シナリオ講座      一般社団法人シナリオ作家協会


     


女の子の誘いを断るために、
ひどい風邪をひいたと明治神宮前
駅のプラットホームで自分で撮った
ものです。こんな写真を送るなんて
自意識過剰でしょうか。 
 井上淳一 (シナリオ作家)

  早稲田大学卒。大学入学と同時に、若松孝二監督に師事し、
  若松プロ作品に助監督として参加。
  90年、「パンツの穴・ムケそでムケないイチゴたち」で
  監督デビューするも、監督としての才能のなさに絶望し、
  脚本家・荒井晴彦氏に師事。
  ■映画
  「愛妻日記より 『童心』」「メールで届いた物語」
  「くノ一忍法帖 柳生外伝」
  「男たちの大和」(「年鑑代表シナリオ集'05」収録)
  「武闘派仁義 完結篇」 他
  ■TV
  「恋、した」「静かなるドン」
  ■OV
  「女教師3」「悪名伝」


                            


2008年6月2日(月曜日)

11時、マガリが腕枕してくれと布団の中に入ってくる。もう少し寝ていたいけど、その余りの口の臭さで起きてしまう。口内炎がひどいのだ。ネコの口内炎はウィルス性で、ステロイドを注射するしかない。
それも、もって3週間。本当なら、昨日医者に連れていかなきゃいけないんだけど、今日ならブログに書けるからと一日待ってしまった。ゴメン、マガちゃん。飼い主のネタのために一日余分に痛い思いさせて。わかりました、起きます。
 で、行きつけのエンドー動物病院に予約の電話。12時、時間通りに行くも、メチャメチャ混んでいて、1時間待ち。今日締切りだったプロットの直しのことが頭を掠めるが仕方ない。13時過ぎ、やっと順番。診察はステロイドと鼻炎用の抗生剤を注射するだけで3分。診察料3990円也。保険が利かないから、ネコが病気になると途端に貧乏になる。マガリは東中野に引っ越してきた当初からの付き合いだから、僕が知るだけで12年。その前に少なくとも2年は生きていたというから、推定14歳。あと数年の内には必ず別れが訪れる。願わくば、どれだけ時間とお金がかかってもいいから、迷惑に迷惑をかけたおして、死んでくれてホッとするまで生きていて欲しい。


マガリです。幼少の頃、事故にあったのか、奇形なのか、顔が曲がっているので、
マガリと名づけられました。


掃除して、鄭義信さんに広報の原稿依頼の電話。新宿梁山泊との裁判の話を書いてもらう。

友達の役者・小野孝弘さんから電話。土曜日に小野さんの芝居を観に行ったお礼。かなり辛辣な感想を述べる。電話切って、俺は何様なんだと、遅きに失した反省。安井国穂さんにも「物を書く姿勢から考えた方がいい」とか言ったらしいし、ホント、自分のことを棚に上げるにも限度がある。先日の安井さんのドラマで、犯人のネットカフェ難民が片平なぎさ刑事に「あったかい布団にくるまって眠ることができるヤツには死ぬまで分からねえ!」と言い放つシーンがあったが、「女と親の金で生きてきたヤツには死ぬまで分からねえ!」だ。ゴメン、安井さん。本当に「物を書く姿勢から考えた方がいい」のは僕の方です。

と、反省したのもつかの間、プロットの締切りを気にしつつも、14時30分、協栄ジムへ。
だって、このブログのテーマ、ダイエットにしよって決めたんだもん。
9年前、僕の体重は80キロを越えようとしていた。何かしなければヤバイと分かっているのだが、いままで正道会館に入門しても、ティップネスに入会しても3回と続かなかった。それでも、一大決意してというか、ほとんど思いつきで、ウチから歌舞伎町に自転車で行く途中、横目で見ていた協栄ジムへ。
ところが、それが肌に合ってしまいました。ボクシングの練習は、1ラウンド3分。その3分間は各自の自由、というか自覚に任せるのみ。何をやってもいい。それにボクシングの練習は鏡を見ながらやる。
ということは、基本的にみんなナルシスト。他人に興味がない。要は干渉されない。まさに自己責任の極地。まさかこれほどシナリオライターに合ったスポーツが存在したとは!
で、少なくとも隣で練習するプロやプロ志望の子たちに恥ずかしくないように、3分間は絶対に手を抜かないというテーマだけでボクシング初めて、半年後には60キロを切るまでに。もちろん、当初は3分動き続けるなんてできるわけなくて、死にましたが。因みに、インターバルは試合の半分の30秒です。
しかし、9年が経ち、40歳も過ぎて、その上、亀田騒動なんかあったりしたもんだから、次第にジムから足が遠のき、気がつけば、また余分なお肉がちらほら付いてきた。で、このブログを機に、「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」ことのできるカラダをもう一度作ろうというワケです。
練習前体重は、68.8キロ。今日からダイエットだと思い、先週食べ過ぎた報い。で、とにかく練習。
念入りにストレッチした後に、シャドー3R。ウエイト6R。サンドバッグ8R。腹筋50回×5。側筋左右50回×2。スクワット50回。終了16時45分。練習後の体重、65.45キロ。
日記に書かなきゃと、頑張り過ぎて、ヘロヘロ。普段はここまでやりません。なんか完全にブログのために生きている。みんな、よく自主的にブログなんて書いてるな。ブログなぞる人生にならないかしら。僕、絶対にダメだ。初日にしてKO寸前。シナリオ講座事務局の久松智子から「今日は特になし、の一行でもいいと思います」とメールが来たけど、一ヶ月単位ならまだしも、一週間限定で「特になし」は厳しいでしょ。そんなこと言ったら、毎日、「特になし」だし。どうせなら、未来日記書いて、それに合わせて行動しようかな。

家に帰って、プロテイン。あと、高田延彦がテレビで言っていた脂肪燃焼を促進するという豆乳とパイナップルジュースを1対1でブレンドした飲み物。因みに、朝飯は、カスピ海ヨーグルトに黒豆の黒酢漬けを混ぜたものでした。晩御飯は、アボガド納豆に豆腐。トマトとレタスのサラダ。
今日から一週間は炭水化物を絶対に採らないと宣言。奥さん、それに付き合って、同じもの食べてるけど……いいんだろうか……いいわけないよな。選んだオトコが悪かったと諦めて下さい。いろんな意味で。
あまりに疲れたので、ちょっとお夜寝して、家庭裁判所に提出する上申書を書く。明日、奥さんが、元旦那のところにいる下の娘の親権者変更の家事調停(2回目)。そのために、「ママと住みたい」と強く希望する小学4年生の下の娘の気持ちの流れを、離婚前後から現在に至るまで書かねばならない。
この詳細は、明日の調停後に詳しく書きます。というわけで、お楽しみに。って、別に楽しくないか。とにかく、この上申書に意外と時間がかかって、終わったのが1時過ぎ。
プリントアウトして、直して、2時。なんか、これからプロット直すって気分じゃない。で、いまこの日記を書いている。河村雄太郎さん、ゴメンナサイ。今度こそ、締切り守ろうと思っていたのに。
でも、果たしてこの日記を書き終わった後に、プロット直すモードになっているかどうか自信がありません。
あーあ、これじゃ、仕事が来ないはずだな。
そういや、9年前、安井さんと僕は同じような体型で同じような仕事量だった。それが、その後、安井さんは体重も仕事も増え続け、僕は減り続けた。体重が戻っても、仕事量は戻らなかったけど。

因みに、ステロイドの効果は凄まじく、マガリは元気にゴハン食べてます。
ま、今日はそれでよしとしよう。



2008年6月3日(火曜日)



午前4時。
プロットを直す気にはなれないし、字を書いた後なので、妙にアタマが冴えて眠くもない。仕方ないので、DVDで、フランシス・フォード・コッポラの『フィニアンの虹』(脚本/フレッド・セイディ&E・Y・ハーバーグ)。1968年、ブロードウェイ・ミュージカルを映画化したコッポラ28歳の監督第3作。フレッド・アステア、最後のミュージカル映画でもある。
恥ずかしながら、コッポラがミュージカルを撮ってるなんて知らなかった。タイトルバッグのアステア父娘の道行きから一気に引き込まれる。どうしようもなく映画。と、書いておいてなんだが、ミュージカル・シーンが心地よく気づいたら寝ていた。

11時10分。
何時かと思って枕元の時計に手を伸ばしたら、それを起きたと勘違いしたニコが耳元で鳴きまくる。仕方なく起きて、猫缶を開ける。でも、ニコ、ちょこちょこと食べただけで、置きっ放しのカリカリを食べている。なら、起こすなよ。お陰で、埼玉の立てこもり犯の結末をライヴで見れたけど。

 
ニコです。エサを待ってます。おなかが空いているので、この写真は憮然としていますが、
普段はいつもニコニコしているので、ニコと呼ばるようになりました。
安易なネーミングと言わないで下さい。


外は、雨。
昨日までは雨でもジムに行こうと固い決意をしていたのだが、この雨の中、歩いてジムまで行って、練習して、練習着に染み込んだ3キロ近い汗の分だけ重くなったバッグを提げ、また雨の中を帰ってくるのかと思うと、メゲる。で、二日目にして、早くもジム断念。この意志の弱さ。僕の人生、常にこんなもんです。
朝食は、カスピ海ヨーグルトと黒豆の黒酢漬け。

今日こそはプロットを直そうと思いつつ、新聞読んだり、テレビ観たり、フリーセルやったり。普段はほとんどやらないフリーセル、仕事をせねばと思うと、なぜか延々とやってしまう。連勝記録は81。
そうこうしてる内に、月刊シナリオ7月号が届く。『靖国』声明についての座談会、果たして面白いんだろうか。座談会の評価も気になるけど、ブログの評価も気になる。ホームページにアップされるのをひたすら待つ。
 
13時15分。
奥さんの親権者変更の家事調停が始まる時間。
離婚後2年が過ぎた昨年7月、元旦那から慰謝料請求の内容証明が届いた。財産分与の時効は2年、慰謝料請求の時効は3年。慰謝料が財産分与と相殺できなくなる2年が経つのを待っていたのだろう。しかし、よくやるよな。逃げた女房とその相手に慰謝料請求。プライドとかないのかしら。それはこっちが勝った側だから言えることなのか。でも、慰謝料で何かの穴が埋まるのだろうか。余計傷つくだけだと思うけど。当然、内容証明もその後の調停呼び出しも無視。そして、裁判。案の定、裁判の準備が始まった頃から、元旦那がイライラし始めたらしく、それに呼応して、下の娘が「もうパパとは暮らしたくない。ママと暮らしたい」と言い出した。で、今度はこちらが調停をやる羽目に。
昨年12月から始まった裁判が終わらないので、まだ書けないことがあるのがとても残念だけれど、いずれどこかでこの話は書きます。調停やるんで、今年に入って初めて子供たち(小6と小4の娘)に会った話とか、いきなり一児のパパになるかもしれない僕のオロオロぶりとか、メチャ面白いんだけど、それもまた別の機会……出来るならシナリオで発表します。するつもりです。
安井国穂さんに「キミは日記で引き出しを開けるのかい」と突っ込まれたけど、これでいいですよね?
忠告に従い、引き出しの中身は来るべき日に備え、大切にとっておきます。誰かこれ読んだプロデューサー、書かせてくれないかな? ただ問題は、書くなら元旦那視点が一番面白いことだな。僕視点じゃ面白くも何ともない。だけど、元旦那の目線じゃ書きたくないな、やっぱり。何の魅力も感じないし。
因みに、裁判は金がないので、弁護士を立てずに自分でやっています。自分といっても、準備書面や答弁書など、ほとんど友人のシナリオライター菅乃廣さんに書いてもらいました。『はたきんぎょ〜裁判執行官 畑金之助〜』というマンガの原作者でもある菅乃さん、その道に詳しく、本当に助かりました。この場を借りて、お礼を言います。ありがとうございました。
しかし、その時に書いた奥さんの陳述書や昨日の上申書、結構いい出来なんだけどな。どこかで公開できないものか。たった数人程度の読者相手じゃ報われない。
あ、ヤバイ。こんな不謹慎なこと、裁判官や元旦那に読まれたら大変だ。元旦那、僕の名前を小まめにネット検索してチェックしてるらしいし。どうか見つかりませんように。

調停帰りの奥さんからメール。調停の報告の後に一言。
「淳ちゃんのブログ読んでさらに疲れた。長いし、嘘書いてるし……」
え、長いのは自覚してるし、他の友人からも批判されたけど、嘘書いてないし。っていうか、多少の脚色は許容範囲でしょ。なんだかなあ、せめて奥さんぐらいには無条件で褒めてもらいたいのに、分かってないんだよなあ。気にしてるんだから、ブログの評価。
というわけで、ブログがアップされたホームページに何度となくアクセス。評価も気になるが、アクセス数も気になる。僕、テレビ書いたら、視聴率とかメチャクチャ気にするんだろうな、きっと。書いてないから批判してるだけで。
しかも、「長い」と言われたにも関わらず、なんか昨日のより長くなりそうな予感。クソッ、こうなったら意地でも長く書いてやる。

奥さんが帰宅して、夕食。
今日は、野菜のポトフとトマトとインゲンのサラダ。ブログ読んだ奥さん、私は炭水化物抜きの食生活には付き合わないわよと言わんばかりに、レーズンパンを買ってきて食べている。その美味しそうなこと美味しそうなこと。
で、もうお分かりだと思いますが、昨日の宣言はどこへやら、食べました。レーズンパンを。頭下げて貰いました。ジムもそうだけど、炭水化物抜きも2日目にして断念です。そうなんです。この意志の弱さ。僕の人生、常にこんなもんなんです(泣)。

ニュース23。 
食糧危機のハイチでは、泥のクッキーを食べて飢えを凌いでいる。なのに、物価が上がったとはいえ、まだまだ飽食ニッポンでは、売れないシナリオライターがプロットひとつ書かずにダイエット。世界は不平等だ、の一言では片付けることの出来ない何かがそこにある。
長期休暇の度にカンボジアに行って、ボランティアをしている元妻が離婚しようと言った気持ちが分かるな。
 
と、反省したのもつかの間、今日はジムに行かなかったから、半身浴で体重落とそうと、週刊文春読みながら、お風呂に1時間。
入浴前体重67.8キロ。
入浴後体重65.6キロ。
ボクシングのせいで新陳代謝が異常に良くなり、2キロぐらいすぐ落ちてしまう。ま、昨日の体重と比べてもらえば分かるように、食べて飲んで、すぐに戻ってしまうわけですが。ホント、世界で飢えている皆さん、ゴメンナサイ、です。

現在2時25分。
よし、今日こそはプロットを直そう。
そして、明日こそはジムに行って、炭水化物を食べるのを止めよう。明日こそは、長い日記を書くのをよそう。 そして……明日こそは、世界と向き合おう。どうやって向き合えばいいのか、さっぱり分からないけれど。


5月23日の安井さんのブログに登場するカラオケの一場面です。
「♪突っ走る愛にブレーキはないぜェ♪」とマッチの『ハイティーン・ブギ』を
熱唱しているところです。(撮影・安井国穂)



2008年6月4日(水曜日)



午前3時30分。またもプロットを一行も書かないまま、セブンイレブンに「週刊プロレス」を買いに行く。この時間に梱包が解かれ、棚に並べられるのだ。
20代後半の何年間か、プロレスにどっぷりとハマったことがある。
その頃、プロレスも熱かったけど、それを伝えるメディアも熱かった。中でも、「活字プロレス」を謳った週刊プロレス(通称・週プロ)は、プロレス専門誌という枠を破って大きな遠心力と求心力を持っていた。
発売日の木曜が待ちきれず、前日に早売りされる水道橋の新聞スタンドまでわざわざ買いに行って、貪り読んだ。
時が経ち、プロレスブームは去り、ネットの登場で活字は活字としての存在意義を失くした。週プロは版型も発売日も変り、中身もかつての面影すら残っていないけれど、一刻も早く週プロを手に入れたいという僕のクセだけは残った。それで、未明のセブンイレブンというわけだ。いつだったか、まだ梱包のままなので帰ろうとしたら、中国人のバイトのコに「お客さん、プロレスあるよ!」と呼び止められ、梱包を解いてもらって買ったことがある。たぶん、僕はあのセブンイレブンで、「プロレスおやじ」とか「週プロ野郎」とか呼ばれているのだろう。

しかし、プロレスのおかげで、いろんなことがあった。
アントニオ猪木が「平和の祭典」という名のプロレス興行をやるというので、北朝鮮まで4泊5日25万円も出して、観に行った。金日成が死んだ翌年、95年のことだ。プロレスがなかったら、北朝鮮なんて一生行かなかった。ホテルの周りには、50年代の帰国運動で日本から帰った在日のおばさんが屋台でラッコの肉を焼いていた。ラッコの肉……あの頃、すでに北朝鮮の食糧危機は深刻でラッコまで食べていたのだ。初日二日と続けて通い、三日目の夜、おばさんが「この国でひとつだけ問題があるとするなら、好きな本が読めないことかな」とポツリ本音を漏らした。だから、「何か本は持ってきてない?」と。
生憎、僕は関川夏央の『退屈な迷宮 北朝鮮とは何だったのか』しか持ってきてなかった。北朝鮮批判の本は空港で没収されるというので、試しに持ってきたら、全くのノーチェックで持ち込めたのだ。さすがにそれはヤバイというので、同室の猪木ファンが持っていた古今亭志ん朝の落語本を置いていくことにする。だけど、「どこに誰の目があるか分からないから、私が合図したらカウンターの中に本を落として」とおばさん。最終日の夜、プチスパイ気分で志ん朝の本を落とし、高揚した気分のまま、なぜかおばさんとおばさんの娘と「インターナショナル」を歌う。おばさんと僕は日本語、娘は朝鮮語(ハングルと言ったら、怒られた)。あの母娘、いまはどうしてるんだろう。社会主義の国では、インターは支配する側の歌なのだろうか。結局、一緒に撮った写真は送らなかった。

こんなこともあった。
IWAジャパンというインディー団体のMAYAさんという女子マネージャーと友達になった。MAYAさんは僕と同じ年で、子供もいるんだけど、本職はストリッパー。横浜の劇場に出るから、見に来てくれという。それで行きました。安井国穂さんと二人で、差し入れ持って。それがストリップ初体験だったのだけれど、参りました。知り合いの裸を見るのが、あんなに照れるものだとは。MAYAさん、サービスのつもりか、安井さんと僕の前で大股開きしてくれるんだけど、恥ずかしくてまともに見れなかったもん。いやいや、ホント、プロレスのおかげです。そういや、MAYAさん、一度エッチしようと言ってくれたけど、結局ビビッて誘わなかったな。惜しいことをした。

これはプロレス熱が冷めてからの話だけど、新藤兼人さんと一緒にプロレスを観たこともあったな。新藤さんのお孫さんがリングアナウンサーをやっているDDTという団体で、孫娘の風さんに誘われて行ったら、隣が新藤さんだったというわけ。その団体には、蛇の化身を名乗るポイズン澤田JULIEというレスラーがいて、そのレスラーが手をヒラヒラさせると、客が手にしたマラカスを鳴らすという決まりがあった。ガラガラ蛇の音というわけだ。当然、僕はマラカスなんて持っていなかったから安心してたけど、風さんが気を利かせてマラカスを買ってきてくれて……仕方ないので振りました。新藤兼人さんの隣で、思いっきり。いやいや、これもプロレスのおかげです。新藤さんが全試合終了後にポツリ呟いた言葉は一生忘れません。
「構成が悪い」
セミファイナルを短く、メインをもっとしっかり長く、とも言っていた。さすが、新藤兼人!
構成の鬼!
恐れ入りました。

プロレスの恩恵といえば、プロレス会場で知り合った銀座のホステスと付き合ったことがある。別れて何年か経って、その子から「ソープ嬢になった」と連絡があった。さすがに他の人には言えないけど、あなたなら面白がってくれそうだからと。で、来てくれと。で、行きました。33歳にして、ソープ初体験。しかも、相手は元カノ。こんなおいしいシュチエーション。金を払ってでも、とはまさにこのこと。これで、一本書けるもんな。書いてないけど。でも、ホント、プロレス様々です。因みに、彼女、次の日には焼肉ご馳走してくれて、還元してくれました。

あ、まずい。また長くなった。
しかも、プロレスの話だけで。まだ、時間的には午前5時前だし。
よし、今日は端折ろう。

8時30分。
プロットが気になり、今日はネコに起こされず起床。朝食は、昨日の残りのポトフ。
プロット書き出す前に、ブログの直し。どれだけ直しても直し足りない。だって、アップされてからだって直したいんだもん。
とにかく、ついにプロットに手をつけるが、書けない。
それもそのはず。郷ひろみの「♪会えない時間が 愛育てるのさ♪」じゃないけれど、書けない時間がアイデアを育てるのだ。普通なら、何もしていない時間に、いつも頭の片隅でプロットのことを考えているのに、今回はブログのことしか考えていない。安井さんがブログの一週間は仕事にならなかったと言っていた意味がよく分かった。イヤなもんですよ、確実に同業者に読まれる日記って。試されるもんなあ、いろんな意味で。
それでも騙し騙しプロットを書き進めるが、眠いわ集中できないわで、友達にブログのお知らせメール。自分の日記を読んでねなど、自己顕示も甚だしいのだけれど、自分のハードルとアクセス数を上げるため、と自分を納得させる。
みんな、ゴメン。つき合わせて。

16時。
絶対に今日中には終わらないと、プロットに見切りをつけ、ジムへ。
シャドー3R、ウエイト6R、サンドバッグ6R、腹筋側筋いつも通り。
練習前体重66.6キロ。
練習後体重64.25キロ。

そのまま、仕事を終えた奥さんと待ち合わせて、新宿ジョイシネマ1で『最高の人生の見つけ方』。
映画どころじゃないけれど、どうせ夜中まで書かないし、レディースデー1000円だし。
しかし、この映画、結構拾いもの。
余命半年と宣言されたジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが、人生でやり残したリストを作り、それを実現させるべく病院を抜け出し、旅に出る。
それにしても、向こうは小さな話を大きく作るのが、本当にうまい。名優二人も引っくり返るほど上手いし。人が死ぬ話なんかで泣くまいと思ったけど、泣けたなあ。現実には、こうはいかないだろうけど。

行きつけの韓国料理屋「スンデ家」で、「スンデポックム」。もち米、春雨、野菜などをぎっしり詰め込んでスープで茹でた韓国風腸詰が主役の鍋。よし、今日は、ジムにも行ったし、炭水化物も採らなかったぞ! あ、しまった、もち米が入ってた!



あとはプロットだけと、1時間ほど仮眠してから、パソコンに向かう。亀の歩みで書き進めるけど、6時タイムアップ。明日というか今日(5日)は、10時30分から、「映像テクノアカデミア」という学校でセンセイをやらなきゃならない。これから、ブログ書くのに、2時間。風呂入ることとか考えると、もう寝る時間もない。しかし、情けないなあ。普通は書き出すと、一気にいけるのに。クソッ、みんな、このブログのせいだ。なんか書けない連鎖で、今日のブログ、キレがないし。しかも、昨日よりさらに長いし。
みなさん、ホント、ゴメンナサイ。

あ、今日の分のネコ紹介がまだだ。
今日は、チコです。7年もウチにいるのに、なぜか家の中で暮らそうとはせず、外のダンボールで暮らす変わり者。でも、パソコンを叩き出すと、家に入ってきて、膝の上に乗るという。よくキーボードの上を歩き、時々それが鶴の恩返しみたいに、いいセリフになってないかと思うんだけど、結局は「Yう$M*Xあ」みたいなものばっかりです。


チコです。チコは女子プロレスラー・長与千種さんのあだ名です。名前のネタが尽きて、
いい加減に名づけられました。
左が7年前、右が現在です。ちょっと老けたかしら?



というわけで、また明日。 



2008年6月5日(木曜日)


8時25分、ブログを書き上げ、30分ほど寝る。起きて、シャワー浴びて、新宿御苑の「映像テクノアカデミア」へ。雨が降っているので、自転車は断念し、中野坂上から丸の内線。授業開始ギリギリの10時30分到着。

映像テクノアカデミアは、東北新社の学校。
5月15日から毎週木曜日、今日までの4回で、映画・映像クリエイティブコースの1年生にシナリオの基礎を教えるというのが、僕のお仕事。
しかし、センセイをやっていると、物書きとしてダメになるからと、昨年度いっぱいで日大芸術学部の講師を辞めたばかりなのに、その舌の根も乾かぬうちに、またセンセイ。ジムといい、炭水化物といい、ホント、意志が弱い。僕の人生、常にこんなもんです。
マジメな話、センセイなんてやっていると、間違いなく目線が高くなっていく。そりゃそうだ、自分の言うことを聞いてくれる人間に囲まれていれば、そうなっていくに決まってる。特に、シナリオライターの場合、普段は監督やプロデューサーに虐げられ、自分の意見なんて、なかなか通らない。それが、授業という枠の中じゃ、大抵は通る。ただでさえ、「何様?感」が強い人種が、ますます「俺様感」を強くしていく。そんなこと、物書きにとっていい訳ないでしょ? もちろん、そうじゃない人もいるだろうけど、僕は間違いなくそっち側の人間だし。
それに、そもそも学校でシナリオなんて教えられるか、という問題がある。
少なくとも、僕はシナリオ学校に行ってない。

1984年の夏、僕は予備校の夏期講習をサボって、若松孝二監督の『スクラップストーリー』(脚本・内田栄一)を観に行っていた。その前々年、若松さんが名古屋に作ったシネマスコーレという劇場にだ。そしたら、そこに何の予告もなく、若松さんが現れた。僕は狂喜した。
その頃、すでに大手映画会社は助監督を採用しておらず、独立系映画もいまほど盛んではなかった。映画への道はまだ狭き門で、映画監督になりたいのなら、ピンク映画から入るのが一番の近道のように思われた。それで、田舎の映画青年だった僕は、密かに若松プロに入ろうと思っていたわけだ。
その若松孝二が目の前にいる。
僕は勇気を振り絞って、弟子にして下さいと言った。そういう若いヤツには慣れているのか、若松さんは僕をお茶に連れていってくれて、焼肉をご馳走してくれた。シネマスコーレの支配人の木全さんと、東京に戻る若松さんを名古屋駅のプラットホームまで送りに行った。このまま別れたら、ただの地方の一映画青年と同じなような気がした。僕は新幹線に飛び乗った。入場券のままで。
さすがに若松さんも、こいつは本気かもと思ったのだろう、こう言ってくれた。「いま浪人してるなら、とりあえず大学に入りなさい。そしたら、四年間、親の金で遊べる。その間に、映画を勉強すればいい。ウチは金は払わないけど、優秀なヤツはみんな四年ぐらいで監督にしてやっている」
僕は若松さんの言葉に従った。体よく追い返されただけなのかもしれないけど。
とにかく、大学に入り、若松プロに出入りするようになった。四年後、言葉通りに若松さんは僕を監督にしてくれた。『パンツの穴・ムケそでムケないイチゴたち』というオムニバス映画の一本だった。しかし、僕は何もできなかった。その当時は、若松さんの不遇期で、仕事がほとんどなく、僕には数本の助監督経験しかなかった。それで、監督やれという若松さんも無茶だ。カットすら、まともにかけることが出来なかった。セリフ終わりでカットをかけると、若松さんからカットが早いと怒られた。今度はセリフが終わって、10数えてからカットと言うと、遅いと怒られる。仕舞いには、僕の後ろで若松さんがカットと言うようになった。僕は自分の才能のなさに絶望した。このまま若松プロにいて、助監督を続けていても先がないような気がした。監督が無理でも、字なら書けるような気がした。
その頃、荒井晴彦さんが「映画芸術」の編集長になり、若松さんの取材に訪れた。僕は、荒井さんにシナリオを見せた。後日、荒井さんから、原稿用紙四枚にわたり、びっしりと箇条書きされた感想を渡された。そして、こう言われた。
「おまえは平均点は書ける。だけど、プロになるには平均点じゃダメなんだ。以上か、以下じゃなきゃ」
僕は荒井さんの仕事を手伝うようになった。「字なら書ける」なんて、とんでもなかった。僕の下書きはほとんど何も残らないまでに直された。
荒井さんとの最初の仕事『新宿鮫』の時に、荒井さんの師匠である田中陽造さんが遊びに来たことがある。
「俺は、陽造さんに全部消しゴムで消された。原稿用紙が勿体無いとか言われて。いまはいいよな、ワープロで。消せないから」
そう荒井さんが言うと、田中さんがポツリ呟いた。
「荒井、ここにDeleteっていうのがあるだろ、これを押せばいいんだ」
怖い世界に来てしまった。そう思った。

それでも何とか、デビューして早や14年。
僕はまだ一本たりともマトモな仕事をしていない。
そんなヤツがセンセイとはチャンチャラおかしい。僕が生徒だったら、間違いなくそんなセンセイはバカにする。事実、それまでロクな作品も書いたことがないままセンセイをやってるヤツらを僕はバカにしてきた。
でも、人は自己肯定する生き物。いまじゃ、「名選手、名監督にあらず」ってことは、その逆もあるよな、と自分を納得させてます。

あ、学校でシナリオが教えられるか、という問題だった。
シナリオ講座のブログで、こんなことを書いちゃいけないかもしれないけど、答えはNOだ。
シナリオは、「何を」「どう」書くか、だ。
「どう」は教えられるかもしれないけど、「何を」は教えられない。
でも、一番大切なのは「何を」書くか、なのだ。
それは残念ながら、学校に来ても学ぶことはできないし、人から教わるものでもない。
映画を観て、本を読んで、人と接し、世界を知る。
それしかない。
そこから、映画をどう観るか、本をどう読むか、人を、世界をどう見るか、が生まれる。
そして、初めて、映画をどう書くか、になるのだ。

あ、また偉そうに言っちゃった。
だから、センセイやると、目線が高くなるつーの。
ホント、何様?だな。
スミマセン、反省してます。

で、映像テクノアカデミア。
もちろん、週1回4時間×4の授業で、シナリオの基礎なんて教えられるわけがない。そんなの、僕が教えて欲しいぐらいだ。
だから、生徒たちには、最初に言ってある。
これは、シナリオではない。シナリオごっこだ。でも、お医者さんごっこだって、マジメにやらなきゃ面白くないんだから、このシナリオごっこもマジメにやろう、と。
で、シナリオには、柱があって、ト書きがあって、台詞があって、とその三つだけ教えて、即実戦。
構成だの、台詞の書き方など、一切なし。よかった、桂千穂さんにバカにされなくて。だって、携帯電話の説明書でも何でも最初に読んだって分からないでしょ? 実際に携帯電話を使ってみて、分からないこととかをフィードバックして読んだ時に初めて分かるという。
では、実際に4回の授業でやったことを。

●一回目。
「別れ」というテーマで、ペラ10枚。
これは、日芸でも日本映画学校でも変らずにやっていた。若いヤツは、ちゃんとした「別れ」を経験してなくて、あまりいいモノが上がってきた試しはないし、実際に「出会い」より難しいんだけど、「出会い」は「どう」出会うかだけの「手」の問題になってしまうので、あえて「別れ」をやり続けている。で、出来たヤツから、講評して、その場で即直し。
しかし、シロウトには、この直すという行為ができない。頭では分かっているのだろうが、実際に一度自分で書いてしまったものをなかなか直せないのだ。で、結局、違う話を書いてしまう。ま、自分のことを振り返れば、分かるけど。森下直さんが、直して直して直してこそ、オリジナリティが鍛えられるというようなことを書いていたけど、まさにその通り。人の意見を聞いちゃうと、自分のじゃなくなっちゃうみたいなバカな考えを持っている人は多いけど、人の意見を聞いて、自分の伝えたいことをよりよく伝える術を獲得していく過程でしか、オリジナリティは磨かれない。

●二回目。
人の書いたものの悪口ばかり言っているのはフェアじゃないので、恥ずかしながら、自作『童心』を見せる。先週、重松清の原作と僕のシナリオも渡してある。一応、原作からシナリオ、映画という流れも分かれば、という意図。朝っぱらから、教室に喘ぎ声が響き渡る。でも、いいんだろうか、倦怠期を迎えた夫婦が互いにオナニーを見せ合うような映画をガッコウで見せて。日芸でも見せたけど。
因みに、『童心』、レンタルビデオ屋に置いてあります。もし良かったら、観て下さい。
午後は、「別れ」の合評。自分の書いたものはなかなか直せないので、自分のシナリオと、もう一人別の誰かのシナリオの2本を次週までに直してくることにする。因みに、生徒数は8人。少ないから、これができるのだ。

●三回目。
「別れ」の講評。自分のものよりも人のものの方が、オリジナルをちゃんと発展させた形で直せている。やはり、そうだ。人のものなら直せるのだ。それが分かっただけでも大きな収穫。しかし、個人差があれど、みんなマジメにちゃんと書いてくる。
次週でもう終わりなので、一応目標にしていた30枚シナリオのプレゼンをさせる。ま、30枚じゃ、「ごっこ」の域を出ないけど。

●四回目。
30枚シナリオの合評。書いたものはともかく、みんな人のシナリオに対して、ちゃんとした意見を言うようになっていた。まず「読める」ことが「書ける」ようになる大前提。もちろん、その間には深くて大きな河があるけれど。

それで、4回の授業はすべて終了。
ブログ用の写真をとって、居酒屋へ移動。
教室で、センセイと生徒として向き合っていて伝えることのできるものには限度がある。本当の授業は、居酒屋にあり、だ。因みに、僕は飲めませんが。



僕を含め、みんな貧乏なので、安い居酒屋を探す。しかも、16時30分から開いているところ。
結局、紀伊国屋書店の隣の「ラパウザ」。
普段、貧相な食生活をしている生徒たち、1480円の食べ放題がいいと言う。マズイな、ダイエット中なのに。ま、仕方ないか。
で、パスタにピザを食べてしまう。
因みに、昼食は、ネギトロ鮭とろろ丼でした。もう昼の時点で炭水化物は食べていました。やはり、外食じゃ無理です。今日は体重計かるの、よそう。



寝ていないので、今日はここでお開きにしようと思っていたのだが、荒井さんからメール。
なにか進行中の映画の打ち合わせで、とても不快な目に遭ったらしい。で、飲もうと。
荒井晴彦を知っている生徒、一人しかいませんよ、と言うと、もうそれは仕方ない、諦めていると。
結局、ブラで合流することにする。
まだ時間があるので、生徒たちを連れて、新宿TUTAYAへ。荒井さんの作品をレンタルさせる。なんといい弟子。しかし、荒井晴彦知らないのは、マズイでしょ。
ここで、水沢、松野、永平とはお別れ。

ブラ。
やはり荒井晴彦が放つ作家オーラは全然別格。生徒たちも緊張している。
書いたもので差をつけられるのは仕方ないとしても、佇まいで差がつくのはさすがにイヤだな。ビミョーに傷つくんだよな。
荒井さんから、某売れっ子作家の短編小説を某ライターが脚色したシナリオを渡される。K監督から相談されたのだけれど、いけそうなら直して欲しいということらしい。
人見知りの荒井さん、最初は僕としか話さないけど、次第に生徒たちとも打ち解けていく。ホントは、お喋りで、サービス精神旺盛な人なのだ。
荒井さんの話を聞きながら、生きた授業とはまさにこのことだよな、と思う。お世辞ではなく、本当に。
話の内容はヒミツです。そこにいた人だけの特権。
よかったな、松本、荒牧、須田、佐々木。



終電間近、ブラを出る。
荒井さんはゴールデン街の「鳥立ち」に行くという。
しかし、寝てないし、ブログ書かなきゃいけないので、さすがに帰ることにする。僕、敵にウシロ見せるより仲間にウシロ見せるのがイヤなタイプなのに、今日はもう限界。仕方ない。
須田と佐々木は荒井さんについていくことに。
スミマセン、荒井さん、僕の生徒なのに。
よろしくお願いします。

家に辿り着くと、ミリが異常に甘えてくる。
家庭内労働者の飼い主に慣れているので、一日留守にすると、寂しくて仕方ないのだろう。ミリはウチの中でも、一番僕のことが好きで嫉妬深い。奥さんと並んで座っていると、必ず間に割り込んでくる。ミリ、超カワイイ。


ミリです。子猫の時に捨てられていて、栄養不良でとても小さかったので、
ミリと名づけられました。



いまじゃ、こんなに大きくなりました。


しかし、もう睡魔には勝てない。
ブログもプロットも明日にしよう。
おやすみなさい。
もうこのブログが長いことは謝りません。諦めて、あと三日、お付き合い下さい。



2008年6月6日(金曜日)

11時、携帯電話のバイブで目が覚める。
寝足りない気がするが、ブログを書かなければ、と起き上がる。着信は、問題のプロットのプロデューサー河村雄太郎さん。「電話下さい」という留守電の声が明らかに怒っている。
そりゃそうだ。大したことない直しの締切りを何の連絡もしないまま5日も延ばしているんだから。マズイ、あの温厚な河村さんが怒るなんて余ほどのことだ。怖くて、電話できない。今日中に書いて、送りましたと電話すればいい、と自分に都合のいい理屈をつけ、今そこにある危機から現実逃避。しかし、まずブログを書かねばならない。事務局の久松智子に「そこまでブログに振り回されてるの、井上さんだけですよ」とまた笑われるかもしれないけど、そうなんだから仕方ない。毎日の締切りがこんなに大変だとは。天声人語とかよくやるよな。マジで疲れてきた。
だからといって、流せないのが不器用なところで、書き終わったのが、14時過ぎ。なんと過去最高3時間。分量もさらに長くなっている。書き出す時には予定になかった若松さんと荒井さんとの出会いまで書いている。
帰宅後にブログ読んだ奥さん、「一週間で自分の半生、全部語るつもり?」と。そんなつもりはないけど、イヤだな、一週間で語れる42年と11ヵ月なんて。どうしよう、語れちゃったら。とにかく、長いブログを送って、さあ、プロット、と思うがすでにかなりバテている。気分転換にジムに行こうか迷うが、ダイエットの公約より河村さんとの約束が大切とジムは断念。ま、すでにどちらとも破っていますが。

でも、やはり書く気になれず、掃除したり、シャワーしたり、電話したり、メールしたり。そうこうしてる内に、あっという間に夕方。奥さんの帰宅時間。マズイ、このままじゃ、本当に「今日は特になし」だ。ま、気づいてる方も多いと思うけど、昨日以外はジム行って、ブログ書いてるだけの毎日だし。それをいろいろ書いて誤魔化してるだけだし。しかし、そろそろネタが尽きてきた。あれ? ってことは、僕の半生、4日しかもたなかったってこと?

そういえば、ブログ書いてる時、amazonから、『オードーリー・ヘップバーンコレクション』と『荒野の七人 コンプリート・ボックス』が届いた。70%OFFだったので、思わず注文してしまったのだ。ホント、SALEとか〜%OFFとかに弱くって。でも、ヘップバーンは4枚で3588円、荒野の七人も4枚で2333円。それは、買いでしょ。
しかも、ヘップバーンは『噂の二人』『おしゃれ泥棒』『許されざる者』『いつも2人で』ですよ。ウイリアム・ワイラー2本に、ジョン・ヒューストンにスタンリー・ドーネンですよ。やはり映画をちゃんと勉強しようと思ったら、50年代のアメリカ映画ですよ。だって、オーソドックスで良質な映画の形が、間違いなくそこにはあるんだから。しかし、ヘップバーン、いい監督とばかり仕事してるな。いい監督とばかり仕事してるから、いまなお燦然と輝いているのか。ヨシッ、来週は一人ヘップバーン・オールナイトだ!

夕食は、仕事帰りの奥さんと待ち合わせて、大久保駅前のインド料理屋「シディーク」で、カリフラワーとジャガイモのカレー。炭水化物を食べない宣言はすでに完全に反故。ま、起きてから、青汁と豆乳パイナップルジュースしか胃の中に入れていないからいいか。

家に帰って、携帯に野上龍雄さんからの着信があるのに気づく。
一瞬、ブログの神様が下りてきたのかと思った。これで、今日は野上さんのことが書けると。
だけど、野上さんのことを書くと、どうしても『男たちの大和』の話になるからな。そうすると、どうしても陰惨な話になるからな。東映から印税代わりに脚本協力費(!?)の名目で200万円貰って、一応書くなと言われてるし。
ま、そんなこと気にしてないけど。しかし、それこそ昨日の倍ぐらい書くことになってしまう。だから、もし興味のある方は、05年間代表シナリオ集か、月刊シナリオの06年1月号を読んで下さい。なんか宣伝みたいですが。
だから、野上さんから学んだことをただひとつだけ。
とにかく、目線を低く。
大和を書いている間中、またその後書いたシナリオを読んでもらった時もただひたすらそれだけを言われた。
目線が高い! 低く! 低く!

この言葉を僕なりに解説しようと、いま、かなりの枚数を費やしたけど、なぜか書けば書くほど、野上さんの言葉の本来の意味から遠ざかっていくような気がするので、Deleteしました。たぶん、僕は本当の意味でまだその言葉の意味を学んでいないのでしょう。だから、答えを知りたい方は、野上さんの映画を観て下さい。答えは映画の中にあります。
なんか自分の無能力さを誤魔化しているみたいで気が引けるけど。
でも、昨日の学校でシナリオが学べるかという話じゃないけれど、やはり映画を観なければ何も始まらないと思う。
ボクサーは日々、恐ろしく厳しい練習に耐えている。我々がシナリオを書くという行為は、ボクサーにとっての試合だとすると、我々にとっての日々の練習とは何か。それは、映画を観ることでしかないのではないか。それこそが、映画の基礎体力をつける一番の近道なのだ。
そういえば、学校で学べるか問題で、友達でアニメーターの反田誠二さんからメールを貰った。以下、本当に一部を引用。

――曲がりなりにもプロとしてやっていて技術的なことがだんだんわかってきた時に、「このことを学校で教えてくれれば遠回りせずに済んだのに……」と思ったことがありました。

昨日肝心なことを書き忘れたのですが、シナリオや映画の学校には二つの大きな存在意義があります。これは毎度お馴染み安井国穂さんの言葉ですが、我々が学校でできることは、「我々が遠回りしてきた道を、それは遠回りだよ、と教えてやる」ことだと。要は「ショートカットの道を伝える」ことだと。これは、反田さんの言葉にあるように、学校の大きな存在意義だと思うのです。もう一つは極めてシンプル。映画の世界に縁もゆかりもない人の「とっかかり」であること。いまいる世界と映画の世界への橋渡し。これはこれで重要なことだと思います。これは、シナリオ講座のブログだから書く訳じゃなくて、本当に真実だと思います。反田さん、ありがとう。大事なことを書き忘れるところでした。ホント、友達って貴重です。

夜、ついにプロットに着手。
今日こそは間違いなく朝までには終わるだろう。

3時35分。
荒井さんから、短いメール。
「内館牧子って東京都教育委員会の委員で委員長職務代理者なんだね!横審委員はいいけど、これは問題だなあ」
内館さん、日の丸・君が代問題、どう考えているんだろう? 東京都は毎年、日の丸・君が代に対する譲れない思いから、不規律・退席などで抗議した教職員を大量に処分してきた。平成天皇だって、東京都教育委員会の米長邦雄に園遊会で「強制になるということでないことが望ましいですね」と言っているというのに。内館さん、朝青龍のことよりもこっちの方が重要なんじゃないですか。この国はどこかで歯止めをかけない限り、またとんでもない方向に進んでいってしまいますよ。

それにしても、こんなことに敏感に反応し、問題にしようとする師匠を持って、本当に良かった。荒井さんにしても、若松さんにしても、野上さんいしても、僕は本当に人に恵まれてきた。河村雄太郎さんも、僕にとっては、山田太一さんの大傑作『早春スケッチブック』のディレクターだし。ヨシッ、プロットを渡したら、今度ゆっくりその話を聞こう。
やっと終わりも見えてきたし。

あ、チャッピーが帰ってきて、エサくれって鳴いている。このコもウチに居つかず、エサが欲しい時だけ戻ってくる。一体、どこで生活しているんだろう。
理想だな、こういう生活。


チャッピーです。見ての通り、茶色だからチャッピーです。
某女優さんがつけました。
我が家では誰がネーミングしようが、みんな安易です。



そういえば、今日6月6日は、ダミアンとシナリオ講座の生徒だった宮谷如の誕生日だった!
スゴイでしょ、生徒の誕生日まで覚えているなんて。オーメンだから覚えてるだけだけど。因みに、名前の「如」はユキと読みます。

宮谷如、お誕生日おめでとう。
失業保険が切れようと、四十になって世間が何と言おうと、たった一度の人生、好きなように生きて下さい。

では、また明日。 



2008年6月7日(土曜日)


4時45分、炊飯器のスイッチを入れる。
今日は奥さんの子供たちの運動会なので、自分の起きる時間に合わせてONしてくれと頼まれていたのだ。
5時30分、奥さんが起きてきて、弁当を作り始める。
朝と家事が苦手な奥さん、さすがに子供のためとなるとちゃんとやっている。元の家を出て、3年半、奥さんは毎週土曜日、欠かさず子供たちと会っている。向こうの最寄駅である横浜の青葉台駅まで子供たちを迎えに行き、昼ごはんを食べ、遊び、買い物をし、晩ごはんを食べ、自宅に送り届けている。家を出た時、下の子はまだ幼稚園の大きい組で、ママと会うと離れるのがイヤで、眠るまでそばにいてと言っていた。だから、奥さんは元の家に上がり、下の子が寝つくまで添い寝する。その習慣は3年半たった今も変らない。奥さんの顔を見ると感情の制御が利かなくなる元旦那、細心の注意を払って、顔を合わせないようにしてるらしいけど。
奥さんとは、4年前、中学校の同窓会で25年ぶりに再会した。で、こうなった。ま、誰にでも手を出す僕も悪いけど、奥さんにしても四十を目前に控え、焦りがあったと思う。このままでいいのかという現状への不満、女としてもう勝負できなくなるかもしれないという不安。だから、これが最後の恋かもと余計に拍車がかかったのかもしれない。しかし、別にこんなオトコ選ばなくても。家庭的って言葉に一番縁がないもんな。昨日もブログ読んで怒ってたな。「チャッピーが理想なら、家庭なんていらないじゃん」って。その後にすぐ「そんなこと、分かってたことだった」と反省してたけど。
お願いしますよ。一々、ブログ読んで怒らないでよ。火曜日の裁判と調停の話も怒ってたし。仕方ないでしょ、才能のない人間は、自分切り売りするしかないんだから。いい加減、諦めて下さい。こんなオトコを選んだ「自己責任」だって。
しかし、壇一雄とかスゴイな。奥さんや子供や親が読むかもしれないのに、じゃなくて読むに決まってるのに、ちゃんと書いて。僕、本当に怒らせることは書けないもん。でも、それをやってこその作家なんだろうな。荒井さんが「転んでもタダで起きないんじゃなくて、タダで起きないために転ぶんだ」って言ってたけど。あ、因みに、本当に怒らせるようなことなんて何もしてないですから(汗)。

お弁当のおかず、美味しそうだけど、カロリーが高そうだから、炊き立てのご飯に卵と納豆とめかぶをかけて我慢する。
7時15分。奥さん、弁当や水筒やレジャーシートやらで、もの凄く重くなったバッグを提げて出かけていく。今年が小学校最後の運動会の上の子が朝イチから出番があるらしい。

8時46分、やっと終わったプロットを河村さんにメールする。
河村さんと打ち合わせしたのが、先週の木曜日。なんで、この程度の直しにこんなに時間がかかるかなあ……。あ、ブログのせいか。そういうことにしておこう。
しかし、プロット、A4で36枚。ペラ(200詰め原稿用紙)換算だと288枚。完全にシナリオ書いた方が早い。企画をプロットで通さなきゃならないのは分かるけど、本当にムダ。それにプロット下手だし。下手だから、こんなに長くなるのか。
月刊シナリオ06年9月号掲載の広報の座談会「プロットは必要悪か」でもやったけど、このプロットというヤツ、どうにかならないものか。シナリオにとって、百害あって一利なしだ。全く別物だし。昔はプロットなんてなかったわけだし。こういうことの一つ一つが、いまの映画やテレビドラマの質をここまで下げているような気がするんだけど。

プロット書き終わって、即ブログ。
しかし、一仕事終わった感で、完全に集中力を欠いている。
で、昨日のブログを読んでもらってお分かりのように、あんな出来になってしまいました。あんなものをお見せして、本当に恥ずかしいです。今日は頑張ります。
10時30分、野上さんの「目線を低く」の僕なりの解釈を書いていて、このまま書き続けても先はないと休憩することに。しかし、横になった途端に爆睡。気づいたら、12時50分。マズイ、今日は休日の久松を自宅で待機させているのに。ゴメン、久松、すぐ書きます。あ、それから、今度の理事会で、土日の自宅作業分のギャラ、ちゃんと出すように提案するからね。
起きて、頭を回転させるために、板チョコの一気食い。糖分でしか脳の栄養は補えない。ダイエットは気になるが、緊急事態、仕方ない。
書いた部分を読み返し、「解釈」を切ることにする。ブログじゃなければ、ここで延々と何日も悩むんだろうけど、毎日の締切りでは、これが限度。ホント、赤福や船場吉兆みたいで申し訳ない。ちょっと違うか。
で、とにかく書き上げ、14時34分、久松の自宅へメールで送る。

あまり寝てないけど、ジムへ行こうと思うが、あまりにも不本意で書き上げた達成感も何もないので、安井さんに愚痴の電話。
そしたら、安井家、まだ15時前なのに、夫婦ふたりともすでに酔っ払っている。なんでも11時から近くの回転寿司屋で飲んでいたらしい。奥さんの千秋さん、安井さんと話す受話器の向こうから、「炭水化物食べろ!」とか「ミリちゃん、かわいい!」とか「チコちゃん、ふけた!」とかブログの感想(?)を叫んでいる。うーん、壊れてるなあ。ま、僕と暮らすのが大変なように、安井さんと暮らすのも大変だろうな。安井さん、いつもニコニコしてるのに、目が笑ってない人だし。

掃除して、洗濯物取り込んで、16時30分、ジムへ。
シャドー3R、ウエイト6R、サンドバッグ6R、腹筋側筋いつも通り。
因みに、ウエイトとは、2キロ、3キロ、4.5キロのウエイトを順番に持って、左ジャブ、右ストレート、ワンツー、左フック、右フック、左右アッパーをそれぞれ1Rずつ打つ練習です。
練習前体重66.8キロ。
練習後体重64.2キロ。
ま、週に3回で、あの食生活じゃ、この程度か。



ジムの外観です。職安通りからよく見えます


リングの上には、歴代のチャンピオンの写真。その下は全面、鏡です


亀田騒動で、テレビでご存知の方も多いと思いますが、これが練習風景です


練習後の僕です。ヘロヘロでゲッソリしています。
誰にも頼むわけにはいかないので、自分で撮りました。
ちょっとコワイです。



そのまま歌舞伎町に自転車で移動して、新宿ミラノ座で、『ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛』。これしか近場で時間の合うものがなかったのだ。
しかし、四兄弟がナルニアに行く前から、すでに爆睡。気が付いたら、1時間半たっていて、すでに最初の戦闘シーン。だから、感想を書くのは控えますが、9.11後にこの手の話を作るのは本当に大変だな、と思う。「戦う」ことや「復讐する」ことにとても慎重にならざるをえない。その上で、映画的カタルシスを提示しなきゃならないんだから、その苦悩いかなるものや。ま、そういう中から、『ミスト』みたいな大傑作が生まれるんだろうけど。
しかし、児童文学だから仕方ないのかもしれないけど、「創造主(神)」とか「王」とか「王子」とか抜きで、この手の物語を作れないものだろうか。ナルニア国では、王や王女だった四兄弟が戦時下のロンドンの日常に戻ればただの人、というところで、そういうものが幻想に過ぎないってやっているんだろうけど。

夕食は、歌舞伎町の立ち食いそばで、ワカメそば。
ドンキホーテに寄って、猫のエサとティッシュ。
帰って、ネコにエサをやってくると、疲れ果てた奥さんが帰ってくる。
ホント、お疲れ様です。

子供たちの活躍を聞きながら、お茶して、お風呂。
週刊文春を読みながら、1時間。
入浴前体重66.2キロ(ワカメそばと水しか飲んでないのに、すでにここまで戻ってる)。
入浴後体重64.4キロ。

荒井さんから渡された某売れっ子作家の短編小説の脚色シナリオを読む。
原作は、寂れた温泉街のストリップ小屋で出会ったもう若くはない男と女の一夜の話。女の悲しい過去が語られ、女が「心中しようか」と言い、男が「いいよ」と答える。でも、結局死ねないというだけの話。
読ませるシナリオにはなっているけど、結局は男と女の会話の中に回想が入るという構成。2時間近い映画でそれはキツイ。過去の因果話で泣かせる話は、やはり回想ではなく現在進行形でその因果を語らなければ、泣けないのではないか。「おキライでしょうが、ポール・ハギスのように、時制を入れ替えて、過去話全部リアルタイムでやって、それがどこか一点で結びついて……みたいな話にしないとダメなんじゃないでしょうか」とメールする。
 と、「時制をいじっても所詮ごまかしだよ。男が弱いんじゃないかなあ。聞き役だし。男も一緒に死んでくれると言われて、いいよと言うんだから、あの程度じゃなくて『犯罪者』とか、追われてるとか、なんか枷がいるんじゃないかなあ。女の過去より男の現在で引っ張っていく。いま、男は刺身のつまだから、逆の感じにすれば男と女の温泉からのロードムービーにならないだろうか」と返信。
なるほど。さすが、勉強になる。
ロードムービーの線でもう一度考えてみよう。

いまさらながら、桐野夏生『東京島』。
いまさらながら、メチャクチャ面白い。「ニート男かメンヘル女を主人公とする一人称的な小説ばかり」(武田将明)の中で、このような「小さな島」での「大きな物語」を読むと、本当に心が震える。
これぞ、日本版『ミスト』。
『OUT』のように原作の毒をスポイルしないで、このまま映画にしたいな。そういや、毒を毒のままやった『柔らかな頬』(脚本・監督/長崎俊一)は傑作だった。

ヘップバーンを観ようと思うが、さすが目が閉じていく。
ということで、今日はここまで。
おやすみなさい。

あ、今日のネコは、ギンです。野良だった頃の記憶が消えないのか、恐ろしく食い意地が張っていて、ものすごく食べるんだけど、ちっとも太らない得な体質の持ち主です。ニコに異常に好かれ、いつも付きまとわれ、時々癇癪を起こしています。


ギンです。もうお分かりだと思いますが、銀色だからギンです。
ちょっとヒネた顔しています。でも、性格はとてもスナオです。





2008年6月8日(日曜日)

夢うつつで、奥さんの小さな悲鳴を聞く。
洗濯機の前に、ネズミの死骸が転がっていると騒いでいる。あたし、触れないから、お願い、と奥さんはCFPの資格審査試験に出かけていく。

CFP(サーティファイド・ファイナンシャル・プランナー)は、日本FP協会が認定するFPの上級資格である。
三菱UFJ信託銀行の契約社員の奥さん、正社員になるにはこの資格がいるからと受験を決意したらしい。しかし、この試験、生半可な勉強で合格するレベルじゃないらしい。当然、正社員の人たちはそんな資格、持っていない。契約社員から正社員になるためだけの必要最低条件なのだ。さらに、その上に、何期連続かでとんでもないノルマをこなさなければならない。その高過ぎるハードルをクリアして、過去に正社員になった人間は全国で数人。要するに、契約社員にも正社員の道が開けていますよという会社側のアリバイに過ぎない。よく新聞で、正社員と契約社員・派遣社員・アルバイトの賃金・労働条件格差の記事を目にするけど、実際に話を聞くと、その酷さは想像以上だ。奥さんが契約社員になってからの三年の間にもそれはどんどん顕著になっていく。規制強化のあおりを受けて、ちょっとしたミスでもすぐ減点(ポイント制なのだ)。やって当たり前で、やったことに対するポイント加算はなし。しかも、ミスはすべて自己責任。巧みに会社は責任を回避するらしい。
こんなことも言っていた。先日まではA商品がキャンペーンでそれを売っていた。しかし、今日からはB商品を売りたい。そうすると、いきなりA商品を販売した時のポイントが30%下げられたという。売りたい商品のポイントを上げるのではなく、売らないでいい商品のポイントを下げるという、この発想! しかし、組合も何もない契約社員、会社の言うがまま従うしか術がないという。
契約社員という名の低賃金の「外人部隊」が足を棒にして外回りをして収益を上げ、冷暖房のきいた窓口に座って何の収益も上げない正社員が高給を取る。それが銀行というところだ。この三年、そんな話をイヤというほど聞かされた。正社員と契約社員の格差を埋めなければ、とみんな口だけで言うけれど、現実にはその格差はどんどん広がっていくばかり。
三菱UFJ信託銀行さん、これはいくらなんでもちょっと酷いんじゃないんですか? あなたたちの「過去最高の利益」は、こういう弱者の犠牲の上に成り立っているのです。ま、そんなこと、いくら言ったってムダだと思うけど。こうなると、政治の問題だな。期待できないけど。

ネズミのことが夢ならいいなと願いつつ、10時近くまで寝る。
しかし、本当に洗濯機の前に、ネズミが転がっている。しかも、まだ子ネズミ。かわいそうに相当弄ばれたのだろう、無惨な姿をしている。きっと、ミリの仕業だ。ミリには困ったものだ。ネズミにトカゲ、ゴキブリに至るまで、何でも獲ってくる。あんなカワイイ顔をして、メチャクチャ残酷なのだ。
ゴミと一緒に捨てる気にはなれず、庭というか土のスペースに埋めて、線香を立て、手を合わせる。ゴメン、僕が起きていれば、助けてやれたのに。

12時46分、ブログを久松の自宅にメールで送って、掃除し、ジムへ。
日曜日はプロはお休みで、僕のようにダイエットとか不純な目的でボクシングをやっている人専用。なので、ジムの雰囲気が緩んでいるというか、全く違うので、普段は行かないのだが、ダイエット公約のために今日は行く。
シャドー2R、ウエイト6R、サンドバッグ6R、腹筋側筋いつも通り。
練習前体重66.2キロ。
練習後体重63.5キロ。
週四日練習で、食べ放題一回行って、板チョコ一気食いとかしたわりに、開始時より5.3キロ落ちているんだから、まあ良しとしよう。ホントは62キロ切るか切らないかぐらいを目指してたんだけど。

昨日に引き続き、ドンキホーテでネコのエサ。
レジでお金を払っていると、西澤ヨシノリさんが娘さんと一緒にやって来る。
西澤さんはヨネクラジムのプロボクサーで、元東洋太平洋スーパーミドル級とライトヘビー級のチャンピオン。世界王座にも三度の挑戦経験を持つ。僕と同じ年で、ボクサーには37歳の誕生日で引退の定年制ルールがあるのだが、現役に拘り続け、その規定を変えさせたことでも有名である。
友人の立川談慶さんの落語会で知り合い、家が近所ということもあり、仲良くさせてもらっている。西澤さん、42歳のいまでもオーストラリアで試合をしている。次は、7月。絶対に一度、オーストラリアまで応援しに行こう。

そういや、五年ほど前、ヨネクラジムの興行の後、ガッツ石松さんのドラマを書いていた安井さんに連れられて、ガッツさんと食事に行ったことがある。言わなきゃいいのに、安井さんが僕のことを「協栄ジムのシナリオライターの井上君です」と紹介した。そうしたら、ガッツさんが「打ってみろ」と立ち上がり、両手を上げた。その席には、西澤さんと日本スーパーフェザー級チャンピオンの嶋田雄大さんもいた。さすがに僕は躊躇った。いくら僕でもそこまで怖いもの知らずじゃない。でも、ガッツさんは「ホラ、打ってみろ」と手を下ろそうとしない。
仕方なく打ちました。元世界チャンプの手に。東洋太平洋チャンピオンと日本スーパーフェザー級チャンピオンの目の前で。「違う、そうじゃない!」
銀座のイタ飯屋で、ガッツさん、素人相手に真剣に怒ってる。僕、必死で打ちました。全身、冷や汗でドロドロになりながら。とても貴重な体験だったけど、あんなこと、二度とゴメンです。必死で笑いをかみ殺していた安井さんの顔は絶対に忘れません。
因みに、嶋田雄大さん、四日後の12日にWBA世界スーパーフェザー級王座に挑戦します。バレロは強敵ですが、絶対にタイトル獲って下さい。

帰宅すると、奥さんが、試験できなかったと嘆いている。そんな生易しいものじゃなかったと。
そうか、通じなかったのか。かわいそうに。二ヶ月も前から、仕事からどんなに疲れて帰ってきても、毎晩勉強してたのに。
いいよ、正社員にならなくても、僕が稼ぐから。と言えないところがツライ。
しかし、奥さん、昨日の子供たちの運動会がもし雨で中止になって、今日に順延されてたら、試験ではなく運動会に行くと何の躊躇いもなく言っていた。二ヶ月の勉強も受験料も関係ないと。スゴイな母親って。
先々週の土曜日、奥さんと子供たちと新宿の高野フルーツパーラーの食べ放題に行った。なんと一時間待ちで、子供たちはその間に下の階でやっていた松本ぷりっつの『うちの三姉妹』展を見るという。
それで、僕、並びました。一人で。行列するのが、何よりもキライなこの僕が。
その時に思った。世の父親はみんなこんなことをしているのか、と。良かった、オレ、そんな人生生きてこなくて、と。
だから、下の子がママと住みたいと言った時、さすがに悩んだ。いまの自由な生活を捨ててもいいのか、と。
だけど、「いまの自由な生活」って、何なんだろう? このブログを読んでもらっていれば分かるように、好きな時に起きて、ジム行って、映画観て、ネコの面倒みて……僕の生活なんて、ただそれだけでしかない。失うものなんて本当にあるんだろうか。いや、きっとあるだろう。でも、得るものだってきっとあるはずだ。いやいや、そんな計算じゃない。ママと住みたいと切に願っている子供がそこにいる。まずは、その事実を受け入れることでしか、何も始まらないんじゃないか。アニー・リーホビッツだって、「子供が出来たら、平面だった人生が丸味を帯びた」って言ってたし。なんか自分を納得させようとしてるだけのような気がしないでもないけど。ま、どうなるか、乞うご期待といったところです。



ネズミを埋めた庭というか土の部分に、ドクダミがいっぱい咲いている。ウチはネコを飼うために、大家さんの二世帯住宅のような部分を借りている。だから、土の部分があるわけだけれど、ペット可の代償は陽当たりの悪さで、それゆえに、ドクダミの生育環境抜群というわけだ。そのドクダミを刈り取って、干して、ドクダミ茶を作ることにする。
これも、ブログのネタにしようと初めての試みだけど、これ以上、ブログを長くしてって感じだな。でしょ? こんな生活、何を失うものがあるって感じでしょ?



夕食は、近所の焼き鳥屋「和っしょい」。
もう出来て二年近くたつのだが、初めて入った。
そしたら、美味いの何のって。こんな美味い焼き鳥、久しぶりに食べた。いままで入るのを躊躇っていて、損をした。やっぱり人間、チャレンジあるのみ、だ。

念願のヘップバーン『いつも二人で』を奥さんと見始めるが、おなかいっぱいで二人とも爆睡。
起きて、清水久典『死にゆく妻との旅路』を読みながら、風呂1時間。
しかし、焼き鳥食べ過ぎたので、怖くて体重は計らない。
きっと、昨日以上に戻ってるんだろうな。
きっと、ブログ終わって、来週はもっと戻るんだろうな。
ま、僕の人生、常にこんなものです。

奥さんが寝てから、スタンリー・クレイマーのデビュー作『見知らぬ人でなく』。先日、荒井さんがBSで放送されたものをダビングしてくれたのだ。
なぜわざわざ荒井さんが観ろと言ったのかと思ったら、医者の世界を舞台にした階級闘争の話だった。
いつか、お前もこういう話を書け、ということだろうか。
ホント、荒井さん、いつも感謝しています。

原油は天井知らずの高騰を続け、秋葉原では無差別殺人、ヒラリーの支持者はマケインに投票するかもと言っている。
そして、世界では、今日も飢えた子供たちが死んでいる。

いつか、そんな世界ときっちりと向き合ったシナリオを書きたいと思う。
本当にそう思う。
映画で世の中が変る、とは思っていない。
でも、人の心ならば、動かすことができるかもしれない。
その人の集合体が世界だとするなら………。
あと1ヶ月ちょいで43歳になろうとしてるのに、相変わらず青いな。
だから、いつまでたっても子供だって言われるんだ。

でも……僕は、世界が少しでもよくなることを願っている。


では、西岡琢也さんにバトンタッチします。
『京都迷宮案内』をはじめ、テレビの連ドラや二時間ドラマを死ぬほど書いている西岡さん。大阪芸大の教授で週三日は大阪だっていうし、最近では『火垂るの墓』の実写版など、再び映画も書き始めたという。シナリオ作家協会の理事長職だって結構忙しいはずなのに、一体いつどうやって書いているのか、いつも不思議だった。仕事と家庭の両立はできないと言うけれど、家庭が揉めたという話も一切聞かない。西岡さん、これだけ仕事して、その上、ちゃんと「父」も「夫」もやっているんだろうか。
ブログでは、その秘密のベールに包まれた私生活が垣間見られるかと、楽しみにしています。

あ、ヤバイ。
今日のネコのことを書き忘れるところだった。
今日は、メチコです。9.11の年に、近くの駐車場でノラ猫として生まれ、7年かけて、やっと我が家まで連れてきたけれど、未だにウチの中へは入らず、どんなに寒い日でも外のダンボールで寝ている。不憫な子ほどかわいいと言うけれど、そんな頑なさがかわいくてかわいくて仕方ありません。たぶん、チャッピーのお母さんです。


メチコです。色で名前をつけられるならまだいい方で、
あたしはメスだからメスと呼ばれてました。それが、メッコになり、メチコになりました。
写真だって、本当はもっとカワイイのにこんなのしかなくて、イヤになっちゃいます



というわけで、現在、ウチのコは全部で7匹。やったね、全部紹介しちゃったもんね。この他にも外ネコが多数いますが、ま、それはそれとして。
最後なので、僕がとても可愛がっていたオイとゴウという二人の写真も載せちゃいます。死んだネコ、載せるなっていう話だけど。ま、それはそれとして。


(写真右)オイです。名前がなくて、「おい」と呼ばれている内に、オイになりました。
名前はいい加減につけられましたが、結局、お兄ちゃんとは13年一緒に暮らしました。
(写真左)ゴウです。野良で、子供をいっぱい産んだので、近所でゴッドマザーと呼ばれていました。
それが、ゴッドになり、ゴッチになり、ゴウになりました。7年一緒に暮らしました。
お兄ちゃんのことが大好きでした。



みなさん、一週間、お付き合いくださって、どうもありがとうございました。
出来不出来、面白い面白くない、は別にして、これも勝負だと思って、マジメには書いたつもりです。
では、引き続き、シナリオ講座ブログ、よろしくお願いします。


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