「終の棲家」 谷口 晃 ○ 大阪近郊・池山市   河に架かる鉄橋。近鉄電車が走っている。   遠くに、街が見えている。 ○ 同・池山市・駅周辺   デパート、進学塾、全国チェーンの居酒   屋などの新しいビル群。 ○ 池山市民会館・外観   隣接している広い駐車場。前の通りを車   が往き来している。 ○ 同・舞台   観客。演劇が上演されている。 ○ 同・舞台         上演が終わった舞台。袖幕が上げられ、   照明バトンが降りている。黒い作業着の   スタッフが数人、後片付けをしている。   胡麻塩頭を短く刈り上げた野村良吉(67)   が、照明器具を運んでいる。 ○ 同・舞台裏・事務所   チーフらしい男と良吉が、ソファーに座   って話している。 チーフ「すんません・・・おやっさん・・・」 良吉「いや、なんも、あんたに謝ってもらわ  んでも・・よう分かってます。社長に、礼  いうといて。今まで、よう、使こてくれた  て・・」 チーフ「いや、ワシらみんな、おやっさんに  世話なって、ホンマ、色々ありがとうござ  いました」   立って、頭を下げるチーフ。周りの若い   スタッフもつられるように立って頭を下   げる。 良吉「いや、いや・・ホンマ、みんな、あり  がとな」   事務所を出る良吉。 スタッフたち「お疲れさんでした!」   送り出すスタッフ。戻って来て、 スタッフA「これでっか?(首を手で切る動  作)」 チーフ「なあ・・例えバイトでも年寄りは危  ないって、会館、いうて来たらしい・・  社長ンとこへ」 スタッフA「なあ・・危ない、いわれたら・  ・・しゃあないなあ・・・普通なら、定年  とっくやで・・・なあ」 チーフ「いや、おやっさん、途中から会館、  勤めはったもんで、大した年金、貰ろてへ  んらしいんや。社長、昔、芝居一緒にやっ  た仲やで気の毒やいうて・・」 スタッフC「途中からて、あの人、元から照  明の人、違うん?」 チーフ「ああ、元は印刷やってはったんや。  ・・・市民劇団入っとって、そこで、照明  覚えて、遅そがけに会館の職員にならはっ  たんや・・」 スタッフC「そうでっかー・・ほんで、いっ  つも芝居熱心に観てはんのや」 スタッフD「あの人の奥さんですやろ?野村  聡子って・・・伝説の女優・・・」 チーフ「そうや。東京の舞台にも立ちはった  人らしい。本町の・・もう今、潰れてない  けど、フジモリ画廊て・・そこの娘さん」 スタッフD「フジモリ画廊て、今の喫茶フジ  モリ?」 チーフ「あ、あれ、その人の弟さん・・」 ○ 同・市民会館・外   裏口。会館を出る良吉、立ち止まって会   館を見上げる。 ○ 池山市・市営住宅(朝)   市街外れに、築四十年以上、スレート葺   き平屋の市営住宅が十棟建っている。一   棟に四戸の住居が棟割長屋のように入っ   ており、道に面した表側には玄関ドアが   四つついている。住宅の裏には、それぞ   れに十坪ほどの狭い庭があり、車を置い   たり、物置小屋を建てたり、野菜を作っ   ていたり、雑然としている。市営住宅の   周りを、近代的でカラフルな団地が取り   囲み、それに連なって大型量販店、スポ   ーツジム、フアミレス等が建ち並び、新   しい活気を作り出している。 ○ 同・市営住宅・野村良吉の家   裏庭に、今はもう使っていない古い軽乗   用車が置いてある。 ○ 同・中   六畳二間とダイニングキッチン、風呂、   トイレだけの家。部屋は小綺麗に片付い   ており、庭に面した六畳の間には小さな   仏壇があって、妻聡子の微笑んだ遺影が   飾られている。仏壇の横には、良吉が読   んだと思われる単行本が数列に別けて積   み上げられている。その横にCDコンポ、   何枚かのCDカセットが積まれている。 ○ 同・ダイニングキッチン  フライパンで卵を焼き、トースト、イン   スタントコーヒー等を手早く作り、朝食   を食べる良吉。テーブルの上の目覚まし   時計は七時を指している。 ○ 同・良吉の家・外   防寒用の帽子にジャンパー、軍手をはめ、   家の前の自転車に乗って出発する良吉。 ○ 同・市営住宅・仁村貴志の家・外   自転車にまたがって煙草を吸っている貴   志(65)。良吉が到着する。 良吉「お早う、さぶいなあ」 貴志「お早う、ホンマ、さぶいなあ」   二人、並んで、市営住宅を走り抜けて行   く。 ○ 池山市・市街   中心街の町並み。走っている二人。車が   多くなってくる。 ○ メイン・タイトル『終の棲家』 ○ 同・駅裏・駐輪場   駅から少し離れたところに、四百台程収   容できる大きな駐輪場がある。二人、駐   輪場に入る。半分ほどのスペースに、自   転車が整然と置かれている。隅の空間に   自転車を入れる二人。   藤井常吉(68)がやって来る。 常吉「お早うさん、ワシ、表、やるわ」 良吉「あ、お早うさん。ご苦労さん」   入れ違いに「池山市・人材シルバーセン   ター」の文字の入った軽乗用車が停まる。   中から職員の菅沼優(62)がボードを手   に出て来る。 菅沼「ご苦労さん」 良吉「あ、ご苦労さん。藤井さん、駅前、行  ってもろた」 菅沼「あ、そうでっか。(ボードに記入して)  ホナ、頑張って」 貴志「(笑って)ああ、ボチボチやるわ」 菅沼「ハハ・・・ボチボチな。さぶいで、風  邪ひかんようにな・・」 貴志「おおきに」   菅沼、車で去る。 ○ 同・駅裏・駐輪場   駅から吐き出された高校生が、続々、駐  輪場に入って来る。自転車に乗って次々出  て行く高校生、逆に乗り入れる高校生たち  で混雑してくる駐輪場。整理に追われる良  吉と貴志。 貴志「もー、相変わらず、池高、マナー悪り  ィなー。ナンボ勉強できるか知らんけど、  自分の倒した自転車ぐらい、チャント!元  へ戻せや!」   女子高生のひとりが、電車の時間を気に  して、自転車を置いて、慌てて走り去る。 良吉「チョット!キチンと並べて!いっつも   いうとるやろ!」 女子高生A「ハーイ」   返事するが、そのまま出て行く。 良吉「コラ!阪上高校の水野リサさん!」   名前を呼ばれて、ビクッと立ち止まる女  子高生。 良吉「(自転車を指して)名前、書いてある  がな。いうこと聞かんと、学校、報告する  よ」   女子高生、ふくれて戻って来て、 女子高生A「えらい、インケンやなあ、オッ  ちゃん!」 良吉「(他の自転車を並べながら)どっちが  インケンじゃ」   女子高生、近付いて来て、 女子高生「(眉間にシワを寄せて)あんたの  仕事やろ!金、貰ろとんのやろ!」 良吉「金て・・・(あ然として女子高生を見  る)」 女子高生A「朝っぱらからー!自転車ぐらい  でー!メッチャ、ムカツクー!」   女子高生、ガチャンと大きな音をさせて   自分の自転車を他の自転車に押し付け、   良吉を睨みつけながら去る。 貴志「ムカツク・・なあ・・。どうなっとん   のや、この頃の学校。どっちがムカツク   や!   短いスカートはいてからに・・大和なで   しこやろ!」 良吉「大和なでしこ!・・また古いなあー・  ・フフ」 貴志「古すぎたか?・・そやな、戦争中や・  ・ハハハ」 ○ 同・市街   シルバーセンターの帰り。自転車に乗っ  ている二人。 貴志「久しぶりに、風呂、行かへん?」 良吉「エエなあ!」 貴志「ほな、三時、家、行くわ」 良吉「ああ、待ってる」 ○ 銭湯・『松の湯』・外観 ○ 同・中   湯船のヘリに座って、くつろいでいる良  吉と貴志。 良吉「エエなあー、風呂は・・・極楽やー」 良吉、腹部の手術の傷跡を撫でている。 貴志「傷、どうやー?」 良吉「なあ、まだ、シックリ来んなあ。風呂   入ってる時が、一番や・・」 貴志「ワイのヒザも・・・冬は、自転車並べ   るのも、こたえるワ・・」   貴志が足を屈伸すると、内股に彫ったバ   ラの入墨がチラッと見える。 貴志「体の方、もう、どうもないんか?」 良吉「・・なあ・・・」 貴志「なんや、まだ、アカンの?」 良吉「いや、なあ、腸の方は、まあ、エエん  やけど・・・」 貴志「エエんやけど・・・何んなん?」 良吉「いや、こないだ・・肺もアカンて・・  医者に・・」 貴志「肺もアカンて!・・えー・・・それ、  えらいことやんか!」 良吉「なあ・・いや、最初の発見・・遅かっ  たでなあ・・・後も厄介らしいねん」 貴志「厄介らしいって・・・どないすんのー  ?」 良吉「なあ・・・もう年やで・・いじくり回  さんと、ギナギナ生きたろかなーって・・」 貴志「ギナギナって・・そんな!」 良吉「・・・・」 貴志「金・・・考えてんの?」 良吉「まあ・・なあ・・・転移ていわれたと  き・・・なんや、これ・・キリないなあ思  て・・」   寂しそうな良吉の表情。 貴志「・・・・」 良吉「いや、こないだ、劇団一緒にやってた、  村田さんちゅう人の見舞い、行ったんやけ  ど・・」 ○ 池山市民病院・外観 ○ 待合・ロビー   大勢の外来患者が待っている。 看護師「野村さーん」 良吉「ハイ(立つ)」 看護師「二診にお入り下さい」 ○ 同・内科診察室   シャーカステンに浮かび上がった肺のレ   ントゲン写真とCT画像を見ている医師。   入って来た良吉、座って同じように写真   を見上げる。 医師「なあ・・・(カルテを見て)二年前や  なあー、切ったの・・。肺の手術は、簡単  なんやけどなあ・・・」 良吉「何か?」 医師「(血液検査の数値を見ながら)ウン、  チョット、この血液検査の結果、気になる  なあ・・肝機能が・・(気を取り直すよう  に)ウン・・来週、一度、エコーやりまし  ょう!」 良吉「肝臓にも転移してると?」 医師「いや、まあ、・・とにかく、エコーと  CTやって、それ見てから・・」 良吉「・・・・」 医師「・・チョット、上、脱いで下さい」   良吉、上着を脱ぐ。医師、下着の上から   聴診器を当てる。 良吉「肺、切って、肝臓悪なったら、また肝  臓、切ってですか?」 医師「いや、肝臓は・・検査してみやんと、  ・・・肝臓は、手術以外にも、色々治療法  はありますから」 良吉「・・・・」 医師「野村さん、五回も六回も手術して、八  十過ぎても元気で生きてる人、ぎょうさん  いますから、信頼して治療しないと」   良吉「もうじき七十やでなあー・・」 医師、聴診器を外して背中をトントンと叩い  て、カルテに向かって、 医師「咳、痰はどうです?」 良吉「相変わらず・・出ます」 医師「身体・・ダルイとか・・食欲、吐き気  とか」 良吉「食欲も・・あんまり。吐き気も・・ま  あ時々・・なんや、夜、よう寝れんように  なって」 医師「そう・・抗がん剤の影響も多少ありま  すから。チョット、軽い睡眠薬と安定剤、  出します?」 良吉「ええ」 医師「(書き終わって)ホナ、来週エコーと CT、予約しときますので」 良吉「どうも、ありがとうございました」   良吉、診察室を出る。 ○ 同・病院・内科病棟   廊下を歩いている良吉。 ○ 同・村田公男の病室   ノックする良吉。 ○ 同・病室・中   入って来る良吉。椅子から立ち上がり、   会釈をする疲れた表情の房子(57)。村   田公男(65)がベッドに寝ている。点滴   の管、排尿の管、レスピレーターの規則   正しい音。ベッドサイドモニターの信号   音、デジタル標示の波形。 良吉「どうです?」 房子「ええ、ありがとうございます・・」 良吉「(病人を見ている)・・」 房子「変わりませんの・・ずーっと」 良吉「もう・・」 房子「・・じき、三月になります。(呼びか  けるように)あんたー、野村さん来てくれ  はったでー」 良吉「(公男を見つめている)・・・」   蝋人形のような公男の顔。 良吉「!・・」   目の窪みに蓮の葉の水滴のような水が溜   まっている。溜まった水に驚く良吉。房   子、それに気付いて、目の周りをティッ   シュで拭う。 房子「(拭いながら)ヒゲ剃って、顔拭いて、  毎朝、お早う、いいますねん・・・今日は  エエ天気やでー、今日は雨やでーって、・  ・一杯、色んな話、しますねん。フフフ・  ・わたしの退屈しのぎ・・」   良吉、房子を見返す。房子、微笑んでい   る。 房子「ねえ・・市民劇団やってた頃が、一番   楽しそうやったなあ。よう、してもろて」   規則正しいレスピレーターの音。 良吉「・・・・」   ベッドに寝ている公男の顔。 フラッシュ ・舞台上。恋人を演じている聡子と公男。 ○ 同・銭湯    同じヘリで、 貴志「アレな、人工呼吸器て、一旦付けると、  死ぬまでに取ると、殺人になるらしいでー。  金も、結構掛かるらしいし・・」 良吉「もう、前の村田さんの面影のうなって  ・・・二枚目やると、よう映えたんやけど  なあ・・・」 貴志「なあ、あんな治療・・ワイら、金ない  し・・・なんや、また来年から、家賃、六  千円に上るいうし、国民年金の月五万と、  シルバーの一万四千円では、死ぬ金は出や  んでー・・・」 良吉「ホンマやなあ・・」 貴志「いや、な、医者は、まあ命に貴賎はな  いちゅうて、ある程度の治療するわな。ほ  んでも、医療費の請求は待ったなしや!こ  っちは貯金も何もかもはたいてやさなあ、  挙句の果てが、ケースワーカーさんがお出  ましになって、生活保護や・・ほんで・・  ポイや・・」 良吉「・・死ぬのも・・ひと苦労や・・なあ  ・・」 貴志「フフ・・さっき、極楽やいうてたのに  ・・・フフフ」 良吉「ホンマや!・・死ぬ話、止めよ、いう  たのに・・・フフフ」   二人、顔を見合わせて笑う。 ○ 市営住宅・良吉の家(夜)   庭に面した六畳の間。座椅子に凭れて本   を読んでいる良吉。 ○ 同・布団の中   寝ている良吉。   枕元に焼酎のビンとコップがある。 ○ 同・布団(夜中)   暗闇の中。布団の上。背中を丸めて咳き   込んでいる良吉。 ○ 駅裏・駐輪場(朝)   働いている良吉と貴志。   次々と、自転車に乗って、走り出て行く   高校生たち。 ○ 駅・改札口   乗降客の雑踏。 ○ 同・駅裏・駐輪場   ロータリーの時計が九時を指している。   高校生の姿の無くなった駐輪場で、自転   車の整理をしている良吉と貴志。 ○ 同・駅前・駐輪場   自転車を並べている常吉。 ○ 桜の森市・遠景   近鉄電車が走っている。   遠くにお城が見えて、その下に街が広が   っている。 ○ 桜の森・東中学・校門(放課後)   下校して行く中学生たち。 ○ 同・中学・グランド   運動部が練習をしている。   その中のサッカー部。二階の教室から練   習を見ている中山純(中三)と友達たち。   サッカーの練習をしている松村(中三)   の素早い動きに、純の声がかぶる。 純の声「わたしが松村クンを意識したのは、   二学期、彼の隣の席になってからやった。   松村クンは、サッカー部だった。一番小   さい彼が、一番速かった」 ○ 同・中学・下校風景   純が友達らと歩いている。 友達A「なあ!早よ、コクったら?松村クン、  エエいう子、結構おるよ」 純「えー、そんな・・まだ・・・」 友達B「でも、純、見とったら、分かるでー」 友達A「勇気出せえ!」 友達C「勇気出せー!」   純を囃す友達たち。恥かしそうな純。 ○ 同・中学・教室(別の日)   机に座っている純。純、斜め前に座って   いる松村の背中を見つめている。突然、   振り向く松村。 松村「ジロジロ見るな!ブス!」 純「!」   目を見張る純の顔。 純の声「その時、わたしの中で、何かが壊れ た・・・」   近くの席の男子生徒、松村の声に驚いて、 生徒C「どないしたん!松村?」 生徒D「エライ怒ってからに・・・」 松村「コイツ、こないだから、オレのことジ ロジロ見やがって!」 生徒C「好きなん、ちがうー?お前のこと」 生徒D「ンなわけ、ないか!ハハハ」 松村「冗談キツイでー、もう!」   生徒D、Cとジャレ合う松村。自分の机   に座ったまま、唇を噛んでいる純の顔。 松村の声「ジロジロ見るな!ブス!」   声、徐々に大きくリフレインして・・。 ○ 桜の森・東中学・遠景(日替わり) ○ 同・中学・放課後の教室   タクシー会社の制服のままの中山澄夫   (45)、スーツ姿の和美(42)が、担任   の坂崎努(33)、養護教諭の村沢朝子   (41)と話している。 和美「ひと言も・・ですか?授業中も?」 坂崎「ええ、友達とも・・要するに学校の中  で、まったく喋らんのです」 村沢「場面緘黙症というのだそうです」 和美「バメン、カ、ン、モ、ク、ショウ?」 坂崎「家では話、しますよねえ?」 和美「もともと、口数の少ない子で・・・で  も、妹とは・・ほんでもこの頃・・妹とも  ・・・なあ」   和美、澄夫に同意を求める。 澄夫「・・・・」 村沢「いや、まったく喋らないのを全緘黙と  いうんですが・・・多分中山さんの場合は  ・・ショック受けて・・」 坂崎「あのー・・・カウンセラーの先生にも  立ち会うてもろて、その衝突した子とも、  話し合い、したんですが・・・」 ○ 教育相談室   「静物画」の油絵が壁に架かっている。   カウンセラーの武田貴美子(45)と純が、   部屋の真ん中の大きなテーブルを前に座   っている。坂崎に連れられて松村が入っ   て来る。松村、緊張した面持ちで、ペコ   リとお辞儀をする。 武田「(微笑んで)どうぞ、座って下さい・  ・」   松村と坂崎、純たちと向かい合わせに坐   る。 純「・・・・」 坂崎「じゃあ、よろしい?(武田に同意を求  める)」 武田「(やさしく頷いて)どうぞ・・」 坂崎「(純に)中山、・・あのー、松村クン  が・・君に謝りたいそうやから・・聞いた  って・・・ホナ、松村(促す)」 松村「(立って)・・あのー・・ゴメン・・  ・あの、ブスて、あのー・・ボクら男子の  間では、口グセみたいなもんで・・あのー、  そんなことで・・傷つかんどいてください  ・・あのー、中山さんのこと、ボク、ホン  マのブスて、思てへんので・・・ゴメンし  てください(頭を下げる)」   うな垂れて、泣きそうな松村。 坂崎「中山、松村は悪いヤツやない。な!ゴ  メンしたって!」 純「(コクンと頭を下げる)・・・」   ホッとしたような松村の顔。 純の声「松村クンは真剣に謝った。でも、わ  たし、多分、喋れやんやろ。わたし、もっ  と深いとこで、壊れてるんやろか?」 ○ 同・教室   話し合っている四人。 村沢「あのー、松村クンのことだけが原因や  ない思うんです。三年、まだ他にも不安定  な子、かなりいるんです。・・・受験、近  付くと・・毎年・・真面目で成績のエエ子  に限って・・・あのー、無理せんと、気長  に構えて下さい」 和美「気長にて・・・治るんでしょうか?」 村沢「それは、もう・・一生、喋らんて、そ  んなことありませんから・・・まあ、この  あと、カウンセラーの先生にも会って頂き  ますが・・」 ○ 純の家(朝)   団地。建売住宅が並んでいる中の一軒。 ○ 同・中   玄関。上がり框に座り込んでいる純。連   れ出そうとする和美。 純「・・・(動かない)」 和美「休んだらしまいや。今日休んだら、明  日も休みたなる。な、頑張るんや!純!早よ!」   引っ張る和美。動こうとしない純。 和美「休んだらしまいや、いうとるやろ!こ  のー」   和美、声が震えている。妹の綾(10)が   玄関に飛び出して来て、 綾「(叫ぶ)お母ちゃん!お姉ちゃん、可哀そ  うや!助けたって!」   澄夫も飛び出して来る。 澄夫「チョット、和美、無理すんなって!い  われたやろー!」   和美、澄夫を見据えて、 和美「そんな甘いこというて!学校へ行かん  ようになったら、どうなんの?この子・・  ・ええ!・・」   座り込んで、純の肩を揺すって、泣き出   す和美。 ○ 池山市民病院・外観 ○ 同・内科診察室   シャーカステンに映し出されているエコ   ーとCT画像。 医師「まあ、さっきまで医局でも話し合って  たんですが、野村さんの場合、かなり進行  した状態で手術しましたので・・やはり転  移は免れなかったいうことや思います。幸  い肝臓癌いうても、まだ小さいし・・・こ  の部分です(部分をペンで示す)部位もこ  こに限られてますので・・・」 良吉「(覚悟していたとはいえショックを隠  せない)はあ・・・じゃあどういうことに」 医師「まあ、この位置だと手術も可能ですが、  できるだけ体に負担を掛けない治療、まず  やって・・・と考えてるんですが」 良吉「肺は切る、いうことですか?」 医師「ねえ・・・肝臓への転移が認められま  したので、ちょっと、様子、変わってきま  したねえ」 良吉「というと?」 医師「ええ・・まず、肝臓の治療の目鼻をつ  けてということになりますねえ。それまで、  抗がん剤で、肺の癌叩いて、手術できる体、  作って」 良吉「体、作ってって・・二つも癌持って・  ・」 医師「・・・野村さん・・正直、かなりの覚  悟で戦わんと・・前にもいわして頂きまし  たが、本人が治す気力持たんと・・いずれ  にしても、まず入院して・・治療しましょ  う・・・わたしも、最善、尽くしますから」   シャーカステンの画像を見つめている良   吉。 ○ 市営住宅・戸村守の家   良吉の家の右隣。物置のような玄関。足   の踏み場もない。電話が鳴っている。守   (72)が庭に面した六畳の間でテレビを   見ている。長押には蒸気を吐いて走って   いるSLや、旧い型の客車の写真パネル   が数枚架かっている。咲子(75)が台所   でインスタントラーメンを作っている。   ダイニングのテーブルの上には消費者金   融から送られて来た督促のダイレクトメ   ールが散乱している。電話、鳴り続けて   いる。 守「フフフ(テレビに合わせて、時々笑う)」   咲子、面倒臭さそうに電話を取る。 咲子「ハイ・・・ハイ?・・おりません!・  ・・はあ?・・はあ?・・わたし耳、遠お  て・・・はあ?・・・知りません!・・・  知りませんて!(怒鳴って、ガチャンと切  る)」  すぐに鳴りだす電話。 咲子「浩、また、新しいとこ、借りたんやろ  か?」 守「どこって?」 咲子「カワムラ商事とかいうとった」 守「そんなハズないやろ。もうどっこも貸し  よらへんわ」 咲子「なあ・・・」   鳴り続けている電話。 ○ 市営住宅・武内滝子の家(夕方)   良吉の家の左隣。   滝子(49)が鏡台に向かって化粧をして   いる。布団に寝ている誠次(52)。ダイニ   ングのテーブルには、作った料理がラッ   プで被って置かれている。化粧を終えた   滝子、立ち上って、 滝子「あんた、コレ食べてな・・ホナ、行っ  てくるで・・」 誠次「ああ」 滝子「風呂、自分で沸かしてや」   滝子、もう一度、入り口の壁にぶら下が   った小さな鏡に、自分の顔を映して家を   出る。 ○ スナック『銀河』・外観   団地からそう遠くない街外れのスナック。   街の灯りが目立ってくる。 ○ 同・中   老人がカラオケを歌っている。   カウンターの中の滝子。ママが肴を作っ   ている。 ○ 良吉の家・表(別の日)   小さな松飾がドアの上に飾られている。   道路に澄夫の車が停まっている。 ○ 同・中   庭に面した六畳の間。良吉、澄夫、和美   が話している。 澄夫「母親がカッカするもんで、ますます純、  殻に籠って・・・家でも、話しせんように  なって・・・。母親と、一旦、離した方が  エエ思て・・カウンセラーの先生も、それ  もひとつの方法や、いうもんで」 和美「過干渉が原因のひとつやいわれて・・  わたし・・何も・・過の付くほど、干渉し  てるつもりないのに・・・」   不服そうにイラつく和美。 良吉「・・・・」 澄夫「ボクも仕事変わったばっかで、夜勤多  いし、余裕のうて」 良吉「・・・・」 澄夫「おジイちゃんとこでも行くか?いうた  ら、その時だけ、コックリ頷きますんや。  純、子供の頃からおジイちゃんに、なつい  とったで・・」   困り果てた澄夫の表情。 良吉「・・なあ・・こんなとこ・・お世辞に  もエエ、環境やとは・・」 澄夫「環境って・・そんな・・」 和美「・・・皮肉なもんや。お父ちゃんらみ  たいな、あんな氷みたいな家、絶対作らん  て、頑張って来たのに」 澄夫「チョット!・・お前・・・」 和美「その親に・・子供の面倒頼むやなんて  ・・もうー・・どうしてなんや・・純・・  (悔しそうに頭を抱える)」 良吉「・・・・」   煙草に火を点け、仏壇の聡子の遺影を見   る良吉。 ○ 病院・病室   ベッドの聡子(52)。枕元の良吉。 聡子の荒い呼吸。額に滲む汗。 聡子「う・・ふう・・ふう・・」 良吉「頑張りや・・」 聡子「あ・・・あ・・」   布団から滑り出した手、良吉を求めてい   る。その手を握る良吉。 聡子「(かすれた声で)か・かん・・に・ん  ・」 良吉「何や?・・」 聡子「・く・くる・・・し・・めて」 良吉「・・・何いうとんのや!アホ!ワシは  とっくに・・・ずっと前から・・・許しと  るがな・・・もう、ずっと前から・・・」   良吉、聡子の手を、強く握る。 良吉「そんな、しょうもないこと、いつまで  もいうとらんと、早よ眠り・・・ずっとこ  こにおるで・・」   聡子、安心したように、目を閉じる。   良吉、聡子の顔や首筋の汗を拭く。立ち   上がって、窓から外を見る良吉。 フラッシュ ・照明ブースの中の良吉。 ・舞台上。演技している聡子と恋人役の村田  公男。 ・喫茶店。話し込んでいる聡子と公男。 ・酔っ払って帰って来る良吉。 ・聡子を殴る良吉。 ・幼い和美を抱きしめて泣いてる聡子。  ○ 同・良吉の家   向き合っている三人。 良吉「ま、とにかく、チョット考えさしてん  か。ワシかて純は可愛い。今、直ぐにでも  ・・て思うけど・・・なあ・・・」 ○ 良吉の家(夕方)   ダイニングで、ひとり食事をしている良   吉。 ○ 同・中   庭に面した六畳の間。CDコンポから流   れるクラシック音楽を聴いている良吉。 医師の声「五回も六回も手術して、八十過ぎ  まで元気で生きている人、ぎょうさんいま  すから」 ○ 純の家(夜) ○ 同・純の部屋   純が、パジャマ姿でベッドに凭れてぼん   やり宙を見ている。 純の声「登校拒否て、わたしには関係ない!  人ごとや、思てたけど・・。毎晩、寝ると  き、大丈夫や!明日は絶対行けるでー!思  て、時間割、用意して寝るんやけど、朝に  なると、行けやんようになる・・」   壁に架かった制服。机の上には用意され   た鞄とノート類がキチンと置いてある。 ○ 良吉の家(朝)   電話が鳴っている。   布団から起きて来て、電話を取る良吉。 良吉「え!・・・来てへん・・えー!自転車  でて・・・お前とこからここまで・・・車  でも四十分はかかるんやで!」 ○ 純の家 ダイニングで電話している和美。 和美「・・いや、夕べ、また衝突して・・お  ジイちゃんも面倒見られやんいうてるて・  ・・もしかして純・・・・何んもかも信じ  られやん思て・・」 ○ 良吉の家 良吉「いや、ワシも渋ったん事実やから、ま  あ、エエが・・ほんなら、夕べからおらん  のか?」 ○ 和美の家 和美「いや、綾の話では、夜は自分の部屋に  おったって・・家出たの、朝、早よや思う」 ○ 良吉の家 良吉「ま、来たら、すぐ連絡するで・・・あ  あ、学校だけは連絡・・・いや、警察はま  だ・・ウン・・・ウン」   良吉、受話器を置く。 良吉「・・・」   良吉、思いついて、受話器を取って、プ   ッシュボタンを押して、 良吉「あ、タカやん、今日な・・・チョット   ・・あ!」   良吉、裏庭の人の気配に気付いて、 良吉「あ、チョ、チョット待って!」   良吉、受話器を置いて、庭に面したガラ   ス戸を開ける。   頬を赤くした純が、肩で息をして、自転   車のハンドルを手に立っている。 良吉「純!」 裸足のまま庭に飛び降りて、思わず純を抱き   しめる良吉。良吉にしがみつく純。 良吉「こんな寒い中・・・遠いとこを・・・  ゴメンな・・おジイちゃん、ホンマは直ぐ  にでも純、来させたかったんやけど・・・」   純、ウン、ウンと頷く。 良吉「可哀そうに・・さ、早よ、中、入り」   良吉、純を家の中に入れる。 良吉「あ、そや・・電話や、電話・・チョ、  チョット待ってな、純」  良吉、電話に戻り、 良吉「あ、待たして、ゴメン!孫、来たんや。  いや、行く、チョット遅れるけど行くいう  といて、ああ・・・スマン」   良吉、純の傍に来て、 良吉「あ!お母さん!電話するわ。心配しと  るやろで・・・お前、腹、空いてへんか?  パン焼くか?牛乳も・・・暖めて・・あ、  ま、電話や、あ、純!好きなだけ!お前の  好きなだけ、ここにいてもエエんやでー」   コクリと頷く純。   和美に電話を掛ける良吉。 ○ 良吉の家(次の日)   車が停まっている。   純の荷物を運び込んでいる澄夫。 ○ 同・表   良吉に頭を下げている澄夫。 澄夫「すんません、ホナ、しばらくお願いし  ます。受験の時にまた・・。純、チャンと  するんやで」   見送っている純。頭を下げながら車に乗   る澄夫。 ○ 同・純の部屋(夜)   六畳二間の内の、道路に面した方の部屋。   折りたたみ式の座敷机の周りには、家か   ら持ち込んだ教科書、参考書、辞書、パ   ソコン、CDコンポなどが置いてある。   純が勉強をしている。 純の声「おジイちゃんの家やと、気が安まる   ・・。どうしてやろ?受験の日まで、こ   こで勉強することになった・・」  ○ 良吉の家(朝)   朝食を食べている良吉と純。      ×    ×    ×   自転車で出て行く良吉。純が見送ってい   る。笑顔で手を上げている良吉。 ○ 駅裏・駐輪場   仕事が一段落した様子。良吉と貴志がフ   ェンスに凭れて、煙草を吸っている。 貴志「喋らんて、おジイちゃんにもか?」 良吉「なあ・わしには喋るはずやって、カウ  ンセラーの先生はいうたらしいんやけど」 貴志「まあ、女のお喋り、カナンけどなあ・  ・まったく喋らんちゅのも・・なあ」 良吉「喋らんと、ニコッて笑われると、なん  や、心配してるワシの方がアホに見えてき  て・・・ほんでも・・人間、何んも喋らん  でも、チャンと心、通じるもんやなあ・・」 ○ 良吉の家(夕方)   良吉「これ!みんなお前が作ったん?」 食卓の上の料理を見て驚いている良吉。 純「(頷く)」 良吉「ふーん・・・ビックリや」   食べている良吉。 良吉「ウマイ!美味いでー!エエ!もう何時  でも嫁さんに行けるでー」 良吉の食べるのを嬉しそうに見ている純。 ○ 同・純の部屋   ヘッドホーンをつけて英語の発音を繰り   反している純。良吉が入って行く。 良吉「池高、受けるんやて?」 純「(ヘッドホーンを外して頷く)・・」 良吉「大したもんや、トップやでなあ・・  英語、好きなんやて?」 純「(見上げて、嬉しそうに頷く)」 良吉「そうかー・・・」 純「(ヘッドホーンを付けて発音)Gover  nment of the people   by the people and f  or the people.Who s  aid this sentence?」 良吉「・・・そ、そんなん、リ、リンカーン  に決まってるやないか」 純、ニコッと笑ってVサインを出す。 良吉「お前、英語やったら喋れるんやなあ。  不思議やなあ?・・」   純、微笑んでいる。      ○ 良吉の家(朝)   良吉が「流し」で歯を磨いている。   純が起きて来る。 良吉「お早よう!」 純「(微笑む)」 良吉「・・・Good morning・・  うーんと・・ハウ・・How are   you?I always get up  ・・・えーとやさな・・えーと」 純「(微笑んでいる)」 良吉「・・まあ、エエか!・・無理に喋らん  でも・・・おジイちゃん、ちっとも困らん  で」    ×     ×     ×   良吉、玄関を出る。 良吉「ホナ、行ってくるワ」   純、微笑んで見送る。 ○ 駅裏・駐輪場   働いている良吉と貴志。 貴志「なんか、嬉しそうやな・・」 良吉「えー、そうかあ・・・」 貴志「うん、ニコニコしとる。自転車放らく  って行きおっても、怒らへんもん・・フフ  フ・・孫て、そんなに可愛いか?」 良吉「まあ、な・・」   良吉、楽しそうに働いている。 ○ 良吉の家(夜)   純が机に向かって勉強している。 ○ 同・良吉の部屋   寝ている良吉。良吉、コンコンと咳をし   ている。 ○ 同・純の部屋   机に向かっている純。パソコンを開いて   いる。 ○ パソコンの画面 メール「純ちゃんへ、メールありがとう!チ  ョット精神的に安定してきた様子が伝わっ  て来ました。いい、おジイちゃんですね。  もう少し落ち着いたら、相談室まで出てき  たらどうかな?─教育相談室─武田貴美子」   医学のサイトを検索している純。   肺がんのサイトが映し出されている。 純の声「おジイちゃんは夜、決まって咳をす  る。苦しそうな、ひどい咳だ・・・」 ○ 良吉の家(別の日の朝) 良吉「ホナ、行ってくるワ」   見送る純。洗い物をしている純。   テーブルの上の薬の紙袋を見ている純。   中身を取り出す純。カプセルと錠剤が出   て来る。 ○ 同・純の部屋   パソコンを開いている純。机の上のカプ   セルと錠剤。薬を検索している純。 純の声「!・・おジイちゃんの飲んでいる薬   は、抗がん剤、精神安定剤、睡眠薬、肝   臓も悪いのだろうか?・・」 ○ 良吉の家(別の日の朝)   朝食を食べている良吉と純。食べ終わっ   て煙草を吸おうとして、灰皿を探してい   る良吉。 良吉「灰皿は?」 純「(知らん振り)・・・」 良吉「(探して)おかしいな、いっつもここ  に・・」 純「(後片付けをしている)・・・」 良吉「あ!あんなとこに(一番上の棚から灰  皿の端が見えている)・・・純!お前・・」 純「・・・・」 良吉「そうかー・・・おジイちゃん、煙草吸  わん方がエエ、いうんか?」 純「(頷く)・・・」 良吉「・・・なあ・・・今さら、止めても・  ・・・」   良吉、持っていた煙草をしまって、靴を   履く。 良吉「行ってくるワ」   見送る純。 ○ 良吉の家(夜)   勉強している純。 ○ 同・良吉の部屋   布団に寝ている良吉。枕元の焼酎のビン   と飲みさしのコップ。 ○ 同・滝子の家   ダイニングで誠次が酒を飲んでいる。テ   ーブルの上の一升瓶。異常なピッチでコ   ップ酒を飲んでいる誠次。酔っ払って、   上体が揺れている。 誠次「・・くそったれ!・・・」 ○ 同・市営住宅・夜道   滝子が帰って来る。 ○ 同・滝子の家   ドアを開けてダイニングを見た滝子、誠   次の姿に呆然とする。 滝子「あ・・あんたー!」 誠次「なんや(目が据わっている)」 滝子「なんやて・・・あんた・あー・・また  やー・・」   滝子、ヘナヘナと玄関に坐り込んでしま   う。 誠次「文句あんのか!」 滝子「文句あんのかて・・・」   それ以上の言葉が出ない滝子。 誠次「文句あんのんか!」   誠次、矢庭に滝子に掴みかかる。 滝子「ひー」 誠次「文句あんのんか、いううとんのや。よ  ー、この、くされおめこが!・・・文句あ  りますのんか!」   髪の毛を掴んで、激しく揺する誠次。 滝子「(頭がグラグラ揺れて)ひやー・・か  ・髪・・・放して・・」 誠次「文句ありますのんか!(いいながら髪  を持って引きずり回す)」   髪の毛を持つ誠次の手が離れ、滝子、椅   子と一緒に流し台に叩きつけられる。椅   子で顔を打つ滝子。 滝子「うっ(顔を押さえ、その手を見る)」   誠次の泳いだ目、流しの包丁を見ている。   滝子、ハッとして、流しに駆け寄るが、   誠次の方が一瞬早く包丁を握る。誠次、   逃げる滝子を捉まえ、包丁を顔に突きつ   け、 滝子「ひえー(逃れようともがく)」 誠次「(滝子の耳元で)お前、船田とやった   やろ、ええ、船田とやったやろ、おめこ」 滝子「また・・・もう・・やってへんて・・・」 誠次「やったんや。おれ知っとんのや。やっ  たらやったでエエんや・・・素直にいえ、  許したるで・・・ええ・・やりましたて」 滝子「もう、何回いうたら・・・やってませ  ん。なあ・・・頼むで・・・頼むで(泣い  ている)もう寝て・・お願い・し・・ます  ・・あ・あ・・」 誠次「なにィ!寝よやとー!人、ジャマにし  くさって!」   激昂して包丁を振り上げる誠次。 滝子「ひえー!」   滝子、必死に誠次を跳ね除ける。誠次と   一緒にテーブルが食器棚に衝突して、食   器の割れる音が響く。 ○ 同・良吉の家   勉強している純、物音に驚く。   滝子の大きな悲鳴。 ○ 同・良吉の部屋   純、寝ている良吉の袖を引く。純に気付   く良吉。 良吉「うん?」   純、強く良吉を揺する。 良吉「(争いの声を聞いて)ああ、いっつも  のことや・・・」   続いて起きる大きな物音。   「ぎやぁー」、ひときわ大きな滝子の悲   鳴。 良吉「(異常な悲鳴に)!・・」 ○ 同・滝子の家   ダイニング。床の上の血糊の跡。必死に   這い回っている滝子。誠次、包丁で滝子   の足を刺す。 滝子「ぎゃあー、誰かァ!・・誰か・・来て   ・・」   良吉が入り口から飛び込んで来る。   誠次、良吉を見て、一瞬ひるむ。 良吉「誠次やん!ええ加減にせんか!」   良吉の一喝。萎える誠次。良吉、素早く   二人の間に割って入る。良吉にしがみつ   く滝子。 誠次「そいつが・・・そいつが・・」   床に座りこんで、虚ろな目で滝子を見て、   ブツブツ呟いている誠次。 良吉、外に飛び出し、近所に向かって、  良吉「(叫ぶ)誰か!救急車!救急車、呼ん  でんか!」 ○ 良吉の家(数日後)   腕に包帯を巻いて、頭にネット被った滝   子が入り口に立っている。上り框の良吉   と純。 滝子「ホンマ、世話かけて・・」 良吉「まあ、大事にならんと、ホンマ、よか  った」 滝子「・・・・」 良吉「誠次やんもなあ・・普段は温しい、エ  エ人やのになあ」 滝子「いっつも病院出て来ると、お前が可哀  想やで、もう絶対飲まん、いうてくれるん  やけど・・・もう、こんで、四回目や」 良吉「なあ」 滝子「今も寄って来たんやけど、包帯見て、  顔そむけて、スマンて・・ワアワア泣いて  ・・・(気を取り直して)ホンマ、色々あ  りがとうございました」   丁寧に頭を下げる滝子。 ○ 守の家(深夜)   黒い大きな乗用車が家の裏庭に音もなく   停まる。車の中には浩(45)と、白いフ   アーの襟、真っ赤なダウンジャケットの   由美(27)、スーツを着た遊び人風の澤   井(26)が乗っている。三人しばらく車   内で忍び笑いをしながらを話をしている   が、浩が車を降り、裏庭から家に入る。   車去る。 ○ 良吉の家   勉強している純。 純の声「おジイちゃんの咳がおさまって、よ  うやく眠った頃に、隣のオジさんが静かに  帰って来る」 ○ 守の家(朝)   浩がダイニングのテーブルでパンを食べ   ている。咲子と守が、それを見ている。 咲子「三万下ろしたて、ホナ、残り一万やな  いか!一万で、どやて食べてくんや!ええ!」 浩「何んとかするわイ!」 咲子「何んとかする、何んとかするて!電気  代払えへんで!また、電気止められるがな!」 浩「何んとかする、いうとるやろ!」 咲子「どう、何んとかするんや!」 守「(もぐもぐと口を動かして)じ、腎臓と  ・・か、角膜・・売ったらどうや・・・フ  フフ」   浩、守を見てニヤッと笑い、 浩「フフフ・・まあ、その時、来たらな」 咲子「もうー、ホンマに、親の年金もなんも  かも食い潰してからに・・・」 浩「毎朝、毎朝、同んなじこと、何べんも、  何べんも、いいさらすな!ボケ!そのうち、  チャンと返したるワ!」   浩、ジャケットを引っ掛け、出て行く。 ○ 池山競輪場・外観 ○ 同・中   バンクを走る選手。観衆の歓声。 ○ 同・観客席   雑踏。貴志が通路に立ってハズレ車券を   見つめている。 浩「オッちゃん!」   後ろから浩の声、 貴志「(振り向いて)お、浩!」   浩が、人懐っこい顔で立っている。   浩の後ろには、スタイルのいい由美と、   スーツ姿の澤井が立っている。二人、貴   志を見て、軽く笑って会釈する。 浩「取ったかー?」 貴志「アカン!アカン!まあ、ワシのは遊び  やで、フフ」   貴志、三枚のハズレ車券を示す。 浩「ボクもアカン・・全然や・・」   浩、五枚ほどの特券を破り捨てる。 浩「(振り返って)由美ちゃん・・もう二万、  回してー」 由美「えー、まだ、やんのー?」   由美、ヴィトンのバッグから金を出して   浩に渡す。   ○ 駅裏・駐輪場   仕事が終わった良吉と貴志。煙草を吸い   ながら話している。 貴志「オッちゃんには悪いけど、アイツはア  カンでー。あれは、ワルや。匂いでわかる  ・・いや、ワシがいうのもおかしいけど、  アレ、ヤクザより始末悪りィでー。・・ア  イツら、ヘンに愛想ようて、その癖、目の  底は笑ろとらん・・・裏、回ったら、なん  でもやるちゅうヤツの目や。・・・オッち  ゃんは、エライ息子、育てよった・・・」 良吉「何、しとんのや?」 貴志「何、しとんのかなあ・・まあ、ワシが  見たとこでは・・女は・・ソープかヘルス  か・・ま、身体で稼いでる女やろ。間違い  ない。ほんで、浩もあの若いのも、ヒモや  ろ」 良吉「二人がか?」 貴志「そやろな・・どっちともヤッとんのや  ろ、あの女は・・。誰がどう騙まされるん  か・・・」 良吉「オバちゃん、子供の頃、甘やかして育  てたもんで、ていうとったなあ・・・まあ、  リストラされて、ツレと商売したのが、ツ  マヅキの元やろけど・・・」 貴志「なあ・・嫁さんも、子供もおったらし  いのになあ・・・」 ○ 良吉の家(午後)   良吉、貴志、守、咲子、純が庭に面した   六畳の間で、ちゃぶ台を囲んで飲んでい   る。ちゃぶ台の上にはスーパーで買って   来た簡単な酒のツマミが載っている。貴   志がギターを持ち込んでみんなに囲まれ   ている。 貴志「昔の曲やったら・・前はリクエストさ  れたら、なんでも、すぐ歌えた」   貴志、ギターを調弦しながら得意そうに   話している。 良吉「流し、しとったって?・・」 貴志「流しの弟子な・・」 良吉「ま、なんでもエエで、一曲、歌とてえ  さ」 貴志「(調弦終わって)何がエエかな・・・  そやな・・」   貴志、弾き語りを始める。 アダモの『雪が降る』。聞き惚れるみんな。  演奏が終わる。割れるような拍手。 咲子「(感激して)口だけ、ちゃうんや」 貴志「まあ、な、フフフ」 守「(身体をギクシャクさせて)い、いまで  も、な、流しできるなあ・・」 貴志「アカン、アカン、もう、みんな辞めた、 いま時・・もうカラオケ!カラオケの時代」     常吉が入って来る。 常吉「こんにちワ」 貴志「おー、来た、来た。インテリの常さん  が来ました」 常吉「お招きにあずかりまして、失礼します」   常吉、ニコニコ笑いながら上って来る。 常吉「インテリって・・そんな言葉、もう、   いま時、使わへんでー、なあ、純ちゃん」   常吉、坐りながら、純に同意を求める。   笑っている純。貴志、常吉にコップを持   って来て、ビールを注ぐ。      ×     ×     ×   酔いが回って、座がくだけている。 良吉「チョット!みんな!元国労闘士のオッ  ちゃんの意見、聞こうや!今の教育の・・  ・」 「そや、そや」と貴志。 守「・・あの・・ふむ・・ふむ・・」   守、口ごもって何か言いたそうだが、う  まく喋れない。 咲子「もう、長いこと人前で話さんもんで・  ・キチンと、よう喋らんの(笑う)・・・」 守「(モグモグと口ごもって)・と・・闘士  て・・そ、そんな・・わ・ワシはもう(突  然大きな声で)国鉄が・・国鉄が・・・J  Rになってしもて、それから、今の日本は、  何もかも、おかしくなったんだ!・・・何  もかも!ワシはそう思もとる!」      守のカン高い断固とした叫び声に、みん  な驚いて、黙ってしまう。        ─間─   守、興奮した赤い顔のまま、まだ「ブツ  ブツ」いっている。 咲子「・・もう!・・(守の袖を引いて)み  んな黙ってしもたがな」  外が暗くなって来る。    ×     ×      ×   滝子が入って来る。 滝子「こんばんワ・・・」   「おー」「待ってました!」「遅いやな   いかー」と口々に囃す声。 滝子「これ、焼いて貰ろて、買うてきたん」   パックに詰めた串刺しの焼き鳥を差し出   す。 良吉「わー、こんなにー」 貴志「おー、駅前の『鳥吉』や」 滝子「そう」 貴志「あそこ、これ、美味いんやで」   焼き鳥を囲んで、座が盛り上がる。     ×     ×     ×   貴志の伴奏で『大阪で生まれた女』を歌   っている良吉。『舟歌』を歌っている滝   子。貴志が、みんなに阿波踊りの手ほど   きをする。貴志のギター伴奏、見よう見   まねの阿波踊り。   いくつかのショット。   良吉、ポツンと所在無げに座っている守   に気を使って、 良吉「オッちゃんも、何んか歌とて!」 咲子「アカンんて!良さん、この人、歌・・  無理、無理(手を左右に振る)」 守「(モグモグして、微笑んで)イヤ・・・  ホナ、チョット・・歌う・・かな・・」   一同「おー」と歓声。 咲子「チョット!あんた!(袖を引っ張る)」   守、咲子を振り払って、立つ。 守「民族独立行動隊の歌!歌います」 貴志「おーし!」 みんな「・・・・」 守「♪民族の自由を守れ    決起せよ祖国の労働者    栄えある革命の伝統を守れ    血潮には 正義の血潮もて 叩き出せ    民族の敵 国を売る 犬どもを    進め 進め 団結固く    民族独立行動隊 前へ前へ 進め    民族の独立勝ち取れ・・・ 守「・・・・アカン、二番忘れてもた・・」 常吉「ふるさと南部工業地帯や・・」   常吉、立って、 常吉「♪ふるさと南部工業地帯     再び焦土の原と化すな   あと、一緒や」   良吉も立って、手拍子を打ちながら一緒   に歌う。みんなの手拍子。純も手を叩い   ている。 常吉「♪血潮には 正義の血潮もて 叩き出せ     民族の敵 国を売る 犬どもを    進め 進め 団結固く    民族独立行動隊 前へ前へ 進め」 常吉「ホレ、もう一度、血潮には正義の・・・」   みんなの大合唱。歌終わる。   大きな拍手。 良吉「オッちゃんの歌が、一番盛り上がった  でー!」   また、拍手。嬉しそうな守の表情。 貴志「良さんも知っとんのや?こんな歌」 良吉「ワシ、六十年安保、もう劇団にいたで、  あの頃よう劇団でデモに行ったもんや。大  阪まで、行きよったでー」 貴志「フーン、ワシが大阪でワルやってた頃  や・・」      ×     ×     ×   なごやかに話しているみんな。 守「あの・・・良さん・・・あの・・」   良吉に何かいいたそうな守。   純が良吉の袖を引く。 良吉「(純に引かれて)え、何?オッちゃん?」 守「あのー、れ、レコード・・か、掛けてく  れやんかな」 良吉「レコード?あ、CDか?」 咲子「ああ、そう、聞えて来るんや良さんと  このレコード。この人、好きやねん、クラ  シック」 良吉「えー、今からー?」 常吉「エエやないか、たまには・・・クラシ  ック聴くの・・賛成や!」 貴志「ワシもエエよ、聴いても・・よう分か  らんけど・・」 良吉「エエ?・・やる?・・・(みんなを見  回す)・・」   滝子、頷く。 良吉「ホナ、分かりやすいとこで、ベートー  ベンでもいくか」 貴志「偉そうに」   良吉、CDを選んで掛ける。流れるベー   トーベンの交響曲。場違いな交響曲がみ   んなの心を洗う。純の穏やか表情。     ×     ×     ×   帰り支度のみんな。 貴志「ありがとうさん。楽しかった!」 守「(もぐもぐさせて、良吉の手を握って)  おおきに・・・」  守、うっすらと涙ぐんでる。同じように嬉  しそうな咲子。 良吉「また、やりましょ」       ×     ×     ×   キッチンで洗い物をしている純。 純の声「みんな楽しそうだった。みんないい  人だ。きっとおジイちゃんは、わたしのた  めに、みんなを呼んでくれたのだ」 ○ 守の家(別の日)   守が電話をしている。咲子が傍で名簿を  繰っている。    守「(モゴモゴと)イヤ、そこを何んとか・  ・・なあ・・・情けない話やけど・・・ス  マンけど・・何んとか・・一万でええんや  けど・・・はあ・・・そうですか・・・ハ  アー・・」   咲子、もっと粘れと手で合図をする。守、   電話を切る。 咲子「何んで切るん?・・・梶原さん、アン  タ、散々、面倒、見たったやないの」 守「もう・・ゴメンしてくれて・・・いや、  め、面倒見たで、か・・かえって・・いい  にくいんや」 咲子「一万ぐらいの金で、ゴメンしてくれて、  腹立つなあ。いいにくいて、そんなことい  うてられる時か!ええ!もう、おとといか  ら・・何んも、食べとらんのやでー」   咲子、名簿を差し出し、 咲子「これ・・次、島本さん」 守「えー・・ま、また島本か・・・ま、前に  も断られたでな・・」 咲子「家、よう、酔っ払って来て、わたし夜  通し、話・・付き合うたがな!」 守「えー・・・後輩は、カナンなー」 咲子「もおっ!二日も水飲んで、綺麗ごとい  うとれるか!」   守と咲子、電話を掛け続ける。 ○ 良吉の家(朝)   ダイニング。朝食を食べている良吉と純。   電話が鳴る。取る良吉。 良吉「え!亡くなられた・・今朝・・」 ○ 市民病院・廊下・電話   村田房子が電話している。 ○ 同・病院・病室   すべての医療器具がとり払われた病室。   ベッドの上の村田公男の遺体。   枕元の房子と良吉。 房子「わたし、ウチの人と奥さんとのこと、  知ってましたの・・・一緒に暮らしてたら  分かりますもの」 良吉「・・・・」 房子「でも、奥さん・・この人のことを想た  りなんか、しやはらへんだ思います。・・  ・野村さん・・・気ィ、悪されるかもしれ  ませんが、奥さん、多分、田舎の劇団に来  て、悩んではったんや思います。東京で、  一旦、本格的にお芝居やらはった人やで・  ・・それを、この人にぶつけただけで・・  ・」 良吉「・・・・」 房子「・・・この人・・想もてもくれへん人  のこと、ずーっと死ぬまで、想い続けて・  ・」   公男の遺体。房子、重ねられた遺体の手   を撫でる。房子の目から、涙がこぼれ落   ちる。 ○ 同・病院・玄関   出てくる良吉。 ○ 市街   自転車の良吉。 ○ 市民会館・前   自転車にまたがったまま、モニュメント   の裸婦像をぼんやり見上げている良吉。 フラッシュ ・会館前・市民劇団の集合写真。聡子、公男、  良吉らと、その他大勢の劇団員の笑顔。 ○ 良吉の家(夕方)   ダイニングのテーブルに座っている良吉   と純。夕食を終わったひと時。良吉がア   ルバムを開いて話している。 良吉「これ、チェーホフの『櫻の園』公演の  時の記念写真や。大掛かりやったなあ・・  おバアちゃんが、やろいうて・・・これ、  真ん中のドレスがおバアちゃん・・ラネー  フスカヤや・・隣が昨日亡くなりはった村  田さん・・・おジイちゃんどこに居るか分  かる?」   純が指で示す。 良吉「・・・そやそや・・・裏方の格好や・  ・・おバアちゃんが、ラネーフスカヤが(  演技をして)・・ああ、わたしのいとしい、  なつかしい、美しい庭!・・わたしの生活  ・・わたしの青春、わたしの幸福、さよう  なら!・・さようなら!・・・ちゅうて・  ・ほんで、みんなが、次々舞台から消えて  くんや。誰もおらん舞台や、間があって・  ・・ゴーンて、桜の木切る、鈍い音、響く  んや・・・おジイちゃん、照明やりながら、  それ見てて、涙、出てきよってな・・」 良吉をいたわるような純の顔。 良吉「いやー・・おジイちゃん、おバアちゃ  ん、初めて見たとき、綺麗やで見とれてし  もて・・・」 純「(楽しそうに笑っている)・・・」 良吉「あんまり見るもんで、嫌われて、避け  られてしもて・・・・・」   純、良吉の袖を引っ張って、先を話せと   促す。 良吉「えー・・これから先、照れ臭いで、煙   草一本、吸わしてんか・・ホナ、話すわ」 純「(ちょっと表情を曇らせて)・・」   純、テーブルの上の英語のテキストを丸   めて、良吉の頭を叩く。 良吉「アイタ、タ・・・(頭を抑える)」   純、笑っている。     ×     ×     × 良吉「おバアちゃん東京の劇団におって、お  父さんの体悪なったんでこっちへ帰ってき  たんや・・・みんなの憧れやったなあ・・  ・おジイちゃん、おバアちゃんの稽古、毎  日、見に行って・・・おジイちゃん裏方や  で、いっつも早よ終わるんや。ほんで、帰  り、送っていく時、一生懸命、感想いうて  ・・・。キツイこというと、おバアちゃん  怒りおってな・・・そらそや、おバアちゃ  んは東京の大学出て、東京の劇団入った、  ここらでいうたら、バリバリのエリートや。  おジイちゃんは定時制で演劇に目覚めた、  芝居好きの貧乏印刷工や。ほんでもおジイ  ちゃん・・苦労してる人間は、芝居も人一  倍分かるて信じて、嫌われてもエエ・・お  ジイちゃんだけはこの人に正直に感想いお  う思て・・・そのうち・・・だんだん、お  ジイちゃん、おバアちゃんに、信頼される  ようになってな・・」   得意そうな良吉の顔。 純「(嬉しそうに音の出ない拍手をする)・  ・」 良吉「おバアちゃんにな、ある時・・・デー  トしとってな・・・この世に生まれて、ど  んなふうに生きんのが一番幸せなんやろう  ?て・・聞かれて・・・おジイちゃん答え  られやんだ」 純「・・・・」 良吉「いや、おジイちゃん、おバアちゃんと  並んで歩いてるだけで幸せやったもんなあ  ・・おバアちゃん、何んていうた思う?」 純「(目を輝かして)・・・」 良吉「・・この世の、本当に美しいものを、  美しいと感じて、感動しながら生きていく  ことかなあって・・・目え、輝かして・・」 純「・・・・」 良吉「おジイちゃん・・その、おバアちゃん  見て、また憧れたなあ・・若かったなあ・・  ふたりとも」 微笑みながら良吉を見ている純。 純「・・・・」 ○ 同・純の部屋    純がマフラーを編んでいる。 純の声「おジイちゃんは、最近、わたしの作  った料理も、あまり食べなくなった・・。  病院から電話が掛かって来た。おジイちゃ  んは病院へも行っていない・・」 ○ 同・良吉の部屋   良吉、単行本を読んでいる。 医師の声「かなりの覚悟で戦わんと、本人が  治す気力持たないと・・」 フラッシュ ・蝋人形のような公男の顔。目の窪みに溜ま  った水滴。     ×     ×     ×   夜中。身体を折って苦しんでいる良吉。     ×     ×     ×   布団の上に頭を抱え込んでうずくまって   いる良吉。庭がぼんやり白くなって来る。 ○ 良吉の家(朝) 良吉「行ってくるワ」   見送る純。 ○ 駅裏・駐輪場   良吉と貴志が働いている。 ○ 銭湯『松の湯』   湯船のヘリに座っている二人。   突然、貴志が、ポツリと、 貴志「・・・死ぬ気やろ・・・」 良吉「!・・・」   良吉、黙って湯船に入り、下から貴志を   見上げて、 良吉「また、死ぬ話か?・・・」 貴志「・・誤魔化さんでも・・分かるでー。  顔色見たら・・長い付き合いや。ずーっと  一緒に仕事して・・・いっつも、ひっつい  とんのや・・もう病院も、ずーっと行っと  らんし・・・」 良吉「・・・・・」 貴志「どうせ、死ぬのに・・医療費使こて・  ・ボロボロになるより、ちょっとでも、純  ちゃんに金残した方がて・・思もとるやろ  ・・・」 良吉「・・・・」 貴志「ワシも、もう、いつ死んでもエエけど、  死ぬ理由、無いしなあ」 良吉「タカやんは死んだら、アカン・・神さ  ん怒るでー・・どっこも、悪るないんやし」 貴志「なあ・・まあ、生きとっても、あと、  何んも、エエこと、無いけどなあ・・」 良吉「ほんでも、元気やいうことは、神さん  が生きよ、いうとる、ちゅうことや」 貴志「なあ・・・ま、競輪、当るかもわから  んな・・・ハハハ」 良吉「ハハハ、そやな・・ハハハ」   二人、軽く笑う。 ○ 良吉の家(朝) 良吉「行ってくるワ」   見送る純。   ○ 同・純の部屋   純、押入れの中から編みかけのマフラー   を取り出す。編んでいる純。 ○ 池山市・商店街   ケーキ屋から出て来る純。   純の声「久しぶりに町に出た・・・」    ○ 同・池山市・河口   河が広くなって、遠くに海が見える。   海鳥が飛んでいる。歩いている純。 純の声「空気を、胸いっぱい吸い込んだ。気  持よかった・・・」 ○ 良吉の家(次の日・夜)   ダイニングの良吉と純。   純、薬とコップの水を差し出す。 良吉「薬、飲めいうんか?」 純「(頷く)」 良吉「・・・純がおジイちゃんの心配してく  れるんは、嬉しいけど、おジイちゃん自分  の身体、自分でよう知っとる。今、薬飲む  と、抗がん剤やで、身体、かえって調子、  悪るなるんや・・おジイちゃんの一番の薬  は純の笑顔や・・・心配せんどき・・」 純「・・・・」     ×     ×     ×   純、おもむろにマフラーを取り出し、   良吉に差し出す。 良吉「えーこれ!純が編んでくれたん?」 純「(頷く)」 良吉「(感激して、巻く)・・?・・えらい、  長いなあ?」   純、立って、良吉の首にマフラーを巻い   てやり、残りを自分の首に巻く。楽しそ   うな純と良吉。 良吉「あ、こりゃエエ、こりゃエエわ・・ず  っと・・こうしとろか?」  純、悪ノリした良吉の頭をポカリと叩く。 良吉「ア、イタッ!」   純、良吉に、リボンの付いた小さな紙袋   を渡す。良吉が袋を開けると、中からチ   ョコレートが出てくる。 良吉「あ、そうかー!バレンタインデーなん  や。今日は・・・。おおきに!純・・」   感激している良吉。微笑んでいる純。    ○ 同・ダイニング   長いマフラーを巻いて、ひとり飲んでい   る良吉。純の声、かぶって、 純の声「その夜・・・おジイちゃんは、わた  しの編んだラブ・マフラーを二重に首に巻  いたまま、チョコレートをツマミに、遅く  までお酒を飲んでいた・・・」     ○ 守の家(別の日の夜)   六畳の間。テーブルの上に二本のローソ   クが立っている。布団をかぶった守と咲   子の顔が、ローソクの光に照らし出され   る。 咲子「ローソクもエエもんやなあ、ロマンチ  ックで・・・」 守「(口をもぐもぐさせて)ろ、ロマンチッ  クなあ・・フフフ」 咲子「電気止められると、何かと不便やで、  浩、ますます、家、寄り付かんようになる  なー」 守「さぶいなあ・・夏実と真に、会いたいな  あ・・」 咲子「浩、やっぱり幸子さんが忘れられやん  のやなあ・・・ほんで、あんなふうに荒れ  るんやろ・・根は優しい子やのになあ・・  ・」   ローソクに浮かび上がる咲子の横顔。 ○ 咲子の回想   駅。プラットホーム。列車が停まってい   る。咲子(41)と浩(8)が最後尾の車両   の守(38)を見ている。乗務している守、   列車のドアの窓から、二人に精一杯の敬   礼をしている。咲子が手を振って答える。   鳴る汽笛。発車する列車。飛び跳ねるよ   うにして見送っている浩。 ○ 同・守の家   ローソクを見つめている咲子の横顔。 咲子「国鉄、勤めてた時のアンタ、今から思  うと、一番生き生きしとったなあ・・・」 守「そ、そかなあ・・・」   守の横顔。 ○ 守の回想 分会長の声「先ず組合活動に熱心な人間が狙  われる。民営化が組合潰しなのは明らかで  す」   駅長室に入って来る守。   まだ若い職制(43)が机を前に座ってい   る。横に助役(48)が控えている。二人   の前に座る守(52)。 職制「(書類を見て)執行委員を一度、分会  長を二度ですか・・」 守「分会長は、まあ、職場代表ですから・・  職場の仲間に推されて・・・」 職制「分会長さんねえ・・わたし、大学出て、  国鉄に入って、最初に赴任した職場の歓送  迎会の席で、分会長さんといわれる人に訓  導を受けましてねえ。彼は、空襲の時も、  あの戦後の復員列車の混乱の時も、ダイヤ  を必死に守りぬいた先輩たちの感動的な話  を、滔滔と聞かせてくれましたよ。この国  を支えているのは輸送の基幹を担っている  国鉄マンだと。わたし、それ聞きながら、  何をバカなって思ってました。日本の国を  国鉄が支えてるって、思い上がりもいいと  こですよ。国鉄なんて、国の輸送の一手段  に過ぎませんよ。 (急に激昂して)だいたいねえ!国民のため  にって!そういう発想自体がおかしいんで  すよ!国民のために列車を動かすんじゃな  い!分かりますか?」 守「いえ、国民のためだと・・・」 職制「そう、まだ国民のために列車を動かす  って思ってるの?」 守「・・・・」 職制「これからはね、国民じゃなく、お客様  にサービスを提供してお金をいただく・・  職業なの。違い、分りません?国民のため  だなんて思ってるから、分、不相応に国の  政治をどうにかしょうとか、世の中を変え  ようとか思ったりするんですよ!さっき、  仲間っていわれましたよねえ?仲間って一  体何なんです?職場に仲間なんて必要ない  ですよ!必要なのは優秀な能力です。能力  ある者は抜擢され、ない者は去る。そうい  う時代なんです・・。今の国鉄に四十万も  の人間、必要ないですよ。二十万で充分で  す。あなた一人の給料で若い優秀な人間、  二人、救うことできるのです。お客様だっ  て、若い乗務員がいいに決まってるんだ!  どうです?あなたの好きな仲間を・・あな  たが辞めることで、二人救っちゃあ・・」 ○ 同・守の家 咲子「あんた、昔から不器用やったもんな・  ・・嫌気さして国鉄辞めてから・・何んも  かもアカンだなあ・・・」     ローソクの灯。ぼんやりした部屋。薄明   かりの中、二人を見下ろすように架かっ   ているSLのパネル。   静かに聞えてくるクラッシックの音楽。 守「エエもんやなあ、ローソクの灯りでクラ シック聴くの・・・」 咲子「良さん・・・ワイら為に掛けてくれと  んのや・・」 守「えー?・・・まさか・・」 咲子「ほれ・・庭にローソクの灯チラチラし  とるの・・隣の家から見えるがな・・・」 守「(庭を見て)・・・・」   庭にロウソクの灯りが、影絵のようにチ  ラチラ投影している。 咲子「・な・・」   ふたりの目、潤んでくる。 ○ 同・良吉の部屋   CDコンポからクラシックが流れている。   良吉、暗闇の部屋でポツンと座っている。 房子の声「・・この人、想もてもくれへん人  のこと、ずーっと、死ぬまで、想い続けて  ・・」 フラッシュ ・舞台。ラネーフスカヤの聡子「わたしの幸  福、わたしの青春、さようなら・・・」   良吉、窓外に目をやる。ゆらゆらと揺れ   ているローソクの光と影。苦痛に歪む良   吉の顔。脂汗が出ている。   ○ スナック『銀河』・外観(夜) ○ 同・中     滝子がカウンターの中で洗い物をしてい   る。ドアが開いて、 滝子「いらっしゃい!あ!・・」   良吉が入って来る。 滝子「良さん・・・」 良吉「・・・・」   スツールに掛ける良吉。滝子、オシボリ   を出しながら、 滝子「何?また・・初めてやねえ、来てくれ たん・・」   良吉「なあ・・誰も、お客、おらんの?」 滝子「いや、いま、ママと常連さん、他の店、  飲みに行ったん・・・さっきまで、結構お  ったんやけど・・何んか飲む?」 良吉「そうやなあ・・・ウイスキー、貰おか」 滝子「水割り?」 良吉「いや、ロック・・ダブルで・・」   ロックを作って出す滝子。 飲む良吉。 滝子「何んで?・・どうか、したん?」 良吉「いや、なあ、いっぺん来う、思てたん  やけど・・・よう邪魔せんと・・」 滝子「もう、どっかで、飲んで来はったん?」 良吉「駅前の屋台、オデンや。・・飲んで、  ふらついてたら、足こっちへ向いて・・」 滝子「・・・・」     ×     ×     ×   カウンターから出て、良吉の隣に座って   飲んでる滝子。 滝子「・・とうとう・・ここまで来てしもた  ちゅう感じ。ヘンなもんで、おらんように  なると・・・なんや・・こう・・ポッカリ、  胸、穴、開いたような・・・」   滝子、酔っている。 滝子「あの人、寂しがり屋やねん・・・寂し  なって来ると、ああして、暴れるんや・・  弱かったでなあ・・昔は・・寂しがり屋の  男に」   良吉の肩に触れる滝子の肩。   良吉「・・・・」   ママが帰って来る。 ママ「あ!いらっしゃーい」 滝子「あ、(慌てて、離れて、良吉をこなし  て)隣の野村さん・・」 ママ「あ、あ・・どうも・・あの、もう店閉  めまひょか・・」 滝子「ハイ」 ○ スナック『銀河』・表   灯りが落ちる。      ○ 国道   酔った良吉と滝子が歩いている。車が二   人を追い越して行く。 滝子「なあ・・」 良吉「ん?」 滝子「何んか・・・いいたいことあったん?」 良吉「・・・・」 滝子「・・店、来るなんて、初めてやもん」 良吉「・・いいたいことなあ・・」 滝子「何?」 良吉「何って・・・」   滝子、良吉の腕に自分の腕を絡める。 良吉「・・・・」   そのまま歩き続ける良吉。 ○ 市営住宅の道   ヨロける良吉を、支えるように歩いてい   る滝子。    ○ 同・滝子の家 滝子が玄関の鍵を開けている。立ってる良吉。 滝子「チョット、飲み直さん?これ、焼酎、  ママに貰ろてきたん・・・」   滝子、袋から焼酎を取り出す。  良吉「・・・・」   良吉、しばらく立っているが、よろりと、   開いたドアを入る。ヨロける良吉。支え   る滝子。   良吉「・・・・」   不意に滝子を抱きしめる良吉。 滝子「・・ちょ・・良さん・・」   弱い抵抗をする滝子。良吉の強い抱擁。   やがて激しく抱き返す滝子。 滝子「・・・わたし・・良さんが越してきた  時・・あ・・あ・・いつか、こうなるよう  な気ィ・・・あ、あ・・わたし・・」   良吉、スカートをたくし上げる。激しく   応える滝子。二人、入り口の部屋に倒れ   込む。むさぼるように抱き合う二人。 ふたり「(激しい息づかい)・・・・」 良吉「うっ・・・」   込み上げてくる咳。 良吉「・・・(咳込んで、我にかえる)・・  ・」   良吉、滝子から離れる。 滝子「(良吉の激しい咳に)良さん!・・・」   良吉、玄関からよろめいて外に出る。 滝子「良さん!」   滝子の声を振り切って、自分の家のドア   を開ける良吉。 ○ 良吉の家   入って来る良吉。荒い息をしている。   「流し」で水を飲み、そのまま床に入る   良吉。 ○ 同・純の部屋   勉強している純。 純の声「滝子さんの切なさ・・おジイちゃん  の苦しさが、壁を通して伝わって来た・・  ・」 ○ 同・滝子の家   畳に座って焼酎を飲んでいる滝子。 滝子「・・・・(ボロボロと涙が出る)」   泣き崩れる滝子。 ○ 同・純の部屋   勉強している純。 純の声「その夜、滝子さんは遅くまで飲んで  いた。ひとりで歌う『舟歌』や、搾り出す  ような泣き声が、途切れ、途切れに、聞え  てきた・・」 ○ 良吉の家(別の日の夜)   ダイニングで電話に出ている良吉。傍で   聞いている純。 良吉「ああ、分かった。朝、迎えに来たって   !・・はい、分かった。ほんなら・・ハ   ーイ」   電話を切る良吉。純に、   良吉「お母さん、卒業式やで、服装、髪もキ   チンとて・・お父さん八時に迎えに来て   くれるって・・・無理すんなよ・・」   純、頷く。 ○ 純の部屋   勉強している純。 純の声「いよいよ、卒業だ。三年間の中学生   活よ!さようなら!・・だ・・」 ○ 良吉の家(朝)   朝、ダイニング。キチンとした制服姿の   純。コーヒーを飲んでいる良吉。澄夫が   ドアを開けて入って来る。 澄夫「お早うございます」 良吉「あ、お早う!」 澄夫「(純に)お早う・・・」 純「(微笑む)」 澄夫「・・・・」 ○ 同・良吉の家・前   澄夫の車。助手席に純が乗っている。澄   夫、良吉に、 澄夫「ホナ、・・・昼、一緒に食べて・・三  時頃、戻ります」 良吉「ああ、ゆっくり・・」   去る車。見送る良吉。   ○ 同・良吉の家・裏庭   軽自動車のスターターを回している良吉。   エンジンは掛からない。      ×     ×     ×   ボンネットを上げて中を見ている良吉。 ○ 自動車修理工場   廃車が積み上られている町外れの修理工   場。修理工らしき男と何か話している良   吉。 ○ 国道   激しく行き交う車。   歩道を自転車で走っている良吉。荷台に   括り付けられているバッテリー。 ○ 桜の森・東中学   体育館脇の道路に駐車している澄夫の車。   体育館から『仰げば尊し』の歌声が聞え   て来る。車の中の純。ハンドルを抱えて   いる澄夫。 ○ 国道沿い・ホームセンター ○ 同・中   買い物をしている良吉。 ○ 走る澄夫の車   助手席の純、凝っと窓の外を見ている。 澄夫「まあ、エエが・・クラスの子、また会  う機会あるやろ。それより、入試、頑張り  やー」 ○ 同・良吉の家・裏庭   バッテリーを取り替えている良吉。     ×    ×    ×   スターターを回す良吉。 良吉「!」   白い煙を吐いてエンジンが掛かる。   吹かしている良吉。 ○ 同・良吉の家   車で到着する純と澄夫。 ○ 同・中   入って来る純と澄夫。ダインニング。   テーブルの上のホームセンターの紙袋。   中から新しいガムテープが二つ覗いてい   る。裏庭から聞えてくる車のエンジン音。 純「?」   ○ 同・裏庭   良吉の部屋の窓から裏庭を見ている純。   車の中でエンジンの調子を見ている良吉。   澄夫、庭に回って自動車の窓をコンコン   と叩く。驚く良吉。 良吉「(ウインドガラスを下ろして)エライ  早いやないか」 澄夫「ハア・・やっぱり(首を振る)」 良吉「出れやんだ?」 澄夫「ハア・・」 良吉「そうかあ・・」 澄夫「・・あの、お寿し、買うて来ました・  ・一緒に・・・」 良吉「あ、おおきに、行くわ」 澄夫「(離れかけて、車を見て)・・これ、  動きますん?」 良吉「ア、いや・・・ハハハ・・・タイヤも  パンクしとるし、車検切れや・・ガソリン  使い切らんと、危ないかなあ思て・・・ハ  ハ」 澄夫「・・・」 ○ 同・ダイニング   お茶を淹れている純。テーブルの上の寿   司折り。 ○ 守の家(日替わり) 良吉が玄関のドアを開けて入る。 良吉「オッちゃん、おる?」 咲子「あ、良さん!」 守「あ、あ、(嬉しそう)・・ま、ま・・・」 ○ 同・ダイニング   テーブルを囲んで三人が座っている。 良吉「いや、そんなに都合できやんけど・・  電気代だけでも・・・よかったら・・使こ  て貰お、思もて・・」 咲子「(守に)アンタ!(泣きそう)・・・  (良吉に)おおきに・・」   咲子、手を合わせている。       ─間─   守、身体を小刻みに震わせながら、 守「(厳しい顔になって)りょ、良さん、か、  からは・・・借りられやん・・・りょ・・  ・良さんから・・は」 咲子「アンタ!」 良吉「いつでもエエんや、返してくれんのは  ・・チョットしか、ホンマ、チョットしか、  よう都合せんけど・・・」 守「・・し・死ぬ気の人の、か、金・・か、  借りてまで・・生きよ、とは・・思わん・  ・・」 咲子「・・アンタ!?・・・」 良吉「・・・・オッちゃん!」 守「と、隣り・・住んどんのや・・・りょ、  良さんが・・・前に・・・腸、切ってから  ・・・見てたら・・りょ、良さん・・分か  るがな・・こ、こっちも・・し、死ぬ気、  なっとるもんで・・フフフ」 良吉「・・・・」 守「そ、それより・・・頼みあるんや・・・」 良吉「・・・?」 守「・・い・・一緒に・・つ・・連れてって!」 良吉「!・・・」 守「もう、もう、エエ・・も・・もう・・せ、  せんど生きた・・ひ、浩も、わ、わしら・  ・し、死んだら・・シャンと・・する、や  ろ・・こ、これも(咲子をこなして)い、  一緒に・・頼むわ・・・」 咲子「アンタ!」 良吉「・・・・」        ─間─   泣き出す咲子。こらえるように泣いてい   るが、やがて号泣する咲子。 ○ 良吉の家(夜)   電話が鳴っている。   良吉が出る。 良吉「・・ああ・・・はい・・じゃあ・・ウ  ン・・ああ・・行く・・・ハイ」  自分の部屋に戻って、暫くして出て来て、 良吉「(純の部屋に向かって)ちょっと、出  かけてくる・・」   良吉、出て行く。 ○ 同・純の部屋   机に向かって勉強している純。 純「・・・・」 ○ 駅近くの飲み屋『みなみ』   カウンターで飲んでる良吉と滝子。 滝子「治療せんて!どういうこと!」 良吉「いや・・まあ、もう・・自分でよう分  かる・・自分の命・・」 滝子「よう分かるて・・・お医者さんは?」 良吉「(寂しく笑って)まあ、医者は仕事や  で治療せえいうけど、もう肝心のワイの体  力が・・・もう・・・こうしてんのが・・  やっとや・・・」   良吉、いとおしそうにグラスを撫でる。 滝子「・・・・」   滝子と良吉、有線放送から流れる演歌を   漠然と聞いている。       滝子「・・・わたしは・・どうしたらエエの   ん・・」 良吉「・・・・」 滝子「わたしのこと、何んとも思てへんのや」 良吉「フフフ・・もうこの年や、今さら・・」 滝子「そう・・」 良吉「・・・・」 滝子「わたしは・・・わたしは・・ずーと前  から・・良さんに・・」 良吉「・・アホなこと・・もう死んでく男に  ・・」 滝子「死ぬつもりなんや」 良吉「・・・・」 滝子「そうなんや」 良吉「・・・・」 滝子「そうなんや!」 良吉「(コクンと頷いて)隣のジイちゃん、  バアちゃんとな」 滝子「・・・・」 ○ 帰り道   良吉と滝子が、もつれるように歩いて来   る。 滝子「わたしも・・一緒に・・・」 良吉「・・・・」 滝子「(酔っ払っている)コラー、良吉!わ  たしも一緒やー!」 良吉「(厳しく大きな声)誰が、誠次やんの  面倒見るんや!」 滝子「・・あんな・・ヤツ・・もう、もう、  オツリの来るほど面倒見たわ!」   公園近くの暗がり。滝子、追いかけて良   吉にしがみ付く。二人、暗がりで抱き合   う。 滝子「な・・抱いて・・な・・わたしかて・  ・いっぺんぐらい・・・好きな人に・・な  ー・・わー」  滝子、泣きじゃくって良吉をドンドンと叩  く。そのまま、しゃがみ込んで泣く滝子。  荒い息をしながら立ち尽くしている良吉。 良吉「(こらえ切れずに泣く)く・・くー・  ・」   良吉、身体を震わせながら、その場から   ヨロヨロと立ち去る。 ○ 同・良吉の家   もつれる足で入って来る良吉。そのまま   自分の部屋に入る。暗い部屋。布団の上   にしゃがんで咳を押し殺して、肩で息を   している良吉。 ○ 同・純の部屋   勉強している純。 純の声「おジイちゃんは・・自分の命と向き  合ってもがき苦しんでいる・・まるで苦行  僧のように・・今のわたしに何ができるの  だろう・・・」 ○ 良吉の家(別の日の夕方)   良吉と純が食事をしている。   ノックの音。不意に守が顔を出す。 良吉「あ、オッちゃん」   守、玄関に立ったままで、 守「(純を気にして)あ、ああ・・ま、また  ・・後で」   逃げるように去る守。良吉、慌てて立っ   て、 良吉「あ、行く、行くわ」   良吉、外に出る。 純「・・?・・」    ○ 純の部屋   勉強をしている純。 純の声「受験の日が近付いて来た。いよいよ  おジイちゃんとも、周りのみんなとも、お  別れだ。試験場へは、お父さんが、車で連  れて行ってくれることになった」 ○ 良吉の家(入試の日・朝)   ダイニング。純が鞄に弁当を入れている。   澄夫がパソコンやコンポを運んでいる。   良吉はコーヒーを飲んでいる。積み込み   を終わった澄夫、戻ってきて、 澄夫「エエか、もう、忘れもん・・ない?」 純「(頷く)」 澄夫「ホナ、おジイちゃんに、お礼いうて。  長いこと、勉強さして貰ろて・・」   純、良吉を見る。   良吉、立ち上がって、純に向かって両手   を広げる。純、自然に良吉に体を預ける。   良吉、ガッシリ、純を抱き締める。 純「(意外な強さに)!・・」 良吉「(抱き締めながら)お前やったら、大  丈夫や。試験みたいなもん、一発や!自信  持って、頑張って、生きや!」 純「・・・・」 ○ 高校・試験会場   それぞれの中学の制服を着た生徒たちが、   受付に並んでいる。 ○ 同・教室・試験場   試験を受けている純。   教師が机間巡視をしている。 ○ 同・教室・試験場(昼休み)   生徒が輪になってそれぞれ昼食をとって   いる。窓際。ひとりポツンと食事をして   いる純。 ○ 良吉の家   守、咲子、貴志、滝子、良吉がテーブル   を囲んでいる。テーブルの上のビールや   ツマミ。 みんな「・・・・」  良吉「フフフ・・まあ・・お別れ会や・・・」 貴志「・・・お別れ会なあ・・・」 良吉「まあ、心置きのう、楽しゅう、飲んで!  楽しゅう・・・」 貴志「楽しゅうって・・・いうても・・なん  やガムテープ一杯張った部屋で・・落ち着  かんなあ・・」      ×    ×    ×   酔いが回りだし、手拍子で歌い始める五   人。 ○ 同・試験場(午後)   試験を受けている純。 ○ 同・良吉の家   盛り上がって来る五人。貴志がギターを   かき鳴らしている。阿波踊り。 ○ 同・試験場   試験を受けている純。終了のベルが鳴る。 純「終わった・・」     ×     ×     ×   試験場を出る純。   車の外で迎える澄夫。 ○ 同・良吉の家   踊り、狂乱、クライマックス。やがて伴   奏音が消え、モノクロになり、スローモ   ーションになり、咲子、守、良吉の寂し   そうな笑い顔のストップモーション。 ○ 同・テーブル       元に戻って、踊り疲れた五人ぐったり、 守「つ・・疲れた・・ふ・・ふ」        ─間─ 咲子「・・・お通夜みたいになってしもたな  ・・・」 守「お、お通夜ちゅうと・・・わしらのお通  夜は、あ、明日の晩ちゅうことになるんか  なあ・・・」      ─短い間─ 貴志「・・・じ、自分らのお通夜、自分らで  心配して・・・フフフ・・ハハハ、こりゃ、  おもろい・・・ハハハ」   みんなの乾いた笑い。     ×    ×     × 貴志「ホナ、ワイ・・ボチボチ・・・」   貴志、立って、玄関へ行く。 良吉「(立って、玄関へ)・どうも・・スマ  ンだな」   滝子、キッチンに立つ。 貴志「(靴を履き終わって)ホナ・・(守ら  に)オッちゃんらも、元気でな・・・ちゅ  うのもおかしいな・・・エンマさんによろ  しう・・ちゅうのもおかしいな・・・何ん  ちゅうんかな?こんな時・・」 守「・・ま、待っとるで・・・」 貴志「もおー!えー、えーて、待っとって貰  わんでも・・シーシーや(手で追い立てる  動作をして)・・ホナ、行くわ・・」 良吉「ああ、シルバーの方、頼むな」 貴志「ああ・・・ホナ、オッちゃんも、オバ  ちゃんも元気でな・・・ちゃうなあ・・・  まあ、エエか、気持、伝わったら」 守・咲子「おやすみ、元気で・・」 良吉「ホナ、な」   良吉と貴志、微笑みながら見交わす。良   吉、貴志に無言で手を差し出す。 貴志「(思わず手を握ってジッと良吉を見て)   お、や、す、み・・・」 良吉「・・・・・」   貴志、吹っ切るようにそのまま玄関を出   る。滝子、突然、しゃがみ込んですすり   泣く。滝子の泣き声、だんだん大きくな   る。滝子の泣き声の響く家の中。 守・咲子「・・・・・」 良吉「・・・・」   良吉、キッチンへ行く。 良吉「(滝子の肩を持って抱き上げ)な、帰  って・・。ワシらだけにして・・な」   滝子、激しく泣きじゃくりながら、良吉   に抱きかかえられるようにして家を出る。 ○ 純の家 ○ 同・ダイニング   電話をしている和美。 和美「ああ、今、食事、終わったとこ。・・  ウン、大丈夫。機嫌?・・エエみたい・・  きっと、出来たんやろ・・大丈夫やろ・・」 ○ 駅前に停まっているタクシーの列   その中の一台。携帯で電話している澄夫。 澄夫「そうかー・なんか、チョット、お義父  さんとこ、行かして貰ろて、変わったなあ  ・・。落ち着いたみたいや・・ホナ・・・  今晩は、そっと・・」   ○ 同・ダイニング 和美「ハイハイ・・分ってます。ホナ、頑張  って、な・・」   和美、電話を切る。 ○ 同・純の部屋   ベッドの上。ウォークマンでクラシック   を聴いている純の顔。 フラッシュ ・市営住宅。 ・アルバムを開いて、思い出話をしている楽  しそうな良吉の顔。 ・ラブ・マフラーでふざけている二人。 ・良吉の強い抱擁。純「!・・」 ・良吉の声「試験みたいなもん一発や!頑っ  て自信持って、生きや!」 ・「頑張って、自信持って、生きや!」  ぼんやりと良吉を思い出している純。    ×    ×     × フラッシュ  ・軽自動車、エンジンを掛けている良吉。 ・ 良吉を呼び出す守。慌てた守の視線。 ・ 袋から顔を出しているガムテープ。 ・ 飲まなくなった薬。 良吉の声「頑張って、自信持って、生きや!」   リフレイン。   純の大きく見開かれた目。 純の声「!・・・おジイちゃんは・・・おジ  イちゃんは・・・死ぬ気だ!・・・」   コートを取って、部屋を飛び出す純。 ○ 良吉の家(夜)   持ち寄った抗うつ剤、安定剤、睡眠薬が、  テーブルの上に大量に出されている。 咲子「わたしのは、こんで全部や」 良吉「ようけあるなあー」 咲子「ウツやいうて、医者がようけ出しおっ  て・・・」 良吉「ワシのはチョット軽いかもしれへんけ  ど・・」 守「だ、大丈夫や!三等分しよ!」   テーブルの上の錠剤を三等分して、守、   酒と一緒に飲みだす。咲子、良吉も同じ   ように飲む。 良吉「もう、眠むれる、思もたら、いうて、  車、エンジン掛けるで」 守「さ、酒・・・まだ・・あるか?」 良吉「あるで!もう飲み納めやで、心置きの  う飲んで!ほんでも、あんまり飲むと吐く  かもしれへんけど・・」 守「な、なんや、これから死ぬて気ィ、せん  なあ・・た、楽しなってきた・・・ハハハ」 良吉「ハハハ、ホンマや、歌でも歌うか」 咲子「歌て・・・(泣きそうである)」 守「!・・く、クラシックが・・エエなあ」 良吉「そやな!それ、エエなあ・・」   良吉、コンポに近寄り 良吉「これ、MD、八十分や・・・八十分も  経ったらもう意識ないやろ」   静かに流れ出すクラシックの交響曲。   酒を飲む三人。抗うつ剤、睡眠薬を次々   と競うように飲んでいく。 ○ 国道・歩道 自転車。必死に走っている純。 ○ 同・良吉の家   流れているクラシックの音楽。  守が大あくびをして壁に凭れている。   良吉が咳き込んでいる。咲子は身体を折   って苦しんでいる。徐々に効いてきた薬。 ○ 国道   走る純。轟音を立てて走り過ぎる大型ト   ラック。 ○ 貴志の家   ダイニングで酒を飲んでいる貴志。 貴志「苦しまんと、死んでや・・良さん」   さすがに涙を流す貴志。   ○ 同・良吉の家   苦しんだ咲子を抱きしめて寝ている守。   三人の動き、緩慢になってくる。ノロノ   ロと起き上がって、裏庭に出る良吉。よ   ろめいて、転ぶ。 ○ 国道   走っている純。 ○ 同・良吉の家   裏庭。車のマフラーからホースが部屋に   引き込まれている。車のドアを開け、中   に入る良吉。スターター。エンジンの音。 ○ 滝子の家   部屋にうずくまっている滝子。エンジン   の音に「ハッ」として立ち上がる。飛び   出す滝子。 ○ 同・良吉の家・裏庭   車から出た良吉に、しがみ付く滝子。揉   み合う二人。良吉の強い蹴り。仰向けに   ひっくり返る滝子。良吉、家に入ってガ   ラス戸を締め、ガムテープで目張りをし   ている。ガラス戸に縋って搾り出すよう   に泣く滝子。 ○ 国道   交響曲。走っている純。池山市の街の明   かりが見えて来る。 ○ 同・良吉の家   暗い部屋。流れている交響曲。   川の字に寝ている三人。手をつないでい   る守と咲子。ラブ・マフラーを首に巻い   て、眠っている良吉。車のアイドリング   音。 ○ 市営住宅   走り込んで来る純。   裏庭に回る純。車のアイドリング音。 純「・・・・!」   純、とっさに隣の滝子の家のガラス戸を   開ける。 純「おジイちゃんがー!・・・」   滝子、泣きながら純にしがみつき、顔を   イヤイヤと左右に振る。 純「いやー!(絶叫)」   純、庭に出て、とっさに鉢植えを見付け、   ガラス戸に叩きつける。ガラスの割れる   音。飛び込む純。流れている交響曲。純、   良吉を抱き起こし、 純「おジイちゃん!・・・死んじゃ・・・・  死んじゃー・・イヤだー(泣きながら叫ぶ)」   純、良吉の体を激しく揺する。 ○ 同・良吉の家・前   救急車が停まっている。運び出される良   吉たち。浩が突然飛び込んで来て、守と   咲子に取り縋る。 浩「オヤジー、オカンー、死ぬなよー・・死  ぬなよーエエ、オカン、オヤジ死ぬなーワ  ー・・ワー・・死んだら・・・オレ・・ワ  ー・・オレー・・どうしたらエエんやー・・  オレー・・・」  浩の異常とも思える慟哭。 救急隊員「大丈夫や・・家、隙間だらけで・  ・一酸化炭素は大丈夫や・・・助かるて  (良吉の頬っぺたを叩いて)・・・大丈夫  やでー、頑張りや!」 ○ 走る救急車の中   良吉の遺書を読んでいる純。傍にうな垂   れて滝子。 良吉の声「純、おジイちゃんは苦しくて、弱  虫で死ぬのではありません。純も気付いて  いるように、おジイちゃんは癌です。肺へ  も、肝臓へも、転移してしまった厄介な癌  なのです。お医者さんは頑張って治すよう  にというのですが、おジイちゃんにはもう  二つの癌と戦う気力も体力も残っていない  のです。自分でよく分かるのです。純が家  に来る前に、おジイちゃんは、覚悟を決め  ていました。自分の意志がしっかりしてい  る間に自分の力で死のうと。おジイちゃん  にとって、自分で死ぬことは、おジイちゃ  んなりの生き方の選択なのです」   揺れる車。救急隊員の心臓マッサージ。 良吉の声「それにしても、おジイちゃんの人  生の最後のひと時を、偶然にも純が一緒に  暮らしてくれて、おジイちゃんは本当に幸  せでした。少ないお金ですが、純に貯金の  通帳を残します。生命保険も僅かですが入  るようになっています」 ○ 病院に着く救急車 運び出される良吉。 良吉の声「それを純の好きな英語の勉強に役  立てて下さい。天国へ行って、おバアちゃ  んと純の話を一杯します」   ストレッチャー。処置室に運び込まれる   良吉たち。  良吉の声「今度こそ、おバアちゃんと本当の  幸せを掴もうと思っています。純、今の純  の美しさを失わずに、真っ直ぐに自分の好  きな道を歩きなさい。純ならきっと素晴ら  しい人生を掴むことができます。おジイち  ゃん、見守っています。さようなら純・・  ・良吉」 ○ 病院・救急外来・処置室・前   純と滝子が長椅子に座っている。   向い側の長椅子には、浩が憔悴して、う   な垂れている。和美と澄夫が駆けつけて   来る。 ○ 同・処置室   ドアが開いて、医師が出て来る。 ○ 純の家・表(数日後の朝)   澄夫と和美が、純を前にして立っている。 和美「お父さんの携帯に、メールな!必ず入  れて!通っても、落ちてもやで!」   純、二人を家へ押し込む。   マフラーを巻いた純、駅に向かって歩く。 ○ 電車に乗っている純   立って、ドアに凭れて、窓外を見ている   純の顔に、純の声かぶって、 純の声「おジイちゃんは死んだ。隣のおジイ  ちゃんも、おバアちゃんも死んだ。私はま  だ人前では喋れない・・」 ○ 池山市駅に着いた純   池山高校へ向かって歩く純に、純の声か   ぶって、 純の声「わたしの心の壊れた部分がどうなっ  ているのか、自分でもよく分からない。で  もわたしは、おジイちゃんのところにいた  二月で大きく変わった・・・」 ○ 池山高校への道   歩く純に、純の声かぶって、 純の声「わたしの心のどこかで、涙をぬぐい  ながら、がむしゃらに踏み出そうとする、  わたしがいる・・」 ○ 池山高校・校門   合格発表を見に来た中学生と教師が、一   斉に校門を入って行く。人波と一緒に入   って行く純に、純の声かぶって、 純の声「生きるエネルギーのような熱いもの  が、心の底からゆっくりと、わたしを、前  に踏み出させる。おジイちゃんは、死ぬこ  とによって、わたしに、生きることの意味  を教えてくれたのかもしれない・・・」 ○ 池山高校・入試発表   群がっている生徒と教師たち。職員が合   格者の名簿を貼り出す。見上げる純。 純「通った!・・」  上る歓声。 ○ 池山市・市営住宅(四月・朝)   貴志が自転車で走って行く。 ○ 駅裏・駐輪場   駐輪場の桜が散っている。   高校生で混雑している駐輪場。貴志と常   吉が働いている。 貴志「コラ、ちゃんと並べて、置かんか!」   少し離れて常吉が自転車を並べている。   純が、自転車で通りかかる。純、貴志の   後ろから、背中を指でチョン、チョン、   とつっつく。   振り返る貴志。微笑んでいる純の顔。 貴志「(ビックリした顔)・・あ・・あー・  ・!じゅ、じゅ!純や!えーオイ!オイ!  常さん!純や!純や!」 常吉「(駆け寄る)純ちゃん!」   二人、純を抱きしめんばかりの様子。 貴志「そうなんや!池高に入ったんや。よか  った!よかったなー、純!・・・(貴志泣  きだす)」   貴志の男泣きのボロボロの涙。つられて   常吉の涙。   純、泣きそうな自分を抑えて、自転車に   乗る。純、貴志らに手を振って駐輪場を   走り出る。 ○ 自転車に乗って走る純   力強く自転車を漕ぐ純。坂道を漕ぎ上る   純。 良吉の声「お前やったら大丈夫や、自信持っ  て、頑張って、生きやー!」   走っている純。微笑んでいる。                (終わり) ・チェーホフ『桜の園』神西清・訳(新潮文庫)