シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     
   石森史郎 (シナリオ作家 )

1931年北海道生まれ。日本大学藝術学部映画学科卒業。
在学中に執筆した「晩鐘」が、シナリオ作家協会新人シナリオ
コンクールに入賞。テレビ「ママちょっと来て」で脚本家デビュー。

日活映画「夜霧よ今夜も有難う」「ああひめゆりの塔」執筆後、松竹と契約。
「約束」「旅の重さ」「同棲時代」「愛と誠」「ふれあい」「博多っ子純情」
「凶弾」など。
フリーとなり「狼の紋章」「阿寒に果つ」「泥だらけの純情」、
東映「暴力学園大革命」「ボクサー」。
東映動画「銀河鉄道999」角川映画「ボビーに首ったけ」。
大林宣彦監督と「青春デンデケデケデケ」「あの、夏の日」「告別」「理由」。
テレビはNHKテレビ小説「水色の時」、「青春」「必殺仕事人」
「虹のエアポート」ほか。
舞台は「鬼と人と」「あたらしい風を、あなたに」
「新撰組情話 京都・雨月の恋」ほか。


                            


2009年5月11日(月曜日)

朝、7時半、起床(朝、とわざわざ断り書きを入れる必要もないか)。
晴れ。午前9時の気温は24.6℃ 湿度49%
たとえ、4時頃まで机に向っていて、床についても、最近、この時間には眼を覚ます。

子供の時分から、誰かに起されるのが嫌いだった。起床は自分の意志でしたい。
ところが、先月から、7時半になると、トンカチ、トンカチと金槌で釘を打つ音、ネジをドライバーで打ち込むモーター音が、春暁を破いて、やけにうるさく聞こえ出すのだ。夢ではなく、新築工事中の隣家からである。
昨年暮れの12日、午前2時半。火事。寝入りバナであった。隣家のオカミさんが、「申し訳ありませーんッ!!避難して下さい!」とドアの向こうから叫んでいる。パジャマ姿のまま、表へ飛び出して吃驚仰天。隣家の二階の窓から、まさに紅蓮の炎が、1メートル程に隣接している我が家の外壁を舐め回しているではないか。ダメだな、こりゃァ。我が家は、あのすざまじい火焔に舐め回されて、たちどころに炎に包まれてしまうな。家が焼失したら、仙台に建てた家にでも移り棲むことになるのかなァ・・・私は、火災を眺めながら、考える。
事実、かけつけた消防隊員は、間もなく私の家に火が燃え移りますから、大切なものだけを持って、避難してくださーいッ!・・・と、一軒、一軒、緊急避難を促して歩いたのだという。
何故か、当の我が家には来なかった。大切なものなんぞ、ありゃしないと思ったのか、おっつけ炎に呑み込まれて、全焼するだろうから、今からじゃ、もう遅すぎるから、放っとけ・・・とでも思われてしまったのか、私と妻と、年老いた妻の父親の3人は、12月夜半の寒空の下、パジャマ姿で、震えることすら忘れて、我が家が燃えるのを、今か、今かと、待ちわびながら、突っ立っていたのであった。
この時、初めて知ったのであるが、真夜中の、我が家のあたりの、住宅地には、消防車が、集まって来たのだが、あのけたたましくも、スワ、市内の一大事と叫ぶサイレンの音は、一切、押えて出動して来るのである。いつの間にやら、我が家の前の路は、数台の消防車が集まって来た。たちまち、あの、ぶっといホースに水を思いっきり吸い上げて、ホースの先の噴水口から、火元の火焔に向って、一斉に、放水である。我が家の、炎に舐められていた防火タイルの壁にも、勢いよく水がぶっかけられていく。猛烈な勢いなのと、炎で、かなりの高熱で焼かれていた防火タイルが、ビシッ、バシッと、ポップコーンみたいにはじけて、飛び散って、どんどん壁から防火タイルが消え散って、見る間に、壁面が露出していったのである。
実に細かな描写をしているけれども、することもないから、パジャマ姿の私は、ぼんやりと、その状況を、観察していたのである。
そんな私を、哀れんだのであろうか。隣家の火勢が、またたく間に弱まっていったのである。
消防車が駆けつけて来てくれた二時間後には、火事は、おさまっていた。
我が館は、というと、なんと、類焼をまぬかれて、青い月光を浴びて、燦然と・・・自慢する程のこともないが、防火タイルが壁からはがれ落ちた無残な壁面をさらし、屋根の一部が焦げ、BSアンテナが溶けた程度で、奇跡的に、灰にならずに済んだのであった。
5月11日の日記に、何も、昨年暮れの出来事など・・・今日一日、日記に書くことは何も無いから・・・毎朝、大工さんの労働する音に叩き起されて、たまらない思いをしているので、愚痴のつもりが・・・ま、今まで、こんな日記を、誰ひとり書いてはいないだろうから、私、石森史郎の日記らしく個性的で、よろしいじゃないんですか。
私の大学時代の教え子で、いまや、テレビドラマの第一人者になっている伴一彦クンが、 昨年の7月21日からの日記を書いていて超面白かったし、今年に入って、ついせんだって、田中貴大クンが、いかにも彼の性格丸出しのポップな文章の日記を発表しているし・・・
これも、愉快だったから、ふたりのお弟子サンの後塵を受けて、負けないように書かねばと、意気込んで、パソコンに向った次第だが、ハナから、あれよあれよと、意図していたのとは違う方向へ、指先が動いてしまった。

伴クンも、田中クンも、食事のことを書いている。我が家の朝食。カラー写真入りで紹介しよう。



我が女房どのが、30年間喫っていた煙草をやめた反動からか、何故かしら、ヘルスメーターに乗っかるたびに、デジタルの数字が、何かの間違いではないのかとも思ったりもするのだが、昨日よりも今日。今日よりも明日。すこやかなる成長を正確に明示するのだそうで(私は見ていないのだが)少しでも、明示する数字の動きを止めるか、多少でも、減少した数字を示してくれるか、涙ぐましい努力をしていて、きっちりカロリー計算をした食餌制限を実行していて、毎日、朝食は一本のバナナなのである。無駄な努力のような気もしないでもないが、奥方に協力するのが、一応夫である私のつとめ。
私は、すこぶるつきあいの良い性格なので、奥方ひとりを、無駄な肉付きにはしたくないので、それでは、私も、という、思いやりの精神で、奥方にそっくりな体型になろうと、日々、つとめているから、頗るどってりとした体の布袋さんみたいになっている。
カロリー計算ではじき出された、健康体の、私の朝食は、ご案内の通りである。
いいのかなァ、こんなに沢山書いて・・・と、自分でも、反省しきりなので、今日は、中途半端でやめておこう。どうせ、明日もあることだし・・・。
そうだ、田中貴大クンの日記に自主映画を撮影中とありました。
スナップを撮ったので、お目にかけます。






2009年5月12日(火曜日)

朝、7時起床。血圧153/78(昨日は記入洩れ)ひどく高い。(早朝高血圧症である)曇り。
9時の気温23.9℃ 湿度59% 雨になるのかな。
正確に記入できるのは、DKの食卓の坐っている目線の先に、デジタル時計が掛かっていて、時刻を知らせるだけではなく、気温、湿度を示しているからだ。
本日の我が家の朝食。




バナナ・ダイエットを励行中の奥方は、おいしいけれども低カロリーのバナナを食べている。
ついでに私もご相伴。
私のミルクのカップには、KEIOとある。創立150年記念の祝賀セレモニーに出席して、天皇皇后両陛下の御臨席を賜ったと、思いがけなく感動した奥方が、感激の余り、KEIO Goodsを買って来たのだ。それを私も愛用させれれている次第。


私は結構几帳面に日記をつけている。何十年にも亘って使っていた一日一頁記入しなければならない日記帳はやめた。二年前から一頁2日ワイド記入式に変えた。
ま、齢もとってきたし、若気の至りで、何でもかんでも書いていた頃、書けていた頃の自分と違って、一頁を埋めるのが億劫になってきたことにもよる。一頁上下段で2日分なのだから、私のようなメモ魔には、欠伸をしている間に埋められる。

振り返ってみると、日記をつけだしてからの歴史は、かなり長い。
最初は、旧制中学に入って「勤労奉仕」に参加するようになり、どれだけ勤労しているのかを日記に書くようにと担任に強要されて、毎日、書かなければならなかった。
勤労現場にチェックにやってくる担任に見せる為の日記である。
日記は自分自身のメモリアルにつけるもので、他人に見せるものではない。にも関わらず、人の日記を見るというのは、最低行為だと思うのであるが・・・そんなふうに思いつつ、毎日、書いていた。それが、いつか、習性になった。
やがて終戦となり、勤労奉仕をする必要もなくなったが、日記をつけるのが癖になった。

それが、いまだに続いている。

シナリオ作協から依頼されて、こうして公開日記を書くことになったが、結構、愉しんで書いている。毎日、絶えずに書くことがある。
豚インフルエンザで、地球上のあっちこっちで、ひどい騒ぎになっているが、我が国では、小沢一郎が、民主党の代表を辞任したニュース。
そもそもこの人物は、頭の中がどのような構造になっているのか、自分の意見を正確に相手に伝えるという能力が著しく欠けている。昨日の記者会見でも、何故、突然の辞任なのかが、ムニャムニャ、モゴモゴ言ってるわりには、真意が全く伝わってこない。
民主党の議員に辞めろと言われているので、辞めたくないけど、辞めます。
としか聞こえてこない。話し下手ではない。狡いのだ。ゼネコンを恫喝するシタタカ男なのである。
ゼネコンから数億の金を巻き上げて、第一秘書が逮捕されているのにも関わらず、それには全く触れない辞任の弁である。「〜だから、辞めます」と言うべきなのではないのか。

彼は、元々顔の左右がひどく不揃いの、ひどい顔の人物だが、昨日は、我が家のTVがどうかしたのかと思う程、ひどい顔で映っていた。この人物の顔を見るたびに、今は亡き祖母が「顔の左右のバランスが崩れている人には気をつけなさい。信用がおけない。平気で人を欺く顔です」と言っていた言葉を思い出すのである。西松建設からの数億円は、マネーロンダリングでどうのこうのと、解説委員のコメントだが、裁判でどこまで判明するのやら・・・。


私は、若いライター志望の人たちと「青春脚本塾」をやっている。
青春とは挑戦。私のモットーだ。挑戦する意志を抱いている間は、青春。
そのモットーに賛同しているのかどうか、ずーっと続いているメンバーたちがいる。
時折、新人が入って来るが、挑戦心が続かない者は、落ちこぼれていく。
落ちこぼれていって、他の処で、餌をついばんでいる。それも世渡りだし、ま、悪くはないか。
シナリオが大好き人間が集まっている。私は、決して、ああ書け、こう書けとは強要しない。
私のコピーにだけはなるな、である。

細かい注文をつけて指導に当っている人がいる。物凄くうるさくて、シナリオ創作に関しては知識を持っていて、教習書など書いている人がいる。
これ程の分析力、知識があり、尤もらしい意見を述べておられるのなら、さぞかし素晴らしいシナリオを書いているんだろうなァと、期待するのだが、さにあらず。
あれこれ言ったり書いたりしていることを、具象化してはいないのだ。
(つまり、こういう先生は、自分自身の書いたシナリオというものが、そもそも有るのか無いのか、自分のシナリオを、実際に、映画やTVや舞台などの形にして発表した経験が全く無かったりする)
これではホラを吹いているだけではないのかと、私は思う。
だから、「青春脚本塾」では、それだけはやっていない。
他の人が書いた作品を、ゴシャゴシャ言うのは、やめよう。
今の自分の書ける力で、とにかく、自分のシナリオを書いてみよう。
その工程で、必要な知識は、私の知っていることでよければ、語ってあげよう・・・そんなスタイルで、一切の規制なしに、創作と向かい合って貰っている。
が、シナリオ執筆だけでは、限界がある。
自分の書いたシナリオを、自分で撮ってみようと、自主制作映画の撮影中だ。
慣れない作業だが、コンテ作りも、演出も、そこそこ愉しんでやっている。
自分の書いたシナリオには責任を持て・・・だから、監督もやってみろ、の精神である。

どれだけ、愉しんでやっているか、三人の監督のスナップを披露して、本日の日記はこれにて・・・。








2009年5月13日(水曜日)

晴れ 9時現在 気温25.5℃ 湿度60% 血圧145/75

我が家の朝食。今日は月見うどん。トーストが二日続いたあとは、うどん。
明日はパンで、5日目が、漸く和食。そして、バナナ。このバナナが愉しみなのだ。
地球上のバナナの産地のいろんな国から輸入されて来るから、チョイスしながら買い求めるのが、わが奥方の愉しみのひとつなのである。私も、どんなバナナが食卓に乗るのか・・・はるばると海を渡ってやって来て、立川の我が家の食卓の皿の上に、チョコンと乗っかってくれているバナナに、ある種の感傷に浸りつつ、眺めつつ気がついた時には、わが腹中に収まっているという次第である。
朝食として食卓に乗っているんだから、それがバナナの宿命なのだ。
因みに、今朝のバナナはフィリピンで高地栽培されたスゥイーティオ。奥方は、ずーっとバナナ一本が朝食。おそろしい程かたくなに、ダイエット食餌スタイルを守り抜いている。
ちっともヘルスメーターのデジタル目盛は、私の願いを聞いてくれる意志はない!
この薄情者!・・・と、ののしりつつも、あさあはかな一縷の望みを日々捨ててはいないのである。



奥方だけではない。かく謂う私も、体重が70キロを越すなどとは、夢にも考えたことがなかった。
今を去る40年前は、栄養失調のカマキリみたいに痩せていたのだ。いや、ホントに。

当時の私を知る人たちは、今の私に会うと、決まって、一瞬、声を失う。
や、暫く・・・ではない。いきなり「どうしちゃったのォ」である。ついこの間も、20年振りに会った友人に、開口一番、そう言われた。あの頃は、少し風が吹けば、ひらひらと吹き飛びそうな、頼り気のないフウタイの、正味47.8キロしかなかった。
ガツガツと、私の趣味で、不味いものは絶対に口に入れない信条を堅く守り、美食しか食べないのを誇らしげにモットーとしていたのに、ちっとも体重がつかなかったのである。

あるシェフなどは、「幾ら腕をふるっても、どこに食べて頂いているのでしょう、まるで朽木に水を与えているみたいで、腕のふるい甲斐がない」と、しょっちゅうコボされていたものである。

そして、ある時などは、「ステーキが大好きだって仰るから、超極上の牛肉を取り寄せて、ちょうど食べ頃になるまで、しっかりと時間をはかって、冷蔵庫に入れておいて、漸くステーキにして、差し上げると・・・なんというかたなのですか!・・・ひと切れ口に入れて、モグモグやっていたかと思うと、どうしたことか、みるみる顔を真っ赤になさって、こめかみに青筋を立てて、鼻の穴をひろげて荒い息を噴出し、唇を半ば開いて、いまにも絶命するかの如く、苦し気な呼吸をして、心臓が破裂でもするかのように肩を大きく波打たせて・・・まるで、大酒飲みが、ウィスキーのボトルを何本もカラにしたあとみたいな、酔っ払った状態になってしまって・・・お酒にお弱い体質だということを、ついつい、忘却致しまして・・・早速、お皿のステーキ、お取替え致します」と、大袈裟ではなく、大騒ぎになったことがある。

私はアルコールを全く受け付けない体質なのである。
アルコールは、匂いもダメ。飲んだくれの吐く熟柿の匂いは、ぶっ殺してやりたくなる程の嫌悪感に襲われる。上等なステーキの店では、シェリー酒とかの洋酒を加えて、ステーキを焼く。

私は、これがダメなのだ。血液の中にアルコールに対する抗体が全く無いらしいのである。
だから、フォークの先のステーキの一片に含まれている僅かな量のアルコールであっても、知らずに口の中に入れると、たちまち、みっともない程の反応を起すのである。
こんな体質なので、パーティは、遠慮させて頂くようになる。グラスを傾けて、愉快に飲んでいる人たちの吐く息の中に含んでいるアルコールの匂いで、ガンガンひどい頭痛に襲われる。

ひどい時には、吐きそうになる。ひとさまの飲んだアルコールの匂いに、酔っ払って、吐きにトイレに走るなんて、バカみたいな話だが、この私が、そうなのだから・・・やむなく、パーティに出席することがある。我が、お弟子サンで、シナリオライターでは、おそらく、一番のワイン通の伴一彦クンなどは、決して私と同席はしない。ずーっと離れた席で、お酒の好きな仲間とグラスを傾けている。(かなり羨ましいんだよねぇ・・・こういう光景)

ありゃ、本日の日記は、こんな事を書く予定ではなかった。
47・8キロだった頃の、自分を想い出して、その当時、シナリオ作協の常務理事をやっていた時の頃のことを綴るつもりだったのだ。理事になってみたものの、あまりにもやらなければならない事が多過ぎて、その処理に忙殺されて・・・シナリオ執筆にも追われて・・・何を食べても肥ることが出来なかった、あの頃の、もろもろのことを、書くと決めて文章を綴り始めたのだが、日記なんていうものは、その時の、ふっと胸に浮んだことどもを綴ればいいのだから、これでいいのだと思うべきであろう。
日記だから、思いをサッと綴るのだから、私のように、そそっかしくて、せわしない性格の人間は、むやみに、誤字脱字が多い。日記なのだから読み返しはしないから、書いた文章はそのままだ。
だから、昨日の日記のように、脱字はあるわ、文章にちょっとした乱れはあるわ・・・日記だし、特徴が出て、大局には影響ないし、ま、いいか。である。

大相撲が始まると、毎日、テレビ桟敷に陣取って、テレビ観戦が、日常となる。
東京場所は、必ず毎場所、両国国技館へ行く。贔屓にしている関取もいる。北勝力からは、毎場所、番付表が送られて来る。証拠写真である。



今場所は、20日に、親子3人で観戦だ。昨日は、きっと、勝つぞ、と声援を送っていた(テレビだから、土俵には聞こえやしないが)安美錦関が、横綱朝青龍に勝った。
伊勢ヶ濱部屋所属の力士(安美錦関、日馬富士関)が勝つと生ビールが大ジョッキ一杯タダになるちゃんこ屋がある。ふたりの関取のどっちかが勝つとサービスしてくれるのだ。
私はダメだが、奥方と息子は、大喜びで、大ジョッキーをぶつけ合う。勿論、一杯で済む筈はない。
何故か、不思議なことに、奥方が飲んでも、私は、彼女の吐く息でアルコール中毒を起さない。
奥方に言わせると、愛のなせるワザ、なのだそうであるが・・・やっぱり、そういうことになるのかな。

火曜、水曜は、「青春脚本塾」。昼間働いている人たちが殆どなので、夜7時から。
授業内容は、言わぬが花の、高田馬場の某ビルの一室での風景。



今夜もひとり、新しい、美人の塾生が入った。



2009年5月14日(木曜日)


午前9時現在の気温21.5℃ 湿度46% 曇り時々晴れ

起床7時半。毎朝、ハンを捺したみたいに眼が覚める。
寄る齢波だから、尿意をもよおし、この齢になって寝小便でもないので、つい、起床してしまうのである。用を足し、再びベッドに戻る。二度寝する為ではない。
朝刊を読むのである。朝日、読売、東京。

根っからの阪神タイガース・ファンの私は、読売ジャイアンツは、そのチームを見ただけで、あの腹剣尊大で、傍若無人なインテリジェンスの欠片も、デリカシーのカケラも、一片の品位も持ち合わせの感じられない(実際には多岐に亘って大層な能力を発揮し、ギラギラ剥き出しの絶大な権力欲と、名誉欲をお持ちおかたであろうかと推測、たぶん正しい評価を致しております故、誤解なきように)あの魁偉な容貌と、あの人を人とは思わぬ、ふてぶてしい咆哮の、だみ声の妖怪の御尊顔が浮び上がって、総毛立つのである。

その点、正力松太郎老は、かなりボケ老人ではあったけれども、まだ駆け出しのライターに過ぎない私の言う事を、ぶるぶると手を、指を、ふるわせながら生への執着を剥き出しに、いまにもヨダレが流れ出て来るんじゃないのかなァとハラハラさせられる口許で、決して、ヨダレなど流したりはしない身だしなみを保ちつつ、眼を細めて聴いてくれていたものである。
それでも、明晰な頭脳で、ポツリと洩らす一言が、なかなかエスプリが利いていて、秀でたお人柄が垣間見える、愉快な、尊敬に値するなかなかの人格者であった。

だから、「読売」と見ただけで、ひどい嫌悪感に襲われるのであるが、正力松太郎老の容姿が浮び上がってきたりして、複雑なのだけれども、とにかく、嫌いなものは、嫌いなのである。従って、読売ジャイアンツは口に出すのさえ、こうして、ペンの先で書くことすら、全身がおののく程、嫌いなのである。が、我が奥方に言わせると、そんなふうに口汚く罵っていることこそが、隠れジャイアンツの、隠れもなきファンの証しだと言って嘲笑うのだが・・・。

ホンマにホンマ、骨の髄までの、負けがこむと、いてもたってもいられず、甲子園の外野スタンドまで、阪神タイガースのペナントを握りしめ、♪六甲おろしにサッソーとぉー・・・と唄いに馳せ参じるほどの気の入れようなのである。

大学でゼミを持っていた頃などは、シナリオの講義に入る前に、昨日の阪神巨人戦の、いかにして戦って、我が阪神タイガースが勝ったのか、いかにして我がタイガースが死闘の末にいさぎよく散っていったのかを・・・延々と始めるのであった。

シナリオの講義に教室に入っている超マジメ人間の学生、伴一彦クンなどは、野球の何が面白いんですか、シナリオの修学のためにはならないと思いますから、野球のハナシなんかやめて、シナリオの講義を始めて下さい・・・などと、失礼なことは、口に出しては言いやしない。いや、言うような人格ではない。が、言わずに、根が正直な、嘘のつけない性格なので、ソロソロ、シナリオの講義を始めてみては、いかがですかァ、みたいな表情をする。その表情を見て、私は、ハタと吾れに返り、シナリオの講義の分厚いノートを開くのである。

ポケットに手を突っ込んで「シナリオというものは・・・」というような、一見、口から出まかせのような印象を与えかねない態度で講義は出来ない小心者なので、私は、講義ノートをしっかり作って、学生諸氏の前に立つよう心掛けていた。

伴クンなどは、一年間私の講義を受講していて、大学ノート二冊になったと、エッセーに書いていたが、その位の分量の講義はしていた。
いったん口を開いて、シナリオについて語り始めると、休む暇なく、ペラペラと、終講のベルが鳴り響くまで、喋りまくっていた・・・ようである。
その伴クンは、いまや、猛烈なる猛虎、阪神タイガース・ファン。

私が、阪神タイガースに、特に入れあげるようになったのは、わが日本大学の野球部出身で、第15代監督の後藤次男サンが、大学の選手時代、日大を東都大学リーグで何度も優勝させ、タイガースの選手となり、クマさんの愛称で、大活躍をし、そして、ファンの大いなる期待を一心に集めて、監督になったのであるが・・・なんということか、名誉と栄光のチームを最下位にした名監督となられたのである。
私は、学部は違っても、日大同窓生のひとりとして、応援しなければと、ひとり舞い上がって、それまで、プロ野球チームを応援するなどということがなかった私が、翻然と目覚めたのが、そもそもの動機だったのである。

今朝の朝日、読売、東京の、どの朝刊のスポーツ欄を開いても、カムバックした救援投手の藤川球児が、ガツンと一発(ホームランでないのは幸いだった)くらって、敗戦投手になったという記事だ。どれを見ても、広島カープに負けている。
前日は、兄貴・金本選手のホームランの1点で勝利した。ヘロヘロになって投げ続けた下柳投手を、41歳同士が、肩抱き合わずに照れながら、勝利を歓び合う写真が出ていたが・・・勝つ日もありゃ、敗ける日もある。
民主党の党首が鳩山由紀夫になろうが、岡田克也になろうが、いつまで経っても、幼稚で、知能指数が、偏差値が低レベルの、中学・高校の生徒会の集団みたいな発言ばかりしている、ちっとも政党に成長しない民主党の代表選びの記事などより、阪神タイガースと、大相撲五月場所の御贔屓関取の勝負の結果が、私には、一番の関心事なのである。

ここまで書いていたら、まるで、もういい加減にしなさいとでも告げるが如く、玄関のチャイム。宅急便である。長崎の、平戸市の福海勇治サンの製造した平戸名産・川内かまぼこが、段ボールで届く。今度一緒に仕事をする映画プロデューサーのいささか早いお中元。開けてビックリ。
一寸変わった包装の、半月型のカマボコが、なんと、100本!



ナマモノなので、奥方は、向う三軒両隣に、おすそわけに走り回り始めた。
その奥方の用意した、我が家の朝食は、私は、たった一個の、たった一個の、小型クロワッサンに、スクランブルエッグ。野菜サラダ、ヤクルト、カップ一杯の牛乳。



奥方は、毎日の日課のスタイルを梃子でも変えようとはしない。
昨日よりヘルスメーターの目盛が、微妙にふえているーッ!(幾ら増えているのかは知らない)ひょっとして故障したのかも・・・と、悲し気な声をあげつつ、フィリピン産のバナナを、恨めしげに、腹中に収めている。

忘れるところだった。伴クンから、ドラマを執筆中の多忙な時間を裂いて、日記、読んでくれているとのメール。有難い。
全く反応がないよりも、こうしてナマの声の反応があると、感激だ。
だから、という訳ではないが、伴クンの名前、今日の日記に何度も出て来たなァ・・決して、意識したわけではない。文章の展開上、である。



2009年5月15日(金曜日)

晴れ 午前9時現在 気温21.6℃ 湿度41%
血圧 135/88

今日も7時半起床。嬉しいことに、隣家の工事が始まる前に眼を覚ましたからうるさい電動ドライバーの音で、春眠をゆさぶられて起されるのではない。
自分の意志で眼を開くんだから、まだ生きている証になろう。

大丈夫だな、もう少し、しっかり仕事が出来るかな。
そうでなくては困るのだ。昨日、はーとふるはんどの責任者である、ゼネラルプロデューサーでもある花井紫サンから電話があり、来年の2月の三越劇場27日と28日、土曜・日曜の2日間、押えたので、また、作・演出をお願いしたいとのこと。渋谷で打ち合わせ。

今年の2月に、7日・8日の4ステージ『あたらしい風をあなたに』を公演したのだが、好評だったので、来年も、可能ならば引き受けて貰えないかというのである。「劇団・はーとふるはんど」は、聴覚障害者の人たちと一緒に年に一度、舞台に立っているのである。今年で8回、定期公演を行っている。

聴覚に障害があるということは、耳が聞こえない。従って、健常者のような会話は、出来ない。すべてが手話である。手話で、お互いの意志を通わせ、会話を交し合うのだ。聴覚障害の方たちも、年に一度の、何しろ、東京のド真ん中の三越劇場に出演出来るというので、毎年、生き甲斐にしている程、愉しみにしているというのだ。男性も女性も、成人の皆さんだけではない。
小学校の児童も参加するのである。皆さん、それぞれ働いている人が多く、日曜しか休みがとれないのだが、稽古場に朝から来て貰って、半年間の熱心な稽古を積み重ねた上での、努力の成果の舞台を観て頂こうと、前向きの姿勢で、出演を希望して、参加しているのである。

私は、今年からの参加であるが、突然の依頼だったし、手話など、これまで一度も、全くふれる機会が無かったのと、まさか来年もやるとは、思ってもみなかったし、ここは、一年生になったつもりで、覚えなければならない。

今年出演した小1の女の子は、祖父が聴覚障害者ということもあって、また、祖父が孫の事をとても可愛がっているということもあって、まだ幼いうちから祖父と手話で、巧みに話し合いをしているのである。その子は、健常者なのだが同じ小1の女の子よりも、頭の発達が優れている。おじいさんとのコミュニケーションのたまものであろう。

その子たちと、また、一緒に舞台が出来るのは、嬉しい限りだが、こちらが少しも学習していないと、子供たちまで、自分たちの言葉が通じないと思ってコンプレックスを感じてしまうことにもなる。
この齢での学習もまた愉しいものであるから、今年一杯で、手話をやれるだけやって、身につけてみよう。
この世に留まっている以上は、留まるだけの意義を自覚しなければ・・・。


今年、2月、そのあとで、引き続いて、勝野洋サンの芸能生活35周年記念公演と銘打った私の戯曲舞台をやったが、彼等の主催者キャシー中島サンからも、至急、打ち合わせをしたいと、連絡が入る。渋谷まで行ったので、三軒茶屋まで足を伸ばして打ち合わせ。
キャシーさんの、勝野洋にやらせたいのは・・・の要請に、小泉八雲を演じて貰うことにする。舞台でやる以上は、映画やテレビドラマではやれないものを、2時間にまとめなければならない。結構スケールのあるものという注文なので、物語のスケールよりも、登場人物のスケールで、ドラマを創ってみようと考えている。

その旨を伝え、ふたつの舞台の打ち合わせを、あわただしく済ませる。

はるばる自宅から、都心に出て行ったのだし、映画でも観て帰るか・・・というノリで、『花の生涯・梅蘭芳』を観る。見応えのある登場人物たちの織りなすドラマに時間を忘れる。中国でも超大作なのか、入場料は2000円。
京劇が題材だし、観る者の興味をそそるし、関東軍も出て来て、得体の知れないことをやる。そもそも、日本人にとっても、関東軍なるものの存在それ自体が、実に、説明のつかない得体の知れないものだった。

全く総括されていない、日本のかっての歴史を振り返ってみて、日本人という民族性の曖昧さが、中国だの韓国だの、近隣諸国の人たちにかけて来た迷惑や、諸々のことを、今更、反省してみても、時間が流れすぎてしまったが、遠い過去は、もう帰らない遠い過去。ほっときゃいい・・・で、済ませて、いいのだろうか?
そのことについて、誰も何も言わず、触れずに来てしまったのだから・・・
今更必要がないのかなァ?・・・。
今日の映画を観ながら、頭の隅で、そんな事を考えていたのである。

梅蘭芳の時代を描くと、背景に、チョロチョロと、関東軍が妖怪みたいにうごめいているのだ。大日本帝国の将校の軍服を着て、軍刀を手挟んで、何かというと、激怒して、大声で恫喝する、みだりに吠える・・・
何様のつもりなのだァ、こいつ・・・そういうのが、あの時代、許されると錯覚して、虎の威を借りる狐みたいに大言壮語して、世の中を渡って行ったのだろうなァ・・・いろいろと考えさせられることが多かった、収穫のある作品だった。

人、それぞれにドラマがある。街に出ると、人生のドラマを背負い、抱えた人たちが、うつ向き加減に、あるいは、溌剌とした歩調の人が、胸を張って、行き交う。

私も街を歩く。街に出て、街をそぞろ歩くのが大好きなのだ。
今日は妙に元気溌剌な一日だと思ったら、今朝は、五日振りの和食の朝ごはんだった。遠い昔の日本の家庭の、まるで絵に描いたような食卓である。



アジの開きの可愛らしいこと。久し振りのアジの開きのせいではないだろうが、爽快で、打ち合わせでも良く喋ったし、映画では、頭の中がめくるめいていた。
まあ、実に、よく働いた一日であった。
明日も、サッパリと眼を開いて、江東区の古木場まで出掛けなければ。



2009年5月16日(土曜日)


晴れ 9時現在気温21.3℃ 湿度51% 
血圧150/92 (薬飲まなきゃ)

昨日あたりから、隣家の新築工事の釘を打つ音とか、鋲を打ち込む音が聞こえてこなくなった。おそらく、室内の細かな部分の作業に入り始めたに違いない。
他人に起されて眼を覚ますのは、生理的にも、神経的にも、耐えられない性癖で、頭痛に襲われる。静かに自然に眼が醒めると、肉体にも爽快なのである。

今朝の朝食は、また再び、奥方のダイエット療法につきあって、私も、バナナ一本だけの朝食。勿論、他に、ヤクルトとコップに一杯のミルクは付いている。(写真は第一日目と同じなので省略しました)
バナナの皮が所々黒ずんでいる。「スイート・スポット」がちょうど食べ頃だと教えているから、今朝のバナナは美味しいぞ、と呟いて食べようとしたら、「バカねえ、それはスイート・スポットではありません。あっちへぶつかり、こっちへぶつかりして付いてしまった跡です」と奥方の声。
バナナの皮は、かなりデリケートな反応を起す特性を持っていて、運ばれてくる間に、乱暴に扱われて、あっちこっちにぶつけられると、アザのように、皮にも中身にも黒い部分ができるのだそうだ。

やっぱり、反応があった。バナナ・ダイエットに対して、ではない。
先日の私の日記の一文に対しての反応である。シナリオ作協の常務理事の職責を果たすべく忙殺していたあの頃は、47.8キロしか無かった。
美食家の私は、毎日、高カロリーの食事をドーンと摂っていたにもかかわらず一向に、体重が増えることはなかった。常務理事の仕事は、まさに痩せる思いの日々だったからである。現在でもそうだろうが、シナリオ作協の全会員の投票で、理事が決まる。そして、得票数の多い順で、理事長、常務理事になるのが恒例になっていた。

私が理事になった時、驚いたのは、経理が杜撰だったことだ。
銀行に預金してあるべき現金が、帳簿の上では確かにあるのに、銀行には無いという状況であった。理由はすぐに判明した。使い込みである。
それと、今なら発表しても、誰も文句を言う者はいないだろうから、書くが、凄い額のお金を借りて返済しないままになっている人がいたのである。

その上、シナリオ作協の財源でもあったシナリオ研究所の経理が曖昧な出納の記入をしていて、シナリオ作協の経理に入るべき入金がなされていなかったのである。担当理事がいた筈であるが、巧妙に追求を逃れていたとしか見えないのだ。

また、月々20万近い書籍を購入した伝票が何十枚も出て来たが、購入した書籍が一冊もシナリオ作協の書架には並んではいなかった。
ある事務員が、個人の所有にして自宅に持っていたのである。
返済するように催促すると、辞めてしまい、行方不明になってしまった。
たちまち、作協の経済状態が破綻をきたし、作協の存続に関わる大きな問題にまで発展。緊急会議を開くことになる。

当然、シナリオ作協を今後どうすべきか、という議論が起こる。
ここまで来てしまった以上、解散も止む無しと主張する会員が少なくなかったが、シナリオ作協所属会員の将来を考えた時、先輩諸氏が創立した協会の解散はすべきではない。協会を守ろうという会員の声が絶対多数を越えた。

借金している人は、すぐには返済が出来ない。
いづれ返済して貰う覚書を書いて貰ったが(その後返済して貰ったのだろうか?)
銀行からは、借りられるだけ借りているので、これ以上は無理というところまで追い込まれていた。
協会の維持をして行くための経理が破綻した今、この事態をどうすれば乗り越える事が出来るのかを、週に何度も理事会を開いて検討した。
結果、会員全員に一万円の覚悟金を出して貰う以外に作協を救う術はないとの結論になった。
再び、臨時総会で、全員に集まって貰った。といっても、毎回、出席者の顔ぶれは同じ。ほとんどの会員からは、委任状が送られて来た。
反対する者はいた。が、理事会の提案が通った。
当時、覚悟金1万円の負担不可能な会員がいなくはなかった。その人たちは、協会を退会して行ったが、協会を守り抜くだけの金額は集まった。
後年、作協の経理状態が持ち直した時に、その覚悟金は、協力してくれた協会員全員に返済した。

これと並行して、一年間、常務理事3人が率先して、月に数度の、放送作協との交渉を重ね、定款の検討などを重ねつつ、放送作協との大同合併話が進行していた。

当時の作協には「映画のシナリオを書いている我々と、テレビドラマやラジオドラマ、バラエティの構成を書いているような連中とは、一緒にはなれない」という、熱狂的な反対意見・傲慢不遜な偏見が、根強くあったのだ。が、私は、大同合併の急先鋒だった。

私自身は、松竹と契約していたのだが、テレビも書いていたし、何の偏見もなかった。

第一、「シナリオライターの将来」ということを考えての行動・発言であったのだ。
しかし、私の主張は、総会でも理解して貰えず、偏見に満ちた反対派に対して、かなり過激な発言をした。私は自分の主張を曲げなかった。
すると、「常務理事独走」の声が上がり、私の過激発言(本当の事を言っただけ)が問題になり、私に対して「シナリオ作協から追放しろ」の声が飛んだ。

あろうことか、某スポーツ新聞に「シナリオ作協の内紛」とまで書き立てられ、会員の意志を無視して、大同合併を強行しようとしていると、私の名前まで書き立てられる騒ぎになった。かえって、そんなことが、私の闘志に火をつけた。
シナリオ執筆の仕事を抱えながら、痩躯に鞭打って、漸く、放送作協と合併の仮調印まで漕ぎつけた。美食を食べても、肥れないわけであった。

だが、仮調印は、行われなかった。
まるで、それを阻止するかのように、予想もしていなかった事件が起きたのである。
その為に、大同合併の千載一遇のチャンスは、永遠に失われることになるのである。

私たちが、放送作協との合併を急いだ理由のひとつに、国際的な取り決めにより、シナリオ作家の国際ユニオンは、一国一団体に限るという条項があり、放送作協が、日本の代表として、唯一、正規に加入していたことがある。
シナリオ作家たちは、その情報を知らず、後手に回った。
国際的には、日本放送作家協会のみが、正式団体として認められていて、日本シナリオ作家協会は、国際ユニオンには加盟できなかった。
そんなこともあっての、大同合併だったのだが・・・現在は、国際ユニオンの加盟は、どうなっているのかは、知らないが・・・。

結局、私は、自ら、常務理事を辞して、「シナリオ作協は、クビになる前に自分から辞めます」と、意志を伝えて、退会した。しかし、諸々の事があり、また、新藤兼人先生からの再三の説得があり、今後、もう二度と役員はやらないが、年会費だけは払うという約束で、再び、シナリオ作協に戻ることになるのだが、その反動ばかりではないだろうが、その頃から、体重の目盛が増えていくようになったのである。
今日はなんだか尻切れトンボだが、こんなところで・・・。明日最終回をお楽しみに。



2009年5月17日(日曜日)

午前9時現在 曇り 気温20.3℃ 湿度60%
血圧 154/90 朝だけ高血圧で ディオバン1錠服用

昨日は朝食のバナナの写真は載せなかった。
バナナ一本があまりにも黒ずんでいて、なんだか猛烈に古いバナナを奥方が買って来て食卓の皿の上に乗せたみたいで、みすぼらしくて第一イメージも悪いし、日記用に購入したカメラの写真が、あまりにもリアルに撮れすぎて、みっともないから載せないほうがいいと言うし、ずーっと、ただの一度も奥方の意見には逆らったことがないし、従っていれば、間違いはないから、昨日は写真を割愛したのであるが、早速、抗議メールが入る。「あの控え目な、とても石森史郎の朝食とは思えない、信じられない食卓の写真に優越感を感じているのに、何故、載せない」との貴重なるご意見を賜ったのである。
従って、今日は、私の最終日の日記でもあり、本日の朝食をお披露目することに致しました。



一昨日の日記に、昨日は江東区の古石場に行くと記した。行って来たが、書く事が一杯になって、スペースが無くなり、泣く泣く翌日まわしにすることにして、今日の日記の記事にした。
私が一年間、シナリオ講座を担当することになった財団法人江東地域振興会の古石場文化センターで、女優の中井貴恵サンが、この地域に非常に縁のあるというか、この地で、誕生なさった小津安二郎監督の名作『晩春』を、音語り『晩春』」のタイトルで、朗読とジャズピアノのセッションに出演なさると聞いて、奥方とふたりで出掛けたのである。

ピアノの松本峰明サンは、オペラの鮫島由美子サン、バイオリニストの川井郁子サンと共演なさっておられ、現在は、服部克久サンの音楽畑オーケストラ「東京ポップスオーケストラ」にピアニストとして参加していて、CDも出しておられる、ひっぱりだこのアーチストである。
ナマのピアノを聴きたいと思っていたので、その願いが叶い、出掛けて行った次第である。

中井貴恵サンとは、東北放送の創立記念のドラマ『大安吉日』の主役を演じて貰ったのが縁で、昵懇だが、結婚、出産、育児などで、女優業を休んでおられた。早いもので、長女が海外の大学、次女が高校生で、漸く、育児からも解放されて、再び、女優業に復帰、活動を始められたという。久し振りだし、彼女にも会いたかった。
中井貴恵サンのお母様にお目にかかれたのも、感激だった。
久し振りにお目にかかったのだ。84歳になったと仰っておられたが、益々のお元気さで、嬉しかった。このおかたは、松竹の大船の仕事の時、よく食事に行っていた「三笠」の看板娘だったのだ。

そして何よりも、会いたかったのは、鎌倉からおいでになるという山内静夫サンである。

私が、松竹のライターになった時の、恩人ともいうべき人で、彼は、当時、プロデューサーから製作次長になったばかりであった。製作本部長の席にあったのは、三島与四治サンで、彼は、それまでSKD(松竹歌劇団)の団長をなさっていて、浅草の国際劇場に長くおられた方で、映画畑ではないから、映画のことは、全くのシロウトであった。
シナリオなど、おそらく、全く読んだこともなかったに違いない。
長い間、城戸四郎会長の秘書をなさっていて、映画プロデューサーになられた奥様の長島久子サンのほうが、シナリオを読む力はおありだったようである。
しょっちゅう「石森クンのシナリオをうちのやつが読んで、よく書けているホンだと褒めていたぞ」と言われたものである。

そんな製作本部長の下で、山内さんは、大変御苦労なさった。
山内サンのお陰で、私も、随分、いい仕事をやらせて頂いた。
山内静夫サンは、プロデューサーを長くやっておられたから、シナリオを一番理解してくださった。

今回の中井貴恵サンの会に御出席なさったのは、プロデューサー時代に、小津安二郎監督の映画を、晩年の『早春』から最期になった『秋刀魚の味』までの六作品のプロデュースをなさったという縁で、中井貴恵サンが、朗読なさる映画『晩春』のシナリオを、朗読用に潤色なさったのだという。
山内静夫サンの御尊父は、文化勲章を受章した日本文壇史を飾る文士の重鎮のひとり、里美惇サン(人妻・波多野晶子サンと、軽井沢で心中した、作家、有島武郎サンの実弟)。
里美惇サンの御子息だけあって、美しい文章の台本であった。

ステージ写真は撮れないから、楽屋でのスナップが、この写真である。



中井貴恵サンの名付け親は、木下恵介監督だったという。恵介の恵の一字が付けてある。貴恵サンのお父さんは、故・佐田啓二サン。
長男(弟)は、現在大活躍の俳優、中井貴一サン。彼の名付け親は小津監督だという。佐田啓二サンと、「ミス三笠」との結婚式の仲人は、共に独身である小津安二郎監督と木下恵介監督であったというエピソードを披露。
そんなリラックスした話題から、貴恵サンの『晩春』の朗読とピアノのセッションに入っていったが、映画を観ているような印象を与えて、会場を一杯に埋めた観衆を感動させた。私も、奥方も感動していた。また、奥方は、山内静夫サンより、松竹は「困った時の石森で、仕事を頼んでいた」という、当時の石森の使われ方、また、『同棲時代』では、松竹がどれだけ潤ったかという、知られざる秘話を聞かされて、それなりに役に立っていたらしい私の存在価値を認める気になったようであった。
私自身も、成程、便利使いされていたのかと、遠くなってしまった自分の過去に、納得したのであった。

私の暮らしている、このあたりは、花の町と呼ばれているだけに、種を蒔いたり、苗を買って来て植えなくても、どこからか、種が飛んで来て根付くのか、地下茎が越冬して育っているのか、塀囲いの家の地面に、色様々な名前も知らない多様な色彩の、いろんな花が咲く。我が家も、今やそんなふうに咲いた花ざかりの庭である。嘘ではない証拠にそのスナップを。




午後3時から、日本劇作家協会の、創立15周年の総会が、今度出来上がったばかりの「座・高円寺」で、劇場披露を兼ねて行われる。
いい機会なので、どんな劇場なのか、行ってみることにする。
地下2階の、阿波踊りホールと称した会議場で総会。
5時から、同じ地下2階の、座・高円寺2(小劇場)で、シンポジウム。
7時からは、2階のカフェ・アンリ・ファーブルに場所を移した懇親会。
いづれ、もしかして私の芝居の公演も・・・ということも考えられないわけでもないので、新劇場内を知る意味でも、いい機会だし、出席する気になったのである。

明日からは、田中貴大氏に言わせると、私が嵐寛壽郎で、伴一彦クンが鶴田浩二で・・・とすると、高田拓土彦クンが、若山富三郎あたりだから、田中貴大クンは、松方弘樹という役回りになるのかな・・・そして、藤純子であるが、一番弟子の三宅直子サンだというのだが・・・
その三宅直子サンの登場である。
気にかけて御愛読頂いた御礼と、御一同様、及びに、ついでに、ご家族様のご健康を祈念しつつ、それでは・・・。


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