「竜の昇り船」 東京かれん 人 物 竜太郎(9)   〃  (14)(18) 美津(9)竜太郎の幼馴染  〃(14)(18) 泰造(10)竜太郎の幼馴染  〃(15)  辰吉(33)(38)(42)竜太郎の父・海竜丸の船頭 丑松(28)(32)船乗り 作次(31)(35) 〃 仁衛門(36)(40)宝丸の船頭 ゆう(32)(36)竜太郎の母 はな(5)竜太郎の妹 よし(34)泰造の母親 熊造(35)泰造の父親 傷ついた武者(30) 船主(50) 神主(59) 島の子供1 島の子供2 島の男1 島の男2 海竜丸船員他4名 島人その他 境内で遊ぶ子供達 メインタイトル『竜の昇り船』 1 瀬戸内海の風景    鏡の様に穏やかな海。点在する島々。    その中に、集落のある島。    子供達の笑い声。 2 岩場    5〜6人の子供。岩の上から、海に飛    び込んで遊んでいる。    誰かが飛び込む度に歓声が上がる。    岩の上に竜太郎(9)の姿。    子供達、はやし立てる。    竜太郎を見ている美津(9)。    竜太郎、美津の視線を意識する。    得意げに海に飛び込む。    大きな歓声があがる。 子供1「! おい、あれ!」 と、岩の上を指差す。    美津や子供達、一斉にその方向を見る。    水から顔を出した竜太郎、自分が注目    されていない事に一瞬ムッとするが、    皆の視線の先に眼をやる。    7〜8メートルはあるかのような岩の    上に泰造(10)。 美津「泰ちゃん、あそこから飛び込むんじゃ  なかろうの」    と、心配そうな顔。    泰造、皆に手を上げて微笑む。 子供2「泰造、いけいけ!」    つられて他の子供達も、はやし立てる。    竜太郎も唾を飲んで見守る。    泰造、ひらりと飛ぶ。    一同、落ちていく泰造を見守る。    大きな水飛沫。竜太郎から二十メート    ル位先の海面に、泰造の体が沈む。    なかなか浮かんでこない。    竜太郎、不安な顔。 一同、海面をみてざわめく。 竜太郎「わっ!」    と、叫ぶと、手をばたつかせる。    何かに足をとられた様子。    水の中で竜太郎の足を引っ張った泰造    が、ぷはっと海面に顔を出す。 竜太郎「泰ちゃん!」 泰造「あはは。あははは。びっくりしたろ」 と、竜太郎の驚いた顔を見て笑う。    子供達、「すげー、すげー」などと、歓    声をあげる。    竜太郎、ムッとする。 竜太郎「じゃ、潜りの競争じゃ」 泰造「長く水の中にいられた方が勝ちじゃな」 竜太郎「次は負けん」 二人、水の中に潜る。 美津「い〜ち、に〜ぃ、さ〜ん…」    と、数え始める。 3 海中 潜っている竜太郎。    底で何かが光る。それは、小刀。    竜太郎、拾い上げる。 4 岩場    竜太郎、苦しそうに水面から顔を出す。    泰造が後から出てくる。 泰造「俺の勝ちじゃ」 竜太郎「くっそ〜」    二人、水から上がる。 竜太郎「これ、底で拾うた」    と、刀を差し出す。 泰造「刀か」 竜太郎「また、そこらで戦があったのじゃな」    と、言いながら、侍を真似て刀を構え    てみる。 泰造「まだ落ちたばかりだな。錆とらん」    竜太郎、得意気に振りまわす。 竜太郎「どうじゃ。侍のようだろ」 泰造「俺にも貸せ!」 竜太郎「俺が拾うたんじゃ」 泰造「貸すぐらいいいだろ」 二人、奪い合う。 美津「やめんか! 危ないだろ。刀の取り合い  なんて」    子供1、沖を指差して立ち上がる。 子供1「船だ。船が帰ってきた」    子供達、一斉に沖を見る。    全長5m程の木製の帆船が数隻、 島へ向かってくる。    ある船の帆に『海竜丸』の印。 竜太郎「父ちゃんの船じゃ!」 子供2「みやこ都の土産がいっぱいあるぞ」    子供達、一斉に走り出す。 5 浜    集まってくる子供達。    辰吉(32)が船の先端についた太縄を    引いている。 竜太郎「父ちゃん! おかえり!」    と、辰吉に走り寄る。 辰吉「おっ。ちょっと、堺の港に行ってる間  に、大きくなりやがったな」    と、竜太郎の頭をくしゃっと撫でる。 竜太郎、辰吉の持っている縄を、嬉しそうに    一緒に引っ張る。 竜太郎「父ちゃん、後で船乗せて」 辰吉「おうっ!」    竜太郎、帆柱の上をまぶしそうに見る。    太陽の光を浴びて風見が動く。     6 海    波を切るように走る船の先端。    遠くまで、ほぼ直線を描く航跡。    『五年後』の文字が重なる。 7 海竜丸 甲板のたらい盥の中に、沢山の魚。大漁だ。    船の前方に立つ竜太郎(14)。    日に焼けて精悍な顔。しかし、まだ幼    さが残る。    船尾で舵棒を握る辰吉(38)。    船には他に体の大きな丑松(28)と、    痩せた小男、作次(31)が乗っている。 竜太郎「父ちゃん、舵、とらせてくれ」 辰吉「うむ」    と、竜太郎に舵を渡す。    竜太郎が舵をとると、船が揺れる。    作次が笑う。    竜太郎、ムッとする。 辰吉「一丁前に舵をとっているつもりかもし    れんが、船の後ろを見てみぃ」    航跡が、乱れている。 丑松「辰吉さんは、ただ舵を握っているよう  に見えるがのう。潮にあわせて、常に動か  しているんじゃ」 辰吉、竜太郎から舵棒をとる。    再び、船が安定し、航跡の乱れも戻る。 辰吉「竜太郎、あの島だったら。どこに船を  つける?」    と、辰吉が顎で示す。    島の切り立った岩の間に、小さな浜が    見える。 竜太郎「浜の真ん中」    辰吉、思い通りの答えが返ってきて、    大声で笑う。    丑松と作次も笑う。 竜太郎「な、なんじゃ!? 違うのか?」 辰吉「あの浜は、いかん」 竜太郎「…?」 辰吉「浜の手前に小さく波が見えるだろ?」 竜太郎、目をこらして見つめる。    浜の手前に不規則な白波。 丑松「あんな所に行ったら、船底に大穴が開  くぞ。あははは」 辰吉「あれはな、下に岩がある証拠だ。すん  なり船を浜に上げられると思って近づくと、  座礁する」 竜太郎、ぽかんと聞いている。 作次「竜太郎は、まだまだ辰吉さんのような  船頭にはなれんのう」 一同、声をそろえて笑う。 竜太郎「なんじゃい、すぐに越えたるわ!」 丑松「頼もしいせがれだのう。辰吉さん」 作次「だがよ、竜太郎。辰吉さんは島一番の  船頭じゃ。越えるのは難しいぞ」 辰吉「あんな浜に、船をつけると言うとる奴  はまだまだじゃ」    一同、笑う。 竜太郎「くそっ!」    と、首に巻いた手ぬぐいを床に叩きつ    ける。 作次「辰吉さん。あれは…」    海に人が浮いている。    辰吉、船を近づける。    傷付いた武者が、流木にもたれて漂っ    ている。    丑松、武者を甲板にあげる。 作次「死んでるのか?」    丑松、脈をみる。 丑松「いや…生きとる」    武者、呻き、少し動く。    竜太郎、びくっとする。 8 竜太郎の家    布団で寝かされている武者。    乳飲み子を背負ったゆう(32)が、冷    やした手ぬぐいで汗を拭く。    竜太郎と妹のはな(5)、少し離れて、    めずらしそうに見ている。    隣の居間では辰吉が、もり銛の手入れ    をしている姿が見える。    武者の目が開く。    はな、驚いて辰吉の方へ逃げる。 辰吉「あぁ…気がついたか」    武者、起き上がり、辺りを見回す。 武者「俺は…生きているのか」 辰吉「傷が癒えるまでお居ればいい」 9 浜に続く道(夕)    竜太郎と泰造(15)、他に2〜3人の    少年達が歩いている。 泰造「本当に侍か!?」 竜太郎「あぁ。昨日からウチにいる」 泰造「威張りくさって、いきなり刀で切られ  たりしないだろうな」 竜太郎「そんな、わからん奴じゃない」 10 浜(夕)    一人佇む武者。    波打ち際に打ち寄せる、折れた矢。    戦の残骸の矢を、じっと見つめる。 11 浜に続く道(夕) 竜太郎「腕なんか、こうガッチリ太くてな。  あれは、相当、鍛えているな。うん」 泰造「剣を教えてもらえるかな」 竜太郎「頼んでみよう」    竜太郎、浜に武者の姿を見つける。 竜太郎「あ、いた、いた」    少年達、走っていく。 12 浜(夕)    武者、少年達に剣を教えている。    竜太郎、棒きれを振りかざし、声を出    して、武者に向かう。    武者、笑いながら、棒きれで軽くかわ    す。    続いて泰造。気合いを入れて向かって    いく。真剣な面持ち。    武者、棒きれでかわす。    泰造は、すぐに体勢を立て直し、粘り    強く向かう。    武者、やや真剣な顔に変わる。    幾度か交差する棒切れ。    泰造、勢い余って、浜に転ぶ。 武者「お前はなかなか、見込みがある」    竜太郎、悔しそうな顔で泰造を見る。 泰造「お侍さん、強いなぁ」 武者「俺は百姓上がりの下級侍だったがな。  こいつのおかげで、出世できたのだ」    と、棒きれをかざす。    泰造、憧れのまなざしで武者を見る。 13 竜太郎の家(夕)    囲炉裏の前。 食事をする一家と武者。 竜太郎「今日、おっちゃんに剣を教えてもろ  うたんじゃ」 ゆう「無理言うんじゃないよ。まだ、傷が治  っとらんのだから」 竜太郎「傷が癒えたら、国に帰るのか?」 ゆう「そうじゃ。誰だって、国があるからの。  今頃、家の者が心配しとるんよ」 武者「…国には…帰れん…」 座に沈黙。 辰吉「なら…ずっと、お居ればいい」 武者「(沈痛な面持ち)…かたじけない」 14 同・外(深夜)    家の中から、武者が出てくる。    膝をついて、刀を前に置く。    着物を正す。    刀を鞘から抜くと、突然、思い切った    様子で腹を刺す。    横に引かれる刀。飛び散る血。    武者、やがて、血の海に倒れる。 15 同・中(早朝) 竜太郎の目が覚める。    横の武者の布団が、もぬけの空。    不思議に思って、隣の部屋に行く。    辰吉、ゆう、はな、赤子が寝ている。 竜太郎「おっちゃんが、おらん」    辰吉、起き上がる。    竜太郎と辰吉、玄関へ行く。    辰吉、扉を開ける。    険しい顔に変わる辰吉。    竜太郎、腰を抜かす。 16 瀬戸内海    停まっている海竜丸。    網に魚がかかるのを待っている様子。 17 海竜丸    船には竜太郎、辰吉、作次、丑松。    舵を握る辰吉。 竜太郎と辰吉は、沈んだ顔。 丑松「せっかく助けてやったのに、腹切りか」 作次「土地の奪い合いで殺しあったり、名誉、  守る為に自害したり…。おかもん陸者のす  ることは、さっぱりわからん」 辰吉「まったく。戦なんて無駄なことじゃ…」 丑松「そろそろ網を上げるか」    竜太郎、丑松を手伝って網を上げる。    網の中では魚がピチピチと跳ねている。 作次「おぉっ! 今日も、大漁じゃ」 丑松「命と仲間と、今日の食い物。他に何が  ほしかろう」 辰吉「それで充分じゃ!」 一同、笑う。竜太郎も笑う。 18 浜    海竜丸を浜に上げる辰吉たち。    少し立派な着物を着た、船主(50)が    近づいてくる。 船主「辰吉!」 辰吉「(顔を上げて)」 船主「話があるのだが」 辰吉「また、都に荷を運ぶ仕事か?」 船主「いや…。今度はもっと、やっかいかも  しれん」 辰吉「……」 船主「悪いが…。これから、うちに来てくれ  んか。相談したいんじゃ」 辰吉「あぁ…。(丑松と作次に)船の片付け  を頼む」 丑松「あ…うん」 辰吉、船主に連れられていく。    男達、『何?』という顔で、辰吉の後    姿を見送る。 19 塩田 女達が大きな竹笊(ざる)で、塩をふる    いにかけている。    その中に美津(14)の姿。    竜太郎が現れ、美津の姿を見つける。    竜太郎、腰に下げた筒の中から何か取    り出し、手に握る。 竜太郎「美津! おい、お美津!」    美津、気がついて顔を上げる。    竜太郎がにこにこと手招きしている。    美津、竜太郎の方へ来る。 美津「なん?」 竜太郎「珍しい、きれいな貝、拾うたんだ。    お前にやる」 美津「え!?」    と、嬉しい様な戸惑った顔。 竜太郎「目ぇ、つぶれ」 美津「ん‥ああ‥うん」 と、ほつれた髪の毛を耳にかけ、目を    つぶって手を出す。   竜太郎の左手が、美津の開いた手のひらを支    える。    頬を赤らめた美津、手がピクッと動く。    竜太郎、美津の手に何かをしっかり握    らせる。    美津、表情が一変。 美津「きゃーーー!」    と、叫んで飛び上がる。    竜太郎、爆笑。    下に落ちた蟹が、ひっくり返って足を    ばたつかせている。 美津「んもーーーーーー。アホ!」    竜太郎、笑いながら走っていく。 美津「くっだらない‥‥。ガキじゃ!ふん」 20 竜太郎の家・外(夜)    窓に辰吉とゆうの影。 ゆうの声「鎌倉!? そんな遠くまで…うちは  嫌じゃ。あんたに何かあったら、うち達は  どうすればいいの!?」 辰吉の声「ゆう、そんなに心配するな。鎌倉  の土産を沢山買うてきてやる」 ゆうの声「いらん、そんなもん…いらん」 ゆう、すすり泣く。 21 船主の家・大広間    辰吉や船主、数人の船頭が座っている。    船頭の中に泰造の父・熊造(35)の姿。    その前に、三〇人位の男達。 丑松や作次もいる。    後ろの方に竜太郎の姿。    いかつい男達の中で、竜太郎の幼さは、    一際目立つ。 船主「伊予のあるじ主より、仕事の依頼じゃ。  みつぎ貢の品を船で運びたいとの話があっ  た。そこで、船に乗る者を募りたい」 男1「また都か? それとも伊勢か?」 熊造「いや。 鎌倉だ」    一同、どよめく。    中から「鎌倉ってどこだ?」「さぁな。    異国か?」と、いう声がする。 熊造「遠い東だ。遠い東の鎌倉に、新しい幕  府ができたのだ」 船主「無事務めを果たした者には、褒美に金  貨十枚を授けるとあるじ主は仰っている」 座に歓喜の声が上がる。    口々に「でかい仕事だ!」などと、目    を輝かせ話す。 辰吉「だがな、皆。よく聞け。そして、それ  ぞれに決めてほしい」    辰吉の真剣な物言いに、一同、静かに    なる。    辰吉、海図を広げる。 22 海図    辰吉の指が航路をなぞる。 辰吉の声「瀬戸の海を通って紀伊の国までは、  わしらがいつも通っている海じゃ。しかし、  今回は熊野灘を北上し、尾張、伊豆の国の  沖を通り…ここが鎌倉じゃ…」    ざわざわと、「遠いのう…」「異国の高麗    よりも、ずっと遠いのか…」と、言う声    がする。 23 船主の家・大広間 辰吉「早ければ三日で着く」 丑松「三日? まさか……夜も船を走らせる  気か?」    うなずく辰吉。 作次「しかし…、夜の海は危険だ。しかも、  いつもの瀬戸の海ではなく、初めて走るそ  とうみ外海だ…。潮の流れも早く、何が起  こるかわからない…」    と、不安な声で言う。 辰吉「作次の言う通りだ。方向を失って遭難  しても、瀬戸の海のように他の船の往来は  ない。助けてくれる者もいない」 作次「じゃぁ、遭難したら…!?」 熊造「海の藻屑だな…」    座に重い沈黙…。 丑松「そんなに危ない思いをしてまで…。な  ぜ、そう急ぐ?」 船主「誰よりも早く、幕府に貢の品を届ける  のが、あるじ主の願いだ。おか陸なら、十  日はかかってしまう。海を選んで、我々に  声を掛けてきたのはその為だ」 男1「ばかばかしい。おかもん陸者の出世争  いか」 男2「あいつら、わしらを『野蛮なうみぞく  海族』とさげす蔑がのう…」 男3「そうそう。土地や出世の為に、親兄弟  でも殺しあう、おかしな連中じゃ」 男1「そんな奴の為に、大事な命を賭けられ  るかぁ」    と、立ち上がり、部屋を出て行く。    数人、後に続く。    残された者達にも重い空気が漂う。 船主「昔から、我々海の者は、和を保ち命を  尊きとしてきた。私とて、おかもん陸者の  出世争いに、巻き込まれたくはない」 丑松「じゃぁ、なぜ、そんな危ない仕事、請  けるんじゃ?」 船主「幕府が東に出来たこれからは、水路が  東へ発達する。我々も、いつかは外海に出  なければいかん。我らの島は作物には、向  かぬ土壌。島の為にも、私は、船の仕事を 発展させたいと思うとる」 辰吉「俺も勿論、死ぬ気はない。沿岸の地形  や潮の流れ、港の情報は前より仕入れ、船  も充分整えて行くつもりだ」 作次「さすが辰吉さんじゃ」 熊造「……それでも初めての外海、何が起こ  るかは…読めん」 場に、戸惑いの空気が流れる。    丑松が立ち上がる。 丑松「俺は行く……今までも辰吉さんに、命  を預けてきたからな」    丑松につられて、「俺も!」と、2人    位の手があがる。    竜太郎、信頼される父を誇りに思うよ    うに、力強く手を挙げる。 竜太郎「俺も行く!」 辰吉「一緒に行く者は部屋に残ってくれ」    俯いていた数人が、静かに部屋を出る。    作次が立ち上がる。 作次「俺も辰吉さんとずっと船に乗ってきて、  腕のよさは十分承知だ。…でも、うちは…  もうすぐ4人目の子供が生まれる。…勘弁  してくれ!」 と、頭を下げる。そして、出て行く。    男達、次々に、立ち上がり、部屋を出    て行く。 24 泰造の家・外    泰造が玄関から現れる。    すぐ後を追って、母・よし(34)の姿。    泰造の腕を掴んで引き止める。 よし「やめろ」 泰造「お父だって、行くだろ」 よし「お前は、まだ子供だ」 泰造「竜太郎だって、同じじゃ」    よし、泰造の目を見る。 よし「…お前は。鎌倉に行って、侍になるつ  もりなんだろ」 泰造「……」 よし「鎌倉に行ったら、侍になれると思うと  るんだろ」 泰造「思うとらん。大丈夫じゃ」 よし「お前は、世の中がわかっとらん。侍な  んかになったって、おかもん陸者に使われ  て死ぬだけじゃ」 泰造「……」    泰造、母親を振り切って、走り去る。 よし「この親不孝もんが!」 25 船主の家・大広間    部屋には、竜太郎や丑松を含め、5〜    6人の男が残っているだけ。 辰吉「(見回して)…」 泰造が急いだ様子で現れる。 泰造「俺も! 俺も連れて行ってくれ」 26 塩田    女達の働く姿。    天秤にたらいを下げて、海水を運んだ    り、塩をふるいにかけている。    竜太郎が歩いてくる。    立ち止まり美津の姿を探すが、いない。 27 神社    山の中腹に、海を臨む神社。    美津、境内で、はなや他の小さい子供 と、遊んでいる。    眼を瞑ってしゃがんでいる美津を中心    に、輪になって歌いながら歩く子供達。    竜太郎、境内へ続く階段を、軽や上っ    てくる。    子供達、「後ろの正面だーれだ?」と    いう声と共に止まる。    竜太郎、それを見つけて、子供達の輪    に入り、美津の後ろにつく。    子供達、クスクス笑う。 美津「つる吉!」    子供達、目を合わせてクスクス…。 子供達「ちがーう」 美津「じゃぁ…。はな!」 子供達「ちがーう」 美津「え〜、誰だろ〜?じゃぁ…。」 竜太郎「お姉ちゃん、私よ私…」    と、女の子の声色を使う。    子供達、声を出して笑う。    美津、怪訝な顔で振り返る。 美津「アホ‥」    子供達は、他の遊びに散っていく。 美津「なん?」    と、言いながら立ち上がる。 竜太郎「俺。鎌倉に行く!」 美津「へ〜、そりゃまた偉い遠いな」 竜太郎「外海を走るんだ。三日三晩。太平洋  をずっとずっと、東にのぼるんじゃ。目指  すは鎌倉の新しい幕府!」    と、興奮してしゃべる。    美津、白けた顔。 竜太郎「すごいだろ?」 美津「どこが?」 竜太郎「く〜、あかん。おなご女子にゃわか  らんの。男の夢じゃ! わっはっは」    と、反り返って歩いていく。 美津「なんの自慢に来たとね‥」    浮かれて歩く竜太郎の後姿。 美津「三日…三晩…!?…」    と、つぶやき顔が曇る。 28 道    口笛を吹きながら歩く、竜太郎。 29 神社    神主が欠伸をしながら現れ、祠の周り    をホウキで掃き始める。    美津、神主の姿を見つけて、慌てた様    子で走りよる。 美津「お守り! 船が無事に帰って来る様に、  海の安全に、よ〜く効くお守りください!」 神主「ん〜!? うちの神様は海神様じゃ。海  の安全に効くに決まっとるだろが………し  かし、美津。お前、船には乗らんだろ」 美津「…」 神主、にやにやしながら 神主「男か…!? 今度、鎌倉に行く者の中に  好きな男がおるんだ?」    美津、プイッと横を向く。 美津「どーでもいいだろ」 神主「子供だ子供だと思っていたが、お前ら、  そんな年頃かぁ。……今、持って来るから、  待っとれ」 と、言うと、ホウキを置いて小走りで    去っていく。    美津、鳥居から海を見つめる。    泰造が階段を上って来る。    美津、泰造の姿を見つける。 美津「泰ちゃん!」 泰造「おうっ」 美津「泰ちゃんも鎌倉に行くのか?」 泰造「あぁ…」 美津「夜も、ずっと、走るんだって?」 泰造「おかげで、皆、びびっちまって。乗る  奴があまりおらん」 美津「そんなに危ないのか?」 泰造「そとうみ外海は、初めてだからな…」 美津「…(顔が曇る)」 泰造 「俺。鎌倉に行って、侍になるんじゃ」 美津「島には帰らんのか?」 泰造「あぁ…」 美津、少し驚いて泰造を見る。 泰造 「な〜に、すぐに、でかくなって帰って  きてやる。そしたら、美津。おまえ、俺の  嫁にしてやるぞ」 美津「はぁ!?」 泰造「嬉しいだろ? 侍の嫁だぞ」 美津「(怪訝そうに)はぁ…」 神主が現れる。    こほんと咳払いをする。    美津、気がついて振り向く。 神主「あぁ、美津。じゃ、これな」    と、お守りを渡す。 美津「神主さん、ありがと。じゃ、泰ちゃん  も気ぃつけてな」    美津、手を振って階段を下りていく。 泰造「おう!」    と、歩き出そうとすると、神主が、泰  造の脇腹を肘でつつく。 神主「誰にやるんだろうな」    と、耳打ちするように小声で言うと、 楽しげに去っていく。    泰造、もしかして俺?と自分を指さし、    にやける。    階段を下りていく美津。 美津 「どいつも、こいつも…。あかん…」 30 竜太郎の家・中(夕)    一家が食事をしている。    ゆう、不機嫌な顔。囲炉裏の鍋から盛    った椀を、ぶっきら棒に竜太郎に渡す。 ゆう「まったく‥竜太郎まで鎌倉に行くなん  て言い出して…」    辰吉、椀の料理を口に入れながら、チ  ラッとゆうを見る。 竜太郎「はな。鎌倉の土産、楽しみにしとけ!」    と、横に座っているはなに、言う。    ゆう、はなに、椀を差し出す。 はな「鎌倉の土産。何だろうのう。楽しみじ  ゃのう」    と、ゆうに気がつかず、竜太郎の袖を    引っ張り喜んでいる。 ゆう「はな! ほら、はよ、お食べ」    ゆう、不安な気持ちを紛らわすかのよ    うに、はなの世話を焼く。 31 浜    船大工達、カンカンと船に槌を打つ。    その軽快な音が島中に響く。    近くで、辰吉と丑松、他に数人の男、    輪になって座っている。    泰造と竜太郎の姿もある。 辰吉「鳥羽の連中が教えてくれたのだが、こ    の辺りは盗賊が出るらしい」    と、海図を見ながら話している。    漁に出た船が一隻、戻ってくる。    島人達が、集まってくる。    男達が船から、丁寧に熊造の亡骸をお    ろす。    傷だらけの熊造。片足が引きちぎられ    ている。    泰造とよし、血相変えて走ってくる。 よし「なんで…?」 男1「海に落ちたところを。鮫にやられた」   よし、熊造にすがりつく。 よし「あんた! あんたぁ! …朝は、あん  なに元気だったのに…。あんたぁ…」    泰造、泣き叫び、熊造にしがみつく。    どこからともなく経のつぶやき…。 32 島の小高い丘    男達が墓穴に土をかけている。    傍らに泰造とよし。    人々、沈痛な面持ちで合掌する。 辰吉「熊造はいい船乗りだった」 よし「いい船乗りでも、なんでも…。あっけ  なく死んじまって…」    泰造、ただ墓穴を見つめる。    やがて人々、墓を後に歩き始める。 男1「熊造の傷、見ただろ」 男2「あぁ。酷い死に方じゃ…」 男1「漁に出るだけでも命がけなのに、夜の外  海を走って鎌倉まで行くなんて、死にに行  くようなもんじゃの」    同調してうなずく、男2。    二人の声は、よしや辰吉など、その場    にいる人々に聞こえている。    竜太郎、しばらく佇んでいるが、辰吉    に促され、歩き出す。 33 島の道    歩く竜太郎の一家。    ゆう、思いつめた顔。辰吉の着物の裾    をぎゅっと掴む。 ゆう「やっぱり鎌倉行き…やめてんか」 辰吉「アホ言うな。熊造がいなくなった今、  俺がやめたら船頭がいなくなる」    両親の、少し前を歩く竜太郎。 辰吉「竜太郎」    竜太郎、振り返る。 辰吉「お前は、鎌倉行きは、やめておけ」 竜太郎「えっ?」 辰吉「島で待て」 竜太郎「いやだ! 俺は、鎌倉に行く!」 ゆう「竜太郎、言う事を聞け!」 竜太郎「いやだ! 父ちゃんと一緒に行くんじ  ゃ!」 辰吉「熊造のようになるかもしれんぞ」 竜太郎「俺は船乗りだ! 海で死ぬのなんか、  怖くない!」    と叫び、走り去る。     34 瀬戸内海全景(夕)    夕日に照らされる島々。    少しずつ太陽が沈んでいく。 35 美津の家(夜)    お守りに紐を通す美津。お守りを掲げ 美津「これでよし!」 36 浜(朝)    『海竜丸』と『宝丸』がとまっている。    船の上では、帆を張ったり出航の準備    をしている男達の姿。    船主の指示で、島人が船に荷物を積ん    でいく。    見送りに集まってくる人々。    辰吉と丑松が、海図を見て話している。    作次が転がるように走ってくる。 丑松「おー、作次。見送りかぁ?」 作次「俺も連れて行ってくれ」 辰吉「お前んトコは、もうすぐ4人目が生ま    れるんだろうが」 作次「…と、思うとったが。子供が増えるの    だから、ドンと稼いで来いってカカァ    が…。辰吉さんや丑松と一緒なら大丈    夫じゃって…」    丑松、大声で笑う。 丑松「さすが! 作次のカカアは、作次より    肝が座っとる」    と、作次の背中をドンと叩く。    作次、よろけながら、恥ずかしそうに    頭を掻く。 辰吉「よし! 一緒に昇ろう! 鎌倉へ」 作次と丑松「おーーーー!」         37 神社(朝) 境内に立つ、美津。そわそわしている。    竜太郎が階段を上ってくる。 美津、柱の後ろに隠れる。    竜太郎、キョロキョロと美津を探す。    美津が、こそっと顔を出す。 竜太郎「なんじゃ? 呼び出したりして。俺  は船が出るから忙しいんじゃ」 美津「……あのなぁ…」 竜太郎「…なんだ?」 美津「……(もじもじと)」 竜太郎「はぁ〜ん。そうかっ! 美津、おま  え、俺に惚れとんな」 美津「ぶっ!(呆れて吹き出す)」 竜太郎「そんなに照れなくてもいいだろ」 美津「別に! 照れとらん!」 竜太郎「なんなら、接吻の一つでも…」    と、美津の顔に自分の顔を近づける。    美津、思いっきり、竜太郎の足を踏ん  づける。 竜太郎「痛ってー! 痛ててっ。なんなんだ  よ。人を呼び出しておいて」    と、足を押さえて飛び跳ねる。 美津「アホに。これ、やる」    と、手を差し出す。    竜太郎、足を摩りながら 竜太郎「ん? あっ! もしや、この前の、  仕返しか!?」 美津「アホ。うちはあんたみたいなガキじゃ  なか。ほら」    と、竜太郎に握らせる。    竜太郎の手の中に、お守り。 美津「怖い事があったら、これ握って、海神  様にお祈りするんじゃ」 竜太郎「……」    嬉しいが、虚勢を張る。 竜太郎「なんじゃ。こんなぁ、食えんもん」    美津、ムッとする。 竜太郎「大体、俺はなぁ。神頼みするような  腰抜けの船乗りと違うわい」 美津「…なん…!?」 竜太郎「船はな。知恵と勇気で動かすんじゃ」 美津「そ、そんな事言っとると。…バチあた  るで!」 竜太郎「バチなんて、迷信じゃ。腕が良けれ  ばあたらんよ〜だ!」    と、舌を出す。 美津「ほんっとに…アホ!」 竜太郎「余計な事するな!」    竜太郎、お守りを美津に返すと、ぷい  っと後ろを向いて歩いていく。 美津「なんじゃ、もう!……お前なんか、死  んじまえーーー!」    美津、竜太郎にお守りを投げつけて、    走り去っていく。    お守りは、竜太郎の後頭部にあたって、    落ちる。 竜太郎「…っいて」    竜太郎、お守りを拾う。 38 浜(朝) 竜太郎が戻ってくる。    よしが、泰造にすがり泣いている。 よし「どうしても行くんか?」 泰造「…」 よし「お前まで、いなくなったら…(泣く)」 泰造「大丈夫じゃって」 よし「…皆と一緒に帰ってくるんじゃぞ」 泰造「(目をそらし)……」 よし「必ず。必ず、帰ってくるんじゃ!」    泰造、よしを振り払い、船に向かって    走っていく。    竜太郎、その様子を横目で眺めながら、    『海竜丸』に向かって歩いていく。    『海竜丸』に乗り込もうとすると、乗    っている辰吉が手で制する。 辰吉「お前はあっちの船に乗れ」    と、顎で指す。    竜太郎、驚いて、その方向を見る。    船には『宝丸』の印。 竜太郎「俺はいつも父ちゃんの船に…」 辰吉「船頭は仁衛門さんだ」 竜太郎「だが…父ちゃんの舵裁きが見てぇ」 辰吉「丑松や作次もいる。面倒みてもらえ」    辰吉、船の中に入ってしまう。    竜太郎、不服そうな顔。    『宝丸』に向かって歩いていくと、船    の上から、仁衛門が顔を出す。    仁衛門のこめかみには、大きな古傷。    仁衛門、気難しそうな顔で、ジロリと    竜太郎をにらむ。    竜太郎、一瞬、びびって足を止める。 仁衛門「早くしろ。船を出すぞ」    竜太郎、走って船に乗る。    39 神社(朝)    美津、鳥居の下に立つ。    出て行く船を、心配そうに見ている。 40 宝丸・甲板    船尾で仁衛門が舵棒を握る。    甲板には、竜太郎の他に作次、丑松、    泰造がいる。    仁衛門、舵を握ったまま、憮然とした    口調で話す。 仁衛門「そとうみ外海に出る前に、俺からお  前らに、言っておく」    一同、作業の手を止め、仁衛門を見る。 仁衛門「夜走りの事は聞いとろうが、夜は交  替で眠りをとり、船の速さは緩めずに走る」    一同、沈黙。 仁衛門「そして、海には落ちるな。助けは時  間の無駄になる」 作次「もし、落ちたら? 落ちる事だってあ  るだろう?」 仁衛門「海に落ちても…。助けはしない。そ  れだけだ」    作次と丑松、仁衛門の冷徹さに、眼を    合わせて、首をすくめる。 仁衛門「わかったら、さっさと持ち場につけ」    竜太郎と作次、見張りの為に船の前方    へ歩いていく。    竜太郎、作次に聞く。 竜太郎「あの船頭さんは、何者じゃ?」    作次、竜太郎に小声で話す。 作次「隣の島から雇われた、流れ者の船乗り  じゃ。異国の船にも乗った事があるそうで、  そとうみ外海は慣れているらしい」 竜太郎「異国の船!? すごいのう」 作次「しかし……あれじゃぁ…なぁ…」    前方に水平線。 竜太郎「おーー!これが外海かぁ。この先は  もう、海しかないのじゃなぁ」    と、目を輝かせる。 作次「いいや。何も無いように見えるが、あ  の海の先には、俺達の知らない異国がある  のだろう」    竜太郎、武者震いをする。 仁衛門「面舵(右)いっぱい!」    船先の方向が、ゆっくりと右に変わる。    帆柱の上に風見。    船は波を切り、豪快な走り。    顔に風を受けて、興奮気味の竜太郎。 竜太郎「早いのう!早いのう! そとうみ外  海は風が違うのう」     41 大海原    なぎ凪。    『宝丸』と『海竜丸』、追い風で、の    どかに走っている。 42 宝丸・甲板    舵を握っているのは丑松。暇そうに欠    伸をする。    宝丸の横を、海竜丸が抜いていく。    海竜丸の舵を握るは辰吉。    海竜丸の乗組員達が丑松に向かって、    手ぬぐいを振る。 海竜丸の男「お先になーー!」    丑松、いきなり目が覚めたように、 丑松「何じゃーー!」 作次「丑松、抜き返してやれぃ!」 丑松「おうっ!」    と、力んで、海竜丸に近づこうとする。    しかし、二隻はどんどん離れていく。    甲板で寝ていた仁衛門が、目を開ける。 仁衛門「風を読め、風を」    丑松、帆柱の上の風見を見る。 仁衛門「相手の帆に新しい風を与えない所に、  自分の船を持っていくんじゃ」    丑松、風見を見ながら、舵を押したり    引いたり調整するが、二隻の距離は、    なかなか縮まらない。    仁衛門、立ち上がり、自分の髪の毛を    一本、抜いて風になびかせる。 仁衛門「ほら、この方向じゃ」    と、言いながら丑松の持っている舵を、    小刻みに動かす。    船は次第に海竜丸に近づく。    宝丸が海竜丸の真後ろにつく。    それまでピンと張られていた海竜丸の    帆に、ゴワッと皺がよる。    帆が風を孕めず、失速し始める。    竜太郎、それを見て声を上げる。 竜太郎「すげーーー! 船頭さん、すごいわ  ざ技じゃのう」 仁衛門「ふん! これで、新しい風はすべて  俺達のものだ」    仁衛門が再び舵を動かすと、宝丸はす    るすると海竜丸を抜かしていく。    海竜丸の男達、口を開けて見ている。 丑松「どうじゃーー!」 作次「お先になっ!」    と、海竜丸に向かって手を振る。    海竜丸の男達、悔しそうな様子。    丑松と作次、勝ち誇って笑う。    竜太郎、仁衛門の方へ寄ってくる。 竜太郎「船頭さんは、異国の船に乗った事が  あるらしいな?」 仁衛門「…あぁ」    と、興味がなさそうな返事。 竜太郎「すごいのう。どんなだった?」 仁衛門「巨大な鯨の様じゃ」    竜太郎、目を輝かせて 竜太郎「ずいぶん遠くまで、行ったのだろう  なぁ。今まで、そとうみ外海で嵐に遭った  りしなかったのか?」 仁衛門「あぁ…」 竜太郎「怖くなかったか?」 仁衛門「あぁ…。まぁな」 竜太郎「船頭さんの家族はどこにお居るんだ?  異国に行くなんて。心配しただろう?」    と、次々に質問を浴びせる。 仁衛門「うるさい。持ち場につけ」    と、うざったそうに、追い払う。    竜太郎、つまらなそうに船先へ行く。    船先で座っていた泰造、鼻で笑う。 泰造「(冷ややかに)ガキみたいじゃ」    近くにいた竜太郎、気に触って 竜太郎「なにぃ!?」 泰造「船なんか、早く動かせたって、しょう  がないだろ」 竜太郎「(泰造をにらむ)」 泰造「船乗りなんて、物運んで、魚獲る。そ  れだけじゃ」 竜太郎「バカにするな!」 竜太郎、泰造の胸ぐらをつかむ。 泰造「やるのか!?」    泰造も、竜太郎の胸ぐらを掴み返す。 竜太郎「お前。島の人間のくせに、よくそん  な事を」 泰造「ふん! あんな島、未練はないわ」    挑戦的に睨み合う二人。    どちらも譲らず、一触即発の雰囲気。 丑松「やめんか!」 作次「船で喧嘩は禁物じゃ。海に落ちたら、  命に関わる」    仁衛門、舵をとりながら嘲笑的に笑う。 仁衛門「喧嘩したって構わんぞ。ただ、落ち  たらそのまま捨てていくだけだ」     作次、仁衛門を一瞥する。    竜太郎を泰造から引き離しながら、 作次「誰かが死ねば、船はその分、力を失う。  人は船の宝じゃ」    竜太郎、泰造の胸ぐらを離す。     43 島の神社    神主、祠の前で手を合わせ、ガランと    鈴を鳴らす。    神主、ふと、鈴の付け根を覗き込む。    横柱に結びつけている縄が傷んで、今    にも切れそう。 神主「おやおや…。後で直さんと…」    と、つぶやく。    再び手を合わせ、そして去っていく。    美津が、階段を上ってくる。    祠の前で手を合わせる。    顔を上げ、バツ悪そうにブツブツ…。 美津「なんで、『死んじまえ』なんて、言っ  ちゃたんだろ…。船乗りには言ってはなら  ない言葉じゃ…」    鈴を鳴らそうと、縄を掴む。 美津「(驚いて)ひっ!」    大きな音を立て、鈴が、美津の足元に    落ちる。    美津、後ずさりしながら鈴を眺める。 美津「ふ、不吉な…」            44 海原(夕)    少し荒れた海。白波が立つ。    漂っている宝丸。 45 宝丸・船室(夕)    眠っている竜太郎と泰造。    揺れに合せて、ギシ…ギシ…ときしむ。    時々、ごうっと唸る風。    泰造、船酔いで、気分が悪そうに、体    を起こす。吐きそうになるのを堪える。    作次が降りてくる。 作次「竜太郎、泰造、上にあがれ!」    眠そうな目をこする竜太郎。 作次「帆を降ろすぞ。手伝え」    竜太郎と泰造、起き上がって甲板に上    がっていく。 46 同・甲板(夕)    竜太郎、船室から登ってきて外に顔を    出す。    強い風が顔に当たる。    波が荒い。    竜太郎、くらっと、波に吸い込まれそ    うになる。 仁衛門「早く帆を降ろせ! 嵐がくるぞ」    と、緊張した顔で叫ぶ。    仁衛門、舵を握る手に力が入っている。    泰造、柱に縛り付けてある縄をほどく。    酔いに堪えきれず、海に嘔吐する。    作次と竜太郎、帆を掴み、力いっぱい    降ろし始める。    横波で、船が大きく上下する。    泰造の足元が、ぐらつく。    泰造の手から太縄が離れる。    縄は宙で暴れだし、泰造の顔にあたる。    体勢を崩した泰造、船から落ちる。 作次「泰造、縄を抑えろー!」 竜太郎、泰造の方を見る。    そこに泰造の姿は無い。 竜太郎「!…泰造! 落ちた…落ちた!泰造  が落ちたーーー!」    丑松、竜太郎の声を聞いて、すかさず    竹筒の浮具を海に放る。    竜太郎、身を乗り出して波間に叫ぶ。 竜太郎「泰造ー!」 丑松「泰造ー! 泰造ー!」    大きな波が次から次へと寄せるばかり    で泰造の姿は見えない。 竜太郎「船頭さん! 船を! 船を戻してく    れ! 泰造が! 泰造が落ちた!」    仁衛門、握っている舵の方向を変えよ    うとしない。 仁衛門「…あきらめろ」    竜太郎、えっと驚いた表情。    仁衛門のすぐ横に来て興奮した声で。 竜太郎「急いで泰造を助けないと! 船頭さ  ん! 船を戻せ!」 仁衛門「嵐の海だ! 海に落ちたら死んだも  同じだ」 竜太郎「泰造は、泳ぎの名人だ。海で溺れ死  ぬ奴じゃない!」 仁衛門「いいか!? 春といえども、海水は真  冬の冷たさだ。どんなに泳ぎが達者でも、  落ちたとたんに、心臓が止まっとる」   竜太郎、いきなり仁衛門の握っている舵を動  かそうとする。 仁衛門「何をする!? やめろ!」    仁衛門、竜太郎を突き飛ばす。    竜太郎、床に投げ出される。 竜太郎「少しも探さないと、なんじゃ!」 47 海に落ちた泰造から見た宝丸甲板(夕)    竜太郎、立ち上がり、再び仁衛門の握    っている舵を、押そうとする。    仁衛門、バンッと、竜太郎の頬を張る。 48 宝丸・甲板(夕)    竜太郎、倒れ、口角から血が流れる。    作次、竜太郎の体を起こしながら、仁    衛門に向かって。 作次「何、するんじゃ! 船の上で喧嘩、す  るな! しかも、まだ子供じゃ」 仁衛門「子供だって、なんだって。俺に逆ら  う奴は許さん」    竜太郎、殴られた頬を押さえながら 竜太郎「あんたは流れ者の船乗りだから、仲  間の命を粗末にするんじゃ!」    仁衛門、黙って竜太郎を睨む。 作次「船頭さん……俺からも頼む」    と、頭を下げる。 仁衛門「ふん。お前らへの気休めとして、戻  ってやる。その代わり、変わり果てた泰造  の姿を見て驚くな!」 仁衛門、大きく舵を押す。    船先が動き方向が変わる。 作次「松明を燃やして、海を照らそう!」    と、箱から松明を出し準備する。    各自、片手に松明を持って海を照らす。 作次「泰造ーー! どこだーー!」 丑松「泰造ー! 声を出せーー!」    波が高くて、遠くまで海面が見えない。 竜太郎「泰造ーー!」    竜太郎、次の波の間にいるのではない    かと、期待して次から次へと寄せる波    を見ている。    …が、泰造の姿は見えない。 49 竜太郎の家・外(夕)    ゆう、嵐が来た時のために、扉を板で    打ちつけている。    はな、ゆうの傍らで はな「お父と兄ちゃん、大丈夫かのう…」    と、心配そうにつぶやく。 ゆう「……」    黙々と板を打ち付ける。 50 宝丸・甲板(夕)    波間に、泰造の姿を探す一同。 丑松「沈んじまったか‥」    と、つぶやく。    風が、ビュッと強く吹く。    竜太郎の首から提げたお守りが、ひる    がえる。    竜太郎、お守りに気がつき握り締める。 竜太郎「海神様…。 海神様。 泰造を。泰    造を助けてくれ!」    と、目をつぶって祈る。    竜太郎、両目を開ける。    目の前の高い波が消える。    波間に泰造の姿。    浮き具を抱えて、漂っている。 竜太郎「いた! いたぞ! 生きてる! 泰    造だ。生きてる!」    仁衛門の顔が、驚きに変わる。急いで    舵を操作し、船を泰造に近づける。    丑松、先が輪になった縄を、泰造の方    へ投げる。    泰造が、なかなか縄を掴めない。    丑松と作次の顔に緊張が走る。 仁衛門「使えないガキだ…。もう行くぞ」    仁衛門、舵を動かす。    船の方向が少し変わる。 丑松「ぅおーっ!」    と吼えながら、仁衛門の体を高く持ち    上げる。 丑松「使えないのは貴様じゃー! あいつを  助けて、貴様を海に捨ててやる!」    仁衛門、足をばたつかせ 仁衛門「やめろ! 俺がいなくなったら、船  は動かんぞ」 丑松「舵ぐらい、俺らだってとれるわ」 仁衛門「やめろ! 助けてくれー!」    仁衛門、眼下の荒れた波を見る。額に    冷や汗が流れる。    泰造、やがて水から顔を出し、縄を掴    む。 竜太郎「泰造!」    丑松、竜太郎の声を聞いて、甲板に仁    衛門を投げ出す。    竜太郎と作次、縄を力強く引き寄せる。    丑松、船のそばに来た泰造の両腕を掴    み、甲板へ引き上げる。    仁衛門、尻餅をついたまま。一同の息    の合った行動を見ている。    泰造は体力を消耗している様子。 作次「顔が真っ青じゃ」 丑松「早く体を温めろ。海からあげても、こ    のままでは凍えて死んでしまう」    竜太郎、泰造の肩を抱くように、船室    に連れて行く。    51 同・船室(夕)    竜太郎、松明の火を置き場に立てる。    濡れた泰造の体に乾いた布をかけ 竜太郎「死んだかと思うた…」    泰造、壁にもたれて座る。    ガチガチと歯が鳴っている。 泰造「俺は海で死ぬわけにはいかん」    竜太郎、うなずく。 竜太郎「少し寝た方がいい」 泰造 「俺は…俺は…侍になるんじゃ。…こ    んな所で死ぬわけにはいかん」    と、独り言のようにつぶやく。    竜太郎、甲板に上がっていこうとする。 泰造「(竜太郎に)お前には…借りができた  な」 竜太郎「アホな事、言うな」    と、甲板へ上がっていく。 52 宝丸・甲板(夜)    櫂をこぐ丑松と作次。    突風が吹く。    前で見張りをしていた竜太郎、足を滑    らせ転ぶ。ゴロゴロと甲板を転がる。    柱に捕まり、危うく落水を免れる。    帆柱の先が斜め横に見える。    一同、それを見て驚く。 丑松「うわっ!」 作次「ひっ!」 竜太郎「…!」 仁衛門「早く! 反対側に寄れ!」    丑松、作次、竜太郎、船が横転しない    ように、急いで、傾きと反対側に甲板    を登り、体重をかける。 53 嵐の空(夜)    雲の流れ速く。 54 宝丸・甲板(夜)    仁衛門、帆柱を仰ぐ。    暗い空に、細くそびえ立つ柱。    泰造が船室から上がってくる。    再び、突風。    大きく揺れて船体が傾く。    男達、船を水平に保つため、必死に体    重をかける。 仁衛門「帆柱を切る!」 丑松「え! 帆柱を!?」 仁衛門「船が受ける風を少なくするのだ」 作次「帆柱が無いと、嵐がやんだ時に、走れ  んぞ」 仁衛門「このままでは、鎌倉に着く前に、船  が転覆して海の藻屑だ」 作次「…うぅ……」 仁衛門「とりあえず半分を残して、後で少し  は帆を張れるようにする」    一同、納得するが不安。 仁衛門「誰か登って、斧で叩き切ってくれ」    高くそびえ立つ帆柱。    先にいくほど細く、不安定に揺れる。 作次「…うちは、4人目の子供が生まれるん  で……。す、すまん」    と、言って頭を下げる。    丑松、歯をガチガチ鳴らしながら、 丑松「俺は高い所が苦手で…」 仁衛門「お前みたいな、でかいのが登ったら、  よけい船が傾くわ」    丑松、複雑な表情でほっとする。 仁衛門「泰造、お前が行け!」 泰造「(驚いて)…!?」 仁衛門「お前は、今まで役に立っとらん。お  前が登れ!」 泰造「唇を噛む)…」 竜太郎「俺が登る!」 泰造「竜太郎…」 竜太郎「泰造。お前は、侍になるんだろ。海  で死なせるわけにはいかん」 泰造「……」    竜太郎、縄を自分の胴に巻き始める。 泰造「待て! お前には、これ以上借りを作  りたくない!」    風が吹いて、船が傾く。 仁衛門「どっちでもいいから、早くしろ」 竜太郎「よし、くじで決めよう。丑松さん、  片手にこのお守りを握ってくれ」 竜太郎、首のお守りを丑松に渡す。    泰造、美津のお守りと気づいて、少し    顔をゆがめる。    丑松、後ろを向いてお守りを握る。 仁衛門「早くしろ!」    丑松の大きな握りこぶしが、竜太郎と    泰造の前に出される。 泰造「俺からだ」    泰造、唾を飲む。    そして、丑松の右手を指差す。    丑松の手を見つめる竜太郎と泰造。    丑松が手を開く。    中には、お守り。 55 泰造の父の墓(夜)    激しい豪雨。    熊造の墓の前で手を合わせる、よし。 56 宝丸・甲板(夜)    泰造、腰に縄を巻き、斧をさして、    登ろうとする。    …が、足がすくんで動けない。 仁衛門「登れ!」    泰造、海ばかり見てしまう。 仁衛門「登れ!」    泰造の額に冷や汗。    柱に足をかけるが、力が入らない。 仁衛門「何やっとる。この役立たず!」 作次「(不憫そうに)さっき、海に落ちて、  死に掛けたからのう…」    泰造、屈辱感で泣きそう。 竜太郎「俺が行く」 泰造「…(俯く)」 竜太郎「(泰造の気持ちを察して)俺の方が  体が軽い。船を揺らさずに、ずっと安全に  登れるわ」    と、言って、泰造から縄をはずし自分    の腰に準備する。 仁衛門「よし…行け」    泰造、腰が砕けて、へたり込む。悔し    さで、嗚咽する。    竜太郎、帆先を仰ぐ。    じりっ、じりっと、帆柱を登っていく。    細い先端が、まだ遠く高くに見える。    竜太郎、上を見たまま、じりっ、じり    っと、のぼっていく。    ふと止まって、下をチラッと見る。    甲板が、小さく見える。    眼下には荒れた海…。 57 竜太郎の家・中(夜)    ゆう、囲炉裏の前で縫い物をしている。    外は激しい雨と風。    家を叩く突風。    行燈の火が大きく揺れて。    ふっ、と……消える。    ゆうの顔に不安がよぎる。 58 宝丸・甲板(夜)    風で帆柱が、揺れる。    合わせて柱に登っている、竜太郎の体    も揺れる。    視界に入る船や波、大きく左右に揺れ    ている。    竜太郎、めまいを感じ…。    帆柱にしがみ付く。 竜太郎「…ひっ!…こえー…。こえーよ」 59 島の神社(夜)       美津、祠の前で、じっと手を合わせる。    眉間に皺を寄せて険しい表情。    顔を上げる。    鳥居の下まで走り、海を臨む。    荒れた海。 美津「海神様! ごめんなさい!ごめんなさ  い! 『死んじゃえ』なんて大嘘です。竜  太郎を助けてください!」    と、海に向かって叫ぶ。    美津の顔に、容赦なく雨が、たたきつ    けてくる。    眼下では、岩にあたった波が、激しく    砕ける。 60 宝丸・甲板(夜)    帆柱にしがみついている竜太郎。    震えて動けない。 竜太郎 「こぇーよぉ…。死になくねーよぉ…」 仁衛門「下を見るな! 合図をするまで、上  だけ見て登れ!」    竜太郎、恐る恐る上を見る。    再び登りだす。    手が汗でぬれる。    柱を握る手が滑り、少し落ちる。 竜太郎「(驚いて)…!」    柱にしがみつき、ぬれた手を拭こうと、    懐の着物を触る。    胸のお守りに気づく。    竜太郎、着物の上から、握り締める。    下から見ている泰造。    竜太郎、思い直して、キッと上を見上    げる。    美津の笑った顔が、雲の間に浮かんで    消える。 美津の声「早く登らんか。アホ」    竜太郎、帆先をにらみ、力を振り絞っ    て、じりっじりっと登っていく。    暗い空に吸い込まれそうな、帆の先端。    横殴りの雨、激しく竜太郎を叩く。    竜太郎が半分まで登ると、仁衛門が声    をかける。 仁衛門「その辺で柱を切れ!」    竜太郎、腰に差してあった斧を持ち、    ガンガンと前の柱を切る。    切り込みが半分できる。    竜太郎、手で柱を押す。    帆柱が折れる。    柱の上半分は大きな音を立てて、海に    落ちていく。 丑松「やった!」    竜太郎、顔に笑みを浮かべ、ゆっくり    と降りていく。 作次「やった! 竜太郎、やったぞ」    と、竜太郎の頭をくしゃくしゃに撫で    る。    竜太郎、達成感に満ちた顔。    波にもまれて、流れていく帆柱。    竜太郎、泰造の横に座る。    泰造、ちらりと竜太郎を見る。    竜太郎の襟から、お守りの紐が覗く。 泰造 「お前…それ…」    と、言いかけてやめる。    立ち上がり、その場を去る。 竜太郎 「…?」 61 同・甲板(夜)    豪雨。高い波。    船の甲板を洗うように波をかぶる。    櫂を漕ぐ男達。    竜太郎、頭に波をかぶる。    汗なのか、雨なのか、波なのか、わか    らないほど、顔がぬれている。 作次「港だ…」    と、ふらりと立ち上がる。    一同、漕ぐのを止めて立ち上がる。 丑松「本当だ! 北東の方向に港が見える」    斜め前方に、ゆらゆらと炎。    仁衛門、その方向を凝視する。 作次「港だ! 港だ! 仁衛門さん、今夜は  あそこに船を入れよう」 仁衛門「‥‥ぅむ‥」    と、唸って、じっと考え込む。    竜太郎、じっと灯りの方を見る。 竜太郎「…」    火に照らされて、浜の手前に、砕ける    白波が見える。 竜太郎「…波…」 仁衛門「…!? 波が!? 見えるか!?」 竜太郎「…あそこは浅瀬じゃなかろうか」 作次「しかし、あれは。港の灯りじゃ。普段、  船が出入りしているところだぞ」 丑松「嵐の海なんて、どこでも波が立つわ。  早く、早く船を入れよう」 泰造「…俺は…もうへとへとだ…」    仁衛門、腕を組んで考え込む。 仁衛門「船はこのまま進める」 作次「なぜじゃ? 俺達は、もう限界だ。港  で朝を待ったって、鎌倉に着くのはそう遅  くはならない」 丑松「あんた! さっきの事を恨んで、わざ  と俺達を危ない目に合わそうとしているの  か!?」    と、仁衛門の胸ぐらを掴む。 作次「やめろ、丑松。船の上で争うな」 仁衛門「馬鹿者め。そんな事したら、俺だっ  て危ない目にあうわ」 作次「丑松! もっと松明を焚いて、港に俺  達のことを知らせよう」 丑松「そうだな」    作次と丑松、松明に火を付け始める。 仁衛門「やめろっ!」    と、丑松の松明を奪い、火を消そうと  する。 丑松「何するんじゃ!」    仁衛門と丑松、揉み合いになる。    丑松の振り回した松明が、仁衛門の顔    にあたる。    大きな音と水飛沫。    仁衛門が海に落ちたのだ。 一同「!(驚く)」 丑松「…(青くなる)」 作次「あわわ。だから、船で争うなと、言うた  のに…」    と、言いながら海に縄を放る。    しかし、潮の流れは速く、仁衛門は、    どんどん遠ざかる。    竜太郎、縄を掴んで海に飛び込む。 泰造「竜太郎!」 62 荒れた海(夜)    竜太郎、泳いで仁衛門を追いかける。    見る見る、船から離れていく。 作次「竜太郎、追いすぎるな! お前も死ぬ  ぞ!」    竜太郎、仁衛門に、手が届きそうで届    かない…。    仁衛門が波間から消え、沈んでいく。    竜太郎、それを見て戸惑うが、深呼吸    をして水の中に潜る。            63 海中(夜)    苦しそうに沈んでいく仁衛門。    竜太郎、追う。    竜太郎の縄が限界まで張られる。    竜太郎、思いっきり腕を伸ばす…。    なかなか手が届かない…が、かろうじ    て仁衛門の襟を、捕らえる。 64 宝丸・甲板(夜)    仁衛門と竜太郎、船に上がっている。    作次が二人に布をかけている。 丑松「(申し訳なさそうに)す、すまん…」    仁衛門、答えず…。    懐に挟んであった、びしょぬれの海図  を取り出して広げる。 仁衛門「やはり…」 竜太郎「…?」 仁衛門「この辺りに港の記録はない…」 作次「記し忘れているんじゃろう。あれは港  の灯じゃ」    仁衛門、首を振る。 仁衛門「…あれは…誘い火だ」 作次「…!」 丑松「…!」 竜太郎「誘い火…?」 仁衛門「嵐の夜に、港と見せかけて火を焚い  て、船を誘って座礁させる。中の積荷を盗  むのが目的の、盗賊の仕業じゃ」     三人、がっくりと肩を落とす。 丑松「なぜ…、俺達がわかったんかのう」 作次「こんな暗い海で…」 仁衛門「さっき、泰造を探した時から焚いた  松明を見て、船を見つけたのだ」 丑松「…」 作次「…これか…」    慌てて、持っていた松明の火を消す。 仁衛門「鎌倉はもうすぐだ。じっと堪えて漕  ぎ続ければ、夜明けには着く」    男達、あきらめた顔で持ち場に、戻る。    仁衛門の横を、竜太郎が通り過ぎよう    とする。    仁衛門、竜太郎の腕を掴む。 仁衛門「なぜ、助けた?」 竜太郎「…」 仁衛門「お前だって。…死んだぞ…」 竜太郎「俺は船乗りだから」 仁衛門「…?」 竜太郎「人は船の宝じゃ」 仁衛門「……」 竜太郎、歩いていく。    65 海原(夜)    暗く荒れた海。    帆柱が折れた宝丸。弱々しく波間を漂    う。 66 宝丸・甲板(夜)    激しい雨が甲板を叩く。    「えっーーさ、えーーっさ」と櫂を漕    ぐ男達の声。    険しい形相で舵を握る仁衛門。    丑松と作次、やけくそに叫びながら、    ただひたすらに櫂を漕ぐ。    竜太郎、バケツをひっくり返した様な    波をかぶりながら、声を出してがむし    ゃらに櫂を漕ぐ。 67 海原(早朝)    雨が止んでいる。    短い帆柱に帆を張って、弱々しく走る    宝丸。 68 宝丸・甲板(早朝)    作次と丑松、疲れて甲板で眠っている。    ヘトヘトになりながら、惰性のように    櫂を漕ぐ竜太郎と泰造。    東の雲の隙間から、太陽の光が差し込    んでくる。    白々と夜が明ける。 仁衛門「ついたぞ。鎌倉だ」    一同、一斉に立ち上がる。 69 海から見た鎌倉    朝日を受けて、山のシルエットが浮か    んでくる。    山の中腹には桜。海から続く参道。    その向うに、鶴岡八幡宮が佇む。 70 宝丸・甲板(早朝)    登る朝日に、男達の顔が輝く。 作次「やっと!着いた!」 竜太郎「(感動して)……」 丑松「とうとう来たぞ」 泰造「…鎌倉だ…。鎌倉の幕府じゃ!」 71 鎌倉の浜(朝)    白い幟が立つ。    浜に上がった宝丸。    仁衛門、役人らしき男と話をしている。    船から荷を降ろす丑松や泰造、作次。    彼らから流れ作業で受け取る、幕府の    使いの人夫達。    竜太郎、波打ち際で、一人じっと沖を    見つめている。    船の荷物は一通り、運び終わった様子。 仁衛門「俺達も、旅籠で体を休めるぞ」       と、歩き出す。    丑松と作次、泰造は仁衛門の後に続く。    竜太郎、沖を見たまま動こうとしない。 作次「辰吉さんが心配か」 竜太郎 「……」 丑松「大丈夫じゃ。辰吉さんなら、すぐ着く  わ」 作次「竜太郎も帆柱を切ったり、頑張ったか  らのう。少し体を休めろ」    と、竜太郎の肩を叩いて促す。    竜太郎、後ろ髪引かれるように、沖を    振りかえりながら歩いていく。 72 旅籠・玄関先    丑松と作次と泰造、倒れこむように玄    関先に座り込む。    丑松、足を投げ出し 丑松「うひゃ〜! 陸はええのー!」 作次「おい、見ろ! 足元が、全然揺れてな  いぞーー」 丑松「当たり前じゃ!」    丑松と作次、笑う。    竜太郎だけは、思いつめた顔で立つ。 73 鎌倉の浜(夕)    『宝丸』の影、夕日で長く伸びている。    一隻だけの姿が物悲しい。 74 風呂場・外(夕)    竜太郎が現れる。着物を脱ごうとする。    その時、つい立の向うから、お湯の音    と共に、丑松と作次の声がする。 作次の声「辰吉さん達、遅いのう…。もう夕  方じゃ」 75 同・中(夕)    湯船に、つかっている丑松と作次。 丑松「嵐が来るまでは、俺達の船の後ろにお  ったのに」 作次「…う…ん。あの嵐で、沈んだんじゃな  かろうか」 丑松「辰吉さんは、船を沈ませるような船頭  じゃない!」    と、作次にむかって、お湯をかける。    作次、避けながら 作次「でも、のう…。知っとるか?」 丑松「何をじゃ?」 作次「なぜ竜太郎を自分の船に乗せなかった  か」 丑松「……」 作次「辰吉さん、自信がなかったのじゃ」 76 同・外(夕)    竜太郎、着物を脱ぐ手を止めて、じっ    と中の話を聞いている。 作次の声「初めてのそとうみ外海に自信がな  かったから、竜太郎を違う船に乗せたのじ  ゃ」 丑松の声「ゆうさん。竜太郎が乗るのも随分  反対しておった」    泰造が、現れる。    うな垂れて立ち尽くす竜太郎に、気が    つく。 作次の声「亭主と一緒にせがれまで死んじま  ったら、たまらんもんなぁ」 丑松の声「辰吉さんの事だ。まだ乳飲み児を  抱えとるのに、家に男手がなくなったら大  変だとか、考えたのだろうなぁ」 竜太郎、走りだす。 泰造「竜太郎!」 77 同・中(夕)    脱衣所の声を聞いて、丑松と作次、顔    を見合わせる。    気まずい表情で、ブクブクとお湯に顔    を半分沈める。 78 鎌倉の浜(夕)    西の空に傾いた太陽。    竜太郎が走ってくる。    沖を見つめる。    泰造が後を追って走ってくる。    竜太郎の肩をたたく。 泰造「心配するな」 竜太郎「もう夕方じゃ。遅すぎる」 泰造「風呂に入って飯を食おう」    と、竜太郎の腕を掴んで戻そうとする。 竜太郎「俺はここで父ちゃんを待つ」    と、泰造の手を振り切り、座り込む。 泰造「………」    泰造、どさっと座り込む。 泰造「じゃぁ、俺も」 竜太郎「お前は宿で、風呂でも入れ」 泰造「…いや…いい」 竜太郎「同情はいらん」 泰造「…お前には借りがある」    二人、言葉なく、沖を見続ける。    夕日に染まる二人の顔。    太陽が少しずつ、落ちてくる。 竜太郎「もう…。来んな…」 泰造「………」 竜太郎「海の中は苦しかろうな…」 泰造「………」    竜太郎の目に涙が溢れてくる。    ずずっと鼻をすする。 泰造「………泣いてるのか?」    竜太郎、慌てて袖で涙をぬぐう。 竜太郎「泣いとらん」 泰造「……ぅん…」 泰造、竜太郎の顔を遠慮がちに見る。 竜太郎「泣いとらんってば…」 泰造「泣いてもいいんだぞ」 竜太郎「海の男が海で死んだんじゃ。泣かん」 泰造「どこでだって。親が死んだのは、同じ  じゃ」 竜太郎「……(堪える)」 泰造「泣けよ」    竜太郎、こらえながら 竜太郎「前に父ちゃんが言ったんじゃ。船底  の板、一枚下はいつも地獄だ。船乗りが海  で死ぬのは当たり前。俺が、海で死んでも  泣くなって」 泰造「………」 竜太郎、腕の中に顔をうずめる。 泰造「じゃ……泣くな」 竜太郎「泣いとらん」    と言いながら、ずずっと鼻をすする。    腕に顔を突っ伏して、肩が震える。    泣いている様子…。 泰造、黙って座っている。    時々、鼻をすする竜太郎。    ………。流れる沈黙。    竜太郎、次第に落ち着いてくる。 泰造「なぁ…」 竜太郎「ん?」 泰造「俺と一緒に侍にならんか」 竜太郎「侍?」 泰造「俺のお父は、漁に出て死んだろ」 竜太郎「(目を伏せ)……」 泰造「なんの名誉もなく、あっけなくだ」 竜太郎「…船乗りに、名誉なんか…」 泰造「つまらん人生だった…」 竜太郎「…(言葉を探すが)」 泰造「俺は、侍になるために鎌倉に来た」 竜太郎「島へは帰らんのか?」    泰造、頷く。 竜太郎「侍になって、どうするんじゃ」 泰造「人間、どうせ死ぬんじゃ。 だったら、  自分の力を試してから死にたいだろ」 竜太郎「侍じゃなくたって、力は試せるだろ」 泰造「俺はな。広い世間で、誰もが認めるで  かい人物になりたいのじゃ」 竜太郎「……」 泰造「お前だって。このまま、一生、辰吉さ  んを奪った海で、暮らす気がするか?」    竜太郎、砂を握り締める。 竜太郎「陸者の、土地を取ったの取られたの  には興味はないが…」    ゆっくり掌を開く。    パラパラと砂が落ちる。 竜太郎「侍か…まぁ…悪くない…か…」 泰造「侍になって、また俺と勝負だ」 竜太郎「何を勝負するんじゃ?」 泰造「早く偉くなった方が、美津を嫁にする」 竜太郎 「…!?」 泰造 「(聞きにくそうに)竜太郎…おまえ…」 竜太郎「あ?」 泰造 「おまえ…美津とつきあっているのか?」 竜太郎「(動揺し)つ、つきあってなどない。  関係ない」 泰造「美津のこと、どう思う? 今じゃ、島  一番のべっぴんだ」 竜太郎「お、俺は…。俺は何とも。あ、あん  なじゃじゃ馬!」 泰造「そうか。ではこの勝負。俺が勝てそう  だな」    と自信満々で言う。 竜太郎 「べ、別に気にせんでくれ」    と、言いながら泰造の自信が気になり、    お守りのある懐に手を置いてみる。         ゆらゆらと沈んでいく太陽。    沖の蜃気楼に、黒い点が見える。    竜太郎、ふと沖に目をやる。 竜太郎「…! …船…」 泰造「…幻か…。今は幻も見るだろう……。  しかしな、竜太郎‥」    竜太郎、すっくと立ち上がる。 泰造、目をこらして、沖を見る。 泰造「…(はっとする)!」    泰造も、立ち上がる。    沖の船が、少しずつ近づいてくる。    帆に『海竜丸』の印。    竜太郎の表情が見る見る明るくなる。    泰造、まだ信じられない顔。 泰造「…み、みんなに知らせてくる」    と、転がるように走っていく。 竜太郎「おーーい! おーーーい!」    竜太郎、大きく両手を振りながら、ザ    ブザブと波打ち際に入っていく。 79 旅籠までの道(夕)    走る泰造。草履が片方脱げる。    脱げた草履を拾うと、いまいましそう    に、もう片方も脱ぐ。    手に草履を持ち、裸足で走っていく。 80 鎌倉の浜(夕)    集まってきた宝丸の男達、海竜丸の浜    上げを手伝う。    辰吉が船から降りてくる。    竜太郎、辰吉の前に立つ。 竜太郎「…(泣きそうな顔)」    辰吉、黙って竜太郎の肩を抱く。 竜太郎「心配させんな!」    と、辰吉の背中の衣をギュッと掴む。 81 旅籠・外(夜)    窓の格子から座敷の明かりが漏れる。    男達の笑い声。 82 同・中(夜)    夕げの宴。    辰吉と仁衛門を上座にして、二隻の船    員達が、食事をしている。    ずいぶん、酒が回っているようで丑松    や作次は赤ら顔。 作次「辰吉さん、どうしてあんなに、遅くな  ったのじゃ?」 辰吉「あぁ。嵐で方向を失ってな。潮に流さ  れて大島に着いちまった」 丑松「しかし、すぐに戻れば、昼には着いた  だろ」 辰吉「まぁ。それでもよかったのだが、皆、  疲れきってたからのう。ちょうどいいとば  かり、大島で、嵐が過ぎるのを待った」 黙って聞いていた仁衛門、 仁衛門「…あんたは、やっぱり一番の船頭だ」    と、静かにつぶやく。    辰吉、仁衛門の杯に酒を注ぎながら、 辰吉「何、言うとる! あんたは、俺よりず  っと早く、荷物を届けたじゃないか。仁衛  門さん、あんたこそ、一番の船頭じゃ」 仁衛門「……(何か言おうとする)」    しかし、言葉を飲み込んで、酒をぐい    っと口に入れる。    辰吉、笑いながら、 辰吉「それに。俺もおか陸で休みたかったん  じゃ」    一同、大笑い。    竜太郎、辰吉を誇らしげに見る。    体が空腹に気がついたかのように、グ    ルルと腹がなる。    竜太郎、飯を掻きこむ。 83 夜空・明るい月 84 旅籠・縁側(夜)    庭をのぞむ。    仁衛門、月を見ながら酒を飲んでいる。    風呂上りの竜太郎が、通りかかる。 仁衛門「竜太郎」    と、呼び止める。    竜太郎、振り向く。 仁衛門「…まぁ、座れ」    竜太郎、仁衛門の横に並んで座る。    仁衛門、酒を飲む。 仁衛門「お前の親父は、いい船頭じゃ」 竜太郎「うん…」 仁衛門「船は一人じゃ動かせん」 竜太郎「……うん…」 仁衛門「自分だけ生き残っても、船は動かせ  んのじゃ」 竜太郎「………」 仁衛門「あの人は、そこんとこ、よぅく判っ  ておる」 竜太郎「……」 仁衛門「俺は、早く走らせる事ばかり考えて  …。まだまだじゃ…」    と、つぶやき、杯に酒を注ぐ。 竜太郎「うん。父ちゃんはいい船頭じゃ…」 仁衛門「うむ」 竜太郎「でも、俺は、今回。仁衛門さんの船  に乗せてもろうて、よかった」    仁衛門、持っていた杯を口に入れよう  として、ふと、手をとめる。    そして、ふんっと、笑う。 竜太郎「俺、海は好きじゃけど、やっぱり、  陸(おか)はええのう〜〜」    と、腕を伸ばして、大の字に寝転ぶ。    仁衛門、再び、ふんっと笑い酒を飲む。    空には輝く月。 85 鎌倉の浜(朝)    船大工達、宝丸の中央に新しい帆柱の    為の木材を立てる。    掛け声と共に、新品の帆柱が青空に向    かって、そびえ立つ。    男達、それぞれの船に乗っていく。 辰吉「さぁ! 帰りは無理せず走らせて、無  事、島に帰るぞー!」 一同「おー!」と声をあげて、それぞれの船  に向かう。    竜太郎、泰造との別れ。 竜太郎「本当に島に、帰らんのか?」 泰造「あぁ…」 竜太郎「母ちゃん、また泣くぞ」 泰造「…(俯いて)」 竜太郎「一緒に帰ろう」 泰造「…竜太郎」 竜太郎「ん?」 泰造「母さんに、伝えてくれ。でっかくなっ  て迎えに行くって」 竜太郎「……」 泰造「必ず。必ず、帰るからって」 竜太郎、泰造の目を見てうなずく。 泰造「お前はいい船頭になる」    と、竜太郎の肩に手を置く。 竜太郎「泰ちゃんも、いい侍になれ。そして  …。そして、必ず島へ帰って来い!」    泰造、力強く頷く。 竜太郎、船に向かって歩いていく。 86 鎌倉沖(朝)    沖に向かう宝丸。    宝丸の甲板には、竜太郎の姿。遠ざか    る浜を見ている。    小さくなった浜では、泰造がいつまで    も手を振っている。 87 伊豆沖    海竜丸と宝丸が通る。    切り立った岩に、砕ける波。    沿岸に、座礁している船の残骸。    全体に焼け焦げて、ボロきれ布のよう    に、帆の残りが風に揺れている。    悲惨で物悲しい。 88 宝丸    一同、座礁した船を哀れな目で見つめ    ている。 竜太郎「あれは…?」 作次「あの嵐の夜の、誘い火の所だ」 丑松「座礁させて盗みを働いてから、船に火  を放ったのだな」 竜太郎「ひどい事するのう…」 作次「何であそこまでするかのう…?」    黙って舵を操作していた仁衛門が、静    かに口を開く。 仁衛門「どこの船を襲ったか、わからなくす  るためだ。仕返しされないようにな」 竜太郎「船の人達はどうなったんじゃ?」 仁衛門「皆殺しだ…」 竜太郎、作次、丑松、顔をしかめる。 作次「俺達がやられていたと思うと…ゾッと  するな…」 丑松「あぁ…」    竜太郎、舵を握る仁衛門の横顔を見る。 竜太郎「仁衛門さんの勘は、大したものだ」 丑松「あぁ。あの嵐の中、こっちは藁にもす  がる思いだったからなぁ…」 作次「あんたのおかげで助かった」    仁衛門、前を見たまま 仁衛門「…昔、南の海に行った時に…。盗賊  にあったんじゃ。」 89 (仁衛門の回想)暗闇の海    めらめらと燃えて沈んでいく船。 仁衛門の声「仲間は皆、殺されて、船を焼か  れた」    こめかみから血を流した仁衛門。    樽につかまって、燃える船を見ている。 仁衛門の声「…息も絶え絶えに、海に漂って  いたら、異国の船に助けられた」 90 宝丸 仁衛門「異国の船に乗ったというのはその時  だ…。仕事で乗ったわけではない」    丑松、作次、竜太郎、不憫そうに、仁    衛門を見る。    仁衛門のこめかみ、痛々しい傷跡。 91 島の神社    美津、祠で手を合わせている。    神主が現れる。 神主「おう、また来とったか。毎日毎日、感  心じゃのう」 美津「暇つぶしじゃ」    と、見栄を張る。 神主「大丈夫じゃ! 海神様は、必ず島のも  んを守ってくれるけん!」    美津、笑ってみせる。    神主が去っていく。    残った美津、鳥居の下から海を見る。    その顔は不安そう…。 92 瀬戸内海    穏やかな海。    『海竜丸』と『宝丸』、並んで悠々と    走っている。 93 浜    島人の一人が、漁の為の、小舟を出そ    うとしている。    海を見て「はっ!」とする。    沖に『海竜丸』と『宝丸』が見える。 島人「帰ってきたぞー! 鎌倉に行った船が  帰ってきたぞーー!」    と、大声を出しながら浜を駆けて行く。    船主が、走って現れる。    二隻を見つけて 船主「おぉっ!」    島人達も集まってくる。 船主「太鼓じゃ、太鼓じゃ! 火を焚いて太  鼓を鳴らせ! 派手に出迎えてやれー!」    島人達、迎える準備をする為に、あち    らこちらに、走り出す。 94 宝丸    丑松と作次が、浜に向かって大きく手    を振る。    浜で人々が出迎えているのが見える。    その中に、ゆうやはなの姿もある。    ゆう、両手で口を覆って泣いている。 竜太郎「………」    じわっと涙が浮かぶ。    慌てて袖で拭く。 95 浜    大きな焚き火。火の粉が空に舞う。    その近くで、男達が、何台もの太鼓を    激しく打ち鳴らしている。    海竜丸と宝丸。村人の手伝いによって、    浜に上げられる。    船から下りてくる辰吉。    赤子を背負ったゆうが、はなの手を引    いて駆け寄る。    辰吉、はなを抱き上げる。    そして、見つめあう辰吉とゆう。    辰吉、暖かい笑顔で頷く。    竜太郎も船から降りる。    浜の砂の上に、足を下ろした瞬間、 竜太郎「島じゃ…」    と、つぶやく。    そして、ゆうの方へ歩み寄る。    ゆう、安心した顔で竜太郎を見る。    そして改まって頭を下げる。 ゆう「ご苦労様です」    それは息子ではなく、一人前の船乗り    に対して。    竜太郎、嬉しそうに笑う。 96 岩場    美津、浜の賑わいを岩陰から見ている。    竜太郎が、ゆう達と再会を喜んでいる    姿が見える。    美津、顔がほころぶ。    竜太郎が美津の方に顔を向けた瞬間、    美津、さっと岩陰に身を隠す。 97 島の神社    美津、急いで階段を登ってくる。    嬉しそうな顔。軽やかな足どり。     98 浜    太鼓の音が鳴り響く。    竜太郎、出迎えた人々の中に、美津の    姿を探す。    作次の周りには、子供達と妻。    丑松と年老いた母親。    それぞれに家族との再会を喜んでいる    船員達の姿。    しかし、美津の姿はない。    竜太郎、辺りを見回しながら、浜から    離れる。 99 島の神社    祠で手を合わせている美津。 美津「ありがとうございます。ありがとうご  ざいます」    美津、顔をあげて、振り返る。    すぐ後ろに竜太郎が立っている。 美津「きゃっ!」 竜太郎「よぅ」    と、とぼけた顔で声をかける。 美津「お、おどかさんで」    と、竜太郎から目をそらす。    そして、バツが悪そうに逃げていく。 竜太郎「待てよ」    と、美津の後を追う。    美津の足が速くなる。 竜太郎「なんじゃ!?」    竜太郎も足を早める。    美津、階段を駆け下りる。 竜太郎も後を追う。    美津の足、階段を踏み外す。    体勢を崩して、転びそうになる。 美津「きゃっ!」    竜太郎、後ろから美津の体を支える。    美津、驚いて竜太郎の顔を見る。    二人、パッと離れる。    ばつの悪い雰囲気…。 竜太郎「なんで逃げるん?」 美津「………(黙り込む)」 竜太郎「おい!」 美津「別に…逃げとらん」 竜太郎「逃げとらんって…。俺を見たら、避  けよったろ」 美津「……」 竜太郎「島を出る前のこと、まだ怒っている  んか?」    美津、首を振る。 竜太郎「なら。なぜじゃ?」 美津「……あんたに会わせる顔がない…」    と、目をそらす。 竜太郎「なんじゃ、それ?」    美津、涙ぐんでくる。 美津「『死んじゃえ』なんて。…あんな事言  って…」 竜太郎「……」 美津「嵐が起きたのは、うちのせいじゃ…」    次第に泣きじゃくる美津。 竜太郎「……」 美津「うちが、あんな事を言ったから……、  海神様が嵐を起こしたのじゃ」 美津、袖で涙を拭こうとする。    竜太郎、それに気がつき、首の手ぬぐ    いをはずして、美津に渡す。    美津、竜太郎が見せる意外な優しさに、    少し驚く。    一瞬、躊躇するが、その手ぬぐいを受    け取る。 竜太郎「嵐が起きたのは、おまえのせいじゃ  ない」 美津「でも……」 竜太郎、黙って美津を見る。 美津「あ……また。そんなの迷信じゃ! と  か怒るん?」 竜太郎「いや…」    と、静かに首を振る。 美津「………(泣いている)」 竜太郎「俺は…お前に助けられた」 美津「…?」 竜太郎「怖くなった時に、何度も何度も、こ  れを握り締めた。こぅ…」    と、言いながら、胸のお守りぎゅっと    握り締める。 竜太郎「美津のおかげじゃ!」    と、美津の目をまっすぐ見つめる。 美津「…………変わったのぅ」    と、不思議そうにつぶやく。 竜太郎「え?」 美津「……うち、置いていかれそうじゃ」    と、言いながら、また泣く。 神主、ホウキを持って境内に現れる。    二人の姿を見つける。    神主、二人を見守るように微笑む。    二人は神主に気がつかない。    神主は、境内を掃いて、静かに去って    いく。    竜太郎、階段に座る。    竜太郎に促されて、美津も隣に座る。    海を眺める二人。 竜太郎「嵐の中で…帆柱に登ったんじゃ」 美津「……すごいのう…」 竜太郎「死ぬかと思うた」 美津 「…」 竜太郎 「…船乗りは海で死んでも平気だなん  て言うとったが。…やっぱり…すごく、す  ごく怖かった…」 美津「…」 竜太郎「その時、これを握ったら、お前の顔  が見えた」    と、お守りを目の前で揺らす。 美津「そう…」    と、恥ずかしそうにうつむく。 竜太郎「帆柱の上でな。お前が俺に、言うた  んじゃ」 美津、顔を赤らめて聞く。 美津「なんて?」 竜太郎「………アホ…言うとった」 美津「は?」 竜太郎「はよ登れ。アホって…」 美津「…!?……な、なんじゃ、それーー!?」 竜太郎「だって、言うとったんだもん」    美津、呆れたようにつぶやく。 美津「…アホ!」    しかし、その口調に、どこか温かさが    ある。    美津、淡々と穏やかに 美津「でも、よかった………。うち、毎日、  ここに来て、お祈りしていたんよ」 竜太郎「…ありがたいのう…」    風が吹いて、美津の前髪が揺れる。 竜太郎、それを見ている。    やがて、美津に口づける…。    美津、受け入れる…。自然に…。    静かに流れる時…。    二人の目の前には、穏やかな瀬戸の海。 100 海    波を切るように、走る船の先端。    遠くまで、ほぼ直線を描く船の航跡。 101 海竜丸    甲板で縄を操作している丑松(32)。    船の前で見張りをしている作次(35)。    舵棒を握る若者の手。その腕は日焼け    して逞しく。舵を握っているのは竜太    郎(18)。 竜太郎の声「あれから俺達は、毎年、鎌倉に  昇った」    水平線が見える。 102 竜太郎の家・外    塗り替えられた家屋。    家の横に小さいけれど蔵も建っている。    ゆう(36)、庭先で、赤や黄色に染め    た糸束を干す。    着ている着物が以前よりも上等そう。 竜太郎の声「おかげで、島の暮らしは、少し  豊かになった…」 103 鎌倉の浜    以前と変わらぬ鎌倉の景色。    侍らしい格好の泰造(18位)、海に向    かって手を振っている。 竜太郎の声「泰ちゃんは、夢が叶って侍にな  った。結構手柄を立てて、忙しかったが、  俺達が行く度に、出迎えてくれた」    手を振っている泰造、突然、消える。 竜太郎の声「でも…ある年から、姿が見えな  くなった」    波打ち際に、折れた矢。先には血がこ    びりついている。 竜太郎の声「……戦で死んだらしい」 104 戦場    武装した大群の前列。    刀を振りかざして、走っていく泰造。 竜太郎の声「戦では、一番前の列にいたと聞  いた…」    前から飛んでくる矢が肩に刺さる。    泰造が矢を掴んで抜こうとした瞬間、    前から後ろから。矢が泰造の体を射る。 竜太郎の声「体に矢を8本も刺して…」    泰造、理不尽な表情で倒れていく。 105 島の岩場  竜太郎の声「…最後には、島に帰りたがって  いたそうじゃ」    よしが、手紙を手に裸足で走ってくる。    東の海に向かい、泣き叫ぶ。 よし「泰造ーーー! 泰造ーーー!」    追ってきた神主、今にも飛び込みそう    な、よしをとめる。 よし「この、あほんだらーー! 親の言う事、  聞かんと! このあほんだらーー!」    よし、泣き崩れる。 よし「泰造ーーーーー!」     よしの声は、遠くの海に響いて…。 106 大きな帆船    大きな船の先端が、ザクザクと波を切    っていく。 竜太郎の声「仁衛門さんは…、随分稼いでい  るのだから、島に、でかい家でも建てれば  いいのに…」    舵を握る仁衛門の顔(40)。    円形の大きな舵を回す。 竜太郎の声「相変わらず海の上だ。今は異国  に行く船に乗っているらしい」    甲板には、中国製の壷や瓶が、いくつ    も置かれている。 107 竜太郎の家・外     ゆうの傍らで、染糸を干すのを手伝う    女の後姿。 ゆう「もらったばかりの嫁さん、放ったらか  して…。まったく。竜太郎はあかんのう」    振り返るとそれは美津(18)。 美津「子供ん時から、そういう人じゃけん。  平気です」 ゆう「すまんのう、みっちゃん…」 美津「必ず帰って来ますけん」    美津、空を見上げる。    青空高く、カモメが飛んでいく。 108 大海原    ほぼ直線を描く航跡。    航跡を追うようにカモメが飛んでくる。 竜太郎の声「俺はといえば…」 109 海竜丸    舵を握る竜太郎。 竜太郎の声「船頭になった」    船室から辰吉(42)が顔を出す。 竜太郎の声「…と、言うのは嘘で、相変わら  ず『海竜丸』の船頭は父ちゃんだ」 竜太郎の首や額に汗が流れる。    竜太郎、手ぬぐいで、汗を拭う。 辰吉「疲れたか? 舵、替わるか?」 竜太郎「大丈夫じゃ! まだまだいける!」    竜太郎の精悍な目つき。 竜太郎の声「しかし、舵を任されるようにな  った。今は…、それが。とにかく嬉しい!」    竜太郎、力強く、舵を押す。 竜太郎「面舵、いっぱーい!」    帆が、高く張られた。    帆には堂々と『海竜丸』の印。    カモメが飛んでいく…。               (終)