シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
加藤正人 (シナリオ作家)

早稲田大学社会学部中退。
84年にっかつロマンポルノでデビュー。
06年、早稲田大学大学院国際情報通信。研究科客員助教授。

■映画
「クライマーズ・ハイ」「日本沈没」「雪に願うこと」「誰がために」
「機関車先生」「女学生の友」「水の中の八月」
「800/Two Lap Runners」 他
■TV
「ビタミンF」「よど号ハイジャック事件 史上最悪の122時間」
「天国への階段」 他
■受賞
第32回日アカデミー賞優秀脚本賞
第9回ズームアップ映画祭脚本賞
第15回モンス国際映画祭最優秀脚本賞、第4回菊島隆三賞
第61回毎日映画コンクール脚本賞


                            


2008年5月12日(月曜日)

本日よりこのページに、脚本家の日記を掲載することになった。
脚本家が一週間ずつリレー形式で書くという企画である。テレホンショッキングのライター版のようなものだ。
企画会議の席で、第1回の執筆者として私が指名を受けた。誠に光栄(?)なことである。テレホンショッキングの第1回は、確か桜田淳子だったと記憶している。私と彼女は、容姿も性別も歌唱力も思想信条も大きく異なる。でも、共通点がひとつだけあった。どちらも秋田県の出身だ。ま、そんなことはどうでもいいか。前置きが長くなったが、いよいよ日記を書く。

先週まで脚本の改訂作業に没頭し続けた。改訂のタッチが掴めず、気息奄々と直し続け、どうにかこうにか朝に仕上げてメールで送った。

今日は、午前中に早稲田大学の講義があるので、9時に家を出た。
池上線旗の台駅の近くまで来て、忘れ物に気づく。今日の講義で使用するパワーポイントのデータが入ったメモリースティックを、パソコンに刺したまま忘れてしまったのだ。
妻に自転車で届けてもらい、再び学校へと向かう。
10時40分から第2限の講義で、シナリオのテーマについて講義する。

講義が終わり、赤坂のシナリオ会館へ移動。
会館に入っている料理屋「弥市」で昼食を摂るつもりであったが、寸前でランチタイム終了。仕方なく、「長寿庵」で昼食。

14時から、シナリオ作家協会の理事会。
16時半から、合同総務委員会。

17時半に、監督の安藤紘平さんが、シナリオ作家協会にわざわざ私を迎えに来てくれたので、会議の途中であったが中座させてもらった。
タクシーで四谷に向かい、某出版社で打ち合わせ。
私と安藤さんの二人が監修してシナリオの本を翻訳出版するという企画を長年温めていたのだが、アメリカの出版社と契約を交わせそうな状況になり、いよいよ実現に向けて動き出したのだ。 この本が翻訳されれば、シナリオの技術書としては決定版になると思う。お金にはならない仕事だが、脚本家を目指す人たちにとっては、有意義な本になることは間違いない。これから、安藤紘平さんと一緒に作業を開始することになる。

出版社での打ち合わせが終わり、シナリオ作家協会に電話。すでに会議は終了したとのこと。
白鳥あかねさんが、安井国穂さんや佐伯俊道さんと一緒に赤坂で飲んでいるというので、合流することにした。



赤坂の居酒屋「正駒」に着くと、白鳥さん、安井さん、佐伯さんのほかに、井上登紀子さん、小松與志子さんといったシナリオ作家協会の理事がグラスを傾けていた。 脚本家の下島三重子さんも同席して、ちょっとした宴会モードになっていた。黒ホッピー1本で中味をお代わりして、駆けつけ4杯。
「正駒」は正統派の居酒屋で、私はここに来るといつも「ぬた」と「しめ鯖」を頼む。安井さんと佐伯さんは、どちらも話し上手で、いやあ、面白い面白い。どんなに面白いかここに書きたいのだが、著作権侵害にあたるといけないので(冗談です)次の機会に譲る。
新作の編集作業を終えたばかりの成島出監督が飛び入り参加して、宴会はさらに加熱する。
あまりに楽しいので酒が進み、「富乃宝山」のロックに切り替えて、酒宴は一気に盛り上がる。「富乃宝山」は飲み口が良すぎるので酒が進みすぎて危険。ということで、これもやはり私の贔屓である「泰明」のボトルを注文する。「泰明」は麦の香りが強烈で、「兼八」に似た麦焼酎だ。まだ有名ではなくブランド化されていないので安価で、先日も自宅に6本取り寄せてもらったばかり。
酔いが回るにつれ、話は盛り上がり、あまりに楽しいので、下島さんは、その場でシナリオ作家協会の入会を決意。(たぶん本気) そして遂に、男の中の男である佐伯俊道さんが、今日は軽井沢の自宅に帰らない、と宣言。やんやの大喝采。
勢いがつき「もう一軒いこう!」と、残った六名で渋谷百軒店の奥にあるおでん屋へタクシーで移動。 ここは佐伯さん馴染みの店で、一見何の変哲もない酒場だが、おでんは一流。大根、たまご、小振りのがんもどきを食べたが、さっぱりとしていながらきちんと味が滲みて美味かった。
最後の〆は、私の郷里である秋田の銘酒、「高清水」を冷やで頂いた。(秋田でオチがつきました)  タクシーで帰宅。大満足で布団に入った。

 (写真=赤坂「正駒」での脚本家たち)



2008年5月13日(火曜日)

久々に酒を飲んだので、快適に目覚めた。
昨日は、いい酒だった。楽しい酒は、量を飲んでも残らない。
午前中、メールの処理や雑事を処理する。

昼を食べて、日比谷シャンテで「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」を見る。平日13時の回だというのに、客席はかなり埋まっていた。これだけの長尺を迫力で引っ張る監督の腕力に脱帽した。
欲望に取り憑かれた者に宿る純粋さと、聖なる仮面に隠された邪悪さの対決という構図が面白かった。映画のコピーでは、冨と名声を手にしてから主人公の精神が蝕まれていく、というような描き方をしているが、私は、この主人公は最初からモンスターであり石油という冨によって特化されていく物語のように思えた。
ポール・トーマス・アンダーソンが、一作品ごとに映画のステージを駆け上っている姿が眩しい。
まだ若いのに、もうこの風格だ。羨ましい。映像、音楽、演技に、映画の醍醐味を堪能した。
ダニエル・デイ=ルイスが素晴らしいのは当然だが、ポール・ダノという俳優に凄さを感じた。「リトル・ミス・サンシャイン」で、喋らないという誓いを立てる青年を演じたあの俳優だ。今回の役は、カリスマ宗教者だが、不気味な影を引き摺る役所をうまく演じていた。この人が出演する映画は、次回も必ず見に行こうと思った。
ラストの対決は、原作小説のモデルとなった石油王が実際に住んでいた豪邸であるということだった。なるほどなァと思った。尋常ならざる雰囲気が漂っていたが、本物ならではの成果であろう。セットでは到底表現できない。



映画が終わって17時より、東映本社で脚本の改訂打ち合わせ。(内容はまだ秘密です) 打ち合わせが終わって、この企画の監督である成島出さんと二人で、軽く一杯ということになる。
東映を出て、丸の内東映の脇で、「クライマーズ・ハイ」の大きな看板を見る。 この映画は、私と成島さんの共同脚本でスタートした。4年前の4月、脚本に取りかかる前に、プロデューサーの車で、シナハンで御巣鷹山と一ノ倉沢の衝立岩を見に行った。
物語の重要な二つの現場をまず見てからシナリオに取り組もうという意図であった。
2004年の4月18日、まず一ノ倉沢に向かった。登山道は立ち入り禁止になっていた。
麓の事務所で、昨年もこの時期にカメラマンが一人亡くなったという話を聞いた。とはいえ、ここまで来て衝立岩を見ないわけにはいかないので、フェンスをくぐって衝立岩に向かった。
途中、道が雪の塊で塞がれた場所があった。雪崩である。これを直撃してしまうと、何底に突き落とされ一巻の終わりとなる。昨年亡くなったカメラマンもきっと雪崩が原因だと思った。気温が緩むこの季節は雪崩が発生するので、入山禁止となっているのである。



雪の山を乗り越えてさらに先へ進み、衝立岩へ到着したのは小一時間ほど歩いた頃であったと記憶している。
その威容を見て、これが今度の映画の原風景なのだと記憶にたたき込んだ。帰り道、急斜面のカーブを曲がった途端、もの凄い地響きが轟いた。振り向くと、今歩いて来た道は雪に塞がれて消えていた。
雪崩だった。直撃を受けていれば、谷底で仏になっていたところだ。1分ほど遅ければ、そうなっていただろう。そういう山の厳しさも感じることができて、有意義なシナハンになった。シナハンも命懸けである。
近くの民宿に泊まり、翌19日は、日航機墜落事故の現場である御巣鷹山へ向かった。
こちらも、山道は途中で通行止めになっていた。
車を降りて鉄のゲートをくぐり、山道を歩いてしばらく行くとやっと山頂への登り口に到着。そこから沢沿いに斜面を登り、山頂に到着するまで、かなり時間がかかった。
山頂の慰霊碑で520名の犠牲者の霊に合掌し、どうかこの舞台をシナリオに書くことをお許し下さいとお願いして下山した。
往復の行程で数時間かかったので、一日がかりの登山になった。
二つの現場をこの目で確認し、それからやっとシナリオに取りかかった。以来、何度か企画が立ち消えになり、復活しては改訂稿を作りという作業を重ね、一喜一憂しながら年月を重ね、ようやく完成した映画だ。この映画のために最も多くの時間を割いたのは、我々脚本家である。なのに、チラシの脚本家の文字は、虫眼鏡で見なければ判らないほど小さい。製作会社や配給会社は、脚本家をいったい何だと思っているのだろう。

「クライマーズ・ハイ」の看板の前を通り過ぎ、成島さんと二人で、有楽町で一番美味い居酒屋へと向かった。しかし、生憎満席で入れなかった。(これ以上混雑すると飲めなくなるので店名は記さない)
仕方なく「舛本」へ入る。ここも古い居酒屋で、いつも前を通るが入ったことはなかった。ここも典型的な日本の居酒屋。 二人で酒を飲みながら、改訂の方向について話し合った。
気がつけば二日連続で飲んでいることになる。以前はよく一緒に飲んでいたが、成島さんが超多忙になったので、なかなか一緒に飲めなくなってしまった。
今年の成島作品は、正月映画の「ミッドナイトイーグル」(監督)、6月の松竹作品「魚河岸三代目」(脚本)、7月の「クライマーズ・ハイ」(脚本)、11月の「ラブ・ファイト」(監督)と、4本も並んでいる。忙しいはずだ。 成島さんと一緒に飲むとつい飲み過ぎてしまうのだが、きちんとセーブして、早めに電車で帰った。

写真=@丸の内東映の「クライマーズ・ハイ」の看板
     A4年前の一ノ倉沢のシナハン



2008年5月14日(水曜日)

起床してシナリオ講座のブログに載せる日記を書くのに時間がかかり、慌てて家を飛び出した。
10時35分から、日活芸術学院で、特別講義があるのだ。
雨が降っていて、電車ではぎりぎりなので、多摩川の日活撮影所まで車でいくことにした。車の方が自宅から撮影所までショートカットできて早いのだ。
いつもは多摩堤通りから二子玉を抜け、世田谷通りに出て狛江経由という道を通るのだが、たまにはカーナビで行ってみようと思い立った。撮影所をセッティングしたら、環八から世田谷通りというルートに導かれてしまった。
環八の246手前はいつも混雑するのだが、やはり少々渋滞。
多摩堤通りで行けば良かったと後悔するも、時既に遅し。
焦りながら向かい、何とか10分前に学院に到着し、無事に講義を終了。

帰宅して、シナリオの直しの箱を考え、夕方、新宿へ。
今日は、19時から、新宿御苑のレストランで、今年の水木洋子賞を受賞した井上志津さんをお祝いする内輪の食事会があるのでだ。

新宿駅を降りて、地下鉄には乗らず、新宿TSUTAYAへ立ち寄る。
旧作ビデオDVDの半額クーポンがあったので、清水宏監督の「按摩と女」を借りようと思ったのだ。
だが、清水監督の棚に、作品はなかった。パソコンで確認をしたら、レンタル在庫があるというであったのだが、置いてなくてがっかり。
何も借りないのもつまらないので五所平之助監督の作品でも何本か借りようと思ったのだが、見たいタイトルはDVD化されておらずビデオなので、手ぶらで家を出て来た身としては荷物になるということで、レンタルを断念。
五所平之助監督の評価は低すぎると思う。作品がDVD化されていないのがその証だ。これほどの監督なのだから、再評価されるべきだと思う。

TSUTAYAを出て、会場の新宿御苑脇の「礼華」という中華料理屋へ向かった。
受賞者の井上志津さん、志津さんのお母さんの井上正子さん、荒井晴彦さん、井上淳一さん、斉藤久志さん、シナリオ作家協会の日中シナリオシンポジウムなどで大変お世話になっているアンニさん、仲偉江さん、私の計8名でお祝いの会がスタート。



 
(写真上=新宿御苑「礼華」にて 写真下=右:井上正子さん/左:井上志津さん)

「礼華」は、お洒落な四川料理のレストランで、荒井さんが推薦してくれたお店。それなりの値段だが、味は抜群。 前菜の盛り合わせに始まり、「乾し貝柱とホウレン草の翡翠スープ」「文昌鶏のロースト」「フカヒレの土鍋入り姿煮込み」「モンゴイカと彩り野菜の大葉炒め」「甘エビと豆腐の四川風煮込み」と続き、〆は「豆乳入りタンタン麺」。デザートは5種類から選べ、私は食べたことがなかったので、「亀ゼリー」を頼んだ。 体験したことのないほろ苦い味に、さぞかし体にいいのだろうなァと思った。
聞けば、荒井さんが、どこそこの食材屋に缶詰で置いてあるとのこと。そういう情報は、本当に詳しい。確かパソコンをやらないはずだから、インターネットではない。いったいどこで情報を仕入れるのだろうか、と感心する。
四川料理なので、辛さは強烈で顔から噴き出す汗を拭いながら食べたのだが、美味いので満腹になってもすべて完食した。

食事が終わって、新宿二丁目の「BURA」に全員で移動。ママの節ちゃんが、井上志津さんの受賞を祝して、シャンパンをプレゼントしてくれた。
シャンパンのグラスを掲げて、もう一度乾杯。美味しいものを食べると、幸せな気分になって場が和む。だから話も弾む。
中国へ行った時の想い出話から、中国革命の堅い話題や、不謹慎な冗談まで、とめどなく面白い話が湧きあがり、気がつけば12時になっていた。
日付が変わったので、続きは翌日の日記へ……。



2008年5月15日(木曜日)


日付が変わってまだ新宿二丁目の「BURA」でグラスを手にしていた。 いっこうにお開きになる気配はない。 受賞のお祝いはいい。慶事の集まりは心が弾む。
最近弔事ばかり多くなってしまったような気がしていたので、こういう集まりは貴重だ。これからも、何かにつけてお祝いの会をやった方がいい。

3時になって、「そろそろ失礼します」と腰を上げた。

私はそのまま帰宅したが、荒井さん斉藤さん井上淳一さんたちは、もう一軒ハシゴする雰囲気。どうやら朝までコースのようだ。

帰宅して目が覚めて、作協のブログを書き、歯医者に行かなければと焦っていたのだが、金曜日と木曜日を間違えていた。今日は休診日だった。手帳に間違って書き込んでいたのだ。
歯医者がないので、改訂の箱書きを書く。大直しになったので大変だ。
なかなかうまくいかず、筆休めにDVDを見る。
「東京物語」と「羅生門」。参考になる映画ではなかったが、つい見入ってしまう。

夕方、近くのクリニックに行き、痛風と血圧の薬を処方してもらう。前回の血液検査で尿酸値が8.9もあったので、薬は辞められない。血圧も高い。原因ははっきりしている。酒だ。
今週は飲み続けているので、今日は休肝日にしよう。

というわけで、しっかり酒を抜くことにした。
古いシナリオを読んだりしながら、あまり構成をまとめられないまま一日が終わってしまった。



2008年5月16日(金曜日)

12時に茗荷谷の歯医者へ行く。
このクリニックの先生は名医で、最近から家族で通っている。
レーザーで歯周病菌を焼いてもらい、ぐらぐらしていた歯が動かなくなってきたと言われて感激。



治療を終えて、丸ノ内線で池袋へ。
今朝から楽しみにしていた四川料理の店に行くことにする。
井上淳一さんから教えてもらった「知音食堂」というのがその店。北口の「吉野屋」が入ったビルなので、すぐに看板を発見する。
地下だというので、降りて食事を始めたが、麻婆豆腐を口にして???
もしかして! と看板を見ると、やっぱり。 隣の「金王府」というレストランに入っていたのだ。どうりで、麻婆豆腐が四川料理の味ではないはず。 それでも、入ったからには、しっかり食べる。
料理4品、サラダ、スープ、ライス、杏仁豆腐が食べ放題で680円。安い。値段が値段だから、味はその程度……。
「知音食堂」は、次回の楽しみにして、ウォーキングがてら、池袋の街を小一時間散歩。
学生時代は東上線に住んでいたし、大学中退後も脚本家になる前のフリーター時代は池袋の居酒屋で5年間ほど働いていたので、この街でよく飲んだ。
しかし、二十年以上歳月が流れてしまったので、そういうお店は三分の一も残っていない。ここもなくなっている、あそこもなくなっていると思いながら歩き回る。
ビルの看板だけが残っていて、店が変わっているところもある。古ぼけた看板を眺めて、なんだか自分も古くなってしまったような侘びしい思いに襲われる。

帰宅すると、シナリオ誌の6月号別冊の「脚本家白坂依志夫の世界 書いた! 跳んだ! 遊んだ!」が届いている。私も拙文を寄せているので、送ってくれたのだ。
早速、読み始める。メインとなった連載は読んでいるから、まず寄稿された文章を読む。あまりの面白さに、つい本文まで読み始めてしまう。
笑っていると、娘が何を読んでいるのかと訊ねるので、面白い部分を開いて見せると、そのまま本を横取りされてしまう。
白坂依志夫さんが学生時代から外車を乗り回していたことは聞いていた。小谷承靖監督の文章ではクリーム色のアルファ・ロメオが登場している。荒井晴彦さんは、赤いジャガー、石松愛弘さんは、カルマンギアと書いている。私が聞いたのは、ポルシェである。
それぞれ時代が微妙に違うから、きっと女性のように、世界の名車を華麗に乗り換えていたのだろう。今度会った時に、車のことは聞いておこう。



別冊シナリオの「脚本家白坂依志夫の世界」は、ボリュームがあって千六百円という低価格に設定してある。
車はさておき、白坂依志夫という脚本家は不世出の天才だ。
この本を読めば、スケールの違いに納得するはずである。
脚本家志望の人はもとより、映画ファンにはぜひお勧めする。日本映画の知られざる世界が書かれてあるから、ページを捲ればもう止まらなくなるであろう。売れて欲しい。
この本が売れれば、また別冊で脚本家が取り上げられる可能性もある。まだ特集で出して欲しい脚本家がいる。
天才の本を読んで自分の非才に溜め息をつき、仕事に戻る。
構成の直しの箱を組み、夜になる。完成は、明日の朝だ。

(写真=(上)池袋「知音食堂」の看板 (下)別冊シナリオ「白坂依志夫の世界」)



2008年5月17日(土曜日)


朝9時、やっと箱書きが完成する。さっそくメールでプロデューサーに送る。

雑事をこなして、お昼に家を出る。 東映で午後1時から打ち合わせ。 午後5時までかかって打ち合わせが終了。今月中に改訂稿を仕上げるということになる。 方向性が見え、どうにか目処が立ってホッと一安心する。

東映を出て、有楽町マリオンに向かう。大苦戦している「隠し砦の三悪人」を見ようと思ったからだ。
しかし、次回上映までは1時間半以上ある。それだけ時間を潰すとなると、やはり酒だろうな、と思う。
そんなことを考えながらふとマリオンの柱を見ると、「築地魚河岸三代目」の大きなポスターが貼ってある。脚本のクレジットに、安倍照雄さんの名前があった。
つい数日前、松竹のプロデューサーと飲んでいる酒場から自宅に電話があり、近いうちに飲みましょうという約束を交わしたばかりだ。
さっそく電話をかける。
安倍さんが出て、ぜひ飲みましょうということになる。
場所はどこで? ということで悩む。
あれこれ検討した結果、北千住という結論になる。
私の方がいくぶん早く到着しそうなので、北千住の駅前にある有名な立ち飲み串揚げ屋「T」で待ち合わせ、先に飲んでいることにする。

大きな暖簾をくぐって「T」に入ると店内は満員。レモンハイと串揚げを頼んだが、いつの間にかかなり値段が上がっているのにびっくり。
立ち飲みでこの値段は、ちっとも有り難くない。
ここで腰を据えて飲むのはやめようと思っていると、安倍さんが登場。
ちょうど一杯目を飲み終えていたところなので、店を出て別の居酒屋へ行きましょうということになる。

「何か暗い感じで飲んでましたよ」と安倍さんに言われる。不満たらたらで飲んでいたのを見透かされていたのだ。恥ずかしい。
安倍さんの話だと、値上げは、ごく最近だという。
商店街を出て、私が最近チェックした「徳多和良」という店を探して訊ねて見る。
初めての店は、どんなだろうとわくわくする。
行ってみると立ち飲み屋。狭い店内は超満員。いい店のようなので、表で少々待つことにする。
酒、つまみなど、ほとんどが315円。酒を頼み、肴を注文する。
焼酎を飲みながら待つこと暫し、ようやく肴が出された。鱧の湯引きを、梅酢のタレで頂戴する。
わらさの刺身も質量ともに申し分ない。鰻のキモ煮もおいしい。
これ、すべて315円。大感動でグラスを重ねる。

次は宿場通りの「大はし」ここが今日のメイン。
安倍さんが来たことがないというので、ここの煮込みを食べさせたいと思ったのだ。
煮込みが320円。これが東京の三大煮込みの一つといわれている。私は、肉豆腐と、焼酎の梅シロップ割りという懐かしいメニューを頼む。明治十年の創業というから、創業130年を超える。
「てれすこ」を書いた人だから、安倍さんは落語に詳しい。というよりも、ほとんど落語家のような人だ。実際、落語も喋れる。だから「てれすこ」が書けたのだ。
安倍さんは、話がべらぼうに面白く、こういう店で飲んでいるとぴったり馴染む人だ。
話術巧みな安倍さんに腹を抱えながら、エシャレットを囓り焼酎を飲む。どんどんいい気分になり、もう一軒ということになる。

最後は安倍さんの地元、浅草へ。
日本堤の「大林」へ行きたかったのだが、早じまいで駄目だろうということで、頭に浮かんだのが、本所吾妻橋に地元の人でいっぱいになるモツ焼き屋があるという情報。場所と店名を知らないので、その情報を教えてくれた人に電話をして所在を確認する。お店は「稲垣」だった。
目指すモツ焼き屋へ入ると、店内にはもうもうと煙が立ちこめていて奥がよく見えない。生憎満席で、別棟の店に案内される。店内を奥に抜けると、トイレがあり、その両棟も同じ店。しかも2階まである。まるでモツ焼きの隠し砦だ!
座敷には家族連れが多く、小さな子供が店内を歩いていたりする。下町のファミレスといった様相を呈している。 店員はきびきびとよく働く。歩かないで、走り回る。注文を取り大きな声で奥に告げては走り、料理の皿を出しては走り、階段を駆け上り、駆け下りる。だからメタボの店員はいない。きびきびと動く姿を見ていると気持ちがいい。

私は痛風持ちだからモツはあまり食べない。
安倍さんはモリモリ食べる。「そんなに食べて、大丈夫?」と訊ねると、「何を言ってるんですか。こうやって食ってこの体を作ったんですよ。私は、病気のデパートですから。はい」という明るい答えが返って来た。

いい時間になり、安倍さんに浅草駅まで送ってもらい、都営浅草線で帰宅。 楽しさに時間の経つのを忘れ、ブログ用の写真を撮るのも忘れてしまった。
今日は新規開拓の店が二軒で大満足。
「脚本は脚で書く」ということばがあるが、「脚本家は脚で飲む」ということでしょうか。
明日こそ酒を抜かねばと思ったが、そうは問屋が卸しそうもない。
二十四時間後は、阿佐ヶ谷で飲んでいることだろうなァ……と想像しながら電車に揺られる。昨日ほとんど睡眠がとれなかった疲れが襲いかかってきた。
たちまち幸せな眠りの底に沈んだ。



2008年5月18日(日曜日)

朝からシナリオの本を引っ張り出して、あれこれ読み始める。
今取り組んでいる仕事のヒントにしたいという思いと、もう一つは明日の講義資料を補強するのが目的。名作シナリオを広げたりすると、つい読み込んでしまうので、あっという間に時間が過ぎてしまう。

映人社から出ている「シナリオ創作論集」という本(1977年刊)がある。その中で、柳沢類寿さんが、人物設定について書いている。 次のような一文がある。
チャールス(ママ)・ブラケット」のシナリオ十訓の第九条に曰く、「同じ考えを持つ人間同志(ママ)に依るシーンを避けよ。」
チャールズ・ブラケットは、あの名脚本家である。
シナリオ十訓というのは、どういうものだろうか? ブラケットの骨法十箇条のようなものなのだろうか? 疑問になってネットで調べてみたが、さっぱり判らなかった。
残りの九訓は、どのようなことなのだろうか? 気になる。 そんなことを思いながら、気がつくともう5時半になっている。
今日は、白坂依志夫さんを囲む内輪の食事会があり、井上正子さんから誘われていたのだ。
慌てて仕事をまとめて、家を飛び出る。

ラピュタ阿佐ヶ谷では「脚本家 白坂依志夫」という特集上映が始まった。その初日に、ラピュタに集まって、食事会をしようということになっていたのだ。
ラピュタ阿佐ヶ谷に到着し、ロビーで待っていると「氾濫」の上映が終わり、白坂さんが劇場から降りて来た。(私も時間があれば「氾濫」を見たかったのだが、十日前にDVDで見たばかりだったので今回は見送った。「氾濫」も大傑作だ。伊藤雄之助演じるオカマの華道家元は必見。お勧めの一作だ)
エレベーターで3階に上り、レストラン「山猫軒」へ移動する。



 
(写真上=山猫軒での食事会 写真下=食事をする白坂さん)

白坂さんと盟友の藤井浩明プロデューサー、お弟子さんにあたる桂千穂さん、松本真樹さん、井上正子さん、お嬢さんの志津さん、若月ユウ陽さん、ラピュタの阿佐ヶ谷の支配人である才谷遼さん、事務局の才媛古屋志乃さんというメンバーで、食事会が始まる。
美味しい食事とワインに舌鼓を打ちながら、白坂さんと藤井さんと桂さんの、貴重な話に聴き入る。
あっという間に時間が過ぎてしまう。
白坂さんに、昔乗っていた外車とチャールズ・ブラケットのシナリオ十訓について訊ねてみようと思っていたのだが、宴席が盛り上がっていたので無粋な質問をする機会を逸してしまう。
お開きの時間になり、皆でお勘定を……ということになったのだが、何と才谷さんがすべて支払って下さることに……。
申し訳ないと思いながらも、ご厚意に甘えてしまう。 この場を借りて、改めてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

ラピュタ阿佐ヶ谷の「脚本家 白坂依志夫」の特集は、本日から7月の上旬まで長きにわたって上映される。 シナリオライター志望者のみならず、映画人の卵は、上梓されたばかりの「脚本家 白坂依志夫の世界」を買い求め、ラピュタ阿佐ヶ谷で、天才白坂依志夫ワールドにどっぷり浸って欲しい。(著書は劇場にも売っています)
レストランを出て皆と別れ、新米脚本家の頃飲み歩いた阿佐ヶ谷の街を散歩して通い詰めた店を回る。 その多くは消えている。一軒だけ看板を残している店もあったが、ガラス窓から覗くと、知っているマスターではなく若い人がカウンターに入っていた。少々躊躇したが扉を押さず、踵を返し電車でまっすぐ帰宅する。
ということで、一週間の日記を終える。

明日から担当するのは、安井国穂さん。
日本一の脚本家だ。安井さんには、いくつかの日本一がある。
まず、日本一将棋が強い脚本家だ。師匠の下飯坂菊馬さんは日本一囲碁の強い脚本家であったが、弟子は将棋が日本一強い。 また、日本一ラスベガスに多く通っている脚本家でもある。師匠譲りで、ギャンブルが強い。ラスベガスでポーカーをやっているというから、アマチュアの域を超えている。
それほどの趣味人であるが、日本一忙しいのではないかと思わせるほど脚本を書きまくり、我々をうらやましがらせたりする。
体脂肪率日本一と自称していた頃もあったが、これは本人一流の自虐ネタで、驚くほどのメタボではない。 芸人も裸足で逃げ出すほど話術に長けている粋人だから、きっと日記も面白いに違いない。
要チェックである。
安井国穂さん、明日からよろしく。


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