シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
   柏原寛司
(シナリオ作家・映画監督・社団法人シナリオ作家協会会長)

社団法人シナリオ作家協会 会長。
1949年生まれ。東京都出身。シナリオ研究所22期修了。
日本大学芸術学部文芸学科卒業。在学中に東宝撮影所に
アルバイトとして入り、「クレクレタコラ」で脚本と助監督を経験。
1974年「傷だらけの天使」で脚本家として本格的にデビュー。
50期研修科夜間部専任講師。

■映画
「STRAIGHT TO HEAVEN〜天国へまっしぐら」
「名探偵コナン 紺碧の館」「ゴジラvsスペースゴジラ」
「あぶない刑事シリーズ」「ルパン三世DEAD OR ALIVE」 他
■TV
「名探偵コナン」「警視-K」「豆腐屋直次郎の裏の顔」
「プロハンター」「刑事貴族」「ルパン三世」「あぶない刑事」
「ベイシティ刑事」「キャッツ・アイ」「ザ・ハングマンU」「西部警察」
「探偵物語」「大都会」「大追跡」「俺たちの朝」「太陽にほえろ!」 他


                            


2009年6月8日(月曜日)

今日から一週間、日記を書くことになってしまった柏原です。
前に日記を書いた時、八ヶ岳のアジトにいるジョンのことをはじめ、いろいろとバカな事を書き、各方面に顰蹙をかってしまった。

 

そうならないよう、今回は真面目に書くことにする。
まず仕事のことだが、いまは○○○○○という制作会社で×××監督作品の企画を動かしており、その脚本を講座の卒業生の△△△△嬢と一緒に書いている。
内容はというと、○○が××××して△△するという、自分が得意とする☆☆☆ョ☆と、××監督が得意とする●●ーを組み合わせた□□を超えたエンターテインメントである──って、書いたって何のことかさっぱり判らない。
つまり、映画の話はいつポシャるか判らないし、裁判員制度で裁判員に選ばれちまったヤツと一緒で、内容は誰にも言ってはいけないからである。
仕事の話が出来ないとなると、女の話を書くしかないが、誰が好きだとか、誰と付き合っているなんて事を書くと、それ以外の女から刺される可能性があるので、それもマズイ。
て、いうか、まずカミサンにメシを作ってもらえなくなってしまう。
仕事、女が駄目となれば、地下の事を書くしかない。
実は、ウチのビル──と、いってもマッチ箱ほどなのだが──の地下に試写室を作っているのである。
今日、ようやく35ミリの映写機が映写室にセットされた。





なぜ試写室なんてモンを作るハメになったかは、これから一週間かけ、シナリオではあまりやってはいけない回想を入れながら、日記として書いていくつもりである。




2009年6月9日(火曜日)

今日の地下はこうなっている。
映写室のガラスが入り、






スクリーンや幕を取り付ける枠組みの工事が終わり、中に入れるスピーカー用の台も完成した。





あとはスピーカーとスクリーンを取り付ければ、スクリーン回りは完成するのだが、まだ木工事が残っているので、それが終わったら取り付けることになった。と、いうのは、スクリーンやスピーカーは埃が大敵だからである。

さて、なぜ地下に試写室を作るハメになっちまったかということを書く。
話は2005年9月に逆上る。
この頃ハマっていたヤフオクで、映画館用の35ミリ映写機2台が出ていたので、それを75万で落としてしまったのである。



実は自分が監督した藤竜也氏、宇崎竜童氏主演の『猫の息子』のワンロールだけ35ミリフィルムを持っていたのだ。プロデューサーがスタッフタイトルの名前を間違え、新しく焼き直したため、ワンロールだけがいらなくなったのである。
ま、それをかけようという軽い気持ちだったのが、そうは問屋が卸さなかった。
35ミリの映写機は家庭用の100Vの電源では動かないのである。さらに、熱を冷ますために水冷式になっていて、水道をホースで繋げなければならない。
そんな訳で『猫の息子』の映写は諦め、2台の35ミリ映写機は事務所のオブジェとなってしまったのである。



2009年6月10日(水曜日)

ヤフオクで落としたものの、事務所のオブジェになっていた35ミリの映写機だったが、それを見ているうちにある計画を思いついた。
それは自分の映画館をつくる事である。
実は2003年10月に大川俊道、室賀厚とともに有限会社を設立していた。
会社の名前は『KOM』(ケー・オー・エム)、自分と大川と室賀の頭文字のアルファベットを繋げただけである。



ローバジェットの映画が多くなり、それに下請の製作会社が入ると現場に落ちて来る金が更に減ってしまう。
そういう事を避けるために、制作の受け皿としての会社をつくろうと思ったのが、設立の動機であった。
そこから発想を膨らませ、映画を創るだけじゃなく、自分たちの作品を上映出来る映画館もつくってしまえば、規模は天と地の違いはあれ、東宝や東映、松竹と同じということになる。
そう思いついた事で地下室の映画館計画が一気に進み出した。
ウチの地下には同じ居酒屋が30年近く入っており、まずその居酒屋を出してしまう計画を立て、2006年12月をもって居酒屋に出て行ってもらうことに成功したのである。
そこでダチの建築屋に図面を依頼し、映画館計画が具体的に動きはじめた。

ま、この続きは明日のお楽しみ、って事で、今日の地下はこうなった。
映写機が初めて通電され、回ったのである。




シネスコとスタンダードのサイズはこうなる。




夜にはシナリオ誌に連載中である『柏原寛司の映画館へ行こう』の対談があった。
桂千穂さんからは、
「面白いですねえ、柏原さん。そのうち誰かから殴られますよ」
と、言われるし、自分を狙うヒットマンがいるという噂を聞いたこともある。
まあ、勝手にしろだが、来月号は監督の佐藤武光氏がゲストで、取り上げる映画は『ガマの油』『重力ピエロ』『THE CORD/暗号』『インスタント沼』そして韓国映画の『チェイサー』である。
こっちの方もお楽しみに。



2009年6月11日(木曜日)


2008年1月、地下の居酒屋の造作を解体し、映画館計画が動きはじめた。
まず、中学からのダチで一緒に悪いことをしまくっていた建築屋のTと、大学からのダチでハマで遊びまくったり熱気球を一緒にあげたりていたMを仲間に引き込んだ。
Tには映画館の設計を、Mには映画館の支配人をやってもらうつもりなのである。



Tがいろいろ調べてラフな図面をあげたのだが、ヤツの答えは、
「映画館は無理だぜ」
で、あった。
ウチのビルの造りでは建築基準法に引っかかるというのだ。
映画館は不特定多数の人間が集まることから、建築基準法や消防法などの縛りがやたらキツイのである。
ま、そうではあっても強行突破が自分の信条なので、Tに図面をあげてもらって区役所の担当部所に持って行った。




担当者の見解はTと同じであった。
建築基準法での問題は二点。まず一点は二方向非難路がない事。そして、もう一点は階段の幅が10センチちょっと足りない事だ。
二方向非難路とは、入り口ともう一カ所別の出口がなくてはいけないというものだが、あまり広くない地下室なので、出入口が階段一カ所しか取れないのである。
「あなたの会社の試写室ならいいんですけどね」
と、担当者が言った一言で、方向性が決まった。
もうここまで来ちゃあ引けないし、映画館が駄目なら会社の試写室でもいいと腹を括ったのだ。
Tが健康を害して入院したこともあり、以前より親しくさせてもらっていたミニシアター建設のプロであるH氏に試写室建設をお願いし、本格的に工事に入ることになる。






この続きはまた明日ということだが、今日は2人、来客があった。
女優兼シナリオライターの梶原阿貴と『夜逃げ屋本舗』の原隆仁監督である。





阿貴は自分よりカミサンと親しく、たまに顔を出してはメシを喰って帰って行く。去年は自分がやっていた『ゴルゴ13』を何本か書いている。
原監督とは映画の企画を打ち合わせした。
こっちは面白くなりそうな予感がする。



2009年6月12日(金曜日)

2009年2月から本格的な工事がはじまった。
まず地下をスケルトン状態にして、そこに新しくコンクリートを張って下地をつくった。




地下の図面もあがってきて、やっと試写室の形が見えて来る。





図面を見ると実感が沸いてくるのだが、それと同時に重い現実がのしかかってくるのだ。
それは資金計画である。
イケイケで行ってしまっているので、資金計画なんかはまるで考えていなかったからだ。長年付き合いのある税理士からは、KOMの事業にして金融公庫から金を借りた方がいい、とアドバイスされた。
映画館ならある程度の収入は見込めるが、KOMの試写室ではそうはいかない。
映画館としての営業許可がおりないということは、興行組合に入れないということである。興行組合に入れないということは、メジャーの映画会社からはフィルムを借りられない、ということなのだ。
植木等先輩(高校の先輩なのである。ちなみに、青島幸男氏は小学校の先輩である)主演の東宝映画や特撮物、それに東映の『昭和残侠伝』『緋牡丹博徒』などの任侠物や『仁義なき戦い』をはじめとする実録路線、それに山田洋次監督の『馬鹿シリーズ』や日活ニューアクションなどなど、自分が観たい作品が上映出来ないのである。
まだまだ問題は山積であった。

と、いうことで、6月12日の地下室はこうなっている。
今日はテストフィルムを上映してみた。






床にはカーペットが貼られ、ますます映画館っぽくなってきた。



工事の進行状況を見ていると、化粧していく女性と一緒で、オイオイ、こんなにバケるのかよ、という感じで変わっていく。
試写室と女は恐ろしい。




2009年6月13日(土曜日)


4月、5月と地下の工事は資金計画以外は順調に進んでいた。






しかし、ここで問題が起こった。
水漏れである。
地下であるし、以前から大雨が振ると水漏れするのは判っていた。
近所のビルでも地下のバーが水漏れのために廃業したのも知っている。
その水漏れが床の下地を張ったあとではじまったのだ。




で、親戚の防水屋に来てもらって診てもらったところ、さすがプロである。ビルの周囲に水の溜まりがあることを発見し、水抜きをはじめたのである。



防音材を取り付ける予定の壁に穴を開けたところ、まるで小便小僧のように水が吹き出したのだ。
これで何とか水漏れの問題もクリアすることができた。
映画館──ではないが、試写室の場合には湿気がヤバイのである。

カビの温床になるし、客がカビにやられては困るのだ。
揉め事の処理と同時に、客席の椅子選びも行った。





映画館や劇場用の椅子を扱う大手の展示場を回り、坐り心地を確認し、予算と相談の上でドリンクホルダーつきの椅子を選んだ。
 その椅子は17日の水曜日に取り付けられるのだが、その頃にはリレー日記が終わっているので写真をアップできずに残念である。

 13日の土曜日はのんびりとしたモンで──と、いっても伸ばしている映画のシナリオは書かなけりゃならないのだが──多少の息抜きをさせてもらった。
 地下はトイレに便器がつき、工事もラストスパートに入っている。



2009年6月14日(日曜日)

今日でこの日記も最後になる。
地下の試写室は今月中に完成するので、我が社KOMの関連作品を上映し、研究会や勉強会なんかをやってみようと思っている。

今日は業務用の16ミリ映写機を地下に運ぶので、男どもに声をかけたところ、50期研修科から3人、先輩のライターM君、そして俳優のI君が助っ人としてきてくれた。
業務用の16ミリは映写機の部分と電源部分に別れており、電源部分が80キロもあるのである。




それを何とか地下に運んだので、一同にメシをゴチしてやった。 が、節操もなく一番高い定食なんかを喰うヤツも出てきたのである。






頭にきたので、ウチの2階の事務所にある留置所へブチこんでやった。






その後、M君と2人で八ヶ岳へ行ったのだが、想像していたとおり、アジトの回りは雑草が生い茂っていた。





留置場にブチ込んだ連中に今月末にでも刈らせるつもりである。

それでは、おあとがよろしいようで──。


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