シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
   大川俊道 (シナリオ作家・映画監督)

■実写
「太陽にほえろ!」「ジャングル」「あぶない刑事」「刑事貴族」
「夏服の天使たち」「ワニ女の逆襲」「キャンディ」
「ポッキー四姉妹物語」「セーラー服反逆同盟」
「ころがし涼太」「太陽の傷」他
■アニメ
「こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE」
「こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE2
UFO襲来!トルネード大作戦!」
「サムライガン」「ルパン三世」「ゴルゴ13」
「甲虫王者ムシキング」「リリーフランキーのおでんくん」他
■監督作品
「NOBODY」「ダブル・デセプション/共犯者」
「サニー・ゲッツ・ブルー〜追撃のキーウェスト」
「スロッピィ・ジョウ&ハートブレイク・カンパニー」他


                            


2009年6月15日(月曜日)

今日からダイエットを始めました。
去年もバナナダイエットというのにトライして、
バナナを好きなだけ食べてもいいというダイエットでしたが、
バナナを食べた分だけ太ってしまいました。

笑うと、ハリセンボンの春奈ちゃんに似てると、
妻に言われたので、マイケル・ムーア監督には似てませんが、
たしかに、春奈には似てるかも知れない。

そういうわけで、仕事部屋のある下北沢まで、
いつもは自転車で行くのですが、今日は30分かけて歩きました。
仕事部屋に行ってもほとんど仕事をしてることはなく、
本当に忙しいときは、自宅にこもってるのですが、
今日はDVDで、フランコ・ネロの「ガンマン大連合」を見ました。
昔の「ルパン三世」とかは、「黄金の七人」の影響があると言われてますが、
この「ガンマン大連合」の影響もかなり受けてますね。
私はこれを中学のときに劇場で観たのですが、
水戸では「フレンチ・コネクション」と二本立てでした。
「フレンチ・コネクション」は、大人になってから観直したら、
めちゃくちゃ格好いい映画でしたが、
中学生のときは、どうしてこの映画がアカデミー賞をとったのかわかりませんでしたね。

だって最後には犯人に逃げられちゃうわけだし、
「ダーティハリー」のほうが、スカッとして面白いのになぁと思った覚えがあります。

「ガンマン大連合」のラストシーンは胸がたかまりました。モリコーネの曲も最高だったし、トーマス・ミリアンの笑顔は、次元大介にそっくりでした。大きなスクリーンでもう一度見てみたい映画ですね。
一緒に買った「群盗、荒野を裂く」というのもマカロニ・ウエスタンの傑作です。
まだ見てない若い人がいたら、お勧めします。

そういうわけで、帰りもダイエットのために歩いて帰ろうとしたら、
友人から電話があって、ボウリングに行ってしまったので、
結局、タクシーで帰って来てしまいました。



2009年6月16日(火曜日)

今日はアニメの打ち合わせがあって、
行きのタクシーに黒いキャップを忘れてしまい、
それは去年、カプリ島で買った幸せを呼ぶキャップだったので、
今日は何かイヤな予感がしたのですが‥‥。

プロデューサーからのダメ出しがきびしくて、
それはもう「白夜行」の武田鉄矢のように恐い顔をしてました。
私はビクともしませんでしたが、それは精神的に強くなったからではなく、
パンチを浴びすぎて、パンチドランカーになってしまったからのようで‥‥。

結局、打ち合わせが七時までかかってしまったので、五時に新宿で約束していた
ビデオ会社のプロデューサーとの打ち合わせは、二時間半の遅刻となってしまいました。

待たされたプロデューサーと監督は、それはもう怒っていて、
「刑事一代・平塚八兵衛」の渡辺謙と高橋克実のような恐い顔をしてました。
こんなひどい遅刻は初めてで、みなさんに申し訳なく思い、それなりに反省もしていますが、何かのせいにしないと気がすまない私は、それもこれも、幸せを呼ぶキャップを忘れたからだと思っています。
ちなみに、すぐにタクシー会社に電話したので、宅急便で送ってもらえることになりました。



2009年6月17日(水曜日)

昼過ぎにプールに行った。
ダイエットを始めたので、3キロぐらい泳ごうと思ったが、
100メートルでバテテしまい、ジャグジーで休んでいたら、
見られたくない知り合いに、見られた。
「まるでサルが温泉につかってるみたいだったぜ」
そいつは友人ではなく、ただの知り合いで、ジムではリラックスしたいので、
そいつが来そうもないときに行ってたのですが、今日は運が悪かった。
そいつに誘われるまま、ボディメイク・ストレッチというクラスに出た。
おばさん20人、おじさん2人、かなり恥ずかしかった。

それから下北に行って、青春映画の参考にDVDを観ました。
「さらば青春の光」というイギリス映画で、
学生の頃、スティングが出てるという理由だけで観たのですが、
私が一時期、ベスパに乗っていたのは、松田優作でも、グレゴリー・ペックでもなく、
この映画の影響でした。
ラストシーン、主人公のジミーがベスパで、ドーバー海峡に突っ込んで
自殺するシーンが衝撃的で、とても後味が悪かったのを覚えていて‥‥。
ところが、DVDのメイキングを見ると、監督も出演者もみんな、
「あれは自殺じゃない」「ジミーは生きている」と言ってるので、驚いた。
たしかにラストシーンで岩に叩きつけられるのはベスパだけだが、それは
象徴的に描いただけだろうと思っていたら、そうじゃなかったらしい。
オープニングで、主人公が夕陽を背に歩いてくるワンショットがあって、よく見ると、
髪が濡れている。あのオープニングはラストシーンの続きというわけだ。
たいていの観客はわからない気がするが、そういうトリッキーな構成が、今さらながら
新鮮に感じたのと同時に、学生時代に死んだと思っていた友人が、三十年後、
実は生きていたと知ったような、妙な感動がありました。
いろいろ思い出して来たので、さらに書きますが、
五年くらい前、この映画のロケ場所を探して、ロンドンをうろうろして、迷子になったことがありました。その日、IRAの残党が地下鉄に爆弾を仕掛けたという騒ぎがあって‥‥

この話は長くなるので、あとはブログで読んでください。
私は音楽には疎いけど、スティングは好きで、コンサートは何回か行ったし、
ザ・ポリスの復活コンサートにも行きました。
とくに「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」という曲が好きで
マルサリスのソプラノ・サックスを真似たいと思って、
去年、アルト・サックスを習いに行きましたが、すぐに挫折して‥‥、
この話も書いてると長くなるので、続きは私のブログを読んで‥‥すいません、ブログなど書いていませんでした。
飲みながら書いていたら、だんだんわけがわからなくなってきたので、この辺でやめます。
おやすみなさい。



2009年6月18日(木曜日)


木曜日は、スカッシュ。
毎週、プライベート・レッスンを受けているのですが、
「プライベート・レッスン」という響きは、何かその、私の世代だと、
シルビア・クリステル主演の映画のようで、ちょっとイヤらしい感じで、
そういえば、スカッシュというスポーツを知ったのも、「エマニエル夫人」だった気が
しますが‥‥、あの頃に比べると、今のラケットはもっと大きくて機能的だし、今ではコートの中で、 裸になったり、抱き合ったりすることは、ルールで禁じられています。
(もしかすると、当時も禁じられてたかも知れませんが‥‥)。
とにかく、去年の春から一年くらいやってるが、なかなか上手くならない。
スカッシュの「スカッ」という響きが、何かスカッとしそうで、ストレスを発散するには
いいような気がしたけど、ボールは思ったより弾まず、すぐに息切れがして、
最初は死ぬかと思った。たしかに、ゲームは楽しいけどね。
もともとロンドンの刑務所で、囚人が壁にボールをぶつけて遊んだことから生まれた
スポーツだそうで、囚人のスポーツという暗さが、私には向いてるのかも。
まだまだマイナーなスポーツなので、教えてくれるコーチの方々も、
世界選手権に出るような現役の選手の方々で、私としては、なんとかメジャーなスポーツになってほしいのですが、メジャーになるには、アイドル選手が出てくるとか、スカッシュを題材にした映画、 たとえば、「スカッシュ温泉」とか、「おっぱいスカッシュ」とか‥‥、どうでもいいけど、「おっぱいスカッシュ」とか書いた時点で、我ながら、その安直なパクリと貧困な発想に呆れましたね。もう書いちゃったから直さないけど、悔しいから何か斬新なすばらしい企画のひとつも書いておきたいけれど‥‥、
今、テレビで「ゴースト〜天国からのささやき〜」が始まってしまったので、
これで終わりにします。失礼しました。



2009年6月19日(金曜日)

明後日は、父の日。
私には子供はいませんが、両親は健在で、父の日の買い物に、
新宿に出ました。
入院している妻の父は、村上春樹の『1Q84』を読みたいとのことで、
地方の本屋では売り切れのようなので、紀伊国屋で買いました。
義父はもう83歳になるのですが、村上春樹の新作が読みたいというのは、
もう敬服するしかありません。

紀伊国屋裏のニュートップスで、脚本の直しをしていたら、
期待してなかった映画の企画が通りそうだと、Pからメールが来て、
ちょっと浮かれてしまい、気がついたら、友人とダーツバーにいました。
週末のダーツバーは、若いサラリーマンがいっぱいで、
私のような男には不似合いで、決して居心地のいい場所ではありませんでしたが、
数少ない友人の一人と、久しぶりに、楽しい夜を過ごしました。

深夜、一時頃。
自宅に戻ってから、携帯に先輩の柏原寛司さんから着信があったことに気づき、
あわてて電話したら、私たちが世話になったベテラン映画監督の訃報でした。
ちょっと浮かれていたのと、酒が入っていたので、電話を切ったあと、
今でもそうですが、夢でも見たのか、私の頭がおかしくなってしまったのか、
事実かどうか、わからなくなってしまい‥‥、
事実を確認してないのに書いてるのも、どうかと思いますが‥‥、
アクション映画の巨匠であるその監督は、
「グラン・トリノ」のイーストウッドのように、頑固そうで、
ホテルに十日ぐらい一緒に泊まったときは、それはもう地獄のような日々でした。
私は学生時代から監督の映画のファンでしたが、
私の脚本は気に入ってもらえず、脚本家としての姿勢も否定され、
結局、嫌われたままだったような気がします。
今日、偶然にも新宿のTSUTAYAの地下で、
ワゴンセールになっていた『流血の抗争』のDVDを手にして、
パッケージの裏にある宍戸錠と藤竜也のラストシーンの写真を眺め、
私の監督作品にも、明らかにこの映画の影響を受けたシーンがあったことを
思い出しました。
ついさっきの電話が夢だったとしたら、これを書いたことも夢であってほしい。
あのグラン・トリノは怒るかも知れないけど、
私もそんな夢を見る年齢になってしまったということで、かんべんしてほしい。



2009年6月20日(土曜日)


私の仕事部屋は、
下北沢の本多劇場の近くにあって、
小さな芝居小屋が、周りに、三つ四つあるので、
よく芝居帰りの友人が立ち寄ってくれることがありますが、
今日は、学生時代の友人が来て、
彼とは、池袋の文芸座でオールナイトのアルバイトをやった仲で、
当時は文芸座の周辺には、ニューハーフの方々がたむろしていて、
文芸座はたびたび、彼女たちから襲撃を受けていたのですが、
土曜の夜は、我々、バイトの学生が命がけで、文芸座の治安を守り抜いて、
ちょうど、「リオ・ブラボー」とか「要塞警察」のような感じで、
私が人生でいちばん男らしく輝いていた時期でもありました。
朝日が昇る頃には、血と汗にまみれた我々バイト学生は、
一晩、文芸座を守り抜いたという達成感と連帯感で、堅く手を握り合い、
給料袋を持って現れた鈴木昭栄支配人は、
「今夜も君たちのおかげで、文芸座は無事だった」と、涙ながらに‥‥、
すいません。この話はけっこう面白いのですが、ちょっと長くなって、
書くのに一時間くらいかかりそうなので、これで終わりにしますが‥‥、
その友人に、私が火曜か水曜にこの日記に書いた「さらば青春の光」の
ジミーは生きていたという話をしてやったら、
「そんなのオレは劇場で見たときから、わかってた」と、ほざきやがったので、
思わず飛びゲリを食らわしてやりたくなりましたが、そいつはさらに、
「イージーライダーのピーター・フォンダだって、死ンじゃいないンだぜ」と豪語したのですが、たしかに、「イージーライダー」のラストシーンは、ハーレーが吹っ飛ぶショットだけで、ピーター・フォンダが撃たれたショットはなかった。デニス・ホッパーだって、撃たれはしたが、確実に死んではいない。
もしかすると、ラストシーンはオープニングにつながっていたのかも知れない。
「キャプテン・アメリカは生きていたのか」
これが本当だとしたら、我々、アメリカン・ニューシネマで育った世代には、ある意味、ショッキングな事実だ。もう人生観も変わってしまうかも知れない。

私と友人は、すぐさまDVDで検証しました。
ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソン、すごい顔ぶれだ。

「やつらはオレたちの自由が恐いンだ」というセリフも健在でした。
ただ、学生時代には、兄貴のように思えた登場人物たちが、あまりに若く見えて、
我々とはあまりに遠い存在になっていたのも事実でした。ようするに、我々が、
とりかえしのつかないほど年をとってしまったということなのですが‥‥。
はたして、キャプテン・アメリカは生きていたのか。
そんなことはもうどうでもいいような気がしますが、もし、私たちのように気になる人が
いたら、自分の目で確かめてみてください。



2009年6月21日(日曜日)

今日は雨だったので、
一日、自宅にいました。
雨じゃなくても、街は人でいっぱいだし、下北も騒がしいので、
たいてい日曜は、自宅にいます。

あくまでも個人的な意見ですが、
脚本家の生活に必要なのは、
「退屈な日常と、ほんのちょっとした刺激」ではないでしょうか。
昼過ぎに起きて、駅の売店で、東スポと日刊ゲンダイを買って、
近くの喫茶店で、コーヒーを飲みながら、妄想にふける。
仕事部屋では、チェット・ベイカーとか流して、孤独にひたる。
携帯は鳴らないようにして、たいていはメールアドレスしか教えない。
私の場合、これが基本で、
まあ、たまには、グアムで射撃したり、マカオで博打をしたり、
ミニスカポリスと温泉に行ったりするのもいいけど‥‥。
(あくまでも、たとえ話で、私のことではありませんが‥‥)。
こういう退屈な日々が続けば、いい仕事が出来るわけで、
楽しくて、刺激的な毎日とかは、脚本家にとってはマイナスで、
私のようにほとんど人望がなく、友人が少ないほうが有利で、
それでなくても、今は情報過多で、いかに情報をシャットアウトするか
ということが、重要な気がします。
村上龍が、「無趣味のすすめ」という本で、
「基本的に、趣味は老人のものだ」と書いてますが、私も同感で、
少なくとも若い方々は、趣味など持たずに、仕事に没頭すべきだと‥‥。
じゃあ、おまえは若い頃、どうだったンだと聞かれたら、
私の場合、言ってることと、やってることは、昔からギャップがあって、
それは私の「個性」ということで、かんべんしていただきたい。

知らない人の日記を読んでも面白くもなんともないような気がして、
ブログを書いたり、こうやって赤の他人に読ませるための日記を書いたりするなんて、ヘンタイというか、悪趣味というか、バカなんじゃないかと‥‥、
(すいません、今のはウソです。ときどき、私の心の中にいる悪魔が、こういった暴言を吐かせるのですが、まったく心にはないことで、本当にすいません)。
この日記は、作家協会事務局の久松智子さんと、お姉チャンバラのチケットをくれた
村川チャンバラに依頼されて、書きました。
初日に、「無事、届きました」というメールを久松さんから頂きましたが、
あとはまるで、返事のないメールを打ち続けているような日々で、ちゃんと載ってるのかちょっと不安でしたが、ついさっき、これが一般の人でも見ることが出来るという事実を知り、根が小心者の私は、とても恥ずかしく、後悔しております。
それから、過去の先輩の日記をちょこっと拝読し、
柏原寛司先輩が、シナリオ作家協会の会長であることも知りました。
これからは、社長じゃなくて、会長と呼びますね。私のことは「オーシャン」と呼んでください。


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