作品名  EGGS 作者   多和田久美 〈登場人物〉 佐竹有希(14)   中学生 立野陶子(29)   輸入食器店従業員 原田達郎(32)   中学美術臨時教員 佐竹万里子(39)  有希の母 立野芳江(59)   陶子の母 沢木基和(14)   有希の同級生 田沼浩次(36)   万里子の恋人 藤田(宮下)真由(29) 陶子の友人 村松弘美(29)     同 山下秀之(29)     同 藤田尚人(29)     同・真由の夫 福本(34)     中学体育教師 国定(39)     輸入食器店店長 〇公園   人気のない物陰。   壁に凭れて立っている佐竹有希(14)。   村山(16)がガムを噛みながらニヤッ   と笑い、有希にキスする。   有希は無反応に目を開いている。   村山が舌を入れてくる。   有希、顔をしかめる。   村山の携帯電話が鳴る。が、出ない。   有希、村山を押し離す。 有希「出なよ」 村山「いいよ」   村山、またキスしようとする。 有希「出てよ」   有希、押す。村山、仕方なく出る。 村山「ハイ。あ? 分かってるよ行くよ……  すぐだよすぐ……適当に言っといてよ」   村山、足元のスポーツバッグを担ぐ。 村山「俺居ないと試合始めらんないってさ」 有希「そ」 村山「またな、電話する」 有希「……」 村山「次、勝負パンツ履いて来いよな」   村山、偉そうな笑顔で行く。   有希、口からプッとガムを吹き飛ばす。 〇達郎の部屋   1Kの古いアパートの玄関先。   立野陶子(29)が喪服姿で立っている。 達郎「何? 葬式の帰り?」   原田達郎(32)、きょとんと見る。 陶子「ううん、明日法事なの」 達郎「ふーん……」 陶子「似合う?」   陶子、体を捻って見せる。 達郎「そんなの何だって一緒だろ」   達郎、食べ掛けのカップラーメンを啜る。   陶子、仏頂面で息を吐く。 〇暗闇   女達の声が重なり合う。 「アタシオムレツがいい、トロトロのヤツ」 「アタシ卵焼き、甘いの」 「アタシスクランブルエッグ」 「アタシフレンチトースト」 「アタシ卵サンド」 「アタシポーチドエッグサラダ」 「アタシ茶碗蒸」 「アタシだし巻き」 「アタシかに玉」 「アタシキッシュロレーヌ」 「アタシピッツァビスマルク」 「アタシ目玉焼き」 「エー、つまんない、もっと手の込んだモン  にしなよ」 「アタシ生でもいいけど?」 「信じらんないっ、アタシはゼーッタイ温泉  卵ッ」   と、瞬時に光りが射し込み、同時に女達   の声がピタリと止む。   冷蔵庫に、ズラリと卵が並んでいる。 〇タイトル・EGGS 〇達郎の部屋(朝)   ほとんど空の冷蔵庫から陶子が卵を取り   出す。   陶子、不満顔で達郎を見る。   達郎は寝ぼけ眼で大あくびしている。 陶子「……目玉焼きでいい?」 達郎「あー? 何でも」   陶子、乱暴に卵を割る。   白身も黄身も薄べったい卵がフライパン   に広がる。   陶子、殻にある賞味期限のシールを見る。 陶子「達郎、おかずなくなった」 達郎「卵はあ?」   達郎、またでかいあくびをする。 陶子「期限切れ」 〇佐竹家(朝)   マンションのダイニング。   有希が来る。   佐竹万里子(39)が朝食を終えて席を   立つ。 万里子「おはよ。ね、今日遅くなるから晩ご  飯いいわ」   有希、挑戦的に万里子を見る。 万里子「いいでしょ、たまには。あー、それ  から田沼君、今度有希に会いたいって。い  つがいい?」 有希「やだよ、面倒臭い」 万里子「大人気ないなあ」 有希「……結婚すんの?」 万里子「そんなのまだ分かんないわよ」   洗い物しながら軽く答える万里子に、有   希、ムカついてくる。 有希「また未婚で子供産むの?」 万里子「やだ、子供なんて出来てないわよ」 有希「出来るかもしれないじゃない」 万里子「大丈夫、気をつけてるから」 有希「私の時は気を付けなかったんだ?」 万里子「まあ、そういうことねえ」   有希、ムッと口を噤む。 万里子「あ、卵私のも食べていいわよ」   万里子、さっさと出て行く。   有希、茹で卵を剥いて塩を振ってかじる。 有希「! 半熟やめてって言ってるじゃんっ」 〇寺の本堂   僧侶の読経が低く響く。   立野時彦の三回忌が行われている。   出席者は陶子と芳江(59)の二人きり。   陶子、うんざりと芳江を見る。   芳江、取り澄ましたように殊勝な顔で手   を合わせている。 〇和食屋・店内   陶子と芳江がテーブル席に向かい合う。   陶子、まずそうに食べている。 芳江「ああ、やる事やって落ち着いた」   芳江、旨そうにパクリといく。 陶子「……あれじゃうちで拝んでたって同じ  じゃない」   芳江、沢庵をかじる。ヤケにバリバリ音   がする。 陶子「親戚だって会社の人達だってお参りし  たいって言ってくれたのに。具合悪くて予  定立たないなんて嘘言わせないでよ」 芳江「血圧カーッと上がる時あんのよ」 陶子「見たことないけど」 芳江「来られたって間が待たないの」   芳江、無視して話を戻す。   陶子、何とか堪える。 陶子「お父さんの昔話でもしてればいいじゃ  ない」 芳江「あんなの葬式の時だけでたくさん」   芳江、不機嫌に言い放つ。 陶子「何で」 芳江「よそでいい顔してた話聞かされたって  腹立つだけよ。それに何十年だかお父さん  の下にいたって女、『色々良くして頂きま  した』なんて。本当にただの部下だったん  だか」 陶子「勘ぐり過ぎだって。死んだ人のことだ  し、上司の奥さんにだもん、ちょっと大袈  裟にでもいい風に話すよ」   芳江が黙り込む。   陶子、満足気に諭すように続ける。 陶子「それに誰だって外じゃ少しはいい顔す  るし、家とは違うとこあるってば」 芳江「あんたもそうなの」 陶子「付き合いだよ、そういうのも」   芳江、フンと鼻を鳴らす。 芳江「嫌だね、男みたいなこと言って」   芳江、茶を啜る。ズズッと嫌な音がする。   陶子、嫌悪感に顔をしかめる。 陶子「じゃあ次からは自分で断ってよね。色  々聞かれて大変だったんだから」   芳江、陶子を一瞥する。 芳江「あんた、今日弘美ちゃんちから来た  の?」 陶子「……そうだけど?」 芳江「嘘って分かるから色々聞かれんのよ」 陶子「!」   芳江、また音を立てて茶を啜る。   陶子、うんざり息を吐く。 〇楓中学・プール   数名の生徒が泳いでいる。   沢木基和(14)が溺れそうなクロール   で泳ぎ、力尽きて立ち止まる。   プールサイドの体育教師、福本(34)、 福本「おい、二十五メートル位泳げよ。去年  からの持ち越しお前だけだぞ」 基和「あいつもそうじゃんか」   隣のコース、有希がビート板でバタ足し   ている。 福本「女子はいいんだ、女子は」 基和「ヒイキかよ」 福本「おー、女子はいつまで泳げなくてもい  いからな。何回でも補習してやるぞ」   福本、女子の水着姿を眺めながらプール   サイドを行く。 基和「エロ教師」   と、基和の横で有希が止まる。   有希は口を開けて大きく呼吸している。   基和、その口元を盗み見る。 基和「……お前さ」   有希、怪訝な顔で振り向く。 基和「……先輩と、付き合ってんのかよ」 有希「は?」 基和「だってこの前、公園で……」 有希「? あーぁ……見てたんだ?」 基和「見えたんだよ」 有希「あんな奥まったとこ?」   基和、カッと赤くなる。 基和「外であんなことする方が悪いんだろっ」 有希「フーン、ま、いいや」   有希、行こうとする。 基和「オイッ、付き合ってんのかよ」 有希「うるさいなー、しつこいからキスした  だけだよ」 基和「! しつこかったらすんのかよ!?」 有希「するまで離してくれなさそうだったし。  あとキスってどんなか試しとこうと思って」 基和「! じゃあ次も、すんのかよ……」 有希「は?」 基和「勝負……」   パンツ、と口籠る。   有希、一瞬考えて、 有希「しない」 基和「(ホッと)そっか」 有希「あいつとはね」 基和「えっ!? ウワッ」   有希、水を跳ね上げバシャバシャ行く。 〇リビングウェル・店内   輸入食器店。   高級な品々が並んでいる。 〇同・奥の事務所   陶子がコーヒーカップをラッピングして   いる。国定洋介(39)が来る。 国定「それ社販からまた一割引いていいよ」 陶子「エッ、いいんですか?」 国定「いつもよくやってくれてるからさ」   陶子、満更でもない。 陶子「助かります。もうここぞとばかりに高  い物リクエストされちゃって」 国定「立野ちゃんも早く貰う方にならないと」 陶子「ねえ」   陶子、愛想笑いでかわす。 〇楓中学・美術室(夕)   静まった室内。時折校庭の運動部の声が   聞こえてくる。   達郎が油絵を描いている。   人物をモチーフにした抽象画だが、何の   絵なのかよく分からない。   まだ髪が濡れた有希が、戸口でジーッと   達郎を見ている。   達郎、一息ついて首を回す。 達郎「(気付き)おっ、佐竹、どうした?」 有希「通じた」 達郎「え?」 有希「今ね、こっち向けって念じてた」 達郎「偶然だろ」   有希、入って来て達郎の前に回り込む。 有希「ね、モデルやってあげようか?」 達郎「ええ? いいよ」 有希「私、結構胸あるんだから」   有希、ボタンに手を掛ける。 達郎「ワッ、待てっ!」   達郎、止めようとして椅子に突っ掛かる。   有希、ケラケラ笑う。 〇立野家   庭に面した和室で、芳江が衣替えをして   いる。   陶子が起きて来る。 芳江「あんたも自分のやんなさい。休みなん  でしょ」   芳江、陶子を見もせずいきなり言う。 陶子「……今度ね。今日真由の結婚式だから」   芳江、面白くなさそうに次の箱を開ける。 芳江「人の出るばっかりで」   陶子、ムッと口を噤む。   芳江、箱の中の背広を取る。 芳江「……」 陶子「まだあるんだ、お父さんの」   芳江、上着をそっと畳に置く。 芳江「……また今年も熱くなるのかね」 陶子「?……」   芳江は独り言のように呟く。   畳の上に、抜け殻みたいに上着が広がっ   ている。 〇中庭付きのレストラン・表   『藤田尚人くん・真由さん・WEDDI   NG PARTY』のボード、入口には   風船のアーチが掛かっている。   その風船、ヤケに色が薄く、先端に突起   がある。コンドームだ。   陶子、呆れ顔でアーチをくぐる。   両脇が垣根で囲まれたエントランスを進   み建物の中に入って行く。   垣根の陰から、有希が出て来る。   有希、奇妙な風船を指で弾く。   風船がボヨンと揺れる。 〇同・中庭   準備中の会場、達郎と山下秀之(29)   がコンドームを膨らましている。   達郎、息が上がっている。 山下「ちょっと頑張ってよ、タッちゃん」 達郎「だめ、休憩さして」   達郎、上着を脱ぐ。 山下「もう?」 達郎「俺お前よりオヤジだし」 山下「しゃーない、おう、お前も手伝えよ」 弘美「使い方違うと思うけど」 山下「シャレだよシャレ、ホラ」   山下、コンドームを松村弘美(29)に   押しつける。   弘美、すぐに捨てる。 山下「あーっ、お前なあ、コンドーム粗末に  扱うと妊娠するぞ」   と拾って目の前に突きつける。   弘美、更に手で払う。 弘美「ご心配なく。いつも二枚付けてもらっ  てますから」 山下「二枚!? お前それ相手の男可哀想だ  って」   山下、数種類ある箱から一つを選んで「   ホラ」と箱ごと渡す。   『うすうすヌ〜ディ〜』の文字が踊る。 山下「一枚で十分、しかもこれ極薄」   弘美、胡散臭そうに見返す。 山下「使ってみ。男喜ぶぞ。ってことはお前  も満足出来るってことだ」 弘美「いつも大満足してます」   弘美、ポイと箱を放り投げて行く。   箱は垣根の中に消える。 山下「あーっ、人の親切を」 弘美「大きなお世話」 山下「チッ、何だよ。あーあ、どこいった?」   と、取りに行こうとする。 達郎「あー、いいいい、やってて。俺取って  来る」 〇同・入口の垣根   有希が長々と繋がったコンドームの袋を   箱から出してマジマジと見ている。   と、達郎が来るのが見える。   有希、箱をバッグにしまう。   達郎も有希を見付ける。 達郎「……どしたの?」 有希「ストーカーしちゃった」 達郎「は? 暇だな、お前」   有希、ニッコリ笑う。   と、達郎の水玉のネクタイが目に入る。   有希、顔をしかめて目を反らす。 達郎「どうした?」   有希の目の前で水玉が揺れる。   有希、吐く。 達郎「エッ? エーッ!? あっ! そっか」   達郎、慌ててネクタイを外す。   準備に出て来た従業員の男が「ウワッ」   と声を上げる。 達郎「! すいませんっ、俺です」 有希「!?」 達郎「俺吐きましたっ」   達郎は従業員からモップを取り上げ、慌   てて掃除を始める。   有希、じっと達郎を見ている。 〇同・花嫁控え室   ウエディングドレス姿の真由(29)が、   腹を突き出す。 真由「目立つ?」 陶子「ううん、全然」 真由「なーんだ」 陶子「なんで?」   と、ノックの音がして弘美が入って来る。 弘美「あー、陶子」 陶子「ごめん遅れて。私もすぐ行く」   弘美、ズンズン来てドカッと座る。 弘美「いいよ、やらしとけば。山下が悪乗り  してるだけだもん。いいの、真由?」 真由「うん。だって結婚より妊娠の方祝って  欲しいくらいだもん」 陶子「そんなに子供欲しかったの?」 真由「うん。もちろん彼の子供っていうのが  大前提だけどね。でもあとニ、三年しない  と結婚はなさそうだったから」 弘美「だからってねえ……ピル飲んでるって  嘘までつかなくても」 陶子「え? じゃあ何て説明したの?」 真由「効かない体質だったみたいって言い切  った。何にだって絶対なんてありえないし。  言い切ったモン勝ちだよ」   真由、余裕の笑みで言う。 弘美「それにねえ、やらしーんだよ、真由っ  て」 真由「そう? 普通よ」 陶子「……何が?」 弘美「セックス目的に旅行誘って、セーラー  服とかチャイナドレスとか喪服着たりした  んだって」   陶子、ドキッと反応する。 真由「付合い長いせいかなんか彼淡白になっ  ちゃって」   真由がケロっと言う。   陶子、密かに頷き、同意している。 弘美「だからってコスプレしてまでしたい?」 陶子「でも、気分変えるのって大事かも……」 弘美「やだ、陶子もしてんの!?」 陶子「しないよ、してないけどさ」   陶子、ヤケに声が大きくなる。 真由「でも、エッチそのものが目的じゃない  からね、私の場合」   真由が見透かした顔で笑む。 陶子「……」 真由「女に生まれたからにはやっぱり産みた  いじゃない? 三十までに時間もなかった  し」 弘美「でもさあ、別に子供きっかけに結婚迫  んなくても、藤田、真由以外の女に走る心  配なかったじゃん」 真由「そういう心配じゃないの」 弘美「じゃあ何?」 真由「ねえ、焦りとかないの?」 陶子「三十路で独身ってこと?」 弘美「今時珍しくないじゃん。まあ、バカな  男がどうして結婚しないの、とか未だに聞  いてくるけどさ」 陶子「真由の会社うるさそうだったもんね」 真由「そうじゃないって、そんなのどうでも  いいの」 弘美「じゃあ何よ?」   真由は呆れたように二人を見る。 真由「二人ともさあ、子供産む気ないの?」 弘美「今はない。この先もいらないかも」 真由「陶子は?」 陶子「私は……自分のことで一杯一杯って感  じかな、まだ……」 真由「あのねえ、良く考えた方がいいよ。女  の一生の中で、卵子が一番いい状態なのは  十代後半から二十代までなの。この先エッ  チはいくらでも出来るけど、良い卵子はも  う出来ないんだよ」 弘美「やめてよお。卵子がどうとか子供作る  ためのセックスなんてしたくなーい」 真由「そんなこと言ってると後悔するんだか  ら。卵子の質はどんどん落ちてくんだから  ね」   陶子の耳に、真由の声が段々遠くなって   いく。 真由「どうせ産むならいい子産みたいたいじ  ゃない? 三十前の女の焦りって、DNA  に刻み込まれたこの卵子生命の危機感から  来るモンだと思うんだよね、絶対」 ×  ×  ×   真っ暗な闇を、いくつもの卵が、ゆっく   りと落下してくる。 ×  ×  × 真由の声「妊娠するなら絶対二十代のうち。  私達もう期限切れギリギリなんだから」 ×  ×  ×   達郎のアパート、陶子がシンクの三角コ   ーナに卵を捨てている。   卵、グシャッとひび割れる。 〇同・従業員ロッカー室   引き出物の袋が山と置いてある。   有希は吐しゃ物で汚れた達郎のズボンを   拭き、達郎がシャツ姿で座っている。   有希は従業員の黒服だけを羽織って、ミ   ニスカートみたいになっている。 達郎「俺の後でいいから自分のやんなよ」 有希「大丈夫、すぐだから」 達郎「じゃあこれ飲むか?」   有希、振り返ると、コーラとシャンパン   のボトルがある。 達郎「厨房から持って来た」 有希「ドロボー?」 達郎「いらない?」 有希「いる」   有希、笑ってコーラを受け取る。 有希「また被ってくれたね」 達郎「お前のゲロ?」 有希「うん。それもあるけど」 〇回想・楓中学・美術準備室   しゃがみ込む有希。   同じ水玉のネクタイの達郎が隣でしゃが   み込む。   床には嘔吐の跡。   石膏象を抱えた基和が入って来る。   バツ悪そうな有希。   達郎、慌てて立ち上がり、「俺、俺ッ」と   必死で有希を庇う。 〇元のレストラン・従業員ロッカー室   シャンパンの栓が天上にぶち当たって跳   ね飛ぶ。 有希「ワッ」 達郎「おっ、スゲー」   有希はコーラ、達郎はジャンパンの瓶を   合わせ、グビグビ一頻りラッパ飲みする。   と、達郎が「ゲーッ」とゲップする。   有希、眉間に皺を作って睨む。 達郎「あ、悪い」 有希「……」 達郎「許せよ、オヤジなんだから」 有希「……、……グッ……ゲーッ」   有希、大きなゲップが出てしまう。 達郎「……」 有希「……」   沈黙で見合う二人。   が、有希が堪らずプッと吹き出す。   達郎も吹き出す。   二人、ゲラゲラ笑い出す。 〇同・中庭   コンドーム風船と花に飾られた会場の中、   人前結婚式が行われている。   真由と新郎の藤田尚人(29)が誓いの   キスをする。   盛大な歓声と拍手。   真由が満面の笑みで微笑む。   藤田は頼りなげな笑みを作る。   陶子、拍手しながらも辺りを見回す。 〇同・従業員ロッカー室   達郎、今度はワインのボトルを手に、少   し酔っている。   有希はドライヤーでズボンを乾かしてい   る。 有希「ねえ先生」 達郎「んー?」 有希「彼女いるの?」 達郎「うん、まあ……」 有希「ふーん……」   有希、ちょっと面白くない。 達郎「佐竹はいるのか? 付合ってるヤツ?  ん?」 有希「ヤダ、なんかその言い方オヤジ臭い」 達郎「しょーがないだろ、オヤジなんだから」 有希「ウソ。先生割りとイケてる。ネクタイ  の趣味悪いけど」 達郎「そうかあ?」   有希、嫌そうに頷く。 有希「水玉とか蟻の行列とか、ちっちゃくて  同じ物が一杯っていうの嫌い。イクラとか  のブツブツも嫌い」 達郎「ツブツブだろ?」 有希「ブツブツだよ」 達郎「ツブツブだろう」 有希「ブツブツだよ、気持ち悪い、最悪」   達郎、ポケットにしまったネクタイをマ   ジマジと見る。 達郎「そうかあ? でもこれしかないんだよ  なあ」 有希「何でそんなの選んだの」 達郎「貰ったんだ」 有希「彼女から?」 達郎「うん」 有希「……へー、ねえ、今日彼女も来てる?」 達郎「うん」   達郎、窓外を見る。   有希も来て並ぶ。 達郎「あ、ホラ、あのオレンジの服」   有希、陶子の姿を捉える。 有希「フーン……ねえ、彼女になんて呼ばれ  てる?」 達郎「んー、名前で……」 有希「呼び捨て?」 達郎「うん、まあな。あーあ、なーんか眠く  なっちゃったよ」   達郎、二畳位の座敷に寝転ぶ。 達郎「乾いたら起こして。そしたらあっちで  飯食おう」   達郎、既に半分眠っている。 有希「おやすみ……達郎」 〇同・中庭   パーティーは賑やかに続いている。   陶子、会場を見渡し、隅の椅子に掛けっ   ぱなしの上着を見付ける。   行って手にする。達郎の上着だ。 弘美「陶子ー」 山下「おー、写真」   二人、既に真由達に並んでいる。   陶子、達郎を探して辺りを見る。 弘美「(来て)どした?」 陶子「達郎、まだ見てないんだけど……」 山下「早く来いよー」 弘美「他と話してんじゃない? また後で一  緒に撮ればいいじゃん」   弘美、陶子を引っ張って行く。   真由と藤田を囲む山下と弘美。   陶子、上着を持ったまま並ぶ。   満面の笑みの真由、頼りなく笑う藤田、   ニカッと笑う山下、ばっちりカメラ目線   の弘美。   陶子、目で達郎を探している。 シャッターを頼まれた男客「いいですかー、  撮りますよー。せーの」   フラッシュが光る。   ×  ×  ×   夕暮れ。パーティーが終わろうとしてい   る。 〇同・入口付近(夕)   真由と藤田が客の見送り準備に並ぶ。 弘美「じゃあ私達引き出物取って来るから」 真由「ごめーん、ありがとね」 藤田「悪いね、ホント色々と……」 山下「今日くらい遠慮すんなって。なあ?」 陶子「うん」   陶子達、奥へ行く。 〇同・従業員ロッカー室(夕)   入って来た山下の足が止まる。   続いた弘美も止まる。 陶子「どうしたの?」   と、陶子が割り込んで来る。   二人、「あっ」と声にならない声を上げ   る。 陶子「……!」   達郎と有希が寄り添って眠っている。   シャツ姿の達郎、パンツが見えそうな上   着を羽織っているだけの有希。   陶子、茫然と突っ立つ。   有希が目を覚ましてゆっくり起き上がる。   陶子、有希を見る。   有希も気付き、陶子を捉える。   達郎はまだ気持ち良く眠っている。   有希と陶子、無言で見合う。 〇真由と藤田が引き出物を手渡し、客の見送 りをしている   ――ビデオ映像が流れている。   藤田家の新居。2LDKの賃貸マンショ   ンのリビング。   真由、弘美、藤田が式や新婚旅行の写真   を見ている。   陶子も一枚手にしている。   満面の笑みの真由、頼りなく笑う藤田、   ニカッと笑う山下、ばっちりカメラ目線   の弘美。   陶子は横を向いて達郎を探している――。 陶子「……」   達郎と山下がテレビの前にいる。   巻き戻されるビデオ映像、真由と藤田の   誓いのキスシーンが再生される。 達郎「オー……」 山下「ホラ、宮下の方が積極的にいってるで  しょ?」 真由「そんなことないよ。ねえ?」 藤田「うん……」 達郎「真由ちゃんドレス似合ってるな」 真由「でしょ? 本物はもっと可愛かったん  だから」 達郎「残念、見たかった」   達郎、悪びれずに言う。   陶子、チラッと達郎を見る。 山下「タッちゃん、ホント昼寝してただけ?」 達郎「?」 真由「中ニなんて子供じゃん」 山下「そうでもないって、今時は」 真由「でも卵子は未熟だもん」 弘美「だからそれ関係ないって。私だって最  初にしたの中ニだよ」 真由「!? 早くない!?」   陶子も思わず振り返る。 弘美「うち田舎だから」 山下「そういうモンかあ? やっぱ早いよ、  俺らの時代にしちゃあ。なんかスゲエなお  前」 弘美「まあ遊ぶ所あんまりなかったからね」   唖然とする一同。だが、達郎は関心もな   くビデオを早送りしたりしている。 山下「で、どうなのよ」   山下、達郎に擦り寄り、 山下「イマドキの中学生は?」 達郎「ん?」 山下「だから、あったでしょう? それなり  のことが」 達郎「なんもないよ」   達郎、面倒そうに答える。 弘美「でもあの子すっごい怖い顔で陶子のこ  と睨んでたね」 山下「結構可愛かったよなあ……中学生とね  え……んー、いいかも」 弘美「何羨ましがってんの」 山下「いいだろ、正直で」 弘美「ヘンタイ」 山下「フン。でも、俺には出来ないね。犯罪  だよ、捕まっちゃうかもしれないんだよ?  スゲーよ、タッちゃん勇気あるよ」 達郎「俺は爆睡してただけ」 山下「寝てる間に乗っかられてるかも」 達郎「そうまでされれば起きるって」 山下「夢うつつでさあ、気持ち良過ぎて覚え  てないんじゃないのお?」 達郎「ないよ、俺記憶力いいから」   達郎、ビデオを送り、「お、斉藤来てた   んだ」などど見入っている。 陶子「……」 〇達郎の部屋(夕)   描きかけのキャンバスと油絵の道具が狭   い部屋を占領している。   達郎はベッドでゴロ寝し、陶子は卓袱台   で写真を弄んでいる。 達郎「晩飯どうする?」 陶子「……あんまり食べたくない」 達郎「じゃあ俺その辺で食って来ようかな」   と、起き上がる。 陶子「……覚えてないことあったじゃん」 達郎「は?」 陶子「……したの」   達郎、怪訝な顔で首を捻る。 陶子「だからっ、すごく酔っ払って自分から  したのに次の日全然……忘れてた……」 達郎「なんだよ、まだ疑ってんの?」 陶子「だって……」 達郎「馴染んでくれば曖昧になることもある  だろ、一回位」   陶子、納得いかない顔で達郎を見る。 達郎「あの後すぐに代理教員終わったし、あ  の子とは会ってもいないよ。大体疑われる  覚えもないけどな」 陶子「……」 達郎「頼むからさ、下らないことで突っ掛か  んなよ」   達郎、出て行く。   鴨居にかけたブルゾンがゆらゆら揺れる。   陶子、立ち上がって近付く。   揺れるブルゾンに、「バカ」とつぶやき   指で弾く。   ブルゾン、また少し揺れる。   陶子、ぼんやりと見入っていく。 〇回想・立野家・和室   夏への衣替えの途中。   芳江(35)が虚ろな顔で座っている。   畳に背広上下を広げ、足元には靴下も履   かせたように置いてある。   陶子(5)が駆け寄って来て、持ってい   たうちわを襟元に刺す。   抜け殻の体に、うちわの顔が付く。 陶子「フフ、お父さん」   芳江、ぼんやり振り返る。 陶子「お父さん会社?」   芳江の顔がピクッと引きつる。 芳江「……そう言ってたけどね」 陶子「一緒にデパート行くって言ったのにね」 芳江「……お仕置きしなきゃね……エイ」   芳江、胸の辺りを拳で叩く。 芳江「エイ……エイ……エイ……」   芳江、何度も何度もパンチする。   陶子、不思議そうに芳江を見ている。 〇立野家・茶の間(夜)   帰って来た陶子が、廊下から芳江を見つ   めている。   芳江はナイターを見ながら夕食を摂って   いる。   芳江、陶子に気付く。 芳江「食べるなら自分でやってよ」 陶子「うん……」   テレビの巨人阪神戦、実況アナの声が流   れている。 陶子「……最近よく野球見てるね」 芳江「他に見るもんないからよ。下らないも  んばっかりで、昔みたいに面白いドラマも  ないんだから」   陶子、ちょっとうんざりくるが、 陶子「お父さん巨人好きだったね。あの頃一  緒に見れば楽しかったかもしれないね」   芳江、不機嫌に陶子を見る。   と、興奮した実況アナの声が、巨人四番   の逆転ホームランを伝える。 芳江「あー、負けだ」 陶子「え? 阪神好きなの?」 芳江「別に。巨人が負けるとこ見たいだけ」   芳江、食器を持って席を立つ。 陶子「……」   声高な実況はまだ続いている。 〇佐竹家・ダイニング(夜)   有希の前に万里子と田沼浩次(36)が   座り、食卓を囲んでいる。   田沼、今一つパッとしない体裁の上、緊   張で舞い上がっている。 田沼「万里子さん…あ、お母さんは会社でも  一番の美人で仕事も出来るし、ホンット、  僕なんかもうお世話になりっぱなしで。  同じ課長って言ってもね、僕の場合は『お  前は見た目が老けてるから課長位の名前な  いと箔が付かないだろう』って上司に言わ  れて肩書きだけもらったもんだからね、部  下も一人も居ないんだよ。笑っちゃうでし  ょ? あ、僕半年前にお母さんの会社に転  職して来てね」 有希「さっき聞きました」 田沼「あ、ごめん……」 万里子「意地悪な言い方やめなさいよ、(田  沼 に)ごめんね。はい、これもどうぞ」   と、取り分けた皿を渡す。 田沼「いただきますっ」   田沼、嬉しそうに食う。 田沼「美味しいっ、ホンット美味しいっ」   田沼、モリモリ食う。 有希「――沼田さん」   田沼、一瞬戸惑うが、 田沼「……はい」 万里子「田沼さんよ。何度も言ってるじゃな  い」 有希「そうだっけ」 田沼「いいんですよ、おいおい覚えてもらえ  れば。あ、僕小学校から大学までずっと『  ヌ マ』って呼ばれてたんだ」   田沼、有希に笑いかける。   有希は鼻白んで田沼を見る。 有希「私のこと可愛げないって思ってます?」 田沼「めっそうもないっ。何でもハッキリ言  えるのはいいことだよ」 有希「フーン……でもこの子がいなけりゃ万  里子さん僕との結婚もう少し真剣に考えて  くれるかも、とか思ってません?」   田沼、改まって箸を置く。 田沼「有希ちゃん、僕なんかじゃ気に入らな  いかも知れないけど……でも、仲良くなれ  ればって思ってるんだ。万里子さんの大事  な娘さんだもん、僕だって大事に思ってる  よ」 有希「……別に、大事でもないよ」 万里子「もう、最近ヒガミっぽいわよ」   有希、ムッとむくれる。 万里子「妊娠も出産も子育ても、ホントあん  たのお陰で色んな経験させてもらって、女  として一人前になれたって実感あるのよ」 有希「何それ、自己満足じゃん」 万里子「そりゃあ満足してなきゃまず産まな  いもの」   平然としている万里子に、有希、ますま   す苛立ってくる。   田沼はオロオロ二人を覗っている。 有希「じゃあ相手の人は? 子供出来ればそ  れで良かったの?」 万里子「バカねえ、ちゃんと愛してたわよ」 有希「じゃあ何で結婚しなかったの」 万里子「お互い納得いくようにしたらこうな  ったのよ」 有希「おかしいそんなの、分かんない」 万里子「私は間違ってるとは思ってないわよ」   万里子、キッパリ言い切る。   有希もキッと万里子を見据える。 有希「私が産まれて、喜んだ人っていたの?」 万里子「私」 有希「……自己満な女って嫌い、迷惑」   有希、ダイニングを出る。 田沼「有希ちゃん」   田沼、戸惑いつつも立ち上がる。 万里子「食べましょ、冷めちゃう」   万里子、大きな口で飯を食う。 〇達郎の部屋(夜)   ベッドの上で抱き合う陶子と達郎。   陶子の上で達郎が果てる。   ×  ×  ×   仰向けに並ぶ二人。   陶子、少し体を寄せる。 陶子「久し振り……達郎が電話くれたの」 達郎「うん……昨日、出品受付してきた」   キャンバスや絵の道具が片付いている。 陶子「部屋広くなったね」 達郎「明日から仕事探す。また絵画教室かカ  ルチャーセンターで講師やるよ」 陶子「……中学校の先生は?」 達郎「めったに空きなんて出ないし。それに  あいつら美術の時間なんて息抜き位にしか  思ってないからな。金払って習いにくるオ  バちゃんとかOLの方がずっと教え甲斐あ  るよ」   陶子、嬉しくなってくる。 陶子「入選するかな?」 達郎「あんまり期待すんなよ」 陶子「する。あー、ううんやっぱりしない」 達郎「どっちだよ?」 陶子「してもしなくても達郎の絵は好き」 達郎「いつも何描いてるか分かんないって言  ってるくせに」 陶子「達郎が好きだから。絵はおまけ」   達郎、陶子の頭を抱き寄せる。   陶子、達郎の脇の下に頭を埋める。 陶子「こうしてるの好き」 達郎「そう?」 陶子「うん……幸せ」   陶子、呟いて目を閉じる。 〇楓中学・生物室   暗闇の中、映写機の光りの先、スクリー   ン一杯に無数の精子が泳いでいる。   頭一つ抜けた一匹が卵子に辿り着く。   その瞬間、卵子は外側の膜をサッと閉じ、   シャットアウトされたその他の精子がウ   ロウロしている。 有希の声「ウェッ」   「何?」「どうしたの?」と教室がザワつ   き、灯りが点く。 女生徒「先生、佐竹さんが吐きました」 基和「!」   有希、咳き込みながらも、じっと考え込   んでいる。 〇楓中学・プール   水泳の補習授業。   基和が溺れそうな息継ぎで顔を上げる。   と、制服姿の有希が福本に何か言ってい   るのが見える。   基和、思わず立ち止まる。   福本「何だ? また生理か? 不順だな   あ」 有希「は?」 福本「お前一五日辺りだったろ?」   有希、嫌そうな顔で福本を見る。   福本、自信満々に頷く。 福本「生徒の体調管理も教師の役目だ」 有希「いつか訴えられますよ」 福本「どおしてだあ?」 有希「……失礼します」   有希、さっさと行く。 福本「おー、鉄分取れよー」   基和、つまらなそうな顔で見送る。 〇同・正門前   有希が出て来る。 村山「よお」   有希、一瞥して行く。   村山、慌てて追う。 村山「電話しろって留守電入れたろ?」 有希「だって用事ないし」 村山「また会おうって言ったじゃんよ」   有希、スタスタ歩き続ける。 有希「私これから忙しくなるからもう先輩構  ってる暇ないんです」 村山「! 何だよそれっ」   村山、有希の肩を掴む。と、 坂井「オイ、村山ァ」   高校のバスケ部先輩集団が来る。 木村「会場整備行ったんじゃねえのかよ」 坂井「サボってんじゃねえよ」 村山「すいませんっ、今行きますっ!」 坂井「いいよもう、お前クビな」 木村「ダメだよ、得点係居ないと試合出来ね  えじゃん」   村山、有希を意識して顔を紅潮させる。 木村「おら、ダッシュ」 村山「ハイッ!」   村山、必死で駆け出す。   先輩連中も笑いながら行く。   有希、厄介払いにホッとなる。 有希「よしっ」   有希、小さく気合を入れ、大股に歩き出   す。 〇佐竹家・有希の部屋・中(夜)   有希、カップラーメンや菓子、飲み物な   ど大量の食料を整理している。   万里子の声「ただいまー」   足音が近付いて来る。   ノックの音と「有希」と呼びかける万里   子の声。   有希、ドアを開ける。 万里子「ねえ、ご飯の支度これから?」   有希、万里子を見据える。 万里子「まだ怒ってんの?」 有希「――私、今日から引き篭もるから」 万里子「え?」   有希、ドアを閉めて鍵を掛ける。 〇同・同・表 万里子「ご勝手に」   万里子、やれやれ、と肩をすくめて行く。 〇同・同・中   有希、コンビニ袋から弁当を出すと、勢   い良く掻き込み始める。 〇楓中学・プール   基和が一人、寒そうに震えている。   プールには既に木の葉が浮いている。 基和「もう無理だろ」 福本「お前が泳げないから特別に延長してや  ってんだろ。愛だよ、愛。有難く思え」 基和「迷惑なんだよ」   基和ブツブツ言う。 福本「なんだ? おら、ラストチャンス、行  けッ」   基和、不貞腐れながらも覚悟を決めて飛   び込み必死で泳ぐ。   が、ゴール手前数メートル、力尽きて立   ってしまう。 福本「来年も来い」 基和「受験生だぞ」   基和、息を切らして上がってくる。 福本「結局またお前と佐竹だけか」 基和「……」 〇リビングウェル・事務所(夜)   陶子、パソコンで資料を作っている。   国定が来る。 陶子「あ、店長、来期の仕入れなんですけど  少し品揃えを変えたらどうかなって――」 国定「立野ちゃんさあ」 陶子「はい?」 国定「本店からバカラのべガ、ゴブレットと  ワイングラス回してくれって言われたんだ  けど……」 陶子「じゃあ伝票回しときます。配送月曜に  なりますけど」 国定「いや、それがさあ、それじゃ間に合わ  ないんだよね、月曜の朝一にはお客さんと  こ納品したいって」 陶子「ハア……」 国定「もう本店我侭でさあ、よこせって言う  だけ言って今日はもうみんな帰るから、だ  って」 陶子「じゃあ、明日誰かが?」 国定「明日日曜でしょ? 店忙しいでしょ?  でも立野ちゃんお休みでしょ?」 陶子「……ローテーションですから」 国定「いいのいいの、順番なんだからそれは」   陶子、嫌な予感がしてくる。 国定「で、立野ちゃん、家、本店のそばだっ  たよね?」 陶子「ええ、まあ……」 国定「今日このまま車に乗っけてって、月曜  の朝でいいからさ、チョチョッと本店に届  けてくれないかなあ?」 陶子「でも私、運転……」 〇道(夜)   リビングウェルのロゴが入ったワンボッ   クスカーが走る。   その車内。   助手席の国定、機嫌がいい。 国定「なーんだ、全然オッケーじゃない」   陶子は運転に目一杯で余裕がない。   後ろには梱包されたグラスケースが積ん   である。 国定「あ、俺ここでいいや」 陶子「え!?」   陶子、慌てて停車する。 国定「うん、幅寄せもバッチリ。じゃあ明日  はゆっくり休んでね」 陶子「……はい」 〇佐竹家・廊下(深夜)   水洗の音。トイレから有希が出て来る。   有希、忍び足で廊下を急ぐ。   と、後ろからガッと肩を掴まれる。 有希「!」 万里子「いい加減にしなさいよ」   有希、物凄い勢いで万里子を振り切る。 万里子「有希ッ!」   万里子も負けじと食い下がる。   が、有希、渾身の力で万里子を倒し、部   屋に駆け込んで鍵を掛ける。 万里子「ッツー……強くなったじゃない」   万里子、腰を擦る。 〇立野家・表   駐車場にワンボックスカーが止めてある。   陶子、横をすり抜け、足早に出掛けて行   く。 〇美術館・中   『入選作』『選外一般応募作』の看板の   矢印が別々の通路を指している。   陶子、『選外一般応募作』へ進んで行く。 〇同・展示室   パーテーションで幾つもの壁面が作られ、   所狭しと絵画が掛けられている。   陶子、探しながら幾つかの壁面の前を通   り過ぎる。   と、先の壁面の前に達郎がいる。   陶子、声を掛けあぐねる。   達郎は無表情のまま去って行く。   陶子、達郎の居た壁の前に行く。   『東京都・原田達郎』の札がある。   達郎の油絵は、他の作品と一緒くたに掛   けられている。   達郎の後姿、人の群れに消えている。 〇デパート・子供服売り場   真由が新生児用の服を見ている。 〇ファミリーレストラン   陶子、カウンター席に座って、フロアー   の奥を見ている。   制服姿の達郎が働いている。   達郎、運び終えて来て、陶子に気付く。 達郎「来てたんだ」 陶子「うん……」 達郎「オーダーは?」 陶子「済んでる……」   達郎、軽く頷き、行こうとする。 陶子「ねえ、さっき……」   焦って呼んだが続かない。 達郎「何?」 陶子「……ううん。ねえ、今日行ってもいい  ?」 達郎「あー……深夜も入ってんだよなあ」 陶子「……そっか」 達郎「何か用だった?」 陶子「ないけど……」 達郎「じゃあ、悪いけど」 陶子「……ねえ、ここいつまで――」   達郎、遮る。 達郎「分かんないよ。講師の口ないんだから  仕方ないだろ」 陶子「ごめん……」 達郎「……別に、誰かに教えたい訳じゃない  けどな」 陶子「……」   「すみませーん」と客から声が掛かる。   達郎、そちらへ行く。   陶子の前に「お待たせ致しました」とコ   ーヒーが置かれる。 ウエイトレス「ご注文以上でお揃いでしょう  か?」   マニュアル通りの言葉を笑顔で言う。 陶子「はい……」 ウエイトレス「ごゆっくりどうぞ」   陶子、達郎を目で追うが、達郎は気付か   ない。避けているようにも見える。   陶子、諦めてカップに手を掛ける。   と、携帯電話が鳴る。 陶子「(取って)はい……ああ真由」 真由の声「ちょっとお願いがあるんだけど」 〇警察署の一室・中   ノックの音。   制服警官がドアを開けると、陶子が立っ   ている。   陶子、困惑顔で中を伺う。   ポツンと座っている真由。   机の上には引き裂かれた子供服。   刑事らしき男が「どうぞ」と目顔で言う。   真由がゆっくり顔を上げ、力なく微笑む。   陶子、まだ動けず突っ立っている。 〇藤田家・キッチン〜リビング   コーヒーメーカーの湯気が上がる。   リビングには真由がぼんやりと座ってい   る。   陶子がコーヒーを注いでいる。   結婚祝いに陶子が贈ったカップだ。   盆に一式を乗せて、真由のそばに行く。 真由「ありがと。色々……」 陶子「ううん」   真由、カップを引き寄せ、砂糖とミルク   を入れて掻き回す。バツが悪いのか、い   つまでも回している。   沈黙。カップとスプーンのぶつかる小さ   な音がヤケに聞こえる。   陶子、真由の腹を覗い見る。   その腹、全く膨れていない。 陶子「……」   と、真由が不意に顔を上げる。   陶子、ビクッとなる。 真由「流産したの」 陶子「……いつ、だったの?」 真由「先月……先々月かな、覚えてないや」 陶子「……」 真由「気を付けてたんだけどね。でも何が悪  かったのか急にお腹痛くなって血が出てき  て……生理痛の百万倍は痛かったかな」   真由コーヒーを飲む。カップを離さない   でチビチビずっと飲んでいる。   陶子、困惑し、言葉を探す。 陶子「……今日、藤ちゃんは?」 真由「休出」 陶子「忙しいんだ……?」 真由「ここに居たくないみたい」 陶子「どうして、そんな……」 真由「妊娠も結婚も私の独り善がりだったっ  てこと」 陶子「そんなことないよ……藤ちゃん真由と  はいつか結婚するってみんなの前でだって  いつも言ってたじゃない」   真由、フッと笑う。 真由「よくあるじゃないそういうの。たわ言  って言うの? 先のことなんて何にも考え  てない軽い気持ちでさ、だから平気で言え  るんだよ」 陶子「藤ちゃんそんないい加減じゃないと思  うけど」 真由「そう思ったよ、私だって。親になるに  はまだ少し不安あっても、私との結婚には  不安も不満もないと思ってた」 陶子「……藤ちゃんが言ったの?」 真由「何にも言わない」 陶子「だったら心配すること――」 真由「悲しいとか悔しいとか、残念だとか、  そういうことも一言も言わない」 陶子「それは……真由を余計に落ち込ませち  ゃいけないと思ってだよ」 真由「なんかそういう慰めって、当り前過ぎ  て虚しいカンジ」   陶子、ムッとくるが当たってもいる。   次の言葉がない。 真由「陶子見てないから。病院で子供ダメに  なったって言った時の彼のホッとした顔…  …」 陶子「……」 真由「その代わり向こうの親とか親戚がうる  さくって。案外体弱かったのねえ、とか厭  味言われて、婦人科連れてかれてあっちこ  っち検査されたりさ。子供のお祝い貰っち  ゃった人にどうお返しすればいいのかしら  ねえなんて。あーっ、もう面倒なことばっ  かり」   真由は早口にまくし立てる。 真由「これがただ付き合ってる時のことなら  簡単だったと思うんだよねえ。自分達だけ  で悲しんだり揉めたりしてれば良かった訳  じゃない? 喧嘩しても別れても誰も何に  も文句言わなかったのにさ」 陶子「でも結婚ってそういう――」 真由「陶子したことないじゃない」   真由、陶子を睨む。 陶子「……ごめん……そうだよね……」   陶子、言うべき言葉が見付けられない。   所在無く黙り込む。   真由は愚痴ってスッキリしたのか、今度   は微笑を浮かべる。 真由「ごめんね、八つ当たりして」 陶子「そんなことないよ……」 真由「あーあ、私も小細工しないでもうしば  らく陶子とタッちゃんみたいにブラブラ付  き合ってれば良かったなあ」   真由はあっけらかんと言い放つ。   陶子、強張りそうな顔で、無理に笑う。 〇街中(夜)   賑う街を、陶子、一人で歩いている。   ふと思いついて携帯電話を掛ける。 〇弘美の部屋(夜)   携帯で話している弘美。 弘美「そっか……うん、知らなかった私も」 〇街中(夜)   陶子、店先の隅で電話している。 陶子「気の毒だとは思うし、辛いんだとも思  うけど……ちょっと疲れた」 弘美の声「まあ何してあげられる訳じゃない  しね、お疲れ」 陶子「ねえ、今から会えないかな?」 〇弘美の部屋(夜) 弘美「ゴッメーン。今日はちょっと」   弘美の後ろを、篠塚(41)が通る。 〇地下鉄の中(夜)   陶子、暗い窓に映る冴えない自分を見て   いる。   車内に、轟音が響く。 〇弘美の部屋(夜)   篠塚のゴルフバッグが置いてある。   着ていた派手なゴルフウエアがきちんと   ハンガーに掛けてある。   ベッドの上、全裸の篠塚がせっせとコン   ドームを装着している。   弘美、半身を起こす。 弘美「まだ?」 篠塚「待てよ、すぐだから」   篠塚、付け終わると、二枚目の袋を破っ   てまた付ける。 篠塚「出来たらお互い困るだろ」 弘美「そっち程困んないけど」 篠塚「拗ねんなよ、せっかく会ってんのに。  俺だって無理したんだぞ」   篠塚、擦り寄って愛撫し始める。 篠塚「休日に会いたいなんて言うから」 弘美、なすがままにさせて体を倒す。 弘美「……ねえ」   篠塚、「うん」と生返事するが、既に夢中   で聞いていない。   弘美、冷めた目を開けたまま呟く。 弘美「あのウエア、ダサい」 〇立野家・茶の間(夜)   陶子が一人で簡単な夕食を摂り、芳江は   テレビの巨人ヤクルト戦を見ている。   会話はない。   テレビからの音しかない。   巨人選手がヒットを放つ。巨人に追加点、   一方的な試合の流れ。   芳江、舌打ちして溜息を吐く。   陶子は箸を早めて席を立つ。   と、芳江、不意に、 芳江「夕べ真由ちゃんから電話あったわよ」 陶子「!? 夕べって……何で言ってくれな  かったのっ」 芳江「だってあんた遅かったし、今朝だって  知らない間に出掛けちゃったじゃない」 陶子「だったらメモ残すとか」 芳江「しょちゅう携帯でだって喋ってるじゃ  ない、そっち掛けたと思ったわよ」 陶子「来ないよ、来てないよ」 芳江「知らないわよ、電話くれとも急ぎだと  も言ってないんだから。どうせ下らないお  喋りするだけじゃない」 陶子「勝手に決めないでよっ、それで気が済  むことだってあるんだから」   芳江、見向きもしない。テレビから顔を   反らさない。 芳江「それと何なのあの車、邪魔で仕様がな  いわよ」   巨人にまた追加点が入る。   芳江、フン、と吐き捨てる。   陶子、堪らずリモコンでテレビを消す。 芳江「ちょっと、見てんのよ」 陶子「そんな見方止めればっ?」 芳江「どう見たっていいでしょ」   芳江が取り返そうとする。が、陶子がか   わす。 陶子「好きなチームが負けて機嫌悪くなるな  らまだ我慢出来るけど、嫌いなとこ負ける  の見たいって何よ、勝ってるからっていち  いち腹立てて何なのよ」   芳江、立ち上がってテレビの前に行き、   電源ボタンを押す。   画面に試合が映し出される。 陶子「……そんなの、何が面白いの?」   芳江が振り返る。 芳江「無いよ、面白いことなんて何にも」   芳江は元の位置に戻ると、また頑なにテ   レビ画面を見る。 陶子「……」 〇同・陶子の部屋(深夜)   陶子、眠れない。 陶子「……」   不意に起き上がると、堰き立てられるよ   うに着替え、車のキーを掴み取る。 〇同・表(深夜)   陶子、転がり出るように来て門を開け放   つと、ワンボックスカーに乗り込んでエ   ンジンを掛ける。   芳江がしかめっ面で窓から顔を出す。   芳江「何してんの、近所迷惑じゃない」   陶子、答えず発進させる。   門も閉めずスピードを上げて行く。   芳江、ピシャッと窓を閉める。 〇走る車の中(深夜)   運転を続ける陶子。   右手に達郎のファミリーレストランの大   きな看板が見える。   陶子、吸い寄せられるようにアクセルを   踏み込み、ファミレスのある反対斜線に   Uターンを切ろうとする。   と、左から猛スピードで直進車が来る。   ハッと急ブレーキを踏む陶子。   倒れるグラスケース。   衝突音――。 〇ファミリーレストラン・中(深夜)   客達が何事かと窓外を見る。 達郎「和風ハンバーグ、スパイシービーフカ  レー、ラザニア、海鮮丼がそれぞれセット  でお一つずつ、お飲み物は――」   達郎、気にも止めず、注文の品を繰り返   している。 〇同・表の道(深夜)   ワンボックスカーの横っ腹に、直進車の   頭が突っ込んでいる。 〇病院・病室(深夜)   頭に包帯を巻き、右腕を骨折した陶子が   看護婦に手助けされて横になる。 看護婦「本当にどなたにも連絡取らなくてい  いんですか?」 陶子「ええ……明日しますから……」 看護婦「そうですか? じゃあ何かあったら  呼んで下さいね」 陶子「はい……」 看護婦「お大事に。おやすみなさい」 陶子「おやすみなさい」   看護婦が灯りを消して出て行く。   狭く暗い部屋に一人になる。   目を閉じる。   頭の中に人々を思い浮かべる。   ×  ×  ×   国定が大袈裟に嘆いている。 国定「エーッ、バカラ全滅!? 車も!? ア  ー、勘弁してよお」   芳江が嫌そうに顔をしかめる。 芳江「何やってんのよ、あんな時間に出掛け  るからよ」   真由が薄ら笑っている。 真由「夜中にタッちゃんに会いたくて? へ  ー、陶子もそういう衝動に駆られたりする  んだ」 国定「大損害だよ、どうしてくれんのぉ」 芳江「大した運転出来ないくせに引き受ける  からよ。外面いいとこはお父さんそっくり  だ。あー、ヤダね、まったく」   ×  ×  ×   達郎が枕元にいる。 達郎「何ですぐ連絡よこさないんだよ。何か  変な予感して店の前の警官に聞いたらお前  の名前言うからもうビックリして……ホン  ト一瞬、息止まったよ……ゴメンな、バイ  トなんか休んで、お前と会ってれば良かっ  たな」   達郎が陶子の髪を優しく撫でる。   と、意地悪く笑う真由が出て来る。 真由「でもどっかで冷めてる自分もいなかっ  た? あー、アタシこんなことしちゃう、  しちゃってるって。これできっと救って貰  える、甘えられるう、って」   ×  ×  ×   陶子、目を開ける。   暗い部屋には、誰もいない。 〇佐竹家・有希の部屋・前 万里子「有希、いつまでこんなことしてる気  よ」 田沼「有希ちゃん、そんなに僕が気に入らな  いなら……お母さんのことはもう、諦める  から……」 万里子「ちょっと田沼君!?」   田沼、寂しそうに笑う。 田沼「いいんです……それで有希ちゃんが出  てきてくれるなら……」 万里子「ダメよ、こんな我侭で世の中通ると  思われちゃ敵わないもの」   万里子、ドアに向き直る。 万里子「有希、親の恋愛認めるくらいしなさ  いよ。お互い人生邪魔する権利なんてない  んだからね」 〇同・中 有希「うるさいなー、結婚でも何でもすれば?   別に沼田さんは関係ないんだから」 万里子の声「田沼さんよ」 有希「いいよ、どっちだって」   有希、ドアに背を向けたまま、買い込ん   だお菓子をボリボリ食べている。 〇立野家・台所   陶子がパスタを茹でている。   ギブスはまだ取れていない。   ミートソースの缶詰を開けようとする。   が、上手く出来ない。   と、芳江がスッと来て無言で開ける。 陶子「……ありがと」   芳江は答えず、棚の上の鏡餅を片付ける。 芳江「そこの小豆、火に掛けといて」 陶子「うん……」   陶子、水に浸してあった小豆の鍋を火に   掛ける。 陶子「……今日鏡開きだ」   芳江、チラリと陶子を見る。 芳江「隣の奥さんにお嬢さんまだ会社お休み  してるんですかって聞かれたわよ」 陶子「……」 芳江「フリーターだかなんだかそんなのはや  めてよね、みっともないから」 〇公園   陶子と達郎が歩いている。 達郎「悪かったな、見舞いとかあんまり行け  なくて」 陶子「ううん……母親と顔合わしても気まず  かったと思うし……社交性とかそういうの  ない人だから」 達郎「お袋さんだって心配なんだろ……この  先どうなるか分かんないような男じゃ」 陶子「分かんないって……?」   達郎、辟易と溜息を吐く。 達郎「別れるとかそういう意味に取んなよな。  俺のこと、俺自身のこと」 陶子「……そんなこと言ったら私だって同じ  だよ」 達郎「なんか、しょーもないな、俺達」 陶子「……」 〇真由の部屋   ワンルームマンション。   家具も何もない。床には新聞紙やビニー   ルシートが敷いてある。   ギブスの取れた陶子と、真由、弘美がい   る。 真由「はい、これ着て」   とジャージを投げてよこす。   真由は既に着用している。   学校名や宮下、と名前が入っている。 陶子「高校の?」 真由「あと中学ン時の」 弘美「物持ちいいねえ」 真由「意外と愛着心とか強いんだよね」   真由はさらりと言うが、陶子、弘美は複   雑な顔を見合わせる。 真由「よし、やるか」   真由、ピンク色のペンキ缶を開ける。 真由「ウワ、クッサイ。ホラ、早く」   陶子と弘美、仕方なく着替える。 陶子「見付かったら文句言われるんじゃな  い?」 真由「もう、またそういうこと言う」 陶子「だって……」 真由「出てく時に戻せばいいでしょ? 壁の  リフォーム代位いっくらでも払うわよ」 弘美「そんな余裕あんの?」 真由「慰謝料くれたからね。要らないって言  ったのに。でもくれるってモンは貰っとい  たわ」 弘美「そっか……。で、陶子は?」 陶子「え?」 弘美「辞めることなかったのに。商品だって  車だって保険掛かってたんでしょ」 陶子「そうだけど……休んでた間に私の席に  新しい子座ってて……居場所も仕事もなく  なってた」 弘美「あっけないもんだ」 陶子「うん……思ってたよりずっとね」 弘美「次どうすんの?」 陶子「……分かんない」 真由「まだ失業保険あるんでしょ? 遊んで  ればいいじゃん」   真由、ローラーで壁を塗る。   真っ白な壁にピンクの太い線がつく。 真由「やってみたかったんだよね。外国映画  ン中で主人公の女がよく部屋の壁塗り替え  てるとことかあるじゃない? 失恋とか離  婚した後に」   真由、明るい口調で言いながらどんどん   ペンキを塗っていく。 真由「気持ちいー」 陶子「……」 弘美「……」   真由、振り向かない。   陶子、弘美も、真由が涙を堪えているの   が分かる。   弘美が俄かに缶を開け、壁にローラーを   転がしてみる。 弘美「ホントだ……気持ちいいや」   真由と弘美はそれきり黙々と塗り続ける。   陶子も缶を開け、ローラーを缶に突っ込   み、別の壁面を塗ってみる。   白い壁にピンクの線がつく。   二回、三回と繰り返す。   壁はどんどんピンクの面になっていく。   三人、互いに背中を向けたまま、壁を塗   っていく。   壁はどんどん明るいピンクに染まってい   くが、三人の顔に笑顔はない。   窓の外には桜の木が見える。 〇佐竹家・有希の部屋   有希、窓外の桜吹雪を眺めている。 有希「……そろそろいくか」   有希、決意の顔でつぶやく。 〇同・同・前(夜)   基和が廊下に座り込んでいる。 基和「教科書持って来てやったぞ。また同じ  組だからさ。福本が持ってってやれって」 有希の声「福本?」 基和「あいつが担任」 有希の声「最悪」 基和「だろ? 水泳の補習ももうやる気満々  でさ」 有希の声「あんたまだ泳げないの?」   基和、一瞬詰まる。 基和「お前だって泳げないだろ? 途中で来  なくなったんだから」 有希の声「そんなのより大事なことがあった  の」 基和「なんだよ、それ」   有希、返事がない。 基和「おい?」   万里子が来る。 万里子「ごめんなさいね、わざわざ来て貰っ  てるのに」 基和「あ、いいえ」 万里子「でも声聞けただけでも、死んでない  って分かったわ」   万里子、有希に聞こえよがしに言う。 基和「俺開けましょうか? ドライバーとか  あります?」 万里子「いいの、いいの。どうせ私が留守の  間は出て来てるんだから。気が済むまでや  らしとけばいいのよ」 基和「ハア……」 万里子「あんまり相手にしなくていいわよ。  ねえ晩ご飯食べて行かない? カレー好き  かしら?」 基和「そんな、あの、お構いなく」 万里子「嫌い?」 基和「好きです」 万里子「じゃあいかが? おうちのカレーと  は違うと思うけど良かったら――」 有希の声「食べてけば? うちのカレー結構  美味しいから。私も食べるし」 基和「え?」 万里子「え?」   万里子と基和、思わず顔を見合わせる。   と、カチャッと鍵が外れる。 万里子「!?」 基和「!?」   有希が出て来る。   唖然とする万里子と基和。   すました有希の顔。   大きく目を見開き、視線を下ろす万里子   と基和。   有希の腹が、大きく突き出ている。   有希、臨月の妊婦になっている。 有希「あー、お腹すいた」   有希、行こうとする。 万里子「有希!?」   万里子、慌てて腕を掴む。   基和はパクパク口を開けたままだ。 万里子「あんた、それ……」   有希、クルリと振り返る。 有希「セックスしたら妊娠したの」   絶句する万里子、基和。 有希「気を付けなかったから、出来ちゃった  みたい」 万里子「ちょっと、あんた……何今頃そんな  こと言ってんのっ!?」 有希「人のこと言えないじゃん」 万里子「だからってあんたまだ子供……彼と  かそういう人だってまだ……ちょっと、ア  ー……どんな人なの?」   万里子、さすがに動揺している。 基和「お前、もしかして先輩!?」 有希「違うよ、あんなの」 基和「じゃあ誰だよ!?」   有希、どうしようか迷うが、 有希「達郎」 万里子「誰なのそれ」   有希、ツンとすましている。 基和「アァーッ!!」 万里子「何!?」 基和「代理教師!?」 万里子「先生……?」   有希、満足げに頷くと、さっさとキッチ   ンへ行く。 万里子「有希……!」   万里子、足がもつれる。 基和「おばさんっ」   基和が万里子を支える。 万里子「ありがと……」   万里子、長い息を吐き呆然と立つ。 有希の声「沢木ー、食べないのー?」 基和「……」   基和、興奮状態で鼻息が荒くなっていく。 〇同・ダイニング(夜)   有希、大盛りのカレーをモリモリ食べて   いる。 〇達郎の部屋・表   基和、ガンガンドアを叩く。   が、返事がない。 基和「クソッ」   基和、ドアを蹴っ飛ばす。 陶子「……あの……何かな?」   やって来た陶子が不審な顔で見る。   基和も「誰だ?」という顔で見返す。   二人、探り合うように見合う。 〇ファミリーレストラン・駐車場   達郎が唖然と口を半開きにしている。   目の前には、怒りを顕にする基和と、じ   っと口を噤んだ陶子。   三人、向かい合って三角形に立っている。 達郎「……それ、ないだろう」 基和「!」 陶子「……本当に……?」   達郎、力強く頷く。   陶子がホッと安堵の息をつく。 基和「……ウワーッ!!」   基和、達郎に体当たりして馬乗りになる。 基和「ふざけんなっ!」   基和、滅茶苦茶なパンチを振り回す。 基和「アイツお前のこと気に入ってたんだ、  俺知ってるんだっ」   陶子が慌てて止めに入るがすぐに吹っ飛   ばされる。   達郎も必死で抵抗、基和の両腕を押さえ   込んでねじ伏せる。 達郎「落ち着けよ、俺と佐竹は本当に何もな  い」 基和「じゃあアイツの腹は何なんだよ! ア  イツ、お前と……やったって……来いよ、  ……アイツの腹見てみろよっ」   基和、振り返って陶子を睨む。 基和「あんたも来いよ。自分の男が何したか  確かめてみろよっ」   基和は怒りに震え、今にも泣きそうだ。   陶子と達郎、不安な顔で見合う。 〇走るタクシーの中   三人、後部座席で黙って座っている。   と、陶子の携帯電話が鳴る。 陶子「(取る)はい……えっ? はい……え  え、ええ……はいっ、すぐに帰りますっ」   陶子、焦って切る。 達郎「どうした?」   基和も怪訝な顔で陶子を見る。   陶子、戸惑った顔を向けるだけで、言葉   にならない。 達郎「陶子……?」   陶子、ガッと運転手に寄る。 陶子「すいませんっ、初台行って下さい!」 基和「おい、何だよ!?」 陶子「……お母さん、倒れた」   思わず顔を見合わせる達郎と基和。   陶子、もう無言で前のめりに固まってい   る。   タクシー、Uターンして走って行く。 〇立野家・表   救急車が止まっている。   タクシーが来て止まる。   陶子、飛び出して来て救急車に駆け寄る。   達郎と基和も降りてくる。 陶子「あの、母は!? 私娘です」 救急隊員「あー、中に」 陶子「え……?」 〇同・茶の間   芳江が一人、茶を啜っている。   陶子は腑抜けた顔で突っ立ている。 芳江「隣の奥さんが大袈裟なの。私はいいっ  て言ったのに勝手に救急車呼んだり電話帳  ひっくり返してあんたの携帯に掛けるんだ  もの」   芳江、有難迷惑も甚だしい、といった感   じだ。 芳江「血圧の薬だって飲んでるんだし、この  くらい何でもないのに」 陶子「……本当に具合よくなかったの?」   芳江、フンと陶子から顔を背け、達郎と   基和に気付く。 芳江「どなた?」   達郎、困惑しつつ、 達郎「原田です……あの、陶子さんとお付き  合いさせていただいてます」   芳江、ジロジロ達郎を見る。 達郎「すいません……ご挨拶してなくて」 芳江「いいえ、別に」   芳江、そっけなく感じが悪い。   陶子、堪らず、 陶子「じゃあ私達行く所があるから」   と、行きかける。   達郎がその手を掴む。 陶子「……何?」 達郎「陶子はまだお母さんに付いててあげた  方がいいよ(基和に)いいよな?」 基和「うん……」   芳江、今度は基和を見る。   基和、仕方なく、 基和「沢木です……こいつの、元生徒です」 芳江「そう。高校生?」 基和「いえ、中学です……」 芳江「まあ、最近の子は大きいのねえ」   陶子、うんざりしてくる。 陶子「もういいでしょ。行くから」 芳江「ねえ、二人とも晩ご飯食べていかな  い?」 陶子「ちょっと!?」 芳江「ね、そうしてってちょうだい」 達郎「いや、でも……」 芳江「お気楽にどうぞ。私はこの子が誰とど  うしようとどうでもいいの。もういい大人  なんだし。ただね、いつも一人で食べてん  のがつまんなくて、それだけだから」   芳江、席を立つ。   陶子、達郎、基和、困惑顔で見合う。 〇同・台所   芳江、テキパキと料理している。 〇同・茶の間   廊下を挟んだ台所から、芳江が料理する   音が聞こえている。   陶子と達郎、落ち着かない様子で座って   いる。 陶子「……さっきね」 達郎「ん?」 陶子「達郎の家行ったの……」 達郎「ああ……何か用事だった?」 陶子「……そう言うと思った」   陶子、フッと笑う。 達郎「何だよ?」 陶子「ううん、何でもない」 〇同・廊下   基和が声を潜めて電話している。 基和「いや、なんていうか、成り行きで……」 〇立野家・表(夜)   タクシーが止まり、万里子、有希、田沼   が降りてくる。   田沼、緊張感で顔が強張っている。 田沼「ここに?」 万里子「そう。ちょっと予定外だけどね。一  応関係者は揃うから」 田沼「はいっ」 有希「沼田さん関係ないじゃん」 田沼「あ、いや……」 万里子「田沼さんよ」 有希「……ハーイ」   万里子が「ごめんください」と声を掛け   る。   有希、突き出た腹に手を当て、ゴクリと   唾を呑む。 〇同・茶の間(夜)   テーブルの真ん中にすき焼き鍋がセット   されている。   肉や野菜を盛った大皿と、白和えや酢の   物、お浸しなどの小鉢もある。   陶子、達郎、基和が並び、向かいに有希   と万里子、田沼が座っている。   陶子、有希を見る。   有希、一瞬目を合わせるが、ツンとそら   して達郎にニッコリ笑いかける。 有希「久し振りだね、達郎」   陶子、ムッとなる。 達郎「ちょっと待て、ずっと先生って呼んで  ただろ?」 有希「変えたの、あの日から」   有希、平然と言い放つ。   全員が絶句する。   芳江が来て、卵を入れた銘々の器を配る。 芳江「どうぞ、始めて下さい。ホラ陶子、も  ういいからどんどん入れて」   陶子、入れない。 万里子「あのどうぞお構いなく。急にお邪魔  してこんな話なんて、本当に申し訳ありま  せん」 芳江「いいえ、お気になさらずに。あら、一  人多いのね」   田沼の所で器が足りなくなる。 田沼「すみません……」 芳江「すぐにお持ちしますね」   芳江、何だか楽しそうだ。   小走りに行って、すぐに戻ってくる。 芳江「はい、どうぞ(と田沼の前に置き)陶  子、ホラ早く。もうホント気が利かないん  丑、だから」 陶子「ちょっと黙っててくれる?」   芳江、ムッとなる。 有希「私やります」 芳江「あら、ありがと」 有希「私すき焼きって大好き」 芳江「まあ良かった。たくさん食べてね」 有希「ハイ」 芳江「いい子生まれるといいわねえ」 有希「どうも」 芳江「楽しみだわあ、どっちかしらねえ。最  近はもう分かるんでしょ?」 有希「でも私診てもらってないから」 芳江「そう。でもやっぱりその時までの楽し  みに取っといた方がいいわねえ」 陶子「ちょっと黙ってて!」   芳江、ツンと陶子を一瞥する。 芳江「カリカリしたってもう産むしかないの  よ」 陶子「!」 万里子「ええ、確かに」   全員、今更ながらに沈黙してしまう。 達郎「――佐竹」 有希「なあに?」 達郎「ほんっとにそうなのか?」   達郎、有希を見据える。 有希「覚えてない?」 達郎「……覚えてない」 有希「そっか……残念だなあ」 達郎「……悪い……」   が、やはり腑に落ちない。 達郎「いや、佐竹ホントに、ホントに俺お前  と――」 基和「チクショウッ!」   基和、不意に卵を割って、醤油を入れて   乱暴に混ぜる。   全員、何事かと一連の動作を見守ってい   る。   基和は炊飯器から飯をよそって混ぜた卵   を白飯に掛ける。 有希「あんたそれ、すき焼きのだよ」 基和「うるせーっ」   基和、半泣きで卵掛けご飯を掻き込む。 有希「……」 陶子「……」   すき焼きがグツグツ煮立ってくる。 基和「おばさんっ、卵もう一個」 芳江「あ、ハイハイ」   芳江が行きかける。   と、陶子が自分の卵を差し出す。 陶子「はい」   基和、上目で陶子を覗い見る。 陶子「まだあるから」   陶子、軽く頷き、また差し出す。 基和「サンキュ」   基和も頷き返して受け取ると、またカチ   ャカチャ混ぜる。   陶子、席を立って卵を取って戻ってくる   と、自分も混ぜ始める。   続いて万里子、芳江も混ぜ始める。   田沼はカラザを黄身から取り外そうと苦   戦、チマチマと箸を滑らせている。 基和「アーッ、いつまでやってんだよっ」 田沼「これ取らないと食べられなくて……」 基和「食えよ、そんなモン」 有希「嫌いなもんはしょうがないでしょ」   田沼、ハッと有希を見る。 有希「私も嫌い」   有希、卵を割って丁寧にカラザを外す。   田沼もやっと取れて混ぜ始める。 陶子「達郎も食べようよ」 達郎「陶子……」   陶子、達郎に笑いかける。 陶子「お肉硬くなっちゃう」 達郎「うん……」   達郎も卵を割る。   全員が卵を混ぜる音がカチャカチャ重な   り、鍋に箸が伸びていく。   ×  ×  ×   一頻り食事が済んで、すっかり食べ尽く   されている。 基和「フー、旨かったあ」   基和、満腹の腹を擦る。 芳江「そう?」 有希「おばさん店出せるよ」   有希も腹をそっくり返す。 芳江「有希ちゃんお世辞なんていいのよ」 有希「私お世辞なんて言わないよ」 芳江「まあ」   芳江、満更でもない。 万里子「ホントに。どれも何か一味違うんで  すよね。後で作り方教えていただけます?」 芳江「ええ、ええ、こんなもんで良ければ」 田沼「お嬢さんいいですねえ、こんな美味し  い物毎日食べられて。ねえ? お母さんに  料理も習えるし」 陶子「はあ……」 芳江「ううん、もうこの子は全然駄目。教え  てなんて言ったことないんだから」 田沼「いやーそれは勿体無い」   陶子と達郎、馴染めない。 芳江「あの、立ち入ったことお伺いしますけ  ど」 田沼「はい?」 芳江「お二人ご結婚は?」 田沼「あ、いや、まだ……」 芳江「でもお付き合いされてんですよねえ」 田沼「ええ、まあ」   田沼、チラリと有希を覗う。 有希「別に構わないわよ、私は」 芳江「お母さんはお仕事もなさって。残業な  んかもあるんでしょ?」 万里子「ええ、たまには」 芳江「じゃあこれからは色々大変よねえ」   芳江、嬉しそうに笑う。 万里子「あの?」 芳江「出過ぎた真似かと思いますけど、有希  ちゃん、私に預からせて頂けません?」 有希「!?」 万里子「は!?」 陶子「何言ってんのよ!?」   達郎達も唖然となる。 芳江「あんたは結婚だって孫だっていつにな  るか分からないしね」 陶子「だからって何で……」 芳江「有希ちゃんごとお腹の子供も、孫だと  思いたいんですよ。ううんもうそんな気が  してるの」   芳江、もう陶子を無視して、万里子の方   に向きを変えている。 万里子「でも、お嬢さんにだって達郎さんが  ……お孫さんだっていずれ……」   陶子と達郎、顔を見合わせる。   互いに答えられない。 田沼「ちょっと待って下さいっ。そしたら有  希ちゃんの子供のお父さん居なくなっちゃ  うじゃないですか」 基和「俺がなる」   基和、キッと有希を見る。 基和「佐竹、結婚しよう」 有希「ハア!?」 基和「俺が十八歳になったら入籍しよう。い  や、籍とかそんなんは関係ない。俺はお前  が好きだ!」 有希「ヤダ……バッカじゃないの」 基和「子供だって俺が育ててやる!」 有希「経済力ないくせに」 基和「働く!」 有希「無理だよ」 基和「お前のためなら俺に無理はない!」 有希「無理無理無理、あんたには無理」 基和「出来るっつってんだろ!」 達郎「待った」   達郎、決意の顔で割って入る。   有希と基和が黙る。   陶子もじっと達郎を見る。   全員が注目する。 達郎「――佐竹、十六んなったら、俺と結婚  してくれないか?」 基和「汚ねえ、俺より二年先かよ」   有希はポカンと達郎を見る。   達郎は誰にともなく頷き、万里子に向き   直る。 達郎「絵を止めて……定職探します」   陶子、ズキッと一瞬目を瞑る。が、観念   したように息を吐き出し、達郎を見つめ   る。 達郎「仕事だってそう簡単に見付かるもんじ  ゃないってことも覚悟してます……でも、  そうさせてもらえませんか?」 万里子「無理しなくてもいいんですよ」   万里子が平然と言い放つ。 芳江「そうよ、安心して私に任せなさい」   芳江がすかさず入ってくる。 達郎「でも……佐竹が産むのは俺の子……だ  し……これは俺にとっても、けじめの付け  時なんだと思います」 万里子「そこに有希はいるのかしら?」 達郎「え?」 万里子「責任感とか義務感とか、そういうも  んしか見えないのよね」   達郎、一瞬言葉に詰まる。 達郎「確かに……身に覚えもないし、佐竹の  こともまだ、その……」 万里子「好きじゃないんですよね? 有希の  こと」   有希、キュッと体を固めて、万里子、そ   して達郎を見る。 達郎「……はい」 有希「……」 万里子「じゃあ二人が一緒になるのは、お互  いにとって不幸ね」 達郎「……でも、この先……」 万里子「なんにも見えない先のための結婚な  んか意味ないと思いません?」 達郎「……」 万里子「それとも有希のこと少しは好きにな  ってくれました?」 達郎「……いえ。生徒だった子の一人です」   有希、哀しそうに俯く。 万里子「それじゃ有希が可哀想よ」   有希、「え?」と万里子を見る。 基和「そうだよ、俺は今、この瞬間、つーか  一年時から今もずっと佐竹が好きなんだ。  佐竹と結婚出来るのは俺だ」   基和、チャンスとばかりに胸を張る。 万里子「うん、正しい。今の基和くんとなら  文句ないわ」 基和「よっしゃ」   基和、ガッツポーズ。   達郎は返す言葉がない。   田沼も感化されたのか、大きく頷く。 田沼「そうだ、今だよ。今、君の気持ちは有  希ちゃんにないじゃないか」 有希「沼田さんは関係ないでしょ!」   有希、キッと田沼を睨む。   田沼、ゴクンと唾を飲み込む。 田沼「――田沼ですっ」 有希「エ……?」   万里子も「あら?」と目を見張る。   田沼、その勢いで万里子のそばににじり   寄る。 田沼「万里子さんっ」   田沼、万里子の両手をギュッと取る。 万里子「はい?」 田沼「僕は今この瞬間、あなたが好きです。  初めて会った時からずっと好きです。これ  からもずっと好きです、僕の今は永遠です  っ、結婚して下さいっ」   呆気に取られる万里子。   有希、陶子達も面食らっている。 田沼「結婚して下さいっ」   万里子、ニッコリ笑う。 田沼「万里子さん」   田沼、期待一杯に更に万里子の手を引き   寄せようとする。   と、万里子はスッと手を解く。 田沼「ア……」   田沼、切なそうに脱力していく。 万里子「ねえ、有希」 有希「……何」 万里子「達郎さんのこと好き?」   有希、じっと達郎を見る。   達郎も有希を見る。 有希「……うん」 万里子「好きな人の子供だから産もうと思っ  たの?」 有希「……まあね」 万里子「じゃあ、いいじゃない」 有希「え?」   万里子、フッと笑う。 万里子「私ね、あんたが無理にされて出来ち  ゃったんならどーしようかと思ったの」 有希「……何その心配」 万里子「そりゃあだって、そんな目に合って  欲しくないわよ、当然じゃない。でもあん  たが自分から望んだことなら、私はそれで  いいと思うの」 有希「……」 達郎「……」 陶子「達郎……」 達郎「何?」 陶子「私さっきね、達郎と別れようと思って  達郎のとこ行ったの」 達郎「陶子……」 有希「!?」 基和「!?」 陶子「急に訪ねて、また『用事あんの?』っ  て聞かれたら、別れようと思ってたの」 達郎「……」 基和「何だそれ?」   陶子、苦笑する。 陶子「私もよく分かんないんだけどね。だか  ら、留守でちょっとホッとしたの」 達郎「……俺、今までそんな、深い意味のつ  もりなんてなかったぞ」 陶子「そうかもしれないけど……」   陶子、有希に向き直る。 陶子「有希ちゃん凄い」 有希「え?」 陶子「初めて会った時は腹立ったけど」 有希「私だって……達郎の彼女って聞いて、  ちょっと憎らしかった」   陶子、思わず苦笑が漏れる。 陶子「でもね、参った」   有希、怪訝な顔で見返す。 陶子「別れる別れないなんて時限が違うよね。  それも達郎任せだし……私はまだ、好きな  人の子供だって産む覚悟ない。自分が構わ  れたいとか好きでいて欲しいって気持ちだ  けしかないの」   有希、黙って下を向く。 陶子「ねえ、産まれたら抱かせてくれない?」 有希「……どうして」 陶子「その子抱けたら、私も何か一つくらい  決められるかもしれない」 有希「……」 陶子「なんかこれも人任せみたいだけど。で  も他のどの赤ちゃん抱いても、そんな気に  なれないと思う。私にとっても、特別な赤  ちゃんなんだと思う」 有希「……」 基和「俺も……お前の子なら、可愛がってや  りてえ」 田沼「あの、僕も」 芳江「私だってお世話したいわ」 達郎「……俺も……いいかな?」 有希「……」 達郎「正直まだ実感ないけど、確かにそこに  俺の子供がいるんだよな? 産まれてきた  らやっぱり、抱いてやりたい。いや、抱か  せて欲しいんだ」 有希「……」   有希、全員の顔を見回す。   腹に手を当て、じっと俯く。 有希「……私が産まれる時、こんな風に言っ  てくれた人って、居た……?」 万里子「だから私」 有希「……だけなの? この子はこんなにみ  んなに待ってってもらってるのに」 万里子「自分の子にヤキモチ妬いてどうすん  の」 有希「だって……」 万里子「あんたが愛されてるから、その子は  みんなに待ってってもらえるんじゃない」 有希「……そうなの?」 万里子「そうよ。それにあんたの時だって、  私一人で何十人分も喜んであんたが生まれ  てくるの待って、抱きしめたわよ」   万里子が微笑む。 有希「……覚えてない」 万里子「じゃあもう一回しようか?」   と、手を広げる。 有希「いいよ……恥かしい」   有希は照れ臭そうに身をかわす。 万里子「じゃあそのうち、またいつかね」   有希、コクンと頷く。   万里子がフッと笑う。 芳江「有希ちゃん、おばさんだって本当に有  希ちゃんにうちに来てもらいたいと思って  るのよ、なんて言うのかしら、有希ちゃん  といるとこう、人生に張りが出来た感じよ」 有希「……ありがと、おばさん」 芳江「ホントに、さっきのお話考えてもらえ  ると嬉しいわ」 有希「……おばさん」 芳江「なあに?」   有希、オズオズと立ち上がる。   全員が温かい笑顔で有希を見つめている。 有希「それから、先生……」 達郎「え?」 有希「陶子さん、皆さん……」   有希、さっとテーブルの上の箸を取って   振り上げる。 有希「ゴメンナサイッ!」   有希、ギュッと目を瞑って箸を振り上げ   る。   全員がハッと息を呑む。   有希が箸を腹に突き刺す。   と、その瞬間、パンッ! と大きな破裂   音がして、有希の腹がペシャンコになる。 有希「全部嘘です……!」   茫然となる一同。   有希の足元に、破れたコンドームが落ち   ている。 達郎「あっ!」 陶子「!?」   基和が茫然と摘み上げる。 有希「ゴメンナサイッ……でも、嬉しかった  ……お母さんが私を待っててくれたって  ……生まれて、生きてくのってなんかい  い、ステキ、嬉しいことなんだって……」   有希、ちょっと照れて恥ずかしくなる。 有希「アリガトウゴザイマスッ」   有希、思いっきり頭を下げ、いつまでも   上げられない。 〇真由の部屋   真由、ピンクの壁に更に黄色のペンキを   塗っている。   別の壁面は既に紫や赤が塗られている。   真由、少しやつれている。   と、玄関チャイムが鳴る。   真由、気だるそうにドアを開ける。   と、元夫、藤田が立っている。   藤田、相変わらずの頼りない顔で笑う。   真由は見る見る生気を取り戻し、ペンキ   を持ったまま藤田に飛びつく。 〇ゴルフ場   緑の芝に青い空。   弘美の見事なティーショットがグングン   フェアウエイを飛んで行く。   オヤジ達がどよめき「ナイスショット」   の声が上がる。   弘美、極上の笑顔で応える。 山下「やるじゃん」 弘美「当然」   弘美、山下のシンプルでセンスのいいウ   エアを「フーン」と見る。 山下「な、何だよ」 弘美「別に」 山下「悪かったな、付き合わせて」 弘美「いいよ、ヒマだし」 山下「……コンドーム、二枚の男は?」 弘美「あー……居たね、そんなのも」   山下、自然にニヤけてくる。   弘美もフン、とすまし笑いする。   山下、気合を込めて打つ。 山下「アッ!」   球が大きくスライスする。 弘美「ファーーーーーーーッ!」   弘美、可笑しそうに大声で叫ぶ。 〇車の中   田沼が助手席でブツブツ言っている。 田沼「万里子さん、改めて言います……結婚  して下さい……いやいやいや、万里子さん、  この前の返事を聞かせて下さい。僕の気持  ちは――」   と、ドアが開き万里子が滑り込んでくる。 万里子「お待たせ」 田沼「あの、万里子さん」 万里子「飛ばすね。次のアポまで時間ないか  ら」 田沼「あ、はい……」   グン、と車が加速する。   田沼、慌ててシートベルトを締める。   万里子は軽快に運転し、鼻歌を歌ってい   る。   田沼、切り出せずにモジモジする。 万里子「田沼君」 田沼「あ、はい?」 万里子「結婚しよっか?」   田沼、茫然となって瞬きを繰り返す。 万里子「ダメかな?」   田沼、泣きそうな顔でブンブン首を振っ   て万里子に抱きつく。 田沼「万里子さん!」 万里子「ワッ! ちょっと田沼君!」   快晴の空の下、よろけた車が走って行く。 〇調理師学校・教室   芳江が若い学生に混じって熱心に講義を   聴いている。 〇通販のオペレーションセンター   インカムを付けた女達がパソコンの前に   大勢並んでいる。   陶子、その中に混ざってテキパキやって   いる。 〇達郎の部屋   達郎が人物の抽象画を描いている。   その顔、少し陶子に似ている。 〇立野家・台所   芳江が煮物を皿に盛ろうとしている。 陶子「あーっ、違う」   陶子、思わず台所に入ってくる。 芳江「何よ?」 陶子「こっちの方がいいよ」   と、別の皿を出す。 芳江「いいのよこれで」 陶子「こっちの方が絶対美味しそうに見える  って」 芳江「味は一緒よ」   芳江、言いつつ陶子の勧める皿に盛って   みる。料理が映える。   芳江、なるほど、と密かに頷く。 陶子「ね?」 芳江「もしお店始めたってね、あんた雇う余  裕なんてないわよ」 陶子「分かってる。自分で何とかなるように  する。……でもやっぱり食器の仕事は好き  だったな。まあ食器なんて何でもいいって  言っちゃえばそれだけのモンでしかないの  かもしれないけど」 芳江「……ねえ、これは?」   芳江、ぶっきらぼうにまな板の上の出し   巻き卵を指す。 芳江「あんたのいいお皿に乗せて」   陶子、一瞬驚くが、やがて自然に顔がほ   ころんでくる。 芳江「あっ」   陶子が出し巻きをサッと一つ摘む。 陶子「美味しい」   芳江、呆れたような照れ臭いような顔で   苦笑する。   陶子、いたずらっ子みたいな笑い顔で卵   を頬張る。 〇陶芸工房(夜)   陶子がろくろを回している。   初老の陶芸家に手解きを受けながら、陶   子、真剣な顔でろくろを回す。 〇楓中学・プール   海パン一つの福本、無駄に元気がいい。   ブンブン準備運動している。   有希と基和は水着姿でガタガタ震えてい   る。 福本「おら、しっかりやれよ」 有希「まだ早いよ」 基和「風邪ひくだろ、俺達受験生だぞ」 福本「だから今から特別にやってやってんじ  ゃないか。これで夏は受験勉強に打ち込め  るだろ」 基和「もういいから打ち込ませろよ」 福本「二五メートルを制するものは受験を制  ーす。行けッ」   福本、二人の背中をバンと叩く。   二人、プールに落ちて、キャーキャー悲   鳴を上げる。 有希「足ッ、届かない!」 基和「ウワッ、吊った、吊った!」   二人アップアップ溺れている。 福本「いかんなあ」   福本、救命用の浮き輪を投げる。   有希と基和、我先にと捕まる。 有希「譲りなさいよっ、あんた私のこと好き  なんでしょ!?」 基和「それとこれは別ッ」   二人、浮き輪の真ん中に頭を突っ込む。   バシャバシャ暴れる二人の黄色の水泳帽   を被った頭がくっついている。 〇フライパン   コンコン、とヘリに卵が当る。   二つに割られた殻から中味が落ちる。   ジュッと音を立てて、双子の卵が焼けて   いく。 終わり