「青いアイスとSL」 沢村井月  人 物  多田信太郎(8〜15〜21)主人公  多田みつ(30〜37〜43)       信太郎の母、亡き多田義男の妻  松村あかり(11〜16)床屋の一人娘  松村忠吉(35〜41)床屋の親方  松村早苗(35〜40)その妻  多田三郎(41〜49)みつの亡き夫の兄  多田節子(37〜45)その妻  山中洋祐(28)信太郎の中学の担任教師  神尾銀二(57〜70)みつの実父  神尾宗助(35〜42)みつの長兄  神尾加世(34〜42)その妻  神尾久美子(10)宗助の長女  神尾啓吾(9〜17〜22)宗助の長男  高倉十郎(45〜50)            床屋の常連、家具屋  境博史(40)カメラ屋  片山太(45)芝居小屋の映画の興行主  中村栄治(19〜24)           床屋での信太郎の先輩  日野守(17〜22)同  その他 1、山里     SLが走っている。季節は夏。 2、SLの見える丘の上    学校の帰り道の多田信太郎(8)と神    尾啓吾(9)、神尾久美子(10)、    ランドセルをしょって、一緒にひもの    中に入っている。信太郎と啓吾は丸坊    主。久美子はすらりと背が高い。    3人は遠く、眼下を見下ろしている。    SLの煙が山間に広がってくる。 信太郎「うわあ、来たぞ」 3、もうもうと煙を吐きながら来るSL     4、SLの見える丘の上    目を見開いてSLを見る信太郎。 啓吾「しゅっぱーつ(出発)、進行!」 信太郎「しゅっぱあーつ、進行! シュ、シ  ュ、シュ、シュ、ポッポー」    信太郎を先頭に啓吾、久美子の順で、    SLごっこが始まる。 啓吾・久美子「ポッポー」 5、丘を下る道    SLごっこをしながら坂道を下ってい    く信太郎、啓吾、久美子の3人。眼下    にもうもうと煙を吐いて走るSL。 6、走るSL    線路の両側に町が広がっている。 7、 駅のホーム    SLが速度を落として滑り込んできて、    止まる。    客車から、多田みつ(30)が大きな    荷を担いで降りてくる。猛暑。汗をぬ    ぐう。化粧っけはないが美人。とても    疲れた様子。    待ち受けていた下駄屋の男が手を振り    ながら駆け寄り、 下駄屋の男「ああ、間に合ってくれてよかっ  た」 みつ「(疲れた声で)はい」 下駄屋の男「朝早くから大変だったろうよ」 みつ「いいえ、慣れてますから」 下駄屋の男「助かったよ。土曜の夜に店に来  てだよ、あしたの昼までに桐の下駄二十く  れなんて言われてもよ、こんな田舎の店に  あるわけねえだろって」 みつ「あの、私、映画の手伝いにいかないと  いけないんで、失礼してもいいですか?」 下駄屋の男「あっ、そうだったねえ、そいつ  は大変だ。(懐から財布を取り出して)は  い、運び賃」    と紙幣を数枚、みつに差し出す。    みつ、両手で受け取ると頭を下げ、駆    け出していく。 下駄屋の男「下駄収めたら、俺もあとで見に  行くからよー」 8、駅・正面    進んできた信太郎と啓吾と久美子は、    SLごっこのひもを投げ出して、駅に    飛び込んでいく。 9、同・改札口前    信太郎と啓吾と久美子、改札口横の鉄    柵に駆け寄ると、身を乗り出してSL    を見る。 信太郎「格好ええなあ」    SLの黒光りする車体に見ほれる信太    郎。 啓吾「ほんとだ……あっ、みつおばさんだ」    みつがホームを駆けてきて、改札を通    る。    慌てて行こうとするみつに、信太郎が    声をかける。 信太郎「母ちゃん!」    みつ、振り向いて みつ「信太郎」    しゃがんで信太郎を抱きしめ、疲れが    吹き飛んだ顔で みつ「あんた来てたの。あっ、啓ちゃんも、  久美ちゃんも。またSL見にきてたのね?」 信太郎「母ちゃん、きょうは映画じゃない  の?」 みつ「あっ、そうだ、行かなきゃ。じゃね、  信太郎。啓ちゃんも久美ちゃんも。おばさ  ん行くからね」    と駆け出す。 信太郎「母ちゃん」 みつ「あとで、映画、おいでー」 10、宗助宅・居間    庭から明るい陽光が入っている。    食卓を囲んで、大工の法被姿の神尾宗    助(35)と同じ法被姿の神尾銀二   (57)、割烹着の神尾加世(34)、    信太郎、啓吾、久美子がカレーを食べ    ている。 啓吾「おかわり!」    啓吾、大声で皿を加世に差し出す。 加世「啓吾、そんなに急いで食べなくったっ  て、たくさんあるんだから」 久美子「私もおかわり」    久美子も皿を差し出す。信太郎は黙っ    てうつむいている。 加世「本当によく食べるねえ(信太郎の方を  見て)……」    皿の米とカレーはすっかりないが、福    神漬けだけ皿の隅に残してある。 加世「信ちゃん、あんたいつも遠慮してちゃ  だめよ。それと福神漬けもちょっとでいい  から、食べなさい」    加世、信太郎の皿を取って、カレーを    盛ってやる。 加世「はいよ」    信太郎、皿を受け取ったものの、困っ    たという顔で福神漬けを見る。    啓吾、信太郎の皿をさっと取って福神    漬けを自分の皿に入れると、またさっ    と返し、信太郎を得意げに見る。信太    郎、笑みが漏れる。 加世「(それには気づかないで、宗助に)あ  んた。映画、何時に出掛けるのよ」 宗助「おれはおやじと会合があるんだから、  それからに決まってるだろ」    黙ったまま、うなずく銀二。 加世「せっかくの映画の日に、会合なんてす  ることないじゃない。早めに行きたいんだ  よ。あんまり後ろじゃ、よく見えないから  さ」 宗助「おめえも、信太郎たちと一緒に行きゃ  いいじゃねえか」 加世「そんなわけにいかないよ」    加世が口を濁すと、啓吾と久美子、信    太郎の顔を見て、にやりとする。信太    郎、ウインクをする。 11、芝居小屋・前    日が高い。大きな脚立に乗った上島   (22)、「雪之丞変化」と大きく書い    た紙を入り口の上に張っている。片山    太(45)がそれを監督している。男    たちが数人、いらいらしながらタバコ    を吸って待っている。 男「おう、まだ入れねえのか?」 片山「(愛想笑いしながら)ええ、だんな、  もう少しお待ちください」 男の連れの男「たった一日の映画だぞ」 男「いい席取りたいからよ」 片山「あいすいません、急ぎますんで」    片山、上島に向き直り、怒鳴る。 片山「おい、早くしねえか、この馬鹿野郎!」 12、芝居小屋の見える空き地    信太郎と啓吾、久美子がSLごっこし    ている。 信太郎「次はー、とうきょー、とうきょー」 啓吾・久美子「うまい、うまい」    笑いころげる啓吾と久美子。    太鼓の音がドンドンと聞こえてくる。 啓吾「うわっ」 信太郎「あっ」    3人、芝居小屋の方に駆け出す。 13、芝居小屋・前    入り口に映画の題名を大書した紙。    大人たちが行列している。    片山が呼びこみをしている。 片山「いいかい、1本目は大人気のひばりち  ゃん、雪之丞変化だ。見てらっしゃい」 14、同・傍ら    みつが、ひもで一升瓶を2本ゆわえた    のを、両手に一つずつ提げて重そうに    運んでくる。小屋の前の人だかりに向    かっている。 15、同・前 片山「2本目は『でこちゃん』、高峰秀子の  喜びも悲しみも幾年月だ。さあさ、見なき  ゃ損ってもんだ、見てらっしゃい」    みつが来るのに気づいた片山、呼び込    みを中断して駆け寄る。 片山「おいおい、みつさん、大丈夫かい?   持ってやるよ」 みつ「あっ、大丈夫です」 片山「本当にかい?」    と付きまとうが、みつ、構わず小屋の    中に入っていく。うなだれる片山。小    屋の前の男たち、ゲラゲラと笑う。    そこへ走ってきた信太郎と啓吾と久美    子、大人の股間をすり抜けるように入    り口の前に出て来る。 片山、信太郎に気づき、 片山「信ちゃんじゃねえか。よく来たなあ。  友達も一緒か。そうか。こっち来いよ。  (並ぶ大人たちに大声で)さあさ、見てら  っしゃいよ。(信太郎たちに)さあさ、入  りな」    と信太郎たちを小屋に招き入れる。 16、同・木戸    片山、信太郎の頭をなでながら、木戸    番の上島に片手でぞんざいにあいさつ    しながら入っていく。啓吾と久美子も    続く。    上島、「またか」といういやそうな顔。 17、同・中    片山に連れられた信太郎と啓吾と久美    子、2階席への階段に駆けていく。 18、同・売店の前    舞台と反対側に位置する売店。木箱を    並べて酒や乾き物、駄菓子などを並べ    てある。アイスボックスもある。客が    群がっている。多田三郎(41)、多    田節子(37)とともに大忙しのみつ    に 片山「みつさん、おい、みつさんよ」    片山のそばに来るみつ。片山、信太郎    を指差して 片山「坊ちゃんが表に来てたんでよ」 みつ「あ、すみません片山さん。お代はお払  いしますから」 片山「何言ってんだよ、水臭い」   とみつの手を握る。そこへ節子が来て 節子「みつさん、何してんの?」    と言っておいて片山を見て 節子「あら片山さん、お世話になってます。  おかげさまで大忙しで(と作り笑顔をしつ  つ、みつに)ちょっと忙しいのよ」    と、みつを叱るように客たちが群がっ    ているほうに押し、片山には笑顔で 節子「あいすいませんねえ」    片山、不満そうに行ってしまう。節子、    みつにウインクする。 19、同・階段    階段に腰掛けて、上映を待っている信    太郎と啓吾、久美子。3人ともわくわ    くしている様子。信太郎が売店を見る    と、みつが手招きする。 20、同・売店の隅    みつの前に、わくわくした顔で集まっ    ている信太郎と啓吾、久美子。    みつ、節子に合図すると、自分の財布    から出した小銭を、つり銭の籠に入れ    る。    青いソーダ色のアイスキャンディーを    渡す手は、みつの手。それを受け取る    小さな手は信太郎の手。 信太郎「ソーダのアイスだ」    跳び上がって喜ぶ信太郎。    啓吾と久美子にもみつがソーダのアイ    スを渡す。 啓吾・久美子「ソーダだ、ソーダだ」    啓吾と久美子も大喜び。みつ、笑顔で    信太郎を見る。 21、同・階段(夕)    超満員。目を輝かせて映画を見ている    信太郎と啓吾、久美子。みつもそばに    立って見ている。たびたびみつを見る    信太郎、客がどっと沸くと、のびのび    と大笑いする。    信太郎がもう一度みつを見ると、みつ    がいない。    振り向くと、暗い場内に小さな豆電球    を点した売店で、みつが客の相手をし    ている。がっかりした顔になる信太郎。 22、同・売店(夕)    豆電球をともした下で、節子と三郎は、    ぽつぽつと買いに来る客の相手をして    いる。三郎は右腕のひじから先が欠損    しているため、左手だけでやり取りし    ている。    節子、チョコレートを客に渡し、声を    落として 節子「ありがとうございます」    みつに顔を寄せ、ぐっと小声で 節子「みつさん、いいから、信ちゃんのそば  にいてやりなよ。一緒にいられる時なんて  めったにないじゃないか」 みつ「そうです…か。すみません。じゃ、お  言葉に甘えて」   みつ、暗がりを、信太郎がいる階段の方   に行く。   節子、切ない顔でそれを見て、傍らの三   郎に小声で 節子「自分の子にああして、たまに会うって  のはかえってつらいだろうね」 三郎「仕方ねえさ。借金かかえて、朝から晩  まで働いてるんだから」 節子「そうだけどさ」 三郎「実の兄貴が預かってくれてんだから。  幸せだと思ったほうがいいさ」 23、もとの階段(夕)    みつに寄りそうようにして映画を見て    いる信太郎、いかにもうれしそうにみ    つを見る。みつも笑顔で信太郎を見る。   24、山里(早朝)    もやがかかった早朝の山里 25、三郎宅・前(早朝)    みつと節子、出てくる。二人とも行商    姿で、空の担ぎ具をしょっている。三    郎が眠そうな顔で窓から顔を出し 三郎「気をつけてな」 節子「あしたの夜には帰るからね。あんまり  根つめちゃだめよ」    部屋の中に、下駄が高く積まれている    のが見える。 三郎「分かってるよ。列車に乗り遅れるぞ」 節子「じゃ、行ってくるから」 三郎「おう」 みつ「おにい(義兄)さん、行ってきます」    みつ、三郎に頭を軽く下げ、節子とと    もに出て行く。 26、三郎宅・中(早朝)    三郎、窓を開けたままにして座る。    かたわらから鼻緒の付いていない下駄    の木を左手で引き寄せ、左手と口、足    を器用に使って、鼻緒を付ける。 27、駅のホーム(早朝)    SLの列車に乗り込む節子とみつ。 28、列車の中(早朝)    節子とみつ、乗り込んでくる。 節子「(車内を移動しながら)映画は確かに  品物は売れるよ。でも、ピンハネが半分だ  からね。あの片山の野郎さ」 みつ「はい」    車内に見えるのは同じ行商姿の女数人    だけ。    節子、慣れた手つきで網棚に担ぎ具を    載せながら、 節子「稼ぐってのは、つくづく大変だよねえ。  (ため息をついて)あの人がけがするまで  は想像もつかなかったけど」    みつも網棚に担ぎ具を載せながら、 みつ「生きててくれたら、いいじゃないです  か」    みつ、席に座る。節子、向かい合って    腰を下ろして、 節子「……ごめん、私。でも、あんたにはあ  んないい子がいるもん。がんばって借金返  したら引き取ればいいんだから。うちのあ  の部屋だって、一緒に住めないことはない  よ」 みつ「ええ」 節子「すぐ余分なこと言っちゃうよねえ。わ  かっちゃいないのにね、子供のある人の気  持ちなんてさ」 みつ「いいえ。居候させてもらって、そのう  え仕事も一緒にさせてもらって、どんなに  助かってるか」    無理に笑顔を作って節子を見る。 29、町の通り(夕)    学校帰りでかばんを提げた啓吾、友達    二人とふざけながら歩いている。 友達A「美空ひばりって、そんなに格好いい  のか?」 啓吾「格好いいの、なんのって。男と女と、  ばあさんの役までやるんだぜ」 友達A「俺も見たいなあ」 啓吾「次は秋祭りまで見られないね」 友達B「おい、あれお前の弟じゃないか?」    前方に、かばんを提げて歩いていた信    太郎、振り向く。 友達B「お前、あの弟とばっかり遊んでるん  だろ。かわいい、かわいい弟と」 啓吾「(信太郎に聞こえるくらいはっきりと  した声で)弟じゃないや」 友達A「弟だろ? いっつも電車ごっこして  る弟じゃねえか」 啓吾「弟じゃない。うちで預かってんだ。居  候してるんだ」 友達B「いそうろう?」    信太郎、その場を逃げるように駆け出    す。 30、芝居小屋・前(夕)    小走りで来た信太郎、小屋の入り口を    見上げると、はがされた映画の題名の    紙の切れ端が張り付いて残っている。    信太郎、入り口の戸を確かめる。ガラ    ッと開いてしまう。恐る恐るという格    好で中に入っていく。 31、同・中(夕)    静かに見回す信太郎。人影はなく、売    店もスクリーンもない。    ふいに汽笛の音が聞こえる。    信太郎、古い舞台に駆け上がると、か    ばんを足元に放り出して、SLごっこ    を一人で始める。 信太郎「しゅっぱーつ、進行! シュ、シュ、  シュ、シュ、ポッポー」    と舞台の上をぐるぐる回るように進む。    熱を帯びて、さらに大声で 信太郎「ポッポー。次はとうきょー、とうき  ょうー」    と、突然、 上島の声「何してんだ。てめえ」    上島がいらいらした顔で立っている。    驚いた信太郎、「あっ」と小さな声を    出しただけで返答できない。 上島「おめえか。きょうはもう映画はやって  ねえぞ。こっちはこき使われてよ、一人で  片付けてんだ。(大声で)出てけ、くそガ  キ」    信太郎、慌ててかばんを拾い、逃げ出    す。 上島「けっ」    とつばを吐く。 32、同・前(夕)    信太郎、悲しみを振り払うように走り    出てくる。 信太郎「超とっきゅうー、出発進行! シュ  シュシュシュシュッ」    と大声で叫びながら走り去る。 33、中学校の全景    タイトル「7年後」    初夏。    ひなびた中学校。    汽笛の音が聞こえ、はるか遠くをSL    の煙が移動していく。 34、中学校の教室    教壇に山中洋祐(28)。    教室いっぱいに信太郎(15)ら生徒    たち。 山中「いいか、来週、進路についての三者面  談するからな」    信太郎、開け放たれた窓の外をじっと    ながめている。    遠くにSLの煙が走っている。 山中「中学3年ってのは人生の岐路なんだぞ  ……おい、(じょじょに大きく)信太郎、  信太郎、信太郎!」 信太郎「は、はい」 山中「お前はそうやっていつも俺の話を聞か  ないで、毎日毎日、SLの煙ばっかり見て  る。注意する俺もくたびれたぞ」 信太郎「すみません」    ほかの生徒たち爆笑。 35、本屋・店内(夕)    太ったハゲ頭の店主の横で扇風機がフ    ル回転している。つめを切りながら、    時折いやな目つきであたりを見回して    いる。    客は高校生の男子2人と若い女性と信    太郎。高校生2人はエッチな本を立ち    読みしている。信太郎も何か読んでい    る。女性客が出て行く。    店主、3人をいらいらと見ている。高    校生の一人がエッチな雑誌を1冊、店    主に差し出し、ぞんざいな態度で 高校生A「これ、いくら?」 店主「(とたんに笑顔で)あ、お買い上げで  すか、200円です」    高校生2人出ていく。    一人で立ち読みしている信太郎。 店主、信太郎に顔を近づけると 店主「買わないんだろ?」    恥ずかしそうに、うなずく信太郎。 店主「(大声で)帰れ!」    手にしていた本を慌てて置いて逃げ出    す信太郎。    憎憎しいものを見るような店主の顔。    信太郎が読んでいたのはSLの写真集。 36、町の通り(夕)    走ってきた信太郎、店主が追ってこな    いのを確かめると歩き出す。 37、電器店の店先(夕)    店頭のテレビを熱心に見ている小さな    男の子と若い母親。信太郎も立ち止ま    って見ると「月光仮面」の最終盤。す    ぐ「つづく」の文字。 男の子「なんだい、もう終わりか」 母親「面白かったかい?」 男の子「うん、母ちゃん、おんぶ」 母親「甘えちゃって。しょうがないねえ」    母親がおんぶしてやる。見ていた信太    郎、なんだかつらそうな表情になって    行く。 38、中学校の面談室・前    面談室の扉に「三者面談中。お静かに」    という張り紙。 39、面談室・中    山中と対面しているみつ(37)と信    太郎。みつ、白髪が目立つようになっ    ている。 山中「鉄道の機関士になるには、工業高校に  進学するのがいいと思うんです」    信太郎、ぱっとうれしそうな顔。    みつ、すまなさそうに信太郎を見る。 山中「信太郎君は成績もいいですし、進学さ  せてあげるわけにはいきませんか?」    期待した顔でみつを見る信太郎。    みつ、悔しそうに首を小さく振ると、 みつ「恥ずかしいんですけど、借金を返し終  わるのにまだ3年はかかります」 山中「そう、ですか」    信太郎、険しい表情に変わる。 山中「信太郎君の進路について、どう考えて  いらっしゃいますか?」 みつ「この子の父親は、私が言うのもなんで  すが、働き者でした。山から木材を運ぶの  に、大きなトラックを借金して買って、こ  れからというときでした。突然死んだんで  す」 信太郎「……」 みつ「ですから、この子には山の仕事だけは  させたくないんです」    みつ、涙を浮かべている。    みつの涙をじっと見る信太郎。 40、遠くを移動していくSLの煙    汽笛の音。 41、学校の屋上    金網をつかむようにしてSLの煙を見    ている信太郎。その隣の山中も同じく    SLの煙を見ている。    山中、唇をかみしめ、 山中「どうするかな」    信太郎、山中のほうを見て、 信太郎「俺、だれの世話にもならずに、ちゃ  んと食えるようになりたい」    山中、信太郎の顔をじっと見て、 山中「信太郎は手先が器用だから、職人に向  いているとは思うがな」 信太郎「職人?」 山中「床屋か、板前か。寂しがりやだから、  床屋のほうがいいかもな。いろんな人と話  ができるもんな」 信太郎「床屋……」 42、宗助宅・前    春。庭の梅が咲いている。    新品の乗用車の横に信太郎と並んで立    った松村忠吉(35)。それと向かい    合ってみつ、銀二(64)、宗助(42)、    加世(41)。 忠吉「きっと一人前の床屋にしますから」    と言って深々と頭を下げる。 宗助「よろしくお願いします」    と深々と頭を下げる。    みつも銀二も加世も頭を下げる。    みつ、信太郎の手を握りしめ、小さな    紙袋を渡すと、しぼり出すような声で、 みつ「しっかりやってね」    信太郎、わざと笑顔で元気よく、 信太郎「うん」 忠吉「行くか」    うながされて、行こうとする信太郎。    ぎりぎりまでつないだ手を離すみつ。    信太郎を車に乗せる忠吉。 43、車の横    助手席の信太郎のところへ宗助、銀二、    加世が集まる。遅れて、みつ。 忠吉「(運転席から外をのぞくように)では、  参ります」 宗助「元気でな、信太郎」 信太郎「(元気に)はい」 加世「信ちゃん、元気でね」 銀二「信、元気でな」 信太郎「(元気に)うん、じいちゃんも」 みつ「(つぶやくように)信太郎」 信太郎「(元気に)行ってきます」    車、走り出す。 44、車の中    振り返る信太郎、急に顔色が曇る。    手を振っているみつが見える。    みつを見つめる信太郎の顔。 45、宗助宅・前    手を振るみつ。    たちまち遠くなる車。    手を振るみつの顔。    車は角を曲がって見えなくなる。    とたんにみつ、駆け出し、叫ぶ。 みつ「信太郎、信太郎!」    日ごろの寂しさと信太郎への思いをぶ    つけるような大声で「信太郎」と叫び    続ける。 46、車の中    うつむいて座る信太郎、みつがくれた    紙袋の中を探る。ピカピカの床屋用の    はさみが入っている。    と、何かに気づいたような顔で、左の    窓の外を見る。    道の左側を線路が走っている。    窓を開ける信太郎。    SLの汽笛。 47、線路沿いの道    煙をもうもうと吐きながら、SLが後    ろから追いついてくる。 48、車の窓・外側    窓から身を乗り出すようにしてSLを    見る信太郎。 49、線路沿いの道    SLがたちまち追い抜いていく。車か    ら信太郎が見ている。    道は右に、線路は左に曲がって分かれ    ていく。 50、車の中    遠ざかっていくSLを窓から見る信太    郎。SLは林の中に消える。 51、床屋・店内    初夏。窓は開け放たれ、背の高い扇風    機が回っている。ラジオから流れるグ    ループサウンズ。    忠吉(36)と信太郎(16)と中村    栄治(19)と日野守(17)は、白    いワイシャツに黒いズボン姿。散髪用    のいすは三つ。忠吉は客の高倉十郎    (45)のえりをそっている。栄治は    ほかの客の髪を切り、守はもう一人を    シャンプーしている。長いすで客が一    人、漫画を見て待っている。    信太郎、足元をほうきで掃いていたか    と思うと、長いすで待つ客に麦茶を出    す。きびきびと動いている。 高倉「夏が始まったばかりだっていうのに、  こう暑くっちゃかなわないねえ」 忠吉「ほんとですねえ」    と、ぱっと手を信太郎の方に差し出す。    信太郎、慌てて蒸し器から蒸しタオル    を出そうとして、大声で 信太郎「あっち!」 忠吉「慌てるからだ。先へ先へ準備しとけっ  て言ってるだろ」 信太郎「(はきはきした声で)すみません」 忠吉「(高倉に)すみませんねえ、驚かせち  まって」 高倉「いいよ、いいよ、いつも元気があって  いいぞ、信ちゃん」    その一言で空気が緩み、栄治と守も笑    顔になる。そこへランドセルを背負っ    た松村あかり(11)が店の扉を開け    て帰ってくる。左足が悪く、びっこを    引いている。 あかり「父ちゃん、ただいま。ねえ、見て見  て」    画用紙の絵を両手で掲げて鏡越しに忠    吉に見せる。髪を切る忠吉の絵が描い    てある。 高倉「それ、お父ちゃんかい?」 あかり「うん、おいちゃん、花丸だったんだ  よ。ほら」    画用紙を裏返すと、赤ペンで花丸が付    けられている。 高倉「一人娘が絵かいてくれて、花丸だとよ。  おい、忠さん、泣けるね」 忠吉「いやあ」    心からうれしそうな笑顔。 52、床屋の中庭    晴天。信太郎と松村早苗(35)が店    のタオルを干している。 早苗「信ちゃん、もういいから遊びに行っと  いで。せっかくの休みなんだから。あとは  やっとくからさ」 信太郎「(明るい声で)は、はい」    そこへあかりがランドセルを背負って    帰ってくる。びっこを引いている。 あかり「あ、信ちゃん、どっか行くの? デ  パート? 私も連れてって」 早苗「何言ってるの、あかり。あんた、かば  ん置いて手伝って」 あかり「えーっ、やだ。私、信ちゃんと行く  もん」 早苗「信ちゃんに迷惑でしょ」 あかり「そんなことないよね、信ちゃん」 信太郎「はあ」 早苗「信ちゃん、いいから行きなさいって」    信太郎、ぺこりと頭を下げて行く。 あかり「何よー」 53、駅の改札口    信太郎、期待たっぷりの顔で改札を通る。 54、駅のホーム    目を輝かせる信太郎。    黒光りするSL。 客車に人が次々乗り込んでいく。 55、SLの客車・前    ほかの客に続いて乗り込む信太郎。 56、客車・デッキ    信太郎、座席がある客車内をのぞきこ    み、後ろから乗り込んでくる客の邪魔    になる。 信太郎「すみません」    と言いつつ、楽しくてしょうがない。    笛の音。    信太郎、慌てて外へ。 57、ホーム    SLを見送る信太郎。    駅員と合図をかわしSLを出発させる    運転士。    信太郎、羨望のまなざしで見ている。 58、SL    吐き出される煙。    ゆっくり動き出す車輪。 59、ホーム    見送っている信太郎。    去っていくSL。    信太郎、爽快な笑顔で帰る。 60、繁華街の通り(夕)    カップルや若者たちの群れ。    ビルの植え込みの縁に、ちょっとさび    しげな表情で腰掛けている信太郎。    ポケットから、ハンカチにくるんだ物    を出す。ハンカチを開けると、中身は    ピカピカのはさみ。    それをじっと見る信太郎。    すばやくハンカチでくるみ直すとポケ    ットに入れ、歩き出す。 61、カレー屋・前(夕)    店から中年の男たちが出てくる。    「カレー150円」の看板。    信太郎、入っていく。 62、同・中(夕)    カウンターだけの店内。中年男たちと    肩を触れ合うようにして座っている信    太郎。 店主「へい、カレー大盛り、お待ち」    とカレーの皿を信太郎の前に差し出す。    信太郎、急にうれしそうな顔になって、    皿を受け取る。    湯気の上がるカレー。    早速うまそうに食べ始める信太郎。 店主「あんちゃん、うまそうに食うねえ。先  週も来てくれたよね」 信太郎「(はきはきと)はい」 店主「そんなにあれかい? カレー、好きな  のかい?」 信太郎「食べられるものの中で2番目に好き  です」 店主「うれしいね、どうも。あれっ?」    と皿をのぞき込む。    すっかりカレーの減った皿に、福神漬    けだけ、そっくりよけてある。 信太郎「すいません。漬け物は駄目なんです」 店主「いいやな、嫌いがあるから、好きもあ  るってもんだ。カレーが2番なら、一番は  何だい?」 信太郎「青いソーダのアイスです」 63、映画館・前(夜)    映画看板は「荒野の7人」。    売り場に「大人500円」の文字。    入っていく信太郎。 64、同・中    暗がりの場内は満員。拳銃を撃ち合う    音が鳴り響いている。    芝居小屋の売店があったのと同じあた    りを見る信太郎。 65、(フラッシュ)売店で働くみつ 66、元の映画館内    元の暗がり。 67、同・横の壁際    立ち見しながら、青いソーダのアイス    キャンディーの袋を開けて、うれしそ    うにながめる信太郎。ひとなめする。 68、床屋・店内(夜)    信太郎を散髪用のいすに寝かせ、守が    ひげそりの練習をしている。栄治が横    からのぞきこんでいる。 信太郎「い、痛(いて)て」 守「くそっ、動くな」 栄治「守、おめえ、ほんとに不器用だなあ。  これはなあ」    と手ほどきしようとする。    そこへあかりが奥から来て あかり「あっ、信ちゃん、血が出てる」    と、慌ててびっこを引きながら隅の棚    のところまで行き、塗り薬を出して信    太郎の顔に塗ろうとする。 信太郎「(起き上がって)いいよ、自分で塗  るから」 守「いいなあ、信太郎だけ」    と言うと、あかりは顔を赤くして あかり「だって、血が出てるんだもん」 守「俺もさっきは信太郎の練習台になったん  だよ。あかりちゃん、血ついてない?」    と、あかりの方に顔を突き出す。 あかり「付いてない! ばか!」    と薬を信太郎に渡すと、急いで奥にひ    っこんでしまう。 信太郎「(少し嬉しくなって)あかりちゃん、  僕にだけ優しいですか?」 守「ばか、あかりちゃんはみんなに優しいん  だ。だから足を」    と言ったところで、すかさず栄治が声    を落として守に 栄治「しっ、親方に聞こえるぞ」 信太郎「(声を落として)あの、あかりちゃ  んの足、ですか?」 栄治「車にはねられそうになった猫を助けよ  うとして、はねられたんだとよ。4歳のと  き。この店のまん前でな」 信太郎「猫、ですか」 栄治「親方の前では絶対この話すんなよ」 信太郎「あ、はい」 栄治「絶対にだぞ」 69、繁華街の大通り    雨。傘をさした信太郎、郵便ポストに    葉書を入れる。あかりが傘をさしてそ    ばに立っているのに気づく。    信太郎、慌てて駆け寄り 信太郎「ど、どうしたの?」 あかり「へへ、ついてきちゃった」 信太郎「学校は?」 あかり「夏休みだもん」 信太郎「親方は知ってるの?」 あかり「ううん」 信太郎「おかみさんも?」 あかり「内緒に決まってるじゃん」 信太郎「内緒? ええー?」    と、大いに困った顔。 70、駅のホーム    止まっているSL。ぱらつく雨。    信太郎、得意げにあかりに説明を聞か    せている。二人とも手に傘。 71、SLの前 信太郎「(運転席を指差して)あそこにでっ  かい釜があってね、石炭を次々と放り込ん  で蒸気をこしらえるんだ」 あかり「へえ、格好いい」 信太郎「だろ、運転士は最高だぜ」 あかり「ううん、信ちゃん、なんか格好いい  よ」 信太郎「えっ、いやあ、そうかなあ」    と照れる。 72、カレー屋・中    信太郎とあかり、カウンターで並んで    カレーを食べている。 店主「きょうは妹さんと一緒かい?」 信太郎「えっ、あ」 あかり「はい」    と店主に愛想のいい笑顔を見せる。 店主「妹さんは福神漬け食べてるね、おい、  兄貴よ」 信太郎「うん? いや……」 あかり「信ちゃんって、福神漬け食べられな  いの?」    信太郎、店主をちょっとにらんだり、    赤くなったりする。 73、映画館の中    青いソーダのアイスを手に信太郎とあ    かり、並んで映画を見ている。    大笑いしているあかり。信太郎もうれ    しそうに笑う。 74、床屋の近く(夜)    傘を手に帰ってきた信太郎とあかり。    二人の姿を見つけるや、すごい形相で    駆けてくる忠吉と早苗、栄治、守。 忠吉「あかり、こんな遅くまでどこ行ってた  んだ。信太郎、お前が連れ出したのか?」 信太郎「すいません」 あかり「私がついていったの。映画見たんだ  よ、SLも。面白かったよ」 忠吉「馬鹿野郎! どんなに心配してたか」 早苗「そうよ、警察に行こうかって。信ちゃ  んも連絡ぐらいできるでしょ」 信太郎「すいません」 あかり「何よ、父ちゃんも母ちゃんも。信ち  ゃんは悪くないの」 忠吉「お前は黙って家に入れ!」 あかり「何でよ! 父ちゃんは映画になんて  連れてってくれないでしょ。デパートに行  ったら、みんなが私の足を見たからって。  釣りとか、人のいないとこばっかり。(し  だいに泣き声になり)私は平気なんだから  ね。人に足見られたって平気なんだから」    と言ったあとは、ただ泣くあかり。 忠吉と早苗「あかり……」    栄治と守、間が悪そうに立っている。    信太郎、ショックを受けたような表情    であかりの横顔を見つめている。 75、床屋の店内(深夜)    大晦日の除夜の鐘がテレビ中継されて    いる。 テレビのアナウンサーの声「間もなく新しい  年、昭和42年がやってきます。みなさん  にとって新しい年が……」    忠吉が、高倉を送り出している。 高倉「こうやってさっぱりしといて初詣って  のが最高なんだよ」 忠吉「ありがとうございました。よいお年を  お迎えください」 信太郎・栄治・守「ありがとうございました」    高倉が出て行くとすぐ、 忠吉「さあ、急いで片付けたら、ちょいと腹  ごしらえして寝て、始発で帰ってくれよ。  3日からまた仕事だからな」 信太郎・栄治・守「はい」 忠吉「信太郎は初めての里帰りだな」 栄治「母ちゃんに甘えてこいよ」 守「こいつ、母ちゃんに葉書まで出したんで  すよ。帰るよって。なあ、信太郎」    信太郎、赤くなる。 忠吉「(奥の部屋に向かって)おーい、おせ  ちと雑煮頼むぞお」 あかりの声「はあーい」    と言ったが早いか、あかりが奥から顔    を出して あかり「おいしいのできてるよ。母ちゃんと  私が作ったんだから。早く食べて」 忠吉・信太郎・栄治・守「(いっせいに)は  ーい」 76、SLの車内・座席(朝)    すいている。    信太郎、寝不足であくびは出るのに、    うれしくてたまらないという顔で座っ    ている。    車掌が来ると、両手で切符を差し出し、    動きのいちいちをじっと観察する。 77、SLの車内・通路(朝)    信太郎、前の車両へ、前の車両へと移    動していく。 78、客車の先頭車両内(朝)    一番前の窓から、前をのぞく信太郎。    石炭を積んだ車両は見えるが、その向    こうのSLは煙突が見えるくらい。    信太郎、それでも一生懸命に前をのぞ    く。    先頭の座席の中年の女が、いぶかしげ    に信太郎を見る。    いかにも楽しそうに、なお窓の前をの    ぞく信太郎。 79、故郷の駅のホーム    一面の雪景色。降り立つ信太郎。    手に赤い紙袋を2つ持っている。    信太郎、SLが出て、消えるまでずっ    と見送っている。 80、宗助宅・前    信太郎が歩いてきたところへ、玄関か    ら啓吾(17)が飛び出してくる。啓    吾は足袋をはき、大工の法被姿。家の    奥に向かって 啓吾「じゃ、行ってくるからよ」 加世(42)の声「(家の奥から)遅くなる  んじゃないよー」 啓吾「分かってるよ、うるせーな」    と、ここで信太郎に気づき、 啓吾「信太郎、いつ帰ってきた?」 信太郎「(笑顔をつくり)うん、さっき」 啓吾「(家の中をあごで指し)のぞいていけ  よ。姉ちゃんも大阪から帰ってきてるし。  俺は初詣でな。これとな(と小指を立てる  と)じゃな」    と走って行ってしまう。    加世が走り出てきて、 加世「啓吾、啓吾! あんた手ぬぐい忘れて  るよ。ったく」    と言ったとたんに、信太郎に気づき、 加世「信ちゃん。今、帰ってきたのかい?」 信太郎「(おじぎして)はい」 加世「みつさん、首長くして待ってるよ。早  く行ってやんな」 信太郎「(笑顔で)はい。あのこれ」    と赤い袋を一つ差し出す。 加世「うちにかい?(と袋を受け取り)信ち  ゃん、あんた大人になったねえ」     81、三郎宅近くの道    歩く信太郎。    三郎宅が見えてくる。    笑顔が沸いてくる。 82、三郎宅・居間    こたつに入っているみつ(38)、節    子(45)、三郎(49)。節子は、    男物の老眼鏡をかけて年賀状を読んで    いる。三郎は横になって、うたたねし    ている。    みつ、新聞を前に開いているものの、    ぼんやりとして読んでいない。壁の時    計を見る。 83、三郎宅・前    信太郎、ひとつ深呼吸する。 84、同・居間    みつ、三郎、節子。 節子「みつさん、そろそろ信ちゃん、来ても    いいころだよねえ」    と言ったところで、「カラカラ」と玄    関の開く音。 信太郎の声「ごめんください」    ぱっと立ち上がるみつ。 85、同・玄関    信太郎が緊張した面持ちで赤い紙袋を    手に立っている。みつ、奥から来て みつ「(笑顔で)信太郎」    節子もすぐ来て、 節子「何、立ち話してんのよ、信ちゃん寒か  ったでしょ、早く入って」 信太郎「あ、はい」    おずおずと頭を下げる信太郎。 86、同・居間(夕)    こたつを信太郎、みつ、三郎、節子で    囲んでいる。おせちと雑煮、みかんな    どが並ぶ。4人ともなごんだ顔。    節子、赤い紙袋を開ける。信太郎が手    元を見ている。あられが入っている。 節子「あられだよ。都会のあられはまた違う  味だよ、ね、信ちゃん」 三郎「なんか上品な感じするなあ」    みつ、にっこりする。 節子「なによ。なんだか二人とも静かねえ。  もっと話したらいいじゃないか」 三郎「(節子をひじで軽く押し、小さな声で)  余計なこと言うなよ」 節子「何よ、うるさいわね。かわいいわが子  が帰ってきたんじゃないの」    笑顔で信太郎を見るみつ。微笑む信太    郎。 節子「そうだ」    と言うと、すばやくこたつから出て、    隣の台所から何か取ってくる。 節子「これ食べなよ。みつさんがこしらえた  ラッキョだよ、これが甘くておいしいんだ  よ。お袋の味だよ」    と小皿のラッキョを勧める。    信太郎、どぎまぎして救いの手を求め    るようにみつを見る。 みつ「これはわりにうまくできてね。よかっ  たら食べてみて」    信太郎、みつと節子、それに三郎の笑    顔を見て、小皿のラッキョを見つめる。 87、同・トイレの前(夕)    閉まったトイレの扉の向こうから、信    太郎のうなるような声。 節子「(扉の中に向かって)大丈夫かい?   信ちゃん」    みつ、横にうなだれて立っている。 88、同・みつの部屋(夜)    信太郎とみつ、布団を並べ、横になっ    ている。    信太郎、みつに背を向けて、目を開け    ている。    その背を見ているみつ、やはり目を開    けている。 みつ「そんなにしょげなくてもいいんだよ。  漬け物が食べられないくらい、恥ずかしい  ことじゃないから」 信太郎「……」 みつ「信太郎らしくないよ。あんたは元気で」    信太郎、飛び起きると、 信太郎「俺らしいって何だよ。俺の何を知っ  てるって言うんだ。漬け物は昔っから食べ  られないんだ。それも知らないじゃないか」    驚いて信太郎の顔をただ見るみつ。    信太郎、そんな風にきつく言ってしま    った自分に驚くような顔で、黙り、う    なだれる。 89、同(早朝)    目を覚ますみつ。信太郎の姿がない。    布団がきれいにたたんである。 90、SLの客車の中(早朝)    デッキに立っている信太郎はかたく、    寂しげな表情。    故郷の風景が窓の外を過ぎていく。    信太郎、車内の壁に頭を打ち付ける。 91、商店街の通り    秋。街路樹のイチョウが黄色く色づき    始めている。 92、床屋・店内    ピカピカのはさみで、高倉(49)の    髪を切っている信太郎(20)。髪を    やや伸ばし、一人前の身のこなし。    忠吉(40)も隣りで境博史(40)    を散髪している。    散髪用のいすは3つ。一つは空いてい    る。 高倉「(鏡越しに忠吉に向かって)なあ、忠  さんよ、修行中の若いの2人ともいっぺん  に辞めたんだって?」 忠吉「はあ」 高倉「こらえ性がないねえ」 忠吉「私のやり方が時代遅れかなって」 高倉「そんなことねえさ、なあ境カメラ」 境「そうそう」 高倉「信ちゃん、お前さん、いくつになった  っけか」 信太郎「はたちです」 高倉「はたちか。なあ、こうやって一人前に  なったのは忠さんが厳しくしてくれたおか  げだよな」 信太郎「(うなずいて)はい」 高倉「でも信ちゃんは大事にしたほうがいい  やな。信ちゃんに出ていかれたら、それこ  そ大変だ。なあ、忠さん」 忠吉「え、ええ」 境「信ちゃん、SL、毎週行ってるの?」 信太郎「あ、はい」 境「ハーフカメラ、あれよく写るでしょ」 信太郎「ええ、いいです」 境「8ミリカメラやりたくない?」 信太郎「えっ、でも手が出ませんから」 境「今うちに、すごい掘り出しもんがあるん  だけどなあ」 信太郎「いや、まだ今のでいいんです」 境「そうお?、いい8ミリなんだけどなあ」    境、忠吉を見る。 高倉「おい、頭刈ってもらいながら、商売す  るんじゃねえ」 境「いや、別に商売してるわけじゃないです  よ。高倉さんだって、この前、コーヒー屋  でいいタンスがある、いいタンスがあるっ  て言ってたじゃないですか」 高倉「そ、そりゃあお前、家具屋がタンスの  話してどこが悪い」 忠吉「……」    忠吉、信太郎をチラリと見る。 93、床屋の2階の職人部屋(夜)    6畳間。荷物が片隅に整頓して置かれ    ている。    壁にはSLのポスター。    小さな棚にSLの写真集や雑誌が20    冊ほど、きちんと並べてある。    畳の上にアルバムが一冊開いてあり、    SLの写真がきちんと整理されている。    寝転んでハーフカメラのシャッターを    切りながら、SLの撮影を思い浮かべ    ている信太郎。 忠吉の声「入っていいか?」    信太郎、起き上がって 信太郎「どうぞ」    忠吉が茶色いカメラバックと段ボール    を抱えて入ってくる。畳に置いて 忠吉「これな。境カメラがうるさくってよ。  いいカメラだからってさ」    と言ってバックを開ける。中から8ミ    リカメラを、ダンボールからは映写機    を出しながら、 忠吉「同級生のよしみで買ったはいいけど、  すぐ使うあてもねえし、良かったら使わね  えかと思ってさ」 信太郎「ええ?」 忠吉「8ミリでSL撮りたいんだろ?」 信太郎「本当にお借りしていいんですか?」 忠吉「ああ」    信太郎、忠吉がバックから取り出した    フィルムの緑色の小箱を2つ、手に取    り、 信太郎「これ、フィルムですよね。初めて触  りました。すごいです。すごい」    と、子供のようにはしゃぐ。 94、電車の中(夜)    8ミリのカメラバックを持って乗り込    んでくる信太郎。細い三脚を一緒に持    っている。うきうきした表情。 95、床屋の居間(夜)    パジャマ姿のあかり(15)が頭をタ    オルで拭きながら来る。早苗(39)    は女性週刊誌をテーブルで見ている。    忠吉はビールを飲みながら、テレビの    スポーツニュースを見ている。 あかり「ねえ、信ちゃん、もしかして出かけ  たの? 行ってきますって聞こえたけど」 早苗「夜行でSL撮りに行くんだってさ。な  んだか遠くまで行くらしいよ」 あかり「ええー? あした店が休みだから、  夕方から、映画連れてってもらおうと思っ  たのに」 忠吉「あかり、お前、映画なんて行ってる場  合か? 高校受験だろ」 あかり「大丈夫。先生も合格間違いなしって  言ってるんだから。(男の先生の口真似で)  君は絵の才能だけはある。美術専攻なんて  ぴったりだ。(口調を戻して)ね、お母ち  ゃん」 早苗「まあね、でも油断しないでよ」 あかり「はいはい」 96、小さな駅舎・中(深夜)    電灯はついているが、ひっそりしてい    る。先に着いて新聞紙に横たわってい    る男のSLマニアAがいる。後からも    ちらほら男たちが来る。    ちょっとおどおどしながら、新聞紙を    敷いて腰を下ろす信太郎。 マニアA「おたく、どこから来たの? 初め  て見る顔だね」 信太郎「(笑顔になり)こんなに遠くまで来  るのは初めてなんです」。 97、小さな駅舎・中(明け方)    新聞紙をかぶって床でうとうとしてい    た信太郎、目を覚ます。マニアAが起    こしてくれている。まわりに人の姿は    ない。 マニアA「早くしないと。一番列車来るぞ」    と、さっさと出て行く。    信太郎、慌てて起き上がる。 98、小さな駅舎・前(明け方)    明けかかったばかりで、ほんのり赤い    朝焼けの空。見上げる信太郎。    線路に沿って坂を上がっていくマニア    たち。マニアAの姿も見える。    追いかける信太郎。 99、SLの線路沿い(早朝)    紅葉している山々。    10人ほどが横並びになってカメラを    構えている。本格的な一眼レフもいる    が、8ミリが多い。    信太郎は、8ミリを慌てて三脚に取り    付けている。    遠くに煙が見えてくる。 100、走ってくるSL(早朝)    坂を上り、猛烈に煙を吐いている。 101、もとの線路沿い(早朝)    どんどん坂を上り、迫ってくるSL。    マニアたちと並んだ信太郎、8ミリの    ファイダーをのぞいたり、カメラの横    から顔を出したりしながら、必死で準    備している。    マニアAは、慣れた様子でマニアBや    マニアCとあいさつを交わし、悠々と    8ミリを構える。    緊張した顔で8ミリを構える信太郎。    SLが目前を轟音とともに走り過ぎる。    信太郎、ファインダーから目を外し、    SLが去った方角を生き生きとした目    で見る。背後でマニアAとBが(最高    の場面だったな)と言わんばかりにガ    ッツポーズしている。 102、床屋・前    冬。雪が舞っている。高倉がジャンパ    ーのえりを首元に両手で寄せて、寒そ    うに小走りで来る。 103、床屋・店内    高倉、飛び込んでくる。 忠吉と信太郎「いらっしゃい」 高倉「(頭の雪を払いながら)冗談じゃねえ  ぜ、なんちゅう寒さだ。うう、寒っ!」 104、床屋・居間    石油ストーブの上のやかんから湯気が    上がっている。    テーブルをふいていた早苗、壁の時計    を見る。    忠吉、店から来て 忠吉「おい、まだ電話ないのか?」 早苗「まだに決まってるでしょ。発表は1時  なんだから」 忠吉「そ、そうだな」 早苗「あんたが心配したって、うかるっても  んでもないでしょ」 忠吉「心配なんかしてるわけねえだろ。あい  つは先生が、才能がある、太鼓判だって言  ってんだぞ」 早苗「何言ってるの、ここんとこ毎日、お稲  荷さんにお参りに行ってるくせに」 忠吉「あっ、えっ……」    と恥ずかしそうな顔。 105、高校の掲示板の前    雪が舞っている。受験生で埋まってい    る。その中に、あかりもいる。ざっく    りした赤いセーターを着ている。    男性職員2人が、合格発表の紙を張り    始める。ざわつく周囲。    緊張した面持ちのあかり。    手に持った受験票。    番号は「114」。    緊張した顔で番号を探すあかり。    「113」の次は「116」に飛んで    いる。顔色が一気に曇る。 106、床屋・居間(夜)    壁の時計をいらいらした顔で見る早苗。    「8時5分」。 107、床屋・店内(夜)    渋い顔をして、かみそりを研いでいる    忠吉。    信太郎は床にほうきをかけている。    奥から早苗が顔を出し、 早苗「ねえ、あんた、おかしいよ。こんな時  間まで連絡ないなんて」 忠吉「(うなるように)うん」 信太郎「俺ちょっと見てきます」 早苗「信ちゃん、心当たりあるの?」 信太郎「ともかく見てきます」 108、映画館・入り口(夜)    ラストの回が終わって人が出てくる。    信太郎、あかりを探す。    赤いセーターの女性の後姿を見た信太    郎、駆け寄って肩をたたくが、振り向    いたのは別人。 109、繁華街の大通り(夜)    道行く大勢の人たち。    きょろきょろしながら駆ける信太郎。 110、カレー屋・前(夜)    ガラス越しに店内を見る信太郎。    信太郎の顔に、安堵の表情が浮かぶ。 111、カレー屋・中(夜)    入ってきた信太郎、カウンターに座る。    隣にあかりが座っている。ほかに客は    1人。 信太郎「おやじさん、カレー一つ」    あかり、信太郎に気づくが、黙ってい    る。 信太郎「親方もおかみさんも心配してるよ」 店主「はい、カレーお待ち」    とカレーを差し出し、察するような目    で信太郎を見て、すっとひっこむ。信    太郎、食べ始める。 あかり「(ぐっと歯をかみしめるような顔で)  試験、落ちた」 信太郎「(うつむいて)うん」 あかり「私、お父ちゃんにもお母ちゃんにも  絶対受かるよって言ったの」 信太郎「(まじめな顔で)俺、あかりちゃん  がうらやましい」 あかり「えっ?」 信太郎「あかりちゃんが絵描きになりたいっ  て聞いて、いいなあって。一生続く夢だな  あって」 あかり「一生?」 信太郎「あきらめなきゃいけない夢もあるん  だよ」 あかり「信ちゃん」 信太郎「もったいないよ、そんないい夢、あ  きらめたら」    と、カレーを思い切りほおばる。 あかり「(信太郎の横顔を見ながら)……」 112、床屋・店内(夜)    信太郎とあかり、入ってくる。おろお    ろして待っていた忠吉と早苗。 忠吉「あかり!」 早苗「良かったあ」 忠吉「あかり、お前、何してたんだ」 あかり「(落ち着いた様子で)試験、落ちち  ゃった」 忠吉「……そんなことは、いい」 あかり「絶対受かるって言ったのにね」 忠吉「それは」 あかり「でも、わたし、夢あきらめたくない  の」    と言って、信太郎の顔をちらりと見る。    信太郎、見守るような真剣な顔。 あかり「専門学校があるんだ、夜間の。働き  ながら行くから……だめかな?」 忠吉「いや、それは」 早苗「いいよ、もちろん。大好きなことなん  だから、ねえ、あんた」 忠吉「うん」    と、うなずく。 あかり「ありがとう」    早苗、あかりを抱きかかえるようにす    る。信太郎、温かくほほえむ。 113、商店街の通り・桜の下(夜)    春。通り沿いの庭から垂れた桜は満開。    街灯で薄桃色に美しく見える。    画板とかばんを提げてびっこを引いて    帰ってくるあかり(16)、何かに気    づいて立ち止まる。    信太郎(21)がポストに葉書を入れ    ようとして迷っているのが見える。    見ているあかり。    信太郎、葉書を入れないで尻ポケット    にねじこんでしまう。    あかり、信太郎のただならぬ様子に声    をかけられない。 114、三郎宅・みつの部屋(夜)    みつ(43)、ちゃぶ台で手紙を書い    ている。手紙に「信太郎」の文字が見    える。    書く手が止まる。ひとつため息。手紙    を丸める。思い悩む顔。    節子(45)の声「みつさん、入るよ」    節子、お茶を2つのせた盆を手に入っ    てきて、 節子「信ちゃんに書いてるの?」 みつ「えっ……はい、でも、どう書いたらい  いか、分からなくて」 節子「なんだっていいじゃないの。実の息子  なんだもん」 みつ「でも、私、本当に母親なのかなって思  うんですよね」 節子「えっ?」 みつ「考えれば考えるほど、私、あの子のこ  と、何も知らない気がするんです」 節子「みつさん……」 115、小さな駅舎・前    大きな桜が満開になっている。    それを8ミリで撮っている信太郎。    通り過ぎて行くマニアたち。マニアA    やBも笑顔で信太郎とあいさつを交わ    していく。    信太郎は一人、撮影を続けている。    ちょうちょが舞っている。    春の香りがいっぱいの山の景色。    撮り続ける信太郎。 116、SLの客車内    行商の荷物をかたわらに置いて座って    いるみつ、窓の外をぼんやり見ている。 117、SLの線路沿い    マニア10人ほどが横並びになってい    る。信太郎が三脚を立てて、8ミリを    構えている。マニアA、B、Cと何や    ら言葉を交わし、すっかり慣れた雰囲    気。    もうもうと煙を上げて、近づいてくる    SL。    信太郎、8ミリのファイダーをのぞく。 118、SLの客車内    窓際にみつ。隣に、同じ行商スタイル    の節子。 節子「あれ、きょうはまたカメラの人がたく  さんいるわねえ」    窓の外に撮影しているマニアたちの姿    が見える。    その前を通り過ぎるが、信太郎は8ミ    リをのぞいているため、みつはその存    在に気づかない。 119、SLの線路沿い    信太郎、ファインダーから目を離すと、    SLを見送りながら、 信太郎「母さん?」    遠く、小さくなるSL。 120、暗闇    突然、迫り来るSLの8ミリのモノク    ロ映像。 121、床屋の2階の職人部屋(夜)    信太郎、SLの8ミリ映像を白い紙を    張った壁に投影し、一人で見ている。    うれしそうな顔。 122、職人部屋の窓・外側(夜)    窓からSLの8ミリ映像が素通しで見    える。 123、あかりの部屋(夜)    部屋は2階の、職人部屋の斜め向かい    に位置する。描きかけの油絵が立てか    けてあったり、絵の具が机の上に置い    てあったりする。窓際に腰を下ろし、    職人部屋の窓のSLの映像を見ている    あかり。    ほほえんでいるあかりの顔。 早苗(40)の声「信ちゃーん、ちょっと降  りてきてー」 信太郎の声「はーい」    職人部屋の電灯がつく。信太郎の姿が    窓越しにちらりと見える。 124、床屋の2階の廊下(夜)    階段のところで階下の気配をうかがう    あかり。 早苗の声「さっきから画面がザーッとなって。  この人ったら、テレビはたたけば直るなん  て言ってバンバンやるもんだから」 125、床屋の居間(夜)    早苗と忠吉(41)、画面が消えてし    まったテレビの前に立っている。テレ    ビの前にかがみこんでいる信太郎。 忠吉「この前は、それで直ったじゃねえか」 早苗「あんたは黙ってて! ねえ、信ちゃん、  裏側とか見てやってくれない?この人が壊  しちゃったかも知れないけどさ」 信太郎「はい」    とテレビを動かそうとする。 126、2階の廊下(夜)    あかり、足音を忍ばせて、職人部屋の    方に行く。 127、職人部屋(夜)    そおっと入ってきたあかり、映写機を    見てスイッチを探し、適当に回してみ    ると、突然動き出す。    びっくりしながらも電灯を消して、映    像を見るあかりの顔に、感激の表情が    広がる。 あかり「きれい」    と笑顔で漏らすと、じきに真面目な顔    に変わる。    じっと見るあかり。    白い紙の「スクリーン」に小さな男の    子が映る。    行商の女性が、男の子の手を引いて列    車に乗り込んで行く。    考えこむあかり。 128、商店街の通り・桜の下(夜)    初夏。通り沿いの庭の桜は濃い緑色の    葉を付けている。軒先の風鈴が、涼し    げな音を響かせている。    画板とかばんを提げ、びっこを引きな    がら帰ってくる半袖姿のあかり、何か    に気づく。 129、商店街の通り・ポストの前(夜)    はがきを手に投函するかどうか迷って    いるTシャツ姿の信太郎。 あかりの声「何やってるの?」    信太郎、驚いて振り向くとあかりが立    っている。 あかり「それ、もしかしてラブレター?」 信太郎「ええ?」 130、公園(夜)    信太郎とあかり、コーラを手にブラン    コに並んで腰掛けている。 あかり「だいたい、ラブレターを葉書で出す  やつなんていないか。(独り言で)良かっ  た」 信太郎「えっ?」 あかり「ううん。相手はお母さん、かな。行  商してるんだよね」    信太郎、黙る。 あかり「なんで出さないの? はがき。お母  さんのこと、嫌いじゃないでしょ?」    信太郎、あかりの顔を見る。 あかり「お正月だって、SL撮りに行っちゃ  って帰らないでしょ。SLなんて、毎週撮  りに行ってるじゃない」    信太郎、大きく息を吸い込むと、夜空    を見上げ、 信太郎「俺、母ちゃんと暮らした記憶がない  んだ」    星が見える夜空。 信太郎「(空を見たまま)でも、地元の芝居  小屋でたまに映画があるとね、売店で母ち  ゃんが働いてて、俺、タダで入れてもらっ  たりして」 あかり「へえ」 信太郎「(空を見たまま)アイス、買ってく  れたりしてね」 あかり「だから、好きなんだね。あれでしょ、  青いソーダのアイス」    信太郎、恥ずかしそうにちょっと笑顔    になる。 あかり「次のお正月は帰って、お母さんと話  したら? 葉書とかじゃなくてさ」 信太郎「(苦笑いして)俺、母ちゃんのこと、  ちっとも知らないからさ。母ちゃんも俺の  こと知らないし。会うと、ついけんかしち  ゃったりして」    あかり、ブランコを下りて信太郎のそ    ばに行くと、ブランコの鎖を握ってい    る信太郎の手を、両手でそっと包み、    信太郎の目を見る。驚いたようにあか    りの目を見る信太郎。 131、床屋・店内    客用の長いすに、高倉(50)と境    (41)。向かい合わせに丸いすを置    いて忠吉。客一人を信太郎が散髪して    いる。あかりが外から帰ってくる。赤    いシャツに、「パンの池田」と胸に書    いた白いエプロン、かわいい帽子。す    ごく急いで来たらしく、息を弾ませて    いる。 あかり「ちょっと、お父ちゃん、なーに?   急に呼び出してさ。パン屋って午後は忙し  いんだよ」 忠吉「いいから、こっち来て」 あかり「(高倉と境に)あっ、こんにちは」 高倉「どうもね」 境「どうも」 忠吉「来月の夏の商店街まつりのポスター、  描(か)いてほしいんだとよ」 あかり「本当?」 高倉「引き受けてくれるかな?」 あかり「うわーっ、うれしい」    高倉と境も笑顔。    あかり、さらにとてもいいことを思い    ついたという顔で、忠吉を避けるよう    に高倉と境に近づいて、 あかり「(小声で)これって、出し物は全部  決まっちゃったんですか?」    境の顔を見る高倉。 境「(小声で)いや、最終的にはまだ。何か  いい企画でもあるの?」    信太郎の方をちらっと見るあかり。    一心に散髪している信太郎。 あかり「(高倉と境に小声で)あの、境さん  のお店に行って話しません?」 境「いいけど」 高倉「ああ」 忠吉「何だ、何だ? 俺には内緒なのか?」 あかり「じゃ、行きましょ。お父ちゃんはい  いから、仕事、仕事」    と、忠吉を振り切り、高倉と境を押し    出すように出て行く。 132、あかりの部屋(夜)    あかり、ポスターを熱心に描いている。    「SL映画」の「画」の文字を描き終    わるところ。 133、街の駅(早朝)    電車に乗り込むあかり。 134、信太郎の故郷の駅・ホーム    まだ午前中の陽光。    SLから降り立つあかり。    初夏の山の風景。    まぶしそうに手をかざすあかり。 135、床屋・店内(夜)    忠吉は店の後片付けをしている。信太    郎はほうきをかけている。    あかり、帰ってくる。 忠吉「あかり、お前、けさ、えらく早く出て  ったと思ったら、パン屋休んだんだって?  どこ行ってた」    あかり、慌てて忠吉の口を手でふさぎ、 あかり「ちょっとお父ちゃん、奥に行こう」    と、すごい力で奥へ押していく。忠吉、    あかりのすごい剣幕に「なんだよ」と    言いながらも奥へ。    信太郎、不思議そうな顔でちらりと見    るが、そのままほうきをかけている。 136、床屋・居間(夜)    忠吉とあかり、早苗がテーブルを囲ん    でいる。 忠吉「(大声で)なんだ、そうだったら、言  っといてくれりゃあ、いいじゃねえか」 あかり「(口元に人差し指を添えて)しっ。  信ちゃんに聞こえちゃうでしょ。だからお  父ちゃんには言わなかったの」 忠吉「……」 早苗「で、うまくいったのかい?」 忠吉「(また大声で)何だ?お前は知ってた  のか?」 あかり・早苗「(人差し指を口元に添えて)  しーっ」 忠吉「だけど、一度も人に見せたことないん  だぞ。俺だって見たことない。信太郎がう  んって言うか?」 あかり「それなら大丈夫。私に任せといて」 137、床屋・店内    信太郎と忠吉、客の散髪中。    あかりが外から飛び込んでくる。両手    にポスターを10枚ほど持っている。 あかり「できたあ、お父ちゃん、信ちゃん、  できたよー」    と、ポスターを客用の長いすの前のテ    ーブルに広げる。    商店街の絵に、走るSLの絵などが組    み合わせられていて、上に表題の「夏    の商店街まつり」。その下に「SL映    画上映会 多田信太郎監督作品ほか名    作多数」と書かれている。 忠吉「へえ、信太郎のSL、上映するのか」    と、いかにも演技と分かる妙なものの    言い方をする。 信太郎はびっくりして、あかりに 信太郎「何?これ」 あかり「もう商店街に30枚も張ったんだか  ら。これから隣町に張りに行くんだ」 信太郎「ちょっと待ってよ。俺の8ミリなん  て、見せられないよ」 あかり「なんで?」 信太郎「馬鹿にされるに決まってるよ」 あかり「信ちゃんのだけじゃないの。いつも  一緒に撮ってるんでしょ、SLの好きな人  たち。みんなに作品を持ってきてもらうの」 信太郎「みんな?」 あかり「みんな喜ぶわよー。作品は発表しな  きゃ」 信太郎「えー? でもなあ」 138、商店街(夕)    「夏の商店街まつり」の横断幕がかか    っている。あちこちに「大安売り」の    札が見える。ワゴンセールや飲食コー    ナーを出す店もある。家族連れらが、    たくさん歩いている。 139、野外上映会場(夕)    商店街の広場。スクリーンが立ててあ    り、パイプいす50ほどの客席は大半    が埋まっている。    汽笛の音。    蒸気機関車の走る音。    スクリーンにSLの映像が映し出され    ている。 140、映写機の横(夕)    汗だくのマニアAが映写機にへばりつ    いて投影している。 141、客席(夕)    マニアBとCが真剣な顔で見ている。    周りにもSLマニアらしき人物がひし    めいて、ざわざわ言っている。 マニアB「おいおいおい、音がいいんじゃな  いの?」 マニアC「やるねえ」 142、売店(夕)    小さな電灯の下、エプロン姿の商店街    の奥さんたちが、冷たい飲み物やアイ    スキャンディー、ポップコーンやポテ    トチップなどを売っている。売り声は    なし。    あかりもエプロン姿で立っている。 143、スクリーンの裏(夕)    店の半袖シャツに真っ赤なネクタイを    した信太郎、がちがちに緊張した顔。    スクリーン横から客席をのぞいていた    高倉、振り返り、 高倉「盛り上がってるぞ、信ちゃん、次だか  らな」 信太郎「僕、やっぱり、あいさつなんてでき  ないです」 高倉「何言ってんだ。お仲間はみんな、あい  さつしてるじゃねえか。腹に力入れて、し  っかりしろしっかり」 信太郎「(力なく)はい」 144、上映会場(夕)    フィルムに「終わり」の文字。    映写機の横でマイクを持ったマニアA    にスポット照明が当たる。    境が撮影用の照明を当てている。 マニアA「ごらんいただきまして、ありがと  うございました。こんな幸せな発表ができ  るなんて夢にも思いませんでした」    会場から大きな拍手。マニアBとCは    ひときわ大きな拍手。 145、スクリーンの裏(夕) 高倉「さあ、出番だぞ」    信太郎、大きく速く深呼吸している。 146、売店・前(夕)    きょろきょろと客席を見渡すあかり。    「あけぼの商店街」と書かれた法被姿    の忠吉が来て 忠吉「来たか?」    あかり、首を振る。 忠吉「遅いじゃねえか。まさか気が変わった  んじゃねえだろうな」。 あかり「(エプロンを外して忠吉に押し付け)  私、大通りまで見に行ってくる」    と駆け出していく。 147、スクリーンの前(夕)    信太郎、がちがちに緊張した顔で出て    くる。マイクを渡され、 信太郎「あのー」    客席に戻ったマニアAがさっそく、 マニアA「待ってました真打ち」 マニアB「ぶちかませー」    沸き起こる拍手。 信太郎「あ、いや、あの、僕のSLは、あの、  自分のために、あの、撮った」 栄治の声「あいさつはいいよー、信ちゃん」    客席の中央に栄治。 信太郎「栄治さん。来てくれたんですか」    とマイクを持ったまま、言ってしまう。 守の声「俺もいるぞー」    と栄治の隣で手を振る守。 信太郎「守さん」    笑顔になる信太郎、 信太郎「じゃ、始めます」 148、映写機の横(夕)    信太郎、緊張した面持ちでスイッチを    入れる。スクリーンに光の帯が伸び、    ビートルズの音楽がBGMで流れる。    再び沸く拍手。 149、大通りの商店街入り口(夕)    あたりを見回していたあかり、大きく    ため息をついて、引き返そうとする。    そこへ4トントラックが猛スピードで    来て急停止する。振り向くあかり。    助手席から、みつ(43)が顔を出し みつ「ごめんなさいね、遅くなって」 あかり「あー、良かったー」    運転席から啓吾(22)が、さっと降    りてきて、助手席のドアを開けつつ 啓吾「いやあ、都会の道は分かりづれえな」    みつの後ろから、銀二(70)が顔を    のぞかせて 銀二「どうも」 150、映写機の横(夕)    信太郎、スクリーンを真剣な顔で見て    いる。額に汗。    スクリーンにSLのモノクロ映像が大    きく映し出されている。 151、客席(夕)    あかりに連れられたみつと啓吾、銀二    が来る。    忠吉と早苗が駆け寄っておじぎする。    みつら3人も急いでおじぎを返し、忠    吉の案内で、最後尾のすぐ前に並んで    座る。 152、映写機の横(夕)    SLの「生録」した音が急に大きな音    で流れ、信太郎が慌ててボリュームを    調節する。 153、8ミリ映像    SLの秋。もうもうと煙を吐いて坂道    を登ってくるSL。    ホームで乗り込む人々や、座席でうた    たねするお年寄り。 154、客席(夕)    みつ、銀二、啓吾が並んで座る後ろ、    客席の最後尾に忠吉と早苗、あかりが    並んで座って見ている。 忠吉「なんだか、いいじゃないか」 早苗「ねえ」 あかり「でしょう? すごいすてきなんだか  ら」    ちょっと感心した顔の啓吾。    笑顔で見ている銀二。    懸命に見ているみつ。 155、8ミリ映像    行商の女性が次々と映し出される。    SLが来たホームで、一生懸命に荷を    担いで、立ち上がる女性。    荷を担いで客車から下りて来る女性。    手を振って笑顔で別れる行商の仲間。 156、客席(夕)    目を見開くみつ。 157、8ミリ映像    満開の桜。    カメラの目前を轟音とともに通りすぎ    るSLの窓に、行商姿のみつがはっき    りと映っている。    次は、うたたねしているみつ。    次は、笑っているみつ。    満開の桜の横をSLが通りすぎ、去っ    ていく。    「終わり」という文字が浮かぶ。    湧き上がる拍手。 158、映写機・横(夕)    笑顔になる信太郎。 159、客席(夕)    みつ、しみじみと笑顔になり拍手する。    啓吾、すぐその横で 啓吾「いいぞ、信太郎!」    と、立ち上がって叫ぶ。 160、映写機・横(夕)    信太郎、啓吾の声で、みつらが来てい    るのに気づく。 161、客席(夕)    みつたちのところへ信太郎、駆け寄っ    てくる。 信太郎「どうしたの?」 みつ「(笑顔で)うん」 銀二「お嬢さんに呼んでもらってな」    信太郎、あっけに取られたようにあか    りを見る。    にっこり笑ったあかり、エプロンをみ    つに差し出す。    うなずくみつ。 162、売店(夕)    青いソーダ色のアイスを渡す手は、み    つの手。それを受け取る手は信太郎の    手。    信太郎は、あの芝居小屋の映画のとき    のような生き生きした笑顔になって、    明るい声で 信太郎「母ちゃん」 みつ「信太郎」    目に涙を浮かべている。    あかりが拍手する。    信太郎とみつを皆が取り巻いていて、    拍手が沸き起こる。    忠吉、早苗が拍手している。    銀二も啓吾も。    栄治と守、マニアA、B、Cが拍手し    ている。    銀二、横から割り込んで、信太郎に 銀二「みつはな、駅前に店を出すんだぞ。小  物の店だ」 信太郎「えっ? 本当?」 みつ「ちっちゃな店よ」 信太郎「すごいじゃない。苦労したもんね」 みつ「苦労なんて、あんたの映画で、吹っ飛  んじゃったよ」 信太郎「そんな」 みつ「ありがとう、ありがとうね」 信太郎「母ちゃん」 あかりの声「アンコール、アンコール」    あかりのほうを見る信太郎。 あかり「アンコール」    すぐ呼応して周囲も「アンコール」と    声をそろえる。手拍子と「アンコール」    の声が大きな輪になる。 163、映写機の横(夕)    あかりと信太郎が映写機に寄り添って    いる。観客は静か。    あかり、信太郎の目を見る。うなずく    信太郎。あかりがスイッチを入れる。    スクリーンにSLの映像の光の帯が伸    びる。    沸き起こる拍手。口笛。    笑顔で振り返る信太郎。    客席のみつが手を振る。    心の底からの笑顔でスクリーンを見つ    める信太郎。              終わり