな! こんなん、こけおどしに気まっとるわ!」   中村「でも、危なかろ!」   古林「俺らはもう病気やし、失うものは何もあらへん。そやかて、母親はそうは      いかへん筈やろ!」   容子「もう、全部終わりにしたいの」   古林「えええっ!」   中村「子供、死んでもいいとね!?」   容子「私が死んだら、子供だけ生き残っても主人じゃろくな世話出来ないわ」   古林「はあ!?」 ■同・外      マスコミの数、さらに増え、もはや百名を越している。      野次馬も騒がしい。      その中にいる麻美、化粧を直しながら出番を待っている。      野次馬の中には携帯のカメラで麻美の写真を撮る者もいる。      ちょっとしたアイドルの様な人気ぶり。      その中に専務と山本の姿。   山本「専務、あれ、中条麻美ですよ」   専務「本人か? わっ、こっち見た」      麻美、二人に微笑みかける。   山本「わ、笑ってますよ」      専務たち、麻美に近づき、   専務「いやあ、私、あなたの大ファンなんですよ」   麻美「どうもありがとうございます」   専務「あなたの様な出来た女性ばかりだったら日本はもっといい国になると      思うんだけどなあ!」   麻美「まあ、光栄です。フフフ」      笑顔で専務と握手をする麻美。      デレデレの専務。      そこにユリカ(10)と祖母の伸江(70)、麻美の夫、佑一(45)が来る。   伸江「いたいた」      麻美、ぎょっとして三人を見る。   麻美「あなた、お義母さん……ユリカまで……」      ユリカ、麻美からプイと目を逸らす。      麻美、人目を気にして、辺りを見まわし、三人を引っ張って逃げるように人混みを      出て行く。 ■駐車場      アパートから少し離れた駐車場。      群集からは少し距離がある。   伸江「子供放りだして何やってるのよ!」      麻美、佑一に抗議の眼差し。   佑一「(ためらいつつ)俺も……仕事あったし、おふくろにユリカの学校に行ってくれって      頼んだんだよ」   麻美「(甘えた声で)まあまあ、お義母さん、すみませーん」   伸江「ユリカ、一週間同じ服で登校してるらしいじゃないの。おまけにパンやカップ麺とか      ばっかり食べさせて……」   麻美「……」   伸江「そういうの育児放棄、って言うんですってね。先生にいろいろ言われたわ」   麻美「すみませんけど仕事があるので……」   伸江「いつもそう言って私や佑一に家事や育児を押しつけて……。今日は騙されないわよ。      さ、帰りましょう」   麻美「仕事中なんです。帰ったらゆっくり聞きますから」   伸江「女にはね、育児より大事な仕事なんてないの!」   麻美「……」      麻美の顔つきが徐々に険しくなってくる。   伸江「優しくしてたら調子に乗って……」   麻美「調子に乗ってるのはどっちよ?」   伸江「え?」      怯えだす佑一。   佑一「ユリカ、ちょっとパパと向こう行こうか」      佑一、ユリカを連れてそそくさと去る。   麻美「私の仕事のお陰で、あんた去年海外旅行行ったでしょうが」      麻美の変貌ぶりに呆気に取られる伸江。   麻美「佑一からコソコソ小遣い貰ってるのも知ってるのよ」   伸江「な……」   麻美「誰のお陰で楽しく暮らせると思ってるのよ。佑一の給料でマンションの      ローン払って、あんたの仕送りも出来るとでも思ってたの?」   伸江「親に感謝するのは当たり前でしょう。私の若い頃は……」   麻美「(遮って)今は時代が違うの。私に感謝して、孫の面倒くらい見なさいよ」   伸江「なんて嫁なの。呆れた。あ、あなたたち、離婚しなさい」   麻美「そう言えば私が困るとでも?」   伸江「あなた理想の母って言われてるんでしょう?」   麻美「その私の収入が無くなったら困るのはお義母さんと、うだつの上がらない佑一よ。      二人で貧乏しながら生きていく?」      麻美の迫力に気圧される伸江。 ■アパート・外      警官たちの輪から少し離れた所に坂本の姿がある。      すぐ近くに麻美。      坂本、腕時計を見る。      午後三時十分。   麻美「……ねえ、タバコ工場のほう、どうなったの?」   AD「何も連絡入ってませんが」   麻美「爆破予告の時間、とっくに過ぎたわね」   AD「(時計を見て)あ、ホントっすね」      考え込む坂本。 ■タバコ工場・内      作業服姿の男たちが、爆弾を探している。      懐中電灯で照らし、棚の裏を覗く男。      工場のベルトコンベアーの下をしゃがんで見る男。      金属探知機で床や天井を調べる男。 班長の声「こちら爆発物処理班、工場内をくまなく捜査致しましたが、それらしい物は      発見できておりません。現在、見落としがないか再度確認中です」 ■同・外      パトカーの中で無線に向かって話す、爆発物処理班の班長。   班長「犯人は本当に爆発させる気だったんでしょうかね?」 ■アパート・外      パトカーに装備された無線機を握る坂本。   坂本「どう思う、小野寺?」 小野寺の声「(坂本に)ガセだったんですかね?」   坂本「誘拐までやった犯人が、今更そんな事するか?」 小野寺の声「あ、じゃあ、警察に包囲されて、爆破どころじゃなくなったとか?」 ■一ノ瀬家・リビング      小野寺、ソファに腰掛ける。      ふと、キッチンの食器棚に段ボール箱があるのに気付く。      容子に宅配便で届いたあの箱である。  小野寺「……」 ■同・キッチン      小野寺が食器棚の奥から段ボールを取り出し開ける。      クッション材が少し入っているだけで空っぽの箱。  小野寺「?」      小野寺、箱を奥に戻す。      キッチンを出ようとして、床にくしゃくしゃに丸めた紙が落ちているのに気付く。 ■アパート・外      坂本の携帯電話が鳴っている。   坂本「(電話に)何だ?」 ■一ノ瀬家・キッチン      『警察に見せるな』『爆弾』と書かれた紙と犯人からの手紙を握りしめた小野寺。  小野寺「犯人たちが危険です!」 ■アパート・外   坂本「へっ!?」 ■同・居間      ホールドアップしている三人。      爆弾をかざす容子。   古林「なあ、もう止めてくれや。な、一緒に警察行こ」   中村「そうやそうや」   容子「……」   中村「(小声で)おい、肺癌。お前、爆発を止める方法ないとか?」   新井「さあ、僕はHPに載ってた通りに作っただけなんで……」      翔太が古林の足を蹴る。   古林「イテ。なあ、せめて子供だけでも助けてやらへんのか? あんた母親やろ?」      容子、恐ろしい形相で古林を睨む。      古林、すくみ上がる。   容子「母親だからとか、母親のくせにって言われるのが一番ムカツクのよ。母親だから      って何もかも私のせいにしないでよ!」      容子のヒステリックな叫びに、怯える犯人たち。      アパートの電話が鳴る。      ビクッとなる一同。      容子が顎をしゃくって古林に電話に出るよう合図する。   古林「(恐る恐る)もしもし……。あ、警察の方でっか? 助けてくれ〜! 殺される〜!」      容子が古林から受話器を引ったくる。 ■同・外      坂本が受話器を握っている。   坂本「親なら子を守るんだ」 容子の声「うるさい!」      容子のあまりの大声に驚き、受話器を耳から浮かせる坂本。 ■同・居間      容子が片手に受話器、片手に爆弾を抱え、犯人たちを睨み付けている。      すくみ上がる犯人たち。      翔太だけは一人楽しそうに押し入れの襖を蹴り破っている。 容子「守るって一体誰からよ!」      容子、泣き叫ぶ。   坂本「落ち着け」   容子「本当に子供を守りたかったら、その母親を攻撃しないで!」 ■同・外      各局のレポーターたちが競うように中継している。      警官たちが押しかける野次馬を下がらせている。   警官「押さないで。ほら危ないから!」   麻美「現場は依然として膠着状態が続いています。内部の状態をこちらからうかがい      知ることは出来ません!」   警官「下がってください!」      警官の静止にもめげず、強引に前へ出ようとする麻美。 ■一ノ瀬家・寝室      ベッド上で上半身を起こした状態の進也。      坂本と小野寺、進也の横に立っている。      テレビ画面はアパート前の光景。 麻美の声「犯人はどうやって脱出するつもりでしょうか? 母と子は無事なんでしょうか?」   進也「何だって!?」      進也、目を見開く。   坂本「とにかく私と一緒に来て下さい。爆発したら大変です!」      進也、クラクラしてベッドに倒れる。  小野寺「ちょっと! 寝てる場合じゃないですってば!」 ■アパート・外      人々の数がさらに多くなっている。      その中をかき分けるように進也たちを乗せた車が到着する。  記者A「ダンナが来たぞ!」      殺気立つ報道陣。      我先にと車に群がる。 ■車の中      沢山の報道陣の目、そしてカメラが車内を覗き込むように見ている。      記者たちが個々に車中の進也に話しかけているがうるさくて聞こえない。      小野寺が降りようとして、助手席に座っている進也を見る。   進也「待ってくれ」  小野寺「早く、奥さんを説得して下さい」   進也「俺じゃあいつを説得できない」  小野寺「え?」   進也「無理だ、俺には無理だ!」 ■アパート・居間      翔太が中村の足を蹴っている。   中村「おい、母ちゃんの所に行かんか」   翔太「オシッコ」   中村「えっ、ちょっと待て、我慢しろ。(容子に)あのー……」   容子「よろしく」   中村「く〜っ。(溜息)さ、来い」      中村が翔太の手を引いてトイレに連れて行く。      容子、翔太の動きをうつろな目で追う。      その容子の目の動きを見つめる古林。      トイレで用を足す翔太。      古林、容子の隙をじっと伺う。      中村、水を流し、翔太のズボンを上げてやる。      古林、一瞬の隙をついて容子に飛びかかる。   古林「うおー!」      新井も後に続く。      容子から爆弾を取り上げようとする二人。      中村も慌てて二人に続く。      取られまいと爆弾を抱きかかえる容子。      古林と中村、乱暴に容子の腕を掴んで爆弾を奪おうとする。   新井「下に落とすな、爆発する!」        もみあう四人。      必死の格闘。      爆弾が容子の手から滑り落ちる。      ゆっくりと床へ落ちていく爆弾。      一同、驚愕。      新井が受け止めようとする。      間に合わない。      そのまま、床へ近づいていく。      翔太がポカンとした顔で立っている。      容子、咄嗟に翔太の体を抱きしめ爆弾から守ろうとする。      その瞬間、翔太の成長していく様が走馬燈の様に容子の頭をよぎる。      ×  ×  ×         大きなお腹をさする容子。      ×  ×  ×      へその緒がついたまま、元気に泣く生まれたばかりの翔太。      医療スタッフが見守る中、分娩台の上で抱きしめる容子の笑顔。      ×  ×  ×      ハイハイする翔太、容子の胸に飛び込む。      ×  ×  ×         無邪気な顔で眠る翔太。      布団をかける容子。         ×  ×  ×      床に落ちる爆弾。 ■同・外      相変わらずマスコミの過熱した報道合戦が繰り広げられている。      麻美も負けじと声を張り上げている。   麻美「ああ、母子を助け出す手だては何かないのでしょうか!?」 ■同・居間      床の上に落ちた爆弾。      コロコロと転がり、静止する。   古林「あれ?」      静まりかえる部屋。   新井「不発?」      容子、ハッと我に返り、抱きかかえた翔太の顔を見る。      あどけない瞳で容子を見つめる翔太。   容子「……(涙が溢れて)」   古林「不発や、不発(笑って)おい、お前失敗作やんけ、笑わしよるな。ハハハ!」   中村「(泣き笑い)バンザーイ」   新井「そんなはずは……」      翔太、容子の手をすり抜け駆け出す。   中村「助かったぞ! バンザーイ、バ……」   翔太「ヤアー!」      爆弾を蹴とばす翔太。      一同、仰天。      ボールの様に勢いよく宙を舞う爆弾。      犯人側の壁にぶち当たる。      爆発。      真っ白になる部屋。 ■同・外      爆音と共に二階の部屋のガラスが吹き飛ぶ。      警官隊が一斉に中に入っていく。   麻美「爆発しました! たった今、私の目の前で部屋が爆発しましたッ!!」      進也、呆然とアパートを見上げる。 ■同・居間      中へ踏み込む坂本、小野寺、警官たち。      容子が床に倒れ、その傍らで翔太が泣いている。      翔太、警官に抱えられ、外へ出ていく。      犯人たちがいた場所、爆弾から近かっただけあって、圧倒的に建物の損傷が      激しい。      煙の中に中村の姿がある。   中村「た、助けて……」      警察や、救急隊員たちが瓦礫を取り除くと、古林、新井の姿も発見される。      犯人三人が担架に乗せられ、連行されていく。      小野寺、容子を抱き起こす。  小野寺「奥さん、しっかりして、奥さん!」      目を開ける容子。   坂本「どうやら稚拙な爆弾だったらしくそれほど威力が出なかったようですな」  小野寺「命拾いしましたね、さ、歩けますか?」        小野寺に支えられるようにして、ふらふらと外へ出ていく容子。      容子の後ろ姿を見送る坂本。   坂本「今日は、久々に早く帰ってみるかな……」 ■同・外      麻美にインタビューを受ける専務。   専務「夫を陰で支える妻は、いわばもう一人の社員です。この奥さんが母親として      犯人に勝ったということは、我々、帝国タバコの勝利でもあります! ガハハハ」      容子と小野寺が出て来る。   麻美「あっ、母親が出て来ました。子供を守るために危険を顧みず、臆することなく      中へ入りました。爆発が小規模で済んだのは、母親が爆弾の一部を犯人から取り上げた      ためだとの情報があります」   ■渋谷駅前      若者たちでごった返す街。      ビル壁面の大型マルチビジョンに容子の顔が映し出される。 麻美の声「母親とは何と勇敢なのでしょうか。私たち女性は愛する我が子の為に、ここまで      強くなれるんです!」      信号待ちをしている若者たち、画面を観ている。  少女1「マジ凄くない?」  少女2「凄すぎ」  少年1「母親なら当たり前だろー。ミカだって今に母親になんだぞ」  少女1「えー、お母さんになったら私もあんなに強くなんのかな?」  少女2「えー、私、絶対無理。子供なんていらなーい」      少女たち笑う。 ■アパート・外      救急車へと歩く容子。      その近寄りがたい雰囲気に人々が自然に道を空ける。      進也が容子を出迎えるように突っ立っている。      容子、進也を無視して通り過ぎる。      振り返り、容子の背中を見つめる進也。      後から翔太が走ってきて、進也の足に跳び蹴りする。      よろめく進也、翔太を見る。      翔太、進也に笑いかけ、   翔太「バカ!」      次第に笑顔になる進也。      翔太の手を取り、容子を追いかける。      麻美が容子の前に立ちはだかりマイクを向ける。   麻美「一言お願いします。まさに母は強しですね!」      その他の報道陣も一斉に容子を取り囲み、マイクを向ける。      容子、麻美の頬を張り倒す。   容子「母は強くなんかない!」   (終)