「みずぐるま」    札本 六助
第12回(平成11年)大伴昌司賞 ノミネート賞受賞作



【梗 概】

 横浜市内の女子短大で国文学を教える山内亮子(30)は、田舎暮らしに憧れるカルチャーの熱心なメンバーでもある。
 ある授業の途中、工事の騒音に文句を言った折りに、南国のボンタン蜜柑のように純朴な林造を見かける。
 林造は肥後の山奥の旧家の跡取りであるが、嫁探しのために横浜で建設作業員をしている。
 間もなく亮子は、林造を若様と呼ぶヒロシ、久恵夫婦に呼び出される。
 この夫婦に土下座をされて、仕方なく林造との交際を承諾する。
 林造は幼児期吃音だったことの不安から、うまく喋れない。ひどい方言で訥々と喋る。
 ローンのトラブルを解決してくれたりする久恵に、心の負担を感じつつも、亮子はつき合う内に、次第に林造が好きになる。
 久恵は泊まりがけの海水浴を企画し、うまく計って亮子と林造を結びつける。
 更に田舎へ行って、林造の両親に会えと、旅程や切符まで用意する久恵に、ついに亮子は腹を立てるが、結局林造と熊本に行く。
 熊本市郊外の家で(寿美酒)という婚約の式をした後、亮子と林造は、久恵のスケジュールから逃れて、朝倉の三連水車を見に行き感動する。
 ところが横浜に戻ってすぐ、林造が事故で入院。病室を久恵が取り仕切り、亮子は会えない。やがて林造は九州へ移される。
 同じ頃亮子は妊娠していることを知る。
 林造を追って熊本に行った亮子は、(寿美酒)の家は、自分を欺くためのものであって、林造の家は  実は大変な僻地であることを知る。しかもそこには林造はいなかった。
 亮子は逃げ出し、水車の前で林造を待つ。
 林造は親を説得し、家を捨てて亮子の元に来る。
 ヒロシに離婚を迫られ、自分の生き方を反省した久恵も、水車の前に現れる。
 又何か企んで来たのかと亮子は警戒するが久恵は穏やかに別れを告げて去っていく。
 久恵への敵意と拘りから解放されて、亮子は確かな幸せを実感する。
 熱く抱き合う二人を祝福するように、三連の水車が回っている。
 
























【登場人物】
山内亮子 (29)    短大助教授
宮守林造 (24)    旧家の跡取り
久   恵 (30)    昔、林造の子守
ヒ ロ シ (30)    久恵の夫
宮守岩造 (54)    林造の父
   幸枝 (50)    林造の母
   竜太 (24)    林造の同級生
ヴィクトリア(19)   留学生 



○ 横浜市港北区・丘の上
     遠くにベイブリッジ、みなと未来地区のビルが見える。

○ 国際女子短期大学正門
     ツツジ・サツキ等が咲き競っている。
     落ち着いた服装の学生達に交じって時折留学生の姿がある。

○ 同教室・2階
     長身、スーツ姿の山内亮子(29)が講義をしている。
     十数人の学生の耳に、澄んだ朗読の声が響いている。
亮 子 「もののおの やそ乙女らが 汲みまごう 寺井の上のかたかごの花」
     学生達がうっとりと聞き惚れている。
亮 子 「近代の詩歌は、内面のリズムが大事などと言って音韻を軽んじていますが、和歌は、特に
     万葉歌はまず優れて声に出して歌うべきものなのです」
学生1 「古今集などにもそれは当てはまりますか」 
       亮子、キラキラ輝く目に笑みをたたえて、
亮 子 「そう、古今は月光の下で、新古今はほのかな灯りの下で……、しかし万葉は日輪の下、風
     の過ぎる野面に立って大声で歌うものなのです」
       学生達に同感の声が起こる。
     留学生のヴィクトリアが一人雰囲気に取り残されている。
ヴィクトリア「カタカゴの花というのはどんなものですかぁ」
亮 子 「そうね、あなたの国は熱帯だから知らないわね。質問出ると思ってたの。ちょっと待ってて」
     教卓の下から小さな鉢を取りだして、
亮 子 「ほら、ご覧なさい。こういう花よ。現代ではカタクリって呼ばれているんだけど……さっき園芸
     店で見つけてきたの」
     留学生の机に置かれた小鉢を覗き込むために皆が集まってくる。
学生2 「カタクリって片栗粉と関係あるんですか」
亮 子 「あると思うでしょう。ところが……やっぱりあるんだって」
      学生達どっと笑う。
     小鉢を掌で包み、ヴィクトリアも一緒に笑っている。
亮 子 「今は葛という植物からとっているそう だけど、名前の通りこっちが本家本元。かわいい花で
     しょう。私ね、裏山にこの花がいっぱいいっぱい咲いている……そんな田舎に住みたいと思っ
     ているの」
     亮子、夢見る表情。
学生3 「あ、又亮子先生の田舎ファンタジー劇場、始まり始まりー」
亮 子 「いっけない、すぐに脱線しちゃう。授業、授業。みんな戻ってぇ。この歌もう一度歌ってみます。
     耳じゃなくって、身体で聞いててくださいね」
     学生達目を閉じる。
     亮子窓を開け放ち、朗々とした声で歌い始める。
亮 子 「もののおの 八十乙女らが汲みまごう 寺井の上の……」
     突然、ダダダ……と物凄い音と振動。
       驚く教室内。

○ タイトル(みずぐるま)

○ 工事用の足場の上
     校舎に密着して作られた足場の上で、ヘルメット、作業服姿、体格のいい宮守林造(24)がドリ
     ルを校舎の側面に当てている。
     目の前の窓から亮子の怒った顔が覗く。
     林造を睨んで大声。
亮 子 「ちょっとォー、困るじゃないのォー。これじゃ授業出来ないわよォー」
     林造、亮子を見て、作業を止める。そして見つめたままドリルを空転させている。
亮 子 「その音止めてって言ってるのよ」
     亮子がドリルを指さし、×印を作ってみせる。
       林造はようやくスイッチを切るが、まだじっと見つめている。
亮 子 「授業の邪魔なの、どこか他の所をやって、ね」
林 造 「……」
亮 子 「あなた耳聞こえないの?」
     他の窓から学生達の顔も覗く。
     ハンマーを手にしたヒロシ(30)が来る。
ヒロシ 「どうかしました?この人が何か」
亮 子 「あなたが責任者?」
ヒロシ 「違うけど、この人の事だったら何でも」
亮 子 「どういうことそれ、ああ、兄弟」
ヒロシ 「イヤ、そうじゃなくって……」
学生1 「つまり付き人?その若殿様の」
学生2 「ばかトノサマの」
     賑やかな笑い声。
亮 子 「耳がご不自由なのね」
ヒロシ 「そうじゃねえよ」
     ヒロシ、林造の耳栓を取る。
     林造、我に返ったようにおどおどとする。それをみて又学生達の爆笑。
亮 子 「何でもいいけど、授業に差しさわり無いように工事をするってことじゃなかった?」
ヒロシ 「だけどよ先生、急げ急げってハッパ かけてんのここの事務長さんだぜ。何でも去年の予算
     だからとにかく急げってね」
亮 子 「こっちだって授業妨害されちゃたまんないわよ。とにかく責任者呼んでらっしゃいよ」
     学生達、ワアワアと亮子をけしかける。
林 造 「ワシが音出さんごとすりゃよかじゃろう。そうするばい」    
学生3 「そうするばいだってぇ」
学生4 「ワシだってぇ」
学生5 「やっぱ殿様だぁ。キャー」
ヒロシ 「だって林蔵さん、ここに鋲の穴あけとかにゃ、明日の朝には鉄骨が来てしまうとですよ」
林 造 「よかたい。どぎゃんにでもなる」
     林造はドリルを片付け始める。
     亮子が満面の笑顔を浮かべて林造を見る。
亮 子 「助かるわ。有り難う。あなた九州?」
     林造、うなづき、それから食い入るように亮子を見る。
       亮子はにこやかに手を振りながら窓を離れる。
       「よかたい、よかたい」と笑いはじけながら、学生達も引っ込む。
ヒロシ 「林造さん……どうなさったとです?」
林 造 「ヒロシ、ワシはあげなオナゴを嫁にして連れて帰りたか!」
ヒロシ 「えっ、何処の窓におったとです?」
林 造 「目の前におった、ほれあの先生じゃ」
     林造なおも窓の中の亮子の姿を追っている。
ヒロシ 「ありゃぁ年増ですぜ。ピチピチした若いのがいっぱいこっぱいおったとじゃないですか」
      林造、答えず教室を覗いている。
     開け放たれた窓から、亮子の甘い絡みつくような歌声が聞こえてくる。
       ヒロシが独り言。
ヒロシ 「全くもう、仮にも相手は大学の先生 だぜ。俺たちゃ土方じゃねえか」

○ 校門
     亮子が学生達に取り囲まれながら出てくる。
学生1 「先生、傑作だったね、あの九州の殿様」
学生2 「ワシは……よかたい」
     賑やかに、てんでに口真似。
亮 子 「九州に旅行したときボンタンっていう蜜柑を見たことがあるの。こんなに大きくて、ぼてっとし
     てて……そのこと思いだしちゃった」
学生達 「ボンタン殿様だぁ、キャーおかしい」
       ヴィクトリアが、カタクリの小さな鉢を大事そうに胸に抱えている。

○ 横浜・野毛の通り
     賑やかで雑然としたたたずまい。
       亮子と学生2人腕を組んで歩いている。
亮 子 「塵まみれなる街路樹に 哀れなる5月 来にけり」
学生1 「石だたみ都大路を歩みつつ……」
学生2 「恋しきや何ぞわがふる里」
亮 子 「夏みかんたわわに実り……」
学生1 「橘の花さくなべに……」
学生2 「とよもして啼くほととぎす」
学生1 「先生?……なんか今日ご機嫌みたい」
学生2 「うーん、やっぱボンタン殿様のせいかな」
亮 子 「フフ、田舎ってああゆう風貌の人間を作るのね。なんだか懐かしい表情だった。 ……いい
     なあ、田舎」
学生1 「先生、田舎無いの?」
亮 子 「私は川崎の有毒ガスの中で生まれ育ったの」

○ 野毛通りの一角・婦人会館入り口
     館内案内表示にカルチャーセンターと出ている。

○ 同玄関ホール
     小黒板で「カントリーライフ」という文  字を確かめて、亮子が急ぎ足でエレベーターに向かう。

○ カルチャー室の中
     二十人ほどの奥様風中年に向けて、亮子が熱っぽくレポートしている。
     ベレー帽の講師秋山(62)が大げさに頷いている。
亮 子 「田舎で暮らしたいという私の思いはもう既に抑えることの出来ない衝動となっているのであ
     ります。その事の実践のために私の全エネルギーを注ぎ込もうと思っております。では最後
     に、竹内てるよ・ふるさと詩集の中から短い一節を紹介して私のレポートを終わります。
     ふるさと
     私は 久しぶりに  
     ふるさとに 旅をした
     花々の咲く野をゆき 丘を越え
     海鳴りを きいてねむった
     そして 私は 知った
     ふるさとは 断じて環境ではなく
     ふるさとは 思想であることを」
     一礼する亮子に大きな拍手。
     大きなジェスチャーで秋山登場し亮子の肩を抱き抱える。 
秋 山 「我が教室{カントリー生活}始まって以来の素晴らしいレポートでした。内山亮子さんのカン
     トリー精神は、いわゆる脱サラのような逃げの心境ではなく、深い学識と合理的な実践意欲
     に裏打ちされた、故郷創成の思想に基づいたものであるから魅力的なのです。えー間もなく
     出版されるエッセー集も、ほれこの通りすでにゲラ刷りの段階に来ております。まことに出版
     の日が楽しみですな。では新進エッセイストに、もう一度大きな拍手をどうぞ」
     拍手の中、亮子が得意そうである。

○ 同教室の中
     秋山が分厚いゲラ刷りの束を亮子に手渡している。
秋 山 「校正は念を入れてやって下さい。私の経験だと最低三校くらいまでやった方がいいでしょう」
     亮子受け取り、鞄に入れる。
秋 山 「ところで、製本代の残りの事ですが……」
亮 子 「はあ、それが……この前の二百万、私としてはかなり無理して作ったものですか ら、今す
     ぐには……ちょっと……」
秋 山 「いやごもっとも、ですが急かされているんですよ……はっは、印刷屋もこの不況で苦しいらし
     くて」 
亮 子 「後の半金、確かテキストとして……」
秋 山 「もちろん本に仕上がりましたら、教室で買い上げ……都内の講座仲間にも紹介して……です
     が、金の顔を見ないことには、業者が仕事を先へ進めんのですよ」
亮 子 「……はあ……」
秋 山 「このままだと中断ですよ。キャンセルしてもゲラまでの手間は取られるし……」
     亮子、窮してうつむく。
     秋山、ズイと近寄り、
秋 山 「どうです亮子さん。私が援助、という形では?」  
亮 子 「は……?」
     秋山、ニッと笑って亮子の手を握る。
亮 子 「あッ、いいえ結構です」
     激しく手を振り払って亮子が離れる。
秋 山 「いやいや、冗談ですよ。でもあなた、この世界じゃ注目されている。ここでボシャったらもうお
     しまいですよ」
亮 子 「自分でなんとかします」
     憤然と亮子出口に向かう。
     その背に、
秋 山 「二百万ですよ、三日以内に振り込むんですよ」
   
○ 野毛通り・婦人会館隣の場外馬券売場
     作業着姿の林造がベンチにかけてノートパソコンを操作している。
       窓口の方から派手な背広姿のヒロシが馬券の束を破りながら、がっくりとした様子でやってく
     る。
ヒロシ 「またやられた。もう止めまっしょうや馬は。」
       林造はそれには耳を貸さず、なお操作している。
ヒロシ 「林造さん、……本家の旦那様から預かったゼニ、もうあらかた使うてしもうたですよ。嫁探し
     のゼニじゃったのに……」
      林造尚も画面を睨んでる。
     ヒロシ覗き込んで、
ヒロシ 「明日のデーターですか。ふんふん8 レース。でもね、このコンピュータ頼りに ならんのとち
     がいますか」
     林造はうるさそうに、パソコンを閉じて顔をあげる。
     そしてギクリとする。
     視線の先をヒロシも見る。
     前方の道を亮子がうつむいて通り過ぎていく。  

○ 横浜・伊勢佐木町の裏通り(夕)
     林造とヒロシが亮子をつけている。
       各階にサラリーローンの看板が出ているビルの下で、ためらい、溜息をついた後に鉄製の細
     い階段を上っていく。
     顔を見合わせる2人。
 
○ 横浜・元町、高級レストラン(例えば霧笛楼)入り口(夕)
     「霧笛楼」の瀟洒な看板

○ 同・内(夕)
     個室の古風なテーブルにヒロシとその妻・久恵(30)並んで座っている。
     ヒロシはスーツがいかにも野暮ったいが、久恵のブランドは決まっている。
     一人分の席が空いている。
       ボーイが覗きに来る。
久 恵 「あの、お料理もう少し待って下さいネ。肝心なお客様が未だ……」
     久恵はもの慣れた様子だがヒロシは落ち着かない。
ヒロシ 「ホントに来てくれるかのう。こげんに天気のいい日曜だし……」
久 恵 「インテリはね、日曜は暇なの。大丈夫だって、人を呼び出すことには慣れてるのよ」
     ボーイの案内で亮子が入ってくる。
     久恵、飛びつくようにして迎え、
久 恵 「来て下さった!感激です。どうぞ」
     亮子座らない。
亮 子 「用件を伺いましょう」
     久恵名刺を出す。
     亮子チラと見て舌打ち。
亮 子 「保険だったらお断り!失礼します」
     帰りかける亮子を、にこやかに押しとどめながら、
久 恵 「ビジネスではありません。全くプライベートなお話。まあ、とにかくお座りになって下さい。お
     願いします」
ヒロシ 「お願いします」
亮 子 「あら、あなたは……ボンタンと一緒に居た……」
     亮子、やっと座る。
     どっと料理が運び込まれてくる。
 ヒロシ 「ボンタン……?林造さんのことですか?なるほどボンタン……」 
久 恵 「私どもの主筋の若様でございます」
     久恵の大まじめな表情に亮子が噴き出す。
亮 子 「主筋だなんて、ずいぶん大時代なこと」
     久恵、慣れた手つきでグラスを持つ。
久 恵 「お近づきの乾杯をしましょ」
亮 子 「何だか分かんないけど、乾杯」
     ヒロシ、不器用に注ぎ足す。
亮 子 「ところでボンタン、いや若様はどうしたの?付き人としてはいつも一緒に居るんじゃないの」  
久 恵 「若様は寝込んでおります」
亮 子 「ふーん、あんなごつい身体してても具合悪くなるんだ」
久 恵 「いいえ先生、若様は5歳の時、ハシカをしただけで、後は病んだことはございません。さ、ど
     うぞ」
ヒロシ 「コイツは昔林造さんの子守をしとりました」
久 恵 「はい、若様が生まれてから小学校に入学するまでです」
ヒロシ 「おれは、用心棒を兼ねた遊び相手でした」
亮 子 「ふーん、まるで尾崎士郎の人生劇場みたいね。なんだか面白くなってきた。それで若様の
     生まれて二回目の病気は何なの」
久 恵 「恋の病です」
     亮子、むせてワインをこぼす。
亮 子 「何ですって、恋の病、あははは、青成瓢吉どころか近松門左衛門の世界じゃないの。現代
     の若者が恋の病だなんて」
     亮子、笑い転げ、更にワインがこぼれる。
     こぼれたワインをかいがいしく拭き取りながら久恵がおごそかに言う。
久 恵 「若様は普通のお方じゃありません」
亮 子 「あなたたちのその思いこみは分かったけど、若様はいったいどんな女に一目惚れしたの。
     えーと、ああいうタイプは水商売の女だな。コラ!君が変なとこへ連れて行ったんだろう」
     亮子に少し酔いが回ってきている。
ヒロシ 「そうじゃねえっすよ。彼は酒はやんねえし、女にも興味がねえ。それが今度ばっかしは、と
     んでもねえものに……」
亮 子 「とんでもねえもの?ふふ、とんでもねえもの……なんだろう」
      ヒロシ、冷や汗をかいている。
亮 子 「分かったぞ、その答えはアイドル歌手のカワイコちゃん、ピンポーンでしょ」
久 恵 「先生です!若様は先生に惚れたとです」
     亮子、笑い出そうとするが、久恵の食いつくような表情を見て、頬をひきつらせる。
亮 子 「あなた達、こんな立派なフランス料理のテーブルまで用意して人をかつごうというの?念の
     入ったこと。ばかばかしい」
ヒロシ 「先生、嘘や冗談じゃ無え。ほんっとにいかれちまってんだ。もうオレや女房じゃ手に負えね
     えんだ」
     久恵、手を挙げてワインを追加している。
     亮子、注がれたのを一気にあおり、
亮 子 「そのとんでもないのが、本当に私だって言うんなら、本人の口からどうして言わせないの」
久 恵 「一昨日帰って来てから何にも食べてないんですよ。すっかり弱ってしまって…… 明日は
     救急車を呼ぼうと……」
      久恵、涙ぐむ。
     亮子、真剣な表情。
     突然ガバと久恵が床に手をつく。
     ヒロシもそうする。
久 恵 「もし若様に万一の事があったら、私たち生きてはいられません」
ヒロシ 「オレ等の親たちも、本家に申し訳ねえと、ほんな事、首をくくります。どうか ……先生」
久 恵 「ご迷惑とは重々承知の上、どうか…… 若様と付き合ってあげて下さい。この通りです」
      二人、床に額をこすりつける。
     ボーイや出入りの客が、驚いて覗き込んでいる。
亮 子 「分かった、分かったからその土下座やめて!」

○ 横浜・山下公園(夜)
     海寄りの道を亮子、久恵が歩いている。
亮 子 「ああいい風。少し酔っちゃった。でも おいしいワインだったわ。ごちそうさま」
久 恵 「ごめんなさい、こちらの都合ばかりを 並べ立てて。あー、でもほっとした。今頃若様、ウ
     チの人の話を聞いて、ご飯食べてるかな。」
亮 子 「近くに住んでるの?」
久 恵 「同じアパートに……。本家が部屋借りてくれましてね。若様の社会勉強のお世話をさせ
     てもらってます」

○ 横浜市郊外・緑区(夜)
     畑の中に点在するマンションやアパートの灯り。  

○ 林造の部屋(夜)
     林造が布団の上に起きてバナナを食べているが、胸につまり、ヒロシが懸命に背中を撫
     でている。

○ 横浜港桟橋(夜)
     桟橋の突端で亮子と久恵が海を見ている。
     亮子のバッグの中で電話が鳴る。
     はっとしたように、離れて行き耳に当てる亮子。
       その話し声、最初押し殺したように、やがて大声になり快活に。
       久恵、ベイブリッジの灯りを見ている。亮子が電話を終えて戻ってくる。
亮 子 「学生から。レポートの締め切り延ばせだって。ずうずうしい子」
久 恵 「今日はサラ金から電話が無いので、不思議に思っているのでしょう」
亮 子 「えっ?なあに?」
久 恵 「藤富商事の利息込み四百五十万、午前中に処理してきました」
亮 子 「な、何ですって?」
久 恵 「あの会社、手のつけられない悪徳商法で知られています。危ないところでした」
亮 子 「どうして私のクレジットを……」
久 恵 「保険屋の事故処理担当ですから、調査のノウハウは持っています」
亮 子 「若様、つまり林造クンがらみでこんなこと……」
     久恵詰め寄り、おっかぶせるように、小さな細い身体から大声を出して、
久 恵 「絶対にサラ金なんかに手を出してはいけません!いいですか!亮子さん」
亮 子 「……一言も無いわ」
     久恵、表情を和らげ、ポケットから紙を取り出す。
久 恵 「正直に言いますと、先生が若様の事を鼻であしらうようだったら、これを取引に使うつも
     りでしたの。先生のサイン入り契約書と、今日の日付の支払い済みの領収書。でもそん
     なあくどいことしなくて済んだから良かった。はいどうぞ」
      久恵、紙片を渡す。
亮 子 「うーん。トンカチで頭ぶん殴られたみたい……。あなたって……相当な悪党ねえ」
久 恵 「はい、若様のためなら、鬼にも悪党にもなります。うっふふふ」
亮 子 「先生と言われるほどの……か。まるでわたしを子供扱いね。でも私も正直いうと、助か
     った……有り難う。時間かかるけど、お金はきっと……」
       久恵、海面を指さして、
久 恵 「ねえあれ、クラゲっていうんでしょ。私田舎から出てきて初めて見たとき、飛び上がって
     驚いたんですよ」
     二人、しゃがみ込んで海面を見ている。

○ JR・北鎌倉駅出口
     ハイキング姿の亮子と学生達五、六人出てくる。
       遅れて、荷物を沢山持たされた林造がでてくる。
学生1 「ボンターン、こっち曲がるわよー」

○ 円覚寺境内
     初夏の木々が茂っている。
     茶室の前で亮子が振り向く。
亮 子 「ビクトリア、あなた最近川端康成に挑戦しているって言ってたわね」
ビクトリア「ハイ、千羽鶴……むずかしい」
亮 子 「あのストーリーの最初に出てくるのがここよ。この茶室なの」
ビクトリア「オー、茶の湯ハウス!」
亮 子 「庭に入ってみましょ」

○ 茶室の庭
     にじり口の戸が開いていて、学生達が代わる代わる覗き込んでいる。 
     炉の縁にさりげなく白っぽい茶碗が置いてある。
学生2 「先生、志野の茶碗の縁に口紅の跡が残っていて、いくら拭き取っても微かに浮き出て
     くるっていうの、セクシーですね」
亮 子 「さすが私のゼミの学生だわ。あの辺が 川端文学のエロスの極みなのよ」
      林造が荷物を持ったまま立っている。
亮 子 「ちょっと、林造クン荷物置きなさいよ。体力あるでしょうけど」
林 造 「ハイ、そげんします」
     林造、荷物を下ろす。
     学生達笑う。
学生3 「ねえ、ボンタンって先生の何なんですか」
亮 子 「うーん、秘書かな、助手かな」
学生4 「ボンタンさあ、先生のこと好きなの?」
林 造 「好いちょります」
     学生達大騒ぎ。
     初老の外人夫妻眉をしかめて近づく。
外 人 「シー、静かに勉強しましょう。日本のワビ、サビ」
     一同恐縮。
     特に亮子、いたく赤面。

○ 建長寺・山門前
     一行が軽快に合唱しながら通り過ぎていく。
       その後を荷物を持って林造。

○ 鶴ヶ丘八幡宮・境内
     ベンチに掛けて一行が弁当を食べている。
       林造の弁当がひときわ豪華。
学生1 「ウワー、ボンタンすごい。誰が作ってくれたの」
亮 子 「久恵さんの心意気ね」
学生1 「え、だあれ?」
亮 子 「姑さんみたいな人」
学生1 「ふーん、おばあちゃんが居るんだ」
亮 子 「だけど、果物が足りないわね。ハイ」
     亮子が林檎を渡す。
     すかさず学生達節をつけて、
学生2 「優しく白き手をのべて  リンゴを吾 に与えしは……」
学生3 「薄くれないの春の日に 人恋い初め しはじめなり」
亮 子 「減点するわよ、レポート」
     亮子の口調を真似て、
学生4 「詩歌は声に出して歌いましょう」
     賑やかに食事が進む。

○ 野毛山・市立図書館玄関
     亮子と本の束を抱えた林造が出てくる。

○ 婦人会館カルチャー教室前
     林造が運転席で待っている。
     亮子がカルチャー仲間と別れて、後ろの座席に乗り込む。
       車の出た後を、首を傾げて見送るカルチャー仲間。
     ベレー帽の秋山が憮然とした顔で眺めている。

○ 港の見える丘公園
     夏雲の下に海が光っている。
     木陰の芝生の上にあぐらをかいて、林造が速いタッチでノートパソコンのキーボードを叩
     いている。
     亮子がルーズリーフのページを外しては、次々に手渡している。  

○ 伊豆・堂ヶ島の海岸
     亮子、林造、ヒロシ、久恵が海水浴をしている。
     はしゃぎながら、ビーチボールを投げ合っている。 
     亮子は大胆な水着。
     林造の見事な筋骨が陽を反射している。
     ヒロシのしなやかな身体が大きくジャンプを見せる。
       小柄な久恵の色白の四肢が美しく火照っている。
       ヒロシと久恵に言われて、林造が逆立ちを見せる。
       砂に手の跡を残しながら、砂浜を何度も回り始める。
       浮き袋や、砂の山を乗り越え、海中にも入っていく。
       驚嘆して眺める亮子。
     海水浴の客達から拍手が起こる。
     最後に林造、砂に手を取られて、亮子の上に倒れ落ちる。
       亮子動けず、二人暫く重なっている。
     ヒロシと久恵が、密かにVサインを交わしている。

○ ホテルの部屋・和室(夜)
     六畳の部屋で、浴衣姿の四人が大きなテーブルを囲んでいる。
     舟形の上に豪華な活き作り。
     何本もビール瓶が転がっている。
     三人が水割りのグラスを傾けているが、林造だけはオレンジジュースを飲んでいる。
亮 子 「あの逆立ちには驚いちゃった。まるで逆さ人間。どっちが足なんだか」
ヒロシ 「あれで村の神社の石段を上るとですよ」
久 恵 「若様の家は、その岩屋神社を代々守り続けてきた家柄です」
亮 子 「ああ、だから宮守っていう姓なのね。でもそんなりっぱな家柄の若様が、何で横浜に来
     て……」
ヒロシ 「そりゃぁ嫁を……」
     言いかけたヒロシの言葉を遮って、
久 恵 「気軽なご身分なのです」
亮 子 「じゃあ、本家を継がなくてもいい訳なのね?」
久 恵 「ああ、私すっかり酔っちゃった。もう 限界、ちょっとアンタ、あっちの部屋へ連れってって。
     先生、ごめんなさい。もうだめ」   
     ヒロシと久恵、もつれるようにして出ていく。
     ×    ×    ×
     亮子、ジュースを飲む林造を見ている。
亮 子 「ねえ、そんなのウザィよ。お酒やんない?」
林 造 「ワシはこれでよかです」
亮 子 「そう、それにしてもヒロシ君戻ってこないわね。」
      亮子、立ち上がる。
林 造 「ワシ、もういっぺん野天風呂ば行って来ます」
      林造、出ていく。
     亮子もふらつきながら出ていく。

○ ホテルの廊下(夜)
     浴衣姿の亮子が、酔った足取りで歩いている。 
     亮子が番号を確かめてから、ドアを開けて入っていく。

○ ドアの内(夜)
     亮子が履き物を脱いで上がり、部屋の襖を開ける。
       灯りをつけたまま、ヒロシと久恵が激しい愛の行為をしている。
     亮子が息を呑んで立ちつくす。
       もだえて声を上げる久恵の長い髪が、シーツの上で波打っている。
       我に返って部屋を出ようとする亮子の耳に、久恵の悲鳴のような歓喜が聞こえる。

○ ホテルの廊下(夜)
     亮子が胸を押さえ、荒い息で歩いている。  

○ 部屋の中
     夜具が二組くっつけてしいてある。
     テーブルは散らかったままで片隅に寄せてある。
     亮子が襖を開け部屋の様子に驚き、つぶやく。
亮 子 「手回しが良すぎるじゃない、これって。……彼女また仕組んだな」

○ ホテルの庭の外れ(夜)
     芝生の上に林造が座っている。
     そこから海が見える。
     遠く船の灯りが点滅している。
     亮子が裸足で、芝生を踏んで近づいてくる。
亮 子 「お風呂じゃなかったの?」
林 造 「ここが涼しかけん」
亮 子 「あんたも……久恵さんの手の上で転がされているのね」  
林 造 「久恵が何かご無礼なことばしよったとですか」
亮 子 「ううん、何でもないの」
     亮子、隣に座る。
林 造 「あ、この下駄を履いてください」
亮 子 「いいのよ、気持ちいい。星がきれいね」
林 造 「はい」
亮 子 「あれ、星が動いてる」
林 造 「下んほうにあるとは、ありゃ船じゃ」
亮 子 「イヤだ酔っぱらってるから、分かんなくなってる。ねえオリオンはどこ?」
林 造 「そりゃあ冬の星座ですけん、ここにはなか。明け方近うにこのあたりば来るとです」
亮 子 「あんた高校の時なんか、どんな科目が好きだった?」
林 造 「国語ん他は全部好きじゃった」
亮 子 「国語嫌いなの?」
林 造 「言葉は好かんのです」
亮 子 「言葉は好かんか……私は言葉を教えるのが仕事なのよ」
林 造 「こんまい頃、ワシはドモっちょりました。直ったとですが、横浜に来て方言直そうと思うた
     ら、又ドモったとです。ですけん直さんことにしました」
亮 子 「そう、吃音を二度も経験したの。辛かったわね」
林 造 「笑われるき、町のもんとはあまり話とうなかです」
亮 子 「そうか、結構傷ついてたのね。私と話すのもイヤ?」
林 造 「先生は……亮子さんは別ですたい」
     亮子、林造の肩に手を回す。
亮 子 「私ね、あなたが好きだけど……久恵さんに四百五十万で買われたような気がしてなら
     ないのよ」
林 造 「そげな、淋しかこと言わんで下さい」
     亮子、林造を強く抱きしめる。

○ ホテルの部屋(夜)
     亮子が冷蔵庫からウィスキーの小瓶を取りだしてくる。
     それをコップにあけて、布団の上で舐めるように飲んでいる。
       かなり酔って、浴衣の裾が乱れ、襟元がはだけている。  
     林造は隅でモジモジしている。
亮 子 「もうジタバタしませんよ、久恵さん。さあ、ボンタン!逆立ちしてそこの電気を消してちょ
     うだい」
     林造、ひょいと逆立ち、足の先でスイッチを押す。
     部屋に闇。
       それから月光が広がる。
     亮子が浴衣を脱ぎ捨てる。
亮 子 「ボンタン、あんたも裸!」
     林造裸になって、喘ぎながら近づく。
     亮子、コップをつきだして叫ぶ。
亮 子 「ストップ!これ全部飲んだら朝まで抱きしめてあげる。飲めないんならあたしが飲んじゃ
     って、意識をなくして、あたしのこの身体屍のようにしちゃうよ。さあ、どっちにする?」
     林造、コップを取り、暫くじっと亮子を見つめる。
       そしてコップ半分ほどのウィスキーを一気に飲み干す。
       亮子が唖然とする。
     コップを放り投げて、林造が呻り声をあげて亮子を組み敷く。
       月光に照らされて、亮子の身体が激しく揉みしだかれている。

○ ホテルの大浴場・女湯(朝)
     亮子が湯に浸かっている。
     少し離れて、久恵が背中を向けて沈んでいる。
亮 子 「久恵さん」
久 恵 「何ですか」
亮 子 「あなた夕べ、もしかして私たちの様子見に来たんじゃない?」
久 恵 「…………」
亮 子 「酔ってて鍵忘れたみたいだから……やっぱり来たのね?」
久 恵 「うふふふ、お互いさまでしょ」
       久恵、向こうを向いたままで答える。

○ 同・男湯(朝)
     林造が逆立ちをして、湯船の回りを回っている。
     ヒロシが桶に水を汲んでは、林造の下腹部にぶっかけてふざけている。
       入ってきた老人が、この光景に驚いて立ちすくんでいる。

○ 同・女湯(朝)
     亮子と久恵が洗い場に背中を向け合って座っている。
久 恵 「若様は三年前、岩屋神社に願をかけて出てきました。理想の女性と巡り会うまで酒は
     一切口にしないという願かけです」
亮 子 「でも夕べ……」
久 恵 「飲んだということは、亮子さんを嫁にすると、もう心に決めたからですよ」

○ 同・男湯(朝)
     ヒロシが林造の背中を流している。
ヒロシ 「いいですか、子が出来るまで、田舎へ帰るなんて言わんで下さいよ。子が出来さえす
     りゃ、おなごはどげんにでん言う事ば聞きますけんのう」
林 造 「ワシは早う連れて帰りたか」
ヒロシ 「じゃけんど、田舎の魚釣り思い出して下さい。未だ餌をつついとるところですたい。ここ
     で竿上げちゃならんとですよ」

○ 亮子の部屋
     8畳くらいのワンルームマンション。
     パソコンの回りに本が積み上げてある。壁に幾つも農村風景の切り抜き写真が貼ってある。
       スキー用具の隣に、菅笠と蓑がぶら下がっている。
       カセットコーダーから、万葉集を朗読する学生の声が流れている。
       机に向かって、それを聞きながら、亮子がレポートに目を通している。
       チャイムが鳴る。
     カセットコーダーのスイッチを切って、亮子が立ち上がる。

○ 同・入り口
久恵の声「私です、久恵。お邪魔かしら」
     亮子、表情を固くする。
久恵の声「大事な事なので、どうしても……」
     亮子、ドアを開ける。
亮 子 「よく分かったわね。こんなスラムの奥が。どうぞ」
久 恵 「訪問は商売ですもの。今、その外回りの途中なんだけど」
     コートを脱ぎながら、久恵が入って来る。

○ 同・部屋
     散らばった雑誌などを、慌てて片付ける亮子。
     部屋を見回している久恵。
久 恵 「大学のプロフェッショナルのお部屋とは……」
亮 子 「思えないでしょ。シティギャルの……」
久 恵 「いいえ、少年のような……」
     久恵、床に座る。
久 恵 「お茶は出して頂けないと思ったから、あったかいの買ってきました。良かったら……」
     久恵、缶コーヒーを二個置く。
     亮子、むっとして、キッチンに立ち、茶の支度を始める。
       久恵、壁の農村風景の写真を見ている。
久 恵 「お噂通り、農村への憧れ、相当なものですね。読みましたよ、{田舎暮らし}という雑誌
     で先生の論文」
     亮子が茶を持って来る。
     茶碗を、缶コーヒーにぶつけるように置く。
亮 子 「大事な事って、一体何でしょう」
     久恵はまだ壁をみている。
久 恵 「似てるんだなぁ、あの、水車のある風景。あそこに阿蘇山の遠景を入れたら、熊本にそ
     っくり。もう……早稲の刈り入れが始まっているかなぁ」  
亮 子 「また何か企んでる……」
久 恵 「じゃあ、はっきり言いましょう」
     久恵、缶コーヒーの口を音高く開ける。
久 恵 「若様とお付き合い頂いて、もう五ケ月。お嫌じゃないでしょ」
亮 子 「はっきりいいます。好きです。大好きです!」
久 恵 「この前も、研究取材とかで、遠野へ一緒にいらっしゃった」
亮 子 「……」
久 恵 「ホホ、どんなに口止めなさっても、若様は、私には隠し事は出来ません」
     亮子、茶を飲む。
     そのはずみに、缶コーヒーが倒れて転がる。
久 恵 「熊本に一度行って頂けませんか。本家や親類の方々にお引き合わせしたいのです」
     亮子、憤然として立ち上がる。
亮 子 「そんなこと、私と彼とで決めるわ。あなたの指図は受けたくないの。帰ってちょうだい、
     二時半から授業があるのよ」
     久恵はゆっくりと茶を飲む。
久 恵 「若様の身内、親族ご一統、それはもう高い格式と風習で包まれております。若様はあ
     の通りのお口下手。私が居なければ、このお話進みません!……まあ、お座りになって
     下さいな」
      亮子、しぶしぶ、久恵から離れて座る。
久 恵 「いずれきちんとした仲人を立てましょう。ですが何としても先生が二十代の内に嫁にした
     いのです。後七ヶ月しかありませんね」
     亮子、再び立ち上がり、キッチンに走り込む。
     茶碗を一つ叩き付けて割る。
       足を踏み鳴らして、キッチンから叫ぶ。
亮 子 「何で私たちの間に、そうやって土足で入り込むの。あなた一体何者だって言うの?」
久 恵 「私は若様の子守。そうして宮守家の忠実なオナゴ衆」
亮 子 「そうして大旦那様のお手がついた。田地田畑をつけて、ヒロシ君に下げ渡された。……
     知ってますよ私だって」
     久恵、亮子の転がした缶コーヒーを拾って開け、ゆっくりと茶碗に注ぐ。
久 恵 「未だお若いわねえ、先生」
     亮子、戻ってきて座る。
亮 子 「あなたに言われなくても、話進めようと思ってました。でもね、私には困ったことが一つ
     あるんです。これを彼が受け入れてくれるかどうか不安で……」
久 恵 「おおよそ見当はついてます、調べましたから」
亮 子 「でしょうね、でもこれだけは彼に直接みて貰うしかないから」
久 恵 「大丈夫でしょう。命と取り替えてもいいくらい、先生に惚れていますから」
      久恵、改まり座り直して、
久 恵 「では、その事十日ほどの間に片付けて下さい」
亮 子 「ええ、思い切って、そうするわ」
久 恵 「そうして、熊本に顔見せに行って頂けますね」
     亮子、カレンダーをチラと見てから、うなづく。
     久恵、バッグを引き寄せ、亮子の前にカラフルな封筒を置く。
久 恵 「二週間先の新幹線のチケットです。若様のと二人分。それに玉名温泉のスイートルー
     ムも取ってあります。子宝の湯ですよ。 もっとも、もう必要ないのかな?」
     久恵、亮子の腹の辺りを見る。
     亮子、またキッチンに走り込み、茶碗を割る。
     コートを取り久恵、帰り支度。
     亮子、走ってきて、封筒を破り、ゴミ箱にたたき込む。
       薄笑いを浮かべて玄関へ向かう久恵の背に叫ぶ。
亮 子 「あんたのこういうとこが許せないのよ。なにさ、切符ぐらい自分で買うわよ」

○ 横浜市郊外・道路
     緑の多い道を、林造の車が亮子を乗せて走っている。

○ 特別養護老人ホーム玄関
     亮子と、大きな荷物を持った林造が入っていく。

○ 同ホーム・居室
     部屋の半分に畳が敷かれ、数人が寝転がっている。
     もう半分の板の間の、古びたソファーに、亮子の母、民子(58)が虚ろな目をして座って
     いる。
亮 子 「お母さん来たわよ。リョウコ」
     民子は反応しない。
       林造が荷物を開き、菓子や果物などを取り出している。
       民子がそれをじっと見ているが、急にしゃんとして言う。
民 子 「お父さん!どこへ行ってたの?こんなに遅くまで。ご飯が冷えちゃったよ。亮子、お
     つゆ温めとくれ」
      民子が貰ったばかりの菓子を、食べろという動作で、しきりに林造の口に運ぶ。林造
     が黙ってそれを食べている。
     畳に居た連中も寄ってきて、菓子に手を出す。
       林造がその手に菓子やジュースを持たせてやる。
       林造の頬にキスをしていく老女もいる。林造は全く動じない。
民 子 「亮子、流しにビールがあったろ。持っておいで」
      民子がビールの手つきで、缶ジュースを注ごうとする。
       林造、歯ブラシの入っていた汚れたコップを取って、それを受ける。
民 子 「家も早く電気冷蔵庫買いたいね、父さん」
林 造 「そうじゃな、こん次のボーナスで買うてやろうなあ」
     亮子が堪らずに叫ぶ。
亮 子 「お母さん!」
民 子 「亮子、宿題は終わったの?お前は大学へ行って偉くなるんだろ」

○ 同ホーム・事務所
     亮子が多額の支払いをしている。

○ 林造の車の中
亮 子 「やっと分かったわ。私ねあなたを初めて見たとき、何だかこう、妙に懐かしい感じが
     したのよ。……事故で死んだ父に、何かが似ていたのね。母の態度でやっとそれが
     分かったの。でも驚いたでしょ」
林 造 「いんにゃ、早口で喋るモン達よりゃ、ワシャああいう人の方がいい。ほっとするです」
 
○ 林造のマンション・前
     車が止まる。

○ 車の中
林 造 「ここがワシの家ですたい。寄って下さい」
亮 子 「イヤだ、近くに久恵さんの家もあるでしょう」
林 造 「あの久恵が、そげんに好かんとですか」
亮 子 「好かん、好かん!」
林 造 「肝が太うて、頭がよかけん、あんオナゴにゃ、村中誰も頭があがらんとです。村長
     選挙じゃ、アレを味方につけた方が勝つんですけんのう」
亮 子 「口惜しいなあ、たかが中学出の山だし女に、いいように操られてる……」   

○ 京成電鉄・車内
     亮子と林造が無言で乗っている。
     亮子の表情が硬い。

○ 四街道駅
     二人が降りてくる。

○ 病院と併設された養護学校校門
     二人が入っていく。

○ 筋ジストロフィー患者の病室兼居室
     ベッドに三人の少年が居る。
     その一人真吾(18)が怒り狂っている。
真 吾 「何でこんな田子作と付き合ってんだよう。この前のチンピラとは、切れたのかよお。
     ああ、あいつ豚箱行ってんのか」
亮 子 「真吾、ねえ聞いて。姉ちゃんこの人とね……」
真 吾 「ああ、結婚すんのかよ。言っとくけど同じようなバカが出来るぜ。第一姉ちゃんだって、
     筋ジスの劣性遺伝子持ってるかも知れねえんだぜ」 
     真吾、林造に近くの物を投げつけるが、腕に力が無い。
林 造 「ワシのあだ名はボンタンじゃ。ワレの姉ちゃんがつけてくれただ。ボンタンて言うのは
     のう、見かけは悪りいが食うてみるとうんめえもんだぞ。わっはっはっは」
     林造、豪快に笑う。
     亮子が驚いた顔で林造を見る。
亮 子 「真吾、お母ちゃんがねえ、この人を見て、父ちゃんと間違えたんだよ。ねえ、似てる
     だろ、今の笑い方なんか」
真 吾 「無神経なところが似てるよ。何だいこんな、でけえ図体でオレの前に来やがってよォ」  
      真吾、投げる物が無くて、唾を吐きかける。
     林造は穏やかな顔で立っている。
     亮子が封筒を床頭台の上に置く。
亮 子 「今月と来月の分。図書券も少し入れといたわよ」
真 吾 「分かったよ。早く帰れよ」
     亮子が林造の背を押して外に出る。

○ 養護学校の事務窓口
     亮子が金を払っている。
事務員 「あ、山内さん。病院の会計にも寄って下さいね」     

○ 浦安・ビル群の中のレストラン(夜)
     ディズニーランドの灯りを見ながら、亮子と林造が食事をしている。
亮 子 「あの子の病気ね、少しずつ着実に進んで行くの」
林 造 「筋ジスっち言うんじゃろう。遺伝子がどうとか言いよったですのう」
亮 子 「その事で母を責めて責めて、母は辛くて、ボケるしかなかったのよ。」
林 造 「あっちこちに、ゼニがうんとかかってたんじゃのう」
亮 子 「うん、それなのに本なんか出版しちゃって、それで久恵さんに首根っこ押さえられて
     ……」
林 造 「あげん事があったけん、ワシは亮子さんと、こげんになれた。もうそん事はよか」
亮 子 「いいえ、きっと返す」
      料理が来る。
林 造 「今日は飲まんとですか」
亮 子 「うん、今日はお酒が苦そう……」
     二人、ジュースで乾杯。  
     ×  ×  ×
亮 子 「ねえ、今から私のマイナス点を、一つずつ言うから、許せなかったら正直に言って」
     林造、うなづく。
亮 子 「その一、あんな弟が居る」
     林造、うなづく。
亮 子 「その二、確率は低いが私も弟のような子供を産む可能性がある。その三、ボケの母
     が居る。その四、ここが一番心配なの。過去に付き合った男がいる」
     亮子、林造の顔を覗き込む。
     林造、平然としている。
亮 子 「最後の決定的なマイナス点、五つも年上!」
     林造、大声で笑い出す。
亮 子 「あなた今日、よく笑うわね。でも父と居るみたい。」
林 造 「亮子さんが怒るじゃろうけんど……」
     亮子、不安そうに、
亮 子 「正直に言っていいわよ。やっぱり結婚は無理でしょ」
     林造、また笑う。
亮 子 「もう、笑ってないで早く言ってよ」
林 造 「はっはっは、そげん事は四ヶ月も前に久恵が全部調べて来ちょった」
亮 子 「あーまた久恵さん……」
     亮子の帯電が鳴る。
亮 子 「ああ、真吾?うん姉ちゃん。……うん ……うん、そうなの。分かった。……、……
     アリガト」
      亮子、明るい表情になっている。
亮 子 「お酒飲も!」

○ 錦糸町駅前・屋台(夜)
     亮子と林造が肩をくっつけて、おでんをつついている。
亮 子 「真吾ったらね、あなたに謝って置いてくれって……あの人はバカでも無神経でも
     無いって」
林 造 「ワシとちごうて、感情ば豊かに持ってる子じゃ。……むげねえのう。ワシのこの身
     体、半分やりたか」

○ 東京駅・緑の窓口(夜)
     亮子が新幹線の時刻表を見ている。
亮 子 「久恵さんの糸に操られるの口惜しいけど、水車のある田舎行ってみたい。ね、来
     週の切符買っておこうか」
林 造 「切符は買わんでもよかです」
亮 子 「だって彼女の持ってきた切符、私破いちゃったもん」
     林造、内ポケットから切符を出す。
林 造 「亮子さんが、おおかた怒るじゃろうと思うて、久恵は切符は抜いとったとです。破
     いたのは、ありゃパンフレットだけですたい」
     亮子、林造の頬を思いっきりひっぱたく。
亮 子 「私行かない!絶対に行かない!」

○ JR横須賀線内(夜)
     亮子が歯ぎしりをしながら、窓ガラスに額をつけている。
       涙が頬を伝っている。

○ JR京浜東北線内(夜)
     林造がしょんぼりとして、吊革に掴まっている。

○ 国際女子短大・工事現場
     校舎に隣接して、新しい建物が出来ている。
     足場が取り壊されつつある。
     林造がその足場の上をうろうろして、しきりに教室を覗き込もうとしている。

○ 同・教室
     亮子が講義を終えたところである。
     学生達にくつろいだ気分が広がっている。
学生1 「先生、あすこ、ボンタンが」
     窓ガラスの外に林造の顔。
     亮子窓に駆け寄り、さっとカーテンを引く。
学生2 「カッワイソー、ボンタン」
学生3 「先生、ボンタンの田舎に水車見に行くって言ってたじゃない。いつ行くの?」
      亮子、不機嫌に黙っている。
     学生達気を引き立てるように、
学生4 「したたり止まぬ 日のひかり うつうつ回る  みずくるま」
学生5 「遠くに 阿蘇の山も見ゆるぞ  楽しいぞ」
学生1 「一日物言わず ボンタンと歩けば 今ははや しんに楽しいぞ」
亮 子 「止めなさい!そんなセンスのない替え歌」
     学生達、顔を見合わせてシュンとなる。
     辞書を引いていたヴィクトリアだけがその雰囲気に気づかず、快活に、
ヴィクトリア「日本の水車は、どんな形ですか?」
亮 子 「こんな形よ!」
     亮子、黒板にひしゃげた三角形を書き、そのまま教室を出ていく。
       ヴィクトリアが、首を傾げている。

○ 東海道山陽新幹線(朝)
     熱海辺りを走っている。

○ 同・車両内
     グリーン車に亮子と林造が並んで座っている。
       林造が弁当を食べているが、亮子は手をつけていない。
       不機嫌に外を見ている。
林 造 「富士山じゃ、亮子さん見てみんしゃい。美しか!」 
亮 子 「田舎者には、富士はいつでもうつくしい。ああ、個性の無い山。私は今火山が見
     たいの」
林 造 「亮子さん、もうご機嫌ば直してください。ワシは切なか」
亮 子 「別に林造クンのせいじゃないのよー。キミのように、広い気持ちになれない亮子
     チャンに腹を立ててるのよー」
林 造 「どうぞ弁当食うて下さい。あ、お茶の熱いのんば買うて来ます」
      林造、自分のゴミを持って出ていく。
     ×  ×  ×
     亮子が呟いている。
亮 子 「したたりやまぬ 日のひかり
     うつうつ回る みずくるま
     遠くに 越後の……
     遠くに 阿蘇の山も見ゆるぞ……」
     亮子、微笑む。

○ イメージ
     教室の学生達の笑顔。
     その笑顔がシュンとなる。
     質問しているヴィクトリアの顔。
     亮子が描いた黒板のいびつな三角形。
     その三角形の二つの角に、亮子と林造の顔が現れる。
       次に一番上の頂点に、久恵の顔。
     手が、その久恵の顔をぬぐい消す。

○ 新幹線の座席(現実)
     亮子、呟く。
亮 子 「ごめんね、ヴィクトリア……」
     駅弁の包み紙の上に、柔らかく丸い水車の絵が描かれていく。

○ イメージ
    紙の上の水車の絵が、亮子の部屋の風景写真と重なる。
      そしてゆっくりと回り出す水車。

○ 同・座席
    林造がお茶を持って戻ってくる。
    機嫌を直して、亮子が弁当を開く。
    林造がお茶を注いでいる。

○ 博多駅・構内
    土産物店が並ぶ一角。
    林造が{辛子メンタイコ}を、一抱えほども買っている。
      側で亮子が博多人形の陳列を見ている。

○ 亮子のイメージ
      人形の列の向こうに、一瞬、久恵とヒロシの上半身が横切る。
亮子の声「あっ!」

○ 同・構内(現実)
     慌てて林造が近づく。
林 造 「どないしたとです?」
     亮子、人形の隙間を指さし、
亮 子 「今、久恵さん達が、あそこをすうっと 通って行った……みたい」
     林造、伸び上がってその辺を見ながら、
林 造 「あん二人は、夜の飛行機で、ゆんべの内に着いちょりますけん、こげんな所にゃお
     らんです」
亮 子 「気のせいだったかしら。私、新幹線に乗っている間中、ずうっと、何だか一緒に乗っ
     ているような気がしてならなかったから」
林 造 「もう気にせんといて下さい。久恵にゃあ世話になるけんど、亮子さんはひとつも気に
     することはなかですから」
      亮子、頷いて又人形を見る。
亮 子 「帰りに買おうね」

○ 熊本駅・駅頭
     亮子と林造が出てくる
     礼服を着込んだ若い男竜太(24)が駆け寄って来て深く頭を下げる。
竜 太 「林造さん、お帰りなさい」
林 造 「おお、竜太か。今日はえらく立派ななりしちょるの」 
竜 太 「そりゃあ本家の若の寿美酒(すみざけ)ですもんのう。あ、こちらが御りょんさんです
     か、美しか人ですな」
     亮子、会釈をする。
林 造 「竜太よう、三年ぶりに戻った同級生に、なしそげんな、他人行儀の口ばきく」
     竜太答えずに、亮子の荷物を持って先に立って車に案内する。

○ 車の中
     竜太が神妙な表情で運転している。
       後ろの席に亮子と林造。
竜 太 「御りょんさん、左に見えるのが熊本城です。加藤清正で有名な。清正公はえーと秀
     吉の侍大将でして……」
林 造 「バカたれが、大学の先生に歴史の講釈をするとか」
竜 太 「へへ、済まんこって」
     亮子、楽しそうに笑う。

○ 熊本市・郊外
     広々とした風景の中を、竜太の車が走っている。
       熟れた田圃と緑の畑が続く。

○ 車の中
亮 子 「あ、今赤い実がなっていた。ホウズキかな」
林 造 「チョウセンコショウじゃ。町のもんはピーマンと言いよる」
亮 子 「いいなあ、わたしの憧れていた風景にピッタリなんだなあ」
竜 太 「この辺りを、まほろばの里だと言い始めました。まほろばって何のことですかなあ」

○ 大きな屋敷・玄関
     近代的な感じの和風建築。
     数人で掃き清めたり、打ち水をしたりして忙しく動き回っている。
       大きなカーブの車回しを通って、竜太の車が着く。
     丁重に出迎える人々。

○ 座敷
     大きな神棚を備えた広い部屋。
     宮守家当主で、林造の父宮守岩造(54)と母(50)を中心に、親戚一同、和服姿で端然
     と座っている。
     その前で、紋付き姿の林造と亮子が正座して向き合っている。
       亮子は洋服のうえから、豪華な打ち掛けを羽織っている。
     正装した神官が、荘重な祝詞をあげる。
     二人の前に盃が置かれ、二人の神子がそれぞれに酒を注いでいる。
       赤い酒である。
     二人飲み干し、その盃を交換する。
     再び赤い酒が注がれる。
     亮子が林造の目を見る。
     林造、唇を引き締め微かにうなづく。
     二人、一気に飲み干す。
     神子たち二個の盃を重ね、半紙に乗せる。
     それを捧げて、岩造と幸枝の前に置き、それから神棚に供える。
     扇子を持った男が進み出て、声を張り上げる。
扇子の男「目出度く、寿美酒の儀、相叶いました」
      どっと部屋が湧く。
     襖が開いて、女衆が膳を運び込んでくる。
     ×  ×  ×
     賑やかな酒宴になっている。
     上座に据えられた亮子と林造の前に、次々に挨拶の人が来る。
       注がれた酒を亮子が飲み干す度に、やんやの喝采が起こる。

○ 屋敷の庭(夕)
     庭の外れ。
     東屋に亮子と林造が腰掛けている。
     秋の野が続き、大きな落日の眺望。
亮 子 「さっきのお酒の色みたい」
林 造 「肥後の赤酒。こん辺じゃ祝い事の時、よう使うとじゃ」
亮 子 「久恵さんが居なかったわね」
林 造 「おらんじゃったけんど……この式は久恵が段取りをしちょると思う」  
亮 子 「何処かで糸を引いてるのかしら」
林 造 「ありゃあ、そげなおなごじゃ」
     後ろに鶴子(58)が、桜湯を乗せた盆を持って立っている。
鶴 子 「若様、大旦那様がお呼びです」
     林造、立って行く。
     鶴子、亮子に桜湯を手渡す。
     亮子、飲んで、
亮 子 「いい匂い」
     鶴子、向き合って間近に座る。
鶴 子 「久恵の母です」
     亮子、驚く。
鶴 子 「亮子はん、あんたさんの家族と経歴の調査書を見ましてな、本家始め親戚一同大
     反対をしたとです」
     鶴子、まだ盛り上がっている座敷を振り返る。
鶴 子 「あんたさんは知らんじゃったでしょう が、久恵は根気よう一人ずつ説得したとです。
     ゼニも使いました。こうして寿美酒までこぎつけたんは、大方久恵のお陰です。よう覚
     えといてもらいまっしょう」
     林造が戻ってくる。
     鶴子急に表情を和らげ、
鶴 子 「寿美酒といいますのはな、そうじゃな、婚約と結婚のちょうど中間に当たりますでしょ
     うかな。もうこのまま一緒に暮らすことも出来ますし、いやならご破算にすることもでけ
     ます。合理的と言うんでしょうか、便利な風習です。いえな、ご本家では立派な結婚式
     を挙げなさるでしょうけんど……」
     鶴子、愛想笑いを浮かべて引き上げる。
林 造 「久恵以上に、よう喋る婆ヤンじゃ。あ、これから玉名に車を出すと言いよった」 
亮 子 「……」
林 造 「どげえしたと?玉名はよかよ。親戚はああして、朝まで飲んじょるけん、寝るとこも無
     か。早う行きまっしょう」

○ 玉名温泉(夜)
     歓楽的なネオンの多い、賑やかな通り。

○ 同・ホテル玄関(夜)
     車から亮子、林造が降りる。
     竜太がトランクを開けて荷物を出す。
     ボーイが荷物を持って二人を案内していく。  

○ 同・部屋(夜)
     豪華なスイートルーム。
     案内のボーイが出ていくと、待ちきれなかったように、林造が亮子を抱いてキスをする。
     亮子は、腕をだらんと下げたまま。
林 造 「元気が無かとね。疲れちょるんかのう」
     亮子、力無く首を振る。

○ ホテル内大浴場・女湯
     亮子がひっそりと湯につかっている。

○ イメージ
     鶴子が迫るように喋っている。
鶴 子 「あんたさんの家族と経歴の調査書を見ましてな、本家始め親戚一同大反対をしたと
     です。あんたさんは知らんじゃったでしょうが、久恵は根気よう一人ずつ説得したとです。
     ゼニも使いました。こうして寿美酒までこぎつけたんは、大方久恵のお陰です。よう覚え
     といて貰いまっしょう」

○ 同・女湯
     少し先の湯気の中に、若い女の横顔が見える。
       亮子、はっとして近づきながら、
亮 子 「久恵さん……?」
     女、こちらを向くが、別人。

○ 同・部屋
     林造がパンフレットを並べて見ている。
     風呂上がりの亮子が入ってくる。
林 造 「荷物ん中にこげなもんが入っちょった。観光バスの切符たい。水前寺から菊池渓谷、
     夜は山鹿温泉に泊まるごとなっちょる。気が利いちょるのう。帰りの新幹線の切符もあ
     るわ。またグリーン車じゃ」
      亮子が悲しそうな表情を浮かべ、そのチケット類をゆっくりと破る。
林 造 「あー、もったいなか」

○ 同・トイレ
     亮子が、チケットを細かく破きながら便器で流す。
     水流を見ながら、すすり泣く。

○ 同・ベッドルーム
     亮子がベッドに潜っている。

○ 同・部屋(夜)
     林造がソファーで、所在なさそうにテレビを見ている。
       時々、ベッドルームの方を振り返っている。

○ 同・レストラン(朝)
       二人がバイキング朝食をとっている。亮子の皿には果物が少し乗っているだけ。
       従業員が来る。
従業員 「501号室のお客様でございますね。先程お部屋の方に、お電話がございましたがお
     留守でしたので、メッセージ伺っておきました」
     従業員、メモを置いて去る。
林 造 「竜太からじゃ。観光バス、熊本駅九時半。九時に迎えに行く……」
亮 子 「鶴子さんが言ってたわね。寿美酒の後別れたければ別れてもいいって……」
林 造 「なんば言うとですか、ワシは……」
亮 子 「あなたが、嫌いになった訳じゃないのよ。でもあの人、見返してやるには、あなたと別
     れるしかない……」
林 造 「亮子さん……」

○ 同・部屋(朝)
     亮子が帰り支度をしている。
     林造も不安そうな顔で荷物をまとめている。
亮 子 「八時五十分、竜太の来る前に出るわ」
林 造 「タクシー呼んで貰おう」
亮 子 「フロントに頼んだら、足がつくでしょ。久恵さんの、調査のノウハウってやつで、追跡調
     査をされるわ。だからホテルを出たら少し歩いて、流しを拾ってちょうだい」

○ タクシーの中
     亮子と林造が乗っている。
亮 子 「水車が見たいんだけど」
運転手 「この辺には無いですな。昔はようけあったんですが。筑後川ぞいの朝倉の方にまで
     行けば、なんぼか残っとりますがな」
林 造 「乗り捨て出来るレンタカーは、どこ行きゃあろうかの」
運転手 「大牟田ならありますな」
林 造 「そんじゃ、大牟田まで」

○ 筑後川沿いの道路
     林造の運転するレンタカーが走っている。

○ レンタカーの中
     亮子が後ろの座席で独り言のように、
亮 子 「こんなとこ走ってるなんて、アイツは 知らない。フン、ざまーみろ」  
林 造 「何ですかの亮子さん」
亮 子 「何でもない。でも、竜太クンには悪かったわね」
林 造 「久恵にうんとおこられるじゃろうけん ど、ワシの同級生じゃき、構わんとです」

○ 朝倉の揚水車
     三連の大型水車が、水を掻き揚げながらゆっくりと回っている。
     亮子が叫びながら、林造にしがみついている。
亮 子 「わー大きい、回ってる回ってる!」
     亮子走り出し、水車の側で動きに合わせて、両手を回している。
     それを見て林造が、笑顔で写真を撮っている。

○ 河原
     ススキの若い穂の中を亮子が歌いながらスキップしている。
亮 子 「ねえ、ボンタンにも教えてあげるね。カルチャーの小母さん達に教わったんだ。
 緑の森の彼方から
 陽気な歌が聞こえます
 あれは水車の回る音
 耳を澄ましてお聞きなさい
 コトコトコットン コトコトコットン
 ファミレドシドレミファ
 コトコトコットン コトコトコットン 
  仕事に励みましょ
  コトコトコットン コトコトコットン
  いつの日か 
 楽しい春がやって来る」
     林造も不器用にスキップしている。
亮 子 「わあー幸せ。久恵さんから初めて解放されたー」

○ 秋月の通り
     古城の石垣に沿った道を、亮子と林造が腕を組んで歩いている。
       亮子が詩を口ずさんでいる。
亮 子 「私の上に振る雪は 真綿のやうでありました」
     林造が、訥々と真似をしている。
林 造 「私の……上に……降る雪……は」
亮 子 「みぞれのやうでありました」
林 造 「みぞれのようで……ありました」
亮 子 「うまい、うまい」
林 造 「絶対言葉直そうとするなと、久恵が言いよったけんど、亮子さんの真似ばしよると、
     ドモらんでも直せるごとなりそうじゃ」
亮 子 「楽しいでしょ」
林 造 「楽しか!」
亮 子 「楽しかったら絶対直る。私が直してあげる」   
     二人、朗しながら、紅葉の下の道を行く。
亮 子 「私の上に降る雪は」
林 造 「私の上に降る雪は」
亮 子 「あられのやうに散りました」
林 造 「あられのように散りました」
亮 子 「私の上に降る雪は」
林 造 「私の上に降る雪は」
亮 子 「いとしめやかになりました」
林 造 「いとしめやかになりました」

○ 太宰府・都府楼
     二人が楽しげに見物している。

○ 水城の遺跡
     二人が車から降りて眺めている。

○ 九州自動車道(夕)
     二人を乗せた車が疾走している。

○ 博多の街(夜)
     街の雑踏
     亮子が(博多にわか)の面を当てて楽しそうに笑っている。
       ×  ×  ×
     亮子が博多人形を買っている。
     亮子が払おうとするのを遮って、林造が支払っている。

○ ホテルの部屋(夜)
     林造が裸で逆立ちをしている。
     亮子が身体を拭きながら来る。
     亮子、タオルを林造の下腹部にかけ、裸のまま、林造の顔の前に座る。
亮 子 「今日の事、久恵さんに喋っちゃダメよ。大事な秘密……。秘密をいっぱい作ってあ
     の人から自由になろう」 
     林造、逆さのまま大きくうなづく。
     その途端タオルが落ちる。
     林造、亮子の上に崩れ落ちる。

○ 飛行機の中
     亮子と林造、疲れ切った様子で、眠っている。

○ 国際女子短大・教室
     亮子が、パソコン画面に取り込んだ水車の写真を見せている。
亮 子 「ビデオなら良かったんだけど、回る速度がとっても快いの。こんな風な早さでね、
     ゴットン、ゴットンって。時々ギーってきしむ音がして。その総てが風景に溶けてい
     るのよ」  
      学生達、じっと画面を見ている。
亮 子 「ヴィクトリア、この前はごめんね。これが日本の水車です」
      ヴィクトリア、はにかみながら立って、ヴィクトリア「したたり止まぬ日の光、うつうつ
     回る水車、遠くに阿蘇の……」
亮 子 「本当はね、越後の山も……なの。それ からこの詩は,淋しさを歌ったものなんだ
     けど、先生の見てきた風景は、とっても幸せなものだったのよ」

○ カルチャーの教室
     できあがった本を手にして、亮子が喜んでいる。
女性1 「このご本、あちこちのサークルで教科書になるんでしょ」  
女性2 「いずれ有名人になるのね。今の内にサインを貰っておこう」
亮 子 「今日いらっしゃる方には、無料で差し上げますね。処女出版の記念だから」
女性3 「わーラッキー。ねえ、どんな旅行だったの?」
亮 子 「憧れの故郷が見つかったの」
女性3 「やっぱりー。実践家だなあ。どんな所?」
亮 子 「ウーン、ちょっと痛い栗のイガもあるんだけど、空が広く、夕日がきれい」
女性4 「そこで長者の若様と暮らすのね」
     賑やかに囃す声。
女性5 「それにしても、秋山先生遅いわね」
     ×  ×  ×
     亮子を中心にして、皆で「森の水車」を歌っている。

○ 亮子の部屋
     朝倉の揚水車の写真が、大きく引き伸ばされて貼ってある。
     亮子が電話をしている。
亮 子 「もう、元気ないわね、ボンタン。帰ってきてからずっとそんなことばっかり言ってるじ
     ゃない。まだ仕事休んでるの?……うん……うん、とにかく、会って話そう」

○ 林造の部屋(夜)
     林造が落ち着き無く歩き回っている。
     久恵がキッチンのテーブルに食事の用意をしている。
     林造、久恵の側に行き、
林 造 「ワシはもう堪え切れん!嘘ばこれ以上つけん。な、久恵。よかろう?亮子さんに本
     当の事話そう」
久 恵 「そうしてご覧なさい。見事に捨てられますよ。若様にはオナゴというもんが、分ってお
     らんのです」
林 造 「亮子さんは、そげな人じゃ無え。久恵が、そうやって、いらん世話ばかりやくき、亮子
     さんの機嫌が悪うなるとじゃ」
     林造、テーブルを激しく叩く。
     菜を盛った皿が床に落ちて砕ける。
      久恵、じろりと睨んでから、箪笥の前に行き、乗せてある神社のお札を持ってくる。
       それを林造に突きつけ、声を張り上げる。
久 恵 「嫁取りは、遊びごとじゃないんですよ。由緒ある宮守家が若様の代で立ち行かなくな
     ったら、一体どうするんですか!」
      林造、その迫力にたじろぐ。
久 恵 「若様も九州の男でしょうが。くよくよ せんと、しっかり食べて、明日から仕事に行きん
     さい!」
       林造、力無く箸を持つ。
     久恵、呟く。
久 恵 「早く子が出来れば……いや、もしかしたら……?」

○ 産婦人科・診察室
     医師の前に亮子が座っている。
医 師 「おっしゃるように、確かに妊娠の所見があります。しかしこの段階でよく気がつきまし
     たね。まだ何の自覚症状も無いでしょうに。とにかくおめでとうございます。後は婦長の
     方から、今後の生活指導を受けて下さい」 

○ 産婦人科医院・玄関
     亮子、出てきて建物を振り仰いで深呼吸をする。
     それから肩をすくめ幸せそうに微笑む。

○ 建設工事現場
     鉄骨を組み上げる作業が行われている。
     林造が時々仕事の手を休めては、下を向いて考え込んでいる様子。
       クレーンに吊された鉄骨が降りてくる。
     旗と笛を持った警備員の合図で、作業員が場所を変えながら待機している。
       林造だけが動きを止めている。
     その頭上に鉄骨が迫る。
     警備員の鋭い笛。
     振り返ったヒロシが絶叫。
     鉄骨が頭を直撃して、林造が数メートルも跳ね飛ばされる。

○ 丘の道路
     短大の校門近くで、イライラしながら亮子が帯電を掛けているがかからない。

○  建設工事現場
     ヘルメットが裂けて、資材の上に逆さに倒れている林造。
     人々が駆け寄る。。
     取りすがって、ヒロシが泣き叫んでいる。
     倒れた林造の、ズボンのポケットに差してある帯電が鳴っている。
       救急車の音がだんだん大きくなる。

○ 病院・廊下
     三〇一号室の表示の下に「面会謝絶」「立入厳禁」の手書きの札が出ている。
       そのドアを開けて、久恵が入っていく。

○ 国際女子短大・校門
     汚れた作業着姿のヒロシが、オートバイで門内に突っ込んできて、守衛に怒られている。
     ヒロシがしきりに訴え、守衛が電話を掛ける。

○ 同・花壇のほとり
     ヒロシがうろついている。
     白いスーツの亮子がやって来る。
亮 子 「もう工事は終わってんのよ。そんな格好でうろつかないでよ」
ヒロシ 「昨日から家に帰ってないもんで……、亮子さん、やっぱ知らないんだよな」
亮 子 「何よ、林造さんのこと?」
ヒロシ 「怪我したんだよお、現場で」
亮 子 「!」
ヒロシ 「未だ意識ないんだよ、オレもうどうしていいか」
亮子 「すぐ行く、ちょっと待ってて」

○ 町の大通り
     ヒロシがオートバイの後ろに亮子を乗せて走っている。

○ 港東病院・玄関
     亮子が飛び込んで来る。
     白いスーツの胸が、ひどく汚れている。

○ 病院・廊下
     亮子が「面会謝絶」のドアを叩き続けている。
     通りががりの年輩の看護婦に注意される。
看護婦 「読めないのですか、これが。患者さんは今、危険な状況で戦っているのです。例えど
     なたであろうと、駄目なのです」

○ 病院・待合室(夜)
     汚れたスーツの亮子と、作業着のヒロシが、力無くソファーに座っている。
     ヒロシはひどく疲れている
     ヒロシが突然立ち上がる。
     前方を年輩の男と、看護婦が歩いていく。ヒロシ「大旦那さんだ」
     そちらに走り出そうとする亮子を、ヒロ  シが止める。
     亮子、振り切って後を追う。

○ 同・エレベータホール(夜)
     岩造と看護婦が乗りこむ。
     亮子、追いつかず隣のボタンを押す。

○ 同・廊下(夜)
     看護婦が鍵を開けて、岩造を中に入れる。
     亮子、駆けつけて入ろうとするが、看護婦に遮られる。
     林造の名を叫んで、看護婦と揉み合いになる。
     方々のドアが開いて、一斉に苦情が出る。
 
○ ファーストフード店の中(夜)
     亮子とヒロシがハンバーガーを食べている。
     その位置から、林造の病室の灯りが見える。
亮 子 「宮守のお父さんだけは、入れた……」
ヒロシ 「中に、久恵も居る……」
亮 子 「やっぱり、そうか」
ヒロシ 「久恵は、今でも大旦那さんのものなんだ」
亮 子 「……」
ヒロシ 「親兄弟、何とか人並みに暮らせるようにしてもろうたから……オレだけ我慢すりゃいい
     ことだから……」
     ヒロシ、悄然と出ていく。
     亮子、尚も窓を見上げている。
亮 子 「ボンタン……赤ちゃんが出来たのよ」
     窓の明かりが、ふっと暗くなる。
   
○ 亮子のマンションの外(朝)
     汚れた服のまま、疲れ切った足取りの亮子が帰って来る。
     ふらふらしながら鍵を開けている。

○ 同中(朝)
     ドアを開けた亮子が驚いて立ちつくす。
     部屋中に段ボールの荷物が数十個も積み上げられている。
       ドアが開いて男が覗く。
亮 子 「管理人さん、どういうことこれ」
管理人 「こっちが聞きたいですよ。お留守に届いちゃってね、代わりに受け取ったんですが、
     廊下には置けないし……」
亮 子 「受け取っちゃ困るじゃない……」
管理人 「あなた何時も、代わりに頼むって言ってるじゃないですか……こっちだって迷惑した
     んですよ。ハイ送り状、ここにきますよ」
      管理人、手荒くドアを閉める。
     亮子一つの箱を開けてみる。
       亮子の本がぎっしり詰まっている。
     ×  ×  ×
     段ボールの隙間で、亮子が電話をしている。
亮 子 「え、秋山先生が、は?どういうことですか?逃げた!持ち逃げ?……ハイ、それで
     カントリーの講座の方は?……そうですか、無くなるんですか。分かりました」
     亮子、箱の隙間に、へたりこむ。
  
○ 同・バスルーム
     浴槽の中で、亮子がシャワーを浴びている。
     強い調子の音楽が流れている。

○ 同・部屋
     裸の亮子が髪を拭きながら、電話をしている。
亮 子 「それでね、ミッキー、あなたの制服貸して欲しいのよ。……無理?……うん、学園祭
     のパフォーマンスに学生が着るの。お願い。……それまでに必ず返す。……うん、うん
     ……そう、ダンケ!」

○ 港東病院・玄関
     亮子がコートの襟を立てて入っていく。

○ 同・看護婦詰め所
     亮子が訪れ、コートを脱ぐ。
     看護婦の白衣を着ている。
亮 子 「入院している宮守林造の家内です。この度は主人が……」
看護婦1 「まあ、ご同業!」
亮 子 「大きなオペ続いたもので……やっと今時間がとれて……」
看護婦2「そう、外科なの?。因果な商売よね私達って」
     亮子、腕に掛けたコートの下から、菓子折を出して、下の方で手渡す。
看護婦1「あら、うちうるさいのよ」
     看護婦、肩をすくめて素早くそれを机の下に入れる。
亮 子 「それで担当の所見は?」
     ファイルを亮子にも見せながら、
看護婦2「頭部はほら、MRIもMRAもきれい。脳震とうの強いヤツってとこかな。それにしては
     意識が戻んないのよね」

○ 同・廊下
     亮子と看護婦2,歩いている。
看護婦「今付き添っていられるのは、ご主人の方の?」
亮 子 「そう、姉」
看護婦「うちは完全看護だから、付き添わなくっていいって言ってるのに……」

○ 同・ドアの前
看護婦 「こんな大げさなの、要らないのよね。あの人がどうしてもっていうもんだから……。そ
     れに鍵までかけて……」
     看護婦イライラとドアを叩く。  
亮 子 「じゃあ、取るわよ」
     亮子、「面会謝絶」の紙を破り取る。

○ 同・病室
     亮子と看護婦、入ってくる。
     久恵が隅へ寄って頭を下げる。
     看護婦、点滴などの器具をチェックしてから、亮子を振り返り、
看護婦 「プルス、血圧、体温総て正常よ。酸素は今朝から外してるの」
     亮子、枕元に寄り叫ぶ。
亮 子 「あなた!亮子よ、亮子よ、亮子よ」
     久恵がアッっと小さな声を上げる。
亮 子 「ねえ、ボンタン、赤ちゃん出来たの。あなたの赤ちゃん!一緒に喜んで!」
     久恵が更に驚いている。
     亮子、側にあった濡れティッシュで、林造の両まぶたの上をぬぐい、更に大声で呼び
     かける。
亮 子 「リンゾー、ミヤモリリンゾー。ボンタンー。亮子だゾー……」
     林造の口元が動く。
     そして薄く目を開く。
亮 子 「あなた!ああ!」
     看護婦がコールブザーに飛びついて、叫ぶ。
看護婦 「三〇一号室、意識戻りました。至急先生を!」
     久恵が立ったまま涙をこぼしている。
久 恵 「若様……」
     ×   ×   ×  
     医師と看護婦走り込んでくる
医 師 「カーテン!」  
       看護婦が白いカーテンを閉める。
     医師、林造の目を覗き込みながら、
医 師 「こういうときは瞳孔が開いてるから、光に注意するんだ。看護学校で習っただろう」 
     採光が下がると、林造、大きく目を開ける。
医 師 「よしよし、もう大丈夫。君の名前は?」
林 造 「ボンタン……」
医 師 「???」
     亮子、乗り出して、
亮 子 「ホントの名前よ」
林 造 「み、や、も、り、り、ん、ぞ、う」
医 師 「じゃあ、この人は?」
林 造 「看護婦……さん」
     亮子、慌てる。
亮 子 「バカね、私よ」
林 造 「亮子……さん」
     医師、ほっとして亮子に、
医 師 「一番心配していた記憶障害、問題ありませんな」
亮 子 「有り難うございます」
看護婦 「やっぱり奥さんね。」
     看護婦、そういって久恵を振り返る。
     久恵、そっと出ていく。
     医師、亮子の白衣に気づき、
医 師 「ほう、何処の病院?」
亮 子 「港南です。明けたばかりで……」
医 師 「何処も人使い荒いね。じゃあ、今夜はこのまま休ませて。明日もう一度検査して、後
     は整形に任せよう。腰も大分打ってるからね」
     医師と看護婦出ていく。
     亮子、林造の胸に顔を埋める。

○ 同・病室(朝)
     椅子で眠っていた亮子が目を覚ます。
     林造は既に目を開いている。
林 造 「亮子さん、看護婦さんになったと?」
     亮子、目を擦りながら、
亮 子 「そう、あなたが治るまで看護婦さんしてあげる」 
     看護婦が入ってくる。
       体温計を置いて、
看護婦 「検温お願い、あ、それから点滴もう要らないって、悪いけど外しといて」
     看護婦、忙しそうに出ていく。
     亮子、点滴器を見て、
亮 子 「困ったな、どうやるんだ?」
     別の看護婦入ってくる。
看護婦 「宮守さん、朝食前に検査よ。あら、奥さん未だ居たの?いいのよここは、任せといて。
     今日は日勤なんでしょ。はやく戻んなさいよ」

○ 同・玄関
     明るい表情の亮子が、白衣のままで出てくる。
     入ってくる岩造とすれ違うが、お互い気づかない。
     亮子、岩造の降りたタクシーを拾う。

○ 町の通り
     コンビニから弁当を買って出てくるヒロシと亮子が出会う。
ヒロシ 「亮子さん、どうしてこんな所に……」
亮 子 「区役所へ行って来た。婚姻届けの紙貰ってきたの」
ヒロシ 「婚姻届け?あの、そこ行くと離婚届けの紙もあるんでしょう」
亮 子 「もちろん。あ、それより林造さん、気がついたのよ。もう、よかったー」
ヒロシ 「そうか、ヨカッター。でも、会えたの?」
亮 子 「会えたわよ。妻ですもん」
ヒロシ 「久恵がいたでしょ」
亮 子 「追い出したわ、私妻ですもん」
ヒロシ 「ヘー」

○ 国際女子短大・事務室
     教務部長のデスクの前に亮子がいる。
教務部長「休暇を?いいですとも!先生は就職以来一度も休暇取ってないんですから。学長が
     一ヶ月ほど、ヨーロッパへ行かせろって言ってたとこなんですよ」
亮 子 「ヨーロッパは結構ですから、病人の看護で少し……」
教務部長「分かりました。じゃあ二週間。……学生達からは文句が出るでしょうが……まあ、若
     い講師達で穴は埋めときますよ」

○ 同・総務部長
     総務部長のデスクの前。
総務部長「結婚なさった!それはおめでとうございます。もちろん共済組合からお祝い金が出ま
     すよ」
亮 子 「どうしても四百五十万要るのです」
総務部長「ふーん。四百五十万……。おーい 鈴木君、共済の新婚貸付っていくらだったかな」
鈴 木 「五十万きざみで五百万までです」
総務部長「だったら先生、貸付で四百万借りれば、祝い金と合わせてちょうどそれくらいになる
     でしょう」
亮 子 「助かります。厚かましいのですがなるべく早く……」
鈴 木 「何か証明、例えば婚姻届の写しとかあると早いんですが」
亮 子 「あります!婚姻届持ってます」
     亮子、真新しい(宮守)の印鑑を取り出し、デスクの上で朱肉をつける。
鈴 木 「じゃあ、この書類の方も今書いちゃって下さい。そうすれば来週中には振り込まれます」

○ 亮子の部屋(朝)
     段ボールに埋め尽くされた部屋。
     寄りかかって、トーストを食べている。
     その位置から壁の写真がよく見えないので、段ボールを幾つか動かしたりしている。
       三連揚水車の大きな写真を眺めながら、朝食を続ける。

○ ショッピングセンター
     亮子がウキウキと男性の下着や、花を買っている。    

○ 病院・廊下
     スーパーの袋と花を抱えた亮子が来る。

○ 同・病室入り口
亮 子 「ボンタンー」
     覗き込んで驚く。
     ベッドは空である。

○ 同・看護婦詰め所
     亮子が急いで来る。
亮 子 「あのー、宮守は……、もう整形の方へ?」  
看護婦 「あら、いやだ。奥さんが知らないんですか?……九州のお父さんて方がどうしてもって、
     強引に、連れて行きましたよ」
亮 子 「そんなことって……腰の方は大丈夫かしら」
看護婦 「私達、あなたがついてるから大丈夫って思ってたんですよ……。でもテーピングしっかり
     やっといたから」
     看護婦、ブザーが鳴って、病室に駈けて行ってしまう。

○ 新幹線の中
     亮子が時刻表を見ている。

○ 博多駅構内
     亮子が博多人形の側を急ぎ足で通ってい  く。

○ 熊本駅駅頭
     亮子が出てくる。
     竜太が迎えに来ている。
亮 子 「竜太くん、よく私の来るのが分かったわねえ」
竜 太 「昨日から特急の着く度に来てるとです」
亮 子 「誰に言われて?」
竜 太 「……」

○ 竜太の車の中
     後ろに亮子が乗っている。
亮 子 「変ね。この前は左手に熊本城が見えた わ。ねえ、道違うんじゃないの」
竜 太 「違わんです」

○ 山近くの道路
     良太の車が走っていく。

○ 同・車の中
亮 子 「景色がずいぶん違うわよ。もっとずーと開けた所だったわ」
竜 太 「……」
亮 子 「家なんか無いじゃない。あんた私を誘拐でもする気?」
竜 太 「……」
亮 子 「ねえったら!」
竜 太 「寿美酒したのは、ありゃ林造さんの家じゃ無え」
亮 子 「何ですって!」
竜 太 「ありゃ村の寮だ。村からでてきて日帰 りのできねえ時に泊まるとこだ。空いている時に
     はペンションにもしておる」
亮 子 「じゃあ私を騙したんじゃない。一体何だってそんなことを……」
竜 太 「オレに聞かんでください!」

○ 山の間の細い道
     良太の車が走っていく。
  
○ 谷川のほとり
     竜太がバンバーを上げて、ジャンパーで風を送っている。
亮 子 「もう二時間も走ったわよ。まだなの?」
竜 太 「未だ半分も来とらんです」

○ 深い谷に沿った曲がりくねった道
     のろのろと竜太の車が行く。

○ 神社の前
     細かい雨が降っている。
     道が急に細くなっている。
     亮子がフラフラになって車から出る。
     竜太が小走りに、社殿の前まで行って手を打ち又駆け戻って来る。
     亮子が放心してそれを見ている。
竜 太 「へへ、本家に行く時は、こうせにゃいかんとです」
亮 子 「……」
竜 太 「すまんがのう、この先は歩いて下さい」
亮 子 「未だ先なの?」
     亮子がしゃがみ込む。

○ 石段の道
     細く何処までも続く石段を、荷物を持った竜太と疲れ切った亮子が上っていく。

○ 宮守本家の庭 
     石碑や灯篭の並ぶ広い庭。
     その先に古びた広壮な屋敷が見える。
     藁葺きの母屋、家紋入りの蔵、幾つもの納屋。
       屋敷の背後に、ていていと聳える幾本もの杉の大木。
       竜太について亮子が母屋に向かう。

○ 母屋の土間
     真っ暗な台所に向かって竜太が声をかける。
竜 太 「御りょんさんをお連れしました」
     手を拭きながら、幸枝が出てくる。
幸 枝 「竜太おおきにな。帰りの車で杉の皮を少し運んどいてくれんかのう」
     竜太出ていく。
亮 子 「あの、お母さん林造さんは?」
幸 枝 「大旦那に挨拶してこんかい!」

○ 同・座敷
     大きな神棚を背に、岩造が火鉢で煙草を吸っている。
     亮子、座敷に入ろうとする。
幸 枝 「オナゴはその部屋には入れんのじゃ!」
     亮子、驚いて敷居の前に座る。
亮 子 「お父さん、林造さんは?」
岩 造 「子が出来たそうじゃのう。この家で生むんじゃ。そのうち林造も戻って来る」
     その時横の廊下に大きな物音。
     巨大な青大将が落ちて来たのである。
     亮子、悲鳴を上げ飛び下がる。
岩 造 「せからしい声ば出すな。この家の主のナガ虫様じゃ」
幸 枝 「ナガ虫さまは、卵を飲んだ後、ああして落ちなさって腹の卵を割るのじゃ」
     茶を持ってきた幸枝が静かに言う。
     蛇はゆっくりと這って行く。
     亮子が震えながら言う。
亮 子「 林造さんは何処に居るのです?」
岩 造 「リハビリが済んだら、戻って来ると言いよるだろうが」

○ 同・台所(夜)
     薄暗い板の間に粗末な筺膳が置かれ、亮子が食事をしている。
     煮しめた菜が盛られ、小鉢に漬け物が山のように入っている。
     その漬け物に、幸枝がどくどくと醤油をかける。  
幸 枝 「ウチも三十年前に、あんたのようにタマゲたもんじゃよ……。子が出来るまでは、こんな
     山奥の男とは知らんじゃったけんなあ」
     その時、亮子の首筋にぺたりとヒルが落ちてくる。
     亮子、又悲鳴。
     膳をひっくり返し転げ回る。
     ゴキブリがわっと走り回る。
     岩造が来て怒鳴りつける。
岩 造 「そげんに暴れてから、子が流れたらどげんするか!」
     首筋のヒルが更に手について、亮子は尚も転げ回っている。
幸 枝 「町のモンにとっちゃ、なんぼか怖かろう。雨が降っとるけ今日はヒルも多いのう」
       亮子が見上げると、梁にびっしりとついているヒル。
岩 造 「蔵に入れちょけ。蔵なら何もおらん」

○ 蔵の二階(夜)
     十畳ほどの板張りにむしろが敷き詰めてある。
       その中央に亮子が、放心したように鞄にもたれている。
     板戸が開いて、幸枝が笊に何やら盛り、新聞紙をかけて入ってくる。
幸 枝 「居心地は悪かろうが、ここなら安心たい。下にな、流しも雪隠も有るけんな。ここは昔お
     蚕を飼っておったとこじゃ。忙しい時には、母屋に戻る暇も無かったとよ」
     亮子、改めて辺りを見回す。
幸 枝 「明日テレビを入れてあげような」
亮 子 「いえ、私は長くは居ませんから」
幸 枝 「そげんな事言わんと、赤子生むために 来たんじゃろうがね。久恵からそう言うて電話
     があったよ。まあ、落ち着きんさい」
亮 子 「でも林造さんが……」
幸 枝 「お腹の子のために、これでも食うて」
     幸枝、新聞の覆いを取る。
     笊には山盛りのイナゴ。
     亮子、青くなって部屋の隅に逃げる。

○ 宮守家の庭(朝)
     岩造が外出姿で、幸枝と揉めている。
     亮子が扉の隙間から見ている。
幸 枝 「こげんに朝早うから行かんでも良かろうに、全く」
岩 造 「ワシが顔を出しときゃ、院長もようやってくれる。同級生のよしみたい」
幸 枝 「どうか知らんが、本当は、久恵に会うためでしょうが」
岩 造 「へん、つまらんこと言うな。ワシの居らん間、蔵に鍵かけとけよ」
     岩造出ていく。

○ 蔵の裏
     羽目板が中から破られ小さな穴から、靴と鞄が投げ出される。
     その後から蜘蛛の巣だらけの亮子が這い出してくる。 
  
○ 長い石段
     亮子が降りてくる。

○ 谷に沿った細い道
     亮子が懸命に歩いている。

○ 宅配便の車の中
     亮子が助手席に乗っている。
運転手 「この辺の人ってさ、嫁の来手が無いモンだからさ、町に出稼ぎにいってさ、そこで女に
     子を産ましてから、強引に連れてかえるんだってさ。こういうの、流し釣りっていうんだってさ」
亮 子 「あっ……」
運転手 「どうしたのさ」
     車が自転車の岩造を追い越して行く。

○ バス停
     山間の小さな始発停留所。
     小型のバスが停まっている。

○ 小型バスの中
     後ろの席に亮子が乗っている。
     岩造が乗り込んでくる。
     亮子が下を向いて顔を隠す。

○ 山道
     曲がりくねった細い道を、揺れながら小さいバスが進む。

○ バス停
     よろず屋風の店がある。
     乗客が、小さなバスから大きなバスへと乗り換えている。    
       亮子が店でサングラスを買っている。

○ 大きいバスの中
     亮子がサングラスをかけ、ネッカチーフを被っている。
       近くで岩造が、乗客の一人と大声で喋っている。
乗 客 「林造さんは、いいのを釣ったそうじゃな」
岩 造 「なーに、何処の馬の骨とも知れんオナゴじゃ」
乗 客 「大学の先生じゃと?山仕事はさせられんじゃろう」
岩 造 「こん山奥で、学問でもあるめえ。山でも野良でも行ってもらわにゃ」
乗 客 「すぐに逃げ出すじゃろうて」
岩 造 「縄に繋いででも、絶対逃がさんわ。鍵のついた部屋も作ってある」
乗 客 「折角の流し釣りにかかった魚じゃけんのう」
岩 造 「そん通りたい」
     二人大声で笑う。  

○ 熊本市内の病院・廊下
     林造が車椅子に乗っている。
     久恵が押している。
林 造 「亮子さんは、未だ来ておらんのか」
久 恵 「もう本家に行っておりましょう」
林 造 「騙されたと思うておるじゃろうのう」
     岩造が来る。
岩 造 「嫁じょは、蔵の二階で待っちょるたい、早う良うなって戻ってやれ」
林 造 「何じゃと、蔵の二階に閉じこめたとか!……久恵、ワシをすぐ連れて帰ってくれ」
     林造、立ち上がろうとしてよろめき、倒れる。

○ 同・リハビリ室
     林造がベルトで吊されている。
     「亮子さん」と言いながら唇を噛んでいる。   
       窓の外、隣のビルの非常階段の上で、必死に手を振っている亮子の姿が見える。林造、
     見つけるが、首しか動かせない。
     亮子、盛んにジェスチャーをしている。林造、答えられない。
     亮子、手の平を広げて大きな三つの丸を描いている。
       林造、首だけで大きく頷く。

○ 朝倉の三連揚水車の前
     土手に腰を下ろして、亮子が写生をしている。
     時々辺りを見回している。

○ 同
       雨に打たれて、亮子が立っている。
       他に人影は無い。

○ 同
     コートの襟を立てて亮子が立っている。人の気配に振り向くと、ヴィクトリアが顔をゆが
     めて泣き笑いをしている。
亮 子 「ヴィクトリア!あなたどうしたの?」
ヴィクトリア「ここ、来たら先生に会える思った、先生居ない、とても淋しい」
     ヴィクトリア、鞄の中から大事そうに、カタクリの鉢を出す。
     亮子、ヴィクトリアを抱きしめる。
ヴィクトリア「先生何を待ってるの」
亮 子 「幸せ」
ヴィクトリア「オーきっと来るよ、それ」

○ 同
     青い空の下、土手に座って、亮子とヴィクトリアが肩を寄せ合っている。
二 人 「したたり止まぬ日の光 うつうつ回るみずくるま……」
     ふと振り返るヴィクトリア。
ヴィクトリア「先生、ボンタン!」
     車から出た松葉杖の林造が、踊るようにしてやって来る。
     立ち上がり、声もなく駆け出す亮子。
     二人がぶつかるように抱き合う。
     ヴィクトリアが地に伏せ、祈るような仕草をしている。
林 造 「亮子さん!もう離れん。もう大丈夫じゃー」
     亮子、しがみついてただ泣く。
     竜太が照れながら近づく。
竜 太 「聞いて下さい。林造はなあ、大旦那さんと三日三晩怒鳴り合ったとです。……二日
     目に大奥様が折れ、三日目に大旦那様が、分かった何処へでも行けっと言うて、林
     造の意見が通ったとです。それから朝までコイツ、岩屋神社で、水を被ったとです。
     オレはこの男に惚れ直しました」
亮 子 「そうだったの……。私も三日三晩自分自身と闘ってたのよ。でも私も勝った。林造さ
     んを信じ切って勝ったのよ」 

○ 水車の前
     亮子、林造、ヴィクトリア、竜太座って水車の回るのを見ている。
竜 太 「これも間もなく、冬になると、止まるんじゃ」
亮 子 「そう、でも私の心の中ではいつでも回っている」
ヴィクトリア「私のハートの中でも、回っている……」
林 造 「ボクも……回っている」
亮 子 「え、今ボクって言った?」
     皆、笑い転げる。
亮 子 「じっと聞いていると、何か心臓の鼓動みたいでしょ。最初見たときね、何となく二つな
     らいいなと思った。でも今は違う。私とボンタンと、そして赤ちゃんの鼓動」
竜 太 「ひえーたまらんっちゃ」
ヴィクトリア「先生のベービーの事、学校、みんな知ってる。名前はスイシャちゃんがいいって
     みんなで決めた」
竜 太 「車寅次郎だっちゃ」
     大笑い。
     ヴィクトリアだけが、何の事だか分からない。

○ 土手の道
     四人がゆっくり歩いている。
     亮子が林造を支えている。
     向こうから来た車が急停車する。
     ヒロシが降りてくる。
     その後から、久恵も。
亮 子 「あーっ!」
     竜太が林造の背後に隠れる。
亮 子 「一体何処までつきまとう気なの。帰りなさいよ!林造さんは絶対渡さないからね」
     久恵ニコニコしている。
久 恵 「ヒルに歓迎されたんですってね」
亮 子 「あんな所、人間の住むとこじゃないわよ!」
久 恵 「おやまあ、実践的カントリー精神って言うのは、どこへ行っちゃったのでしょう」
亮 子 「それは……」
久 恵「 都会の暇人の、空想ごっこだったという訳?」
亮 子 「あんたなんかに関係無いわよ!それより何しに来たのさ」
久 恵 「私だって、計り事ぬきで現れることも有りますよ」

○ 草の上
     六人、丸くなって缶ジュースを飲んでいる。
林 造 「よくここが分かったもんじゃの」
久 恵 「私は、調査のプロでございますから」
     久恵、真顔になって、
久 恵 「私ね、主人に離婚届け突きつけられました。判押せって」
林 造 「ヒロシが離婚をのう」
久 恵 「びっくりしました。……それで、目が覚めたのです。これからは本家とも若様とも関
     係ない場所で二人でやり直す。そういう条件で許して貰ったのです。亮子さん、もう
     干渉しませんから」
林 造 「ボクも……久恵やヒロシに頼らんで生きて行く。ボクも……」
     竜太が吹き出す。
久 恵 「そうなさいませ。大旦那様も大奥様も未だお元気。後の事は気になさいますな」
ヴィクトリア「十年たったら又悩もう、と言う言葉が私の国にはあるです」
亮 子 「時間が解決してくれる、と言うことかも知れないわね」
久 恵 「じゃあ、私達、これで!」
     そういって久恵、ヒロシを促し、車に飛び乗る。
ヒロシ 「亮子さん、林造さんのこと、お願いします」  
亮 子 「待って久恵さん」
     亮子駆け寄って封筒を渡す。
亮 子 「四百五十万の小切手、借りは返したわよ」
久 恵 「あれは本家から出たお金……」
林 造 「餞別たい、貰うとけ」
久 恵 「じゃあ、遠慮なく」
     ヒロシ、エンジンをかける。
久 恵 「若様がお戻りの頃には、私達もう横浜 には居ませんから……ごきげんよう」
     ヒロシの車、疾走していく。
     見送る一同。
亮 子 「うーん、……私勝ったような、負けたような変な気分」 

○ 筑後河のほとり
亮 子 「ねえ竜太クン、ヴィクトリアに通潤橋見せてやってくれない?」
竜 太 「オーワタシ、外人さん大好き」

○ 三連水車の前
     竜太の車の中から、ヴィクトリアが手を振る。
ヴィクトリア「ジャマモノは消えろ」
亮 子 「こら、生意気!」
     走り出す車。
     何時までもヴィクトリアが手を振っている。
     亮子、林造に抱きつく。
     二人の抱擁。
     その向こうに三連水車が、回っている。