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学生時代、結核を二回、肋膜炎も一度患らった。50年前だ。当時は、もと結核患者など雇ってくれる奇特な会社はなかった。
世間から不必要なニートと看做されたが、私には窮境脱出の意思も覚悟もなかった。
そんなある日、作協が運営する「シナリオ研究所」(現在の「講座」の前身)の広告を目にした。わずかな金がたまたま手元にあった。プロの脚本家を目指したわけでもなく、なれる自信などある筈もなかった。
ただ、映画と、本を読むのは好きだった。それだけの動機で入所を申し込んだ。今にして思うと、この決断が私にとって起死回生のヒットとなった。
研究所で日本映画を背負って立つ脚本家陣の講義が聴け、他では読めないシナリオが読め、後に助けられた友人も出来のだ。すべてが役にたった。いま、世間は私を脚本家と認めてくれているようだ。
そんな体験を若い諸君に伝えるのが、私の役目だと思っている。


 



映像に関わりたいと思うものは、まずシナリオからはいるべきである。あらゆる映像はシナリオのイメージから生まれている。サイレント時代からトーキー時代、そして現在にかけて、ぼう大なシナリオが残っているが、その一つ一つがいまなお宝石のように光りを放っている。
フィルムは磨滅することはあっても、シナリオは消えないで日本映画の証言者となってきた。
いまや映画とテレビは共存して、映像時代を築きつつある。新人よ、力をたくわえて、新しい時代のシナリオを書こう。
シナリオ講座では、徹底的に、シナリオの基礎技術を追求していく。基礎技術をしっかり身につけないと、いいシナリオは書けない。


                 

 

出来事

1936年  シナリオ作家協会の前身「シャッポーの会」誕生。 
1947年  シナリオ作家協会設立。 
1956年  シナリオ会館が東京都港区麻布霞町十一番地に落成。 
1957年 シナリオ研究所開講。 
1964年  新「シナリオ会館」東京都港区赤坂に落成。 
1971年  シナリオ研究所紛争起こる。 
1972年  シナリオ研究所閉鎖。 
1983年  東京都新宿区高田馬場に、東京YMCAと共催で「シナリオ講座」を開講。 
2002年  シナリオ講座、赤坂シナリオ会館に移転。
シナリオ作家協会の単独運営になる。 


 



もちろんプロが出ない年もありますが、全体的にいえば年に4人の割合でプロデビューしております。
他には映画監督、テレビ演出家、プロデューサー、ラジオドラマ作家、小説家、マンガ原作者、雑誌のフリーライター、芸能プロダクション社員などの道を歩んでいる人たちもいます。



プロのシナリオ作家が教えることには大きな意味があります。
技術だけなら誰でも教えることはできますが、物事の見方、考え方、仕事に対する姿勢などは、プロの背中を見て学ぶものです。プロとして活躍している作家と時には酒を交えながら、「もの書き」の姿勢を学んでほしいと思っております。