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――シナリオ講座に通われる前からシナリオは書かれていましたか?

 書いていました。僕は映画が好きで、学生の頃は映画監督
志望だったんです。大学の時、8mmフィルムの自主映画を友達と作っていたのですが、自分の脳内にあるイメージを画にしたり演出したりすることがなかなか上手くできず、そもそも人の上に立ってあれこれ指図するのが苦手だったので、「自分には監督は無理だ」と痛感したんです。そんなときに「そうだ、シナリオなら一人で書ける!」と思い至り、初めてシナリオを書きました。もともと本や漫画が好きで、昔からなんとなく物語を作る人になりたいなと思っていたんです。小学生の頃は漫画家になりたかった。でも、そこまでの画力はない。じゃあ小説家は? でも、そこまでの文章力もない。だけどシナリオなら画力はいらないし、ト書きにそこまで文学的・芸術的な表現は求められない。セリフも日常で使わない難しい表現はかえってしない方がいい。シナリオなら、映画を撮るのがダメでも、漫画がダメでも、小説はダメでも、物語が作れる!と思ったんです。そんな経緯で大学生の頃からちょこちょこシナリオを書き始め、その後普通に就職してサラリーマンやっている間も、コンクールには少しずつ出していました。


――シナリオ講座を選んだのはどんな理由からですか?

 30歳を前にして、最初は嫌だった会社勤めもだんだんと慣れてきて、あと結婚なんかもして、なんとなくこのまま「映画の仕事がしたい」とか言いながらもズルズルと一生会社勤めなのかなあ…と思っていた頃、ちょうど部署の異動があって、それまでの横浜のオフィスから都内のオフィスになったんです。そんなとき月刊シナリオに載っていたシナリオ講座の広告を見つけて、ここなら仕事終わってからでも通えると思ったことが一つ。もう一つの理由は、研修科の講師が柏原寛司先生・田部俊行先生・松本功先生で、三人とも現役で娯楽作品を書かれている方達だったことです。現役で書かれている方だったら業界へのコネができるのではないかと思って・・・。シナリオの書き方は自分で書いていて知っていたので、基礎科は受けずいきなり研修科に申し込みました。今から思えば、なんとも生意気で怖い物知らずな話です。


――働きながら講座に通われていたとのことですが、忙しくはなかったですか?

 残業でどうしても行けない日が1・2回あったと思いますが、割とちゃんと通っていたと思います。極力残業はせずに講座を優先させるという、今から思えば酷い会社員でした。


――シナリオ講座を受講してみていかがでしたか?

 講座ではプロットを2本提出して、先生から「面白い」と言ってもらえて嬉しかったのをよく覚えています。ただ、それはあくまでアイデアが面白いということで、実際のシナリオを褒められたわけではありませんでした。プロット2本書いておきながら、講義期間中は結局1本もシナリオにできなかったんです。当時はとにかくアイデアや切り口の面白さ、奇をてらうことに命を賭けていました。それで褒められたものだから、いざシナリオにしたときにみんなの前で下手さが露呈するのが怖くて(笑)。ただ、それまでに書き溜めていたシナリオが何本かあったので、講義が終了したあと、それを柏原先生のところに持っていって読んでもらいました。そこで、「こういう感じの作品なら実写よりもアニメの方がいいんじゃないか」と言われ、当時柏原先生がアニメの仕事をしていた制作会社の文芸担当プロデューサーを紹介して頂いて、そこからデビューすることができました。


――講師との縁がデビューにつながったのですね。デビューしたときの状況をもう少し詳しくお聞きしたいのですが。

 紹介してもらった文芸担当プロデューサーに、すでにオンエアが決まっていたアニメの1話完結のプロットを何本も提出し、そこでOKが出れば正式にシナリオ会議にかけてもらえるという形でした。まだなんの当てもない状況だったし、デビューの確約もなかったけど、とりあえずその時点で会社は辞めてしまいました。せっかくチャンスをもらったんだから、会社やりながらだと中途半端になると思って。迷いはあんまりなかったと思います。今から思えば、何の保証もないのによく辞めたよなと思います。


――当時の横谷さんと同じように、仕事をしながらプロデビューを目指している方も大勢いますが、アドバイスはありますか?

 仕事を続けながら目指すか、辞める決断をするかは、人それぞれだと思います。二足のわらじでやっている人もいますし、自分にあったやり方でいいと思います。ただ、あくまで個人の意見としては、年齢的に20代とかで若ければ、思い切って二足のわらじを捨てるのもいいのではと思います。仮にもしダメだったとしてもまだまだやり直しがきくと思うので。自分の場合30歳を過ぎてから辞めたので、割とギリギリ感を味わいました。どうせ辞めるなら早い方がいい(笑)。



――デビューがアニメ作品に決まったとき、ご自身では意外でしたか?また、このデビューがその後多くのアニメ作品を手がけることに繋がりましたか?

 僕は物語が作れるなら、ジャンルは何でも良いと思っていました。とにかく『お話』が書きたかった。アニメや実写、TVドラマでも映画でも何でも。そんな中でもアニメは年間にオンエアされる作品数も多いし、ひとつの作品に複数のライターが入る。一緒の現場に入ったライターは、また次の現場でも呼んでくれたりもするので、そこから仕事が広がっていったように感じます。


――横谷さんの代表作として思い浮かぶのが、TVアニメ「Free!シリーズ」です。この作品はオリジナルのストーリーですよね。

 完全なオリジナルではなく、原作となった小説があります。ただ、それは水泳をやる小学生の男の子たちの話でした。主人公は高校生にしたいという製作サイドの意向があり、「だったら小学校のときに原作にあるような出来事があった子達が、高校生になってからの物語をアニメにしよう」ということで企画が成立したと聞いています。僕が参加したのは、そこからです。


――人物設定が既に決まっている状態から、オリジナルのストーリーを作ることは難しくなかったでしょうか?

 あくまで僕の場合はですが、既存の魅力的なキャラクターがすでにある状態からそのキャラクターを動かしてお話を作っていくというのが一番楽しくやりやすいです。1話完結のアニメなんかがまさにこのパターンなので、もともとアニメに向いていたのかもしれません。


――最後に、現在シナリオ講座に通っている受講生へアドバイスをお願いします!

 シナリオ講座は誰かに自分の作品を見てもらえるチャンスの場所だと思うので、自分からどんどん書いたものを先生に見せると良いと思います。僕は講義中、シナリオは1本もあげなかったくせに、企画書やプロットだけはたくさん書いて、特別講義に企画募集に来られたテレビ局や制作会社のプロデューサーの方々に積極的に提出していました。実際そこで目にとめてもらって、ブレスト(ブレーンストーミングの略。脚本打合せでのアイディア出し)に呼んでもらったりもしました。とにかく数を打てば当たるの精神でした。このインタビューのバックナンバーを見ていて、NHKエンタプライズの吉岡さんの名前が出てきて驚いたのですが、僕も吉岡さんには大変お世話になりました。当時吉岡さんは松竹映画の奥山和由さん率いるTeam okuyamaにおられ、そこで企画書を見てもらったり、進行中の企画の準備稿を書かせてもらったりしました。その企画自体は結局流れてしまったのですが、そのときに金子修介監督を紹介していただき、その後の『クロスファイア』や『ゴジラ』といった作品に繋がりました。他にも、その時点では形にならなかったけど、そこからのつながりで後に形になった仕事もたくさんあります。もちろん、流れたままで終わった物もそれ以上にたくさんありますが。なのでとにかく、自分の書いたものどんどん人に見せ、企画募集があれば、とにかく出す。チャンスがあればダメもとでもとにかく食いつく。言い方は悪いですが、下手な鉄砲も数を撃てば当たる。その企画が自分に合わなかったとしても、流れてしまったとしても、「別の現場で使えるかも」と思ってくれる人がいるかもしれない。どこでなにがどうつながるかわからない。『コネ』という言葉はあまり良い意味では使われませんが、そこはいい意味でのコネです。媚びを売ったりするのではなく、純然たる人と人とのつながり。それがなければ何も始まらないのではないかと思います。


プロフィール 
大阪府出身。シナリオ講座第22期研修科にて柏原寛司氏、田部俊行氏、松本功氏に師事。96年、TV「怪盗セイント・テール」で脚本家デビュー。以来、「Free!シリーズ」「はたらく魔王さま!」「べるぜバブ」「Re:ゼロから始める異世界生活」等ヒットアニメの脚本・シリーズ構成を多数手がける。



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