シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
   土屋保文 (シナリオ作家)

本名・保科仁志
1961年、大阪生まれ。シナリオ作家協会「シナリオ講座」
修了後、鴨井達比古氏に師事。松竹芸能に於いてプロデュ
ーサー業の傍らテレビ東京「月曜女のサスペンス・女子大生
が消えた」でデビュー。
2000年、退社して、以後、作家業に専念する。

【TV】
「十津川警部シリーズ43伊勢志摩殺人迷路」「街占師」
「刑事の証明」「浅草ふくまる旅館」「特命!刑事どん亀」
「小児救急カルテ〜いのち110番」
「京都のテミス女裁判官1・2」
「新・赤かぶ検事奮戦記 13・14」他
【映画】 「憑神」


                            


2010年6月21日(月曜日)

普段、日記など書かないので緊張しています。
一週間、よろしくお願い致します。

×      ×      ×

午前8時30分起床。
だいたい毎日、この時間に起きる。
起きて先ずパソコンのスイッチを入れるのが日課。
うちのメインのPCは2001年に買った年代物。カスが一杯溜まっているのに加えてセキュリティーソフトが重く、使えるようになるのに10分近くかかる。
一昨年、買い換えようと思ったが小型のノートを買ったので予算がなくてしまい、今もイライラしながら使い続けている。

リビング行くと「特ダネ!」がテレビに映っていた。
妻は小倉さんのファンなんのだが、
「平日の朝は珠ちゃんを見ないと始まらない」
と勝手に「スーパーモーニング」にチャンネルを変える。――と、全米オープンで放送ナシ。ショック!
「スーパーモーニング」の赤江珠緒さんは、元ABCの局アナで故郷・大阪の匂いがする。
いつも明るく元気で見ているだけで活力を貰えるのに……。
それはさておき、まずはコーヒーを煎れて朝食作り。
後々明らかになるが、うちの家は、料理と洗濯を僕が受け持っている。
朝は勝手に食べたい物を各自で作り、昼と夜は家にいる限り、僕が作る。

午前10時過ぎ、チャリで新宿に向かい、地下鉄を乗り継いで三越前へ。
正午、先週この蘭を担当した盟友の小久保さんと待ち合わせして、今書いている作品(月曜ゴールデン「正義の証明」)に出演して頂く加藤剛さんの舞台「大岡越前」を観る。
ちなみに、昼食は、日本橋の袂にあるお店で「越前そば」を食べた。
「濃い汁と辛みの効いた大根の相性が抜群」などとネットに書かれてあるのを読み、期待していたが全くダメ。ダシは薄く大根の辛みもありゃしない。
他人の言葉を信じた僕がバカでした。小久保さん、つき合わせてゴメン。

「大岡越前―卯の花が咲くとき―」は加藤剛さんと息子の頼三四郎さんが共演。
一幕目では、加藤さんが元盗賊の老人を三四郎さんが若き日の越前に扮し、休憩後の二幕目では加藤さんが年老いた越前を三四郎さんが元盗賊の孫を演じます。
前半と後半、20数年の歳月を経て起こった二つの事件が次第にリンクしていく巧みな構成に加え、冤罪や格差社会など扱っているテーマも今日的で面白い舞台でした。
しかし、三四郎さんは、加藤さんの若い頃にそっくり。驚きです。
26日(土)まで三越劇場で上演しています。

午後5時――赤坂のシナリオ会館に移動して電子出版の勉強会に出席。
過去のシナリオやこれから書かれる作品を電子書籍として出版しようかというプロジェクトです。
僕は、この方面、全く不得意で聞き役に回っていましたが、思ったことが一つ。
学生時代、読みたいシナリオがあれば、「シナリオ」誌や「キネマ旬報」のバックナンバーを調べ、古本屋を巡って探したものです。それが、データーベース化されてすぐに読むことが出来るようになれば、これからシナリオの勉強をしようという人たちには大変役立つと思います。
著作権の処理やどういうシステムで出版していくかなど問題はたくさんありますが、うまく進むように勉強をしていきたいです。

その後、新宿に戻り、学生時代の友人と飲み、帰宅したのは深夜の零時。
日記を書かなくては……と思いながら、ちょっとだけ寝ようと布団に入ると、いつの間にか意識が無くなっていた……。

―つづく―



2010年6月22日(火曜日)

午前8時15分――起床。
冷蔵庫を開くと得体の知れないドス黒い物体が入っていた。
聞くと、昨夜、僕の留守中に妻が作った特製麻婆豆腐らしい。
野菜炒めと豚の生姜焼き、酢豚と非常にレパートリーの少ない妻だが、僕と娘にバカにされてレシピ本を見ながら作ったと言う。
僕の為に取って置いてくれたそうだが、二日酔いの朝に麻婆豆腐はキツイ。
昼ご飯に回すことにして、トーストを焼いて、いつも通り珠ちゃんを見ながら食べる。

昨日、今、進めている企画のプロットの直しについて演出を担当するIさんから電話があり、今日の午後イチで送ると約束をした。
その前に、昨日の分の日記を書かなくては!食事もそこそこにパソコンの前へ。
昨日の出来事をダラダラ書いて午前10時過ぎに送信。
続いてプロットの直しにかかるが、未だに酒が抜け切れず頭に力が入らない。
直す点は、3点。どれも大きな問題で無く、1時間もあれば出来るかと思っていたが、2点目で引っかかり、停滞。
内容より文章のつながりが悪くて気に入らない。
気分転換にと、昼食に麻婆豆腐を食べる。
見た目はドス黒い物体だったが、特製と言うだけあって挽肉の他に野菜類も一杯入っていて、辛みも適当にある。思っていたより美味しかった。
しかし、お腹が満たされたことで、今度は、睡魔に襲われる。
ちょっとウトウトしていると、Iさんから電話。
睡魔も吹き飛び、頭をフル回転させて30分で仕上げて送る。

午後2時半――
夕方に今書いている「正義の証明」の件で電話が入ることになっているので、先に夕食の買い物を済ませることに。
今夜の夕食は何にするか――毎日頭を悩ませる大問題だ。
父が寿司職人で子供の時から食材に囲まれて育ったせいか食べることが大好き。書く作品にも料理を作るシーンや食べる場面が多くなってしまう。
かつて橋爪功さん演じる赤かぶ検事には手打ち蕎麦を作って貰い、加藤剛さんと最初にやった作品では、料理好きの監察官という設定で、豚の角煮から酢豚まで作って貰った。映画の「憑神」では、妻夫木くんが死神の子供の為に雑炊を作る。
料理を作ることは一つの愛情表現だと考えるが、毎日やっているといい加減に作るネタも尽きて来て、マンネリに陥る。
妻も娘も好き嫌いが多い上、現在、僕はダイエット中。
スーパーの売場をグルグル回りながら、結局、煮込みトマトソースのスパゲティとポテトサラダに決める。

玉葱一個を細かく切り、水に晒した後、ボールに移して電子レンジで4分ほどチンする。
次にフライパンできつね色になるまで炒めるが、チンすることで炒める時間がかなり短縮される。
これに白ワインと固形スープ、トマトの水煮、賽の目に切った人参、イカを入れて煮込んでいる――と、制作会社のBさんから電話。
鍋の中を確認しながら、40分ほど打ち合わせ。
細かい台詞の直しとかで明後日の午前中に送る約束をする。

電話を切ると鍋の中がいい具合になっていた。
塩とコショウ、トマトケチャップ、少しの砂糖で味を調えると簡単煮込みトマトソースの完成。
食べる直前にピーマンとナス、エビと茹でたスパゲティを入れて、さっと火を通す。
皿に盛ってオリーブオイルをかけると出来上がり。
シンプルな味ながら結構いけた。

夕食後、「正義の証明」の直し作業にかかり、ちょっと詰まったところで、この日記を書き始める。
昨日一日出歩いた影響で、まだ疲れが抜けきれない。
今夜は、早く寝ることにします。
おやすみなさい。

―つづく―



2010年6月23日(水曜日)

午前7時25分起床。
今日はいつもより早くに目が覚めた。
外を見ると本格的に雨が降っていた。
洗濯は毎日欠かさないようにしているが、昨日は前々日に出歩いた疲れでパスした。
洗濯機の前には、山のように汚れ物が溜まっている。
「昨日さぼらなかったら良かった」と後悔しながら、朝食後に洗濯機を回す。
晴れた日ならこの季節数時間で乾くが、部屋ボシだと一日経っても生乾き。乾燥機という高価な品はないので、干した後に扇風機をあてる。

今日の仕事は、「正義の証明」直し作業。
電話で打ち合わせした時に書いたメモを見ながらキーボードを叩き始め暫くすると、よく面倒を見て貰っている制作会社のプロデューサーから電話が入り、新規の企画書を頼まれる。
ある事情から早く企画を通して年内に放送しないといけない作品。
原作はあるが、登場人物のキャラクターとトリックしか使えず、お話はほぼオリジナルで作らなくてはならない。ちょっと厄介な仕事だが快く引き受ける。

昼食は、昨日茹で過ぎたスパゲティをキャベツと豚肉と共にヤキソバ風に炒めて食べる。

昔、松竹本社の旧社屋の一階に「松竹シャトー」という喫茶店があり、そこの名物に「焼きそばスパゲティー」というのがあったのを思い出した。懐かしい。

午後4時半――
直し作業が、終盤にさしかかった頃、娘が帰宅。学校での出来事を聞く。
娘は、今春、某女子中学校から南千住にある産業技術高専に進学した。
理数系の科目が大半を占める中、週に2コマだけ現代国語の授業がある。
この授業を担当するKという先生が僕のお気に入り。
高専は5年制で大学受験がないため、ほとんど授業をせずに雑談に終始するK先生だが、娘から聞く限り、その話が面白い。映画、音楽、ゲームから家電製品まで知識が豊富でK先生の雑談を娘から聞くのを楽しみにしている。
そんなK先生が、雑談に飽きたのか、次の授業ではDVDで映画を観ようと言い出した。

現国は、50分の授業が5分の休憩を挟み2コマ続く。合計100分。
K先生が100分以内で観られる作品の中から選んだのが、「フォーン・ブース」。
2003年公開のアメリカ映画で、僕が大好きな作品。
ニューヨーク8番街に残された電話ボックスで一人の男が突然、何者かにライフルで狙われ、「ボックスから出たら撃ち殺す」とかかって来た電話で脅される。
81分の上映時間内、場面は、この電話ボックスの中とまわりだけ。
次々と不幸な出来事が男を襲い、殺人犯の汚名を着せられて警察官に取り囲まれるが、それでもボックスから出ることが出来ず、ライフル魔と警察官の両方から命を狙われる。
場所を限定することでサスペンスが醸し出されると言われるが、それを象徴する作品。

K先生はいいセンスしている改めて感心する。
ちなみに、脚本を担当するラリー・コーエンさんは「悪魔の赤ちゃん」や「空の大怪獣Q」を撮ったB級映画のベテラン監督。刑事コロンボ(「別れのワイン」「野望の果て」「自縛の紐」)の原案者で、携帯電話を使ったサスペンスの傑作「セルラー」の原案もつとめている。
見知らぬ男に誘拐された人妻が、壊された電話のコードを接触させると、偶然にチャらい兄ちゃんの携帯電話に繋がって助けを求めるところから始まる「セルラー」も、これまた面白い。未見の方は、「フォーン・ブース」共々ご覧下さい。お勧めです!

本日の夕食は、そばを茹でてスーパーで買って来た天ぷらと一緒に食べるという超手抜きメニュー。
夕方、立て続けに二人の友人から電話があり、喋っている間に午後6時を過ぎてしまい。作る時間がなくなってしまいました。

夕食後は、ちと仮眠して、直し作業を修了。この日記を書いて本日終わり。
近くのシネコンのレイトショーで「アウトレイジ」を観るつもりでしたが、挫折しました。

―つづく―



2010年6月24日(木曜日)


男の死体が発見された。検視の結果、死因は心臓麻痺。男の横には次のようなメモが落ちていた。
「失業保険金給付総額

 昭和24年         ――

    25年         ――

    26年         ――

    27年         ――

    28年      35.404

                ――

                ――

    29年      35.522

                ――

                ――

                ――

    30年      30.834

                ――

                ―― 」

刑事は、このメモの意味を調べて、並べられた数字が失業保険金給付総額ではなく、高周波の出力表であることを突き止める。男は、断続的に高周波の音を聞かされて心臓麻痺を起こした。男の死は、病死ではなく殺人だった。……というお話が、松本清張さんの「砂の器」に出て来る。

原作の音楽家・和賀英良は、現代音楽の旗手。超音波などを使って殺人を繰り返すが、超音波など目にも見えず耳にも聞こえない。そこで、この話を全て捨てて、橋本忍大先生は、和賀をクラッシックの音楽家に変えて、映画『砂の器』を作り上げた。

もし、中学生の時、『砂の器』を観なかったら、僕は、脚本家などにはならなかったと思う。

それほど僕にとって偉大な作品だが、原作の「砂の器」も昭和36年当時にシンセサイザーの話を扱うなど松本清張さんの好奇心溢れる姿勢が全面に出ていて、本格推理小説として面白い。

日記の冒頭に何故、こんなことを書いたか……?
実は、今朝、机の引き出しをあけると、次のような紙切れが出て来た。

「昭和55年      115.5

    56年        ――

    ――         ――

    ――         ――

   60年       110.0

    ――         ――

   63年        98.5

平成 元年         73.5

    ――          ――

    ――          ――

    ――          ――

   19年        105.0

   20年         75.0」

今西刑事が調べたところ、高周波の出力表ではなく、土屋保文の体重の推移を記録したメモだった。

学生時代115キロを超える巨漢であったが、27歳で妻と知り合った時、減量しないと結婚しないと言われて、一挙に73キロまで減らした。
「愛の力は大きい」
と思ったのも束の間。すぐに甘い物を食べて酒も飲み、夜食も間食も際限なく食べるという自堕落な生活を再開。20年近く経つと再び100キロの大台を超えてしまった。
妻から「詐欺師」と罵られ、娘からは「参観日に来ないで」と言われて、再び、ダイエットを始めたのが一昨年。
とにかく食べる量を減らして、15キロ圏内は、天候が許す限り、チャリで移動することにした。そして、毎日、体重を記録してグラフ化する。
当時、いくら企画書を書いても通らず、かなり精神的に参っていた。
いくら頑張っても結果が出ない。しかし、ダイエットは、頑張れば確実に数字に表れる。右下がりのグラフを毎日見ていると楽しく、半年間で一挙に30キロも減らすことが出来た。――が、75キロに達した時、突然、気が緩み、毎日、体重計に乗るのを止め、少しならいいかと間食などもし出すと、予想通りのリバウンド。1年ほどで10キロ超増え。今年の5月から、これじゃいけないと、またまた減量生活に入った。
禁間食!禁夜食!は、もちろんのこと一日の摂取カロリーを1800以内に抑えて、チャリ移動も続けている。
毎朝、計量は欠かさず、数字をtwitterで公開し、一ヶ月半で約6キロ減。
身長175センチだから標準体重は68キロ。何とか、あと10キロ少し落として、この数字に近づけたい。
ちなみに、今日の食事は、朝昼、チキンの照り焼きサンド。夜は、銀だらとホタテの煮付けとお刺身のサラダを作って食べた。もちろん夕食はコメ抜き。
現在、午前零時半過ぎ。この時間になると、メチャメチャお腹が空く。昔ならカップ麺におにぎりまでつけて食べたが、我慢我慢。
あと3時間ほどでワールドカップのデンマーク戦が始まる。
それほど熱心なサッカーファンではないが、国民的行事として見ることにします。
それまで、もう一仕事。
昨日依頼された企画書、月曜日に渡す約束をしたのですが、まだあんまり進んでまへん……。

―つづく―



2010年6月25日(金曜日)

ドスン!
娘が学校に行く為、容赦なく玄関のドアを開け閉めする。
その音で目を覚ますと、午前7時。
午前2時半過ぎまで仕事をしていたが、ちょっと疲れたので横になると、そのまま熟睡し、デンマーク戦を見損ねてしまった。
たぶん負けているだろうとテレビをつけるとTBSではみのさんが日テレでは羽鳥さんと西尾さん、ズーミンとチャーミンまでもが妙に盛り上がっている。
3−1で日本の勝利!!!
ダイジェストを見ると、前半から日本の躍進が続くサッカーファンでもない僕でも興奮する試合。リアルタイムで見るべきだったと後悔する。――が、

対カメルーン戦――日本勝利――外出で見られず
対オランダ戦 ――日本敗退――熱心に観戦
対デンマーク戦――日本勝利――寝てしまって見られず

どうやら、僕が見ない方が、日本を勝利に導くようだ。
ベスト4への進出を願い、次のパラグアイ戦も無理してでも見ないようにしよう。などと考えながら、企画書の続きを書き始める。

原作が古く、一度、映像化もされている為、今回はトリックだけ使い、被害者と加害者の関係も境遇も全部作り替える。また、同じ原作者の別の作品のエピソードを借りてきて話を膨らませようと作業を続けていると、依頼人のプロデューサーから進行具合をたずねる電話が入る。
腹案を話し、了承と共にいくつかのアイデアを頂く。

昼になるが食事を作る気になれず、妻と近所のファミレスに出かけた。
日替わりランチは540カロリー、ライスまで食べると900近くになるのでもったいないと思いながら半分残す。
帰宅後、作業を再開しようと思っていると、高校時代の同級生のTさんから携帯にメールが入った。
Tさんは、企業の紙媒体の広告を受け持つ仕事をするかたわら、某役者さんのマネジャーもする多才な女性。
最近、妻のパート先を紹介して貰うなど大変お世話になっている。
そんなTさんから、先日、ある企業の宣伝用フォトDVDを作りたいとの相談を受けて盟友の小久保利己さんにお願いすることにしていた。
打ち合わせの日時や内容などについてTさんと小久保さんの双方に電話を入れるが、フォトDVDについて僕自身よくわかっておらず、お二人に迷惑をかけてしまいました。すいません。

その後、一進一退で企画書の作成を続けて、午後5時半。
「冷やし中華なら作ってもいい」と妻が言ってくれるが、今夜は、何故か餃子が食べたい気分。
ニンニクNGの妻の為、餃子を食べたければ出来合の物ではなく、アンから自分で作らなくてはならない。最近では、手作り餃子用に刻んだキャベツとニラの袋詰めがスーパーに売っていて、それに刻み葱と挽肉を入れてラー油や醤油で味付けし、皮で包む。
「こんなことしている暇はない」とイライラしながらキュウリを細切りにして鶏のささみも茹でてバンバンシーも作る。

午後7時、夕食。
餃子と言えばビールだが、飲むと絶対に寝てしまい仕事が出来ない。そこで、焼酎を入れないホッピーを飲んで、ビールを飲んだ気分だけ味わう。
ビン入りホッピーは、今流行のノンアルコールビールより断然美味しい。しかも低糖質で低カロリー、プリン体もゼロ。
ただ調子に乗って6本くらい飲むと缶ビール1本くらいのアルコール分を摂取したことになり、少しだけ酔っ払う。だから、車の運転はいけません。

なんて、今日も取り留めもなくダラダラと書いてしまいました。
あと2日、お付き合い下さい。
よろしくお願い致します。

―つづく―



2010年6月26(土曜日)


午前7時半――起床。
土曜日の朝は、「めざましどようび」の杉崎さんから始まる。
杉崎美香さんは、お嬢さんぽい雰囲気に加え、リーダーシップを発揮しそうな力強さもあり好きだ。
「これからおやすみになる方も、お目覚めの方も、午前4時になりました」
と、月曜から水曜の「めざにゅ〜」にも出演しているが、朝早すぎて徹夜の時以外はなかなか見ることが出来ない。

しかし、お気に入りの珠ちゃんと杉崎さんだが、よくネット上で公開される人気女子アナのベストテンに入っていない。
最近、見たランキングの一位は、フジの中野美奈子さん。
確かに中野さんは可愛いと思うし、日テレの西尾さんも好きだが、どうして珠ちゃんと杉崎さんがランクインしないのか不思議でならない。

×      ×      ×

午前中、仕事が少し進んだ頃、大学時代の友人であるKくんから電話。
Kくんは埼玉県××市の市役所に勤める公務員。ボーナスが出たから焼き肉を食べに行こうと誘われていたのをすっかり忘れていた。
何度か誘いを断っていたので、つき合うことにするが、待ち合わせ時間を午後4時にするか6時にするかで対立し、双方譲らず、結局、後日に延期する。
日々、サバイバルな生活を送る自由業の身、公務員として安閑な生活を送るKくんの話を聞くとたまにイライラして来る。それにやっと体重が70キロ代に返り咲こうとしている今、焼き肉など食べたら元も子もなくなる。延期になったことで胸を撫で下ろす。

その後、夕方まで順調に企画書の作成を続けるが、ちょっと詰まる。
僕のマネージメントをして貰っているマキさんに電話を入れると、晩ご飯を一緒に食べようと誘われる。
話すとアイデアも湧くとチャリで経堂まで向かい、最近よく行く「ぼんち」というお好み焼き屋さんで食事。

マキさんは、近藤正臣さんや火野正平さんのマネージャーでもあり、僕とのつき合いも長い。
もう15年以上も前、松竹芸能という制作会社でAPをやっていた時、水上勉さんの「その橋まで」という小説をドラマ化する企画を立てた。
仮釈放中の男と保護司の物語。
この企画、松竹芸能ではボツになかったが、仮釈放中の男の役を火野さんにやらせたいとマキさんが松竹テレビ部に持ち込んでくれ、先日お亡くなりになった藤田まことさん主役で実現。
これを機に、松竹芸能の社員でありながら、内緒でテレビ部の企画書を書きはじめ、何本か通ると脚本も書かせて貰うようになった。
僕は人が良く気も弱いため、頼まれるとつい安い値段で仕事を受けてしまうので、独立後もギャランティーの交渉は全てマキさんにお願いしている。

27歳の時、シナリオ講座で教えを受けた鴨井達比古先生の紹介で松竹芸能に入社し、そこで出会ったマキさんのお陰で脚本家としてデビューする糸口を掴むことが出来た。
小久保さんはじめ何人もの監督やプロデューサーの方々にお世話になり、今日まで何とかやって来られたが、鴨井先生とマキさんは、僕の脚本家人生にとってなくてはならないお二人。
心から感謝しております。

最後に、僕の住む練馬区の東大泉と経堂は、約15キロ離れていてチャリで丁度1時間。

15キロを1時間チャリで走ると約400カロリー消費されるから往復で800カロリー。

「ぼんち」は70歳を超える大阪出身のおじいちゃんがやっているお店。
お好み焼きも焼きそばも美味しく、結構食べてしまったが、800カロリー消費したので、それほど体重には影響していないと思う。

途中、小雨に振られながらも、午後9時過ぎに無事帰宅。
少し仕事をした後、これを書いて今日は終わり。
おやすみなさい。

―つづく―



2010年6月27日(日曜日)

いよいよリレー日記の最終日。

午前6時半――起床。
昨夜、布団に入ってから、今、書いている企画書(プロット)で新たなアイデアを思いついた。
かなり書き直さなくてはならない部分があるが、こっちの方が面白いと、いつもより早起きする。
しかし、朝食を食べて、少しワープロを打つと、眠気に襲われて、ダウン。
二度寝して、早起きした意味は、全くなくなってしまった。

約束は明日。今日一日しかないとちょっと焦りながら仕事を続ける。
日曜日で妻と娘は出かけていない。
昼食は、冷蔵庫に入っている木の芽の佃煮をご飯にまぶして、それだけで済ましたが、これがピリリと甘辛くてメチャ美味しかった。
出来るだけご飯は食べないようにしているが、我慢できずに二杯も食べてしまう。
久しぶり思う存分、お米を食べた。やはり日本人はお米だとつくづく思う。
ちなみに、この木の芽の佃煮は大阪の実家から送られて来たもの。

もうすぐ50歳になろうというのに、実家からは、今も何ヶ月に一度、食料品の詰まったダンボール箱が宅急便で送くられて来る。
実家の父は大正15年生まれの84歳。
寿司職人で、かなり耳が遠くなったが、今も元気で店を切り盛りしている。
父も映画が好きで、子供の頃、よく映画館に連れて行って貰った。
西部劇の他、日本映画では勝さんや三船さんの作品がお気に入りで、「座頭市」シリーズや東宝の戦争映画、黒澤さんの作品なども一緒に観た記憶がある。
特に、十三東宝で観た「椿三十郎」と「天国と地獄」の二本立ては当時、幼稚園児だった僕に強烈な印象を与え、ビデオもDVDもない時代、何とかもう一度観たいと、中学生になり映画に興味を持ち始めてからは、名画座にかかるかリバイバル公開されるのを待ち望んだものだ。

昨日、鴨井先生とマキさんが僕の脚本家人生にとってなくてはならないお二人と書いたが、父と母は、お二人以上になくてはならない。
何しろ父と母がいなければ、生まれて来なかったんだから……。

母は、推理小説が好きで、「砂の器」が映画化された際、観に行こうと誘ってくれた。

当時、中学1年生だった僕は、以後、日本映画にはまり、関西では数少なかった名画座を日々、巡り、母が買い揃えていたカッパノベルス版の清張さんの作品も読みあさるようになった。
母は、僕が25歳の時に亡くなり、今は天国にいる。
そんな母に申し訳ないと思い、今も後悔し続けていることがある。
7歳の時に、「黒部の太陽」という映画が公開された。
母は、僕を連れて大阪難波の映画館に観に行った。
満員で立って見始めたが、僕は、お腹が空いていた。映画を観るより、何か食べに連れて行って貰いたくて泣き叫んだ。結局、母は、鑑賞を途中で断念して、隣にあったかやくご飯屋さんに僕を連れていった。
普段、余り映画館に足を運ばない母だから、余程観たかったのだと思う。
少し大きくなってから「観たかったのに……」とよく愚痴を言われた。
再上映されたら一緒に見に行こうと思いながらも、以後、全然上映されず、母は、未見のまま他界してしまった。

石原プロ様、裕次郎さんのファンだけでなく、より多くの人が観られるように「黒部の太陽」を是非リバイバル公開して下さい。短縮版ではなく完全版でお願い致します。
再上映された折には、亡き母の写真を持って観に行きます。

×      ×      ×

最終日となると書くこともなくなり、つい父や母のことを長々と書いてしまいました。

日記から逸脱した形になり申し訳ありません。

今まで日記など書いたことがないので、不安でしたが、ちょっとホッとしています。
こんな日記、誰が読むのかな……シナリオ講座の生徒さんかな……だったら少しは勉強になることを書かないといけないかな……などと思いながらも結局は全然意味のないことをダラダラと書きました。ごめんなさい。

一週間、読んで下さった方、ありがとうございます。まだ仕事が終わっていないので、焼酎の入っていないホッピーで乾杯!


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