シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
    掛札昌裕 (シナリオ作家)

  1938年生まれ。東京都出身。1960年慶応大学法学部卒業後、
  東映に入社。京都撮影所助監督となる。1970年フリーとなり、
  現在に至る。シナリオ講座第54期研修科専任講師。

  【映画】
  「爆走トラッカー軍団」「修羅の人間学」「文学賞殺人事件 大いなる助走」
  「童貞物語」「ダンプ渡り鳥」「空手バカ一代」「ドカベン」「トラック野郎」
  「パンツの穴 花柄畑でインプット」「ドカベン」「花と蛇」他
  【TV】
  「遠山の金さん」「源義経」「隼人が来る」「河童の三平 妖怪大作戦」
  「泣いてたまるか ビフテキ子守唄」「渥美清の泣いてたまるか 吹けよ春風」
  「鉄道公安官」「花よめは16歳」「警視庁殺人課」他


                            


2010年4月26日(月曜日)

日記をつけるのは小学校の絵日記以来だろうか。普段は作協の手帖に簡単にメモするだけなのだ。
試写会の最終日がきてしまったので、東宝の試写室で「トリック」を観た。「ライアーゲーム」もそうだったが、映画というより、ゲーム感覚の世界である。
ついでに、向かいのスカラ座で、見逃していた「シャッターアイランド」を観る。謎めいた島というと映画館へ吸い寄せられてしまうのは昔からの習性なのだ。戦後の東横映画「獄門島」から始まって、「ドクターモローの島」などずいぶん観た。ミステリアスな島という設定はいつの世にも幻想をかきたててくれる素材です。



2010年4月27日(火曜日)

昨日、催促されたミニコミ誌の原稿を書き始めた。短い文章なのに、ギリギリにならないと机に向かわない悪癖はいまだに治らない。
昨年、知り合った大泉の「かわらばんOH!」の編集者から、短いエッセイを頼まれていたのだ。自分と大泉のかかわりを書くコーナーだから、以前、撮影所へ通っていた頃をあれこれ思い出す。
当時は量産時代で、一週間に一度位の感じで打ち合わせに来ていた。
夜遅くなった時など、今はオズになっているオープンに煌々とライトがついて、夜間撮影が続いていた頃だ。
短い文章なのに、結局一日かかってしまった。



2010年4月28日(水曜日)

シャープの検査員がやって来た。
FAXのインクリボンが巻きついて動かなくなってしまったのだ。
原因はインクリボンの種類が違うことで機能しませんと言われてしまった。
インクリボンにも番号がついていて機種によって違うことを初めて知った。
そんな事も気付かず買っていたのが、作動していたのだ……。
午後、前の講座生が送ってきたシナリオを読む。
2本とも発想は面白いが技術がまだまだ追いついていない。
シナリオはいかに作者の思いを伝えられるか。
そこが一番むずかしい。



2010年4月29日(木曜日)


やっと四月らしい陽気に戻った。
自宅近くのルノアールで、鈴木則文監督から紹介された小川晋さんからインタビューを受ける。
近く洋泉社からでる「トラック野郎完全本」の取材である。
小川さんは、桜美林映像学科で教えている方で熱心なトラック野郎の研究家。
自分で集めた資料を網羅して限定出版の本までつくってしまった超マニアの人なのだ。
他のシナリオの話にもなったが、書いた本人より詳しいので驚いた。
午後、同じエリアの生徒さん達が遊びに来た。皆、感性が豊かなのでこれからが楽しみだ。今日の集まりの目的は勉強ではない、焼肉を喰う為だ。案内された白山の焼肉は東京でbRというだけあって抜群に美味かった。



2010年4月30日(金曜日)

我が家の子犬をバッグに詰め込み、バスに乗って伝通院の動物眼科専門病院に定期検診の為連れて行く。
昨年、近くで犬を何匹も飼っている人からペットショップで6ヶ月売れ残っている可愛い子犬がいる。あのままでは処分されてしまうと頼みこまれ飼うことになったのだ。
ところが一ヶ月もたたないうちに目が白くなり若年性白内障だと診断された。
ペットショップに文句を言うと、別のに交換しますと言う。その先は店がブリーダーに返し、処分されてしまうらしい。ひどい話しだ。
やっと捜しあてたこの病身で手術し、人工のレンズでやっと視力を回復した。
コッカスパニエルはこの病気が多いらしい。そんな事が判っていて、どんどん増やすブリーダーという人種は、あまりに無責任だ。



2010年5月1日(土曜日)


未知の映画評論家、唐沢さんという方から電話を頂いた。
先月、角川書店から発行された「ゴジラアーカイブス」に掲載された「火焔人間」のシナリオの事でインタビューしたいという話だった。
この本は流れた東宝映像のシナリオばかりを集めた珍しい本である。
2作とも、福田純監督から頼まれたもので「火焔人間」というタイトルに、大いに乗ってやった仕事だけに流れてしまったのは今でも残念だ。何とか実現してほしいと、透明人間までくっつけて2本目も書いたのに……。
プロデューサーの田中文雄さんは、のちにSF作家になった方だ。
監督もプロデューサーも、もうこの世にはいない……。



2010年5月2日(日曜日)

今日も快晴である。
久しぶりに散歩にでた。
家から一寸歩くと、とげぬき地蔵通りにでる。
GWが始まったので、お年寄りで、歩けない程の混雑だ。
子供の頃から見慣れた風景だが、ここを歩いていると、なんとなく落ち着く。
違和感なく、とけ込んでしまっているという事か。
駅前の方に戻り、フーゾクの角を曲がると駐車場がある。ここは巣鴨演劇という映画館があったところだ。
スタートは東宝の封切りで、その後、邦洋2本立てとなり、最後はピンクになって潰れてしまった。
ここで何百本観たことか。
自作のピンク3本も、ここで観ているが、タイトルを忘れてしまって思いだせない。(主演女優は辰巳典子だった)。
やっぱり、日記はしっかりつけておかないと……。
後悔しても、もう手遅れだ。


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