シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     

  

宮下奈津子 (シナリオ作家)

1977年山梨県生まれ。
シナリオ講座43期・45期研修科修了。
主な作品/
携帯ドラマ「恋する血液型シーズン2オフィス編
A型加奈子の場合」  


                            


2009年11月30日(月曜日)

日曜の夜、大学の友人の結婚式の二次会で5千円の商品券が当たった。
二次会の景品はビンゴ大会で決まるものだと思っていたけれど今回は受付の時に撮ったポラロイド写真を新郎新婦が引き当てていくだけというもの。
まさか当らないだろうな。もし当ったら前に出て
「うわぁー嬉しい。ありがとう。○○君、御結婚おめでとうございます。幸せそうなお二人の姿を見ていたら私も早く結婚したいなーなんて思っちゃいました」
…みたいなことを言わなくてはならない。
無理だ。私には荷が重すぎる。
胸騒ぎがしたので行きたくもなかったがトイレに立った。
暫くして案の定、遠くの方で宮下さん、宮下奈津子さんと声がかかる。
胸騒ぎがしていたわりに実際、名前が呼ばれるとやっぱり戻るべきか、
でも今更戻ったところでと右往左往する。
そんな自分の姿が鏡に映っていた。何とも情けない姿。
トイレには私以外誰もいない。
静かに個室のドアを閉めてみた。
遠くから楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
そう言えば幼稚園の初日から私は躓いた。お昼ごはん、一人だけ先に食べ始めちゃって5分おあずけを喰らった。あの5分の長かったこと。
幼稚園から回想してたら二次会が終わってしまう。

トイレから戻ると見知らぬ男性陣が私達のテーブル席に座っている。
友人達は既に会話が盛り上がっている様子。
気後れしながらも席につくと隣に座ったオシャレ眼鏡の男性が
気を使って話しかけてきた。
どうやらオシャレ眼鏡は同じ大学の同級生だったようだ。
自然と会話も弾み、普段は飲まないシャンパンなんかも飲んだせいか酔いも回り
いつになく勢い付いてきた。
こんなことなら鏡の前で右往左往なんかしないで化粧直しをするべきだった。
そんなことを思っているとオシャレ眼鏡が「で、仕事、何してる人?」と聞いてきた。
「私? 私は…」

「あなたはどんな人?」先日観た「私がクマにキレた理由」の冒頭。
大学生の主人公アニーが面接官にこう聞かれる。
彼女は簡単な質問だと余裕な面持ちで答えようとするのだが
いざ口を開くと言葉が出て来ない。
「私はどんな人?」そこから彼女の自分探しが始まる。
アニーは公園で事故に遭いそうになった男の子を救ったことで
NYのアッパー・イーストサイドに住むお金持ちの家で
子守の仕事を始める。
慣れない仕事に悪戦苦闘の日々。
ひと夏が過ぎた頃、彼女は自分が何者かを見つけ大学院に進む道を決める。
「自分の世界を理解するためには未知の世界に身を沈めるべきだ」
このナレーションで映画は終わる。

去年から実家の父の会社で清掃業と事務の仕事を始めた。
一年が過ぎて、未知の世界はもう未知ではなくなってきている。

「仕事、何してる人?」何と答えようか逡巡していたら
オシャレ眼鏡が友達に呼ばれて席を離れて行った。
呆気ないお別れだ。

さて私は、何してる人なのか。
生活は事務員の仕事で得たお金で賄っている。
作家協会に入会したけれど実際はプロット一つ碌に書けずに
ずーっと逃げている。
そんな私のブログ日記。きっと1週間ずっと逃げ腰、及び腰なんだと思う。
そう思うと落ち込んでくる。

落ち込みついでに急遽、日記を書くことになって
一番気が重かったこと、今週のリレー日記のページ。
宮下奈津子の下にシナリオ作家と書かれている。
厳しい。



2009年12月1日(火曜日)

走行中の高速バスでいきなり運転手が立ち上がった。
100キロ近くスピードは出ている。
え…?  我が目を疑う。
しかしバスは何事もなく八王子のバス停を通過した。
何のことはない、運転手さんは腰が痛いのだろう。
椅子から腰を浮かしているだけだった。
朝、7時40分に新宿を出た高速バスは満席だったが私の他に
運転手の奇行?苦行に気づいている人はいないようだ。
謎が解けてみると、時たまモグラ叩きの如く勢い良く跳ね上がる様に
腰を浮かす中年男子を見ているのはちょっと可笑しい。


月に2回は東京と実家のある山梨を行ったり来たりする生活。
それももう一年以上になる。
私はいつも一人なので隣の席にどんな人が座るかで
その日の運勢のようなものがわかる気がしてしまう。
今日の運勢は吉といったところだろうか。
ベレー帽を被った初老と思しき女性は横に座る時、
上品に会釈してくれたが深大寺を過ぎた辺りから私の肩に
もたれかかって寝息をたてている。
バスを降りるまでの約2時間同じ時を過ごしているわけだが、
殆ど印象に残る人はいない。
しかし一人だけ出来る事ならもう一度会ってみたいと思う人がいる。


2008年、元旦が明けて2日目の朝― 私は新宿行きのバスに乗り込んだ。
窓側の席にはもう先客がいた。50代くらいの女性だが年齢のわりに
ハードな革のコートを羽織っている。軽く頭を下げて席に着く。
バスが走り出すと彼女はモスバーガーのクラムチャウダーの蓋を開けた。
臭いがバスに充満していく。
「猫舌なのよね」彼女はこちらに顔を向けるでもなくそう言った。
これは独り言なのか、それとも私に話しかけているのか。
「何か温かいものが飲みたくって…」
「寒いですもんね…」そうは言ったが車内は暖房が利きすぎていて
私は着ていたコートを脱ぎセーターの袖も捲りあげる。
聞けばバスに乗るのも東京に行くのも随分久しぶりだと言う。
どうやら余所から山梨に嫁いできたようでうどん屋を夫と営んでいると言う。
地元の人間の気質について
「根掘り葉掘り聞いてくるでしょ、あれが何年たってもイヤでね」と零す。
どこのうどん屋か聞きたかったが、ここは地元の名誉回復のためにも
根掘り葉掘りはやめておこう。
その後は趣味のパチンコの話、芸能人の話と取りとめのないものが続く。
相槌をうつのも少々面倒臭くなってきた。
高速道路はひどい渋滞で先ほどからバスはまんじりとも動かない。
相変わらず彼女のとりとめもない話は続く。
正月早々ついてないな〜と正直思っていた。
漸く初台から首都高を降りた時にはバスに乗ってから
優に3時間を超えていた。
その時である。「気づかなかった?」彼女はやや照れたように言った。
「え?何がですか?」
コートを開いて見せる。花柄のパジャマが目に飛び込んだ。
私は目の前の出来事が呑み込めない。
「旦那と喧嘩してパジャマのまま家出してきちゃった。だから財布とコート、
あとは親戚の家に行こうと思って喧嘩するまで飲んでた一升瓶をこっそり持ってきたのよ」
なるほど、モスバーガのビニール袋に入った一升瓶の酒は3分の1くらい減っている。
「ご乗車ありがとうございました。お降りの際はお忘れ物のないよう〜」
アナウンスが流れる。
「貴女とお話出来て楽しかった。また機会が会ったら会いしましょう」
そう言って颯爽と新宿の街中にパジャマ姿で消えて行く彼女は自棄に格好良く見えた。

車窓から富士山の姿が見えるようになるとベレー帽のおばさまは目を覚ました。
バスはいろんな思いの人を運んでいる。
今から行く遊園地でまず何に乗ろうかとウキウキしている大学生もいれば
もしかしたら樹海に足を踏み入れて自分の命を終わらそうとしている人も
いるかも知れない。
「うわぁ、富士山、綺麗ね」そう呟くおばさまの横顔の先に一軒のうどん屋があった。
あの人はこの街のどこかのうどん屋で夫と喧嘩しながらも働いているのだろうか。
それともあのまま何処かへ颯爽と消えて行ったままなのだろうか。



2009年12月2日(水曜日)

酔っ払って帰って来た父もどうやら眠りについたようだ。
家族が寝静まった一時過ぎ、階段をコソコソと下りて行く。
この時、スリッパを履いているとフローリングで滑ってキュキュッと
音がしてしまうので深夜の我が家は裸足にかぎる。
間接照明の薄暗い廊下を歩いて行き、キッチンに入る。電気を点けようとしたら
何かを踏んだ。思わず声が出そうになる。何だ、この感触。温かくて柔らかい。
その上、足の裏には何かが刺さっている。ヤダ、温かいってのが余計に怖い。
電気を点けて恐る恐る足元を見てみると…、
朝ごはん用にと母が焼いていたクルミと無花果のパンだった。
酔って帰った父が穿るようにして食べたのだろう、
あちこちにその残骸が…。その一つを私が踏んづけたのだ。
足の裏に刺さったクルミを取りながら、明日の朝食の事を考えた。
辛うじて生き残っているテーブルの上のパンはとても3人分もない。
どうせ足りないんだから今、食べちゃおうっと。
パンを食べながら本来の目的だった戸棚にあるマカダミアチョコレートも食べてみる。
新婚旅行のおみやげらしい。夜中に食べると母が煩いので食べたと分からないように箱の一番奥の2,3個をポッケに仕舞いこむ。
日曜の二次会までダイエットをしていたので、その反動か、
それともこのブログによるストレスか、確実にリバウンドしている。
食べた物を出さなければ…。下剤を飲む。いつもより多めに。
良し!3時までにブログ、書き終わるぞ。

ブログ委員をさせて貰っています。
なので以前書かれた方の何人かにはメールやお電話などでご挨拶させて頂きました。
「ブログって何を書けば良いんですか?」と聞かれた時、
私「好きな事を書いて下されば良いかと思います」
お忙しい仕事の合間に徹夜で書いて下さったのに
「送ったはずの記事がアップされないんですけど…」
私「2,3時間で画面に出てくるんじゃないでしょうか」
今思うと、まあよくもいけしゃあしゃあと無責任で申し訳ない事を言ったものだと
反省しております。
ホントに申し訳ありませんでした。

3時  終わらない。
4時  眠くて頭もボーっとしてきた。終わらない。
5時  携帯でテトリスをやって現実逃避。
6時  新聞が配達される。父、起きてウォーキングに出かけて行く気配。
6時半 母、パンがなくなったことに気づいた気配。
7時  母が起こしに来る。「あら、起きてたの。今日、ゴミの日だから」
    咄嗟に隠そうとするが母にしっかり見られてしまった。カメハメハ大王の
    パッケージのチョコの空箱が小学校の頃から使っているミッキーのゴミ箱に
    入っている。
    32歳にもなってチョコレートを全部食べたことを朝から叱られる。

急遽、ブログを書くことになったと安井国穂さんと井上淳一さんに
メールした。すると返事が…
『ブログは結構シビアに評価されるよ』 安井さん
『ブログは試されるからね。作家性が』 井上さん
ますます書けない。

7時過ぎ。父がウォーキングから帰ってきて朝ごはん。
父と娘、揃って母からお小言を頂く。
「あっ、ブログ、見たか」父の突然の言葉。きっとお小言の流れを
変えたかったんだろう。しかし待てよ、両親にブログのことは言っていないぞ。
何でばれたんだろうか…。
「雪の写真だよ。ちょっとだけど積ってたろ」
何だ。会社のブログのことかよ。

9時過ぎ、出社。
請求書などを作成しているふりをしながら、まだブログとにらめっこ。
プロットとか打ち合わせとかましてやシナリオ執筆とかの
文字がいっさい出てこないブログ日記になってしまっている。
でもホントのことだから仕方ない。
私はブログでいっぱいいっぱいなのです。

『ブログは試されるからね。作家性が』

10時  現実逃避で机の中に隠しておいた麦チョコを食す。
11時  夜中、飲んだ下剤が効いてきたようでお腹がシクシクする。
12時  作家性のことは明日から考えよう…。



2009年12月3日(木曜日)


麗らかな昼下がりの午後、ソックタッチを足に塗ってずり落ちた
ルーズソックスを固定していた私に、彼女はこう言った。
「なっちゃんに何か良いとこってあんの?」
高校一年生。思春期の女の子に随分と乱暴な質問だ。
「え…?…字が上手いとか?」
この時、私はなんと答えれば良かったのか…。今でも分からない。


「11月の給与のことでちょっと…」携帯に社員から電話だ。
腑に落ちない箇所があるという。
深夜残業の手当が少なすぎるとのこと。内心舌打ち。
「納得出来ないなら直接、会長に言って下さい。
私じゃどうすることも出来ないんで」
彼がそう出来ないことを十分知った上で私はこう言って電話を切る。
会長とは私の父だ。
信号待ちの車の中、母校の校門から出て来る女子高生たちが目に入る。
彼女たちの制服はあの頃私が着ていたものとは違っている。
年月が経ったということなのだろう。


教室の一番後ろの席。隣の野球部の男の子は深い眠りについている。
ふと廊下に目をやると彼女が私に向かって合図をしている。
どうやら教室を抜け出せとのことらしい。
無理無理、授業中だし。
それでも彼女は出て来いと手招きする。
はっきりと分かった。私は彼女に試されている。
ここはさっきのしょうもない発言を挽回するためにも抜け出すべきだろう。
しかし、足は動かない。
彼女が薄らと笑う。
授業中、教室を抜け出すことも出来ないツマラナイ女なんだよ、あんたは。
その表情がこう物語っている気がした。

 

「○○ちゃんでしょ、久しぶり〜」
彼女は安価なファンデーションを手に取っていた。
駅ビルの中の小さな薬局。二ヶ月前のことだ。
気づかないふりをしようかとも思ったが彼女の容姿を見て
近づいて行った。
今の彼女になら負けていない気がしたからだ。
大した話はしなかった。
彼女は子供に手がかかって毎日忙しいとそのことばかり
を喋り、私はそれに負けないように東京での生活の事を
話した。
また今度ゆっくり会おうと言って電話番号を交換した。
きっと電話をかけることはないだろうし、かかってくることも
ないんだと思う。


信号はまだ変わらない。
「なっちゃんに何か良いとこってあんの?」
薬局の彼女との会話で書かなかったことがある。
私は彼女にツマラナイ女だと思われたくなくて脚本家をやっていると言った。
プロットも碌に書けずにいるのに。
自分が心底嫌になり、車の中「あー、何であんな事言っちゃったかなー」と叫ぶ。
横断歩道を渡った女子高生たちが車の横を通り過ぎて行く。
彼女たちに変な人だと思われたかも知れない。



2009年12月4日(金曜日)

金沢の旅行から帰って来た母が私の手に何かを強く握らせた。
「これでもう大丈夫よ。…プロット」
そっと手を開くとそこにあったのは『難関突破』と書かれたお守り。
安宅住吉神社はあの勧進帳で有名な安宅の関での義経一行の物語。
プロットを書けずに悶々としている娘を見かねて母がどうかこの難関を
突破してくれとお守りを買ってきてくれた。
あれから何ヶ月たったのだろう…。

今日はずっと楽しみにしていたことがある日。
日比谷のシアタークリエで『グレイ・ガーデンズ』を観劇するのだ。
数か月前に草笛光子を生で見たいと母がチケットを購入した。

1941年7月 ニューヨーク州イーストハンプトンのグレイ・ガーデンズ邸。
その日は名門ブーヴィエ家の令嬢リトル・イディとケネディ家の長男ジョーの
婚約パーティーが開かれる日。屋敷の中は華やいだ雰囲気に包まれていた。
歌手に憧れる美しい母イーディスはパーティーでリトル・イディのために歌おうと
張り切っている。そんな母を見てリトル・イディは浮かない顔。
これまで数々の大切な場面を母のせいで台無しにされてきた。
ジョーと結婚して母と、このグレイ・ガーデンズから抜け出し、
自分の人生を始めることが娘の希望だ。
そんな中、別居中の夫から電報が届く。夫は娘の大切な日にパーティーを
欠席し愛人とバカンスを楽しんでいるという。もうすぐ妻とも別れるつもりだ。
イーディスは激しく動揺し、娘の婚約をぶち壊してしまう。
悲嘆の娘は母とこのグレイ・ガーデンズから逃げるように去っていく。

小さい頃、嫌な事があると階段の裏の物置によく隠れていた。
カーテンだけで仕切った簡単な物置で薄暗い裸電球の下、
醤油やビール瓶、一升瓶などが置かれている。
私は見つからないようにと隠れているのだが心のどこかで母を待っている。
しかし母は忙しい。家族6人の世話に、社員さんのお弁当作り、
「お母さん、お母さん」と纏わりつく息子の相手もし、事務の仕事もこなさなくては
ならない。
お腹もすいたしそろそろ出ようかな。そう思っていると、
カーテンが開く。母が「またここにいたの。ご飯だよ」と笑う。

1973年、50匹以上の猫と空き缶の山。栄華を極めたグレイ・ガーデンズも
今はその面影もなくゴミ屋敷になっていた。
年老いた母イーディスと婚期を逃し50歳を超えた娘リトル・イディは
お互いを口うるさく罵りながら、それでも互いを必要としている。
あの頃の追憶に耽りながら好きな歌を歌い、ダンスを踊る。
カーテンコール。娘リトル・イディとわが身を重ねて涙が溢れ放心している私。
ふと横を見ると舞台上に現れた演者たちに母が身を乗り出して
力強く拍手をしている。舞台を見てこんなに興奮している母を見たことがない。
ブログ書けてないけど今日、来て良かったな。

夜中、東京のアパートでブログを書かなくてはと思いつつもウトウトしていると
突然「アハハハハハッ」と大きな笑い声に起こされる。
母は私のベッドでスヤスヤと眠っている。
ゴミ屋敷に住む年老いた母子の姿を自分たちの行く先を重ねたのか
さっきまで「あんたの事を考えるとお母さん、心配で眠れない夜もあるよ」
と零していた母である。
その母が満面の笑顔で夜中に大爆笑している。
どんな夢を見ているのか―。
それにしてもさっきの憂いを帯びたあの表情は何だったのだ。

東京と山梨を行ったり来たりする生活。東京のアパートは
あの頃の階段裏の物置と一緒だ。何か理由を作っては籠城する娘。
30を超えて角が立ってきた娘は中々に聞きわけが悪い。

私たち母子は東京と山梨の間で長い綱引きをしている。
母は娘に東京を引き払って戻ってきて欲しいと思い、
娘は娘でまだまだそうはいくかと踏ん張っている。
しかし時々、お互いが綱を緩める時がある。
今、引っ張ったら勝負はつく筈だ。
しかし互いの目が節穴なのか中々そうは運ばない。

眠気眼の私の視線の先に何やら写真を見ている母の姿。
目を覚ました私に気づくと「これ見て」と一枚の写真を嬉しそうに渡してくる。
その写真は父が写したのであろう、小さい頃の私が母と手をつないで歩いているもの。
母のお腹には弟がいる。
「女が一番幸せな時よね〜」
寝起き様に先制パンチを繰り出してきた。敵は中々に強者である。






2009年12月5日(土曜日)


厚顔無恥 ずうずうしくて恥知らずなこと。また、そのさま。

中々ブログが進まず完全に煮詰まっている状態。
どうにか、あと二日分、書き終わりますように。
すがる思いで難関突破のお守りを握りしめてみる。

持ち前の人見知りと口下手、そして中身のない人間だと
悟られるのが怖くて人前で喋るのが極端に苦手だ。
黙っていれば寡黙な人、上手いこと相槌をうって鋭い眼光で
相手を見据えることが出来たなら
あわよくば「この女、こう見えて内なる何かがあるのかも?」
と思われるかも知れない。
まあすぐにメッキは剥がれるだろうけど。
そんなことを思いながら鮟鱇鍋を食べていた。
あー旨い。
暫しブログのことが頭から離れる。
幸せな時間だ。
箸休めに胡瓜の漬物に手を出す。
すると右隣から出された箸とぶつかりそうになる。
井上淳一さんだ。
斜め前には小川智子さん。
そして少し離れたところに安井国穂さん。
2005年の基礎科、研修科でお世話になった先生方である。

プロットが書けない。
自分の好きなことだったら努力出来ると言う。
それが出来ない。
安井さんからプロットのお話を頂いて、
もちろん不安はあったが書けるものだと高を括っていた。
それが書けない。
焦る。焦っていることだけで一日が過ぎて行く。
余裕がないので食卓でついつい暗い顔を見せてしまう。
母も気になるのであろう。毎朝のようにプロットは出来あがったのかと聞いてくる。
そしてある朝―、どうなの?と遠慮がちに聞いてきた母に
書き終わったと嘘をついた。
その嘘が嘘でなくなるようにプロットを書き上げなくてはならない。
しかし…。
携帯に安井さんから電話がある。怖くて出れず。

暫くすると留守電の表示。
それを聞く勇気もない。

明日こそはと毎日思っていた。
明日こそプロットを進めてみせる。明日こそ安井さんに電話をして謝る。
明日こそ…明日こそ…

安井です。
年末恒例の落語&鮟鱇鍋の会のお知らせです。

日時 12月5日土曜日16時
場所 いつもの谷中「鳥よし」
会費 五千円
演目 宿屋の仇討ち 立川談慶

となっております。
なぜか今回は人気が高く、すでに残席僅かとなっております。
ご参加される方は、メールを下さい。
シナリオ45期のグループメール。
出欠席のメールが次々に届いていく。
皆、楽しそうだなとメールのやり取りを見ている。
もう私はこの中には入れないんだろうな。そう思うと淋しくなる。
安井さんに合わせる顔がないし…。

それがどうしたら鮟鱇鍋を平気な顔して食べていられるのか。
厚顔無恥にもほどがある。
本当に恥知らずな生徒です。

私が『セリザワケイコ』の力を借りないと自己紹介文も書けない
『宮下奈津子』です。
今のところ卑怯にも後出しジャンケンをしてそれにも関わらず
彼女の文章に惨敗しています。
いつか彼女が悔し涙を流すようなそんなシナリオを書きたいと思っています。

新入会員の紹介文でこう書いた。一年以上前の文章だ。
これまた厚顔無恥。
今の私はシナリオはおろかプロットも書けずにいる。
字を書くこと、「自分を書く」ことは怖くて不安だ。

若い人で何をやっていいか迷っていても、自分が負けちゃいけない。
大変でも生きていく。自信と執念をもって、それをシナリオに書いてください。
それは簡単じゃない。簡単では困ります。自動車を作る、鉄鋼所をやる、
料理屋をやる、屋台をやる、どれも難しいことです。
シナリオだけが易しいわけがありません。しかし、
誰も観たことのないものを覗ける、それが創作の悦びだから、
そういう強い人間になってほしいです。
今月の月刊シナリオでの新藤兼人さんの言葉だ。

私は逃げるのをやめて向き合うことが出来るだろうか。
自分にいつまでも負け続けているわけにはいかない。
厚顔無恥の上塗りをこれ以上続けていい理由はない。



2009年12月6日(日曜日)

アフタヌーンティーで働いていた時、店頭に並んだグラスを磨きながら
これで本当に良いのだろうか…と感じるようになった。
グラスを磨いているのがアホらしくなったというよりも、
無心にグラスを磨けてしまう自分に嫌気がさしたのかも知れない。


シナリオ講座の門を叩いた。


同じ夢を持ったライバルたちだ。そう簡単に仲良くなってはいけない。
どんどん挫折していって欲しいと思う。
シナリオ作家の椅子はそうそう用意されているものではない。
書いてきたプロットやシナリオをどんどん酷評されて来週から一人でも
ライバルが減っていけばいい。
仲良しごっこをしているわけじゃないんだから。
そう思っている。


しかし同じ時期、同じ場所で、同じように学んで、悩んで、時には助けられて、
それでも足を引っ張り合って、懲りずに好きな映画の話を朝までして、
居酒屋で笑い、傷を舐めあう…。
今、活躍していると聞けば妬み、
最近、連絡が取れなくなったと聞けば心配もする。


同じ道を目指した仲間。
彼がいなくなったことが淋しい。


1週間、私の日記にお付き合い頂きありがとうございました。
こんなにブログを書くのに骨が折れるとは思っていませんでした。
浅はかです。
出来、不出来は別にしてきっと今の私にはこれ以上のものは
書けないんだと思います。
今の私を精一杯書いたつもりです。
自分自身のことを書けているかはまだ分かりません。
何度も書いて恐縮ですが、プロットも碌に書けない私は
ここ何ヶ月、諦める道を考えていました。
このブログを書いたことで今はもう一度やりたいと
思っています。


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