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  シナリオ講座とは


 シナリオ作家協会は、昭和32年に「シナリオ講座」の母体となる「シナリオ研究所」を開設し、池端俊策、猪又憲吾、桂千穂、鎌田敏夫、ジェームス三木、中島丈博などの数々の優れた人材を輩出しました。 その習得方法を受け継ぎ、広く参加者を募ったものが現在のシナリオ講座です。

現役の作家たちが直接教鞭をとるシステムを特色とし、
生徒と作家間の交流が盛んであることも特徴です。

シナリオ講座開講後、井上由美子氏、野島伸司氏、武藤将吾氏、篠﨑絵里子氏を筆頭に、次世代を担う人材を輩出し続けております。

日本の映像業界を牽引する実力者たちの貴重な肉声を届けたい。
人が言葉を生み、言葉が人を育てる。
原点にして、頂点を目指す講座、それが「シナリオ講座」です。


主な修了生はこちら

 学校を卒業してもプロの脚本家になれるのはほんの一握りです。また、学校に通わなくても、資質なり才能があれば独学でも脚本家になれる人はいます。しかしこういった学校に通うことのメリットは、自分が書いた作品、あるいは自分自身について批評・批判を言ってくれる「他者」がいることにつきます。
 
 この学校では自分が書いた作品を、講師だけではなく、クラスメートにも配付し、全員で合評します。当然のことながら、厳しい意見や否定的な意見も飛び交いますし、価値観の食い違いでぶつかり合う時もあります。
 次代の映像文化の担い手を育てることを目的としておりますので、ただ仲間内で楽しんだり、書き上げた作品を褒めあうだけの空虚な場ではなく、互いに刺激し合い、成長できるような場を提供しております。

 いかなる仕事でも、プロへの道は厳しく、「教えてもらう」という意識ではプロにはなれません。
 講座に通う時間やシナリオを書く時間は自分自身で捻出していただき、たとえ通える日数が少なくても、使える時間で出来る限りのことを自発的に吸収して下さい。
 
 基礎科は16歳以上の方でしたら、学歴・経歴問わずどなたでも受講できます。
 「シナリオを全く書いたことがありませんが授業についていけますか」というご質問をよくいただきますがほとんどの方が未経験者ですので、安心してシナリオ講座の門戸をたたいてください。



  年 表 (シナリオ研究所~シナリオ講座)


1936年(昭和11年)
シナリオ作家協会の前身「シャッポーの会」誕生。
「シャッポーの会」とは昭和11年日本で初めて脚本家の横のつながりを持ったグループである。

1947年(昭和22年)
シナリオ作家協会設立。

1956年(昭和31年)
シナリオ会館が東京都港区麻布霞町十一番地に落成。

1957年(昭和32年)
シナリオ研究所開講。
月刊シナリオ1957年2月号に以下の広告が登場する。

シナリオ研究所広告 
シナリオ研究所の広告(月刊シナリオ1957年2月号)
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シナリオ研究所新開設  研究生募集!!
四月中旬開設(四月開講、十月終了)

理論と実際による映画界最初のシナリオ・アカデミー、
優秀修了者は映画会社に推薦
(規約送付、二十円同封申込まれたし!)
社団法人シナリオ作家協会
株式会社シナリオ倶楽部

「新人登場せよ」
宿願の夢は実現した。シナリオ研究所の開設である。
芸術は常に新人の登場によって前進する。近代芸術である映画は絶えず新人の情熱によって太り脱皮してきた。将来もまたそうである。シナリオ・ライターを志す者は勿論、プロデューサーたらんとするにも、デレクターたらんとするにも、まずシナリオを究明せねばならぬ。映画の門はまずシナリオを叩かねばならないのだ。要望に応えて開くシナリオ研究所の責任は大きい。
シナリオ会館の講堂に設備された最新型の映写装置は、ここで映写される教材フィルムより、理論と実際の具体的なかけ橋となろう。
全国の映画青年よ、映画に志さんとするものはまずこの門を叩け。
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1964年(昭和39年)
新「シナリオ会館」東京都港区赤坂に落成。

1971年(昭和46年)
シナリオ研究所紛争起こる。(学生運動)

1972年(昭和47年)
シナリオ研究所閉鎖。

1983年(昭和58年)
東京都新宿区高田馬場に、東京YMCAと共催で
「シナリオ講座」を開講。

シナリオ講座広告 
シナリオ講座広告(月刊シナリオ誌1983年2月号)


2002年(平成14年)
シナリオ講座、赤坂シナリオ会館に移転。
シナリオ作家協会の単独運営になる。

2021年(令和3年)
シナリオ会館及びシナリオ講座、
人形町に移転。

シナリオ会館落成
月刊シナリオ誌1957年(昭和32年)1月号掲載

笠原良三氏
シナリオ研究所で講義中の笠原良三氏

シナリオ研究所入所試験風景
シナリオ研究所入所 筆記試験風景

シナリオ研究所入所試験風景
シナリオ研究所入所 面接試験風景
試験官:野田高梧、八住利雄、柳井隆雄、八木保太郎、若尾徳平、新藤兼人、館岡謙之助、長瀬喜伴、猪俣勝人、中山隆三

講義風景
シナリオ講座第一期生(新宿区高田馬場・1983年)

講義風景
シナリオ講座講義風景①(新宿区高田馬場・1983年)

講義風景
シナリオ講座講義風景②(新宿区高田馬場・1983年)

講義風景
撮影所見学(1983年)

赤坂シナリオ会館教室
シナリオ講座教室(港区赤坂・現在)


  学長・名誉学長メッセージ





学長 向井康介
(シナリオ作家)

1977年生まれ。大阪芸術大学在学中に映画「鬼畜大宴会」で照明・編集助手を経験。山下敦弘監督の長編デビュー映画「どんてん生活」で脚本・照明・編集を手掛け、以降「ばかのハコ船」「リンダ リンダ リンダ」「マイ・バック・ページ」等山下監督作品の脚本を多数執筆。2007年、映画「松ヶ根乱射事件」で菊島隆三賞受賞。2017年に映画「聖の青春」で毎日映画コンクール脚本賞を受賞。2023年、映画「ある男」で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。

代表作
2022  映画「ある男」
2019  TV「歪んだ波紋」
2016  映画「聖の青春」
2013  映画「もらとりあむタマ子」
2012  映画「ふがいない僕は空を見た」
2006  映画「松ヶ根乱射事件」
2005  映画「リンダ リンダ リンダ」
2002  映画「ばかのハコ船」
1999  映画「どんてん生活」

シナリオとの出会い

物語というものは、何も映画やドラマ、小説などの創作物の中にあるだけではありません。私達が日々何気なく送っている生活、目の前にある仕事、過ぎてゆく時間、移りゆく季節の端々をよく眺めてみると、昨日にはなかった変化に気づく。その発見もまた物語のひとつなのです。

また映像作品は今や大きな集合体から生まれるものだけではなく、個が発信できる時代にもなりました。人々はより自由に、より安価に映像作品を世に放つことができる。しかしその弊害もあります。あまりに簡単すぎて伝える努力を忘れてしまう。シナリオ講座は、その“伝える努力”を養う場所です。

プロの脚本家になりたい人はもちろん、日々何かしらの違和感を持ち、その思いを形にしてみたい人、特別な誰かに気持ちを伝えたい人、なぜかしら頭から片時も離れない漠然としたイメージに色をつけてみたい人、何かを書きたいのに書くべきものが見つからない人、そういった表現欲を持て余している人がいたら、少しだけ勇気を出して講座のドアをノックしてみてください。

シナリオ講座という時間と空間が、あなたの伝えたい思いを形にする、その一助となれることを願っています






名誉学長 新藤兼人 (故人)
(シナリオ作家・映画監督)

1912年生まれ。新興キネマ、興亜映画、松竹大船を経て、独立プロ「近代映画協会」を設立。脚本を執筆した作品は230本を超える。名実ともに日本映画界を代表する、最高齢の映画監督である。
(2012年5月29日逝去されました)

代表作
2011 映画「一枚のハガキ」
1995 映画「午後の遺言状」
1960 映画「裸の島」
1959 映画「第五福竜丸」
1951 映画「愛妻物語」
1947 映画「安城家の舞踏会」



映像に関わりたいと思うものは、まずシナリオからはいるべきである。あらゆる映像はシナリオのイメージから生まれている。サイレント時代からトーキー時代、そして現在にかけて、ぼう大なシナリオが残っているが、その一つ一つがいまなお宝石のように光りを放っている。

フィルムは磨滅することはあっても、シナリオは消えないで日本映画の証言者となってきた。

いまや映画とテレビは共存して、映像時代を築きつつある。新人よ、力をたくわえて、新しい時代
のシナリオを書こう。

シナリオ講座では、徹底的に、シナリオの基礎技術を追求していく。基礎技術をしっかり身につけ
ないと、いいシナリオは書けない。