「マイ・リトル・ラヴァー」 高杉秋子 《登場人物》 土谷将勝(12) 中学一年生・主人公 土谷繁(42)   ブリーダー・将勝の父 土谷幸子(39)  将勝の母 藤原 京介(48) ラックのオーナー 藤原 留美(45) 京介の妻 藤原 理香(10) 藤原夫妻の娘                丸山 哲平(38) ロッキーのオーナー  岩本(60)  ラックのオーナー 岩本の妻(60)   槇   (30) ラックのオーナー 1 中学校・自転車置き場   葉桜の生い茂る自転車置き場。   生徒たちが帰宅していく。   土谷将勝(12)、慌てて来る。 少年A「なあ、今日俺ん家でゲームしない  か?」 将勝「ごめん。今日はパス」   将勝、そそくさと自転車に鍵を差し込む。 少年B「どっか行くの?」 将勝「ウチで赤ちゃんが生まれるんだ」 少年A「赤ちゃん!?」   将勝、自転車で去っていく。 少年A「え? おい!」   将勝の姿、もう見えない。 2 土谷家・外   一戸建て。庭の奥に犬舎が見える。   表札の横には『ビーグル専門ブリーダー』   の看板。   ビーグルの子犬を連れた土谷繁(42)が、   門の中に入ってくる。 3 同・庭   繁が子犬のロッキーを連れて、犬舎のほう   へ歩いている。   犬舎から、繁の足音を察した犬たちのワン   ワンと吠える声が聞こえる。 繁「よしよし、ほうら、お家に着いたぞ」   と、居間に面したサッシが開き、険しい表   情の土谷幸子(39)が出てくる。 幸子「(子犬を見て)ロッキー! お父さん、  またやったの!?」  繁「そんな事言ったって、あれだ。俺が見に  行ったら、ポツンと外に繋がれてたんだぞ」 幸子「だったら、丸山さんに一言注意すれば  いい事でしょう。何も連れて帰らなくても  ……」 繁「約束守れないようなヤツはオーナー失格  だ。ロッキーを飼う資格なんかない」 幸子「そんな事言ってたらいつまでたっても  売れないじゃない」 繁「これだけ器量がいいんだから、もらい手  はいくらでもある(犬に)なあ」 幸子「犬のことより私たちの生活の事をもっ  と考えてよ」   チャイムの音。 幸子「はーい」   玄関のほうへ駆けていく幸子。 4 道   将勝が自転車を軽快に漕いでいる。 5 同・犬舎内   棚に整然と並べられたゲージ。それぞれ   に一匹ずつ犬が入っている。全部で二十   個ほど縦横に並ぶゲージはさながら犬の   マンションのよう。   繁、ゲージで眠そうに欠伸をしているロ   ッキーを愛しそうに見つめる。 幸子「お父さん!」   幸子が慌てて入ってくる。 繁「何だ、どうした?」 幸子「丸山さんが来たわ。どうしよう。ロッ  キーの代金、もう使っちゃった」 繁「追い返せ」 幸子「無理よ。お父さん出てよ」 6 同・居間   向かい合う繁と丸山哲平(38)。中央の   テーブルにはビーグルのロゴが印刷され   た沢山の資料がある。   『丸山工業、看板犬のロッキーです』と   書かれた可愛らしいビーグルのイラスト   入りチラシを手にとって見る繁。 繁「(横柄に)看板犬ねえ。譲る時は何も言  ってなかったじゃないですか」 丸山「ロッキーがあんまり可愛いんで、女房  がそうしようって言い出したんですよ。粗  末に扱ったりしてませんよ」 繁「お譲りするとき、外で飼うのは禁止って、  私言ってたはずですが?」 丸山「お昼休みの間だけです。従業員の弁当  を欲しがるもんで、繋いでたんです」 繁「本当に?」 丸山「本当ですよ。お宅こそ何も勝手に連れ  帰らなくても……」 幸子「お父さん! エリカが破水した」   突然窓から顔を出した幸子に、驚く丸山。   繁、庭に飛び出していく。 7 同・犬舎内 繁「予定通りだ。よし、お湯の準備」 幸子「はい」 繁「あと、タオル持ってこい」   幸子、あたふたと出て行く。 繁「(エリカに)しんどいか。……頑張れよ。  もうちょっとだ」   丸山がコソコソと入ってきて、ロッキー   の小屋の前に行く。 丸山「ロッキー」   丸山、ゲージを開けロッキーを出す。 丸山「連れて帰りますからね」 繁「(振り向かず)……」   丸山、ロッキーを抱え、出て行こうとす   るが、途中で足を止め、繁の後ろからそ   っとエリカの様子を盗み見る。 繁「おい」 丸山「(ドキッ)!」 繁「(エリカを指し)コイツはロッキーの  叔母だ」 丸山「えっ!」   丸山、紅潮した顔で覗き込む。 繁「(エリカに)頑張れよ、もう頭出て来た  からな……」   苦しそうなエリカから子犬が生まれ落ち   る。   繁がそっと手に取り羊膜を破ると、ミュ   ーミューと産声を上げる。 丸山「うわぁ……。ロッキー、お前のいとこ  だぞ」   まだ目も開かず、壊れそうに小さな子犬。 8 同・外   将勝が自転車で帰ってくる。 9 土谷家・犬舎内   生まれたての子犬三匹を幸子がタオルで   拭いている。 幸子「ロッキーのお金、返金しなくて済んで  助かったわ」   興奮気味の繁が一匹を手に乗せて、 繁「今回はつぶぞろいだ。ショーに出せるか  もしれない」 幸子「(喜んで)本当?」   繁、熱っぽい目で子犬たちを見つめる。   将勝が入ってくる。 幸子「将勝、三匹だったわよ」   将勝、嬉々として子犬たちを見る。 将勝「うわあ! 可愛いなあ。ねえお父さ  ん、約束だったよね。中学に入ったら雑用  係から昇格して、子犬の世話係にしてくれ  るって」 繁「責任持ってちゃんと世話するんだぞ」 将勝「うん! やったあ!」   飛び上がって喜ぶ将勝に目を細める繁と   幸子。 10 同・居間(夜)   食卓を囲む三人。 将勝「でね、雌二匹はルコとリサ。雄はラッ  クって言うのはどうかな?」 幸子「ラック?」 将勝「グットラックのラックだよ」 幸子「ショードッグっぽくていいじゃない。  (繁に)ねえ」 将勝「ドッグショーで勝てるかなあ」 繁「あいつらがショーで活躍するようになれ  ば、ウチのブリーダーとしての評判も上が  るぞ」 幸子「オーナーを付けないとね。ただでさえ  ウチは毎月赤字なのにショーのお金なんか  出せないわ」 繁「そうだな。ショーの経費以外にも、犬の  管理費用なんかももらえたら助かるな」 幸子「ショーで犬が入賞したら、ご祝儀もも  らえるし……」 繁「よし! (犬の雑誌を開き)二ヶ月くら  い経ったら、一番可愛い写真をこういう雑  誌に載せて大々的にオーナー募集だ!」 将勝「すっげー!」   将勝が雑誌をパラパラめくると、賞を取   ったハンドラーがショードッグと一緒に   写っている記念写真がある。 将勝「僕も将来、絶対ハンドラーになる!」 繁「まずは子犬たちの世話、頼んだぞ」 11 同・犬舎内(日替わり)   学校のカバンを持ったまま飛び込んでく   る将勝。 将勝「ルコの様子は?」 幸子「やっぱり上手くミルクが飲めなかった  みたい……駄目だったわ」   少し成長した二匹の子犬(リサとラック)   が無邪気にエリカの乳を飲んでいる。   将勝、泣きそうな顔で外へ出て行く。 12 同・庭   庭の隅。地面に置かれたシートが小さく   盛り上がっている。その下からルコの小   さな小さな肉球が見える。   悲しげに見下ろす将勝。 13 同・犬舎内(夜)   全ての犬が寝息を立てている中、将勝が   うずくまるようにしてリサとラックの寝   顔を見ている。   幸子が入ってくる。 幸子「もう寝なさい」 将勝「……(泣き出す)」 幸子「将勝は一生懸命世話してた。ルコはた  った十日しか生きられなかったけど、感謝  してると思うよ」 将勝「……」 幸子「残ったリサとラックを大事に育てよう」   涙で顔をくしゃくしゃにしながら小さく   頷く将勝。 14 同・犬舎外(朝)   犬たちが勢いよく犬舎から出て来て、運   動スペースを走り回わる。 15 同・犬舎内(朝)   将勝、掃除の手を止めハイハイしている   子犬たちを愛しそうに見つめる。   ラックは活発に動き回っている。   が、リサの様子がおかしい。前足をバタ   つかせているが、左の後ろ足が全く動い   ていない。   繁が犬舎に入ってくる。 繁「おう、早いな」 将勝「お父さん、ねえリサ見て」 繁「ん?」 将勝「後ろ足変じゃない?」   リサ、ラックに比べ明らかに動きがぎこ   ちない。 繁「生まれて二週間弱だからな。大丈夫だろ。  ……もう少し様子を見て駄目なら獣医に連  れてくか」 将勝「……」 16 動物病院   犬、猫の声が聞こえる診察室。   獣医がリサの足を診ている。 獣医「この左後足は生まれつきの障害の様で  す。おそらく一生動かないと……」 繁「まだ生後二ヶ月じゃないか。何か治療法  はないのか」 獣医「残念ですが……」   愕然とする繁。 17 土谷家・犬舎内(朝)   将勝と幸子が一つずつゲージを開け、犬   に餌を与えている。   まだ餌を受け取っていない犬たちが、興   奮して騒がしい。 将勝「お早うキティ(餌を入れる)、やあシ  ュウ(餌を入れる)」   繁が犬舎の外から顔を出す。 繁「じゃ、後頼むな」 幸子「いってらっしゃい」   繁、ドアを閉め去る。 将勝「いいなあ、僕もドッグショー行きたか  ったな」 幸子「いずれラックたちがショーに出られる  ようになればいつでも行けるわよ」   将勝、びっこを引きながら餌を食べてい   るリサを心配そうに見つめる。 18 あるドッグショー会場・パドック   野外のドッグショー会場。   出番を待つハンドラーたちのテントがず   らりと並んでいる。 19 同・ブリーダーAのテント内   グルーミングテーブルの上には雄々しい   顔のアフガン・ハウンド。高そうな革の   ジャケットを着たブリーダーAが、その   犬の髭をカットしている。その横には繁   が立っている。 繁「どうしたもんでしょうか……」 ブリーダーA「土谷はん、あんたブリーディ  ング初めて何年や?」 繁「……五年ですが」 ブリーダーA「まだまだヒヨッコやな」 繁「……」 ブリーダーA「(小声だが鋭く)障害犬なん  か出したことが世間に知れてみい、他の犬  まで売れんようなるわ」 繁「そんな……」 ブリーダーA「そうなったら終わりやで!  (手をひねる仕草をして)周りに気付かれ  る前にとっとと潰しなはれ!」   繁、一瞬ギョッとするが、ブリーダーA   の鋭い眼差しに気圧され俯く。 20 土谷家・犬舎内(夜)   あどけない表情のリサ、すやすやと眠っ   ている。 将勝の声「どうして殺さなきゃいけないの!?」 21 同・居間(夜)   繁、寝転んでテレビを見ている。 繁「障害犬を出したなんて世間に知れたらブ  リーダーとして致命的なんだ」 将勝「……」   幸子、黙々と洗濯物にアイロンを掛けな   がら聞いている。 将勝「僕、誰にも言わずに飼ってくれる人を  探すよ。絶対探すから……」 繁「駄目だ。ウチは単に可愛い可愛いで飼っ  ている一般家庭とは違うんだぞ」 将勝「お母さん、頼むよ……お願い!」 幸子「(目を合わせず)……」 繁「殺すか、捨ててくるか……どっちかお前  選べ」   将勝、泣きながら部屋を出て行く。 22 土手(朝)   小雨がぱらつく中、傘を差し歩く幸子と   将勝。   将勝はリサを抱き、幸子は段ボールを手   にしている。 幸子「ウチはブリーダーっていう、良い犬を  作るお仕事をしているから仕方ないのよ」   将勝は泣きはらした目にさらに涙を浮か   べている。 幸子「この辺にしましょう」   幸子、段ボールを木陰に置く。 幸子「さ、将勝(と促す)」   将勝、リサをそっと段ボールの中に入れ   る。 幸子「元気でね」   将勝、自分の傘をリサに差しかける。 将勝「(リサの頭を撫で)……」 幸子「きっといい人が拾ってくれるよ」   二人、歩き出す。 幸子「あ、ちょっと待って」   俯いたまま立ち止まる将勝。   幸子、ポケットから出した封書を段ボー   ルへ入れる。   またトボトボと歩き出す二人。 23 土谷家・犬舎内   繁、グルーミングテーブルの上にラック   を乗せショーの訓練をしている。 繁「ステイ。……駄目だ。ステイ……もう一  回。ステイ! ……(にこやかに)よしっ、  グッドボーイ!」 24 同・犬舎外   運動スペースを走り回る犬たちの横でウ   ンチを取っている将勝、繁の笑い声にふ   と手を止める。 繁の声「よし! いいぞ。グッドボーイ。  グッド」 25 同・犬舎内   ドアの外から中を覗く将勝。 繁「ハハハ。なかなか呑み込みいいじゃない  かお前」   ラックの高い能力に満悦する繁を、将勝   が燃えるような眼差しで見ている。 26 同・犬舎外   将勝の足元でエリカが尻尾を振っている。 将勝「エリカ……(抱きしめて)ゴメンな。  お父さん、何でこんな事……何で……」 繁の声「グッドボーイ! よしよし」 27 同・居間(夜)   オーナー募集の記事を見ている繁と幸子 幸子「わあ、ラック大きく載ってるじゃない。  ほら、将勝も見て。可愛いー」   将勝、無言で部屋を出て行く。 幸子「あら……」 繁「いいオーナーが見つかればいいな」 幸子「オーナーさんが付けば経済的には大分  助かるけど、一匹じゃまだまだ赤字ね。本  当なら三匹いたから、三人オーナーが付い  たはずなのに(溜息)」 繁「……」 28 地方のドッグショーA会場。パドックテ   ントが並び、沢山の犬や人が賑やかに行   き交っている。   ハンドラーたち、自分の出陳犬にドライ   ヤーを当てたり、櫛でといたりと準備に   余念がない。 幸子の声「ドックショーはトーナメント方式  です。まず同じ犬種、同じ性別の同じクラ  スの子同士で競います。ラックの場合、年  齢的に一番下のベビークラスというクラス  になります」 29 同・リング   快晴。野外リングの周りを観客が囲んで   いる。その中にいる幸子が藤原京介(48)   とその妻、留美(45)にショーの説明し   ている。   リングには生後四ヶ月に成長したラック   が、触審台の上でステイのポーズを決め   ている。その横には誇らしい表情の繁。 幸子「(指さし)ラックの触診ですよ。ああ  やって審査員が触って体つきや歯並びを審  査するんです」   留美は手を合わせてラック、ラックとつ   ぶやきながら必死に祈っている。   その横に立っている理香(10)冷ややか   に留美を見ている。   将勝、皆から少し離れた所から繁を猜疑   の目で見ている。   リングではラックが歩様審査に入ってい   る。 幸子「次は歩様審査です。犬全体のバランス  や歩き方を審査してるんです」   ラック、子犬っぽいチョコチョコとした   可愛らしい歩き。   将勝の周りの観客がラックの噂をしてい   る。 観客1「おい、百八十八番の犬、良い犬だな」 観客2「ああ、楽勝だなこりゃ」   将勝、その会話にぴくりと反応する。   リングではラックが勝利。   袖に百八十八番の札を付けた繁、審査員   からロゼッタを受取って興奮している。 30 同・パドック   既に負けたらしく、ブツブツ言いながら   帰り支度をするハンドラーたち。   その隣で嬉々としてラックの手入れをし   ている繁。   トリミングテーブルの上にはベスト・オ   ブ・ブリード(以下、BOB)のロゼッ   タ。 幸子の声「次はグループ戦です。いくつかの  グループに分かれてそこで競います。ビー  グルの場合、ダルメシアン、バセットハウ  ンドなどと同じ第六グループになります」 31 同・駐車場   駐車場の隅にキャンプ用のテーブルセッ   トを広げ、将勝、藤原夫妻、理香がお弁   当を食べている。   幸子、ショーの説明をしている。 幸子「これに勝てばエクセレントグループと  いう賞が貰えます」 京介「で、各グループの一位同士が戦って…  …」 幸子「雄の一位はキング、雌の一位はクイー  ン、最後にこのキングとクイーンが戦って  その大会のナンバーワン、ベスト・イン・  ショーが決まります」 留美「ベスト・イン・ショーか……(にやけ  る)」 京介「でも初出場でベスト・オブ・ブリード  に選ばれただけでも凄いですよね」 幸子「もちろんです!」 32 同・リング(夕)   グループ代表十頭の犬とそのハンドラー   が一列に並んでいる。その中には繁とラ   ックの姿もある。 アナウンスの声「ベビーキングはポメラニア  ンでした!」   満面の笑みでトロフィーを受け取るポメ   ラニアンのハンドラー。   会場から歓声と拍手が起きる。 理香「お母さん、ねえ、まだ帰らないの?」   興奮気味の藤原夫妻、理香の声に気付か   ず、リング外に出て来た繁に駆け寄る。 留美「先生、お疲れ様でした!」 理香「お母さん……」 繁「藤原さん。惜しかったですね。いや、勝  てると思ったんですが」 幸子「キングになれなくても、エクセレント  グループ入賞ですよ。おめでとうございま  す!」   京介、繁からエクセレントグループ(以   下、EXG)のロゼッタを受け取る。 京介「おお!」 留美「うわあ、素敵!」 理香「(京介に)ねえ、もう終わったんでし  ょう? 帰ろうよ」 京介「エクセレントグループでもう十分です。  (繁に)ありがとうございました! (ラ  ックに)よく頑張ったな」 幸子「ラック、ほらあなたのお父さんとお母  さんよ」 留美「ラック! (撫でながら)偉いわねえ。  感動したわ!」   藤原夫妻を見つめるラックの顔、笑って   いるように見える。 幸子「ドッグショーは勝っても賞金が貰える  訳ではありません。だからこそ藤原さんの  様にショーを純粋に楽しめる方にオーナー  になって頂けて嬉しいです」 留美「もうハマりそうです!」   理香、つまらなそうに両親を見ている。 33 同・パドック   土谷家のテント内で将勝が一人、黙々と   ゴミやゲージを片付けている。   繁と幸子が遠くでその様子を見ながらヒ   ソヒソと何か相談している。 幸子「ね、じゃいいのよね?」 繁「好きにしろ。但しあっちの話はもう決め  たからな」 幸子「(表情が陰り)え……」 繁「もう返事しといた」 幸子「……」 34 同・撮影会場   花やショーの案内板が置かれただけの簡   素な撮影コーナー。   カメラマンが選手たちの写真を撮ってい   る。   その横で順番を待っている繁、藤原夫妻、   理香。   少し離れた場所からその様子を見ている   幸子と将勝。 幸子「お父さんが、次の試合で将勝にハンド  ラーをやらせたいって言ってるわよ」 将勝「えっ? ……僕?」 幸子「頑張るのよ」   ようやく繁たちの順番が来て、カメラの   前に立つ繁と藤原家一同。   ラックは繁の指示に従い、ステイのポー   ズ。   ニッコリ笑う夫妻の横で、つまらなそう   な表情の理香。   幸子、カメラマンの横に立つ。 幸子「理香ちゃーん。笑って」   将勝、撮影コーナーに背を向けこっそり   ガッツポーズ。嬉しそうに笑う。 35 ドッグショーB会場・リング   将勝、ラックを触審台の上にステイさせ、 将勝「(審査員に)お、お願いします」   と、一礼する。   リング外で不安そうに見守る幸子。 繁「(幸子に)お前が心配したって仕方ない  だろ」 幸子「だって……」   繁と幸子の横にはでっぷり太った岩本   (60)とその妻(60)がいる。 岩本「子供にやらせて本当に大丈夫なのかね」 幸子「生後八ヶ月まではショーに出ても、  チャンピオンになれませんから。生後九ヶ  月目になって初めてチャンピオンを目指す  戦いになります」 繁「その時は私がハンドリングします」 幸子「今は将来のためにショーの空気に慣れ  させる時期です」   リング内ではベビーたちが一列に並ぶ中、   審査員がラックをBOBに選出する。将   勝、拍手の中、審査員からロゼッタを受   け取るが信じられないという表情。 36 同・パドック   嬉しそうに走ってくる将勝とラックを繁   たちが出迎える。将勝の手にはロゼッタ。 将勝「お父さん! やったよ!」 繁「よくやった」   岩本夫妻、ラックに駆け寄る。 岩本の妻「まあ! ラックちゃん初めまちて。  あなたのママでちゅよ」 将勝「?」 岩本「ほお、さすがにその辺のペットショッ  プの犬とは全然違うな(と触る)」 岩本の妻「可愛い。もうお家に連れて帰っち  ゃいた〜い」 岩本「おいおい。この子はチャンピオンにな  る犬だぞ。それまで我慢しろ」 将勝「あの……?」 岩本「やあ、将勝くん。(将勝の手を握り)  見事だったよ! さすがだねえ!」 幸子「(将勝に)オーナーの岩本さんよ。  ご挨拶は?」 将勝「初めまして。この度はおめでとうござ  います……」   将勝、ためらいつつも、BOBとEXG   のロゼッタを岩本に渡す。 岩本の妻「まあ、素晴らしいわ。早速リビン  グに飾りましょう」   将勝、幸子の手を引いて隅のほうへ移動   する。 将勝「この前とオーナーさん違うけどどうい  う事?」 幸子「(小声で)この前の人はキャンセルす  るって言ってきたの。だから今日の岩本さ  んご夫婦がラックの正式なオーナーよ」   幸子、どことなく不安そうな表情。 将勝「ふうん」 37 土谷家・犬舎内(夜)   ゲージで眠るラックや他の犬たち、寝息   を立てている。 38 同・将勝の部屋(夜)   ビーグル犬やドッグショーのグッズが所   狭しと置いてある子供部屋。   ドアの隙間から入る細い光に照らされた   ベッドには将勝のあどけない寝顔。   幸子、将勝の顔を覗くと、そっとドアを   閉める。 39 同・居間(夜)   酒を飲んでいる繁に、幸子がお代りを注   いでいる。 幸子「ねえ、やっぱり止めたほうがいいんじ  ゃないの?」 繁「親父の遺産もそろそろ底をつく。こうで  もしなきゃ犬も人間も食えねえんだから仕  方ないだろ」 幸子「でも将勝の気持ちを考えると……」 繁「他に方法がないんだ」 幸子「前にも言ったけど、もっと繁殖させて、  ペットショップとかに卸したら?」 繁「どんなバカが買うか分からないペットシ  ョップにウチの犬を任せられるか! 俺を  その辺の三流ブリーダーと一緒にするな!」 幸子「……じゃあ、私の実家に少し助けて  もらえるよう頼んでみましょうか?」 繁「俺が会社辞めてブリーダーになるって言  った時、お前の親父が俺になんて言ったか  忘れたのか!」 幸子「でも、こんな事ばれたら大変よ」 繁「ばれないように上手くやるさ。とにかく、  お前の親父に借りるのだけは死んでも嫌だ  ! お前も余計な事言うなよ!」 幸子「……」 40 同・犬舎外   ラックと歩様審査の練習をする将勝。 繁「もっとラックと距離を取って。バカ、そ  れじゃ間、開きすぎだ!……もっとリズミ  カルに……遅い!」   将勝、繁の指示に従って懸命に練習して   いる。 41 同・台所   幸子が電話を掛けている。 幸子の母の声「元気でやってるの?」 幸子「お母さん、お願いがあるんだけど」 幸子の父の声「代われ、いいから……もしも  し、幸子か? ショードッグなんてまだそ  んな子供みたいな事やってるのか」 幸子「お父さん……」 幸子の父の声「その甲斐性なしと別れてとっ  とと家に帰ってこい。離婚だ、離婚!」 幸子「勝手に決めないでよ。心配しないで、  最近生まれた子がとっても優秀なの。オー  ナーさんもお金持ちな人で、何も問題ない  から」   沸騰したヤカンから勢いよく湯気が出て   いる。 幸子「忙しいから、じゃあね(電話を切る)」   幸子、乱暴にガスの火を消す。 42 ドッグショーC会場・リング   歩様審査中の将勝とラック。   リング脇で固唾を飲んで見守る繁と幸子。   審査員、将勝にBOBのロゼッタを渡す。   わあっと沸き返る観客たち。   繁「よしっ!」 幸子「きゃあ!」   将勝、ロゼッタを手に繁たちの元へ掛け   てくる。と、横から流行の服に身を包ん   だすらりと長身の女性、槇(30)がラッ   クに抱きつく。 槇「きゃー! ラックちゃん。よく頑張った  わねえ!」   将勝、事態が呑み込めず呆然とする。   繁、将勝の手からロゼッタを受け取ると、   槇に渡す。 繁「槇さん、どうもおめでとうございます。  はいこれ、どうぞ」 槇「すごーい。ありがとうございました!」 繁「将勝、ラックのオーナーの槇さんだ」 将勝「……(チラと幸子を見る)」   幸子、将勝から視線を反らす。 槇「土谷先生、じゃこれ、今月のラックの管  理費とショーの費用です(と封筒を取り出  す)」 繁「(封筒の一万円札を数え)十一、十二…  …はい確かに」 槇「これは入賞のお礼です(と、さらに財布  から二万円を取り出す)」 繁「どうもすみません。じゃありがたく」   将勝、訝しい表情で繁を見る。 43 土谷家・犬舎内(夜)   ゲージで眠るラック。   その横には将勝とラック、そして槇が写   っているショーでの記念写真。 将勝の声「オーナーがまた代わってるのはど  ういう事?」 44 同・居間(夜)   幸子の横に将勝が立っている。繁、音を   立てながらみかんを食べている。 幸子「(困り顔で)……」 繁「ラックのオーナーを募集したら、三組希  望者が現われた。一組だけってのも気の毒  だから、三組ともラックのオーナーさんっ  て事にだな……」 将勝「そんな! それって詐欺じゃない」 繁「オーナーたちだって自分の犬だって喜ん  でる、ウチだってそのお金で暮らしていけ  る。みんなこれで幸せなんだからいいだろ」 将勝「でもオーナーさんたちがその事知っ  たら……」 繁「その為にわざわざ別の日にショーに呼  んでるんだろうが。ばれやしないさ」 幸子「あのね……将勝。お父さんもお母さ  んも好きでこんな事してる訳じゃないの」 将勝「だったら……」 幸子「(遮るように)ウチは今、お金がない  の。このままだと私たちご飯も食べられな  いし、犬たちだって手放さなきゃならなく  なるのよ」 将勝「……」 幸子「今回だけだから、あなたも協力して」   将勝、愕然として黙り込む。 45 東京ビッグサイト・入口外   『FCI東京インターナショナルドッグ   ショー』と書かれた大きな看板の横を大   勢の人々が入っていく。 46 同・本部前   会場内。運営本部の前に並べられた入賞   者用の豪華な楯がキラキラと輝いている。   将勝が、一番大きな楯を羨望の眼差しで   見つめている。   後ろから近づいてきた繁、 繁「それはベスト・イン・ショー。ラックは  まだパピークラスだから、今日狙うのはこ  っちだ」   と、『パピーキング』と書かれた楯を指さ   す。   幸子、藤原夫妻、理香がくる。 京介「あ、どうも。すごい会場ですね」 将勝「(表情が曇り)じゃ、僕、ラックと練  習するから」   将勝、藤原夫妻を避けるようにパドック   へ去る。 京介「今日も将勝くんがハンドラーですか?」 繁「今日までです。来月からラックはジュニ  アクラスですので、私がハンドラーを務め  ますよ」 京介「来月からはいよいよチャンピオン犬目  指して戦うんですね!」 幸子「ラックならすぐチャンピオンになれま  すよ」 47 同・パドック   広いパドックがハンドラーや出陳犬たち   でごった返している。   その隅のほうに歩行練習をしている将勝   とラックの姿がある。   ラック、生後八ヶ月。顔には多少あどけ   なさが残るものの、すっかり大人びた体   つき。   理香がくる。 理香「ビーグルがプードルやボルゾイとか綺  麗でカッコいい犬に勝てるハズないじゃな  い」 将勝「ショーは美人コンテストじゃないよ」 理香「じゃあ何?」 将勝「その犬種毎に骨格はこう、尻尾はこう  って基準があって、その基準に一番近い犬  が選ばれるんだ。その犬らしさを守る為に」 理香「?」 将勝「一番自分らしい犬が勝つってこと。プ  ードルはプードル、ビーグルはビーグル。  それぞれいかにその犬らしいかっていうの  を見られてるんだ。だからラックにもチャ  ンスはあるんだよ。ラックはビーグルらし  い犬だもん」 理香「何が自分らしいのよ。無理やりショー  なんかに引っ張り出されて」 将勝「無理やりじゃないよ」 理香「可愛そうな犬」 将勝「(ムッとして)何でそんなに突っかか  るの?」 理香「ヘラヘラして犬引っ張って……。何も  分かってないくせに」 将勝「……?」 理香「ウチの両親はね、世間に自慢できる子  供が欲しかっただけなの。私立落ちて公立  の小学校に行ってる私の替わりにね!」   理香、立ち去る。   将勝、唖然とするが、気を取り直し、 将勝「ラック、よしもう一回やろう」   と、練習を再開する。 48 同・リング   リング内には、十頭ほどのビーグル犬が   並んでいる。   ラックと将勝、歩様審査を受けている。   その様子をリング外で見ている繁、幸子、   藤原夫妻と理香。 理香「バカみたい(と、行きかける)」 留美「何処行くの?」 理香「トイレ」   理香、その場を去る。 繁「こんな所で負けるようじゃ話にならん  からな」 幸子「こんな大舞台じゃベスト・オブ・ブリ  ードだって大変な事よ」 繁「狙いはあくまでパピーキングだ」 京介「勝算は如何ですか、先生」 繁「あそこにいるバセット・ハウンド見えま  す?」   繁の視線の先に、ラックを値踏みするよ   うな目つきで見ているハンドラーの姿が   ある。その足元にはどっしりと貫禄のあ   るバセット・ハウンド。 京介「え? あの犬、パピーなんですか?」 繁「次のグループ戦で戦う事になってる犬で  す。これが強敵なんです。問題はこれだな」   わあっという歓声。リングでは将勝が審   査員からBOBのロゼッタを受け取って   いる。   バセット・ハウンドのハンドラー、不敵   な笑みを浮かべ、拍手する。   バセットハウンド、ふてぶてしい目つき   で繁たちを一瞥する。 49 同・リング   リングにはバセットハウンドとダルメシ   アン、そしてラック。   ラックの歩様審査が始まり、ゆっくりと   歩き出すが、ラック、すぐに観客たちの   ある一点を見つめ立ち止まる。   ざわめく場内。 幸子「!」 留美「何? どうしたの?」   将勝、驚いてラックを引っ張り歩かそう   とする。が、全く歩かない。   繁、ラックの目線の先を見つめる。そこ   にはミッキーマウスの風船を持った家族   連れの姿がある。   繁、観客席を飛び出し、審査員に駆け寄   ると、風船を指さし猛抗議する。 京介「風船だ!」 幸子「(留美に)風船に驚いて、止まってし  まったみたいです!」   風船を持った家族連れ、審査員に注意さ   れると、ばつが悪そうにその場を立ち去   る。   繁、次に将勝に駆け寄り、 繁「ここが正念場だ。ラックを落着かせろ!」   と言い、リング外に出て行く。 京介「ショーにあんな風船を持ち込むなんて、  非常識にも程がある」   将勝、再度ラックを歩かせようと試みる   が、ラックは尻尾を丸め、その場から動   こうとしない。 幸子「頑張って、ラック、将勝」   ラックは依然として歩こうとしない。   将勝、ラックを抱きかかえると審査員に   一礼してリングから出て行く。   再びざわめく場内。 観客3「あーあ、棄権しちゃったよ」 観客4「カワイソー」   繁、人混みをかき分け将勝の後を追う。   慌ててそれに続く幸子と藤原夫妻。 50 同・外   将勝、ラックと駐車場脇の芝を散歩して   いる。 将勝「もう大丈夫だからな。よしよし」   繁、憤怒の形相で接近してくる。 繁「何やってんだ!」 将勝「……」 繁「チャンスだったのに! こんな大舞台…  …お前のせいで、全部水の泡だ」   幸子と藤原夫妻も駆け付ける。 将勝「でもラックが……」 繁「例え犬が嫌がってもそこを何とかして歩  かせてこそプロなんだ!」 将勝「嫌々歩かせるの可愛そうだよ。仕方な  いじゃない」 繁「言い訳するな! 棄権だろうと負けは負  けなんだ!」 幸子「(藤原夫妻に)お見苦しいところすみ  ません」 京介「やはり子供には荷が重かったんじゃな  いですか」 幸子「すみません、後で良く言って聞かせま  すんで……。ただ、あの場合持ち直したと  しても、もう入賞は無理でしょうし、棄権  した方がラックの将来の為には良かったか  も知れません」   藤原夫妻、幸子の言葉を最後まで聞かな   いうちに去っていく。 幸子「……」 繁「(将勝に)ラックじゃない、お前があの  場から逃げ出したかったんだろ?」 将勝「(ギクリ)……」 繁「お前なんかハンドラー失格だ」 将勝「やってらんない。もう辞める!」 51 中学校・廊下   少年Aの他三人ほどの生徒たちが下校し   ている。将勝、後ろから声をかける。 将勝「ねえ」 少年A「おう」 将勝「今日、ゲームしに行ってもいい?」 少年A「あ、ワリィ。俺、今日これから塾」 将勝「あ、そう。みんなは?」   少年たち、「部活あるから」など口々に都   合を言う。 将勝「ふうん……」 少年A「じゃ、またな」   少年Aたち、去る。   将勝、一人ぽつんと取り残される。 52 土谷家・犬舎内(夕)   幸子が犬の毛をカットしている。   ドアからおずおずと将勝が顔を出す。 将勝「お母さん」 幸子「わっ、ビックリした。何よ入って来な  さいよ」 将勝「お父さんは?」 幸子「前に売った犬のオーナーさんの所。い  つもの抜き打ちチェックよ」   犬舎の中に入ってくる将勝。   ラックが将勝を見て嬉しそうにゲージを   叩く。それを見て表情を緩ませる将勝。 将勝「さっきお爺ちゃんから電話あったよ」 幸子「……何て?」 将勝「別に。お母さん、犬舎にいるから呼  んでくるって言ったんだけど、またかけ直  すって」 幸子「そう。……あ、将勝、お母さんそろそ  ろ夕飯の支度しないといけないから、カッ  ト代わってくれる?」 将勝「……」 幸子「お願い、あとラックだけなの」 将勝「でも……」 幸子「本当にもうやりたくないの?」 将勝「……」   ゲージの中でブンブンと尻尾を振るラッ   ク。その尻尾がゲージに触れ、コンコン   と、リズミカルな音を立てている。 幸子「自分で言い出したんだから、ラックの  世話係だけは続けたらどう?」 将勝「僕、やっぱりお父さんのしてる事正し  いとは思えない」 幸子「オーナーの件だったら、お父さんは私  たちの生活の為に……」 将勝「(遮って)僕だってウチが苦しいのは  分かってる。でも……」   幸子を見つめる将勝の瞳、涙で潤む。 幸子「何とかする方法考えてみるわ……もう  少し待ってて」   幸子、優しく微笑み将勝の頭を撫でる。 53 ドックショーD会場・パドック   野外会場。   繁がBOBのロゼッタを岩本夫妻に渡し   ている。 幸子「よく誤解されているんですが、チャン  ピオン犬というのは一回のショーで一番に  なったらなれるという訳ではないんですよ。  犬種毎にナンバーワンの子にはこういうカ  ードが一枚配られます」   幸子、岩本夫妻にチャンピオンカードを   見せる。 岩本「へー」 岩本の妻「で、これをどうするんですか?」 幸子「これを四枚集めてたところで血統書を  発行している組織に申請するんです」 岩本「ってことはあと三回試合に勝たないと  ……」 繁「その通り。そしてようやくチャンピオン  が完成するんです」 幸子「そしたら、お二人はチャンピオン犬の  オーナーですよ」 岩本の妻「わあ」   はしゃぐ岩本夫妻。その様子を少し離れ   たところからじっと見つめる将勝。 54 ドックショーE会場・リング横   室内会場。   繁がBOBのロゼッタを槇に渡している。   将勝、少し離れたところから様子を見て   いる。 幸子「よく誤解されているんですが、チャン  ピオン犬というのは一回のショーで一番に  なったらなれるという訳ではありません。  犬種毎にナンバーワンの子にはこういうカ  ードが一枚ずつ……」   呆れ顔の将勝、背を向けて歩き出す。そ   の背に、繁や槇の笑い声が聞こえる。 55 ドックショーF会場・リング(夕)   審査員からロゼッタを受け取る繁。 リング外から険しい表情で見つめる将勝。 56 土谷家・犬舎内(夜)   チャンピオンカードが三枚置いてある。   その隣のゲージには一段と成長したラッ   クの寝顔。 繁「よし、閉めるぞ」 将勝「……」 57 同・犬舎外(夜)   繁の後を歩く将勝、立ち止まる。 将勝「一体何時までこんな事続けるの?」 繁「綺麗ごとでメシが食えるか」 将勝「だからって恥ずかしくないの?」 繁「親に向かってその口の利き方は何  だ!」   将勝、繁の視線を避けようともせず、激   しい目で睨み返す。 58 ドックショーG会場・パドック   繁、ラックの髭をカットしている。   ラック、キョロキョロと落ち着かない。 繁「ラック、コラ、じっとしてろ」 幸子「二度とショーには行きたくないって…  …」 繁「(手を動かしながら平然と)そうか」 幸子「少しは優しくしてやってよ。このまま  じゃ将勝、本当にハンドラーになるの止め  ちゃうわよ」 繁「本人がやる気がないんだから仕方ないだ  ろ」 59 同・リング   出陳犬たちが一列に並び、円を描いて歩   いていく。ラックの周りの犬は尻尾をピ   ンと上げいかにも楽しそうな歩き。   ラック、尻尾を下げて不安げに観客たち   を見回す。 繁「(餌を見せ)ラック、尻尾上げて」   ラック、餌に目もくれず、立ち止まる。   繁、ポケットからぬいぐるみを取り出す   と、手で押し、『プピー』という愉快な   音を鳴らして見せる。   それでも無反応のラック。   他のビーグルたちがラックの横を次々と   追い越していく。   繁、ラックを忌々しそうに抱えるとリン   グを出て行く。 繁「クソッ、将勝のヤツが甘やかすからだ」 幸子「……」 60 ドックショーH会場・パドック   将勝がラックに餌を与えている。   元気よく食べているラック。 幸子「将勝、あんまりいっぱいあげちゃ駄目  よ」 将勝「分かってるよ」   将勝、たばこをふかしながらその様子を   見ていた繁と目が合う。   繁、そのままプイと立ち去る。 将勝「お母さん、僕やっぱり帰るよ」 幸子「何言ってんのよ。あんたがいないとラ  ックが落ち着かないんだから」 将勝「……」   理香が来る。 理香「ご飯もう食べ終わったの?」   不満そうな理香の手には売店で買った犬   用クッキーがある。 将勝「一つだけなら食べさせていいよ」 理香「ウチの犬でしょ。あなたの指図は受け  ないわ」 将勝「(ムッとして)……」   理香が恐る恐るクッキーを差し出すと、   ラックは喜んで食べる。   理香、みるみる笑顔になる。   将勝、その可愛らしい笑顔に思わず見と   れる。   と、そこへ両手一杯に買物袋を持った京   介が来る。 理香「お母さんは?」 京介「まだ売店見てるよ。ありゃ当分かかる  な」   理香の顔から笑みがさっと引く。 京介「ラックが家に来るのはまだ当分先だっ  てのに、こんなに犬のおもちゃ買ってどう  するんだろうな」   ラック、尻尾を振りながら二本足で立ち、   理香に飛びつく。   ラック、理香の顔をペロリと舐める。 理香「連れて帰る……」 京介「え?」 将勝・幸子「!」 理香「ラックをお家へ連れて帰る!」 61 同・自販機コーナー   会場の隅。自販機が並んでいる。 京介「我が儘言って本当にすみません」 繁「なんとか考え直して頂けませんか」 京介「でも今日勝てばもうチャンピオンなん  ですよね」 幸子「チャンピオンになったら、チャンピオ  ンクラスがあります。チャンピオン同士が  戦って勝ったポイントを合計し、その年の  ナンバーワンの犬を決めるんです。ラック  ならそこまで行けます!」 京介「しかし……娘がどうしても引き取りた  いって聞かないんです。」 繁「……」 京介「先生、次また良い子が生まれたら連絡  下さい。是非またオーナーにならせて頂い  て、その子で今後ともショーに参加し続け  たいと思ってます」   繁と幸子、苦渋の表情。 62 土谷家・居間(夜)   テーブルを囲んで三人、暗い表情。 幸子「ああ! 最初、オーナーを三人にする  って話を聞いた時から、いつかはこういう  事になるんじゃないかってずっと思ってた  のよ」 繁「これからもオーナーになってもらえれば  生活は助かる……。ラックだってあの家な  ら幸せになれるだろう」 幸子「そりゃあ、そうだけど……」 繁「よし、ラックは藤原さんの所に渡そう」 幸子「他のオーナーさんたちには何て言うの  ?」 繁「死んだって言えばいいさ」 幸子「……そんな」 繁「将勝だってオーナー三人の問題がこれで  解決すんだ。文句ないよな?」 将勝「(寂しげに)……」 幸子「勝手な人ね」 繁「(ムッ)そのお陰で食うのに困らなかっ  ただろ」   幸子、憎々しげに繁を見る。 63 同・犬舎外 京介「どうもお世話になりました」   理香、満面の笑み。 繁「困ったことがあったら、いつでも連絡下  さい」 京介「では失礼します」 繁「将勝、ラックを渡せ」   将勝、複雑な表情でラックのリードを理   香に渡す。 留美「ラック、いよいよお家よー」 理香「行こ、ラック」   理香がグイとリードを引っ張る。しかし   ラックは将勝の顔を見たまま動こうとし   ない。理香にリードを引っ張られても抵   抗し、その場に留まろうとする。   幸子、チラと将勝を見る。   切なそうに見つめ合う将勝とラック。 理香「(段々不機嫌になり)ラック、行くわ  よ」   見兼ねた京介、ラックを抱き上げ、歩き   出す。それに付いていく理香と留美。 64 同・外   家の前に高級外車停まっている。   京介、その後部座席に、ラックが入れら   れた真新しいゲージを入れ、ドアを閉め   る。   京介が運転席に乗り込もうとした時、 将勝「あの」   と、将勝が門から出てくる。 将勝「ラックの家庭犬としての訓練をしばら  く僕にさせて頂けませんでしょうか」   留美と理香が車から降りてくる。 理香「(不愉快そうに)お父さん、しつけ  なら私がちゃんとやるから大丈夫よ」 留美「でも、犬を飼うの初めてだし……」 理香「本読んでちゃんと勉強したもん!」 将勝「週一回、一時間位、おじゃまにならな  い程度でいいですから。もちろんお金は要  りません」 京介「お父さんがそうしろって?」 将勝「は、はい。ウチではいつも、アフター  サービスとしてやってるんです」 京介「じゃあ、お願いしようか」   将勝の顔がパッと輝く。 理香「お父さん!」 京介「トイレのしつけとか大変だって聞くぞ。  理香もいろいろ教わればいいじゃないか。  (将勝に)じゃ、早速来週末からでもいい  かな?」 将勝「はい!」 65 道   すさまじい勢いで自転車を漕ぐ将勝。   その爽快な笑顔。 66 別の道   大きな屋敷が建ち並ぶ高級住宅街。   将勝、自転車を押し、メモを片手に辺り   を見回しながら歩く。 67 藤原家・リビング   ラック、ピクッと何かに反応し、耳をそ   ばだてる。   玄関へと向かう。 68 同・玄関   ラック、二本足で立ち上がると、前足で   玄関ドアをガリガリと引っ掻く。   「クウン」と切ない声。 理香「どうしたの、ラック」   理香、玄関ドアを開ける。   外へ飛び出すラック。 理香「ラック!」 69 同・玄関外   門扉の前。   ラック、呼ぶような声で必死に吠える。 70 道   藤原家の前の道。   ラックの声に気付いた将勝が門の前に走   り寄る。   ラックの姿を見つけ、嬉しそうな顔。 71 藤原家・理香の部屋   高級感漂う照明や家具の中、ぬいぐるみ   や雑貨など可愛らしいものがそこかしこ   に置かれている。 理香「お座り。……お座り。お座り!」   必死の形相で命令する理香を無視するラ   ック。 理香「(将勝に)何なのよ、この犬。ちっと  も言うこと聞かないじゃない」 将勝「お座り」   サッと座るラック。 理香「えー?」 将勝「ビーグルは独立心が強いから、命令の  意味が分かっても、従わないこともあるん  だ」 理香「独立心?」 将勝「他人に意志を預けないってこと。従う  かどうか、自分の意志で判断してる」 理香「私の命令には従わないのがラックの意  志ってことね」 将勝「これからゆっくり信頼関係を築いてい  けばいいんだよ」 理香「(笑顔になって)ラック、(頭を撫で)  お姉ちゃんと仲良くしてね」 将勝「(クスッ)お姉ちゃん……」 理香「何よ」 将勝「いや、ラックって弟なんだ」 理香「(赤面)悪い?」 将勝「別に悪くないけど(耐えきれず吹き出  す)」 理香「ムカツク!(と、クッキーを食べる)」 将勝「あ(さらに笑い声が大きくなる)」 理香「もう、何よ!」 将勝「そ、それ……犬用クッキー(笑う)」 理香「(不味そうに顔をしかめ)……おえっ」   一段と大きな声で笑う将勝。 72 土谷家・居間(夜)   繁と将勝、夕食を摂っている。   幸子は電話に出ている。 幸子の父の声「いい加減に見切り付けて帰っ  てこい。将勝の為にもその方がいいに決ま  ってるだろ」 幸子「もう分かったから、放っといてよ」 繁「(幸子に)飯、冷めるぞ」 幸子「……食事中なの、切るわよ。じゃ(と  受話器を置く)」   黙々と食事を摂る幸子。   チラと幸子の様子を伺う繁。   気まずい沈黙。 将勝「テレビ付けていい?」 繁「食い終わってからにしろ」 将勝「……うん」 幸子「今日、遅かったけど、何処行ってたの  ?」 将勝「え? ああ。友達んちで勉強してた」 73 藤原家・庭   よく手入れされた、明るい庭。 理香「待て、待て……(と言いながら後ずさ  りする)」   ラック、じっと理香を見つめる。 理香「おいで」   ラック、動かない。 将勝「『おいで』じゃ、なくて『来い』だよ」   ラック、将勝の足元へ飛んでくる。 将勝「あ……(しまった、という顔)」 理香「来い!」   ラック、理香の足元へ素早く移動する。   理香を見つめ尻尾を振るラック。   理香も愛おしそうにラックを見る。 将勝「大分ラックと仲良しになれたみたいだ  ね」 理香「(ラックを抱き上げ)ラック」   ラック、理香の口元をペロペロ舐める。 理香「やだ、くすぐったいよぉ」   将勝、ドキリとして理香の顔を見る。 理香「(将勝の視線に気付き)?」 将勝「(慌てて目を反らし)犬が口を舐める  のは、大好きな人に甘えたいっていう意味  なんだ」 留美の声「理香ー。おやつ取りに来て」 理香「はーい。ちょっと待っててね(ラック  の口にチュッとしてから下ろす)」   玄関へと小走りに去る理香。   熱っぽい目でその背中を見送る将勝。   おもむろにラックを抱き上げると、辺り   を気にしながらキスをする。   ラック、キョトンとしている。 74 同・ダイニング(夜)   留美がテーブルの上の食器を片付けてい   る。 理香「さ、次はラックのご飯の番ですよー」   ラック、尻尾を振りながら理香の側に寄   る。 留美「まあ、ラック。お母さんには一度も尻  尾を振ってくれないのに」 理香「えへ。もう私とは仲良しだもんねー」   理香、ラックを連れて行こうとする。 留美「理香、ラックのしつけもいいけど、勉  強もちゃんとするのよ」 理香「(嫌そうな声で)はあい」 75 道   理香がラックのリードを引き、「付いて」   と命令しながら歩いている。   ラック、理香に歩調を合わせ、スムーズ   な歩き。   そのまま公園の入口を入っていく。   後ろからその様子を見て微笑む将勝。 76 公園   芝生に寝転ぶ二人と一匹。 理香「……私もラックと同じ。チャンピオン  にならないと親に認めてもらえないの」 将勝「え?」 理香「さ来年の春、私立の中学を受験するの。  でも学校で仲の良い友達は皆、公立行くっ  て言ってるし……。ヤダなあ」 将勝「……小五でもう受験の話?」 理香「私、小学校受験もしたんだけど落ちち  ゃって……。中学校こそは……ってうるさ  いの」 将勝「嫌なら止めればいいじゃん」 理香「(ラックに向かって)そうはいかない  よね、ラック」 将勝「ラックは嫌々ショーをやってた訳じゃ  ないよ」 理香「犬はウチでのんびり飼われているほう  が幸せに決まってるじゃない」 将勝「違う、ラックはショーが大好きなんだ  よ」 理香「ウチの親もそう。きっと私が私立希望  してると思ってる」 将勝「……」 77 藤原家・玄関内   帰ろうとしている将勝を見送る理香。   ラックを内側に残し、閉まるドア。   ラック、ドアをじっと見つめている。 78 同・玄関外 将勝「理香ちゃん」 理香「?」 将勝「僕はやっぱり、自分の気持ちを正直に  親に言った方がいいと思うよ」 理香「(嫌味でなく)……将勝くんの家は上  手くいってて羨ましい」 将勝「(寂しげに笑い)じゃ、またね」 79 同・台所(夜)   洗い物をしている留美の横に理香が立っ   ている。 留美「何バカな事言ってるの。お母さんたち  はあなたの将来の為に言ってるの!」 理香「……でも」 留美「今は分からなくても将来、あの時私立  に行って良かったって思う時がくるから」 理香「……」 留美「さ、もう勉強しなさい。ラックの餌は  私がやっておくから」   理香、しょんぼりして去る。 80 同・玄関内(夜)   ラックが将勝を見送った場所で横になっ   ている。 留美「ラック、ご飯よ。……もう、こんな所  で寝たら汚れるでしょ」   留美、寝ているラックを動かそうと触る。   驚いて起きるラック、留美の手を噛む。 留美「痛っ!」 81 土谷家・居間(夜)   幸子が電話している。 幸子「え、ええ……。ちょっと主人に確認し  てかけ直させて頂きますので、どうも失礼  します(切る)」 繁「風呂沸いてるか?」   繁が居間に入ってくる。 幸子「今、ラックのオーナーだった槇さんか  ら電話があったわよ。次のショーは何時か  って……。何で連絡してないの?」 繁「お前から言っとけばいいだろう」 幸子「嫌よ。どう言っていいか分からないも  の。明日こちらから連絡するって言ってあ  るから……」 繁「ラックは死にました。……あとはご愁傷  様とか、残念だとか、適当に言っとけ」 幸子「私に押しつけないでお父さん言ってよ」 繁「いつも無駄口ばっかり叩いてるじゃない  か」   幸子が何か言い返そうとした時、電話が   鳴り、繁がいち早く取る。 繁「はい、土谷です。……え?」 82 藤原家・居間(夜)   手に包帯を巻いた留美。   その横で電話をしている京介。 京介「ラックが私たちに懐かないのは、将勝  くんが何時までも一緒にいるからじゃない  んですか?……とにかくもう家庭教師は結  構ですから今後ラックに会わないよう、将  勝くんに伝えて下さい」   部屋の隅には力無げに項垂れるラック。   そんなラックを理香が慰めるように優し   く撫でている。 83 土谷家・犬舎内(夜)   将勝の前に繁が立っている。 繁「余計な事しやがって!」   唇を噛む将勝。 84 同・居間   幸子が電話をしている。 幸子「誠に残念な結果になってしまい、こち  らとしても心苦しいのですが、生き物の事  ですので……はい、失礼します」   受話器を置くと一気に、緊張が解けたよ   うな深い溜息。 幸子「あと一件」   再び緊張した表情になり、電話番号を押   す幸子。 85 同・犬舎内   繁が犬の毛を整えている。 86 同・居間 幸子「ええ、本当に残念で……そ、そんなに  泣かないで下さい。……あの……ええっ、  遺骨!?」 87 同・犬舎内   幸子が憂鬱な顔で立っている。 繁「(犬の手入れをしながら)何とか断れな  かったのか?」 幸子「そんな事言うんなら自分で電話すれば  いいじゃない! もう、どうするのよ!」 繁「どうするも何も……骨を引き取りたいっ  て言うなら用意するしか」 幸子「何言ってんの? 無理よ骨なんか!」 繁「……」 幸子「……まさか(犬たちを指して)このコ  たちをラックの身代わりに殺したりしない  でしょうね!?」 繁「……」 幸子「だから私、反対したのに!」 繁「うるさい!」   幸子、荒々しく犬舎を出て行く。 88 同・寝室   幸子、自分の衣服を手当たり次第にバッ   クに詰めている。 89 同・犬舎内   犬にブラシを掛けている繁、手を止め、   考え込む。 90 同・玄関外   学校から帰ってきた将勝が、自転車を止   めている。 91 同・居間   将勝が入ってくる。 将勝「ただいま。……お母さん?」   幸子の返事はない。   将勝、窓から外を眺める。 92 同・庭   隅のほうから煙が出ている。 繁、何か燃やしている。 93 同・将勝の部屋   部屋に入ってきた将勝、机の上の置き手   紙に気づき、手に取る。 94 同・庭   繁の側に将勝がいる。 繁「そうか」 将勝「そうか、ってそれだけ?」 繁「出て行ったモンは仕方ねえだろ」 将勝「……ねえ、さっきから何燃やしてるの  ? ……まさか」 繁「バカ、犬燃やす訳ねえだろ。実はさっき  肉屋に行って豚骨貰って来たんだ。これ渡  しときゃばれっこないだろ」 将勝「……」 繁「これで万事めでたしだ(笑う)」 将勝「お父さん、どうしてブリーダーになろ  うと思ったの?」 繁「……」 将勝、呆れ顔でその場を離れようとする。 繁「(焦って)何処行くんだッ!」 将勝「コンビニだよ」 繁「(拍子抜けして)そうか……」   将勝、歩き去る。 95 道   住宅街の中を悲痛な面持ちで歩く将勝。 96 藤原家・外   藤原家をじっと見上げる将勝。 97 藤原家・玄関外   玄関ドアが開き、留美が出てくる。 将勝「お願いします。これで最後ですから」   将勝、必死に頭を下げる。 留美「(渋々)本当に最後よ。三十分で返し  てね」 98 土手(夕)   オレンジの夕日に照らされた土手沿いを   ラックと歩く将勝。   その表情は暗い。   ラック、不安げに将勝の顔色を窺う。将   勝、前方を注視したまま、驚きの表情で   立ち止まる。   将勝の前方から、主婦に連れられたビー   グルがびっこの足を引きずりながら歩い   てくる。   ビーグル、将勝を見たとたん、足を引き   ずりながらも懸命にダッシュする。 将勝「リサ……!」   それはかつて将勝が捨てたリサだった。   リサ、リードをグイグイ引っ張るように   して、駆け寄ってくる。   リサ、喜びの余り、将勝に飛びつく。 主婦「こら、ハナコ、止めなさい。(将勝  に)ごめんなさい」 将勝「いえ」 主婦「めずらしいわね。ウチの犬、結構人見  知りなのに。やっぱりビーグル飼ってる人  だからかしらね」   リサとラックも再会を喜ぶように、尻尾   を振りながら、お互いの臭いを嗅ぎ会う。   将勝、しゃがんでリサを撫でる。 主婦「このコ捨て犬だったの。きっと足が悪  いからね」 将勝「……酷い人ですね」 主婦「許せないわよね。拾った時は弱ってて  ね。もう駄目かと思ったわ」 将勝「……」 主婦「でも、捨てられてた段ボールの中に飼  育方法が書かれた手紙が入っててね。便箋  にすごく細かい字でびっしり」 将勝「!」 主婦「捨てた人も辛かったんでしょうね」 将勝「……」 主婦「じゃ、ハナコ、そろそろ行こっか」 将勝「さようなら」 主婦「さようなら、またね」   歩き出す主婦とリサ。   リサ、何度も将勝の方を振り返りながら   不器用な歩きで去っていく。   見送る将勝、主婦が遠のくにつれ、涙が   溢れ出す。   ラックが心配そうに将勝の顔を覗き込む。 将勝「ラック、……リサ、生きてた……。(  泣く)お母さんが手紙入れて……(嗚咽で  言葉にならない)」   逆光の中、小さくなるリサの影。   真っ赤な落日が泣きじゃくる将勝とラッ   クを照らし出す。 99 たばこ屋の前(夕)   土手の横にある小さなたばこ屋の前。   将勝、公衆電話で電話を掛けている。 将勝「一緒に逃げよう」 00 理香の通う塾・外(夕)   『○○進学塾』の看板。   小学生が吐き出されるように門から出て   くる。   理香が携帯電話で話している。 理香「……」 01 駅前(夕)   駅前のベンチに将勝が腰掛けている。   膝にはラックが入ったゲージを抱えてい   る。   「クーン」と鳴くラックに将勝が悲しげ   に微笑みかける。   列車の通過音。   将勝が顔を上げると理香が立っている。 理香「(息を切らせて)……」 02 列車の中(夜)   揺れる列車の中、理香と将勝が座ってい   る。足元にはラックのゲージ。   二人、お互いの手を握っている。 03 幸子の実家・外(夜)   周囲に田んぼが残る田舎っぽい家。 04 同・居間   将勝と理香が夕飯を食べている。   幸子の母(61)が優しい微笑みで二人を   見ている。 幸子の母「十三歳でもう女連れて家出とは、  たいしたモンだ。こりゃあ将来は大物だ」 幸子「感心してる場合? すぐ連絡しなき  ゃ」   幸子の父(65)、読んでいた新聞を下げ、   神経質そうな顔を覗かせる。 幸子の父「放っておけ。ドックショーなんか  やる親なんか、どうせろくなもんじゃない。  少しこらしめてやればいいんだ」 将勝「お爺ちゃん。理香ちゃんに失礼だろ」 幸子の母「(笑って)おーお、将勝もすっか  り男らしくなって」 幸子「(窘めて)お母さん」 幸子の父「幸子、将勝だって愛想つかしたん  だ。そろそろ離婚の事、本気で考えたらど  うだ」 将勝「(幸子を見る)……」 幸子「こんな筈じゃなかったんだけど……。  ブリーダーやりたいって言い出したお父さ  ん、そりゃあキラキラしてて、見てる私ま  で幸せな気分だったなあ……」 将勝「……」 幸子「でもお母さん、お父さんと一緒にあん  な事する自分が嫌になっちゃった……」 将勝「離婚……するの?」 幸子「お母さんと一緒にこの家で暮らさない  ?」 将勝「……」 05 同・玄関内(夜)   玄関脇の電話を見つめる幸子。   受話器を握りしめると、決心したように   番号を押す。   と、玄関チャイムの音。   幸子が返事をしてドアを開けると繁と藤   原夫妻がいる。 幸子「え……(慌てて)……(藤原夫妻に頭  を下げる)どうも」   繁、無言のまま雪崩れ込むように家に上   がる。 06 同・居間   こたつで果物を食べている将勝と理香。   ラックは隅で寝ている。   勢い良くふすまが開くと繁が入ってくる。   繁の後ろから来る藤原夫妻、理香を見つ   け駆け寄る。 留美「(理香を抱きしめ)心配したのよ」   京介も安堵の表情で理香を撫でる。 理香「……」   繁、大股で将勝に寄ると、いきなり頬を   殴る。   吹き飛ぶ将勝。 理香「やめて! (将勝に駆け寄り)大丈夫  ?」   繁、さらに殴ろうと将勝を起こす。 理香「(京介に助けを求め)お父さん!」   京介、オロオロして動けない。   理香、咄嗟にラックを抱えると、将勝の   手を引き逃げ出す。 07 同・玄関外(夜)   将勝とラックを抱いた理香、そのまま山   道へと入り込んでいく。   後を追う、繁、幸子、藤原夫妻。 08 山道(夜)   田畑が広がる暗い道。か弱い電柱の光の   中を将勝たちが懸命に逃げている。   将勝、後を振り返り、追いかけている繁   の姿を見やる。 09 小道(夜)   細い坂を下っている将勝たち。行く手に   大通りが見える。   理香のスピードが衰える。 理香「もうダメ……」 将勝「頑張って」   理香、後ろを振り返ると繁がみるみる近   づいてくるのが見える。追いつかれまい   と再び走り出す。   が次の瞬間、転んでしまう。転んだ拍子   に手に持っていたリードを離す。 理香「あっ……!」   ラック、大通りへと駆け出す。 将勝「ラック!!」   将勝の声に振り返るラック、車道の真ん   中で立ち止まる。   ラックにトラックのライトが近づいてく   る。 将勝「逃げろ! ラック!」   トラックのクラクション音。   将勝、棒の様に立っている。   ラックがトラックのライトに包み込まれ   る瞬間、車道に飛び出す人影。   鈍い衝撃音がして、急ブレーキで停まる   トラック。   将勝たちがトラックの影から見たもの、   それはラックの無事な姿と、血と砂にま   みれ、道路に横たわる繁の姿だった。 10 病院・廊下(夜)   繁の乗ったストレッチャーが廊下を狂奔   する。 看護師「意識レベルU‐2‐Aです」 医師「すぐオペの準備!」   悲愴な顔でストレッチャーに付いてくる   将勝たち。 11 同・手術室前(夜) 将勝「お父さん!」 看護師「お父さんこれから手術だから。待っ  ててね」   ストレッチャーを掴む将勝の手を離させ   る幸子。   看護師たち、ストレッチャーと共に手術   室へと入っていく。   呆然と見送る将勝を後ろから幸子が抱き   しめる。 幸子「大丈夫」 将勝「……」 幸子「お父さんって、やっぱり犬が好きなの  ねえ……人間には本当にめちゃくちゃだけ  ど」 12 同・ロビー(夜))   総合病院らしく広い立派なロビーだが、   今の時間は人気もなく薄暗い。   藤原夫妻と理香が椅子に腰掛けている。 京介「どうして黙って家を出たりなんかした  んだ?」 理香「……」 京介「黙ってちゃ分からないだろ」 留美「将勝くんに誘われて、断れなかったの  ?」 理香「将勝くんのせいじゃないの! 私……  私、お母さんたちの期待に応えられそうに  ないから……」 留美「どういう事?」 理香「(絞り出すような声で)受験したくな  い……」 留美「まだそんな事を!?」 京介「どうしたんだ急に」 理香「私はラックみたいにチャンピオンには  なれないもん!」 京介「何言ってるんだ。ラックと比べたって  仕方ないだろ」 理香「だって二人とも、ラックが賞とった時、  すごく喜んだじゃない。(次第に泣き声に  なり)お父さんたちは、私を私立に行かせ  て自慢したいんでしょ……」 京介「そんなことない。受験までまだ時間は  あるんだ。お父さんたちと話し合おう」 理香「受験しなくてもいいの?」 京介「理香がよくよく考えてそう決めたのな  ら、公立に行けばいい」 留美「ちょっとあなた……」 京介「理香の人生だ。無理強いするわけにも  いかないだろ」 留美「……」 京介「とにかく、皆でじっくり考えよう」   理香、泣きながら頷く。 13 同・診察室(日替わり)   医師が数枚のレントゲン写真を示しなが   ら繁の病状を説明している。   神妙な面持ちの幸子と将勝。 幸子「車椅子って……一生ですか?」 医師「残念ですが」 将勝「何か治療法は無いんですか!?」 医師「ここまで脊髄の損傷が酷いと、難しい  ですね……」 14 同・繁の病室(夕)   包帯や管を沢山つけた繁がベッドで寝て   いる。   窓の外をじっと見つめる表情は、見る影   も無く痛々しい。   ×  ×  ×   (フラッシュ)   骨を焼く煙が立ちこめる土谷家の庭。 将勝「お父さん、どうしてブリーダーになろ  うと思ったの?」   ×  ×  × 繁「……」 15 土谷家・居間(夜)   幸子と将勝が入ってくる。 幸子「お腹すいたでしょ? 遅くなっちゃっ  たから、出前でも取ろっか。ね、何がいい  ?」 将勝「いらない……」 幸子「昼も何も食べてないでしょう?」 将勝「いらない」 幸子「お父さんの事心配なのは分かるけど、  ちゃんと食べないと」 将勝「僕、お父さんのやってる事が嫌で、自  分の思うとおりに行動したいって思ったん  だ」 幸子「うん……」 将勝「でも、じゃあ自分がどうしたいのか、  どうしたらいいのかって考えたらよく分か  らなかった……。僕はただ逃げたかったん  だ。……結局、お父さんにあんな怪我をさ  せてしまって……」 幸子「お父さんの事故はあなたのせいじゃな  いわ」 将勝「僕のせいだよ! お父さんにも、理香  ちゃんのお父さんたちにも、みんなに迷惑  かけたんだ……!」 幸子「……ご飯、何か暖かいもの作るわね。  食べて寝て、明日はちゃんと学校へ行きな  さい」   幸子、台所へと行きかける。 将勝「お母さんはどうするの?、お爺ちゃん  たちの所に行っちゃうの?」 幸子「犬の世話もあるし、お父さんが入院し  てる間はこっちにいることにするわ」 将勝「やっぱり離婚するの?」 幸子「足の事は気の毒だけど。お母さん、も  うお父さんとやっていく自信がないの」 将勝「……」 幸子「ごめんね……」 16 病院・繁の病室   繁、ベッドの上で上半身を起こした姿勢   で頭は深々と下げている。 繁「すいませんでした」   繁の前には、険しい表情の藤原夫妻。   理香と将勝、隅の方でその様子を見てい   る。 留美「そんな……」 京介「ラックを引き取れた私たちはまだいい  ですけど、他のオーナーさんたちにしてみ  れば、ペテンじゃないですか」 繁「……他のオーナーさんたちには改めて謝  罪したいと思います」 京介「(憮然と)退院したら、また話しまし  ょう……では」   京介たち、帰ろうとする。 繁「待って下さい」 京介「まだ何か」 繁「来月、FCIアジアインターナショナル  ドックショーという一年で一番大きなドッ  クショーがあります」 京介「だから?」 繁「ラックと一緒に出させてもらえませんか」 将勝「!」 京介「この期に及んでまだドックショー!?   ふざけるのもいい加減にしろ!」 留美「だいたいその足でどうやって出るんで  すか」 繁「この足では二度とハンドラーは無理でし  ょう。足の事が無くても私はハンドラー失  格です。でも最後にどうしても、もう一度  やりたいんです」 京介「……」 繁「お願いします。費用も全てこちらで持ち  ますので……。お願いします……お願いし  ます……」 京介「……」 17 土谷家・犬舎外(夕)   犬たちが運動スペースで遊んでいる。 幸子の声「そんなの無理に決まってるじゃ  ない!」 18 同・犬舎内(夕)   犬舎の掃除をしている幸子と将勝。 将勝「僕も驚いたけど……。どうやら本気  らしいんだ……」 幸子「一体どういうつもりなのかしら……。  お母さんにはお父さんが何を考えてるのか  さっぱり分からないわ」 将勝「……」 幸子「来週、お父さん退院だから、お母さん  実家に帰るわ。将勝も一緒に来るでしょう  ?」 将勝「犬はどうすんの?」 幸子「お父さん、犬の世話なら這ってでもや  るわよ」 将勝「僕はここに残るよ」 幸子「将勝……」 将勝「まだどうしたらいいかよく分かんない  んだ。もう少し考えさせて」 19 同・外(日替わり)   家の前にタクシーが停まっている。   将勝と運転手が、両脇から繁の体を支え、   車椅子に乗せている。 20 同・犬舎外   犬たちが元気よく運動場で走り回ってい   る。   繁、その様子を車椅子で愛おしそうに見   ている。   学生服姿の将勝が来る。 将勝「じゃ、僕、午後から授業に出るから」 繁「ラックは何処だ」 将勝「ラック」   将勝、走り寄るラックにリードを付け、   繁に渡す。 将勝「はい」 繁「ああ」   将勝、行こうとして振り返る。   繁、ぎこちなく車椅子を押しながらラッ   クと歩こうとしている。 将勝「……」 21 同・庭(夜)   将勝、犬舎のほうをじっと見ている。 22 同・犬舎外(夜)   繁がリードを引きながら歩行練習をして   いる。リードの先にはラックはいない。   一人きりの練習。   繁、額に汗を滲ませ真剣な眼差し。   ラックや他の犬たちはじっと繁を目で追   っている。   繁、ターンで曲がりきれず、フェンスに   ぶつかる。   犬舎の隙間から、将勝も心配そうに見て   いる。 23 同・将勝の部屋(朝)   将勝がベッドで寝ている。 繁「ラック、グッドボーイ!」   ラックの嬉しそうな吠え声。   将勝、目を覚ます。   二階にある部屋の窓から外を見ると繁と   ラックの姿が見える。   将勝、一瞬見とれるが、すぐに「あっ」   と驚いた表情になり、目覚まし時計を見   る。   バタバタと制服に着替えだす。   と、その時外からガシャーンという何か   倒れる音。   窓から見るが丁度屋根の影らしく、何も   見えない。   慌てて部屋を出ていく将勝。 24 同・犬舎外(朝)   繁が車椅子ごと倒れている。   将勝、駆け寄ると、繁を助け起こす。 将勝「大丈夫?」 繁「どうしてもターンが出来ん……」   将勝「車椅子じゃ無理だよ」 繁「……いや、必ずしてみせる。いいからお  前は学校へ行け」 将勝「……」   繁、再び練習を再開する。   将勝、不安そうに繁のほうを振り返りつ   つもその場を去る。 25 将勝の通う中学校・廊下   将勝が公衆電話で話している。 将勝「アジアインター、お母さんも見に来て  よ」 26 幸子の実家・玄関内   幸子、将勝と電話している。 幸子「……車椅子でハンドラーなんか無理よ  ……」 27 丸山工業・工場   『丸山工業、看板犬のロッキーです』と   書かれたチラシが壁に貼ってある。   数人の従業員が狭い工場内で、鉄板を切   ったり、溶接したり、と働いている。   繁が入ってきて、辺りを見まわす。と、   少し離れたところに寝ているロッキーを   見つけ、車椅子を漕ぐ。   ロッキーはクッション製の犬用ベッドか   ら起きあがり、繁に近づいていく。 繁「ロッキー、元気にしてたか?」 28 同・事務所   丸山、自席で従業員と話している。 丸山「クソッ、あのオヤジ、またロッキーの  事で難癖付けに来やがったな」   丸山、大股で部屋を出て行く。 29 同・工場   丸山が来る。 繁「やあ丸山さん」 丸山「(車椅子に気付き)え、あ、足、どう  したんですか?」   繁、ニヤッと笑って丸山に近寄る。 丸山「な、何スか……何なんスか(怯えた顔  で後ずさる)」 30 土谷家・犬舎内   繁、ラックをトリミングテーブルの上に   乗せて触審用のポーズを取らせている。   見事な立ち姿。 将勝「ねえ、ターンの練習はしなくていいの  ? 大会まであと三日しかないよ」 繁「(カレンダーを見てニヤリ)大丈夫だ。  あと三日もある」 将勝「?」 31 東京ビッグサイト・ロビー   『FCIアジアインターナショナルドッ   クショー』の大きな看板。   大勢の人たちでごった返している。 32 同・駐車場   ぎっしりと停められた車から、次々と出   陳犬が降りてくる。   繁とラックがその片隅で歩様審査の練習   をしている。   その様子を少し離れた所から見守ってい   る将勝の元に理香がやって来る。 理香「調子はどう?」 将勝「理香ちゃん。見に来てくれたの?」 理香「(笑って)ねえ聞いて。私、中学受験  しなくていいことになりそう」 将勝「(喜んで)本当?」 理香「うん。あー良かった。これで恥かかか  ないで済む」 将勝「え? 公立行きたいから、私立受験し  ないんでしょ」 理香「そりゃあ公立より名門私立の方に行き  たいに決まってるじゃない」 将勝「? だったら……」 理香「でも合格しないと入れないんだよ?   落ちて結局公立ってカッコ悪いでしょ」 将勝「……そういう風にしか考えられない理  香ちゃんがカッコ悪いんだよ」   繁、荷物を運んでる人にぶつかってしま   い、何か文句を言われ、謝っている。   相手が行くと、歩行練習を再開する。将   勝、その光景を見ながら、 将勝「理香ちゃん自身は本当はどうしたいの  ? 他人の価値観で自分の意志を曲げたら  他人に意志を預けてるのと同じだよ」 理香「じゃ、私立受けろって言うの?」 将勝「今、僕はお父さんを心から尊敬してる。  自分の意志を貫こうとしているお父さんは  本当にカッコいいと思う」 理香「何よ。あなたのお父さん悪い事してた  くせに……(フン、とむくれて去る)」 33 同・ロビー   家族連れなどでごった返すロビー。   幸子が受付で入場券を買っていると、犬   の鳴き声がする。 警備員「犬をお連れの方はこちらからは入場  出来ません。裏口のほうへ」   幸子が声の方を見ると、注意されていた   客はロッキーを抱いた丸山である。 丸山「ロッキー、うるさいよ。シーッ」 幸子「丸山さん?」 34 同・リング   プードルの歩様審査が行われている。   気品溢れるスタイルにカットされた犬か   らはショードックの威厳のようなものが   感じられる。   審査員から指を指された(勝った)女性   ハンドラー、犬を抱き上げて喜びの絶叫。   観客の拍手。 35 同・別のリング   ビーグルの触審が始まっている。   リングの外から将勝が祈るような顔で見   ている。   将勝の横には藤原夫妻と理香。   幸子と丸山が来る。 幸子「どう?」 将勝「これからだよ」   リング内の繁、自分の膝からラックを触   審台へと乗せる。 観客5「おい、マジかよ」 観客6「車椅子でハンドリングなんか出来ん  の?」 幸子「……」 丸山「大丈夫ですよ。俺の自信作なんだから」 幸子「え?」   ラックの歩様審査が始まる。   ストレートに歩く繁を一同は固唾を飲ん   で見守る。   繁、ターンの手前で車椅子のボタンを押   す。   すると車椅子の下から小さな車輪が出て   来て素早く車椅子の向きを回転させる。   ―見事なターン。   場内からどよめきが起こる。   将勝たちからも「えっ!」などと驚きの   声が漏れる。 丸山「よっしゃあ!」 将勝「おじさんが作ったんですか?」 丸山「ああ、ウチに来て俺を助けてくれって、  頭下げたんだよ」 幸子「あのお父さんが……」 将勝「ありがとう、おじさんありがとう!」 丸山「ま、ラックはうちのロッキーのいとこ  だしな」   リングでは繁が審査員からロゼッタを受   け取っている。 36 同・パドック   車椅子を将勝が押し、一同が戻ってくる。   留美の手にはBOBとベスト・イン・グ   ループのロゼッタがある。 幸子「こんな大きな大会でまさかグループ一  位まで残れるなんて……」 京介「いやあ、驚きました! まさかそんな  特別な装置を準備してらっしゃるとは」   将勝たちも頷く。 繁「(蒼白な顔で)壊れたかもしれん……」   一同、「ええっ!」と驚く。 繁「さっきのグループ戦までは良かったんだ  けど。今ボタンを押しても車輪が出ないん  だ……」   丸山、車椅子の下を覗き込む。   車椅子の下、ターン用の装置の車輪を支   える棒が少し凹んでいる。 丸山「ちょっと歪んでますが、この位なら大  丈夫ですよ」   と、丸山が触ると車輪が外れる。 丸山「ゲッ!……あれ? 何で?」 将勝「どうしたんですか?」 丸山「(辺りを探し)ネジが無い」 将勝「ネジ?」   一同、床を探す。 丸山「ネジさえあれば大丈夫なんだけど……」 京介「無いなあ……」 留美「とにかく探しましょう。リングから  ここまで歩いてくる間ね」 幸子「って言ってもこんなに広くっちゃ……」   将勝、顔を上げ、リングの方を振り返る。   絶望的に広いホールはごった返す人と犬   で床も良く見えない。 37 同・パドック通路   将勝、ネジを探しながら歩いている。   時折人とぶつかり、「すみません」と謝っ   ている。 丸山「あった?」 将勝「(首を横に振り)どうしよう、次の審  査まで三十分しかないのに……」 丸山「……(困り果てた顔)」 将勝「あの、他に持ってないんですか?」 丸山「ごめんな。まさかこんな事になるとは  思ってなかったから……。せめて平日なら、  どっかこの辺の金物屋でも行けば手に入る  のにな」 将勝「お店に行けばあるんですか?」 丸山「でも今日、日曜だぞ。どこも閉まって  るよ」 38 同・公衆電話コーナー   ガチャンと受話器を置く丸山。   将勝、横で電話帳を捲っている。 丸山「駄目だ。誰も出ない……」 将勝「次ここは? ちょっと遠いけど……」 丸山「もう無理だよ。どこも開いてないよ」 将勝「あと一件だけ。お願いおじさん」 丸山「分かったよ……(電話番号を押す)」   念を送るような顔で見つめる将勝。 丸山「え、あ、滑川金物店さんですか? …  …すみません、ネジを探してるんですが、  そちら今日お店開いてますか?」   将勝の顔から笑顔が漏れる。 丸山「(表情が曇り)……すみませんでした。  どうも(切る)」 将勝「開いてるんですか?」 丸山「いや。個人商店だから店と自宅が一緒  なんだろう。今日は休みだって断られたよ」 将勝「今からそこに行きましょう!」   将勝、電話帳の住所をメモる。 丸山「おい、断られたんだぞ」 将勝「でも人がいるんだから行けば売ってく  れるかもしれないじゃないですか」 幸子「私が行くわ」   幸子が来る。 将勝「お母さん」 幸子「将勝はここに残って。もし私たちが戻  らなかったら、その時はあなたがお父さん  の代りに出なさい」 39 同・ショップ前   犬用ベッド、ゲージ、おやつ、洋服など   あらゆるペットグッズの店が軒を連ねて   いる。   人々が群がるようにして買い物をしてい   る。 40 同・パドック   沈痛な面持ちの将勝たち。 41 車の中   幸子の運転する車、高速道路を豪快に飛   ばしている。   助手席の丸山、 丸山「あと、十五分です」 幸子「ああ……間に合うといいんだけど」 42 滑川金物店・外   商店街の一角。シャッターが閉じられた   小さな金物店。   幸子、勝手口のインターフォンを押す。 店主の声「今日は休みだよ」 幸子「開けて下さい。どうしても今日必要な  んです」   ブツッとインターフォンの切れる音。 幸子「(シャッターを叩き)すみません!  お願いします! 開けて下さい!」   丸山、オロオロしていたが、幸子の必死   な様子を見て一緒にシャッターを叩く。 丸山「開けて下さい! お願いします!」   通行人が何事かという目で見ている。 43 東京ビッグサイト・パドック 繁「(時計を見て)もう間に合わないな。将  勝、お前に任せる」 将勝「そんな……だって」 繁「いいんだ。もう十分やった……(すがす  がしい顔)」 将勝「もう少し、もう少しだけ待とうよ」 44 滑川金物店・店内   店主がドアを開け、幸子たちの方を見る。 店主「何なんだよあんたら。帰ってくれ。も  う出掛ける所なんだよ」   幸子、無理やり店の中へ入る。 店主「ちょっと、あんた! 警察呼ぶよ」   幸子、いきなり床に土下座する。 幸子「お願いします!」 45 東京ビッグサイト・リング   ベスト・イン・ショー戦の為に大きくス   ペースを広げられたリング。   観客立ちがリングを何重にも取り囲むよ   うに立っている。   リング脇ではゼッケン付けた将勝が控え   ている。そのリードを持つ手は、小刻み   に震えている。 京介「頑張って」 繁「ハンドラーの役目は大勢の前でラックを  自分らしくいさせてやることだ。結果はい  いから、二人で楽しんで来い」   将勝、小さく頷く。   将勝、理香と目が合う。 理香「……」 将勝「ラック、行くぞ!」   将勝、振り切るようにリングへ入ってい   く。   それぞれのグループ代表十匹の犬が堂々   と並んでいる。 アナウンスの声「いよいよ今大会も最終段階  に入ってまいりました。皆様の前にいるこ  の雄の十頭がキングの座をかけて戦います」   出陳犬たちが次々と個人の歩様審査を受   ける。 留美「幸子さんたち、結局間に合わなかった  わね」 京介「ああ……」 留美「今日、出て良かったわね。ほら、ラッ  ク、とっても楽しそうな顔してる」   なんとも楽しそうなラックの歩様。 理香「……」   全犬一列になり、全員で一周。   審査員が将勝を指し示す。 アナウンスの声「雄の一位、キングはビーグ  ルに決まりました!」   繁・京介・理香「!」 留美「ウソ!」   観客たちの歓声。地鳴りのような拍手。 京介「やったー!」 留美「勝ったの? 勝ったのよね!?」 繁「(涙を浮かべ)……」   将勝が泣きながら一目散に繁の元へ走っ   てくる。 繁「バカ、泣くな。まだこの後あるんだぞ」 将勝「うん……」 アナウンスの声「続きまして雌の一位、クイ  ーンを決める戦いです」 将勝「お母さんたちは?」 繁「まだだ……」 将勝「……」 繁「よくやった!」 将勝「(泣く)……」 幸子の声「すみません。道を開けて下さい!」   将勝たち、声の方を振り返る。   幸子と丸山が人混みをかき分けながら近   づいてくる。 京介「来た!」   幸子、繁の目の前に立ち、手にもったネ   ジを見せる。 繁「ありがとう……」   涙目でニッコリ笑ってみせる幸子。 丸山「さあ、時間がない。急ぎましょう!」   丸山、車椅子の下に潜るようにしゃがみ   込む。   リングでは雌の歩行審査が行われている。 アナウンスの声「クイーンに選ばれたのは、マ  ルチーズです!」   歓声。拍手。   純白の艶やかな毛に覆われた美しい宝石   のようなマルチーズがそこにいる。 京介「凄い」 留美「家庭犬とは全然違うわ……」 将勝「さあ、お父さん」 繁「……」   繁とラックがリングに入っていく。 アナウンスの声「さあ、今年のベスト・イン  ・ショーは果たしてビーグルかマルチーズ  か、どちらでしょう!」   ラックの歩様審査。   将勝たちが拍手をすると、周りの客たち   も拍手を始める。   繁の見事なターンに客席が沸く。   威風堂々と、かつ楽しそうなその歩き。   続いてマルチーズの歩様審査が始まる。   美しい毛が風に棚引く優雅な歩き。   歩様審査が終わり、並ぶ二頭。   審査員の悩ましい表情。   審査員、決めきれないらしくウロウロし   ながら舐め回すように二頭を見る。   緊張の中、見守る将勝たち。   審査員、ゆっくりと指す。   その指先にはラックと繁。   大きな歓声と拍手が起こる。 アナウンスの声「皆様ご覧の通り、今年のベ  スト・イン・ショーにはビーグルが決定し  ました!」   繁の目から涙が溢れ出る。   リングの外では抱き合って喜ぶ将勝たち。   リングの周りを囲み拍手を送る観客たち   の笑顔。   皆、それぞれに楽しそう。   繁、審査員から大きなトロフィーを受け   取っている。   拍手を送る理香の頬を涙がつたう。 理香「お母さん、お父さん。私、まだ自分が  どうしたいのか、よく分からない。今まで  はいろいろ言い訳して逃げてただけだった。  受験の事、もう少しちゃんと考えてみる」 留美「ゆっくり考えなさい。まだ時間はある  からね」 京介「理香は生まれてきただけでもう、私た  ちのチャンピオンなんだよ」   観客に向かって一礼する繁に、拍手の音、   一段と大きくなる。 46 同・撮影会場横   繁、しみじみとトロフィーを見つめてい   る。 繁「皆様の協力で、最後にこんな夢のような  成績を残せた事、心から感謝します。あり  がとうございました」 将勝「やっぱり辞めるの?」 繁「今後は働いてなんとか藤原さんや他のオ  ーナーさんに返すお金を作るよ」 将勝「そんな……。父さん、辞めないでよ。  僕、お父さんみたいなハンドラーになりた  い」 京介「辞めないで下さいよ。私たちこれから  もショーを続けたいんですから」 繁「しかし……」 京介「少なくとも私たちは十分楽しみました。  だからいいんです。ラックの件は、他のオ  ーナーさんたちともこれから良く話し合い  ましょう」   繁と幸子、言葉が出ないまま、深々と頭   を下げる。 幸子「お父さん……」 繁「お前にもいろいろ苦労かけたな……」 幸子「また一から頑張りましょう」 カメラマン「おまたせしました。ではお写真  お取りしますんでどうぞ」   カメラマンに促され壇上に上がる藤原夫   妻、ラック。   ライトを浴びたトロフィーがさらに輝く。 将勝「(振り返り)お母さん、お父さん上に  上げるの手伝って」   幸子のほか、丸山も繁の車椅子を持ち上   げようとする。 繁「いや、俺はいい……」 京介「先生、ほら早く。奥さんたちも。皆で  撮りましょうよ」 幸子「すみません」   全員壇上に並ぶ一同。将勝はラックをス   テイさせる。 カメラマン「いいですねー。じゃ撮りますよ」   シャッター音。   全員の笑顔、静止して一葉の写真となる。                      (終)