シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
    沢村光彦 (シナリオ作家)

  大学卒業後、広告・映像制作会社に勤務。
  主にPR、SP、教育用などのVPの企画、構成、演出を手掛ける。
  その傍らライターとしても活動し、映画、特撮、コミック、格闘技など
  に関する書籍やムック本の編集、執筆に携わる。
  後に独立し、ゲーム、映画、アニメの脚本や書籍の執筆を重ねながら
  現在に至る。

  【映画】  「ゲゲゲの鬼太郎/千年呪い歌」「妖怪大戦争」
  【アニメ】  「.hack//SIGN」「AVENGER」
  【小説】  「コード・ブルー」「ゲゲゲの鬼太郎/千年呪い歌」
  【ゲーム】 「金田一少年の事件簿シリーズ」「.hackシリーズ」
         「銀魂シリーズ」  ・・・など、いろいろ。


                            


2010年6月7日(月曜日)

ちょっとばかり厄介だった仕事が一段落したので、今日は思いっきり浮かれた気分で過ごすことにした。
浮かれて過ごしたいときには浮かれた場所へ遊びに行くのが一番いい・・・そう思って出かけた先は、かの有名な東京ディズニーシー。
ランドではなくてシーのほうだ。さあ、冒険とイマジネーションの海へ!――というわけだ。はははは。

白状すると実は初めてだったりする、ディズニーシーに行ったのは。
・・・いや、待てよ。
違う違う。
行った、というか、中に入ったことなら一度だけあるんだった。
6〜7年前かな、ディズニーシーに行って園内の雰囲気や各施設を見てまわったことがあったんだっけ。
ディズニー側と某企業のコラボ企画で、モバイル絡みのコンテンツ(この「コンテンツ」という言葉は好きじゃないんだけれど、他に相応しい言葉が見つからない)をテストすることになり、その企画やら原稿書きやら演出やらを頼まれたんだった。
結局、その企画自体がテスト段階でぽしゃってしまったせいか、すっかり記憶から抜け落ちていたみたいだ。思い出せてよかった。脳の老化にはまだ早いぞ、おれ。

・・・と、ここまで書いてみて思ってしまった。
「ちょっと待てよ」と。

名前をきけば誰でも「ああ、あの人ね」とわかるような大家ならいざ知らず、ぼくのような駆けだしシナリオ作家がこんな風にフツーに日記みたいなことを書いても意味がないんじゃなかろうか?
もちろんこれはリレー「日記」なのだから、日記みたいなことを書いても別に怒られたりはしないと思うが、それでも何だか違う気がしてならないんだ、どうしても。
だってだって、ぼくは無名なんだもの。悔しいけど。
たとえばタレントブログなら「今日はどこそこへ行って何々を食べました」とか書くだけでも、その人のファンが喜んでくれるだろうけど、ぼくにはそんな奇特なファンなんかいない。いるわけがない。万が一いたら気味が悪い。
そんなぼくが「ディズニーシーに行って、うきわまんを食べて、ダッフィーのショーを観てきました」なんていう日記を書いたところで、いったい誰が喜ぶ? 誰も喜ばないさ。絶対。

そんなわけで、日記の途中ですが考えを改めた次第です。
ぼくが今、この場を借りて書くべきなのは、たぶん「日記」なんかじゃない。
まずはぼくを知ってもらわないとダメじゃん。なにしろ無名なんだから、ぼくは。

ぼくこと沢村光彦は、シナリオ作家協会の新入りとして、先輩がたや関係諸氏へのご挨拶をさせてもらうことにします、このリレー日記を利用して。
とりあえず明日から毎日、自己紹介を兼ねた「日記のようなもの」・・・をここにアップしていくつもりです。
沢村とは一体どんな奴なのか?
これまでどんな仕事をしてきたのか?
これからどんな仕事をしたいのか?
性的嗜好はノーマルなのか?
・・・などなど、思いつくままに書かせてもらおうと思います。

初日からとっちらかったことを書きちらかしてしまい、先が思いやられないでもないですが、とにかく今日から1週間、どうかよろしくお付き合いくださいませ。

沢村光彦でした



2010年6月8日(火曜日)

昨日浮かれて過ごしすぎたせいで疲れ果ててしまったみたいだ。風邪をひいたように体がだるい。
一日歩きまわったためか筋肉痛も出ている。
そういえば、歳をとると筋肉痛は翌日ではなく翌々日に出るという話をきいたことがあるな。ぼくの場合は翌日の今日出たわけだから、うん、きっとまだまだ大丈夫ってことだな。
なにが大丈夫なのかよくわからんけど。
大学を出てから10年近くサラリーマンをやっていたので、独立したときはすでに30歳を越えていた。なのでキャリアのわりにぼくは無駄に歳をくっているのだ。自分では若いつもりでいても、だからあんまり無茶はできない。10年くらい前なら2日間のカン徹も余裕だったんだかなあ。今は一日に1度は寝ないと体がきつい。悔しいなあ。

フリーになる前の仕事は、映像制作会社のディレクターだった。
学生時代にはそれなりの映画青年で、いつか映画監督になるんだ・・・なんて吹いていたのだけれど、いつの間にか諦めてしまっていたのだ。俺には無理だ、と。
年齢を重ねた現在よりもよっぽど現実的な若者だったんだろう、当時のぼくは。たぶん。
それでもいくばくかの未練はあったのかな。だからこそ映像業界の片隅に生業を求めていたのかもしれないな。
企業やら各種団体やらを相手に、PRとかSPとか社員教育用のビデオをつくりながら、その中で(怒られない範囲で)自分なりの遊びというか、凝ったつもりの演出なんかを入れて自己満足に浸る日々だった気がする。
その後に訪れた出会いやいろんな偶然が存在しなければ、ぼくは今でもそんな風にして生活していたのかも。いや、さすがにもう管理職になっているか。
そんな偶然さんたちの後押しもあってフリーランスとなったぼくは、いつのまにか現在の商売に就いていた。なんとかメシも喰えている。いや、実際にはそうとう苦しいんですけどね。だから誰かお仕事ください。
ある意味、流れに身を任せるようにしてここまでやってきたせいだろうか、ぼくには「自分は“何者”なのか?」という自問自答を繰り返す癖があった。
確かに今、シナリオや文章を書いてそれを仕事にしているけれど、だからといってはたして自分を「シナリオ作家」とか「文筆家」とか呼んでもいいものだろうか・・・と。ホンモノのシナリオ作家の皆さんから怒られやしないだろうか・・・と。
シナリオ作家協会へ入会申請してみたのも、実はそのアイデンティティの揺らぎ?が動機だった。シナリオ作家の公的な団体に入会が認められたなら、そのときは自分を「シナリオ作家」と呼んでもバチは当たるまいと、そう考えたのだ。論理の順番が逆のような気もしないでもないけれど。
・・・それにしても入会できてよかった。推薦人もないままの申請だったので、結果が出るまではかなり不安だったんだ、ホントは。
理事会の皆さん、改めてありがとうございました。

そんなアイデンティティ揺らぎまくりだったぼくにも、かつて一度だけ「おれはシナリオ作家だ」と胸を張りたい気分になったことがある。
それは拙作「ゲゲゲの鬼太郎・千年呪い歌」の撮影中のこと。
正確にいうとクランクアップのまさにその瞬間だった。
あの作品には昨年亡くなられた名優・緒形拳さんが、鬼太郎の宿敵ぬらりひょんの役で出演なさっていた。
ぬらりひょん役が緒形さんに決まったときいたときは、喜ぶよりも心底驚いたものだ。まさかまさか「あの緒形拳」が、後頭部のでっぱったバケモノなんぞに扮してくれるなんて誰も想像しないでしょ、だって。プロデューサーはどんな顔して出演交渉に行ったんだろうか。
ご出演が決まった緒形さんだったが、今だから言えることだけど、撮影が始まった頃にはすでに病魔に冒されていらっしゃった。クランクインのときは確か病院のベッドにおられたはず。
顔と頭ぜんぶを覆い尽くすような特殊メイク、それに重たい衣装・・・と、当時の緒形さんにとって、ぬらりひょん役はかなりの重労働、というより苦役に近いものがあったと思う。なのに最後までしっかりと妖怪の大頭目を演じきってくださったことにはいくら感謝してもし足りない思いだ。
鬼太郎は、その緒形さん演じるぬらりひょんが滔々と語るシーンで全撮影を終えたのだった。

クランクアップの日、ぼくはスタジオにいた。そして初めてお会いしたのだ、緒形さんと。
ぬらりひょんの姿のまま、スタッフから花束を受け取られた緒形さんは、深い皺の向こうに穏やかな笑みを浮かべながら、周りの人たちに「ありがとう」と何度も何度も仰っていた。
ぼくは緊張しながら、そんなぬらりひょん、じゃなくて緒形さんの前に行き、顔を強張らせつつ初対面の挨拶をさせてもらった。「はじめまして」とか「脚本の沢村です」とか「お疲れ様でした」とか「ありがとうございました」とか、たぶんそんな言葉を口に出したのだと思うけど、残念ながらよく憶えていないのだ。だってホントに緊張してたんだもん。
だけど、そのあと緒形さんにかけていただいた言葉だけは、今でもよ〜く憶えているのだ。これから先もきっと忘れたりしないと思う。ぬらりひょんになったままの緒形さんは、ぼくの目を見てこう仰ったんだ。
「おお、きみがホン屋さんか。キレのある良いセリフだったよ、ありがとう。またいつか一緒にやろうよ」
腰が抜けるかと思った。
だって、まさか想像すらしなかったもの、緒形さんからお褒めの言葉を頂戴するなんてこと!
そんなのは社交辞令だと、そんな風に思う人もいるかもしれないけど、ぼくは違うと思ってる。断じて違うと信じてるよ。だってあのときの緒形さんの顔を見ればそう信じられるもの。絶対にお世辞なんかじゃなく、本心から言ってくださったものだって。
そのとき、ぼくは初めて思えたんだ。自分はシナリオ作家なのだ・・・と。あの緒形拳さんが褒めてくれた「セリフ」を書いたのは、他の誰でもなく確かにこのぼくなのだから・・・と!
いってみれば、あのとき緒形さんにかけていただいた言葉は、ぼくにとって「営業許可証」のようなものだったのかも。今後「シナリオ作家」を名乗ってもいいよ、と、そう言われたような、そんな気持ちになれたんだ。
そう、そのとき初めて心からこう思えたような気がする。
沢村光彦はシナリオ作家です、と。

目の前に差し出された温かい手を強く握り返しながら、ぼくは緒形さんにこう応えていた。
「ありがとうございます。頑張ります、またいつかご一緒させてください!」

「ゲゲゲの鬼太郎・千年呪い歌」は、緒形拳さんの最後の映画になった・・・・・・。

それから随分と時間も経ったけど、自分を取り巻く厳しい情勢はあまり変化していない。
喰うため、生きるために、毎日必死だ。
アイデンティティが揺らぐことも、相変わらずしばしばある。
けれども、そんなときになんとか踏ん張ることができるのは、「なにくそ」と思うことができるのは、あのときに緒形さんから頂戴した「営業許可証」があるからなのだ。
いつかぼくがあの世に行って、緒形さんともう一度お目にかかれたとき、こう言いたいからね。
「その節は本当にお世話になりました。貴方の言葉を励みにしてぼくなりに頑張って生きてきました」と、胸を張って堂々と報告したいもん。

・・・ここまで書いていて、ふと気づいた。モノを書くとき猫背になる癖があるぼくの背筋が、いつのまにかピーンと伸びていた。

沢村光彦でした。



2010年6月9日(水曜日)

浮かれた時間をそろそろ終わりにして、またお仕事を頑張らないといけない。
ここ何年もやってない種類の仕事をすることになったので、カンを取り戻すのがちょっと大変かもしれない。
それにつけても映画の脚本をまた書きたいものである。自分の「やりたい」「書きたい」作品の脚本を。
やりたいネタはいくつかあるんだけど。
じっくり企画を練って、勝手にシナリオを書いて、でもって、いっそどこかのコンクールに応募してやろうかな。
そういえば先日のシナリオ作家協会懇親会の席で授賞式があった。
それを見ながら事務局のKさんに「ぼくもこれに応募していいですか?」と訊いてみたら、「ダメです」と言われたっけ。
応募するなら別のコンクールにしよう。
でもでも実際は難しいんだ、これが。
なにしろゴハンを食べていかなくちゃならない。おカネになることをしなくちゃ餓死してしまう。それは嫌だ。

この「餓死」という言葉は、水木しげる大先生(「おおせんせい」と読む。以前、荒俣宏さんから、こうお呼びするよう指導されました)がよくお使いになられる。
先生の赤貧時代を差して、「働いて働いて働いて一歩でも停滞したらそれは餓死です」みたいな言い方をインタビューなどでしばしばされている。
水木大先生は紙芝居に貸本漫画と、ふたつの産業が壊滅していくまさにその過程の中に身を置いておられたわけだから、「餓死」との言葉にもリアリティがある。
ぼくなんかが「働かないと飢え死にだ〜」なんて軽口を叩くのとは重みが違う。
しかも大先生はその前に、南方の戦地でも死にかけてるんだもんなあ。
子供の頃から現在までずうっと水木漫画の大ファンで、大先生ご自身にも憧れと尊敬の念を抱き続けてきたぼくでも、その半生を真似したいとも、真似できるとも思わないや。

水木しげる大先生とその奥さまの人生をモデルにした朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」(うっかり「にょうぼ」と書いて変換したら「尿簿」と出た。入院患者が毎朝の尿の状態を記録するノートみたいだ)が毎回視聴している。
原作となった奥さまの著書は読んでいるし、そもそも水木大先生のこしかたについては今まで読んできた自伝的作品やインタビューなどでもう殆ど知っているから、ドラマの内容については特に新鮮味は感じないけど、でも面白くて、ついつい観てしまうんだ。毎日々々。
申告収入があまりにも少ないことを不審がった税務署員から「所得を隠してるんじゃないか」と疑われた大先生が、「貴様らに我々の暮らしがわかるか!」と怒りを爆発させるエピソードなんか、何度読んでも観ても面白い。
面白うてやがて哀しきの見本みたいな名場面だと思うよ、ホントに。

毎日観ているといっても、朝8時にはさすがに寝ていることが多いので、視聴するのはもっぱら録画専門だけれど。
いや、待てよ。朝ドラをわざわざ録画してまで欠かさず視聴している、というほうが凄いことなんじゃないか?
考えてみれば、たぶん生まれて初めてのことだな。朝ドラを毎回必ず観るなんて。

ドラマ「ゲゲゲの女房」の中では、水木ご夫妻にとりついた恐怖の貧乏神が本格的に活動を開始したところで、貧乏の香りが濃ゆく濃ゆ〜く漂ってくる。毎朝。画面の向こうから。
水木大先生の半生を「物語」として眺めた場合は一番面白い時代・・・といえるんだけど、ときどき身につまされることもあったりするのだ。思わず我が身に置き換えて身震いしちゃうというか。
そのスリルがまたいい、のかもしれない。ある意味、体験型アトラクションみたいなものだ。・・・そうか?

神様に対するがごとく憧れの目で見つめてはいても、「あのまんま」の人生を辿ってみたいとは絶対に思わない――ぼくにとって水木しげる大先生とは、そういう存在なのです。

沢村光彦でした。



2010年6月10日(木曜日)


実家の父と話をしていて、ちょっと面白いことをきいた。
ぼくの干支はウサギである。そして、ぼくの母はちょうどふたまわり前のウサギ年に、その母親にあたる祖母(めでたいことに今も健在)もまたさらにふたまわり前のウサギ年に、それぞれ生まれている。
三世代続けて24歳差のウサギ年生まれ・・・これまでぼくはそう認識していた。わりと珍しいことだよな、と。

ところが父に初めてきかされたのだが、実はそれだけじゃなかったのだ。
祖母の父親、つまりぼくの曾祖父も祖母と24歳違いのウサギ年生まれだったらしい。
四世代続けてふたまわり違いのウサギ年というのは、わりとではなくかなりレアケースじゃないだろうか。
ぼくには子供がいないのだけれど、こうなると五世代目にチャレンジしたくなってくる。
でも、あまり時間的余裕はないよなあ。来年の干支がウサギだもんなあ。来年を逃すと次は13年後だもんなあ。さすがにその年齢で子供をつくる自信はないなあ。

ただ、父によるとこの「四世代ウサギ」には若干、インチキが含まれているとのことだった。
祖母が生まれたのは本当は前年の年末、暮れの押し迫った時期なんだそうだ。
役所に出生届を提出したのが年明けになったので、ウサギ年生まれはあくまでも「公式記録」、形式上だけ。実際の干支はトラということになる。
こういうこと、昔はよくあったのだとか。年末はバタバタ忙しいから松がとれたら届けにいくか・・・みたいな。
いずれにしても公的には四世代ウサギであることに間違いはないから、できれば記録を伸ばしてみたいものである。来年かまたは13年後に。

毎週某曜日には必ず駅前まで出かける。
週に一度、駅南口を出たところにメロンパン屋さんのワゴン車が来るので、それを買いにいくためだ。
プレーンなメロンパンのほかにも、メープルやらチーズやらチョコチップやら抹茶やら、いろいろバリエーションがあるのだが、どれもみな美味。
あそこのメロンパンを一口食べて、「これは夢の食べ物だね」と言った女性もいるくらいなんだから。
特に気にいってるのはメープルメロンパン。今日はそれにキャラメルチョコメロンパンというのも試してみたら、これまたアタリだった。
ここは地域住民に人気があるらしく、いつでも行列ができている。こんなに大人気なんだから、週に2〜3回くらい来てくれればいいのに・・・と、いつも思うんだけど、毎週一度だけという微妙な飢餓感こそが人気の秘密なのかもしれない。

駅前まで歩いていくと、途中でよくワンコさんのお散歩に出くわす。
ワンコさんを連れているのは、なぜかたいてい老人だ。
なぜかってことはないか。真っ昼間にのんびりワンコ散歩ができる勤め人はあんまりいないよね。
いま日本で一番人気のある犬種が何なのかは知らないけれど、この辺で遭遇率が高いワンコさんはミニチュアダックスフンドだ。
長い胴体の下で短い足をちょこまか動かし、リードを握る飼い主の顔をときおりちらちらと気にしながら歩くダックスくんの姿は、そらもう可愛くて可愛くてたまらんちん。
他にわりとよく見かけるのはコーギーくんか。あのこたちもフォルムはダックスくんと似ているな。
この辺の住人は胴長短足体型のワンコさんがお好きなのかもしれない。

ワンコさんのお散歩を見かけるたびに、「ああ、いいなあ、おれも飼いたいなあ」と思う。
何を隠そう、ぼくはワンコさんが大好きなのだ。いや、ここまで書いておいて「実は犬が嫌いです」なんてわけはないか。
残念ながら今はうちにワンコはいないけれど、いつか絶対に犬と一緒に暮らそうと考えている。
コーギーやダックスも悪くないけれど、自分が飼うなら絶対に柴犬クンにするのだ――と、ずっと前から決めている。
それも、できれば白い柴ワンコがいい。顔はあまりとがってないタイプで、尻尾はくるりと綺麗な巻き尾であってほしい。
性格は人懐っこいのにこしたことはないけれど、誰よりもまず飼い主であるぼくに愛想を振りまいてくれ。他人にはあまり懐かんでよろしい。
オスワリしながら小首をかしげて、ぼくの顔をじいっと見つめたりしておくれ。

そんな柴ワンコがいてくれたら、毎日の仕事にも生活にも張り合いが出るだろうなあ。
めちゃめちゃ可愛がるぞお。
どんなに面倒臭くても、毎日必ず散歩に連れていくし、抜け毛対策のブラッシングだって欠かさない。いつも元気で綺麗なサイコーワンコでいてもらう。
犬の散歩はきっと良い運動にもなるはず。ぼくの健康管理にも好影響があるのは間違いなしだ。
メタボやら糖尿なら、そんなものときっと無縁でいられるだろう。
いいことづくめではないか。

白い柴ワンコと、それに加えてウサギ年生まれの子供も一緒に暮らせたりしたら・・・うん、これはけっこう幸福な絵になるな、きっと。
この絵を実現できるように真剣に頑張ってみるべきかも。
・・・来年か、または13年後に。

沢村光彦でした。



2010年6月11日(金曜日)

寝冷えしたらしい。
鼻の奥がぐずぐずしていて、少し熱っぽい。
これから始まる季節は、ぼくにとってホントに鬼門なんだ。
寝ている間にうわものをひっぺがしてしまい、そのまま風邪をひくというパターンがまるで夏の風物詩のように定着している。子供の頃から。
タオルケットや薄手の夏物毛布なんかでもダメ。起きたときにはいつも足元で丸まっているんだ。
もちろんそんなことをした憶えはない。いつどのような状況で体からはぎとられたのか、まったく記憶にない。眠っている間に誰かがはがしたのかと思うくらいだ。
でも当然のことだが、そんなことあるわけがない。あったら怖い。

自分でもいろいろ対策はとっているんだけどな。うわものがはぎとられたあと体が冷えないように、夏でも長袖&スエットの下で寝てみたり。
でも、これは逆効果になるんだ。
より「暑い」と感じるせいだろう、睡眠中にうわものをはぎとる確率が大幅に高くなる。
それどころか寝ている間に着てるモノを脱ぎすてていたことさえある。
逆に、上半身裸にパンツ一丁で寝てみたことがあるが、翌朝カンゼンに風邪を引く結果に終わっただけだった。

とりあえず今回の寝冷えは、おおごとに発展させるわけにはいかない。
このまま本格的に風邪を引いたりするとまずいんだ。
月曜には初めて行く会社で打ち合わせがある。不健康そうな顔して初対面の人に会いたくはない。
熱っぽい顔でけほけほと咳き込んでいる人間となど、誰も仕事したくないだろう。新型インフルエンザだって絶滅したわけじゃないし、きっと警戒される。ウイルスを持ちこませてなるものかと出入り禁止にされ、仕事もぽしゃってしまうかもしれない。
それは困る。
この週末でしっかり治しておかないと。

ぼくは夏が大嫌いだ。
上でくどくど書いた寝冷えの件も含めて、夏という季節には百害あって一利なし。
熱さで仕事も生活も能率が上がらなくなるし、それならと昼寝しようとしても暑いから寝苦しいし、エアコンをつければ電気代もかかるしCO2も増えるし、蚊が飛んできて勝手に血を吸うし、入浴してもすぐに汗をかくから体がまた汚れるし、背中に汗疹ができるし、だらだら汗をかきまくるせいで洗濯物もかさむし、刺身やなまものが腐りやすくなるし、街に出れば夏休みで暇そうなドンキ族(造語。某有名ディスカウントショップでよく見かけるタイプの若者の総称。派手かつだらしない服装、
薄汚い茶髪、女子の場合は下品なメイクなどが特徴)が大量発生しているし・・・と、本当にろくなことがない。
思い切って夏を廃止してもらいたい。必要ない、っていうか、むしろ邪魔だろう、夏という季節は大多数の国民にとって。
四季が絶対に必要になるのは農家と観光地くらいじゃないか。
少なくとも首都圏の人間にはいらないと思う。一年中、春っぽいか秋っぽいほうがあらゆる面で都合がよくなるはずだ。
これだけ科学が発達しているのに、気候をコントロールするくらいのことがどうしてできないのか?
軌道上に宇宙ステーションを浮かべるより、よっぽど簡単なことのような気がするんだが。
事業仕訳のついでに、そっち方面の研究に予算を回すことを検討してほしかった。

それにしても、子供の頃はどうしてこの忌まわしい季節が大好きだったんだろう?
・・・夏休みがあったからか。

そんな呪われた季節の訪れとともに、ワールドカップが開幕した。
サッカーは大好きなので、4年に一度のこの祭典は本当にわくわくさせてもらえる、いや、もらえていた。前回までは。
ところが今回だけは、どうも気持ちが盛り上がってこない。
理由はいたって簡単で、要するに「期待できない我が代表チーム」のせいです。おわり。

でも、ちょっと不思議だ。
Jリーグが出来る前、日本がワールドカップに出場するなんてありえない時代でもワールドカップは楽しみだったし、世界の名選手の活躍に胸を躍らせていたんだけどなあ。
そう、日本代表が出場していようがいまいが、そんなことに関係なくワールドカップは面白いはずなのに、なんで今回に限って気分がさがったままなんだろう。
なまじっか「そこにいる」からいけないのかな、日本が。
出場していれば、そりゃあ応援したくなるもんな。期待がもてないといいつつ、それでも「一勝くらいしてくれないかな、いや、大番狂わせで予選リーグ突破してくれるかも・・・」などと心のどこかで思ってしまうものな。
まあ、そのあとすぐに「ないない、ありえない。期待するとガッカリ感が大きくなるぞ」と自分でつっこむわけだが。

それじゃあ、いっそ日本が出場しなければ楽しめるのか?・・・といわれると、それもちょっと違う。
ワールドカップ出場が夢のまた夢だった時代ならともかく、一度ならずそれを経験してしまった今となっては、それじゃあ物足りないのだ。
4年に一度の祭典が始まれば、やはり日本代表もそこにいてほしいと思ってしまう。
出場してもダメ、出場しなければそれはそれでダメ。
悩ましい・・・。
このジレンマを解消するには、日本にもっともっと強くなってもらうしかなさそう。
優勝とかベスト4とか、そんな無茶はいわんので、せめて毎回予選リーグを突破してくれるくらいの実力になってくれれば、ワールドカップを心の底から楽しめるようになるんだけどなあ。

とりあえず月曜の第1戦、くれぐれも期待したりしないように注意しつつ、楽しみにしています。
その日は打ち合わせもあるし、本格的に風邪をひかないように気をつけないと。
寝冷えをせずに済む良い方法とか、ご存じのかたがおられたら是非教えてくださいませ。

沢村光彦でした。



2010年6月12日(土曜日)


体調、よくないです。むしろ昨日より悪化しました。
起床したとき、明らかに具合が悪かった。熱も少しあるみたい。
風邪ひいたなあ、やばいなあ。
読まなきゃいけない資料もあるのに、活字を読んでいても頭に入ってこないよ。
こんなときはもう仕方ないと、いっそ眠ってしまったほうがいいのかもしれないけど、そこまで踏ん切りがつかないところが、ぼくの小心なところなのだ。
というわけで、だましだましやり過ごしながら、薬なんぞ飲む一日であった。
おしまい――

というわけにもいくまい。
とりあえず土曜のことを書いておこう。

体調を整えようと思ったら、薬やビタミン剤を摂取しつつ、なるべく精がつくものを食べるしかない。
夕飯には買ってきた宇都宮餃子を食す。
ニンニクがめっちゃ効いてて、なんとなく元気になれるような気がする。
翌日が日曜でよかった。一日うしろにずれていたら、ニンニク臭い息を巻きちらしながら打ち合わせに行かなきゃならないところだった。

昨日の日記にも書いたように、月曜は初対面のひとにも会うのだ。
その人の頭に、沢村光彦=息が臭い人・・・などとマイナスにしかならない情報がインプットされてしまうじゃないか。
そんなのは御免だ。
ただ、今回のニンニクはかなりきつそうだから、中一日おいても安心はできないかもしれない。
歯磨きだけでは太刀打ちできそうもないし、念のため打ち合わせ当日の朝にブレスケアを飲んでおいたほうがいいかも。
フリスクも持っていこうっと。

夜にはだいぶ体も元気を取り戻してくれた。
寝転がって資料を読みながら、ワールドカップをTV観戦する。
韓国、つえー。
ギリシャに完勝するとは思わなかった。
2−0のスコア以上に、両チームの間には差があったね。
試合をコントロールしていたのは明らかに韓国のほうだもんね。
スピードでもスタミナでも圧倒してたもんなあ。

東アジア選手権や直前の親善試合で日本は韓国に惨敗したわけだけど、ギリシャ戦をみると、それも当然だったと思えるわ。
あのときは「日本が弱い!」と感じていたけれど、ていうより韓国が強かったんだね。
いつのまには韓国は日本の遥か上のレベルに到達していたわけか。
宿敵とか永遠のライバルとかいってたら、鼻で嗤われそうだ。
今の韓国なら、ブラジルやスペインを相手にしてもかなりいい勝負をしそう。
少なくとも、ナイジェリアには負けないだろう。
グループBからトーナメントに進出する2チームは、アルゼンチンと韓国で決まりみたいな気がする。

ここで心配なのは日本代表のことだ。
韓国の見事な試合っぷりをみて、「我々にもやれる!」なんて根拠のない自信を持ったりしやしないだろうか。特に岡田監督が。
かの国と日本との共通項は、もはや同じ東アジアの国ということくらいしかないぞ。
やってるサッカーの質も選手のクオリティも段違いなのだから、参考には全然ならないと思うぞ。
頼むからおかしな自信(=過信)なんぞ持たないよう、くれぐれも謙虚な気持ちで本番に臨んでください。
なんだかんだいって、どうしても応援しちまうんだから、こちとらは。

このリレー日記では毎日、何かテーマっていうか題材っていうか、その辺を決めて書いてきたつもりだった。
ひと通り読んだら、ぼくのひととなりがある程度は思い浮かべられるような、そんな日記にしようと思ったから。
でも、今日土曜日の日記は・・・どう考えてもそうならなかったなあ。
残された日はあと一日、日曜日分だけ。
最後をぴしっと締めるためにも、明日は気合いを入れて書かねばいかん。
そのためにも体調を完璧に戻すべく、このあとまた少し眠るです。
日曜の日記は、出かける前の月曜午前中か、または帰宅後の夜にアップします。

おやすみなさい。

沢村光彦でした。



2010年6月13日(日曜日)

現在6月14日月曜日の夜です。
申し訳ありません! 13日(日)分の日記をいま書いています。
体調不良のせいもあって日曜は夕方から眠ってしまい、今日(月曜)の昼前までぐっすりだったのだ。
そして今日は午後から打ち合わせに出なければならなかったので結局、昨日の日記をいま書くことになったという、そんな事情です。

この日記、初日からほぼ自分語りの雑文に終始してきたので、最後くらいはフツーに日記っぽいことを書こう思う。
思うのだけど・・・上記のようなわけで昨日はその「書くべきこと」が何もない。
まだ体調が悪かったので月曜に備えて夕方から眠りました、おしまい――というわけにはいかない。絶対にいかない。
なので苦肉の策として今日、リアルな今日、すなわち月曜日の出来事を記してリレー日記の最終回とさせていただきます。

ということで、14日の沢村光彦。

午前11時、起床。
ゆっくり眠ったせいか、昨日までとは比べ物にならないほど体が軽い。
すっきりといってよい目覚めだった。
頭の奥に巣食っていたぼんやり感もとれている。
これならもう大丈夫だ、と安心する。
本格的な風邪をひく直前で、どうやら踏みとどまれたらしい。
家にあったパンを1個、コーヒーと一緒に腹に入れて朝食代わりにした。
本当なら、こんなときこそきちんと朝ごはんを食べるべきなのだろうけど、起きてすぐはどうしてもそんな気になれない。
体調にかかわらずいつでもそうだ。
目はさめていても、胃のほうがまだ覚醒していないのだろう。
自然に食欲が湧いてくるまでぼんやりしているわけにもいかず、準備をして家を出ることにした。

雨が降っている。
気温は低いのに、歩いているとじとじとと蒸し暑さをおぼえる。
関東地方が今日から梅雨入りした、との情報をあとで知る。
先日も書いたように、ぼくは夏が大嫌いだが、湿っぽい梅雨はもっと嫌いだ。
だからこの先、3か月くらいはなので、憂鬱で最低な季節を過ごさねばならない。
考えるだけで嫌な気分になる。
高温多湿という四字熟語を書くだけでもげんなりしてくる。
東南アジアには絶対に住めないんだろうなあ、ぼくは。

14時、千代田線の赤坂駅近くで知り合いのプロデューサーと落ち合い、某BS局(こう書いたらそこがどこだか誰にでもわかるな)での打ち合わせに向かう。
ドラマや映画のお仕事ではない。
というよりフィクション系ではない。
ドキュメンタリーの打ち合わせ。
昔、VPをやっていた頃はその手のものに近い仕事もずいぶんやっていたけれど、ここ数年はすっかりご無沙汰だ。
実際に起きた(起きている)事実を伝えるという、ある意味、つくりてとしての「原点」にたちかえるいい機会だと思っている。
打ち合わせしながら若干、浦島太郎的な気分になったが、それもすぐに慣れるはずだ。
初回打ち合わせなので顔合わせっぽく短時間で終わるかな・・・とふんでいたのだが、かなり具体的な内容について話すことになり、終わってみたら2時間半近く経っていた。
今後のスケジュールも思っていたより余裕がない。全然ない。
次回打ち合わせは来週の月曜日。
宿題もある。気合いを入れてとりかかろう。

17時過ぎ、自宅の最寄り駅まで帰りつく。空腹をおぼえる。
外で何か食べようかなとも思ったけれど、時間が中途半端なので我慢。
夕食までのつなぎにしようと、ケンタッキーのチキンフィレサンドとポテトだけ買う。
雨はまだしとしと降り続けている。
風のせいで、まるで霧のように雨粒が舞い、全身にまとわりつく。
こういう雨が一番困る。傘をさしても役に立たない。
帰宅したときには、上着からジーパンまで水をかぶったように湿っていた。
これではせっかく回復した体調が、またやばいことになってしまう。
腹が減っていたが、何よりも先にまずシャワーを浴びた。
湿気のせいでかいた嫌な汗と、雨水と、若干の疲れが一気に洗い流されていく。

シャワーのあと、沸かしたコーヒーとともにフィレサンドとポテトを腹に入れる。
考えてみると、朝と同じようなことをしているな。
その後、こうしてパソコンに向かって最後の日記をしたためている。
――以上が19時30分現在の「沢村光彦・今日のすべて」ということになる。

これを書いてアップし終わったら、あとはもう今夜の日本vsカメルーン戦まで何も用事はない(はず)。
キックオフまであと約3時間半。
くれぐれも過度な期待だけはするなよ、と自分にいいきかせながら試合開始を待つことにしよう。

・・・うん、とっても日記っぽくなった気がする。
最後くらいフツーの日記を書いておきたかったので、なんだか達成感めいたものをおぼえる。はははは、なにを大袈裟な。
それにしても、「日記を書く」なんていったいいつ以来のことだったろう。
中学生くらい? 高校生? いずれにしても遠い昔だ。
簡単そうにみえて、なかなか難しいものだなあ・・・と痛感した、自分について何か書くということは。
リレー日記を依頼されなかったら、こんな機会はこの先もずうっとなかっただろうなあ。
いい経験をさせてもらいました。
事務局と担当者さんに、改めて感謝します。
これを機に、自分でも日記を始めたりしてみようかしらん。
でも死んだあと、誰かに発見されたら恥ずかしいかもしれないから、やっぱりやめようか。
・・・う〜ん、じっくり検討しよう。

ぼくのしょうもない文章に1週間もおつきあいいただき、ありがとうございました。
この次はぜひ直接お会いして、皆さまといろいろお話などできたら嬉しいです。
何かのおりにお会いしたなら、お声をかけてやってくださいませ。
今後とも何卒宜しくお願いいたします。

沢村光彦でした。


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