シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
    鈴木 智 (シナリオ作家)

  早稲田大学卒業。報道ディレクターを経て、脚本家になる。
  映画「金融腐蝕列島・呪縛」で日本アカデミー賞優秀脚本賞、
  キネマ旬報賞、最優秀脚本賞を受賞。

  ■映画
  「誰も守ってくれないNobody to watch over me」「燃ゆるとき」
  「ベルナのしっぽ」「ローレライ」「金融腐蝕列島・呪縛」他
  ■TV
  「堕ちた偶像 光クラブ事件」「金融腐蝕列島・再生」他
  ■演劇
  「ラバウル忠臣蔵」前進座、「私は悪くない」新宿モリエール
  ■作詞
  「久遠(くおん)」 島谷ひとみ 「追憶+loveletter」収録


                            


2008年11月10日(月曜日)

ご指名をうけた。最近、人生の師と仰いでいる先輩脚本家の我妻さんの差し金らしいから、断るわけにはいかない。(義信さん、お噂は我妻さんからよく聞いています。ぜひ今度一杯!)

何を書こうか、脚本家志望の人のためになることを…とも思ったが、毎日内容のあることを書く自信も時間もないので、行き当たりばったりの身辺雑記になると思うが、よかったらお付き合い願います。
今日は自己紹介もあるから長めに書くが、秋の日みたいに、だんだん短くなり、場合によってはつるべ落としで終わると思う。

7時くらいに起床。
宇都宮の晩秋の朝はさすがに空気は冷え切り、身が引き締まる。
昨年の春から、20年ぶりに自宅を郷里である宇都宮に移している。
理由としては幼い我が子の存在が大きく、共働きで、東京で子供を育てることに限界を感じたせいだ。
子供は親によってのみ育つのではない、と思う。
地域社会や、親戚の間でいろんな価値観に触れながら育ったほうがいいに決まっている。
走り回れる自然もある。
山や川の教えてくれるものには僕は圧倒的に信頼を置いている。
それに、人は生まれた土地に帰るのが一番幸せでは、と思えるのだ。
幸い妻も同郷の出身だったのでそうした。

パソコンと携帯電話があれば、どこでも仕事が出来るいい時代だ。
東京にも仕事場を持って、忙しい時は仕事場に篭ることが出来る。
遠距離での子供との会話にはテレビ電話もある。
経済的には二重生活は大変だけどね。我妻さんに見習えばどってことはない。
今の所、いい感じで過ごしている。

午前中は、子供を保育園に送ったあと、そろそろ締め切りのはずのドキュメンタリードラマの原稿を送る…予定だったが、踏ん切りがつかず、ネットを徘徊などしながら、だらだら。
来年正月の特番だそうで、現場もあまり時間がないはずだ。
映画と違って、テレビはオシリがかならず決まっているので助かるし、大量の資料を読むのでインプットにもなる。
今回扱われる事件に興味もあったので、スケジュールが恐ろしくタイトだったが引きうけてしまった。
他の仕事のかねあいもあり、何度も後悔したけど。
映画の仕事の原稿待ってくれているPの方、ごめんなさい。
遅れを取り返せるようにがんばります。

20代から30代の最初の頃は、報道やドキュメンタリーのディレクターをしていた。
企画を通し、仮説のもとに構成をつくり、取材をする。仮設は否定され、再構築を繰り返す。
楽しい仕事だった。中でも一番楽しかったのは取材と、編集だ。
取材は、人との出会いがあったし、机の上の仮説などいつもぶち壊してくれるサプライズがあった。
編集では、集めたサプライズを自分なりに回路をみつけるパズル的な面白さがあった。
ところが、今はその楽しみは人に渡し、一番、苦行に近い台本の部分だけ仕事になっている、というところ。

もともとは映画監督志望だった。
脚本を書ければ映画監督にもなれるだろう、と思い、それには、現実に触れなくては、と思ってディレクターになった。
事件は現場で起こっている、というわけなのだ。
何たる遠回り!とも思うが、ディレクター経験が脚本に役立つので、時間のある若い人にはお勧めだ。
上の世代の脚本家の先輩達は、戦争経験があったり、学生運動で同時代的に人の生死に立ちあったりしている。
自分達には、それがない。テレビばっかり見て育ったので、積極的にたくさんの人に会うことが必要だと感じた。
撮影所の擬似的なものではなく、「本物」に触れる手ごたえが欲しかった。
オウム真理教のサティアンも取材し、阪神大震災の現地にも入った。
5000人の人が亡くなった現場に立つと、さすがに震えが来て、人生観や死生観にも影響があった。
僕の場合、脚本を書いていて一番怖いのは頭の中でひねくり回し、生の感覚をなくすることだ。

さて。12時半だ。お昼が過ぎてしまった。近くの産地直送の店で弁当を買いに行ったら、ここは市内なのだが、なんと幻の魚「かじか」の串焼きが売っていた!
こんなこと東京にはないでしょ。
僕は東京の生活に飽きていたのだとふと思う。
店で購入した450円のコロッケ弁当と200円のプチトマトをくらうと、慌てて人物表をまとめ、原稿を先方に送る。
今日は六本木で僕も脚本に参加した「誰も守ってくれない」という映画の完成披露試写会がある。
この映画については…。明日にでも書こうかな。

4時に、電車に乗る。
宇都宮からは鈍行でも2時間ほどで東京につく。新幹線では1時間だ。
このところ忙しいので毎週、週の頭に出てきて金曜くらいに帰る。
あえて鈍行で行き来を繰り返しているのだが、この2時間がすこぶるいい。
旅しながら仕事をする脚本家にあこがれていた。(そんなのいるか?)
家の中で煮つまるより快適だ。
2時間で何をするか、これが楽しみ。DVDで映画を観ることも出来る。
だいたいは音楽を聞きながら仕事をしている。
ほかにすることがないから、集中できる。
今日は、この日記を、書いている。

…6時。六本木についた。あとは後日。



2008年11月11日(火曜日)

今日は山の手線の中でこれを纏めている。
走る電車の中で書く日記というのもおつなものだ。しかし目的地についたら送信するという手法はスピード感はあるが誤植だらけになると反省。少し直す。
ところで、上のイラスト。ハッピーな感じでいいな。
事務局の久松さんの作だがプロ級じゃないか。
おもしろい顔をした脚本家、というのも売りの一つになるかな。

今週の東京泊・一日目。
昼間は仕事部屋を変えたくなり、高田馬場あたりで部屋探し。
部屋探しには時間がかかる。徒労に終わった感じ。
その途中で「読んで意見を聞かせてくれ」とある製作会社のプロデユーサーに頼まれていた本を思い出し一応購入する。
脚本も頼まれたが、他に抱えている仕事も切迫しており、とても今月は無理だと断った。
でも、読んでしまうと、ああして、こうして、と考え始めて、やりたくなっちまうんだよな。
我ながら節操がなくてイヤになる。

夕方、講師の真似事をしているT学園に行ってシナリオを卒業制作にしている生徒達の相談に乗る。
彼らも今月中が締め切りだ。皆、目の色が変わってきたのを感じる。

自宅にもどり、2時間ほどで購入した本を読んでしまった。なかなかいい。
うーん。
深夜になってやっと仕事にかかる。


さて。昨日の続き。
「誰も守ってくれない」という映画は、恐れ多いことに、モントリオール国際映画祭で最優秀脚本賞を頂いてしまった。
僕にしてみれば、名前を連ねさせていただいて幸運だったと言う他はないが、昨日、完成披露試写会で観客と一緒に観て、面白い映画になった、と改めて思った。
何より、君塚監督の演出が冴えているし、役者達の監督への信頼も画面に溢れている。
役者の皆さんは、脚本の行間をその肉体で緻密に埋め尽くしてくれた。
感謝、感謝である。

最初にこの映画に関してプロデューサーに打診された時には、いろんな意味で驚いた。
監督・脚本は、かねてから敬愛している君塚良一さん。君塚さんと面識はなかったが、「踊る大捜査線」シリーズはもっと映画の作り手から正当に評価されるべきだと思っていた。
(これほどエンターティメントと社会批評がほどよく融合し、商業的にも大成功する作品を他に誰が作れるのか?)
その君塚さんの作品に参加しないか、というのだ。
だいぶ過酷な内容になりそうだったことにも驚いた。プロデュース側の英断である。
僕は日本映画が、毎日のようにこの国で起こっている悲劇をあまり描こうとせず、そうした企画も通りにくい事に不満を感じていたので渡りに舟である。
大先輩の君塚さんに胸を借りるつもりで自由に書かせて頂いた。

公開前にこんな話もどうかと思うが、君塚さんとの打ち合わせは一度しかしていない。
さすがに当代一の脚本家が監督をしているだけあって、こちらの提案や狙いを即座に理解してくれるので、こんなにやり易い仕事はなかった。
脚本家の立場を知り抜いている君塚さんだから、大分、気を遣わせてしまったと思うが、ハリウッドのように一流の脚本家が監督になる回路がもっと広がれば、脚本家は、今まで以上に仕事がしやすくなると思う。

今回のホンについては、僕としてはヒリヒリするような、ざらついた手触りを狙って、出来るだけ人物を突き離すように描いたつもりだが、最後には君塚さんがプロフェッショナルとしての腕前を見せつけてくれた。
その腕前がどんなものか、来年一月に映画館で確認して頂きたい。
脚本が評価されるのはおおむね出来た映画がよかったときだ。



2008年11月12日(水曜日)

今週の東京泊2日目。
10時頃起きて1時間ほど、仕事をしたあと、ドキュメンタリードラマの打ち合わせに出向く。
新たに大量の資料が出てきた。
とても今回は一人では手が回りそうにないので、T学園の去年の卒業生のI君に手伝わせようと連れて行っている。
彼はすでに映画の脚本でデビューしているらしいが、それは観ていない。
彼の卒業制作のオリジナル脚本も読んでいない。
だいたい、彼は、僕の指導した生徒ではなかった。飲み会で会う程度。
同じ大学の後輩、というくらいの接点だ。
ただ、プロットは読んでおり、それなりに面白かった。
面白いプロットを書ける奴なら、ホンも書けるようになるだろうという、いい加減な判断(きっと当たっている)。
僕もそうだったが、結局は現場につくことが一番脚本の勉強になると思う。
アニメの仕事でも、その前の年の卒業生に手伝わせている。
一年間教室で指導のまねごとして「さよなら」というのは少しさびしいので、手ごたえありそうな奴に実戦をやって貰っているわけだが、一生面倒を見る事など出来るわけはない。あとは本人次第。
チャンスに食らいついて自分で伸びるしか無い。
なかなかいい講師だと我ながら思う。少しは若い奴の踏み台にでもならないと、脚本書きは孤独になるばかりだ。
葬式に誰も来てくれないのはちょっと格好悪いし。

作協以外の学校の話になったか。
僕はいわゆるシナリオ学校には行ってないが、行っていたらうまいコネを作り、もう少し、早く世に出られたかも知れない。
仲間からの刺激もあったろう。だから、学校はいいのだ、と纏めておこう。

3時間ほど打ち合わせのあと、二人で遅い昼食。ちゃんぽんを食べて、喫茶店で軽い打ち合わせをして別れる。
買い物があって電気街を歩いていると、日は暮れて、急に寒気がしてきた。
雨も降っている。風邪などひかないといいけど。
自室に戻り、かみさんが置いていってくれた風邪薬を飲んで、映画のホンにかかる。



2008年11月13日(木曜日)


東京泊3日目。
朝8時半起床。昨夜、遅くまで仕事をしたので睡眠不足だ。
だが、秋晴れの空が眠気を吹き飛ばしてくれた。

今日は午前中から東宝撮影所にてある大作企画の打ち合わせ。
夏からやってるが、振り出しに戻った感じ。まだまだ道は遠そうだ。
期間が延びると、他の仕事に影響が出てそれが心配だが、大作だから仕方がない。

打ち合わせのあと撮影所の食堂に行くと、いろんな人に会えた。
昔、一緒に仕事をしていたディレクターの顔を見つける。
ご挨拶すると映画監督になっていたことがわかった。
ローレライの特撮チームに再会出来たのは嬉しかった。現在、石原裕次郎さん関係の企画でがんばっている。
テレビなどで見かける俳優さんもちらほら。山田太郎さん、高島政伸さん。
それぞれ存在感がある。実物だから当たり前だが。
俳優さんたちが、一緒に歩いているN監督に、次々と声をかけて来る。
さすがに活気があり、少しパワーを貰う。

新宿駅南口に降りると、快晴で気持ちいい。
ワイドビジョンでニュースを見て、僕がかねてから実現したいと思っていたある企画について思い出した。
僕がこの数年、待っていたタイミングが来ているのだ。
これは早く動いた方がいい。知り合いのプロデューサーの顔を何人か思い出す。
それぞれ志向性がある。
今回の企画はあの人しかない、と思った人に電話をすると、海外にローミング中というアナウンスが流れた。
どの国にいるのかはわからず、今は夜かもしれない。
躊躇して電話を切るが、思い直してもう一度かける。
なにしろ緊急なのだ。その想いを伝えたほうがいい。
映画は、その企画にクレージーに邁進する個人の情熱によって動くのだ。
運良く電話は繋がり、プロデューサー氏の帰国を待って会うことになった。
ビルの隙間に広がる青空を仰ぐと不思議な感じがする。ちょっとした野心を乗せた電波が地球を回っている。
さっきの電話は用件のみで、どの国にいるかさえ、聞くのを忘れた事に気づく。
都内にかけたのと変わらず、電波やネットの世界では国境はない、と言える。
それは希望かも知れない。
「誰も守ってくれない」という映画ではネット上の悪意ばかり描いたが、そうとも限らないので、いつか希望を描いてみたい。

今現在もいろんなことが滞っているが、この企画が実現した場合の脚本のスケジュールはどうなるんだろう、と考える。考えてもせんなきことだ。
実現率は低い。それに、進行が予定通りいったためしがない。
他の企画とバッティングしたら、その時はその時と思うしかないのだ。
そのおかげで今、死にそうなんだけどね。ドアはノックし続けないと。

最近、都内のマクドナルドでは電源の使える店が増えている。
入ってコーヒーを注文。さて、仕事でも、と思ったが、パソコンでの振込みや、はがき書き、この日記書きなどをしているうちに眠くなった。
自室に戻り、一眠りしてから仕事にかかるつもり。(なんか、言い訳めいてるな)



2008年11月14日(金曜日)

東京泊4日目。
朝10時頃起床。昨夜は遅くまで仕事をしたので、つらい。
今日は「ブースター・プロジェクト」という制作会社でのランチの予定で初台に。
なかなか良い商店街に事務所はある。
こんな街に住むのも悪くない、と思っていたところ、女社長の中林が、お得意様の不動産屋に連れて行ってくれた。
そこの担当者はちゃきちゃきの江戸っ子女性。
ランチを食べているうちに物件を探してくれて、食後に案内される。

自転車で商店街を走っていると、前を幅寄せしてくる小型トラックがある。
江戸っ子娘は、自転車の急ブレーキを踏んだかと思うと、「危ないじゃないの!」と思い切り小型トラックの後部タンクを殴る。
ちょっとびっくりしたが、こういう威勢のいい女性のいる街は楽しいかも知れない。

ちなみに「ブースター・プロジェクト」は8年ほど前に、ある制作会社の企画会議で知り合った僕や中林が、企画集団かなにか作ろうじゃないか、と四方山話をしていたとき、まず名前がいるだろう、ということで僕が命名した。
ブースターというのはロケットのブースターで、映画の推進力になる集団、というような意味だったが、この中林、行動が早く、なんと知り合いだという有名イラストレーターの和田誠さんにかけあって、さっそくロゴマークを描いて貰ってしまった。ロケットが発射するような素敵なイラストだ。
ある種の女性達の行動力は凄い。
和田さんに頼んでしまったこともあって、このロゴマークを映画の冒頭に出すのがささやかな夢だった。
その後、日々に追われて、その話は忘れていたが、中林は、きちんと「ブースタープロジェクト」という制作会社を立ち上げて、映画を作っている。
クリックするといきなりそのマークが出てきます↓
http://www.booster-pro.com

目標を設定して、それにしゃにむに突き進んで行ける人が、この仕事に向いている。
このロゴマークをもし映画で見かけたら、まあ、そういう長年の夢が詰まっていると思ってください。
時間を経たがお互い、それなりにがんばっているので、なにかまたやろうという話だった。

今日は絶対に自宅に帰ると予定していた日。
週末だし、観たい映画があったのだが、部屋の掃除などしていると、時間は瞬く間に過ぎて夜になってしまった。ラッシュ時の新宿湘南ラインに乗って宇都宮に帰宅する。
今回は、四泊五日の逗留。最近はだいたいそうだ。
大宮を過ぎたあたりで席に座れた。パソコンを開き、宇都宮に到着するまでに今月中の懸案の一つだった新しい企画のプロットを纏めることが出来たので、満足する。
駅に降りて、郷里の冷えた空気を吸うと、気分はリフレッシュされた。

23時過ぎ。自宅に到着するが、最近、睡眠不足で、急に眠気が襲う。
今日はもう寝ようかと思っていたところ、ドキュメンタリードラマを一緒にやっているI君からメールで原稿が送られて来た。
パソコンで原稿を見ながら、携帯電話で打ち合わせをしているうちに頭が冴えてきた。
旅館などに篭もれればいいが、近頃、現場にそういった余裕はなかなかない。
僕も京都でやったTV時代劇や、「金融腐食列島」の時は旅館でやらせていただいたが、脚本を書くことが、ある種の手続きを踏まなくては成しえない、神聖な行為と言えた時代の遺物かも知れない。
篭もりたいけどね。楽しいし、メシはうまい。でも最初の数日は旅行気分で飲みにいっちゃったりするんだよね。

それに変わってネット上の打ち合わせがある。緊急の場合、遠距離同志でもスカイプを使って打ち合わせをすれば、電話代もかからずリーズナブルだ。
なにしろ音声が携帯電話よりもずっとリアルで臨場感がある。お互いのため息まで聞こえるのだから。
この点は前に映画監督の佐藤信介君とある企画で一年半にわたって共同でホンつくりをした時に最終的に導入した方法で、お互い、パソコンの前に集まる時間を決めておけば、昼間はそれぞれ勝手な動きが出来て、なかなか調子がよかった。いいアイデアが出てきたら、じゃ、それ書いて送れよ、となり、こうしたらどう、とそれに手を入れて送り返す。
同じ原稿をネット上で一緒に見たり、同時に手を入れたりする事も可能だ。
ネットを検索して資料を見せあうことも一瞬で出来る。
時間を気にせずに世間話や映画壇義をしながら仕事を進めていた。
その企画は15億くらいかかるとかで未だに実現しておらず、当時、映画は実現しなくてもこのネット脚本作りのノウハウは我々の成果物として、本になるんじゃないか、とまあ、お互いを励ましていたのだが、そのまんまになっている。
そういうもんだ。
パソコンにマイクがない場合、設置しないといけないし、慣れも必要なので、今回、時間が許せば導入してみようかと思う。
午前4時に就寝。



2008年11月15日(土曜日)


10時頃起床。
昨夜も就寝が午前4時頃…。6時間寝れば大丈夫な体だが、このところの睡眠不足が祟ってかなり眠い。
今日は地元の神社での、子供の七五三のお参り、その後の親族での会食があるのだ。
若い頃はこういう誰もが通過する商業化したイベントごとが大嫌いだった。
結婚も二度したが、式は二度とも挙げていない。
そんな僕が最近、こうやって年貢を納めているのは子供のおかげかもしれないし、変われば変わるものだが、それでも、ことあるごとに、イベントにかこつけた儲け主義が目について嫌になってしまう。
抑え目にしてもざっと十万は行ってしまうシステムが出来上がっている。
この国はどっか、間違っとるよ。これだから少子化が…。ま、つまらない話だからやめよう。
いずれにしても、息子は大分、頼もしくなって来た。それに対して自分はやがて病葉のようになっていく。人生の主役はまだ譲れないが、そうした生の循環も悪くない、と思える。
その後、妻が買い物をしている間に喫茶店で昨日の分の日記を書き、夜は仕事と思ったが眠気に負けて早めに就寝。脚本についても…特に語りたい気分でなし。
こんな日もある、と自分を許す。



2008年11月16日(日曜日)

6時半頃起床。窓から見える木々はだいぶ色づいてきた。
10代の頃は画家になりたかった。周囲の自然には毎日のように感動させられるのだ。
19歳で東京に出てから大学時代は、絵のサークルに入っていたが、自画像くらいしか描くものが見つからなかった。東京の街はあまり絵にはならない。
自分が感動を発見出来なかった、と言おうか。
結局、時間をかけて自画像を描いて展示会をしても、誰も喜んでくれない。
あたりまえだ。
ぐちゃぐちゃの自我を描いた暗い絵を喜ぶ人間はいない。
絵の才能もなかったが、僕が出来ることで、人様に喜んで貰う仕事がしたいと思ってこの世界を志した。その初心は忘れずにいたい。

たまたま先週、陶芸家の14代目・今泉今右衛門さんの展示会で、ご本人とお話しさせて頂く機会があった。妻の親友のご主人なのだ。年齢も僕とそう変わらないのだが、作品を一目見て激しく心動かされた。
白い壷の側面に、紫陽花が描かれており、湾曲した壷の口に至る部分には、空からちょうど、紫陽花に降りかかるように雪の結晶が描かれている。
肉眼で見る紫陽花と、顕微鏡で見なければわからない雪の結晶の取り合わせ、しかも紫陽花の季節に雪とは…。
生の対極にある、宇宙の真理といった冷たく美しく、理不尽なもの、としての<雪の結晶>に対して、それに拮抗して行こうとするはかない自我と、生命力のようなものを<紫陽花>に感じとり、近頃にない感動を覚えたのだ。
お話を聞くと、彼は大学時代に、人間国宝でもあるお父上の跡を継ぐ事に関して、相当の悩みを持って過ごし、結局跡を継ぐ決心をしたのは30才過ぎだった、という。
そしてそのきっかけとなったのが、旅先で土の上に寝転んで、空から降りしきる雪に強く魅せられた時だ、というのである。自分の感動なら、誰にも劣らないオリジナルなものだし、それは人に伝えるに値する。延々と続く今泉今右衛門の歴史に拮抗することが出来る、と思ったに違いない。
彼の代表作と思える「色絵薄墨墨はじき雪文鉢」というお皿が生まれた。そこに薄い青で描かれた放射状に天から舞い降りる雪の情景は、その時の感動を文字通り焼き付けたものなのだろう。皿を見つめる視点は、若き日の14代目今泉今右衛門であり、あの紫陽花のそれなのだ。
その皿を眺めると、彼らの視点に身を置いて、我々も心の震えとともに宇宙を覗きこむことが出来る、という仕掛けだ。
この世のものとは思えないほど、美しいお皿だった。
人間国宝である13代目の作品も展示していたが、それがただ技巧的に見えるほど14代目の作品は生々しく、モダンで感動的だ。
この生きた伝統工芸をぜひ買って帰りたいと思ったが数百万するものなので、分不相応とあきらめ、作品集を本棚に立てかけて眺めている。いつか欲しいな。
置く場所もないけど。
土を触って宇宙を形作る仕事。ちょっと羨ましくもある。映画でその域に達することが出来るだろうか。

午前中は掃除とか部屋の片付けとか。
妻に子供を連れ出して貰って、午後から仕事にかかる。
かくいうこの日記も最終日だ。多少仕事を邪魔してくれたが、ブログ大嫌い、日記大嫌いの僕が、なんとか最後まで書けた。読者もいるかいないかわからないが、少なくとも後で自分で読み返す機会があれば、短い間でも晴れの日も曇りの日もあることがわかるだろう。こういう機会を与えて貰って感謝。
今週は、忙しかった。酒も飲んでないし、映画も観てない。
もう一つ、近況としては、先週、8年間在籍していたエージェントを辞めた。
気分一新というところ。

明日からは森川治君だという。同い年だから、森ちんとか、森っちとか呼んでいる(ほんとか)。
彼は僕の知るところ、日本でも一、二を争う心優しきシナリオライターだ。
僕もまわりにはよくそういう優しい人がいて、僕はいつも迷惑をかけながら生きている。
この間も、飲み会のあと、運賃を安くあげようと一緒にタクシーに乗ったが、僕のほうに細かいのがなくて、結局、彼に出させてしまった。覚えているからね。
そしてこの森っち。最近ご結婚なさったという。おめでとう!
心優しい彼だから、いい旦那さんになるだろう。楽しい新婚生活の詳細でも心待ちにしよう。
「今度飲もうね」
前週の人にもこう言われた気がする。いっそのこと、最後はみな、このセリフで終わることをお約束にしたらどうか。
いいとも!みたいな。


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