「パーティーズ・オーバー」   伊藤彰彦 ●登場人物 春原(すのはら)(34)―「オリエントデパー  ト」美術部員 美悸(みき)(26)―春原の部下 光永(みつなが)(39)―「東洋画廊」社長 芹澤(せりざわ)部長(47)―春原の上司 谷津(やづ)(34)―「オリエントデパート」  人事部員 丸山(40)―「オリエントデパート」財務部  員 藤堂(57)―「オリエントデパート」社長室  長 金城(27)―「東洋画廊」社員 高山先生(68)― 絵画コレクターの代議士 高山の秘書(55) 田沼(67)高山の政敵 宮家(32)春原の妹を捨てたエリート商社マ  ン 春原の妹 ●舞台 1989年7月?12月/小樽・東京 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 曇りガラスの向こうに男の顔が滲んで見   える   30代前半だろう。浅黒い一刻(いっこく)   そうな顔立ちの男だ。 男の声「10年前…僕の仕事は、探偵の真似事  だった。ただし、誰にも喜ばれない探偵だ  った…」   男は、ずっと窓の外を見ている。乳白の   ガラスに赤いワンピースが過(よぎ)る。 2 ネオンが灯りかけた頃の三業地   「お疲れさまぁ」と明るく声掛け、ソー   プランドの裏口から赤いワンピース着た   中年女が出てくる。その前の喫茶店から、   慌てて男が飛び出してくる。小柄だがが   っしりした体躯のその男春原(すのはら)、   女の後を俊敏に追う。 3 海からの霧が流れてくる   女は、夕飯の買物客でごったがえす海沿   いのスーパーへと入ってゆく。春原、そ   れを見届け、入口の菓子屋で菓子折りを   買う。そして、踵を返す。 4 灰褐色の古ぼけた公団   菓子折り持った春原が階段を上って、そ   のひと部屋のドアをノックする。薄汚れ   たトレシャツ、トレパン姿の港湾労働者   風の男が顔を出す。 男「(怪訝に)何の用だ」 春原「このたびは、奥様が大変な事故に遭わ  れたそうで(と菓子折り差出し)早速お見  舞いに上がりました」 男「(慌て)家内ならずっと寝とる」 春原「お部屋に?」   と覗きかける。 男「ああ…(と立ちはだかる)」 春原「保険の話もありますから、一目お目に  かかってご挨拶をと…」 男「いま寝とる…」   その時、ヒールの音が近づく。   先刻の女が、カップ麺やインスタント食   品が一杯に溢れたスーパーの袋を持って、   帰ってくる。   「何なの…?」   と男に聞く。 春原「××××さんですね?オリエント保険  の者ですが(と射るような目で見る)」   女の顔が蒼褪める。 春原「大腿骨骨折で全治3週間、そうウチに  は申請しましたね」 男「医者に頼んでちょっと大袈裟に書いて貰  ったんだ…町工場が地上げされて失業した。  だからよけいに金を欲しかったンだ(と血  を吐くように言う)」 春原「保険金申請をとりさげて下さい(と取  下書を鞄から取り出し、差し出す)」 男「この通りだ…(と土下座する) 春原、その姿に胸を衝かれるがボールペンを  茫然と佇む女のに握らせ、 春原「規則ですから」   と冷徹に言う。 5 小樽の街   春原、調査依頼書見ながら歩いている。   町工場が壊され、リゾートマンションが   建設されている。   春原、疑っと眺めている。 6 山間の道   スリップの痕が付いている。   中小企業の社長風の被保険者が春原を前   に事故状況を説明している最中。 社長風「…ここからこう(と手振り交え)飛  び出して来よって正面衝突だァ(と笑い)  バンパーに、相手の車の塗料が付いとった  ろう?」   と得意げに言う。 春原「対向車はブルーのクラウンでしたね」 社長風「そう」 春原「しかし、あなたのセドリックの白い塗  料は相手の車体に付いてなかった…」 社長風「………」 春原「それに、事故当日は大雨であんなに塗  料が付着するとは考えられません」 社長風「(虚を衝かれ)大雨…」 春原「道南管区気象台の気象記録です(と被  保険者の前に差し出す)」   「だから何なんだ…」と社長風は開き直   る。 春原「××さん。あなたの申請は辻褄が合わ  ない」 社長風「…多少のことは大目に見ろよ。安く  ない保険料、払ってんだ」 春原「申請を取りさげて下さい」   書類を取り出し、社長風に手渡す。 社長風「(忿懣やる方なく)わかったよ…(  と老眼鏡かけ、サインしつつ)でもナ、あ  んた…こんな人の揚げ足取ることばかりし  てて、楽しいか?」   春原を見据えて言う。 春原「仕事ですから…」   社長風、書類書き終え、地面に落す。   春原、拾わない。   煮染めたような鞄から、もう一枚同じ書   類を取り出し、社長風の前に差し出す。 7 オリエント保険・道南営業所(中)   春原、疲れを滲ませ帰ってくる。   奥の席の部長の所へゆく。 春原「(社長風に書かせた取下書を差出し)  ナンバー××は、やはり虚偽申請でした」 部長「受件ナンバー××の方はどうだ?」   《フラッシュ》   土下座する労務者風とソープ勤めの女。          *   鉄球が打ち込まれ瓦解する町工場。 春原「(躊躇うが思い切って)申請通りでし  た…問題はありません」 部長「春原。ちょっと…(と会議室へとこな  す)」 春原「……」 8 同・会議室   春原、来る。   部長、ドアをきちんと閉め、手にしてい  た紙を春原の前に差し出す。 部長「辞令だ…」 春原「(受け取る)」 部長「(どんと椅子に座り、煙草に火を点け)  来月から東京本社の美術部だ」 春原「……(心の底では嬉しい)」 部長「俺が来る前、何度も配転願い出しとっ  たそうだな(と窓の外を見やる)」 春原「…ええ」 部長「希望が叶えられたワケだ…(少し、寂  しげに)そんなに小樽を離れたかったンか  …?」 春原「この土地は好きです。それに、部長を  はじめ所の人も…しかし、5年勤めて調査  の仕事は不向きだと気付きました」 部長「(笑って)モラルリスク上げる件数、  お前がトップじゃないか…」 春原「小さな嘘を寄せ集め、人を追い込む…  少し、それに疲れました」 部長「配転先は花形部所だ(席を立ち)まぁ  頑張ってやれ(と部屋を出てゆく)」   春原、深々と頭を下げる。 9 春原の乗っている列車が道南の海岸線   を回ってトンネルの漆黒の闇に吸い込ま   れる― 10 列車がトンネルをくぐり抜けると、初夏   の陽射しに揺らめく東京の街が現われる   ―コンパートメントの春原、それを眩ゆ   そうにながめ見た。 11 湾岸(ウォーター・フロント)に音を立   てて建つガラス張りの建築群に―   T.『パーティーズ・オーバー』 12 都内ホテル・大宴会場   オリエントデパートの‘特招会’の最中。   高価な絵や宝飾品が飛ぶように売れてゆ   く?   T.「1989年・東京―」   春原、谷津(34)に伴われ入ってくる毛   足の長いペルシャ絨毯の大広間には、う   すくバロックが流れ、招待状と引き換え   に入口で渡されたカクテルや白ワイン片   手に手縫いで仕立てられた背広の男、ブ   ランド物を誇らしげにまとった母娘たち   が、外商担当者や美術部の係員にいざな   われながら檜材の壁に架けられたカシニ   ョールやブラジリエを眺め、係員がうや   うやしくケースから取り出した宝飾品の   輝きに見入っている。   春原、居心地悪そうに歩いてゆく。プラ   イス見て、 春原「(傍らの谷津に)一桁間違ってるンじ  ゃないんですか?」 谷津「(苦笑)いま現在は高くないと売れな  いンですよ」   と春原に囁く。   高価な絵画や宝飾品に次々「ご売約済」   の赤札が貼られてゆく―   傍らの絵に付いた値札に目を留め、 春原「何でこの値段…」   と、ふとつぶやく。   「これからどんどん値上がりするからだ   よ、きみぃ」と背後から声がかかる。き   れいに禿げ上がった額に、サーモンピン   クの頬した肥満体の男が立っている。 男「株は乱高下が激しいし不動産は規制が始  まった。これからの買いモノは絵画ですよ、  きみぃ」 春原「……」 谷津「お宅の直属の上司、芹澤部長ですよ」   春原、頭を下げる。   その男、芹澤(47)は上得意客にふたた   び擦り寄ってゆく― 13 オリエントデパート・社長室   谷津、春原を誘って来る。   奥の席に藤堂(57)が座っている。傍ら   に丸山(40)。 谷津「こちらが春原君です」 藤堂「(厳かに)社長室長の藤堂です」   春原、成り行きが掴めず不安げに谷津を   見やる。   谷津は微かに笑みを浮べるのみ― 藤堂「(春原の風体を頭から爪先まで一瞥し  たあと、微笑み)きみにひとつ、頼みたい  ことがあってね」 春原「…何でしょう」 藤堂「今から話すことは厳秘にして貰いたい  んだが…」 春原「(訝しさ隠さず)…ええ」 藤堂「美術部で絵画不正取引が行われている  疑いがあってな。それを、谷津君や財務の  丸山次長と組んで調査して貰いたい」   丸山、春原に軽く辞儀する。 春原「調査……」 藤堂「キミの上司になる芹澤部長が、絵画を  使って政治家の裏金作りを手伝っている疑  いがある。そのことに関し、査察が動き始  めた…査察に挙げられる前に、火種をもみ  消したいんだ」 春原「(笑って)そんなことを、どうして私  に…?」 藤堂「調査はお手のものだろう(と笑い)そ  れに、本社以外の部外者に調査を頼みたか  った」 春原「……(落胆し)」 藤堂「(笑って)そんなに堅くなるナ。今晩  はあいてるンだろ?」 谷津「室長がきみの栄転祝いの席を設けて下  さるそうだ」 春原「今日はちょっと…回る所がありますか  ら」   と席を立つ。 谷津「春原…」   春原、丁寧に一礼し部屋を出てゆく。 藤堂「(憮然と)…」 谷津「(苦笑いし)仕事は出来るんですが…  融通のきかない男でして」 藤堂「(丸山に)ご苦労さん。部所に戻って  くれ」 丸山「失礼します」   と辞去する。 藤堂「(ジロリと谷津を睨め)キミが推した  んだ。信用できるんだろうな?」 谷津「大丈夫です。系列会社から引き上げて  やったんですから…」 藤堂「しかし、飛ばされたのは傷害事件を起  こしたからだろ?」 谷津「ええ…」 藤堂「なぜ、得意先に肋が折れるほどの怪我  を負わせた?」   《フラッシュ》   春原、逃げ惑う宮家を止めに入る社員た   ちを振りきり殴り続ける― 藤堂の声「しかも、相手はそんな重傷を負わ  されても起訴していない…」   藤堂、ジロリ振り返り、 藤堂「どういうわけなんだ…?」   谷津、ふっと笑う。 14 病院のロビー(夜)   春原が果物の詰め合せを抱え、待ってい   る。   中年の医師が看護婦に伴われ足早に歩い   てくる。 医師「春原さんですね?」   春原、目礼する。 医師「こんなこと申し上げるのは心苦しいん  だが…彼女にはまだ会わないほうがいいと  思う」 春原「……」 医師「あなたに対する罪障感がすっかり消え  失せないと、また元にもどる…」   春原、見舞いの果物を主治医に渡し、 春原「会社の同僚からとでも、言っておいて  下さい」   主治医、頷き、受け取る。   春原、一礼し、寒々としたロビーを出口   へと向かう。   15 病棟の一部屋(夜)   女がベッドに臥っている。   しかし、女の表情に生気は乏しい。 16 オリエントデパート・廊下   春原が歩いてゆく。   反対側から谷津が歩いてくるのに気づく。 春原「(擦れ違う時)谷津サン…」   と呼び止める。 谷津「(怪訝に振り返り)」 春原「私を本社に配転させたのは、調査の仕  事のためですか?」 谷津「…(ふっと笑い)とりあえずはネ。で  も、これをきちんとやれば、希望通りの仕  事ができますよ」   春原の背を軽く叩いて立ち去る。 17 オリエントデパート・会議室 芹澤の声「…わがオリエントデパート美術部  の売上げは、折からの好況に乗って堅調…」   芹澤を上座に企画会議の最中。   春原も末席にいる。 芹澤「来年度の企画も、春秋の印象派展を柱  に、カシニョール、ブラジリエなどのフラ  ンス絵画を従来通り売ってゆくということ  でよろしいですか?」   部員たちは曖昧に首肯く。   けれど、片隅にいた、派手目の造りの女   が挙手する。 女「次年度は、もう少し、工芸品とかの企画  も加えてゆきませんか…」 芹澤「たとえば?」 女「ガラスとか、ふつうのOLや主婦とかでも  手軽に買えるものも、これからは扱ってゆ  くべきだと思います…」   春原、女の方をふり返る。 芹澤「(にべもなく)ガラスはウチじゃムリ  だ。陶器や磁器なら売れるが、ガラスは消  耗品というイメージがあるし日本人には向  かない」 女「(頬を上気させ)日本人にじゃなく高年  齢層のウチの顧客に、ということだと思い  ます。新しい顧客を掘り起こすためには…」 芹澤「(うんざりした顔で)企画書の形にし  て見せてくれ」   会議を切り上げ、立ち上がる。   部員たちも三々五々、出口へと向かう。   春原、耳まで紅潮させ、まだ何か言いた   げな女に、目を留める。   女の名は ― 美悸(26)。 18 同・アートサロン   美悸が重い絵を運び出そうとしている。   通りがかった春原、躊躇うが手伝おうと   する。 美悸「私の仕事ですから…」  きっぱり断る。 春原「……」   美悸の優に170はある身長に気づく。   少し、…臆する。   芹澤が春原を見つけ、 芹澤「一緒に来いよ。勉強になるゾ、きみぃ」 19 参議院会館・廊下   芹澤の後を、絵を持った美悸と春原がつ   いてゆく―   廊下の突き当りに、浅黒い顔、ダブルの   イタリアンスーツを着こなした男 ?    光永(39)が煙草を燻らせている。 20 同・高山事務所   光永、芹澤に指示して、丁重に梱包を解   かせる。美悸も手伝う。    ? 20号の油彩が現れる。   部屋の奥、パットの練習に余念がない高   山(68)と、椅子に腰かけ目を光らせる   秘書(55)に向かって、 光永「これが、時価3億円相当のマネですわ」   と胴間声で言う。   高山、無関心にパットを打ち続けている。 秘書「モノは確かだろうね?先生は、西洋絵  画にご造詣が深くてらっしゃる」   光永、鑑定書を差し出し、 光永「ご覧下さい」 秘書「この鑑定書はちゃんとした筋のものだ  ろうね?」 芹澤「(戎顔で)老舗のオリエントデパート  が発行したものです」 秘書「最近は、その老舗が平気で贋物(がん  ぶつ)つかませる時代だからね」 芹澤「ウチに限ってそんなことは…」   その時、パットの音が止み、   「それは確かにマネじゃよ…」   一同、高山の方をふり返る。   高山、パットの手を休め、 高山「ワシはオルセーでマネの『睡蓮』を見  ておる。(うっとり)このタッチは確かに、  マネじゃ…」 光永「『睡蓮』ならモネですが…」 高山「……」   芹澤、秘書、光永を睨め付ける。   光永は破顔一笑、 光永「しかし、点数の多いモネよりマネの方  が価値はあります。そちらの方が先生のお  眼鏡に叶うと思いまして」 高山「モネよりこっちの方が上じゃ…なにせ  マネー、って言うくらいじゃからナ」   と呵呵大笑。   一同も安堵混じりに笑う。 光永「では…」   と芹沢を鋭く見やる。   芹沢、ふたたびマネを丁寧に梱包し始め   る。   春原、それを訝しく見やる。 21 参議院会館・玄関   光永、芹澤、春原に美悸が出てくる。 光永「(芹澤に)あとは頼んだよ」 芹澤「分かりました…」   と愛想笑い。   春原、立ち去る光永の背姿を見やる。   光永、迎えに来た漆黒のベンツの後部   座席に乗り込む。 芹澤「ウチの出入り画廊だよ…」 春原「出入り画廊…」 芹澤「威張ってはいるが、ウチが間に入らな  けりゃ政治家なんかと取引き出来んよ」 美悸「私もこれで…」   と絵を持って立ち去る。 春原「(見咎め)…」 22 湾岸にある倉庫街   美悸が梱包した絵を抱え歩いてゆく。   春原が追う。   美悸は「東洋画廊」と書かれた古い穀物   倉庫へと入ってゆく。 春原の声「…その絵はふたたび、光永の画廊  に戻されました。そして翌週、4億の値段  で光永がオークションに出しました…」 23 高級割烹の座敷(夜)   藤堂の前に春原、傍らに谷津と丸山も。   春原、オークションのプライスリストを   煮染めたような鞄から出す。 丸山「その差額が高山議員の政治資金、って  ことですか?」 春原「ええ。その中から芹沢部長がリベート  を取ってるんだと思います」 藤堂「どうしてそう言い切れる?」 春原「部長は最近、家を新築し、長女をアメ  リカ留学させたそうです。それに、奥さん  は長年彼の美食に付き合わされた挙げ句、  人工透析を受けています」   郊外の一軒家の写真、大学病院の診断書   をまた、煮染めた鞄から取り出す。 藤堂「だからといって、リベートを貰ってい  る証拠にはならんだろ」 春原「ウチの給料じゃ、ヒラの部長が留学も  透析もさせる余裕があるとは思えませんが  …(と藤堂を瞶める)」 藤堂「……」 春原「しかし、芹澤を操っているのは、この  男です(と写真滑らせ、藤堂に)何者なん  です?」 谷津「羽振りのいい風呂敷画商ですよ」 春原「風呂敷…?」 谷津「画廊を持たず、特定の会社や個人に絵  を持ち込んで商売する画商のことです」 春原「光永は永田町のご用達ってワケですか」 谷津「佐倉元・外相の御曹司って噂ですから  …」 春原「御曹司といっても、苗字が違いますが  …」 谷津「そこまではちょっと…」 藤堂「ともかく、奴の裏金作りが取り沙汰さ  れればウチにも火の粉がふりかかる…」 春原「もし、ふりかかれば…?」 藤堂「(苛立ち)考えてもみろ、老舗デパー  トの信用がガタ落ちになるじゃないか」 春原「……」 藤堂「とにかく、芹澤が賄賂を取っている具  体的な証拠を探り出せ」 春原「…わかりました」   席を立つ。 24 広告代理店のオフィス   春原が来る。   スタミナドリンク飲みつつ忙しく立ち働   いていた優男風の男、宮家(32)が春原   を認め、顔が一瞬蒼褪める。 宮家「(笑顔を繕い)戻ってたの、東京に…」 春原「今月付けで」 宮家「よかった…きみが地方に出たことを気  にしてたんだ…」 春原「(遮り)昨日、病院へ寄って来ました」 宮家「快方に向かっているらしいね」 春原「(バツが悪そうに笑い)ボクがお見舞  いに行っても彼女は喜ばないでしょう」 春原「……」 宮家「きみが帰って、彼女も安心だ」 春原「…会わせて貰えませんでした」 宮家「……入院費は半分出したよ。それと起  訴しなかったことで、ボクなりの償いはし  た筈だ…」   部下の女性が宮家を呼びに来る。 宮家「月末で忙しいから…」 春原「……」 25 ホテルのバー(夜)   春原が入って来る。   かなり酒が入っている。   マーブルのカウンターの角に、美悸がひ   とりで飲んでいる。 春原「……」   美悸も春原に気付く。少し、目に戸惑い   の色が浮かぶ。 春原「…ひとり?」 美悸「(翳った笑いで)すっぽかされたんで  す…(隣のバッグを脚元に置く)」   春原、美悸の隣に腰掛ける。   形よくくびれた耳に突きささったゴール   ドのピアスに気づく。   そして、美悸が眺め繰るガラスの本に目   を留める。   表紙には、美しいガラスの飾筐の写真が   載っている。 春原「藤田喬平(きょうへい)、って言った  か…」 美悸「(驚き)どうして…?」 春原「ここに来る前北海道にいたんだ。営業  の合間に近代美術館で油を売ってた…この  作者は常設コーナーがあってね」 美悸「(声を弾ませ)私も大学時代あそこへ  は何度も行きました……ひょっとしたらそ  の時、遇ってたのかも知れませんね」   ゴールドのピアスが揺れた。 春原「(苦笑)…大学ではガラスを?」 美悸「ええ…本当はグラスアーティストにな  りたかったンです。けれど、挫折して学芸  員になりました。それで、オリエントへ…」 春原「他のデパートを選んだ方がよかったん  じゃないのか」 美悸「(微笑み)他は私を選んでくれません  でしたから」   美悸、煙草をほっそりした指に引き取り   ライターで火を点けようとする。が、火   は点かない。 美悸「いいですか…」   と春原のライターを見る。   春原、火を点けてやる。   美悸、煙草を燻らせ、脚を組み替える。   バーにいる男たちの視線が美悸にチラチ   ラ注がれていることに、春原は気付く。 美悸「でも、驚きました。春原さんがガラス  に詳しいなんて」 春原「(苦笑)たまたま名前を知ってただけ  だ…」   春原 何だか晴れがましい気持ちになる   バーテンに酒のお代わりを頼む。   けれど、春原の目に、バーの鏡に映る上   杖のあるうつくしい女と、もう中年とい   っていい背の低い男?自分の姿が飛び込   む。 春原「……(酒を流し込む)」   美悸はふいに、微笑んで言う。 美悸「ひとりどうしても扱いたいガラス作家  がいるんです」 春原「聞いても分からないと思うけど…」 美悸「イェジー=コミニスカ。チェコスロヴ  ァキアのガラス作家」 26 夜のプールの水面(みなも)に、ホテル   の客室の灯りが揺らめいている。 美悸の声「…コミニスカは、60年代、雪融け  の時代に活躍したグラス・アーティストで  した…」   美悸は酒に火照った頬に時折り手を当て   ながら、プールサイドを歩きながら春原   に、‘コミニスカ’のことを話し続ける。   春原は身長差が気になっている。   美悸は何となくそれを察し、一段低い所   に降りる。 春原「……」 美悸「…けれど、プラハの春が過ぎ、彼の作  品は当局への‘無言の抗議’だと見なされ  壊されました…彼は亡命することも許され  ず、そのあと死ぬまで、党の諸施設に飾る  ためのシャンデリアを作らされ続けたんで  す……そのシャンデリアを写真で見て、私  は、何か心を鷲掴みにされるような、運命  的なものを感じました…」 春原「そのシャンデリアはどこへ行けば見ら  れる?」 美悸「(一瞬躊躇った後)プラハへ行けば」 春原「日本へは?」 美悸「たぶん入って来てないと思います。こ  の作家の回顧展を開くのが、(少しはにか  み)私の夢なんです」 春原「ウチのデパートで?」 美悸「(きっぱり)ええ」 春原「難しいな。ウチは投資が目的の絵しか  並べない。金にならない美術は扱わない」 美悸「ずっとそのままでいいと思いますか?」   真顔で見つめた。 美悸「株やゴルフ場の会員券代わりに絵を売  る…それで春原さんは満足できますか?」 春原「……」 美悸「これ、さっきの…(千円札何枚かをわ  たす)」 春原「(苦笑し)あんなものは…(と押し返  す)」   一瞬、春原の手と美悸の爪の伸びた指が   ふれ合う。 美悸「ごちそうになります」   微笑み、踵をかえす。 春原「……」 27 オリエントデパート・美術部(夜)   就業時間の後で、がらんとしている。   春原、重い絵を抱え、帰ってくる。   と、美悸が急いで部屋を出ようとするの   とぶつかる。 美悸「ごめんなさい…」 春原「これからまだ仕事…?」 美悸「特招会の撤収…(ふっと笑い)徹夜に  なるかも」   と足早に出てゆく。 春原「…」   春原、人気のないのを確かめ、隅の机に   行く。美悸のデスクらしく、ガラス関係   の本が積み重ねてある。   そして、その上には、鋭利にくびれたゴ   ールドのピアスが置き忘れられてある。 春原「……」   春原、ピアスをそっとずらし、『20世紀   のグラス・アート』と書かれた本を捲る   …「イエジー=コミニスカ」の記述を見   つける。 春原の呟き「…しかし、コミニスカの作るガ  ラスは毀れやすく、彼の死後、その殆どが  破損するか散逸した…」   「幻のシャンデリア」の文字?        *   オフィスの灯りは全て消されている―   春原が廊下にいる丸山を招き入れる。   春原は一番上座の、芹澤部長と書かれた   プレートの乗ったデスクの抽斗の中をペ   ンライトで照らしながら探す。   春原、小さな鍵をいくつか見付ける。   二人は、部屋の隅のロッカーへ行く。   手に持った鍵をかわるがわるに差し込む。   そのひとつでロッカーが開く―   丸山、ロッカーの中の乱雑に投げ込まれ   た折り重なった茶封筒を調べてゆく。   「東洋画廊」の捺印のある領収書類が入   れられた茶封筒を見つける。   その時、ふいに明かりが点く。   春原は慌ててロッカーを閉め、デスクの   蔭へと身を隠し、丸山を隣のデスクの中   へと押し入れる。   警備員に案内され、芹澤が来る。   芹澤は自分のデスクへ行く。   春原はその隙に、資料室へ逃げようとす   る。   しかし、その時、丸山のポケットからロ   ッカーの鍵が床に音を立てて落ちる。 芹澤「……誰かいるのか?」   春原、諦め、ひとり立ち上がる。 芹澤「(見咎め)きみぃ、こんな時間に灯り  も点けず何をしとる…?」 春原「忘れ物をしまして…」 芹澤「(訝しく)……そう」 春原「部長こそ、何か?」 芹澤「ああ…東洋画廊への書類を忘れてな(  机の中を探しつつ)これを今から届けなく  ちゃならん」 春原「代わりにお届けしましょうか?」 芹澤「(いつもの人の好い顔に戻って)頼ん  でいいか…今日は娘がアメリカから帰って  くる日なんだ」   戎顔で言う。 28 『東洋画廊』(夜)   春原、入ってくる。   倉庫のワンフロアを使った‘ロフト’。   受付では金城(27)が地方競馬の予想紙   に赤鉛筆を立てている。 春原「光永サンに届け物に来ました」 金城「(警戒の色で)社長なら行きつけのバ  ーにいる」 29 コリアンクラブ・個室   光永がホステスたちを侍らせ、札束をバ   ラ蒔いている。   光永、春原の姿を認め、 光永「(不機嫌そうに)何の用だ」 春原「(近付き)芹澤からの預かり物です」   と書類を光永に手渡す。   光永、手にした封筒を乱雑に破り、中か   ら‘鑑定書’と書かれた書類を取り出す。 光永「(瞶め)持って帰れ」 春原「……」 光永「(うすら笑い)こんな数字じゃ話にな  らん。そう芹澤に伝えろ」 春原「(思い切って)いくらなら満足なんで  すか?」 光永「(ホステスの肩を抱きつつ)最低2億  だな」 春原「(少し考えたあと)じゃ、私が書き換  えましょうか…」 光永「……(笑い出す)」   そして、ポケットから札束掴み出し、春   原の前に放り、 光永「取っとけ。挨拶代わりだ」 春原「(金を光永に差し返し)いただく理由  がありません…」 光永「(薄く笑って)清濁合わせ飲まなきゃ  いいデパートマンにはなれないぜ」 春原「そんなものになる気はありません」 光永「可笑しな奴だな。メシでも食いに行く  か?」   春原の背中、ぽんと叩いて立ち上がる。 30 リムジンのスモークガラスにイルミネ   ーションが流れてゆく―   後部座席の光永と春原。 光永「前はどこにいた?」 春原「小樽の関連会社です」 光永「そこから大抜擢されたワケか」 春原「(苦笑し)そんなンじゃありません」 31 高層ホテルのスウィート・ルーム   ルーム・サービスの血のしたたる牛フィ   レのステーキを食べている光永と春原。 光永「しかし、いい時に東京に出てきた。い  まならウダツの上がらぬサラリーマンでも、  いい目に会える…(ほくそ笑み)少しの勇  気さえあればナ」 春原「……」   窓の外の夜空には時折り花火が舞い上が   っている。 光永「(試すように見)お前には、それがあ  るかナ?」 春原「(苦笑し)芹澤部長ほどの無謀な勇気  はありませんが…」   光永、ふっと笑う。 春原「しかし、広い部屋ですね。定宿ですか」   光永、窓の外の一瞬明るんだ町並に目を   遣り、 光永「生まれた町が見えるからナ…」 春原「…(もつられ見て)」   そこは運河のある、くすんだ町並だった   所々にハングル文字のネオンが瞬いてい   た。 春原「(訝しく)…」   また、花火が宙に浮かんだ ? 光永「(子供のような目でそれを見)ガキの   頃は下の土手から見上げてた。けれど、   いまは、それを見下ろしてる…」   春原、光永の横顔を瞶め、 春原「(微かに皮肉を込め)お父様である佐  倉議員の御蔭ですか…」   光永、ふっと笑い、血の色したワインを   飲み干し、春原にもグラスを滑らす。 春原「(取り)それで、政治家の先生にも絵  を売りつけ…?」 光永「そのお蔭で、四歳の雌牛のとろ蕩ける  ような肉も食える…お前もそのご相伴にあ  ずかれるワケだ(と笑う)」 春原「ずっとご相伴にあずかれるといいです  が…(とワインを飲み干す)」 光永「何が言いたい」 春原「あなたも芹澤部長も、薄氷の上を歩い  ているように、私には見える」   きっぱり言う。 光永「そうだよ。お前等は安全な道も歩ける  が、俺は薄氷を踏むしかない…」 春原「なぜ…?(笑って)御曹司が何でわざ  わざ薄氷の上を歩くンです?」 光永「(微笑み)」   春原、微笑む光永の少しも笑っていない   目に気付き、 春原「……」 光永「いつか薄氷が割れても、その前にきら  めくものを見られればいい…」 春原「(小声で)きらめくもの…」   ラウンジの外の漆黒の闇、花火がまたひ   とつ開いて、そして散った…   コリアンタウンが、一瞬照らしだされて、   ふたたび闇の中へと吸い込まれた。   春原は光永の横顔を見つめ続けた。 光永の声「そろそろ帰ったらどうだ?」 春原「(我に帰り)…ええ」 光永、顔にはにかみ浮かべ、 光永「女が来るんだ」   春原、ちょっと肩をすくめ、「ご馳走に   なりました…」とドアの外へと向かう。 32 ホテル・廊下   春原、足早に行く。   廊下の向こうから、美悸が歩いてくるの   に気付く。 春原「……!」   春原、とっさに給湯室へと身を隠す。   艶やかにルージュを引き、黒のビスチェ   にフェザーを羽織った美悸が、頬を薔薇   色に上気させ給湯室をゆき過ぎる。   春原は足音が遠ざかるのを確かめ、廊下   へと出る。   噎せ返るような美悸の残り香の中で、春   原は立ち尽くす。   春原の背後から、ドアの開けられる音と   磊落な光永の声、媚態をふくんだ美悸の   微かな笑いが聞こえてくる。   ドアが軋んで閉まる。 春原「……なぜなんだ」   肩を落として呟く。 33 オリエントデパート・美術部   美悸の席には誰もいない。   春原、空いた席を見ている。   芹澤が入ってきて、傍らの部員に、 芹澤の声「田代クンはどうした?」 部員の声「今日は病欠ですが…」 芹澤「(春原を見て)きみぃ、これを急いで  光永社長迄届けてくれんか」 春原「…これから池坊展の準備があります」 芹澤「そんなもなァ後回しでいい。ここに届  けてくれ」   とメモを渡す。 春原「……」 芹澤「ホテルの事務所で執筆中らしい」 34 高層ホテルのスウィートルーム(外)   春原、思い切ってノックをする…返答は   ない。   春原、ノブを回す。鍵はかかっていない。 35 同・室内   春原、薄暗い部屋に入って来る。   乱雑にみだれた部屋の奥から、ルーズに   ガウンを羽織った光永が出てくる。 春原「届けものに来ました…」 光永「おお(と引き取る)」   春原、光永の首筋が赤く擦れているのに   気づく。   光永は背中を向け、小切手を透かし見る。   春原、光永のはだけたガウンの背中に、   鳥の足跡のように赤黒く爪痕が付いてい   るのを垣間見る。 春原「…(目を逸らす)」 光永「(春原の動揺に気づき)一杯飲んでく  かい?」   とほくそ笑む。 春原「お邪魔でしょう…」   と精一杯の笑みを繕い、部屋の外へと出   る。 36 病棟の一室   看護婦をふり切り、春原が来る。   誰もいないがらんとした個室?   ただ、窓際には、春原が持ってきた果物   籠が置き去りにされ、中の果物の表皮に   は緑青や白の黴が斑に浮かんでいる。 春原「……」   春原、ゆっくり踵を返す。 37 オリエントデパート・会議室   藤堂、谷津の前に付箋の付いた領収書と   契約書類の複写。その傍らに、疲れた顔   の春原と丸山がいる。 春原「芹澤が会員制スポーツクラブに入り、  ゴルフ場会員券を購入した証拠です…これ  らの日付は、すべてウチと東洋画廊の取引  があった直後です」   藤堂と谷津、複写をつぶさに眺め見、 藤堂「ご苦労様(射るような目となり)コピ  ーはこれ以外、取ってないだろうな?」 春原「…ええ」 藤堂「(相好崩し)この件を君たちに頼んで  正解だった」  ポンと春原の肩を叩き、春原の渡した複写  を持ち部屋を出て行く。  会議室には、春原と谷津が残される。 春原「…ひとつだけ教えて下さい」   谷津、振り返る。 春原「あのネタをどう使うつもりです?」 谷津「(ジロリと眺め)知ってどうするんで  す?」 春原「……」 谷津「あんたはやっと出世街道に戻ったンだ。  余計なことは考えず、今回の件はすべて忘  れることだ」   谷津、部屋を出て行く。 春原「……」 38 自信満々の表情で光永がオークションに   臨んでいる―   ステージ正面にオークショナー(競り人)   と競りにかけられた印象派。立錐の余地   もない会場には、腕組みした光永、芹澤。   壁際に春原の姿もある。オークションが   進行している― オークショナー「9000万…」   何人かの参加者がパドル(持ち番号の書   かれた丸いプラカード)を躊躇しながら、   光永だけは迷いなく上げる。 オークショナー「では、9500万!」   光永ともう一人がパドルを上げる。   会場がざわめき始める。   芹澤、光永の後ろの席に移り、 芹澤「いいのかね、きみぃ。予算は8千だよ  …」   光永、心細そうな芹澤に微笑み、 光永「心配しなくていいサ、オレの力で売り  抜いてみせる…1億ッ!」   会場からどよめきが巻き起こる―   落札を報せる、ハイマーが振り下ろされ   る。   光永、ふっとほくそ笑む。   と、光永の携帯電話が鳴る。   壁ぎわに行き、光永、電話を取る。 光永「何だって!…高山の事務所に?…わか  った」   と切り、春原に近付き、隅の方へて招く。 春原「何でしょう」 光永「(冷徹に)今から、俺の言う通りに動  け…東洋画廊に行って、こないだ高山から  買い取ったマネを急いで高山事務所に戻し  ておけ」 春原「(疑わしい目で)どういうことです?」 光永「つべこべ言わず、指示通りに動け!」 春原「……」 39 『東洋画廊』・表   春原と美悸、梱包された絵を金城から引   き取り、停めてあったワゴンタクシーに   慌てて乗り込む。 40 参議院会館・裏口   春原と美悸、待っていた高山の秘書と光   永に絵を渡す。 41 同・高山事務所   光永、マネを壁に慌てて掛け、足早に部   屋を出る。   入れ違いに、東京地検・査察部が入って   来る。   秘書、額から冷汗が流れている。 調査員「(ジロリと20号のマネを眺め)これ  が、3億でお買い上げになったマネですね  ?」 秘書「ええ…」   ますます冷汗が流れる。   調査員、一瞥し別の部屋へ。   秘書、汗を拭う。 42 同・外   美悸、出てくる。途端に蝉時雨がまい落   ちてくる。   駐車場の片隅、ぽつんと光永が立ってい   る。   背広を手に持ち、汗の滲んだワイシャツ   姿の光永が煙草に火を点けようとしてい   る…けれど、手が震えてなかなかライタ   ーに火が点らない。   美悸、そのほっとした、無防備な光永の   背姿を見ている。   蝉時雨が一層かまびすしくなる―   美悸、光永の方へ歩み寄ろうとする。 春原の声「彼の足元も崩れはじめたな…」   美悸はびくりとふり返る。   光永を見つめる春原の視線とぶつかる。 春原「検察が目をつけはじめた。彼ももう、  長くはない…」   美悸はふり返り、 美悸「もし彼が捕まれば、ウチの美術部だっ  て…」 春原「(苦笑)もしそうなっても、ウチのデ  パートは光永だけの責任にするさ…芹澤は  何も知らなかった、東洋画廊が勝手にやっ  たことだ、と…」   美悸、屹っとしたした目で春原を見る。 芹澤の声「…皆さんのお蔭で、わが美術部は  創業以来最高の売上高を記録しました」 43 オリエントデパート・会議室   芹澤を上座に企画会議の最中― 芹澤「…そこで、今日は、次年度の法人対象  の企画を詰めて行きたい。何か企画のある  人はいるかね?」   沈黙が立ち籠める。   隅の席の春原、躊躇ったのち…思い切っ   て挙手する。   美悸がふり返る。 春原「こんな景気はいつまでも続くわけはあ  りません…現に、サザビーズもクリスティ  ーズも徐々に売り上げを落としています。  これからは、法人じゃなく安い大衆向けの  リトグラフや工芸品に比重を移してゆくべ  きだと思います…」   美悸、凝っと春原を見つめる。 芹澤「しかし、きみぃ。ウチは石油(オイル)  ショックの時でさえ対前年比をクリアした。  多少景気が翳っても、法人関係に支えられ  売り上げが落ちないのが、わがオリエント  デパートの伝統だ」 春原「しかし、部長。絵画への投資に検察は  目を光らせ始めました…」   と鋭く見やる。 芹澤「(笑い)検察の動きをどうしてきみは  怖がるンだ?わが美術部の商売は公明正大。  司直やマスコミに後ろ指さされることは何  ひとつない」 春原「……(目に憎悪が過(よぎ)る) 44 都心のホテル・大広間   特別顧客対象の“特招会”。高級絵画が   飛ぶように売れてゆく―   芹澤、満面に笑みを湛え、高山の秘書を   揉み手しながら案内してゆく。   バックヤードに佇む春原。美悸が来る。 春原「ウチはこれから、高山事務所と直(じ  か)に取り引きするそうだ。手入れの入っ  た東洋画廊は通さず…」 美悸「……」 春原「しかし、ウチだってそう永くはない。  今のうちに、本当に自分のやりたい企画  をやるべきだ…」   と美悸を見つめる。   美悸、「だったら…」と振り返り、 美悸「…私の企画に、力を貸してもらえま  すか」   濡れた眸で訊く。 春原「……僕でできることなら」 45 同・美術部(夜)   オフィスは終業後らしく、人気は絶えて   いる。   美悸と春原が、付箋の付いた山のような   資料を挟んでむかい合っている。 春原「チェコ大使館へは…?」 美悸「協賛の依頼とプラハのコミニスカをど  うしたら入手できるかを聞きに行きました  …」 春原「協力してくれるって?」 美悸「企画書が通った段階で話を聞くって…」   脚を組み替える。 春原「(目を逸らし)で、肝腎の企画書は…?」   美悸、クセのある字で書かれた手書きの   企画書を見せる。 春原「会議に出すなら、ワープロで打たなき  ゃ駄目だ」 美悸「ワープロはいま、説明書見て覚えてる  所です…」        *   春原が、美悸の読み上げる手書きの企画   書を手早くワープロに打ち込んでゆく― 美悸「(追いつけず)速すぎるわ…」 春原「(苦笑)きみの読み方が遅い」   ―初老の守衛が申し訳なさそうに覗く。 守衛「まだ、少し掛かりますかネ…?」 春原「もうすぐ終わります…(美悸に)‘企  画意図’迄仕上げよう。時間はいい?」 美悸「春原さんこそ…」 46 深夜の喫茶店   片隅で春原、ワープロを打ち続けている。   美悸、読み上げ、画面を覗き込む。   春原の目の前に、美悸のつめたく調った   顔を長い髪が近づく。   美悸の香りが春原の鼻腔をくすぐる… 春原「……」   看板が仕舞われ、明かりが消えてゆく。 47 タクシーの中   美悸と春原が乗っている。   ラジオからニュースが流れてくる。 ラジオの声「…本日未明、衆議院議員・佐倉  善蔵さんが心不全のためにお亡くなりにな  りました。84歳でした…佐倉さんは××内  閣の運輸大臣で初入閣後…」   春原、美悸の顔色をそっと盗み見る。   美悸は表情ひとつ変えない。 48 美悸の部屋(夜)   間接照明の仄暗い部屋に、美悸が春原を   伴いやって来る。 美悸「狭い所ですけど…いま、お茶を淹れる」 春原「構わなくていい」 美悸「(微笑み)お酒なら?…ワインがある  わ」 春原「(微苦笑)…」   フローリングの上に花弁を散らした白い   花―そして、深紅のカウチポテトの傍ら   のテーブルに、アクアラングと水着で潜   る美悸の水中写真が置かれている。春原、   それに目を留める。 美悸の声「スキューバが趣味なんです…」 春原「(その写真を訝しく見)スウェットス  ーツなしで潜るの…?」 美悸「着ないで潜るのが好きなんです。珊瑚  虫の群れにぶつかると、細かなガラスの破  片を擦り付けられるような気がして…」   春原、なんと言ったらいいか分からず、   ワープロを机に置き、 春原「始めようか…」   と切り出す。   その時、ふいに電話が鳴り響く―   美悸、途惑う…けれど、寝室に行き、居   間との間仕切りを閉め受話器を取る。春   原の処に、顰めた小声で話す美悸の声が   漏れ聞こえてくる。 美悸の声「無理だわ、今からだなんて…しば  らくは行けない…切るわ」 春原「……」   美悸が居間に戻ってくる。 美悸「ごめんなさい…」 春原「(窓際の鉢に目を移し)かわった花だ  な…」 美悸「(ワインを戸棚から出し)‘グラスツ  リー’って言うんです」   血の色したワインをデカンタに移しつつ 美悸「オーストラリアの花。枯れる前に、狂  ったように咲くんです…」   こともなげに言う。 春原「……」 49 オリエントデパート・会議室   居並ぶ部員たちが「コミニスカ展」の分   厚い企画書を斜め読む。   その前にかたい表情の美悸が立つ― 芹澤「きみがこれを今、企画する意図は何だ  ネ?」 美悸「…コミニスカのガラスの美しさと儚さ  です。それに…」   と新聞のコピーを配ってゆく。   コピーには、東欧の国名とデモの様子が   載っている。 美悸「…東欧では共産主義が崩れつつありま  す。ですから、党の施設にあるコミニスカ  の作品もいつ何時、どうなるかわかりませ  ん…コミニスカの回顧展を大々的に開くチ  ャンスは、今を逃せばなくなると思います  …」 芹澤「これをどこから引くのか、(ジロリと  瞶め)当然、目星は付けてあるンだろうね  ?」 美悸「……はい」   春原、美悸の顔を見やる。 芹澤「(老眼鏡ずらし企画書を瞶め)黄昏の  プラハに、幻のシャンデリアか。まァ、道  具立ては揃ってるがネ…ガラスはウチじゃ  むつかしいが、一応コウザツ高級雑貨会議  に上げるだけ上げるか」 美悸「……お願いします」   深々と頭を下げる。 50 同・アートサロン    バックヤードで、黙々と招待客用のシャ   ンパンを注ぎ、コンパニオンに手渡す係   の美悸。   春原が来て、手伝う。 春原「シャンデリアがどこにあるのか、本当  に分かってるのか?」 美悸「…ええ」 春原「(見つめ)どこにある…?」 美悸「(語気荒く)作品の手配は私がやりま  す…」   突き放すように言った後、 美悸「(微笑み)…大丈夫ですから」 春原「(訝しく)……」 51 チェコ大使館・外   春原、真鍮のプレートに『チェコスロバ   キア社会主義共和国大使館』と書かれた   黒い建物の中へと入ってゆく。 書記官の声「お問い合わせの件を本国に照会  してみました…」 52 同・中   春原と書記官が向かい合う。 書記官「(チェコ語のファクシミリ渡し)こ  の作者のシャンデリアは、プラハ市内に4  体現存していることが確認できました。…  共産党本部に2体、それに、ヤケシュ書記  官邸に2体…」 春原「それ以外は…?」 書記官「おそらく、海外のオークションに流  れたものと思われますね」 春原「行方は分かりませんか?」 書記官「ウチでは…」 春原「それを調べる方法は…?」   書記官が考えあぐねていると、奥から初   老の書記官が嘴を挟む。   「‘アート・コンテンポラリー’という   ホームページには当たってみたかね?」 春原「(ふり返り)いえ…」 初老の書記官「そこには、めぼしいアーティ  ストとその所蔵者リストが載っているはずだ」   春原、その名称を控える。 53 オリエントデパート・従業員通用口   春原、タイムカード押し出てくる。   と、暗がりに男が潜んでいる。   春原、目をこらす…金城が立っている。 54 走るベンツ・車中(夜)   運転する金城と助手席の春原。   春原、後部座席の競馬新聞を取り、 春原「来週から福島、次の週が小倉だな…(  金城の視線に気付き)地方競馬が好きでね」   と笑う。 金城「珍しいね」 春原「中央で落ちこぼれた奴や病み上がりの  馬が勝ったり負けたりするだろ…だから夏  競馬だけは見にゆく」 金城「…俺も、馬の共同オーナーになるのが  夢なんだ」   はにかむように言う。 55 クラブ・VIPルーム   春原、来る。   女たちにかしずかれ毛皮のソファに光永   身を沈めている。 光永「ちょっと、話がしたくてな…」   光永はかなり酒が入っていて、呂律が怪   しい。 春原「今日は親父サンの通夜じゃないンです  か…?」 光永「(ふっと笑い)通夜に行っても、妾の  子供が座る席はないさ」 春原「妾…(光永を見やる)」 光永「俺は、佐倉とコリアンクラブのホステ  スの間の子供だ…」 春原「……」 光永「(笑って)それに、佐倉も、自分を恐  喝した息子にいまさら手を合わせて欲しく  てはないだろ」 春原「……」 光永「それより、仕事(ビジネス)の話だ」   とおもむろに鞄から鑑定評価書取り出し 光永「これを1億に書き替えてくれ」 春原「(呆れ)3千万の評価額をですか?」 光永「(銜え煙草で)ああ」 春原「? 鑑定書には社判が必要です」 光永「(磊落に笑い)そんなもなァ偽造すり  ゃぁいい」 春原「(も苦笑し)それがバレれば馘どころ  か、後ろに出が回る」 光永「(真顔で)3割の3千でどうだ?」 春原「……」 光永「(うすく笑い)手を汚さなけりゃ、い  つまでもウダツの上がらないままだぜ」   春原、哀れむ目で光永を見、席を立つ。 56 パソコン画面に「アクセス中」の表示が   でている―   オリエントデパート・財務部のパーソナ   ル・コンピューターの前に丸山と春原。 丸山「まもなく呼び出せると思います」 春原「ああ…」 丸山「(チラリと春原を見)これも、こない  だの件ですか?」 春原「今度は美術部の仕事です。不正調査は  お役御免です(と言って苦笑)」 丸山「これが、コミニスカの所蔵者リストで  すね…」   画面に、イエジー=コミニスカの英文。   そして、所蔵者のリストが連なる。   丸山、画面をスクロールする。   その中に、「Tokyo Japan」の文字がチラ   ッと見える。 春原「止めて下さい」 丸山「(止めて、読む)東京都、江東区塩浜2  ―28…(春原の顔を見る)」 春原「……!」 57 「江東区塩浜2−28」の住所表示の前に   春原が立っている。   錆びた穀物倉庫は、「東洋画廊」のビル   である― 58 『東洋画廊』・応接室   春原、入ってくる。   金城が困惑顔でソファを勧める。   隣の部屋から、光永と高山の秘書がやり   合う声が聞こえてくる…… 男の声「…1億だって!もうキミから金輪際絵  を買うつもりはないよ」 光永「なら、絵画取引の証拠は返せませんネ  …マスコミになら高く売れますよ」 男の声「恐喝(おど)す気かね…」   光永の低い笑いが聞こえてくる。 男の声「高山先生はキミのお父さんのように  はアマくはないよ…」   ドアーが開く。   春原、窓際に戻り、背中を向ける。   肩越しにちらりと見る。   色をなした高山の秘書が応接室を横切り   出口へと消える。 光永の声「待たせたな…」   春原ふり返る。光永が立っている。 光永「やっと決心がついたか」   とほくそ笑んでいる。 春原「今日は別件だ。あなたが持ってるシャ  ンデリアを見学に来た…」   光永、春原をこなし、 光永「(笑って)見学料は高いよ」   と隣の部屋へと誘う。 59 同・所長室   軋んで、ドアが開いた。   光永と春原が入ってくる。   そこは、40畳余りの‘ロフト’。   中央のマーブルのテーブルとチェアの上   には、元倉庫の高い天井の梁から、豪奢   なガラスのシャンデリアが6体ほどつり   下げられ、広い窓から射し込む光に揺ら   めき、そして、壁一面に設えられた棚に   は、色とりどりの歪んだ華奢なガラスの   花器やオブジェが雑然と並べられている   ― 春原、言葉を失い立ちつくす… 光永「(退屈そうに)で、これに何の用だ?」 春原「…ウチの部でこの作家の企画が持ち上  がってる。田代という部員があなたに話を  もちかけた筈だ…」   探るような目で見る。 光永「貸してくれと言いに来たよ。断ったが  な」 春原「どうして…」 光永(うすら笑い)なんでデパートなんかに  貸し出さなきゃならない?」   その時、ふいに応接室の窓から夕風が舞   い込む―   シャンデリアが激しく音を立てて森のよ   うに揺れる。香水壜やデカンタが壁の棚   から滑り落ち、床の上で粉々に砕け散る。   春原、慌てて応接室と所長室の間のドア   を閉めようとする。けれど、ドアはロッ   クが掛かって、閉まらない。 春原「(ふり返り、応接のソファに埋もれる  光永に)窓を…」   光永、動かず、 光永「(煙草をくゆらせたまま)そのままに  しといてくれ。ただのガラクタだ」   うすく笑って瞶めている―   春原、応接の窓を閉めにゆく。   そして、砕け散ったガラスの前へと戻る。   繊細精緻な文様が刻まれた破片が砕け散   っている… 春原「(怒りが込み上げ)わざわざ金と暇に  明かして蒐めたんだろ…それをなんでこん  な風に扱うンだ?」 光永「(笑い)あの女も最初に見た時、同じ  ことを言ったよ…こんなに脆いものはちゃ  んと補修し保存したいとナ」 春原「なのにどうして断った…?」 光永「毀れやすいガラスをなんでわざわざ保  存しなくちゃならない?」 春原「……」 光永「崩れてくものだから、気に入った。だ  から蒐めたんだ。それをなんで、フォルマ  リン漬けの剥製みたいに保存しなくちゃな  らない?」   初めて真顔を見せ光永が訊ねた。 春原「……(答えられない)」   その時、曇天の空が割れ夕陽が射し込ん   でくる―   朱に染めあげられ揺らめくシャンデリア   を春原はふり仰ぐ。   そして、魅入られたように仰ぎ続ける。   光永は、退屈そうにそんな春原の横顔を   瞶め、バーボンを舐めた。 60 深夜のファミリーレストラン   部屋着の上にサマーセーター羽織った美   悸が化粧を落とした顔で入ってくる。店   の片隅にいる春原に気づき、席へと行き、 美悸「(少し咎める口調で)どうしたんです  こんな夜中に…」   ウェイトレスがオーダー取りにくる。 美悸「アイスティーを…」 春原「…シャンデリアの行方が分かったよ」 美悸「(不意を衝かれ)……」 春原「全て光永の所にあった…(と美悸を試  すように見る)」 美悸「……」 春原「(色をなし)どうして黙ってた?」 美悸「(自嘲するように笑い)今まで何度も  頼んだわ。でも、あの人はレトロペクティ  ヴになんて協力しないって…」 美悸「……」 春原「光永から借りられず、東欧の政情も怪  しい…コミニスカ展は諦めるんだな」 美悸「…どうしてもやりたいの。今じゃなけ  れば、もう開けない…プラハのも光永さん  の所のも、いつ毀れてもおかしくはないか  ら…」   春原、化粧気のない美悸を見つめ、 春原「…きみが本当に惹かれているのはシャ  ンデリアじゃなく光永の方じゃないのか?」   美悸のつめたい顔にさっと朱が差した。 春原「きみと光永のことは前々から気付いて  た…」 美悸「(擦れた声で)いつから…?」 春原「(思い出すのも腹立たしいと言った体  で)偶然、彼がご愛用のホテルの廊下でき  みと擦れ違った…」 美悸「そう…」   と溜息付き、グラスに口を付けた。 美悸「最初はシャンデリアに惹かれて近づい  たの…でも、知らないうちに、惹かれてい  るのがガラスなのか光永さんなのかが分か  らなくなった…」 春原「奴も、きみに惚れてるのか…?」 美悸「(翳りのある笑みを浮べ)わからない  …」   グラスの中の氷を揺らした。 美悸「でも、春原さん…彼とのことが分かっ  てて、どうして私を助けてくれたの?」   試すように見た。 春原「……」 美悸「(微かに笑みを浮べ)それでも、かま  わなかったの?」 春原「(苦々しく)かまわなくはないさ。で  も…」 美悸「……」 春原、答えず、気の抜けたビール飲み干し立  ち上がった。 61 オリエントデパート・美術部   女子部員が入ってくる。   美悸のデスクへ行き、 女子部員「部長がお呼びよ…高級雑貨部(コ  ウザツ)会議の結果が出たって」 美悸「…はい」   一度深呼吸する。そして、美悸、席を立   つ。   春原、書類整理しながら、それを見てい   る。 62 倉庫街   春原、タクシーを降りる。   風が強い。   春原、コートの襟立て、東洋画廊の倉庫   ビルへと足早に歩く― 63 『東洋画廊』・所長室   春原が入ってくる。   と、光永が金城を怒鳴り散らしている。 光永「つべこべ言わず、高山事務所に継げッ  …」 金城「…自分でかけて下さい」 光永「何…」 金城「もうあんたに指図されるのはごめんだ  …」   と言い、ロッカーの中の荷物を引取る。   春原の前を、顔を真っ赤にした金城が通   り過ぎてゆく。   光永、春原に気付き、 光永「(うっそりと見)何だ…」   ソファに身を沈める光永に向かって、 春原「コミニスカ展の企画が通った…」   光永、関心なさそうに煙草に火を点ける。 春原「下らん勿体をつけず、これを貸してく  れ…」   とシャンデリアを見上げる。 光永「断ったはずだ」   春原、背広の内ポケットから鑑定書を取   り出し、光永の前に滑らせ。 春原「これとシャンデリアは引換えだ」   光永、それを瞶め、 光永「(笑って)社判がない…」   と突っ返す。 春原「(躊躇うが、思い切って)もし、これ  を貸すなら、社判は捺す」 光永「(ほくそ笑み)偽造するってことかい  ?」 春原「…ああ」 光永「見つかれば首が飛ぶが、いいのか…?」   春原の気持ちを玩ぶように言う。 春原「(顔を紅潮させ)構やしない」 光永「(大笑いし)惚れたのか、あの女に」 春原「そんなことじゃない…」 光永「(あっさり)譲ってやろうか…お前が  欲しいのは、(頭上のシャンデリア指し)  これよりあの女の方だろ?」 春原「……」 光永「あいつ(下卑た笑いを浮べ)セックス  だけは底無しだぜ…」   春原のこめかみが小刻みに震えた。 春原「(鑑定書を引取り)こいつとシャンデ  リアを交換してやると言ってるンだ。(射  るような目で)どうする…?」   震える声で言う。   ―その時、ふいにチャイムが鳴った。 光永「(だらしなく笑い)客がくるんだ…」   帰れとジェスチャーでドアの外を指差す。   春原は、まさか ―、とドアの方をふり   向いた。   場末のホステス風が3人、スリットの入   ったドレスの上に媚びた顔を乗せて立っ   ている―   春原、踵を返した。 64 倉庫街の最寄駅・ホーム(夜)   春原が電車に乗ろうとすると、息を切ら   した美悸が電車から降りてきた。   ふたりは互いに近づいた。 春原「……」 美悸「……どこへ?」 春原「東洋画廊に」 美悸「私も。コミニスカのことを報告しに…」 春原「…彼はまだ帰ってなかった」 美悸「そう…」   と何だか肩の力が抜けたように言った。 65 運河沿いの縄暖簾(夜)   春原、美悸、かなり酒が入っている。 美悸「そろそろ帰ってるかも知れない(と立  ちかける)」 春原「…行かないほうがいい」 美悸「(ふり返る)」 春原「奴はシャンデリアを貸す気などさらさ  らない」 美悸「(微笑み)分かってるわ、でも…」   春原、コップ酒を呷り、 春原「きみは遊ばれてるンだ。光永はシャン  デリアを出しにきみを弄んでるだけだ…」 美悸「弄ばれても、あのきらめきが欲しいと  言ったら…」 美悸「(哀しく)…どうして、そんなにあの  ガラスに拘る?…毀れやすいものが毀れて  ゆく、それは仕方がないことじゃないか…」 美悸「(も哀しく笑い)毀れてゆくから守り  たいの…彼に承諾させなくちゃ」   と立ち上がろうとする。 春原「(強く)…待ってくれ」 美悸「(ふり返る)」 春原「俺は…報われない恋をする女を見ると、  堪らない気持ちになるンだ」 美悸「報われない…」   と小さく呟いた。   暖簾の外では、蕭々と雨がふり始めた。   春原は、ふいに、   「妹がいたんだ…」と話し始めた… 春原「彼女には、ずっと片想いの男がいた…  けれど、ある時彼女は、その男にふいに抱  かれた…一度だけでも思いが叶った妹は、  気持ちを押さえきれなくなって男を追い回  した…けれど、男が抱いたのは、愛からじ  ゃなく憐れみからだった…妹が重荷になっ  た男は、俺の両親に一部始終を話し、妹の  上司にも手紙を書いた…」   引き込まれた美悸は、 美悸「(小声で)…それで?」 春原「俺は、男の会社を訪ね、男を肋が折れ  るほど殴りつけた…(自嘲するように笑い)  でも、何も解決しなかった…まもなく妹は  精神を病み、病院へ入った…」   美悸はふかく溜息を付いたあと、 美悸「でも、私はあなたの妹さんじゃない…  たとえ報われなくても、毀れたりなんてし  ないわ」 春原「(哀しく微笑み)……余計な話をした」 美悸「行くわ…(微笑み)頼んで、すぐに戻  ってくる…」   春原は立ち去る美悸を、その背中を見て   いる。   店の奥のTVから国会中継が流れている。   春原胡乱に見やる。 66 TVの国会中継 田沼議員「…あなたは選挙資金作りのために  不正な絵画取引をしたと疑いが持たれてお  るが、絵画の購入経路についてお答えいた  だきたい…」 議長「高山議員…」 高山「わたくしは、先生もご存じでらっしゃ  るように民政党きっての印象派コレクター  でございます。資金作りのために絵を売り  買いするなんて(豪気に笑い)そんなケチ  な真似は致しません。それに、すべて絵画  は大手デパートを通じて購ったものです…  (憤然と座る)」 67 『東洋画廊』・所長室(夜)   美悸が来る。そして、凝然とたちすくむ   マーブルの床の一面には砕けたガラスの   破片がきらきらと輝いている。   酔ったホステスたちが、ワインを飲み干   し、空いたグラスを床に落として割って   いる―   そして、窓が開けられ、天蓋のシャンデ   リアは荒波に漂う船のように揺れている。   ひとりのホステスが空けたグラスを歓声   とともに、天井に放り上げる。グラスは   シャンデリアの端をかすめ、その破片が   舞い落ちてくる―   美悸、ホステスたちのグラスを引ったく   り、窓を閉める。   ホステスと戯れるソファの光永に向かっ   て、 美悸「(哀しく)こんなことして、何が面白  いの…?」 光永「(鬱陶しそうに)お前は、このガラス  がなぜ毀れやすいか知ってるのか?」 美悸「(今更、といった口調で)それは、鉛  ソーダの分量が…」 光永「(遮り)そんなことじゃない…コミニ  スカがわざと毀れやすくガラスを作ったか  らだ」 美悸「えッ…」 光永「コミニスカは、自分が命を吹き込んだ  シャンデリアが、没収され、愚にも付かな  い所に飾られ、もう二度と見ることができ  ないことを知っていた…」 美悸「だから、わざと毀れやすいガラスを作  った。自分より永くこれが生き延びないよ  うにナ…」 美悸「(消え入るような声で)…でも、これ  は生き延びたわ」 光永「彼が滅びることを希って作ったものを  無理に生き延びさせることはない…」 美悸「……」 光永「帰れッ」 68 運河沿いの縄暖簾(夜)   雨に濡れた美悸、悄然とした表情で来る。   春原はカウンターで飲んでいる。   美悸は腰掛け、「寒いわ…」と春原のコ   ップを引き取り、酒を飲み干す。 春原「水じゃないんだ」   とそれを引き取る。   美悸、傍らのコップに並々と酒を注ぎ、 美悸「さぁ、飲もう。春原さん、今晩は徹底  的につき合って…」 春原「……」 69 タクシー・車中(深夜)   泥酔した美悸が春原の胸にすがりついて   くる。   美悸は春原をマスカラの流れる顔で見つ   め譫言のように言った。 美悸「春原さん、教えて…光永もシャンデリ  アも生き延びさせる方法を…」 春原「(哀しく)……」   美悸は春原にからだを委ねた。   美悸の甘い香りが春原を包んだ。   春原は、いとおしさを込め、美悸の冷え   たからだを抱いた。   そして、言った。 春原「そんな方法はないよ。奴が死ぬかシャ  ンデリアが砕けるか、どちらかひとつだ…」   春原はふり返る。   美悸はすでに寝入っている。 70 美悸の部屋(夜)   春原、美悸をベッドに運んでやる。   苦しそうな美悸のスカートのホック外し   てやる。   ジャケット脱がせ、ハンガーにかけよう   とひっくり返す。   と、内ポケットからハンカチに包んだガ   ラスの破片が床に零れ落ちる―   春原、拾いあつめる。   コミニスカのグラスの破片だった…   春原、衿元のボタンふたつ、外してやる   春原、内ポケットのガラスの破片が肌に   擦れた傷が、美悸の真白い胸元に付いて   いるのに気付く。 春原「……(毛布をかけ)」   その時、ふいに電話が鳴る。   留守電設定にされているらしく、美悸の   声が流れ、続いて録音テープが回る。   電話の外の室内に、光永の声が漏れ聞こ   えてくる… 光永「(回らぬ呂律で)明日はいつもの部屋  をリザーブしてある。その前に、シャンデ  リアの話でもしながらイタ飯でも食おうや  …」   ガチャリと切れる。   春原、美悸を見やる…   美悸は何も気づかず、寝息を立てている。   春原の目に、憎しみがたぎっている。 71 ‘ハローワーク’・中   金城が「求職案内」のカウンターに来る。   係員は事務的に隣のコーナーを指す。   金城、隣の列を見る。東南アジア人や中   南米人が長蛇の列をなしている。その先   に、「外国人の方の求職案内」と表示。   金城、仕方なしに並ぶ。後ろにならんだ。   ‘日本人’に、色んな膚の目が注がれる   … 金城「(うすら寒く)…」   その時、背後から「金城さん…」と声が   かかる。   ふり返ると、春原が立っている。 春原「(微笑み)ちょっと、あなたにしか頼  めないことがあって…」 金城「何…」 72 ガード下の焼肉屋   金城、酒が弱いらしく顔はすでに赤銅色。   春原、上ロース肉を注文しつつ、 春原「…私たちデパートは、いままで随分光  永さんに尽くしてきた。私たちの御蔭であ  なた方は少しは潤った筈です」 金城「馬鹿言っちゃいけない、潤ったのはあ  いつだけだ…」 春原「じゃ、あなたと私は同じ被害者だ、使  われるだけ使われたあげく、あなたは放り  出され、私は強請(ゆす)られてる…」 金城「強請(ゆす)られてる…?」 春原「ええ。いままでの政治資金作りの証拠  を盾に取られ…(情けなさそうに)このま  まだとデパートも馘だ」 金城「(義憤の目となり)」……」 春原「さぁ(と上ロースをすすめ)」 73 『東洋画廊』・オフィス(真夜中)   金城が忍び込む。   隣の居間で光永が女と戯れている音が漏   れ聞こえる。   金城、怒りをかきたてる。   金城、暗証番号回し金庫を開ける。中の   ファイルを取り出し、別のファイルを入   れる。そっと出口へと向かう… 74 競馬場・スタンドの裏側   薄闇で春原、金城からファイルを受け取   る。 春原「(申し訳なさそうに)馬じゃなく馬券  しか買えない額だが…」   と予想紙に包み金をわたす。   金城、バツが悪そうな笑い浮べそれを受   け取る。 金城「(照れ隠しに)これで万馬券当てて馬  を買うよ…」   とスタンドに消えてゆく。 春原「(金城に届かぬ声で)夏に走らなくて  いい馬を買えよ…」 75 参議院会館・田沼事務所   執務室の田沼が例のファイルをぱらぱら   捲りつつ、 田沼「どうせ、誰かの悪戯やろ…」 第一秘書「私も最初はそう思いましたが…」 田沼「何だ?」 第一秘書「すべてウラは取れました…」 76 オリエントデパート・通用口   春原が入ろうとする。   と、やおらライトが浴びせかけられ、 女性レポーター「オリエントデパートが高山  議員の政治資金作りを手伝ったって噂があ  りますけど…本当ですか?」   待機していたマスコミのカメラとライト   に春原揉みくちゃにされる。 77 同・会議室   フラッシュが瞬く中、壇上に総務部長と   芹澤―記者会見の最中。   芹澤、言葉を選びつつ慇懃に、 芹澤「私どもが東洋画廊を通じ、高山先生に  絵をお売りしたことは事実でございます。  しかし、その後、東洋画廊サンと高山先生  との間にどんないきさつ経緯があったか迄  は存じ上げません…」 記者「じゃ、今回の絵画疑惑に、オリエント  デパートはまったく関係がないということ  ですか…?」 芹澤「ええ…私どもの関与しない所でのこと  ですから、責任のとりようもございません  ……」   慇懃きわまりなく言う。 78 同・美術部   春原、部員たちとTVに映るその会見を   見ている。   春原、そっと席を立つ。 79 同・ロッカールーム   春原、鍵をあけ、ロッカールームより煮   染めたような鞄を棚から取る。   中から領収書類や契約書のコピーを取り   出す。 80 真夜中のコンビニ   トレパン姿の春原、ファックス送信機の   上に十円玉積み上げ、せっせとファクシ   ミリで、「芹澤」と署名のある伝票類、   それに契約書類のコピーを流している。   「週刊××・経済部御中」と書かれた   レターヘッドを最後に差し挿れる― 81 荒れた画面のニューズリール   薄暮のプラハ・ヴァーツラフ広場。広場   を埋めつくした学生や労働者たちが手に   手に蝋燭をかざして、取り囲む装甲車と   警官に対し、声の限りに叫んでいる― ニュースの声「…民主化への気運が高まるチ  ェコスロバキアの首都・プラハでは、昨日  デモへの参加者が、‘プラハの春’以来最  大規模の20万人に達し…」 82 オリエントデパート・社員食堂   片隅のテレビに流れるお昼のニュースの   プラハに目を凝らす美悸― 女子部員が定食持って隣に来て、 女子部員「どこ、これ…?」 美悸「…プラハです」 女子部員「(関心なく)それより、芹澤部長   が辞めるそうよ…政治家から賄賂を貰っ   たって証拠、マスコミに握られたンだっ   て…」 美悸「(心ここにあらずで)そうですか…」 女子部員「それで、財務から新しく部長が来  るって…」 83 同・会議室   部員たちを集め、丸山が演説中。 丸山「(上ずった声で)…私、このたび機会  あって、美術部長を拝命したからには、い  ままでの法人依存の古い体質を一掃し一般  顧客の方に喜ばれる企画催事を行ってゆき  たいと思います…」   部員たちが拍手する。   丸山、頬を紅潮させ、部員の一人一人に   ビールを注いで回る。   春原、浮かない顔して壁ぎわに佇む美悸   に近づく。 春原「チュコ情勢が気になるのか…」 美悸「それもそうだけど…(躊躇うが思い切  って)光永さんの行方がわからないの…」 春原「…いつから?」 美悸「ここ一週間…もし彼に何かあればシャ  ンデリアだって…」   と春原を見やる。 春原「(鷹揚に笑い)心配いらないさ…あそ  こはウチに債務がある。万一、何かあって  も、債権者としてコミニスカを差し押さえ  ればいい」 美悸「……」   その時、同僚が美悸に近づく。   電話のジェスチャーして、隅の外れた受   話器を指す。   美悸、平静つくろい電話口へと向かう。   春原、さりげなく様子を伺う…受話器を   取り、慌てて背を向け話す美悸の姿を遠   巻きに見ている。   美悸はメモ用紙に何かを書き付け、鞄に   納めたのを、春原は目の端に留める。   美悸、受話器を置く。急いで会議室を出   ようとする。   が、丸山がビールを注ぎにやってくる。 丸山「あなたの企画書は、興味深く読ませて  貰いました…」   美悸は丸山に捕まる。 丸山「東欧の情勢が好転しさえすれば…」 春原、そっと美悸が電話していた場所へ行く。   そして、メモの跡ののこる紙をさっと破   り、ポケットへしまう。美悸、そんなこ   とに気付かず、熱心に話し込む丸山に戸   惑いがちに答えている。   春原、そっと部屋を出る。 84 同・廊下   春原、廊下の死角で美悸のメモをライン   マーカーで擦っている。   殴り書かれたホテルの名前と時間が現わ   れる。   春原、それを片手にエレベーターホール   へ向かう。   と、反対側から谷津が歩いてくる。   春原、目礼し谷津と擦れ違おうとする。   が、擦れ違った時、背中から谷津が声を   掛ける。 谷津「(人気がないのを確かめ)マスコミに  流れた資料を入手しましてね…」 春原「……」 谷津「お宅しか知らない証拠が、どうしてよ  そに流れたンです?」 春原「…(振り返らない)」 谷津「覚悟は出来てるンでしょうね…?」   春原、答えず、歩き始める。 85 高級ホテルのロビー   春原、来る。   棕櫚の蔭にサングラスかけた光永が立っ   ている。   光永、訝しげに春原の姿を見やる。 春原「(近付き)彼女に頼まれてきた…」 光永「…金は持ってきたろうな」 春原「…(咄嗟に)ああ」   光永、春原をこなす。 86 運河に架かる錆びた鉄橋   光永と春原、逃げるように渡る。 87 運河沿いの安ホテル   光永、尾けられてないか確かめ入る。   春原も後を追う。 88 その一部屋   壁には水漏れの痕が浮かんだ狭い一室。 春原「どうしたんです…」   光永、傾いた机に乗るワインをひび割れ   たコップに注ぐ。   疲れが光永の浅黒い顔に染み付いている。 光永「誰かが、高山の取引の証拠(ネタ)を  盗み出し田沼の爺さんに売り渡しやがった  …」 春原「(とぼけて)田沼…?」 光永「高山の政敵だ―高山は俺が密告(さ)  したと思ってる」 春原「……」 光永「(うすく笑い)お蔭で、高山の舎弟か  らは付け回され、こんな高級ホテル暮らし  サ」 春原「…誰がやったんです?」 光永「(ワインごくりと飲み干し)お前じゃ  ないのか…」 春原「僕が…(と笑い)何か証拠でもあるの  か?」   と強ばって訊く。 光永「ないさ…(ふっと笑い)誰がやったっ  て、もう、いい」   春原、いくらかほっとする。   そして、煮染めたような鞄から財布を取   り出し、ありったけの金を光永の前に置   く。 春原「そんなに危険なら、これでどこかへ逃  げた方がいい…」 光永「こんな端金じゃ、一晩の飲み代にもな  らねエ」 春原「(憤り)そんな場合じゃないだろ…逃  げて、どこかで地道に生き延びたらどうだ」 光永「(うすく笑い)生まれた町にもどり、  パチンコの景品替えか焼肉屋にでもなれっ  て言うのか?」 春原「そこからだってのし上がれるだろう…」 光永「また、10年かかる…」 春原「それでもいいじゃないか」 光永「(苦笑し)その頃には、終わってるさ  …」 春原「何がだ?」 光永「俺が暴れられる時代はいましかない。  今しか、金もきらめきも掴めない…」 春原「(冷ややかに笑って)でも、それを掴  む前に死んだらおしまいじゃないか…」 光永「(ふっと笑い)…そうだな」 春原「だったら…」 光永「(寂しく笑い)でもな、きらめきもな  くただ生き延びて、面白いかな…」 春原「…」   光永、傾いた戸棚を開け、皺の寄ったイ   タリアンスーツを引取る。 光永「(笑って)今夜は女が来るンだ…」羽  織って出てゆく。 春原「……」 89 高級ホテル・ロビー(夜)   棕櫚の蔭―   美悸、待ちくたびれている。 90 『東洋画廊』・外(深夜―)   海からの風が強い。   光永、走って来る。   後方をふり返る…人影はない。   光永、ほっとする。   鍵を開け、中へと入る。 91 同・所長室   光永、来る。   窓から射す月明かりに、コミニスカのシ   ャンデリアが蒼くあやしく揺らめいてい   る―光永、ふり仰ぐ。   子供のような目でシャンデリアの光芒を   みつめ続ける。   そして、やおら立ち上がり、片っ端から   窓を開け始める。   開いた窓から風が吹き込み、シャンデリ   アは大きく揺れ始め、涼やかに鳴る―   光永、床にへたり込み、崩れてゆくシャ   ンデリアを、その最期をながめようとす   る…と、ふいに風が凪ぐ。   光永、振り返る。   表情が凍り付く。   窓は閉められ、男たち何人かが窓際に立   ちはだかっている― 92 オリエントデパート・美術品部   荒れた肌の美悸、事務作業をしている。   夕刊片手の同僚が来て、 同僚「(声弾ませ)これ見た?(と夕刊の国  際面、美悸の前に広げ)」   美悸、その面に目を落とす。   とたんに、美悸の頬に朱が差す。   『チェコスロバキア、無血で共産党一党   支配を終わらせる―』の大見出し― 同僚「よかったじゃない…」   喜びの顔、抱き合う人々で埋めつくされ   た粉雪舞うヴァーツラフ広場の写真―   美悸、関連記事、他にないかと頁を捲る   …社会面に目を移す。   美悸はふいに立ち眩む―   床が斜めになる。   「どうしたの…?」という同僚の声が遠   退き、すべての音が消え失せる。 93 夕刊がふわりとフロアにまい落ちる。   広がった社会面。その片隅に―   『画廊店主、飛び降り自殺』の記事。   その上に小さく、微笑む光永の写真― 94 春原、それを拾う。   見て、深く目を瞑る― 95 病室   春原の顔に悔恨が浮かんでいる。   背後でベッドが軋む。   春原、ふり返る。   ベッドの美悸が目をさましている。   春原、慌てて、笑顔を取り繕う。   美悸、何か言いかけようとする。 春原「(遮り)コミニスカ展のことならちゃ  んと先に進めてる…」   と微笑みかける。 美悸「…東洋画廊のシャンデリアは?」 春原「…全部無事だ」   春原、病室の窓を開ける。   抜けるような秋晴に、飛行機雲がのびて   ゆく。   美悸もそれを見て、 美悸「(ぽつり)…光永さんは?」 春原「(空を見て)昨日、告別式だった…部  長と一緒に出て来た」 美悸「(伸びてゆく飛行機雲をながめ)…」 春原「早くよくなれ…政情の回復したプラハ  から、コミニスカが、次々船便で送られて  くる…」 美悸「(ぽつりと)誰なの…彼を殺したの?」   春原、たじろぐが、気持ち押し隠し、 春原「彼は自分で死を選んだんだ…警察もそ  う断定した」 美悸「……(涙が溢れ)嘘よ。嵌められたの  よ」   春原、乱れる気持ちを心に納め、 春原「でも、シャンデリアは残った…コミニ  スカ展はこれで開ける」 美悸「……」 春原「それが、亡くなった彼への手向けにも  なると思う…」   自分に言い聞かせるように、呟く。 96 『東洋画廊』・応接室   債権者会議の真最中―   春原、債権者たちの前で捲くしたててい   る。   傍らで美悸、しんとした目で春原を見て   いる。 97 同・所長室   一面にビニールシートが敷かれ、足場が   組まれて、運送業者がコミニスカのシャ   ンデリアを取り外そうとしている。   片隅で美悸、それを虚ろに眺めている。   作業服姿の春原がその背中に近づく。 春原「…彼は死ぬ前にこれを毀さなかった…  (微笑み)美しいものは、やっぱり毀しち  ゃいけないと思い直したンだ…」   そっと肩を抱く。 美悸「……」   6体のシャンデリアが、グラス類がつぎ   つぎ毛布に包まれ運びだされてゆく。 98 チェコ大使館・外   黄落した銀杏紅葉が敷きつめられ― 99 同・応接室   事務官二人の前に丸山と春原、美悸。 丸山「(下手(したて)に)他のデパートの  ‘ボヘミアングラス展’には協賛なさって、  どうしてウチのコミニスカ展にはお力添え  いただけないんです…?」   と笑って聞く。 事務官1「(弱り顔)ウチも…予算に限りが  あるものですから…」 事務官2「(強気に)本国でも、コミニスカ  なんて名前、誰も知らないンですよ…」 春原「(きっぱり)今回の企画にご協賛いた  だけないようでしたら、今後‘東ヨーロッ  パ物産展’は他のデパートさんでおやりに  なって下さい…」 事務官1、2「……」   丸山と美悸、春原の方をふり返る。 100 オリエントデパート・会議室   春原と美悸が帰ってくる。 春原「これで大使館の協賛も取り付けた…」 美悸「…」 春原「どうした?」 美悸「…いえ」 春原「(笑って)準備は着々と進行している。  これは、ウチにとってはビッグ・プロジェ  クトなんだ」   春原、「それに…」と少し言い淀んだの   ち、 春原「…僕にとってはここでの最後の仕事に  なる」 美悸「(聞き咎め)最後…?」 春原「鹿児島にある関連会社への転勤辞令が  出た…」 美悸「……」 春原「来月発つ…(寂しく微笑み)もう、東  京へ戻ることはないと思う」 美悸「(見つめ)…」 101 霧笛が鳴っている。   そこは、朝霧ただよう埠頭。   停泊している船からクレーンがコンテナ   を荷揚げしている。 102 埠頭・コンテナ倉庫   美悸と春原、コンテナの開包を見守って   いる。   中から4体のシャンデリアが現われる―   美悸の頬がすっと紅潮する。   春原、そんな美悸を充ち足りた笑顔で見   つめ、 春原「やっとここまで来たな。検品終わった  ら、乾杯しよう…」   とそっと手を握る。 美悸「(拒まず)…ええ」 103 ホテルのバー(夜)   春原と美悸、飲んでいる。 春原「夏前だったな…」   とぽつんと呟く。 春原「ここで、きみにコミニスカのことを聞  いたのは…(美悸を見つめ)それが半年後  の今、実現しようとしている…」 美悸「春原さんのお蔭です…」   とあらたまって言う。 春原「(グラスを空けて、ふいに)…一緒に  九州へ行かないか」 美悸「……」 春原「(目を逸らし)鹿児島は切子の発祥の  地だ…河岸を変えれば、辛いことも少しは  忘れられるかも知れない…」 美悸「…(ふっと微笑み)それもいいかも知  れないわね」   小さく呟く。   春原、驚いたような目で美悸を見やる。 104 ホテルの外の闇?   粉雪が舞っている。 105 ホテルの一室(夜)   春原は美悸をそっとベッドに横たえる。   薄闇にうかぶ美悸の真白い肢体に、春原   動揺する。   ガラスの破片の胸の傷は、もう癒えてい   る。   耳のピアスの穴もふさがっている。   ふたりは静かに抱き合う。   美悸は闇に振る雪を見つめて、抱かれて   ゆく。   そんなことに気づかず、春原は美悸の体   に溺れてゆく―        *   朝になっている―   春原、身動き目覚める。   傍らに美悸はいない。   春原、驚きあたりを見回す。   クローゼットの前、美悸はすでに身支度   を調え始めている。 春原「(さりげなく)出掛けるの…」 美悸「ええ…」   窓の外、真綿の雪が降りしきるのに気づ   き、 春原「こんな雪の中をか?」 美悸「(ふっと微笑み)すぐに戻るわ」 春原、満ち足りた笑顔で、美悸を送り出す。 106 運河沿いの墓地   丘の上に新しい卒塔婆が立てられている。   そこには光永の名前が書かれている。   その上に、牡丹雪がまい落ちている。   美悸、卒塔婆の前に額ずく。   美悸、墓前の雪をふり払い、コミニスカ   展のチラシを供える。   コミニスカのグラスを置き、そこに赤ワ   インをとくとくと注ぐ。   ワイングラスの深紅色に、牡丹雪がまい   落ち、融けてゆく― 美悸「光永さん…シャンデリアはすべて揃っ  たわ」   ふりしきる雪に向かってつぶやく。ふい   に美悸の頬に涙がつたう。   涙が凍らぬ間に、美悸、思い切って踵を   返す。   丘を下ってゆく。   下の方から、供花かかえた金城が上がっ   てくる―   雪の中で、ふたりは互いを認め合う。 金城「?(踵をかえす)」 美悸「?(追う)」 107 レストラン   能面のような顔で美悸、入って来る。   春原、顔をほころばせ手招く。   美悸、座る。 春原「(微笑み)いい報せがあるんだ…大手  4誌が記事にしてくれることになった…「  マリー・クレール」に「ブルータス」のア  ートコラム、それに新聞4誌の美術欄だ。  これで動員にも拍車がかかる…」 美悸「そう…」   美悸は感情なく微笑んだ。   テーブルの上。弾けてゆくシャンパーニ   ュの黄金色の気泡に被さり― 108 10体のコミニスカのシャンデリアが、  デパート特別催事場の天井に向かって釣り  上げられてゆく― 109 オリエントデパートの入り口にポスター   『動乱の20世紀を生き残った珠玉の耀   き―イエジー・コミニスカの硝子工芸展』   の文字が踊る。 110 オリエントデパート・特別催事場(夜―)   19世紀チェコ近代音楽の祖・スメタナ   の『わが祖国』が流されている―   丸山、春原に美術部のスタッフ、担当役   員たちが見上げている。それに、美悸も   片隅にて蹌踉と仰ぎ見―   天井に向かいゆっくり舞い上がってゆく   コミニスカのシャンデリアの威容、荘厳、   絢爛―   壁には現代東欧史の写真入りパネル。   周囲の陳列ケースにはコミニスカの小品   がずらり並べられ、出口近くには卸売コ   ーナー。 丸山「あとはオープンを待つばかりです―」 担当役員「(丸山に)来賓の方をお迎えする  準備も大丈夫だね?」 丸山「万端整っています。9時半にチェコ大  使、閉店後には三笠宮ご夫妻をお迎えしま  す…」   丸山、傍らの春原に、 丸山「空調は側面からだけ、天井からの送風  は停めること、消防署からのお達しをもう  一度メンテナンス会社に念押しといて下さ  い…」 春原「わかりました」   一同、撤収しかける。   美悸だけが、その場を動かない― 担当役員「(見咎め、春原に)彼女は…?」 春原「(苦笑し)この企画の発案者なんです  …」 担当役員「(微苦笑)感慨ひとしおってワケ  か…(と外へ)」   春原も会場を後にする。 111 同・美術部(夜)   春原、書類を取りにくる。   FM放送が流れている。 FM放送の声「…ペレストロイカに天安門、  ベルリンの壁まで崩れちまった憶い出の80  年代の最後にふさわしい曲の数々をお送り  してきた今夜のナイト・ジョッキー……」   春原、美悸のデスクを何げなく見やる。   デスクの上は綺麗に片付けられ、書類は   床のダンボール箱に納められている―   春原、訝しく見る。 112 同・特別催事場・調整室。   美悸が立ちずさんでいる。   『空調』『緞帳』と書かれたレバーに手   を伸ばす。 113 同・特別催事場   春原が戻って来る―   ホールの中央で、美悸何かを待っている   ようにシャンデリアをふり仰いでいる。   春原、微笑み近づいてゆく。 春原「色んなことがあったな…でも、シャン  デリアのきらめきだけは残った」   と感慨深げに言う。   美悸、怯えた目でふり返る。 春原「(美悸を後ろから抱きすくめ)鹿児島  の市内にアパートを借りた。海が見える部  屋だ…」   美悸は春原の手をゆるくふり解き、 美悸「(哀しく)やっぱり行けないわ…」 春原「(笑って)…どうした?」 美悸「前に、妹さんのことを話してくれたわ  ね」 春原「…ああ」 美悸「あの時、相手の男を殴る前に、どうし  て彼女の所へ行ってあげなかったの?」 春原「……」 美悸「相手を傷付ければ、女が救われるとで  も思った?」 春原「……」   その時、天井の通気孔から風が流れ出し   た。   居並ぶコミニスカのシャンデリアのガラ   スにさざなみ漣がたち始めた。   春原、ガラスの騒めく音に気付く。 春原「(訝しく)何だ…」   ふり仰ぐ。   シャンデリアを吊るすワイアがゆるゆる   と10体のシャンデリアを釣り上げ始めて   いた―   春原、蒼冷め、 春原「(美悸に)何をした…」   シャンデリアが天井にぶつかり、落箔し   た破片がまい落ちた―   破片は春原の頬をかすめた。   春原は美悸の手を取り、会場の隅に逃れ   ようとした。   けれど、美悸は春原の手をふり払った。   ふたりの上に、容赦なくコミニスカのガ   ラスがふりそそいできた―   春原は咄嗟に、転げながら会場の隅へと   逃れた。 春原「何してる…早くこっちへ!」   けれど、美悸はシャンデリアの真下を動   こうとしなかった。 美悸「光永が殺されて、こうしてシャンデリ  アだけがきらめくのを見て、分かったのよ  …」 春原「……」 美悸「私にとってほんとうのきらめきはシャ  ンデリアじゃなく、あの人だったって…」 春原「……!」   ガラスの破片はますます激しくふりしき   ってきた。   春原は…足を踏み出せなかった。足がす   くんで、ただなすすべもなく立ち尽くす   だけだった…   中央に凛として立ち尽くす美悸の体に、   つぎつぎガラスの矢尻が突き刺さってい   った。   真白い肌から血が滴り流れていった。   美悸は、ふっと微笑んだ。そして、ふり   そそぐシャンデリアの雨をまっすぐに見   上げた― 114 ひるがえり、きらめき、ゆっくりまい   落ちてゆく無数のガラスの破片の雨に― FM放送の声「…あと残り数日となりました  1980年代(ローリン・エイティーズ)の  CLOSINGにぴったりの曲を最後にお送りし  ましょう…ジャズ・ボーカルの名花、ジ  ュリー・ロンドンが歌う『THE PARTY’S   OVER』?!」   慵(ものう)いジャズ・ヴォーカルが聞   こえてくる。 字幕「蝋燭は尽きたわ、ダンスをしてる人も  いない パーティーは終わりよ だから、  もう目を覚まさなきゃ…」   気怠く揺蕩(たゆと)うようなヴォーカ   ルがながれてゆく― 115 特別催事場   天井にシャンデリアの天蓋が衝突が衝突   した。シャンデリアの天蓋がフロアに叩   きつけられ粉々に砕け散るクラッシュ音   ?!   春原は深く目を瞑った。               (F.O)               (F.I) 116 九州の片田舎の町?   もくもくと噴煙を上げ続ける桜島の麓に   広がる山間の国道。   毀れたガードレールと破損した車を前に   春原が悪態を付かれながらも、被保険者   をゆっくり詰問している。   春原の髪には白いものが混じり、40代半   ばの実年齢より遥かに老け込んで見える。   被保険者が非を認め、春原が取下書を相   も変わらず煮染めたような鞄から取り出   す。 春原の声「あれから10年が経った…けれど、  あの時見たシャンデリアの耀きやバブルと  いう時代そのものが、幻だったのか現実だ  ったのか…ぼくには、だんだん分からなく  なっていた……」   被保険者が去り、国道に春原ひとりがと   り残される。   現場を引き上げる春原を山霧が覆い包ん   でゆく―            ―エンド・マーク―