シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
   室田憲昭 (シナリオ作家・映画監督)

1962年10月8日生まれ
4歳の頃より、俳優として芸能界デビュー。
数多くの映画、テレビドラマ、舞台に出演し、
18歳より俳優の故・室田日出男氏に師事。
21歳になり、室田氏の薦めにより、
脚本家の故・笠原和夫氏より脚本家としてのいろはを教わる。

代表作は、映画「宇宙の法則」、「青剣紅刀」、「光る」
現在、監督としても、日本はもとより海外でも活躍中。


                            


2008年11月24日(月曜日)

親友の治ちゃん(森川治君)の後を受けて、不肖・室田憲昭が今週のリレー日記を書かせて頂く事になりました。あらかじめ言わせてもろときますけど、オイラ、しょうもない事しか書けないし、読んで頂いた方々のプラスになるような話は、殆どあらへんと思うとって下さいまし。これは謙遜とちゃうよ。事実、担当の久松さんからお話頂いた時も、先日、治ちゃんに会うた時にも、「何でオイラやの?加藤先輩からはじまり、治ちゃんに至るまで、作協に貢献されとる人たちばかりやのに、何の役にも立ってないオイラが・・・?ホンマ、ええのん?責任持てんよ。何も期待せんといてちょうだいな」と、イモ引きまくりであったわけで・・・それにやね、治ちゃんがオイラの事、過大評価し過ぎて書きまくってくれたから、めっちゃプレッシャー掛かっとんのよ。オイラ、弱いねん。プレッシャーとゴキブリさんには。

などと下らない枕は(枕やったんかい!お前は噺家か!?と突っ込まんでな)しまいにして、今日は、昨日いきなりオイラを訪ねてきたプロの脚本家を夢見る大学生S君との話を書いてみようかと・・・・・・・

大学生S君が、誰に聞いたかオイラの自宅に突然やってきたのは、忘れもしない午前九時十二分。オイラはS君と一度も会うた事も話したこともなく、つまり、S君の存在すらその時まで知らへんかったわけで・・・お庭の草むしり(時間があれば、しょっちゅうしとりますねんオイラ。それが趣味やから)しとるオイラを見るなり、いきなりハイテンションで、いきなりやで君。手にしたコクヨのキャンパスノート二冊オイラに押し付けて、「脚本家の室田先生ですよね?僕、脚本書いてみたんです。自分で言うのも何ですが、面白いと思うんです。読んで意見下さい!!」。誰やねん君。幸い、君が声掛けたおっさんが室田やったからええようなもんやけど、もし、西岡琢也か荒井晴彦やったらどないすんねん。素性も明かさんと、いきなりそんな事言うたら塩茹でにされんで。しかし、オイラもオイラで、つい受け取ってしもうたとはいえ、S君に自己紹介を求めるでもなく、「へえ〜、やるやん君」とわけの判らん事言いながら、ついノートを捲ってしもうたわけで・・・そこには、ちっちゃい字でギュウギュウに文字が書き込まれとりましたわ。ハッキリ言うて、“脚本”ではなく、かといって小説でもなく、思いついた言葉や文章を何とか一つにまとめようとした新しい形であったわけで・・・話の内容も、自殺したおっさんが、蘇り過去へタイムスリップして、自殺しようとする自分に復讐しようとして失敗して二度死ぬという頭ピヨピヨの独りよがりのシュールなもので・・・しかし、オイラを見るS君の表情は、ジョン・ウーの映画に出てくる男達のように怖いほど暑っ苦しく真剣で、その眼差しは、下手な事を言った日にゃ食べられそうであり、仕方なくオイラはS君を手招き隣りに座らせた(家に上げてやれよってか?そら、無理でっせ大将。誰や判らん人やもん)。

オイラ 「君、学生さん?」
S 君 「ハイ。M冶大学文学部四年です。名前はSと言います(死ぬほど熱い口調
     で)卒業したらプロの脚本家になると決めたんです!」

と、言いながら、S君は懐から学生証を取り出し、オイラに見せてくれ、漸く彼の素性が明らかになったわけですわ。せやけど、まだ重大な疑問は残されとり、オイラは尋ねた。

オイラ 「君、M冶大学かいな。オイラの後輩やね。オイラは中退したけど(苦笑)
     ・・・で、何でオイラのとこへ?っちゅうか、何処で住所調べたん?君」
S 君 「どうでもいいじゃありませんか。そんな事!とにかく僕は、室田先生に
     それを読んでご意見頂きたくお邪魔したんです。それが全てです!」

どうでもいい事か?それが全ててな君・・・と、心の中でぼやきつつもオイラは笑顔で頷いてみたりして、ガツンと言うてやりましたよ。ガツンと!徐々に。

オイラ 「脚本書く勉強、独学でしとんの?」
S 君 「ハイ!僕は僕の、オリジナルスタイルを確立したいんです。だめですか?」
オイラ 「だめやないよ。ええんちゃう?せやけどね、どんなスタイルでもええけど、
     素材になっとらなアカンよ。脚本っちゅうのはね、“書きました。読んで
     下さい。面ろいでしょ?”だけではアカンねん。それが映画かテレビか
     知らんけどな、それを作品として成立させる為に料理してくれる大勢の
     スタッフがおんのよ。脚本っちゅうのは、その唯一の素材やねん。料理の
     メニュー見てみ。“サボテンの南蛮漬け”とか、ちゃんと素材が書いてある
     やろ?素材がハッキリしとらへんかったら、人様に、こんな作品に
     なりました。どうぞ観て下さいましと言われへんやろ?」
S 君 「(ムッとしてオイラを見て)よく判りませんけど、つまり、僕が書いたそれは
     使い物にならないと言う事ですか!?」
オイラ 「知らんがなそんな事、僕はプロデューサーちゃうし。せやけど、これだけは
     言える。内容どうこう以前に、もっと、大事に言葉を書けよ。何処までが
     ト書きで、何処からが台詞か判らんような乱暴な書き方すな!プロになる
     つもりやったら、自分の書く言葉をとことん愛したれや!!」

しっぶ〜!我ながらかっこええやん。もっとも、これはオイラに脚本家としての心得を教えて下さった笠原先生や深作監督、そして、“オヤジ”と呼ばせて頂いた室田日出男さんらが、生前、オイラに言い続けた言葉の受け売りなんやけどね、ついにオイラも言う日が来た! と、悦に入りかけた時、S君は僕の手からノートを奪い取り、挨拶もせずにプンプンしながら去っていったのである。オイラは、ただ呆然とS君を見送るしかなく、“ああ、もしオイラが西岡先輩か荒井先輩だったら、こんな時どないしたやろ?”と、思いつつ。

と、初日から、長々と書いてしまいすんませんでした。明日からは、サクッと終わらせます。ここまで読んで下さった心優しき奇特な方々に、投げキッスをしつつまた明日。



2008年11月25日(火曜日)

今日は朝から雨やねえ(これ書いとるのが、11月24日です)。ちゅうか、夕べから降り出しとるわけやけど、寒いし、憂鬱になるし、溜まりまくっとる仕事は全然減らないし(仕事せえよ室田!)、せやから、日課のお散歩にも行けないし・・・あ〜、どないしても雨は好きになれへん。などとポヨヨ〜ンとしつつ、先日、完成した五年ぶりのオイラ監督作品(脚本は森川の治ちゃんと二人で書きました)映画『光る』のチラシの裏面に乗せるあらすじと、出品する海外の映画祭用のプレスシート用の原稿の締め切りが真横まできてしまったんで、正味の話、ぼちぼち書かなやばい。で、書こうと気合いを入れたが、入れただけで、仕事机に常備されている沙堂やん(沙堂やん=オイラが尊敬する故・山中貞雄監督が脚本を書くときのペンネームよ)の映画人としての生き様を書いた本をまた捲り、小一時間過ぎた頃には、突然、見たくなった『ションベンライダー』(監督は、故・相米慎二。脚本は、我らが西岡琢也先輩)のDVDを引っ張り出してきて夜が更けるまで何度も観るに至った。つまり、今日も仕事せえへんかったっちゅう事ですわ。ハハハハ・・・て、笑うてる場合か。せやけど、一日雨のお陰で、リフレッシュ&お勉強出来て、久々に充実してるやんと思える一日でしたわ。
実は、『光る』っちゅう映画、随分と『ションベンライダー』の時の相米さんの撮り方(演出方法)を意識したし、ホンの方も、『ションベンライダー』や『ガキ帝国』の西岡琢也先輩の書き方(台詞のテンポとリアリズム)を参考にさしてもろうたんですね、これが。予算も時間もないないづくしやったから、撮影前に何とか初稿と準備稿をあげて、治ちゃん(森川治君)に本読みの日から、クランクアップまでの8日の間、付きっ切りで直してもらいつつ、それを決定稿にして撮ったわけやけど、自分も俳優として出演させてもろうた井筒和幸監督の『ガキ帝国』の現場思い出しましたわ。そこで初めて西岡先輩と出会うたわけやけど、どのスタッフよりも声を出して走り回りつつも、現場でホンを直している先輩の姿に、脚本家て凄いなァ。むっちゃカッコええやんと思うてしもうたのが運の尽きで、書けば書くほど貧乏になり、血圧が上がり、毎日お薬を飲まなければ下がらないという今のオイラが出来上がったわけで・・・ほんでもね、二十五年モノ書きやっとって漸く判ってん。昨日の日記にも書いたけど、やっぱり脚本は素材やねん。それを受け取った監督さんやプロデューサーが、スタッフに腕震わせて一人でも多くの人に食べて(観て)頂く料理にするんが映画なわけやけど、今のこの国のやり方では、どない声を荒げて叫んだかて、命懸けで関係各所とぶつかったかて、脚本家を素材やとは思うてくれへんのよ。アホが多すぎやて。素材なくして、どうやって料理が出来るっちゅうねん!例えば、お茶漬けっちゅう料理がありますわな。けどそれは、ご飯がなければ出来ない料理とちゃうのん?ご飯が大事な素材でしょ?なんぼ、プロデューサーが、ええ茶碗や箸を用意したかて、監督が高いお茶ぶっかけたかて、俳優さんがご飯の上に乗せる焼き鮭やら梅やら持ってきたかて、脚本家が心血注いで育て上げたお米で炊いたご飯がなければ、お茶漬けは出来へんよ。素材なくして、何を作るっちゅうねんなホンマ。それを、脚本家が出したご飯をやね、監督やプロデューサーが勝手に味付けしたりこねくりまわしたり、それならまだええ方で、いつの間にかご飯やない物にしようとしよる。それで、お茶漬けです言うてお客さんに出すなボケッ!!と、年も考えずに怒鳴ってみましたが、それほど、今や脚本家っちゅうのんは、たいがい安易かつ粗末に考えられとるわけですわ。で、話はオイラが監督した『光る』に戻るわけやけど、脚本と監督のオファーが来た時に言うてみたわけですわ。

オイラ 「金の事とか政治的な事やとか、ややこしい話は今はどうでもよろしいわ。
それより、お受けするにあたって、一つだけ条件があります。それ飲んでくれますか?」

製作委員会の方々も、プロデューサーさんらもお返事にお困りのようやったけど、口火切ってしもうた以上、結果なんぞ知るか。言うてまえと、もうイケイケですわ。

オイラ 「脚本の直しは、最期まで脚本家に任せて下さい。何があっても、脚本家以外に手は付けさせんと約束してもらえますか?僕の職業は脚本家です。監督もさせてもらう事がありますが、それは脚本家として監督させてもろうとるだけです」

言うてしもた。あ〜、多分アカンなこりゃ。顔に似合わん二枚目言葉言わなんだらよかったわ。と、後悔しかけたが、それから間もなく、「判りました。よろしく」と快諾。おいおい、ホンマか!?で、脚本と監督(監督名は本名の旭井寧)をやらせて頂く事になったわけやけど、とにかく時間がない。予算もむっちゃ少ない。一人ではホンが間に合わない。そこでオイラは、新婚旅行から帰って来たばかりの治ちゃんを巻き込んだわけですわ。ゴメンね治ちゃん。それと同時に、子役時代からお世話になっていた名のある映画スタッフの方々に相談して、手弁当で各パートの頭に付いてもらい、モノクロ/スタンダードで107分の映画『光る』を完成させる事が出来ましてん。オファー貰うて、完成するまでわずか二ヶ月、各パートがそれぞれの仕事をキッチリこなしてくれて、治ちゃんと必死で書き上げた素材を、ちゃんと料理してくれはるなんて、凄いなァモノホンのプロって。と、つくづく感じつつ嬉し泣きする今日この頃。とにかく、一度観て下さいませ。
12月20日〜25日まで、東京の下北沢にあるミニシアター“トリウッド”で先行ロードショーが決定しとります。一日4〜5回上映するらしく、当日1300円です。毎日、オイラも顔出してますので、お気軽に話しかけたって下さい。割り引きますよ。ホンマ、みなさんとお会い出来る事楽しみにしとります!

あ、また電話や・・・出んとこ。次の仕事のプロデューサーからや。次の仕事は、12月28日に上演する事が決定しとる舞台のホンやけど、ちゃんと契約してへんしなァ。ギャラも決まってないし・・・こんなんばっかやわこの数年。長いこと、Vシネのホンもむっちゃ書かしてもうたけど、殆ど契約書交わさしてくれへんかったし、交わしてもピュー(製作責任者や製作会社が姿をくらましよんねん)。随分、ギャラ貰いそこねたなァ。ま、舞台やし、ちゃんとした企業がスポンサーに付いとるから、大丈夫と思うけど、前金で半金くらいもろうとこかな。万が一があったら、また、女房に怒鳴られてまうし・・・明日は、ギャラ問題と、権利問題にちょこっと触れよかなと思うてますが、どんなもんでしょ?
それから、この日記を書かせて頂いている間に、許可が出れば、来年海外でやる事になっている仕事について、こそっと書かせてもらいたいと思います。その仕事をするにあたって、ライターズチームを作るつもりですので、興味のある方はご連絡下さいね。因みに、今は、オイラと治ちゃんだけやけど、どんどん来て下さい。脚本家としての可能性を、極限まで追い求め、出し尽くして流れ変えましょ!!



2008年11月26日(水曜日)

昨日の日記で、明日はギャラ問題と権利問題について、ちょこっと触れようかと思いますがどんなもんでしょ?と書いたところ、来ました!来ましたがな!!長年仕事ご一緒させてもろとった某大手Vシネ製作会社で製作部長やっとるHプロデューサーから、早速、圧を掛ける愛のテレフォンが♪

Hさん 「室田。お前が作協系のブログに書いてる日記、今、読んだ」
オイラ 「(来るぞ来るぞワクワクしながら)あ、そらどうも。おおきに」
Hさん 「明日は、ギャラ問題と権利問題について書くつもりらしいがな、それ、
     止めといた方がいいんじゃない?あのブログ、業界人も結構チェックしてる
     らしいし、不特定多数の人間が読んでるんだから、下手な事書くと仕事
     なくなっちゃうぞ。あ、これ忠告ね」
オイラ 「(更にワクワク)なくなりますかね?」
Hさん 「当然だろ。そういう問題は、個人的な問題だからな。書くの止めとけって」
オイラ 「(ワクワク、ピーク)どないしようかなァ」
Hさん 「(キッパリと)書くなよ。俺も二度とお前にはオファーしないぞ」
オイラ 「ほな、お約束の期限がとうに過ぎてる去年から今年に掛けてやった三本分
     の仕事のギャラ、すぐに全額払うて下さいや。改めて話し聞きますから」
Hさん 「そ、それとこれとは話が違うだろ。ったく」

ガチャン。ツーツーツー・・・笑らかしよんなァホンマ。こう言う輩が、最近、この国の業界には何と多い事か。せやから、ちょこっとだけでも触れようか思うんやないの。大体やね、「製作費が当初の予定よりオーバーしちゃって大変だから」やとか、「こっちサイドの事情でややこしい事があって」やとか、わけの判らない言い訳して約束した期限守らずギャラの支払い遅らせるてどういう事やねん。で、黙っとったら知らん顔して、出来上がった作品を平気で世に出すやなんて、最早人間のする事とちゃうやん。そう言う輩はHだけちゃうよ。ギャラ全額払わんくせに、自分は新車のベンツ買うて、連日ギロッポンのキャバに通い詰めとるドアホもおる。あんたの事やあんたの!まァ、中には脚本家だけでなく、監督他のスタッフや、一部の役者さんたちも同じ目に遭わされとるケースもあるわけで・・・あ、それから、オイラと同じような目に遭うて悩み苦しんでる脚本家仲間に大事な事一つ。Hのように眠たい圧掛けてくるのもおるけど、やる事やっとったら、言うべき事は言うたらええねん。そんなんで、仕事が来なくなるなんてことないで。冷静に考えてみ。払うもん払いよれへん奴とか、脚本家として当然の権利を主張してええ顔せん奴やとかは、まともな仕事出来る奴とちゃうがな。そんな奴にビクビクしとったらアカンて。それと、誤解のないように言うとくけどね、まともな仕事をちゃんとするプロデューサーや、製作責任者もようけいてますよ。頑張りましょね。

あ〜、スッキリした。まァ、これだけ書いてしもうた以上、心当たりのあるVシネとテレビドラマの製作会社関係者は、二度とオイラには声掛けて来んやろね。中には、懲りずに嫌がらせや、第三者を介して圧掛けてくる奴もいてるやろなァ。ご苦労なこっちゃねホンマ。でもな、こんなんオイラだけとちゃうんやで。事実、オイラの友人や後輩の脚本家の何人かは(作協会員やない者もいてます)、オイラと同じ目にあって、ノイローゼになって自殺したり、生活費に困ってサラ金や闇金にまで手出して、家庭が無茶苦茶になった者もいてんねん。何でちゃんと仕事した脚本家がそんな目にあわなあかんの?そんなん絶対おかしいし、黙っとったらアカンやろ?せやから、誰かがこう言う現実があるっちゅう事を叫ばなアカンねん。叫ぶ事がはじめの一歩でええやん。一歩前へ踏み出さな、脚本家の権利どころか、本来あるべき姿も守られへんよ。作協に入ったばかりの頃、一度だけある先輩脚本家にこういう由々しき問題があるので、作協として対抗策を考えムーブしませんか?と言うたところ、その先輩の答えは、「仕事する前に、ちゃんと契約書取り交わさないからダメなんだよ。それしか打つ手ないよ」やった。そら、確かに正論ですわ。先輩の言わはる通りやとオイラも思う。せやけどね、それは上から目線の言葉ですて。ちゃんと契約交わせて、その通りに事を運んでもらえる脚本家は、ほんの一握りですわ。名前の通っている人か、しっかりしたエージェントが付いている人ぐらいですて。大半の脚本家は、今のご時勢、中々仕事が取れない。せやから来た仕事に対して、少しでもええ作品になるようにと思いを込め、懸命に筆を走らせる事で精一杯ですねん。ほんでまた声掛けてもらえるようにと必死ですねん。そら、みんなギャラの金額やとか、いつ貰えんのかとか、大事な事が書き込んであるちゃんとした契約書欲しいに決まってますやん。けど、契約のけの字言うただけで、ムスッとして態度変えよるアホや、「ウチは契約とかしないんだよね。いの信頼関係でやってるから」やとか、「日本はそういうやり方しないから。どうしてもって言うんなら、いいよ。腐るほど脚本家はいるんだから」などとイケシャーシャーと抜かすボケが多過ぎんねん!そら、先々の仕事の目処が立ってない脚本家はどないも出来ませんて。でね、これは提案なんやけど、作協で契約書を作ったらどないでしょ?映画、テレビ、舞台、Vシネ、ラジオ等ジャンルに合わせたいくつかのパターンを。ほんで、それをフリーで頑張っとる作協会員に持たせますねん。で、仕事のオファーが来た会員は、それを相手に出して契約交わすようにしますねん。作協の名前が入っとったら、それなりの効力はありますよ。どないです?今よりは、ギャラや著作権の事で悩み苦しむ事はないと思いますよ。一人でアホどもと戦うのは、相当な覚悟と精神力と体力、それに時間が必要やからね。オイラみたいに、ただのヤンチャ者ばかりやないでしょ?

次に権利問題についてちょこっとだけ言わせてな。著作隣接権て何やの?脚本家は作家やん。隣接やなくて直接やん。直接の著作権者やんね。今、映画祭出品と公開の準備しとるオイラが監督した映画のあるプロデューサーが、この二三日、その話ばかりしよんねん。著作権者は、現在の法律では製作会社(若しくは製作委員会)にあり、脚本家や監督は、著作隣接権者やと。確かにそう言う風に解釈出来る法律やわね。せやけど、オイラは絶対に納得せえへんよ。脚本家は絶対に著作権者や!自分で監督しといてあれやけど、監督は隣接権者やと言われても納得するけど。何べんも言うけど、脚本家は素材を作った作家やん。絶対に著作権者や!!わけの判らん法律なんぞくそ食らえや!この先どうなんのや知らんけど、どないなろうとオイラは戦いますよ。これはね、もう銭金の問題やないよ。脚本家が、ホンマに命賭けて守らなアカン権利なんやもん。因みに、こんなアホな法律、日本だけやで。オイラ、五年ほど中国の上海をベースに、香港やロスで映画やテレビの仕事したけど、アメリカは契約社会やし、脚本家の地位と権利が確立されとるから、エージェントと弁護士が、ちゃんとオイラの要求を取り入れた契約締結させてくれたし、上海の仕事の時は、中国単独やと権利問題なんぞあってない国やけど、脚本家(編劇者)の地位は確立されとって、ギャラをトップスタッフ級に付けてくれたし、香港(中国では外国扱い)やよその国の資本が入った作品の時には、やはり、ちゃんとエージェントと弁護士が満足いく分厚い契約書持ってきてくれてん。それとどの仕事もギャラの支払いは、プロット段階若しくは初稿、準備稿、決定稿(海外ではそういう言い方ではないけど)の三段階に分けて決まったギャラを20%、40%、40%ずつちゃんと期日にくれたよ。日本と違うて法律云々より、ちゃんと脚本家の地位と権利が確立されとるわけですよ。こんなん読んだら、すぐに、あ〜日本はアカンと思う人もいてるやろうけど、そらちゃうよ!一人一人の意識の問題やで。色んな圧力に屈する事なく、“わしは脚本家じゃー!!”と叫びながら一歩一歩前へ進みましょ。やがては、その声が一つにまとまって、“わしらは脚本家じゃーッ!!物申すゥゥゥッ!”になるよ。そしたら、流れは必ず変わりますて。そうやって、よその国の脚本家たちは、今を築き上げたんよ。よその国の脚本家たちに出来て、日本の脚本家たちに出来ひんはずあらへん!頑張りましょね!!



2008年11月27日(木曜日)


さてさて、今日もまた雨です。しかも、強烈に寒い!オイラは雨降りの日と寒い日が大嫌いや!!あ、ゴキブリもね。昨日の日記で、頭痛くなるよなむっちゃシビアであっちっちな事書きなぐってしもうたから、神様仏様が怒って雨降り&寒い一日にしちゃったのね。反省・・・っちゅうわけで、今日は趣向を変えて、オイラが20年付き合うてるむっちゃ変わった男優さん(おい、そこ!変な勘違いせんといてや。男優と付き合うとるからて、艶恋の付き合いちゃうよ)の話を書いてみよかと思います。治ちゃん、ついに書くで〜〜☆

その男優さんの名前は、武蔵拳(むさしけん)っちゅうてね、もうすぐ50歳におなりになる御仁。Vシネの実録物や任侠物を見てる方々なら、すぐに判ると思うけど、タッパは183あって常に角刈りヘアーで、超ハスキーなナイスミドルですわ。見た目はね。しかし、この男がまたとんでもない男でして、どれくらいとんでもないかと上げたらキリがないほどで、その中からいくつか言うとね、まず、自分の仕切りで約束の時間決めて、その約束の時間に一分でも遅れようもんなら、狂ったように電話しまくって「遅えよォォッ!」。こう言うと、時間に厳しい常識人のように聞こえるやろけど、ちゃう!!ある用事があって、オイラがW監督に、拳ちゃんを紹介する事になり、会う時間を約束してん。ほんなら、拳ちゃん、W監督との待ち合わせ時間に何と2時間5分遅れてきよりましてん。しかも、約束の時間ギリギリに電話してきて、

武 蔵 「あ〜、すまねえ。今、急に腹痛くなっちまって駅の便所に入ったんだけど、
     大切なブローチを便器の穴に落としちまってよ、取ろうとしてんだが、中々
     取れなくてよ」
オイラ 「判った。焦らんと取ったらええよ。監督には、前の打ち合わせがおしとって、
     遅れるて言うとくから」
武 蔵 「おお、そうかい?すまねえなァ。兄弟」

この人、初めてオイラにあった日から、何故かいきなりオイラの事を“兄弟”と呼ぶようになって、今日まで一度も名前で呼ばれた記憶があらへんのよ。あ、オイラは“拳ちゃん”って呼んどりますからあしからず。で、話し戻って、その電話があってからその後全く連絡が取れず、やっば〜と思い冷汗ダラダラになった頃、今時のヤクザの兄ィでもせえへんような、筋モンファッションに身を纏い、全く悪びれる事なくご登場。

武 蔵 「いやァ、すっかり遅れちまってゴメンね。家出る時、急に腹が痛く
     なっちまってよ、トイレに駆け込み出すもん出し始めたら中々止まんなくて、
     ハハハハ」

ハハハやあるかい!W監督には、前の打ち合わせがおしとって遅れると言う事にする言うのに。それに、駅の便所やなかったんかい。何で家の便所やねん!頼むわおっさん。

W監督 「(苦笑しながらオイラを見て)彼が武蔵君?」
オイラ 「(引きつった笑みを浮かべ頷き)ハイ。一応」
武 蔵 「兄弟、(W監督を見て)誰?」
オイラ 「だ、誰て・・・君を待って下さっとったW監督やがな」
W監督 「はじめましてWです」
武 蔵 「(誰も座れと言わないうちに座って)俳優の武蔵拳です」

こらこら、何で君の方が偉そうやねん。因みにW監督はオイラの師匠格であり、良質のテレビドラマや映画を何本も手掛けてはる有名な監督さんで、俳優なら誰でも知っとる人やし、事前にW監督の話を拳ちゃんにしたところ、拳ちゃんは、W監督の作品は殆ど見とるし、尊敬する人物の一人やと言うとったのに・・・・

武 蔵 「実は自分、Wさんの作品見たことがないんです。ですが、優秀な監督だと
     以前から耳にしておりました」

オイラ、気絶して幽体離脱寸前。W監督は、動きも表情もフリーズ。そんな状態にオイラたちに構うなく、さらに拳ちゃんは大型爆弾を投下。

武 蔵 「ですから、今日はアル・パチーノの話をしませんか?」
W監督 「(唖然として)な、何でパチーノ?」
武 蔵 「(キッパリと)自分、パチーノが好きですから」

この後、拳ちゃんは、一人で熱くパチーノの俳優としての魅力と凄さ、それに彼の作品を思いついた順に、延々と身振り手振りを交えて話し続けとりました。その間、オイラもWさんもただ黙々と食事をし、殆ど拳ちゃんの話は聞いてなかったわけで・・・そして、W監督は別れ際にオイラを呼び寄せ、小声で言わはった。

W監督 「彼、変わってる人だな可哀想なくらいに。みんなそう言わない?」

オイラはそれについて何も答えれなかった。ただ心の底から一言、

オイラ 「お疲れ様でした」

W監督は、軍人のように頭を下げている武蔵を見て苦笑しながら、タクシーに乗り込み去って言った。そこで武蔵がオイラに一言。

武 蔵 「Wさんて、いつも、何も言わずニコニコして飯食ってんのか?変わってる
     よな」

この後、オイラは武蔵と十二日と五時間十一分、絶交状態やった。で、今でも聞きたい。
トイレの穴に落とした大事なブローチ、どないなってん!?

と、まあこんな感じのハッピー拳ちゃんやけど、彼の名誉の為に一つ。拳ちゃんは、日本の俳優で数えるだけしかおらんニューヨークのアクターズスタジオの先生にレッスンを受けた筋金入りの俳優さんです。東映から俳優人生をはじめたせいか、長いことヤクザ役ばかり演じ続けとったけど、下町のそこいらにおるオッサン演じさせても上手いで〜。実は、オイラの監督作品『光る』で、主人公の女の子の父親役(毎日酒飲んで仕事しない下町の大工さん)を見事に演じきったしね、来年は、ここまでの俳優人生で一度も変えた事のない髪型を長髪の白髪にして、神経質な孤高のテロリスト役をするから、みなさん注目してあげてな。けど、やっぱし、可哀想なぐらい変わったオッサンやけどね。
今日もさっき電話あったけど、拳ちゃんは二十年間、よっぽどの事がない限り毎晩深夜零時から二時まで、雨が降ろうが雪が降ろうが春夏秋冬関わらず、自宅近くの公園に行き、自己を開放するレッスンを一人で続けとんのよ。狂ったように大声で叫び続け、のたうちまわるように転げ回り、そして、走り、樹木や野良犬に喧嘩を売る!彼はそれをメソードと呼んでいる。メソードか?それって・・・住宅街なので、当然近隣の住民の方々は警察に通報し、駆けつけた警官と揉める事が何度かあったけど、今では、住民の方々も警官も、彼がメソードを始めても、暖かく見守りそっとしてくれとります。ホンマの話よこれ。 そんな拳ちゃんが「光る」で父親役を演じるに当たって、監督であるオイラは彼に、

オイラ 「小津安二郎監督の東京物語の笠智衆さん見ておいてな」

と注文を出したわけやけど、彼はやはりというか当然というか、パチーノの作品しか見てなかった。まァ、予想通りの展開やったけどね。でも、脚本を渡してからは、本読みの時からアップの日まで、何でそないに泣けるの?というほど泣きに泣いて、周囲の者たちをびっくりさせたりしてくれましてん。どんな拳ちゃんになってるかは、映画で確かめて下さい。最後に、さっきの拳ちゃんからの電話の内容について、書かせてもらいます。

武 蔵 「あ〜、兄弟夜遅くゴメンね。兄弟が見とけって言ってた小津監督の映画、
     ありゃなんだったっけ?」
オイラ 「“東京物語”やけど、もうええよ。映画完成したんやから」
武 蔵 「いや、笠智衆さんの演技見てえんだよ。で、今回の役に生かしてえんだよ」
オイラ 「今回の役てな、もう終わったやろが。何言うとんねんな自分、しっかりせえ
     よ!」
武 蔵 「ああ!?・・・ああ、そうか。そうだよな。でも、一応、見とくよ」
オイラ 「好きにせえよ」
武 蔵 「あれ〜!?」
オイラ 「何やねんな!」
武 蔵 「兄弟、俺間違えて借りちゃったよ。羅生門≠カゃダメかい?これも小津
     監督だからいいよな?(大マジで)」
オイラ 「黒澤明だよ!!」

ガチャン!!というわけで、再び暫くは彼と絶交しそうや。会わへんし、電話にも出えへんぞ!!みなさん、友達は選ばなアカンよ。



2008年11月28日(金曜日)

日毎寒さが厳しくなる今日この頃。みなさん、ご機嫌如何でしょうか?オイラの日記も、残す所、今日を入れて後三回(三日)となりました。寂しいような、嬉しいような、哀しいような・・・いや、やっぱし、オイラ的には寂しいですね。今年も間もなく終わるんやなァ〜としみじみ感じます。(て、違うか)と、しょうもない一人ボケツッコミをやってんと、今日も日記始めさしてもらいます。お付き合いの程、よろしゅうに。

まず本日の一発目、ついに、オイラの日記を読んでくれはったお人が、コメント欄にご意見書いて下さりました。おおきに!ありがとォ〜!!と、感謝の意を表したところで、日記を読んでくれてはる方々にお願い一つ。コメント欄にご意見ご感想等を書かれる時は、ハンドルっちゅうか、コメンターネームっちゅうんか、それやめません?オイラに限らず、ここで日記を書いている脚本家たちは、みな書く以上、それなりの覚悟と責任持って名前出して書いとるんやから、コメント書いてくれはる方も、ちゃんとホンマの名前書きましょうや。せやないと、ちゃんと対話出来ないしフェアやないよ。ここ、2ちゃんねるちゃうんやから。それが、マナーちゃいますか?(うわ〜、こんなん書いたら、またお叱りやご意見来るなァ)一般の方も、脚本家を目指す方も読んでくれてはるようなので一つ。脚本家は、自分の名前を出してホンを書いてます。名前を出すっちゅう事とは、言葉にならないほどの責任を背負ってますねん。(勿論、他のスタッフの方々もそうやと思いますが、ここでは、脚本家の事のみ言わせてもらいます)せやから、時として、どのスタッフよりも作品に対する批判の矢面に立たされる事があり、時として、誰よりも喜びの涙を流す事もあります。せやけどね、何でみんな脚本家としていき続けてるかっちゅうとね、それはやっぱり脚本家が作品の母やと判ってるからやと思うんです。産みの苦しみや喜びを最初に身をもって知るのが母親やもんね。同じですよ。オイラたち脚本家も。せやから、必死に自分が命懸けで産んだ子供(ホン)を、少しでもええ子に育てようとするんは当たり前ですよ。作協の先輩の方々が、脚本家名の表記問題や権利問題等で各方面と戦ってはるのも、脚本家は、作品の母親やと身をもって知ってはるからやと思うんです。産んだ子供を、勝手にいじくられとうないのは当然やし、自分の子供である以上、この子は私の子や!と叫んで何が悪いんですか?何でね、今日の日記、またこんな話から始めるかっちゅうとね、オイラの事、誤解してこの日記読んでる方、少しでもおると思うたら哀しいからですわ。もっぺんだけ、言わせてください。オイラは脚本家です。脚本家としてモノ言い続けます。

さてと、ぶわ〜ッとヒートアップしたところで、クールダウンして今日はオイラの夢を一つ。四十六のオッサンが夢見るなて言わんといてね。いくつになっても、夢は食べ続けなアカンて。食べられへんになったら、そこで終いやもん。っちゅう事で、オイラの夢。オイラの夢は、作協の脚本家全員で一つのドラマを書き上げ、その中で監督もやっとる人全員でパート分けして監督して、プロデューサーもやっとる人全員で、プロデューサーチーム作ってもろて、作協主導の劇場公開映画を作って全国、いや、世界に観てもらいたいんです。脚本家チームは、一人ぺラ一枚〜二枚ずつ書いて、長尺になるやろから、パート1、パート2に分けて、さっきも書いたけど、監督さんチームは、シチュエーションなり、シーンなりでパート分けしてそれぞれが、そのパートの監督して・・・勿論、各チームのまとめ役も必要やね。各チームに分かれてミーティングを繰り返して・・・ああ、どんな作品になるんやろなァ。けど、ホンマに出来たら世界中の映画人たちはもとより、一般の人たちもびっくりしよるやろなァ。ほんで、みんなで叫んだんねん。“これが、日本の脚本家や!!”てね。いつかこの夢が、夢やなくなるとええなァ。オイラたちの時代で出来なくても、ずっとずっと後の、未来の後輩たちがその夢叶えてくれたらホンマ、最高やね。いつの日か、この夢がみんなの目標になってくれますように。夢と目標は、ちゃうもんね。

月曜日から今日までの五日間、随分と生意気でムカつくようなアホな事書いてしまい、不快に思われた方々もいてはると思いますので、ここでこの場を借りてお詫びします。気を悪くされた方々、ホンマにすんませんでした。けど、室田は一生このままです。何をされても言われても、変わりようがありません。言いたい事を言って、書きたいものを書いて、ほんで脚本家・室田憲昭として死ぬと決めとりますので。お忘れの方もいてはるやも知れないので、今一度、オイラの“親父”は室田日出男です。頑固一徹、一度言ったら必ずやり通した男です。その親父の骨を拾わせいもらい、生前付けてもらった室田憲昭と言う名を名乗らせて頂いた以上、その覚悟は変わりません。ホンマ、アホですんません。

本日の最後にも一つだけ。最近、脚本家を志して頑張ってはる若い人たち(初日に書いたS君のような人たち)が、よくオイラのもとを訪ねてきてくれますが、その人たちもオイラの日記読んでくれとるらしいので、一つ。ごめんね。オイラ、あなた方が求めてるような答えを出したり、教えてあげれなくて。せやけどね、志を持ち続けてな。焦って心折らんように、一歩一歩歩いておいで。今は、上手く書こうとしたり、プロのテクニックを学ぼうとかせんでええねん。自分の周りと日常をよく見てみ。たまには立ち止まって、後ろ(過ぎてきた日々)を見てみ。背伸びせんと見えるもの感じるものを書いたらええねん。自然に呼吸するように書いたらええねん。それと、自分の書いた物を、身近な人たちの一人でも多くの人に読んでもらいや。で、色々言われるやろうけど、全て空気を吸うように飲み込まなアカンよ。ええ事も悪い事も全て。逃げたらアカンで。何回も繰り返している内に、その声がめっちゃ力になってくるから。それがプロになる為の強力な力になるから。テクニックなんか気にせんでええねん。音楽的に言うなら、ソウルやソウル。魂!それがどんだけ書いてるホンに叩き込めるかやて。頑張りや!いつか、めっちゃ売れっ子脚本家になって、オイラと会うたら、中指をつきたてて、ファッキュー!と言うてくれ。楽しみに待っとるからね。では、命を賭けて脚本を書いている全ての方々に一つ。
「信じような!頑張っとるみんなには、絶対、ええ事があるから。負けたらアカンで!!」



2008年11月29日(土曜日)


この数ヶ月、睡眠時間は平均二時間ちょいしかなくて、ああ、そろそろオイラ、ダウンするなァ〜とアホなりに自覚症状が出始めておったわけやけど、世の中、神様仏様てホンマにいてるんやねえ。“何でもええから、ぐっすりと寝させちょうだい!そしたら、今まで無茶しまくった生き方悔い改めますから。お願い。神様仏様ァ〜”と何度も心の中でお願いしとったんですわ。ほんなら、昨日のスケジュールが夜からポコッとね、相手さんがインフルさんちのエンザちゃんに罹ってダウンしたっちゅうんで、穴が開いたんです。でね、夜から日記の原稿やら、次の仕事のプロットやら、珍しくちゃちやっと片してね、風呂バッとつかって、ズバッと布団に潜り込んだわけですねんこれが。せやけど、まだ寝るには早すぎる時間やなァ、どうにも眠れへんなァと思うとったわけですよ。したら、ちょっとあんた、ビックリした事に朝になってましてん。時計見たら、朝の六時!知らん間に寝とったわけですね。もう、リック・ヴァーン・ウィンクル状態ですわ。何と、六時間ちょい寝たわけですね。カーテン開けたら、ひっさしぶりにええ天気やし、あ〜もう最高!と、喜んどったわけですが、神様仏様はただでは願い事を叶えてはくれんかったようで、オイラが監督した映画のチーフプロデューサーKさんからお電話があってですね、

Kさん 「昨日入稿してもらったチラシと海外の映画祭用の原稿だけど、あれダメ。
     判りづらいし、インパクトが薄い。あのさ、監督・旭井として書くなよ。
     脚本家・室田の目線で書いてくれよ。お前らしさ、もっと出さなきゃ意味
     ねえよ」

う〜む、監督した旭井も脚本家の室田もオイラなんやけどなァ。オイラらしさと言われても・・・せやけど、Kさんは役者さん上がりのプロデューサーで、オイラが兄ちゃんと慕うほど、家族以外で一番オイラの事を判ってくれている人やし、脚本家であるオイラを大事にしてくれる人から、アカン言われたら書き直すしかないわけで・・・しかし、結構キツイねんなァ。そういう原稿書くの。オイラ苦手やし、それに一つは英語で書かなアカンし・・・オイラ、外人さんが見て“ワオッ!”と思うてくれるほどの英文書く才能ないもん。あ〜、今更、ロスで仕事した時に帯同してくれた英訳の上手い青年に頼む時間ないしなァ・・・ブツブツ言うとる場合ちゃう。取りあえず頑張りましょ。

と、言うわけで、ここまで毎日長々と書いてきた日記ですが、本日はオーラス前の一日やと言うのに、次の一発で締めさせてもらいます。ごめんね。ムラがあるオッサンで。
 
火曜日の日記にちょこっとだけ書いたけど、来年、海外で仕事する事が決まっとって、その話書いてもええと製作サイドから許可もろたら、サクッとお知らせしますて書いたけど、昨日ちょっとだけやったらええよと連絡貰ったんで書かせてもらいます。
実は、来年の夏(予定では七月から一ヶ月)、上海で1930年代の租界で生きていた人々を描く映画(日本からも出資あり)の脚本と監督をする事になりまして、年明け早々に準備に入る予定です。この映画の企画は、オイラが上海にある唐季禮(スタンリー・トン)の会社で脚本家として仕事をさせてもろうとった五年前提出したもので、漸く色々な方々のご尽力により実現する運びとなりましてん。で、まず脚本を書かなアカンわけですが、既にシノプシスは書きあがっており、それをベースにオイラを含め日本の脚本家数名と、香港と上海の脚本家二人で書き上げようかと・・・海外主導の合作映画の場合、パート分けして書くことがままあるわけで、国境なきライターズチームが一つの作品を生み出すやなんて、何て素敵で素晴らしい事か。で、この作品に限らず、これからオイラが監督させてもらう時は、チーム組んでホン作りしたいと思うてますんで、ライターズチーム作れればなァと。今、唯一の戦友が親友の治ちゃん(森川治君)だけやから、面白そやなァ。アホに付き合うたろかと思う奇特な脚本家の方、ご連絡下さいね。 

と、言う事で、本日はこれからヒーヒー言いながら仕事せなあきませんので、ここいらでおいとまします。ほな、また明日。



2008年11月30日(日曜日)

(枕だけ、BGMに“ビター・スィート・サンバ”を流しながら読んで下さい)
一週間、言いたい放題言わせてもらい続けた室田です。さぁ、いよいよ今日でオイラの日記もファイナルを迎えたわけで、読者のみなさんともいよいよお別れです。どうか、泣かんといて下さい。室田はいつもあなたの後ろにおりますから。て、背後霊かオイラは。せやけど、泣いてくれる人なんかいてへんわなァ。もしいてたとしても、それはオイラの日記がようやく終わると万歳しとる人が、嬉し泣きしとるぐらいやもんなァ・・・・・・
と、ひとりうるうるしつつ、へこみまくっとるヤンチャな脚本家・室田憲昭、略してムロケンのリレー日記ファイナル始めまっせェ〜!!

っちゅうわけで、ホンマにね〜、何やかやとバタバタしとった一週間でしたわ。せやけど、明日から12月。師走やもんなァ、もっとバタバタしなアカンようになってくるわな。みなさんも、忙しゅうなってきたんちゃいます?一年の総仕上げの月やもんね。忘年会やらクリスマスやら大晦日やら、結婚してる人も独身の人も大変よね。酒にカラオケに、パーチーにデート・・・金出てくわなァ、バンバン。え?仕事忘れたらアカンてか?仕事てね、あんた、師走でっせ。仕事も大事やけど、師走ぐらいパ〜ッとね、楽しくやりたいやないですか。オイラの辞書には、“一年の計は師走にあり”て書いてあるし。入ってこなあかんギャラが入ってないから、懐めっちゃ寒いけど、寒いなら寒いなりに楽しまな、ええ年迎えれませんやん。ね?師走は陽気にいきましょ。笑顔でね!

え〜、話変わりますが二つ。まず一つ・・・日記にオイラ、脚本家のギャラ問題や権利問題について、言いたい事書かせてもらいましたが、書きっぱで、日記が終わったら何にもせえへんし、静かにしよるやろと思うてはる人も少なからずいてるんちゃうかなと。残念やったねえ、そう思うとる人。既に作協で問題に取り組み戦うてはる西岡先輩をはじめとした脚本家さんたちと共に、オイラも真正面から取り組み、イケイケで戦う事になりましてん。西岡先輩が、オイラにおいでおいでしてくれはりまして、ホンマ感謝します!!チームの特攻隊長として、ガンガン働かせてもらいまっさ!いやァ〜、ひっさしぶりにワクワクするわァ。絶対に、お役に立ってみせますんで先輩、みなさん、待っとってね!!
へてから、二つ目。昨日の日記にも書いたけど、ライターズチームに参加してくれる人、ぼちぼちお問い合わせは入ってるけど、もっと来て来て〜!まだ受講生ですけど〜って言う人も、あっつい想い持ち続けてる人やったら歓迎しますし、プロの方は、老若男女問わず“自分は脚本家だ!思う存分、誰にも邪魔されず脚本が書きたい!”と拳を握り締めてる人大歓迎します。みんなで、力合わせてええ作品作りましょ!脚本家ありきの映画を!!と、叫んでも、ムロケンてどんな奴やねん?よう判らんしな、と警戒されとるあなた。個人的に会いたい方はいつでもご連絡下さい。このブログ担当してはる作協の久松さんや、事務局の方に問い合わせてもらえれば、オイラと連絡つきますよ。いつでも、会います。へてから、集団で酒でも飲みながらとお考えのあなた。出向きまっしぇ〜、おいらは。んで、そんなん面倒やと言うあなた!オイラ、今年の作協の忘年会に顔出しますんで、その時に声掛けてもろてもOKです。ああ!!せや、忘れるとこやった。前にも書いたけど、12月20日〜25日まで、東京の下北沢トリウッドでオイラと治ちゃん(森川治君)がホン書いて、オイラが監督した映画「光る」の先行ロードショーがあるんで、そこには、連日べたでおりますから、顔だけでもみてみたろっちゅうあなた、是非来て下さいね。
待ってます!!!

ああ、もうお別れの時が近付いてきたわ。ゴールの武道館が見えてきた・・・・(ここより、BGMに“サライ”を流して読んでくださいまし)思えば、生まれて初めて日記っちゅうもんを書いたわけで(こう言うの日記っちゅうのんかな?まァ、ええか)、少しでもこの日記を通して、室田憲昭っちゅう脚本家が、どんだけアホな奴か判ってもらえたなら、ホンマに嬉しいし幸せです。ほとんど、実際のオイラの喋り方のまんま書いたしね・・・こういう生き物かてプロの脚本家として生息出来る事を、プロの脚本家を目指している人たちに知って欲しかったわけで、頑張っとる人たちに一つ。プロとアマの一番の違い、何やと思います?答えは、オリジナリティーです。つまり、あなたはあなたらしく、どんなスタイルでもええんです。オンリーワンであれば。頑張ってね。オイラ、全力で応援しますから!それから、広く皆さんに一つ。人それぞれ、悩みや苦しみや哀しみがあるやろけど、絶対に負けたらアカンで!悪い方へ気持ち動かしたり、自分で心折ったりしたらアカンのやで!!懸命に生きようとしても、それが叶わん人がおんねん。頑張っていこうな!!
光り消したらアカン。光り続けよな!!

と、言う事で一週間、ホンマにおおきにでした。また、こういう機会があれば、懲りずに皆さんの前に現れたいし、皆さんの前で直に話せる機会があればサイコーです。いつの日か、オイラの日記を読んでくださった皆さん全員に会える事を祈って、明日から日記を担当しはる井上登紀子さんに、魂のバトン渡さしてもらいます。登紀子さんはオイラと同じバリバリの関西人で、暖かいホン書く人やと勝手に思うとります。パンダが町にやってくるんやもん。暖かいて絶対!中々ご縁がなく、まだお会いするチャンスがないんですが、会える日は必ず来ると信じてます。登紀子さん、会うたらお酒のみながら、西川きよしさんやヘレンさんの話で盛り上がりましょね。で、その後、互いに脚本家仲間呼び出して、カラオケ歌いまくりましょ。楽しみにしてます!

おおおおおおッ!!ゴールのテープ切ったァァッ!完走したど〜〜ッ!!!
ほな、皆さん、またお会いする日までサイナラ!!


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