1936年(昭和11年)
シナリオ作家協会の前身「シャッポーの会」誕生。
「シャッポーの会」とは昭和11年日本で初めて脚本家の横のつながりを持ったグループである。
1947年(昭和22年)
シナリオ作家協会設立。
1956年(昭和31年)
シナリオ会館が東京都港区麻布霞町十一番地に落成。
1957年(昭和32年)
シナリオ研究所開講。
月刊シナリオ1957年2月号に以下の広告が登場する。
シナリオ研究所の広告(月刊シナリオ1957年2月号)
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シナリオ研究所新開設 研究生募集!!
四月中旬開設(四月開講、十月終了)
理論と実際による映画界最初のシナリオ・アカデミー、
優秀修了者は映画会社に推薦
(規約送付、二十円同封申込まれたし!)
社団法人シナリオ作家協会
株式会社シナリオ倶楽部
「新人登場せよ」
宿願の夢は実現した。シナリオ研究所の開設である。
芸術は常に新人の登場によって前進する。近代芸術である映画は絶えず新人の情熱によって太り脱皮してきた。将来もまたそうである。シナリオ・ライターを志す者は勿論、プロデューサーたらんとするにも、デレクターたらんとするにも、まずシナリオを究明せねばならぬ。映画の門はまずシナリオを叩かねばならないのだ。要望に応えて開くシナリオ研究所の責任は大きい。
シナリオ会館の講堂に設備された最新型の映写装置は、ここで映写される教材フィルムより、理論と実際の具体的なかけ橋となろう。
全国の映画青年よ、映画に志さんとするものはまずこの門を叩け。
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1964年(昭和39年)
新「シナリオ会館」東京都港区赤坂に落成。
1971年(昭和46年)
シナリオ研究所紛争起こる。(学生運動)
1972年(昭和47年)
シナリオ研究所閉鎖。
1983年(昭和58年)
東京都新宿区高田馬場に、東京YMCAと共催で
「シナリオ講座」を開講。
シナリオ講座広告(月刊シナリオ誌1983年2月号)
2002年(平成14年)
シナリオ講座、赤坂シナリオ会館に移転。
シナリオ作家協会の単独運営になる。
2021年(令和3年)
シナリオ会館及びシナリオ講座、
人形町に移転。
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月刊シナリオ誌1957年(昭和32年)1月号掲載

シナリオ研究所で講義中の笠原良三氏

シナリオ研究所入所
筆記試験風景

シナリオ研究所入所 面接試験風景
試験官:野田高梧、八住利雄、柳井隆雄、八木保太郎、若尾徳平、新藤兼人、館岡謙之助、長瀬喜伴、猪俣勝人、中山隆三

シナリオ講座第一期生(新宿区高田馬場・1983年)

シナリオ講座講義風景①(新宿区高田馬場・1983年)

シナリオ講座講義風景②(新宿区高田馬場・1983年)

撮影所見学(1983年)

シナリオ講座教室(港区赤坂・現在) |